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3/15/2008

2分でやせる!/大庭史榔









2分でやせる!/大庭史榔

骨盤が締まると、
・睡眠時間が短くなります
・内臓機能が上がります
・男性機能が高まります
・頭がよくなります
・気持ちが前向きになります
・当然痩せます

深呼吸をすると胸郭が開く

胸郭が開くとシーソーの関係のように骨盤が締まる

骨盤が締まれば痩せる

呼吸器に疲れのある人、あるいは腕に疲れのある人はうつ伏せになってしまいます。そのほうが楽に眠れるからです。
消火器が疲れている人は体を右下にすると楽に眠れます。
このように人の体というのは無意識のうちに治そうとしているのです。

胸肋関節が開けば仙腸関節が閉じ、胸肋関節が閉じれば仙腸関節が開く。
このような関係から、胸郭が開けば骨盤は締まります。締まった骨盤はすべての関節の中心となっているため、それにより体全体も締まります。当然頭骨も締まり、目がスッキリして頭も冴え、一日の仕事に活力をあたえることになるのです。
また、深呼吸をすることにより消火器の機能が少し低下します。消火器というのは副交感神経支配なのですが、深呼吸によって交感神経が旺盛になるのです。そうなることで食欲を抑えることができるのです。

大昔は空腹になると狩りに出かけていました。それが普通であり、また空腹のほうが感覚が鋭敏になり、どこに何がいるかというのが分かるようになります。

脳に異常があると必ず何らかの前兆が出るものです。手首、足首などの動きで片側に制限されるような違和感があったら動脈硬化を疑ってみてください。中高年になったら、手首、足首、そして首の動きは、日々しっかりチェックしておく必要があります。

2/18/2008

自分らしく生きたかったらエゴイストになりなさい









自分らしく生きたかったらエゴイストになりなさい ヨーゼフ・キルシュナー



平和の唱道者たちはこれまで以上に戦争で大もうけするでしょう。ぐうたらのなまけ者どもは、これからも有能な
者たちの汗と努力の結晶を食いものにしてしてのらくらと暮らしつづけるでしょう。有能な者たちはなんのためとも
知らず、ただ死にものぐるいで働くだけのことでしょう。健康産業はますます活状を呈し、ブームはさらに続くでしょう。
それでも、人類の病気がますますふえていくことに、誰も疑問を投げかけたりはしないでしょう。


***


その期待はものの見事に裏切られるでしょう。なぜなら二十一世紀もこれまで同様に三階級社会という人類最古の
システムが引き続き私たちを支配することになるからです。これは絶対に疑いありません。ここでいう階級とは次の三つをさします。

*愚かな人たち
*ずるがしこい人たち
*真にかしこい人たち

どうしたらいいかわからない愚かな人たちは、自分が何を信じ、何を考え、何を望み、何を買えばいいかを教えてくれる人たちを、
これからも探し求めるでしょう。そして、ずるがしこい人たちは、親切に笑って愚かな人たちにあれこれ助言を与えてたっぷりもうけて、
甘い汁を吸うことでしょう。


***


(エゴイストの十戒)

1.権利より先に義務がある。

2.お金がなければつかわない。

3.仕事ができるなら勤め口はかならずある。自分の値打ちは自分で決める。

4.自分と調和できるのなら、世界とも調和できる。

5.人を責めるのは自分自身を責めるのとおなじこと。それは自分への怒りを相手にぶちまけているだけのこと。

6.何がやりたいかわかっているなら、誰も口出しなどできない。

7.誰にでもなまける権利がある。しかし自分の有能さを犠牲にしてまでなまけることはない。

8.有能というのは自分自身にとってであって、他人にとってではない。

9.あることについて語れば語るほど、それがわからなくなる。

10.多くを知れば知るほど、ますますそれについて語る必要はなくなる。内容のないことを百回言うよりは、黙っているほうが時として効果的。


***


かしこい人たちは自己を解放することによって自由を獲得しようとするのですが、それは自分の人生に対して、
はっきりとしたイメージをもつことによってのみ得られます。


***


「誰も他人に幸福を与えることはできないし、他人から幸福を奪うこともできない。自分の責任は自分にしか負えない」


***


「人生の舵は自分でとる、最後の決定は自分で下す」


***


「どうやらこれが、賢者の階級に所属するための鍵のようです。自分が不幸なのは他人のせいだと逃げ口上ばかりならべるのは、
おろかな人だけがすることです。
指図したり取り締まったりするのがずるがしこい人たちの習性だとすれば、どうしてよいかわからずに服従するのが愚かな人たちの
習性といえそうです。だから、両者はたがいに依存しあっています。


***


イメージしたら信じることです。信じればこれまで疑っていたことも実行する力がわきます。信じるということは、
想像はできるというレベルから一歩踏み出して、想像もできないことを実現することなのです。ただし正当な方法をとること。


