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2/18/2008

自分らしく生きたかったらエゴイストになりなさい









自分らしく生きたかったらエゴイストになりなさい ヨーゼフ・キルシュナー



平和の唱道者たちはこれまで以上に戦争で大もうけするでしょう。ぐうたらのなまけ者どもは、これからも有能な
者たちの汗と努力の結晶を食いものにしてしてのらくらと暮らしつづけるでしょう。有能な者たちはなんのためとも
知らず、ただ死にものぐるいで働くだけのことでしょう。健康産業はますます活状を呈し、ブームはさらに続くでしょう。
それでも、人類の病気がますますふえていくことに、誰も疑問を投げかけたりはしないでしょう。


***


その期待はものの見事に裏切られるでしょう。なぜなら二十一世紀もこれまで同様に三階級社会という人類最古の
システムが引き続き私たちを支配することになるからです。これは絶対に疑いありません。ここでいう階級とは次の三つをさします。

*愚かな人たち
*ずるがしこい人たち
*真にかしこい人たち

どうしたらいいかわからない愚かな人たちは、自分が何を信じ、何を考え、何を望み、何を買えばいいかを教えてくれる人たちを、
これからも探し求めるでしょう。そして、ずるがしこい人たちは、親切に笑って愚かな人たちにあれこれ助言を与えてたっぷりもうけて、
甘い汁を吸うことでしょう。


***


(エゴイストの十戒)

1.権利より先に義務がある。

2.お金がなければつかわない。

3.仕事ができるなら勤め口はかならずある。自分の値打ちは自分で決める。

4.自分と調和できるのなら、世界とも調和できる。

5.人を責めるのは自分自身を責めるのとおなじこと。それは自分への怒りを相手にぶちまけているだけのこと。

6.何がやりたいかわかっているなら、誰も口出しなどできない。

7.誰にでもなまける権利がある。しかし自分の有能さを犠牲にしてまでなまけることはない。

8.有能というのは自分自身にとってであって、他人にとってではない。

9.あることについて語れば語るほど、それがわからなくなる。

10.多くを知れば知るほど、ますますそれについて語る必要はなくなる。内容のないことを百回言うよりは、黙っているほうが時として効果的。


***


かしこい人たちは自己を解放することによって自由を獲得しようとするのですが、それは自分の人生に対して、
はっきりとしたイメージをもつことによってのみ得られます。


***


「誰も他人に幸福を与えることはできないし、他人から幸福を奪うこともできない。自分の責任は自分にしか負えない」


***


「人生の舵は自分でとる、最後の決定は自分で下す」


***


「どうやらこれが、賢者の階級に所属するための鍵のようです。自分が不幸なのは他人のせいだと逃げ口上ばかりならべるのは、
おろかな人だけがすることです。
指図したり取り締まったりするのがずるがしこい人たちの習性だとすれば、どうしてよいかわからずに服従するのが愚かな人たちの
習性といえそうです。だから、両者はたがいに依存しあっています。


***


イメージしたら信じることです。信じればこれまで疑っていたことも実行する力がわきます。信じるということは、
想像はできるというレベルから一歩踏み出して、想像もできないことを実現することなのです。ただし正当な方法をとること。


***


しっくりくる人生を送るには、何がほんとうに必要なのかを知ることです。必要なものを手に入れるには、何をあきらめなくては
ならないかを知ることです。


***


教育というのはどんな教育であれ人を不安がらせ、おどし、こわがらせるのが常套手段です。人は不安になると言いなりに
なってしまうものだからです。しかし、あなたは自分で自分を教育するのですから、他人の言いなりにはなりません。


***


あなたの言うことが正しい必要はありません。人がそれをほんとうだと信じてさえいればいいのです。権威というのは、
あなたが正しいことを言っているからではなく、あなたが正しいことを言っていると人々が信じているから成立するのです。
あなたが権威をを利用するときは、もしそれが見抜かれたときには逆にあなたに不利なかたちで利用されることもお忘れなく。


***


もっとも強い説得力をもつのは権威などではなく、あなたが日々の行動のなかで着々と積み重ねている自分への確信に
ほかなりません。


***


けなしたりほめたりするのは、相手をゆさぶるための手段です。人からほめられないとやっていけない人、人からけなされるのを
恐れる人、こうした人たちは他人に左右されています。

何がしたいのかはっきりさせましょう。自分を信じて自分のものさしで行動してください。そうすれば誰も、ほめたりけなしたりして、
あなたを不利な状況へ追いやることなどできません。

