7/14/2007

貧乏は正しい!ぼくらの未来計画


昨日に引き続き、橋本さんだ。貧乏は本当に正しいのだ、と。


貧乏は正しい!ぼくらの未来計画 by 橋本 治

「低金利時代がやって来て、すべての金は、日本人をまともにするためではなく、若い女を狂わせるために使われた」―こう言ってもそう間違いではないだろう。
バブルの醜悪とは、「日本の若い女性を狂わせた」という、その一点につきるかもしれない。

なんで日本のオヤジたちがああも会社好きなのかというと、会社以外にほかに行くところがないからだ。
仕事以外にすることがないからだ。会社の人間関係以外に、人間関係がないからだ。
だから、会社社会の流行に従おうとする。
「自分がない」というのは、寂しいことだ。だから、なにをしても“ぼんやりとした不安”だけは残る。
だから、その不安を解消するために、ますます“仕事”という大義名分にのめり込もうとする。
そういう不安な自分に対する言い訳がほしくて、「家族のため」という口実も作り出す。

文化とは、結局のところ、「金の使い方」なのだ。

文化とは、結局のところ、蓄積されてしまった“豊かさ”をいかに使うかという、その使い方の問題でしかない。

豊かさというのは、実は金の問題ではなくて、時間の使い方に関する問題でもある。

現在の資本主義制度の中で、サラリーマンはなんにもできない。
それは、サラリーマンが「資本主義制度の中に参加する資格を持たない労働者と同じものになっているから」である。

貧乏人こそ正しくて、貧乏じゃないやつは退廃している。

ボクは貧乏が似合わないから贅沢がしたい。

制度社会という言葉があって、我々はあたかも制度の中で暮らしているようだが、人間は、制度以前に習慣で暮らすものである。
だから、そんな制度的な取り決めなんかが全然なくったって、平気で“それ以前からの習慣”は続いて行く。
制度的な規定なんかがまったくないにもかかわらず、その“習慣”があまりにも当たり前の顔をして続いているがために、うっかりすると我々はそれを“制度”だと思ってカン違いをしてしまうことがある。

自分の発言能力のなさと度胸のなさをタナに上げて、「何を言ってもだめだから言わない」なんていう、とんでもない結論を出さないで欲しい。今の日本の社会をだめにしているのは、「考えのない“上の方”の旧態依然と、自信のない“現場”のためらい」なのだから。

「信じたい」と思えない未来なんて、「未来」に価しない。「未来」というものは、自分が「信じたい」と思う方向に、自分で作って行くもんだ。

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