***


しっくりくる人生を送るには、何がほんとうに必要なのかを知ることです。必要なものを手に入れるには、何をあきらめなくては
ならないかを知ることです。


***


教育というのはどんな教育であれ人を不安がらせ、おどし、こわがらせるのが常套手段です。人は不安になると言いなりに
なってしまうものだからです。しかし、あなたは自分で自分を教育するのですから、他人の言いなりにはなりません。


***


あなたの言うことが正しい必要はありません。人がそれをほんとうだと信じてさえいればいいのです。権威というのは、
あなたが正しいことを言っているからではなく、あなたが正しいことを言っていると人々が信じているから成立するのです。
あなたが権威をを利用するときは、もしそれが見抜かれたときには逆にあなたに不利なかたちで利用されることもお忘れなく。


***


もっとも強い説得力をもつのは権威などではなく、あなたが日々の行動のなかで着々と積み重ねている自分への確信に
ほかなりません。


***


けなしたりほめたりするのは、相手をゆさぶるための手段です。人からほめられないとやっていけない人、人からけなされるのを
恐れる人、こうした人たちは他人に左右されています。

何がしたいのかはっきりさせましょう。自分を信じて自分のものさしで行動してください。そうすれば誰も、ほめたりけなしたりして、
あなたを不利な状況へ追いやることなどできません。

あなたをほめる人は、あなたを味方につけたがっているのです。あなたをけなす人は、あなたをおとしめることで自分が上に
行きたいのです。あるいはあなたの失敗にあげつらうことで自分の失敗の言い訳をしようという魂胆でしょう。ほめたりけなしたり
というのは、相手をゆさぶるための戦術です。この戦術をつかって、ずるがしこい人たちは愚かな人たちを統率しているのです。

他人をけなす人は、それによって自分の権威を打ち立てようとしているのです。あなたは自分自身の確信で人を説得するので
あって、自分の権威を前面に打ち出す必要はありません。権威にだまされるのは自分に権威のない証拠です。

それが利益をもたらすなら、あなたもほめたりけなしたりの戦術を駆使して相手をゆさぶってみてください。他人が不利益を
こうむるのは知ったことではありませんが、あなたが利益を得るのは大事なことです。

誰でも自分に対して責任をもたねばなりません。だから他人にたくみにあやつられて油揚げをさらわれたからといって、
なんの弁解もできません。


***


どんな協力関係にせよ、はじまりはあなた自身です。あなたが自分を信じて、自分自身と調和がとれていれば、
あなたは自分自身のもっとも信頼のおけるパートナーです。

自分自身と調和が取れているとは次のようなことをいいます。

*敗北を喫しても自分を責めたり言い逃れを考えたりせずに、敗北から学ぼうとする。
*自分自身を信じていて、誰もその自信をゆるがすことができない。
*自分に対して責任を負っていて、誰もその責任を肩代わりしようなどとちょっかいを出さない。
*自分を信じて、決して自分を否定しない。ただし、誰かをたくみにあやつってひともうけするために自分をいつわるというのなら話は別。


パートナーシップを結ぶ意味は、一人で問題を解決するよりは二人でいっしょに取り組んだほうがうまくいくということにあります。

パートナーシップでいちばん大事なのは、平等ということではなく、相互補完ということです。

パートナーシップとは、パートナーに対する思いやりではなく、創造的なぶつかりあいのなかで相互理解を深めることをいいます。

パートナーシップとは、相手を尊重すると同時に自分も尊重されることです。

パートナーシップとは、それぞれが投資したよりもたくさん返ってくるということを意味します。

パートナーシップにおいては、それぞれが自分なりに正しいのです。つまりあなたはパートナーの真理を尊重するけれども、むこうもあなたの
真理を尊重するのです。たとえパートナーがあなたの真理を尊重しなかったとしても、それがあなたの真理であることには変わりはないのです。
おなじく、あなたがパートナーの真理を尊重しなくても、それはやはり相手の真理であることに変わりはないのです。

パートナーシップがあなたによろこびよりも苦痛を与えるようになったら、それは意味を失います。そのときは相手にかまうことなく決定を下すことです。

あなたが自分自身と幸せな関係でないのなら、どんなパートナーとも幸福にはなれません。自分を愛していないのに、人を愛せるはずがありませんから。

あなたが他の誰よりもあなた自身を信じているのなら、どんなパートナーにも幻滅することはないでしょう。

パートナーシップの原理は、階級組織の原理と真っ向から対立するものです。パートナーシップにおいては、
何よりもまず個人個人が自分に対して責任を負い、連帯責任はあとになります。