あなたをほめる人は、あなたを味方につけたがっているのです。あなたをけなす人は、あなたをおとしめることで自分が上に
行きたいのです。あるいはあなたの失敗にあげつらうことで自分の失敗の言い訳をしようという魂胆でしょう。ほめたりけなしたり
というのは、相手をゆさぶるための戦術です。この戦術をつかって、ずるがしこい人たちは愚かな人たちを統率しているのです。

他人をけなす人は、それによって自分の権威を打ち立てようとしているのです。あなたは自分自身の確信で人を説得するので
あって、自分の権威を前面に打ち出す必要はありません。権威にだまされるのは自分に権威のない証拠です。

それが利益をもたらすなら、あなたもほめたりけなしたりの戦術を駆使して相手をゆさぶってみてください。他人が不利益を
こうむるのは知ったことではありませんが、あなたが利益を得るのは大事なことです。

誰でも自分に対して責任をもたねばなりません。だから他人にたくみにあやつられて油揚げをさらわれたからといって、
なんの弁解もできません。


***


どんな協力関係にせよ、はじまりはあなた自身です。あなたが自分を信じて、自分自身と調和がとれていれば、
あなたは自分自身のもっとも信頼のおけるパートナーです。

自分自身と調和が取れているとは次のようなことをいいます。

*敗北を喫しても自分を責めたり言い逃れを考えたりせずに、敗北から学ぼうとする。
*自分自身を信じていて、誰もその自信をゆるがすことができない。
*自分に対して責任を負っていて、誰もその責任を肩代わりしようなどとちょっかいを出さない。
*自分を信じて、決して自分を否定しない。ただし、誰かをたくみにあやつってひともうけするために自分をいつわるというのなら話は別。


パートナーシップを結ぶ意味は、一人で問題を解決するよりは二人でいっしょに取り組んだほうがうまくいくということにあります。

パートナーシップでいちばん大事なのは、平等ということではなく、相互補完ということです。

パートナーシップとは、パートナーに対する思いやりではなく、創造的なぶつかりあいのなかで相互理解を深めることをいいます。

パートナーシップとは、相手を尊重すると同時に自分も尊重されることです。

パートナーシップとは、それぞれが投資したよりもたくさん返ってくるということを意味します。

パートナーシップにおいては、それぞれが自分なりに正しいのです。つまりあなたはパートナーの真理を尊重するけれども、むこうもあなたの
真理を尊重するのです。たとえパートナーがあなたの真理を尊重しなかったとしても、それがあなたの真理であることには変わりはないのです。
おなじく、あなたがパートナーの真理を尊重しなくても、それはやはり相手の真理であることに変わりはないのです。

パートナーシップがあなたによろこびよりも苦痛を与えるようになったら、それは意味を失います。そのときは相手にかまうことなく決定を下すことです。

あなたが自分自身と幸せな関係でないのなら、どんなパートナーとも幸福にはなれません。自分を愛していないのに、人を愛せるはずがありませんから。

あなたが他の誰よりもあなた自身を信じているのなら、どんなパートナーにも幻滅することはないでしょう。

パートナーシップの原理は、階級組織の原理と真っ向から対立するものです。パートナーシップにおいては、
何よりもまず個人個人が自分に対して責任を負い、連帯責任はあとになります。


***


社会に庇護を求めるものは、自分で自分を守ることができない人間です。こういう人は庇護者たちからいいようにあやつられて貢がされてしまうでしょう。

モラルというのは、自分のものさしをもたない愚かな人たちをあやつるためのよい口実になります。

モラルをもてあそんで金もうけをしているずるがしこい人たちは、モラルの基準をひじょうに高く設けていて、愚かな信奉者たちがいくら努力しても、
その基準を満たすことはとうていできないのです。そのために信奉者たちはつねにダメ人間のレッテルをはられ、彼らの人生はたくみにあやつられてしまうのです。
しかし何より自分を信じ、自分のものさしだけで生きている人は、罪悪感などで人のいいなりになったりはしないのです。


***


あなたは次のような三階級社会のなかで生きています。

*ずるがしこい人たちの階級―彼らは愚かな人たちに何を考え、何を信じ、何を望み、何を買ったらよいかをあれこれ指図してぼろもうけしている。
*愚かな人たちの階級―彼らは自分が何を考え、何を信じ、何を望み、何を買ったらいいのか自分で判断できないので、ずるがしこい人たちのいいなりになってしまう。
*真にかしこい人たちの階級―彼らは自分が何を考え、何を望み、何を買うべきかをよく心得ていて、自分のものさしにしたがって行動する。


***


自由な社会というのは自分自身が自由である人にとってのみ存在するものです。自由であるためには、できることはすべて
やってみることです。そうすれば、あなたはいつでもどんな社会でも自由でいられます。


