
音楽観
ライブの前に彼のソロアルバムをなんども聞いていたのだが、 生演奏には音楽する心の表情のすべてが伝わってくる音楽にはこれがどうしてもかかせないものだと思う。 映像に写しても、それはつたわらない。
永遠に私の心を揺さぶり続ける音楽を奏でる人。
自分で自分を確認するために、書き殴ります。 私のネタ帳ですから、ブログにする必要ないのかもしれませんが、こういうものも世間にさらしたほうが良いのかな、と突然思いました。 私は、普通の人より5年くらい考え方が遅れているのです。 ビバ!中年web2.0。 おっさんロングテール。 いや、私はポニーテールのほうが好きです。












久石譲 感動をつくれますか?
創造力で大きな仕事をしている人たちは予定調和を嫌う。
「作曲家として最もプライオリティを置いていることは何ですか?」と問われたら、僕は迷わず「とにかく曲を書き続けること」と答える。
仕事は”点”でなく”線”だ。集中して物事を考え、創作する作業を、次へ次へとコンスタントに続けられるかどうか。それができるから、作曲家です、小説家です、映画監督ですと名乗って生きていける。
優れたプロとは、継続して自分の表現をしていける人のことである。
一流とは、ハイレベルの力を毎回発揮できることだ。
確実にたくさんの曲を作り続けていくことは、気分の波に流されない、という意識が僕には強くある。
結局、いかに多くのものを観て、聴いて、読んでいるかだ大切だということだ。創造力の源にある感性、その土台になっているのは自分の中の知識や経験の蓄積だ。そのストックを、その絶対量を増やしていくことが、自分のキャパシティ(受容力)を広げることにつながる。
ドラマのストーリーも音楽のメロディも、通俗的すぎるくらいのほうがインパクトが強いことがある。つくり手がへんに気取っているようなものは、人間味が感じられず結構つまらないものになりやすい。あざとくても、下世話でも、そういうものが求められているのならば、堂々とやりきってしまうほうがよい。
楽な人生などない。みんな何かしら人知れず苦労しているものだ。だから自分から進んで苦労する必要はない。苦労自慢をする人には、自分を冷静に見つめる第三の脳、客観視能力がない。ひいては、知性が感じられない。
普通の苦労は人間の幅を広げることにはならない。幅を広げたかったら、知性を磨くことと本当の修羅場をくぐりぬけることである。
才能豊かな人は劇薬みたいなものだ。プラスの影響力も強いが、毒もある。間違えて服用したら死ぬ。そういう人たちと互角に与していくにはそれ相当の覚悟が要る。専門的な能力が試されるだけではない。強靭な精神力が問われる。
ものをつくる人間に必要なのは、自分の作品に対してのこだわり、独善に陥らないバランス感覚、そしてタフな精神力、この三つだと思っている。どれが欠けてもうまくいかない。
音を出すことで何を伝えたいのか。音楽をやることで表現しなければならないのは、そこだ。ところが、技術的なところで自分の立派を追い求め、そこに価値を置いているだけだと、どんなにうまくても、音楽にはならない。ピッチやリズムではない。
「トップの地位に登りつめたことのある人間は、根本的に何かが変わる」
僕は、一等賞を取ることが人間としての目的だとは考えないし、勝ち負けの結果や人の序列といったものにも意義を感じてはいない。むしろ、そんなものは人間の本質とは関係ないと思っている。だが、結果としてトップを取るだけの力を持った人は、精神的に誰よりも強さを身につけているということは歴然たる事実だと思う。他者との戦いに勝てる力のある人は、自分の身にふりかかる難題やさまざまな誘惑も克服していけるだろう。今日のように行く先を見据えにくい時代には、そういう強さを持つことが有益なのではないだろうか。



8/22/2005 日本経済新聞
膨大な情報が世界を駆け巡る。限りなくゼロに近づく情報交換のコスト、不特定多数につながる開放性・・・・・・。「知」の加工や深化を通じ、物質文明では到達できなかった情報文明へ歩を刻む。
万人が楽しめる時代が到来した。「現行の補償金制度は権利団体を通じてレコード会社や大先生だけに著作権料が戻る。団体に属さないクリエーターは蚊帳の外だ。彼らにきちんとお金が戻る、新しい仕組みに作り替えるべきだ」(穂口氏)
補償金制度のみならず、著作権の仕組み全体を見直す機運もある。小委員会の主査を務める中山信弘・東大教授は「著作権法は(問題の)吹きだまり的様相を呈している。現行法が社会の要請に応じうるものなのか、問い直す必要がある」と主張する。

AOR?