***


社会に庇護を求めるものは、自分で自分を守ることができない人間です。こういう人は庇護者たちからいいようにあやつられて貢がされてしまうでしょう。

モラルというのは、自分のものさしをもたない愚かな人たちをあやつるためのよい口実になります。

モラルをもてあそんで金もうけをしているずるがしこい人たちは、モラルの基準をひじょうに高く設けていて、愚かな信奉者たちがいくら努力しても、
その基準を満たすことはとうていできないのです。そのために信奉者たちはつねにダメ人間のレッテルをはられ、彼らの人生はたくみにあやつられてしまうのです。
しかし何より自分を信じ、自分のものさしだけで生きている人は、罪悪感などで人のいいなりになったりはしないのです。


***


あなたは次のような三階級社会のなかで生きています。

*ずるがしこい人たちの階級―彼らは愚かな人たちに何を考え、何を信じ、何を望み、何を買ったらよいかをあれこれ指図してぼろもうけしている。
*愚かな人たちの階級―彼らは自分が何を考え、何を信じ、何を望み、何を買ったらいいのか自分で判断できないので、ずるがしこい人たちのいいなりになってしまう。
*真にかしこい人たちの階級―彼らは自分が何を考え、何を望み、何を買うべきかをよく心得ていて、自分のものさしにしたがって行動する。


***


自由な社会というのは自分自身が自由である人にとってのみ存在するものです。自由であるためには、できることはすべて
やってみることです。そうすれば、あなたはいつでもどんな社会でも自由でいられます。


***


文化というのは、あなた自身の心のなかにあります。だから、あなたの生き方そのものが文化のあらわれなのです。
文化というのは生命のあるがままの姿であり、誰かに指図されたり管理されたりするものではないのです。


***


マスメディアというのは正義やモラルをかかげるのが大好きですが、彼らは決して倫理的な集団ではありません。
彼らはスポンサーの利害にかなうように言論を操作する企業なのです。

マスメディアは人工的な世界をつくりあげ、視聴者や読者はそれを見たり聞いたり読んだりして、現実では満たされない
欲求のはけ口を見つけるのです。つまりマスメディアは自分の人生でナマで生きることのできない人たちのために、
作りものの人生を提供しているのです。

毎日現実とむきあって、あなた自身のナマの人生を生きてください。あなたはあなたにしかない人生を体ごと生きているのであり、
傍観しているのではないのです。

マスメディアなんていうものは、あなたの役に立つように、あなたのものさしにあわせて利用すればいいのです。

あなたの人生を毎日の現実のなかで精いっぱい生きてください。そして現実に背を向けて映像の世界に逃げ込んだりしないで、
自分の手で問題を解決してください。

自分の夢を見ましょう。自分の苦しみを苦しみ抜きましょう。そして自分の力で、自分にあった世界をつくりましょう。

自分の手で人生をつむぎだす人は、メディアのヒーローに自分の幸福を重ね合わせる必要などないのです。


***


宗教や政党は信者や支持者たちに全員が幸福になることを約束しますが、そのかわりに個人の自由は失われます。


***


自分を変えれば自分が住む世界も変わります。これは個人主義の考え方で、誰もが自分自身の世界を築くことができるというものです。
ただし、その責任は自分が引き受けなければなりません。

自由競争社会では、誰もが他人を犠牲にして自分の利益をものにするチャンスにめぐまれています。
だから自由競争社会というのは計算ずくめのゲームのための格好の舞台なのです。

自由競争では思いやりという視点はありえません。自然界における弱肉強食の原理とおなじく、誰もがわが身かわいさだけで生きているのですから。

ずるがしこい人たちは、なにかにつけ平和・平等・隣人愛などといった希望を説いて、愚かな人たちを自分たちの利害にしばりつけます。
残された唯一の自由は、ずるがしこい人たち、愚かな人たち、そしてかしこい人たちのいずれの階級に所属するかを自分で決定するということだけです。

いかなる選択をするにせよ、一市民として知っておかねばならないのは、自分の人生を意味あるものにするには、何かをあきらめなければならないということです。

あなたが自由でいられるのは、他人と比較しないときだけです。なぜなら、そのときのあなたは自分が何をしたいのか、ほんとうにわかっているからです。


***


潜在意識に埋め込まれた障害は、あなたが意識的な意志決定をしても取り除くことはできません。それを取り除くには、あなたの潜在意識にあなた自身の
プログラムを植えこむしかありません。そのプログラムとは、あなたが自分で自分を教育するということなのです。

潜在意識に到達するには、欲しいと思うものをねばり強く思い続けることです。どのくらいねばり強く思いつづけるのかというと、あなたの行動をさまたげている
すべての潜在意識よりもさらに深く根強くあなたの思いが植えこまれるまでです。

そこまで思いつづけると、あなたは思いどおりの自分になることができます。そしてこうしたことが、ごく自然に堂々と行なえるようになります。

このように潜在意識の世界にあなたのプログラムを植えこむのは、あなたがリラックスしているときにかぎります。リラックスするには、静かな場所で
楽な姿勢をとり、静かに深呼吸して、あなた自身に精神を集中することです。

リラックスした姿勢、深呼吸、そして自分自身へ意識を集中することによって、あなたは他人が押しつけた生活のリズムを脱却して、
自分に合ったリズムに乗り換えることができるのです。


***


忘れてならないことは、どんな行動もトレーニングを積み重ねた上でなければ実現しないということです。あなたがなにかを
なしとげようとするならば、それが自分のイメージどおりに自然にできるようになるまで、一歩一歩ねばり強く実践を通じて
改善していかなければならないのです。

つまり、それはどういうことかというと「計画と決断の段階では頭をつかってよく考えよ、しかし、行動するときには疑う気持ちなど
かけらももたずに、ただ成功の確信だけをもって行動せよ」ということなのです。


***


問題を解決するには、その問題を把握しなければなりません。問題を把握するには三つの段階があります。

*その問題がどんな影響を及ぼしているかを知る。
*その問題が他のこととどう絡みあっているかを知る。
*その問題の原因を知る。


問題とのつきあい方には、次の二つがあります。

*問題がどんな影響を及ぼしているかわかっているのに解決しようとせず、それを忘れてしまおうとする。もちろんそれで問題は解決しません。
*問題の因果関係を把握してよりよい状況をつくりだそうとする。


問題の因果がわかっている場合は、次の三つを駆使してください。

*あなたもしくは人の経験。
*あなた自身の直感。
*あなたの創造力と想像力。


ねばり強く調べあげ、きちんと問いただしていけば、問題の因果関係はかならずつかめます。

問題の原因を解明するもっとも重要な問いは「なぜ?」ということです。


***


健全なエゴイズムをぞんぶんに発揮しながら人生の達人になるというのは、まったく個人の問題です。ずるがしこい文化人や
政財界の幹部どもは、何かにつけ芸術がどうの文化がどうのとこせついた定義づけをしたがりますが、人生の達人になるという
ことはこんなやからのおせっかいとはなんの関係もない事柄なのです。なぜなら、人生の達人になるわざというのは人の役に立つ
ような代物ではなく、もっぱら自分を豊かにするために自分で身につけるものだからです。
そもそも文化とか芸術というものは、愚かな人たちの哀れな人生を少しでもくつろげていくらかでも面白いものにしてやろうと考え
出されたものです。そして、そのなかでもっとも秀でているのは、この人生の達人芸とでもいうべきものなのです。人生の達人芸
というのは、ただ食うために生きているのではなく、自分を乗り越えようという志をもった者なら誰でも自分のものにすることができます。
その際に重要なことは、この人生の達人芸というのは自分を豊かにすること以外に何の役にも立たないということです。人生の
達人は、人から尊敬されるためにパフォーマンスをする必要などまったくないのです。自分というものを最高に尊敬していれば、
それで十分なのです。


***


心配するというのは、あなたが自由でない証拠です。あなたが自由人ならば自分のメロディーで自分にあった踊りを踊るで
しょうし、人の評価など必要としないでしょう。

あなたが自由人で自分のメロディーにあわせて踊りを踊る人ならば、あなたは自分の自然の欲求にしたがって生き、自分の
生き方を無理やり型にはめたりはしないでしょう。だから自由人であるためには自由な創造力が必要なのです。


***


人がとうてい思いつかないようなことを考えてください。型にはまった考え方しかできない人たちには、とうてい思いつかないような
解決策を見つけ出してください。人がとうてい不可能だと思っていることをやってください。

自由というのは、人があなたに与えてくれるものではないのです。自由はあなたのなかにしかありません。やってできない
ことはないと、あなたが自分を信じたその瞬間に自由が生まれるのです。

自由人になるわざを身につければ、目標をかんたんに定めることが出来るようになります。しかも、その目標が実現しようが
しまいがどちらでもへいちゃらなのです。なぜなら自由人にとっては、そこへ至る道すじそのものが目標だからです。もちろん
途中で放棄してしまっては、自由人としての面子は丸つぶれかもしれませんが。


***


自由というのは偶然手に入るものではありません。いまここで頭をはたらかせてあなたの自由を磨いてください。
いまここで自由ならば、「明日はどうなるのだろう?」なんて考えたりしないこと。頭のなかが自由ならば、どこにいても自由になれるのです。

あなたの思考をコントロールする能力が増せば増すほど、あなたの自由も大きくなります。あなたの潜在意識に思考や
イメージをプログラムするときは、よく注意を払いましょう。そのときの合言葉はつねに「今日何が起ころうと、私はいつも自由で幸福」
というものです。