当時のカウンター・カルチャー
ベテラン勢による原点回帰的な試みから始まったアンプラグド
AOR=Adult Oriented Rock。お馴染みの図式である。しかし"AOR"という表記
で本書のような作品群をイメージするのは、それこそ日本の音楽ファンだけだ。米国でA
ORといえばAlbum Orientedの略であり、"R"はRockとRadioの双方を意味する。つ
まりシングル・ヒットを指向せず、アルバムをトータルに聴かせようとするロック、あるい
はそれをオンエアするFM局、そんな言葉だった。日本でいうAORはAC(アダルト・
コンテンポラリー)と呼ばれ、ここにはフュージョン系のインストゥルメンタルや、クワ
イエット・ストーム系のブラック・ミュージックも含まれる。しかしアルバム・オリエン
テッドという捉え方は、あながち的外れではない。それは全盛期のAORには、生活を彩
るBGMとしての効用があったからで、アルバム1枚丸ごと楽しめるというのも重要なフ
ァクターだったのだ。
最近は1曲良ければOKという傾向が見受けられるが、これには断じてノーと言いたい。
AORと呼ばせるには、トータライズされたテイストが必要なのだ。
スタイルを楽しむだけでなく、同時に感情や精神性を共有するための音楽なのである。
ポップ・ミュージックに、もっと大人っぽいサウンド、つまりジャズやソウル・ミュージックの
エッセンスを加えてみたら・・・
"大人のゆとり"を感じるヴォーカルのセンス
トロピカルなリラクゼィション・サウンド
センシティヴなアコギと揺れるとようなエレピの音色
トロピカル風味とレイド・バックしたムードを品良くまとめてみせた。
ぬくもりのあるメロディとハーモニーが素晴らしく、
ヒューマンなヴォーカルとまろやかなアコギの響き、
これぞ"エヴァー・グリーン・ミュージック"と呼ぶにふさわしいサウンドだ。
若葉が急に萌え出して、街に活気が甦る頃・・・・・・。
あるいは風の色がゆるやかに褪めてゆく夏の終わり・・・・・・。
音楽が決して流行やスタイルではないことを教えてくれる、そんな素敵な"なごみ"の1枚である。
キャスティングは相変わらず豪華でも、プレイは実にストイック。
ナイーヴかつピュアな心情
その芳醇なテイストと深いコクには、丹念に磨かれた技術とスピリットが息づいていた。
フランクスのヴォーカルと楽曲の質感は現在までまったく変わっていない。
安らぎの時間を演出してくれる。
バード・バカラックにも通じる美しいメロディを紡ぎ出す名ソングライター
温かい包容力を持たせた
妙な先入観や既成概念にあ捕らわれず、音楽のありのままを受け入れる。
映画のワンシーンを思わせるジャケットを含め、トータライズされたドラマティックな魅力は本作ならでは
圧倒的な歌唱力を持つスーパー・シンガーにして、"ミュージシャンズ・ミュージシャン"と賞賛される
凄腕サウンド・クリエイターでもあるジノ・ヴァネリ。
そのヴォ-カルは沸き立つようなエナジーと豊かな声量を持ち、しかもそれをコントロールし得る表現力と
絶対的なスキルも有している。
情感豊かに仕上げた傑作
商業主義の業界と距離を置いた彼は、シンプルでシャープな音作りを試みたり、
ジャズに接近しながら、今も自分の音楽家としての欲求を満たすような創作活動を続けている。
熱気を孕んだマイアミ・ソウルの甘いムードと、哀愁を帯びたメロディ・ライン
無理をして音を重ねずに充分な空間を残している。だからストリングスやブラス、エレピのフェイザーが
とてもヴィヴィッドに伝わってくるのだ。それが彼自身が失わずにいる青臭さと相まって、独特の味にもなっている。
人生の光と影をくっきり映し出す。時と運命に翻弄され、ひとときの悦楽にもありつけない。
そんな男の哀愁と孤独を感じさせる、隠れた名盤だ。