あなたの精神に自由が根付いていれば、いくら人から束縛されても、あなたの心のなかは自由です。これが自由人でいる
ための秘訣なのです。


***


人に勝って自分が優秀であることを証明してみせることはありません。あなたが自分で知っていれば十分です。

人生で大切なのは人よりすぐれていることではなく、自分の力でできるかぎりのことをすることです。ゲームに負けたなら
敗北から学べばよいのです。自己不信に陥ったり言い訳したりせずに、敗北から学ぶ。これこそが自分に勝つということです。


***



ずるがしこい人たちは愚か者どうしを戦わせて利益を得ています。これがゲームをたくみにあやつる彼らの戦略です。
かしこい人たちは人のために戦いませんから誰からも征服されることはありません。

戦いに勝ちたいという願望は、人を攻撃することからはじまります。しかし人を攻撃するということは自分を攻撃することに
ほかならないのです。

自分に対する攻撃は問題が解決できないおのれの不甲斐なさに対するいらだちからはじまります。自分の存在証明が
出来ない人は、他人を攻撃することでそれを得ようとするのです。

あなた自身と仲良くすること。自分の問題は自分で解決すること。人をおとしめて自分をもちあげたりしないこと。
これができれば、あなたは戦わずして人生に勝つことができます。


***


あなたは幸福を味わうことによって成熟を重ねますが、同時に不幸な体験によっても成熟は増していきます。
不運に見舞われたことがなければ、ほんとうに幸福になることはできません。不自由を重ねてようやく自由の境地にたどりつく
ことができるのです。だから一つ学んではまた次へという姿勢をなくしてはいけません。


「残された人生は自分の欲求と気持ちのおもむくままに生きて、人からあれこれ指図されるような関係は全部捨ててしまおう」

1/10/2008

関島瑞穂先生









関島瑞穂


人間は悲しくて寂しい。それが本性だと。
明るく前向きなのは、世を忍ぶ仮の姿だと。
明るく前向きな人を見てみなさい。
だいたい鈍そうな顔をしてます。


頭が固いのは体が硬いから


中心感覚研究会


養生訓
わが身の足るを知れば、人間どんな環境にあっても楽しんで生きることができる。


仏教の教えでも「多欲は人の利を求めることが多いがゆえに苦悩も多い」といい、利益ばかりを追い求めて生きる人は満足を知らないから悩み苦しむことが多いのだとする。
こういった人は、他人のことまで考える余裕はなく、他人や社会のために貢献しようなどという気持ちはないから、心はいっそう貧しくなる。
逆に、足ることを知ってる人は心が豊かで穏やかだから、自然と顔や表情も穏やかになり、身体もおのずと健康になる。


便利屋ウェヴ

ブランドはフィーリングを売るもの、おそらくライフスタイル全般を売るものだ。その点では宗教に通ずる。
将来に不安を感じたらブランドに訊け、というわけだ。

12/30/2007

老子と暮らす・加島祥造











老子と暮らす・加島祥造

自分の生き方の基本とする価値には、自分の内側から判断する価値と、世間一般から判断する価値とがある、ということです。

ユーモアは、自由のコーナーストーン、要石だ。

町っ子には、権力への屈従ではなくて、それをせせら笑うようなセンスがあるんです。歌舞伎、川柳、俳句などは、みなそうした庶民の自由な心がどこかに動いている
ものでした。

知足、「足りることによって自分のなかに富を見つけはじめる」という意味だと思うんです。
物質の富から自分の心の富への転換なんです。自分のなかの潜在能力の発見なんです。たんなる物質的な豊かさをさすのではなく、精神の豊かさと深さ、そして何よりも自由を表す言葉です。

若者の体は柔らかいが、心は固い。老人の体は固いが、心は柔らかい。

自足ということ
君はどっちだねー
地位が上がるためには、そして収入や財産を増やすためには、自分の体をこわしたってかまわないかね。
それとも、自分の命を大切にしたいかね。

命を大切にする人は、
地位が低くたって、収入が多くなくたって、あまり気にしないのさ。
自分の生きる楽しさを犠牲にして、名誉や地位を追う者は、じつはいちばん、「何か」をとりそこねている人だ。
ひたすら金銭や物を貯めこむ者は、じうてゃ大損をしているのさ。
いま、自分の持つものだけで満足すれば、平気な顔でいられる。
何かほかを求めず、ひとに期待しなければ、デカい顔でいられる。
「まあ、こんなところで充分だ」と思っている人は、ゆったりとこの世をながめて、
いま持つもので、けっこうエンジョイできる。
そして、社会に自分のものだという気になるのさ。
だってその人は、社会よりデカいものとつながっているからだよ。

野口体操










野口体操

野口語録
1 今まで出来なかった難しいと思われるうごきに向かいあったとき、緊張努力を増すことで、解決しようとする姿勢が多く見られるが、それは大きな間違いである。
2 そのうごきが最もよく出来たとき、最も楽で気持ちがいいというあり方を見つけたい。
3 楽であるということは、決して消極的な概念ではなく、ゆとりある積極的なあり方である。

野口語録
1 一番をきそうのではなく、よりよいもの(こと)を求める。
2 目的とか効果とか価値は、もともと本質的に感覚と同じく主観的なものであり、最後の審判は自分自身による判決である。
3 からだを前に屈げたり後ろに反ったりするには、筋肉の緊張によるという考えを捨てること。基本的には筋肉を緩めて(解緊)することによって、ぶら下がり、そのことによって結果として前に曲がったり、後ろに反ったりという形になる(弛ませ曲線)。
4 目的効果をあえて言わない理由は、目的や効果や予測は、意識化・言語化をしなくても関係のなかから結果として生まれてくるからである。
5 意識は脳のはたらきの一部であることを常に念頭におかなければならない。意識のはたらきを含む脳全体のはたらきで、筋肉に情報を伝えるのかもしれないが、脳以外の神経組織(細胞)すべてがかかわってはたらくのが事実であろうと、私は考えている。

12/17/2007

「こうすれば100歳まで生きられる!」











「こうすれば100歳まで生きられる!」

長寿学の世界的権威が教える「長生き10か条」

1、毒もうまく使えば15年寿命を延ばせる。
  「毒」はエックス線、アルコール、日光を指している。
2、精神状態を安定させる。
  幸福な結婚生活と家庭は長寿にとって極めて大切。
  結婚している男性は7年、女性は2年、していない男女より長生きする。
3、長生きする環境、とくに沖縄等温暖な地域。
  沖縄の100歳以上の人々は、人口の10万人に対し336人にものぼる。
4、長からず、短からずの睡眠、ワインやチョコレートも長生きの要因。
5、頭をたえず使う。
6、病気になる前に予防する。
7、「食物はクスリである」と言う考えをもつ。
8、楽しいこと、趣味に没頭する。
9、新しい方法、様式、技術を忌避しないで積極的に取り入れる。
10、常に「笑い」を忘れない。

11/06/2007

最高の自分を生きる 丸山敏秋






最高の自分を生きる 丸山敏秋



◎感謝や感動の心が大きいこと
◎自分の身に起きることはすべてプラス、ととらえること
◎先のことはあまり考えず、目の前のことに精一杯取り組むこと
◎志を高く持つこと
◎ギブ・アンド・ギブの精神で生きること


稽古とは、自分の身体を型にはめ込んでいく訓練である。稽古がはっきりとした目的に
向けて行われるとき、それは修行となるのだ。


修行とは、世俗的な日常経験の場における生活規範より以上のきびしい拘束を自己の心身に対して
課することである。そしてそれによって、社会の平均的人間が送っている生き方より以上の「生」の
Leben mehr alsに至ろうとすることである。「人格の向上」とか「人間形成」とよばれるものは、具体的には、
このような実践的訓練の過程を意味する。
そうした修行には、主として外界の事物に向かう外向的実践(たとえば修道院生活の労働のように)と、
瞑想修行のような自己の心の内部に向かう内向的実践に大別できる。世阿弥が稽古を禅の修行になぞらえたように、
技芸の稽古が修行に進んでいくとき、日本の場合では無我の境地をめざす仏教思想が大きな役割を果たすこととなった。



技芸あるいは求道の世界でその「道」を究めるためには、よき師に就き、その師を心から尊敬信頼して、技能を修得しなければならない。
道元いわく、「正師を得ざれば学ばざるに如かず」。
技芸の師は普通、あまり教えない。師自身もかつて就いた師から教えられることはなかったし、技芸の蘊奥は教えられるものでもないことを、
経験的によく知っているからだ。型ならば教えられるが、それもあえて無理には教えない。そもそも、「教える」という言葉は稽古の世界にふさわしくない。
なぜなら、日本の技芸では身体などの動きがない、いわば空白余白のところに無限の妙趣を見出そうとするからだ。「せぬところがおもしろき也」
(世阿弥『花鏡』)、「目に見えぬ所をさとって知る事」(宮本武蔵の『五輪書』第七戒)と言うがごときである。動きのないところ、目に見えないことを、
どうやって教えられようか。
したがって弟子は、真似をするしかない。技芸でも学問でも、学びの道は「まねび」、すなわち師の技芸や知識をひたすら謙虚に模倣することからしか
始まらない。模倣するとは、一定の型に身を入れる修練を積むことである。