都市の暗部まで知り抜いたホントの都会人には、彼らこそがリアルなシティ・ミュージックなのかもしれない。
どうしてこんなに優しいんだろう、どうしてこんなに穏やかなんだろう・・・・・・。
このアルバムを耳にするたび、そんなことを思う。
遅れてきたビートニク。
サウンドはスペース感を生かしたフュージョン寄りのハイブリッドなもので、
リズムは滑るようにしなやか。ちょっと投げやりなヴォーカルも、独特の雰囲気を放っている。
本末転倒かも知れないが、このアルバムを語る時には、どうしてもグレイドンの演奏及び
プロダクション・ワークを第一義にしておきたい。もちろんそれは本来、マークの才能を活かすために
嵩じた手段だった。
筋金入りの極上品だったワケ。
この作品もほとんどがミディアム~スローで、郷愁を呼ぶようなノスタルジックな旋律が特徴。
酸いも甘いも知った大人が、まだ青臭かった昔を振り返るようなアルバム
今にして思えば、確かに"クリスタル・ブーム"は女性リスナーを獲得し、AORをポピュラーにした。
しかしファッション化させてしまう両刃の剣でもあった。だがその根底を支えていたのは、
レコード店でメンバーを確認して"クレジット買い"するような、純粋な音楽ファンだったと思う。
サラッと聴き流しても雰囲気を楽しめる。それでいて、アレンジやコード進行を分析しても、
感心するほど奥が深い。それが当時のAORだった。
部屋でくつろぐ時、ハンドルを握る時、アウトドアに興じる時、恋人と愛を語る時・・・・・・。
いつもかたわらでAORが鳴っている。それが自然な時代だった。
タイアップという暴力的な情報操作でプロモーションを展開する昨今と違い、
良い音楽は口コミで広がってゆく・・・・・・そんな幸せな時代だった。
素性は純朴で優しいオッサンという感じ
常にマイペースを貫き通して活動しているベテラン・シンガー・ソングライター。
まったく飾り気のないシンプルな作風は、コンサバティヴとも言える。
しかしその素朴な味は、もはや彼の個性として確立。
余計なことを考えずにボサッと聴くには、とても気持ちの良いアルバム
しっとりした旋律に、フェミニンな詞。恋に悩み、愛に傷つき、それでもまた誰かを求めずには
いられない。そんな男のひとり言を綴った、悲しくホロ苦い詩(うた)の数々。
思春期の頃ならば、誰だってそんな想いをしたことがあるだろう。
日々の暮らしに疲れ、自分を見失いそうになった時、
こんなにも優しい音があるのを思い出してほしい。
商業化/大衆化を内包しているのが普通だった。なのに彼は実に恣意的で、純粋に音楽的洗練の
プロセスが聞こえてくる。本人の才能もさることながら、恵まれた環境が良質の音を生んだ絶好のサンプルだ。
私小説的に詩(うた)を普遍的で大衆にも通用する"歌"へと消化させた彼
骨太かつ臨場感のあるサウンドが打ち出された
彼らは気負うことなく、自然体で音を創ったという
纏ったファッションはその時々で変わっても、中身の人間まで変わってしまうワケじゃない―彼らはきっと
そう言いたかったに違いない。
音楽はスタイルじゃない。肝心なのは人間なのだと。
あの頃の高揚した空気感が、どれだけAORを輝かせていたか。またAORが自分たちの生活に
どれだけ潤いを与えてくれたか。その一体感の素晴らしさを実感し、次世代に語り継ぐことができるのは、
リアルタイム派だけなのだ。
季節やシチュエーションに関係なく、いつも五感で「海」を感じているかどうか。
たとえ都会に住もうとも、喧騒から離れて心を落ち着かせれば、何処からともなくさざ波が聞こえてく
る・・・。
オーガニック・テイスト
リラックスしてオープン・マインド
心に「海」を持っている人
ブルー・アイド・ソウル
ほのぼのした甘いヴォーカルと、ゆるめのアコースティック・グルーヴ