①善いしつけ
②自分の選んだ芸術に対する情熱的な愛
③師に対する批判抜きの尊敬


まず弟子は最初、師がやって見せることを、良心的に模倣すること以外には、何一つ要望されることがない。
師は長ったらしい説教や理由付けを嫌って、簡潔な教示をするにとどめ、弟子が質問することなどは勘定に入れていない。
彼は弟子の模索的な数々の骨折りを落ちつきはらって静かに眺めており、別に弟子の独立心や創意工夫を期待しないが、
弟子が成長し成熟するのをじっと待っている忍耐心を持っている。両者共に時間をたっぷり持っており、師はせきたてず、弟子は
あわてて手をさし出さないのである。
時期尚早に弟子を芸術家に目覚めさせようなどとは毛頭考えず、師は彼を、手業が無上によくできる有能者に仕立てることを、
自分の最初の使命と考えている。弟子はたゆまぬ勤勉によって師のこの意図に添おうと努める。彼はまるでそれ以上の高い要求は
全然持っていないかのように、いわば自分に愚鈍な心服状態を背負わせる。こうして彼は、何年か経って初めて、完全に自己のものと
した形式が、もはや自分を圧迫せず、かえって自己を解放するという経験を持つようになるのである。彼は一日一日と次第に容易に、
どんな芸術的霊感にも、技術的には造作なく従うことができるようになる、が同時にまた心をこめた観察の中から、霊感をぞくぞくわかせる
こともできるようになる。例えば、筆を持つ手は、彼が心の中で創作活動を始めるのと同じ瞬間に、いち早く狙い誤たず頭に浮かんで
いるものを仕上げてしまうのである。そしてついに弟子は、精神か手か両者のどれが、その作品の責を負うかをもはや知らなくなるのである。
しかしそこまで行くためには、すなわちその技量が“精神的に”なるためには、弓道の場合と同様に、心身の全力の集中が必要なのであって、
これは、どんな事情の下においても放棄され得ないものである。(傍点・引用者)


稽古が目指すのは「自由」の境地なのである。「型にはまる」だけではその「道」を窮めたとはいえない。型をしっかり踏まえながらその型を
超えていくと、いちいちの動作から心が離れ、自由自在に技が繰り出せるようになり、「我もしらず」という境地に至る。そう、「ゾーンに入る」のだ。
そうした稽古の階梯は「守・破・離」あるいは「序・破・急」と呼ばれた。


◎人は、幸福に暮らしているから朗らかなのではなく、朗らかにしているから、幸福な事情がつぎつぎにあらわれてくるのである。
◎世の人は、身体が悪いから働けない、というように考えているが、それは反対である。・・・・・・病気になってからでも、出来る仕事を心配なく
働きつづけていたら、それ以上悪くならないばかりでなく、次第によくなってくるものである。


習慣は成長の敵なのだが、習慣を突き破るところに成長がある、というべきかもしれない。習慣を突き破る上での導き、それが直感だった。
直感は低次の「爬虫類の脳」ではなく、上位の「人間の脳」と「哺乳類の脳」との間の力動から生まれる。すなわち、「下から上」ではなく
「上から下」に作用する心の機能であった。ちなみに、習慣に依存する怠惰怠慢、あるいは自己保存の心意は、「下から上」によるものである。
技芸の世界における達人の開眼に、直感が大きな働きをするとともに、日々の稽古における向上のプロセスにも直感は欠かせなかった。
このようなことから、「気づいたらすぐする」という実践の意義が明らかになる。気付きという直感は、その時その場の状況に応じて、実に多様に
発現する。それをキャッチして行動する場面場面は、いつも異なっていて、常に新しい。すなわち受動的な習慣を突き破り、われわれは
「新に生きる」ことができる。
実践とは非日常的な行為だったが、あることを実践してそれが出来るようになると、習慣化してしまう場合が多い。日常化してしまえば、もう、
実践ではなくなってしまう。直感による「即行」にそうした習慣化は起こらない。「即行」が非日常に止まりっぱなしということも決してない。
「日常→非日常→日常」の好ましいサイクルが「即行」の実践においてもたらされる。


「純情」の対極がわがまま(エゴイズム)であり、わがままは習慣に安住する。わがままな生き方を変え、機械のように自動操縦されて生きるだけの
人生を乗り越えたいのであれば、「即行」ほど的確な実践はない。


オイゲン・ヘリゲル『日本の弓術』(柴田治三郎訳、岩波文庫、1982年)
同『弓と禅』(稲富栄二郎・上田武訳、福村出版、1981年)
黒田亮『勘の研究』(講談社学術文庫、1980年)

9/12/2007

オシムの言葉






オシムの言葉





間瀬秀一は
「行く国、行く国、貧しい国。行く先、行く先、苦しい場所。ツテもなくて2部とか3部ばっかりで、スタジアムも小さくて環境も悪いわけですよ。住むところも食べるものも貧しいわけです。で、サッカー辞めようかなと何回も思った。でもそこのチームメイトと同じものを食べて、同じ生活をするうちに見えてくる。俺がこんなに苦しいってことは、そこの国の人、みんな、苦しいわけです。彼らに愛着が湧いて来たんです。どんな環境であろうが、そこに人が住んで生活を営んでいる。1部でも3部でもやることは結局同じサッカー。
人生なんて、みんな、価値観、それぞれ違うわけじゃないですか。サッカーなんてどうでもいい、サッカーなんて嫌いな人だって世の中にいるわけです。でも自分はサッカーを好きで、こととん追求することができた。代表になれたわけじゃない。サッカーで大金を稼いだわけでもない。それでもね、確かに自分は貫いたという自負があります。」





夢ばかり見て後で現実に打ちのめされるより、現実を見据え、現実を徐々に良くしていくことを考えるべきであろう。





攻めるべきかどうかということは、人生の哲学とも関わっている。プロの世界だから結果は大事。内容が良いかどうかよりも、やはり勝ち負けが注目されるし、それがプロでもある。そういう意味で、人生の哲学と関わってくるのではないか?
私が思考するのは、観客やサポーターはいったい何を望んでいるのか、そして何が目的なのかということだ。サッカーとは攻撃と守備から成り立っているもの。その要素の中でいろいろな方法論をとることができるが、私としては、いる選手がやれる最大限のことをして、魅力的なサッカーを展開したいと考えている。そういうサッカーを目指すには、リスクが付きものだ。しかし、現代サッカーがビジネス化し大きなお金が動くからといって、そのリスクのほうを狭め、大きなお金のためにサッカーを展開し、ほとんどの試合が0-0になったらどうか?もちろん、いいサッカーをしても0-0の結果になることはあるが、それはまた別の話。観客が満足するようなことに挑戦することこそが、大切なことだと私は思っている。
全ての監督が大きなプレッシャーを感じている。ほとんどの人たちが、試合の内容よりも結果に注目しているわけだからね。やはりチームが負けないようなサッカーを監督は選択していくだろう。ただそういうことを続けていたら、残念ながらいい内容の試合は展開されないだろうね。










6/23/2007

深刻な症状が起きる前


心理学の本か何かに書いてあった。


幸運なことに、より深刻な症状が起きる前に発見することができる、多くの兆候がある、と。

次に挙げるのは、その一部分に過ぎない。皆さん、当てはまると思いませんか?


●怒りっぽくなる

●攻撃性

●過剰防衛

●優柔不断

●集中力の低下

●自信喪失

●持続的な疲労感

●筋肉の緊張。特に首・肩・背中

●頭痛

●消化不良

●不眠症

●便秘

●大量の発汗


6/19/2007

野口体操

今日これから、日本に帰る。

今回の出張もたくさん読書したな。旅で読書は最高。



野口体操の野口先生語録。為になるなぁ。


野口語録

1 今まで出来なかった難しいと思われるうごきに向かいあったとき、緊張努力を増すことで、解決しようとする姿勢が多く見られるが、それは大きな間違いである。



2 そのうごきが最もよく出来たとき、最も楽で気持ちがいいというあり方を見つけたい。



3 楽であるということは、決して消極的な概念ではなく、ゆとりある積極的なあり方である。


野口語録

1 一番をきそうのではなく、よりよいもの(こと)を求める。



2 目的とか効果とか価値は、もともと本質的に感覚と同じく主観的なものであり、最後の審判は自分自身による判決である。



3 からだを前に屈げたり後ろに反ったりするには、筋肉の緊張によるという考えを捨てること。基本的には筋肉を緩めて(解緊)することによって、ぶら下がり、そのことによって結果として前に曲がったり、後ろに反ったりという形になる(弛ませ曲線)。



4 目的効果をあえて言わない理由は、目的や効果や予測は、意識化・言語化をしなくても関係のなかから結果として生まれてくるからである。



5 意識は脳のはたらきの一部であることを常に念頭におかなければならない。意識のはたらきを含む脳全体のはたらきで、筋肉に情報を伝えるのかもしれないが、脳以外の神経組織(細胞)すべてがかかわってはたらくのが事実であろうと、私は考えている。

6/08/2007

精神健康の基準

忘れないうちに。精神科の神戸大学名誉教授・甲南大学教授の中井久夫氏の本から。タイトル忘れた。
1、いい加減で仕事や追及をやめる能力
2、いやなことは自然に後回しにする能力
3、できたらやめておきたいと思う能力
4、一人でいられる能力、また二人でいられる能力も必要である
5、嘘をつく能力
6、いい加減で手をうつ能力、意地にならない能力
7、しなければならないという気持ちに対抗できる能力