***


文化というのは、あなた自身の心のなかにあります。だから、あなたの生き方そのものが文化のあらわれなのです。
文化というのは生命のあるがままの姿であり、誰かに指図されたり管理されたりするものではないのです。


***


マスメディアというのは正義やモラルをかかげるのが大好きですが、彼らは決して倫理的な集団ではありません。
彼らはスポンサーの利害にかなうように言論を操作する企業なのです。

マスメディアは人工的な世界をつくりあげ、視聴者や読者はそれを見たり聞いたり読んだりして、現実では満たされない
欲求のはけ口を見つけるのです。つまりマスメディアは自分の人生でナマで生きることのできない人たちのために、
作りものの人生を提供しているのです。

毎日現実とむきあって、あなた自身のナマの人生を生きてください。あなたはあなたにしかない人生を体ごと生きているのであり、
傍観しているのではないのです。

マスメディアなんていうものは、あなたの役に立つように、あなたのものさしにあわせて利用すればいいのです。

あなたの人生を毎日の現実のなかで精いっぱい生きてください。そして現実に背を向けて映像の世界に逃げ込んだりしないで、
自分の手で問題を解決してください。

自分の夢を見ましょう。自分の苦しみを苦しみ抜きましょう。そして自分の力で、自分にあった世界をつくりましょう。

自分の手で人生をつむぎだす人は、メディアのヒーローに自分の幸福を重ね合わせる必要などないのです。


***


宗教や政党は信者や支持者たちに全員が幸福になることを約束しますが、そのかわりに個人の自由は失われます。


***


自分を変えれば自分が住む世界も変わります。これは個人主義の考え方で、誰もが自分自身の世界を築くことができるというものです。
ただし、その責任は自分が引き受けなければなりません。

自由競争社会では、誰もが他人を犠牲にして自分の利益をものにするチャンスにめぐまれています。
だから自由競争社会というのは計算ずくめのゲームのための格好の舞台なのです。

自由競争では思いやりという視点はありえません。自然界における弱肉強食の原理とおなじく、誰もがわが身かわいさだけで生きているのですから。

ずるがしこい人たちは、なにかにつけ平和・平等・隣人愛などといった希望を説いて、愚かな人たちを自分たちの利害にしばりつけます。
残された唯一の自由は、ずるがしこい人たち、愚かな人たち、そしてかしこい人たちのいずれの階級に所属するかを自分で決定するということだけです。

いかなる選択をするにせよ、一市民として知っておかねばならないのは、自分の人生を意味あるものにするには、何かをあきらめなければならないということです。

あなたが自由でいられるのは、他人と比較しないときだけです。なぜなら、そのときのあなたは自分が何をしたいのか、ほんとうにわかっているからです。


***


潜在意識に埋め込まれた障害は、あなたが意識的な意志決定をしても取り除くことはできません。それを取り除くには、あなたの潜在意識にあなた自身の
プログラムを植えこむしかありません。そのプログラムとは、あなたが自分で自分を教育するということなのです。

潜在意識に到達するには、欲しいと思うものをねばり強く思い続けることです。どのくらいねばり強く思いつづけるのかというと、あなたの行動をさまたげている
すべての潜在意識よりもさらに深く根強くあなたの思いが植えこまれるまでです。

そこまで思いつづけると、あなたは思いどおりの自分になることができます。そしてこうしたことが、ごく自然に堂々と行なえるようになります。

このように潜在意識の世界にあなたのプログラムを植えこむのは、あなたがリラックスしているときにかぎります。リラックスするには、静かな場所で
楽な姿勢をとり、静かに深呼吸して、あなた自身に精神を集中することです。

リラックスした姿勢、深呼吸、そして自分自身へ意識を集中することによって、あなたは他人が押しつけた生活のリズムを脱却して、
自分に合ったリズムに乗り換えることができるのです。


***


忘れてならないことは、どんな行動もトレーニングを積み重ねた上でなければ実現しないということです。あなたがなにかを
なしとげようとするならば、それが自分のイメージどおりに自然にできるようになるまで、一歩一歩ねばり強く実践を通じて
改善していかなければならないのです。

つまり、それはどういうことかというと「計画と決断の段階では頭をつかってよく考えよ、しかし、行動するときには疑う気持ちなど
かけらももたずに、ただ成功の確信だけをもって行動せよ」ということなのです。


***


問題を解決するには、その問題を把握しなければなりません。問題を把握するには三つの段階があります。

*その問題がどんな影響を及ぼしているかを知る。
*その問題が他のこととどう絡みあっているかを知る。
*その問題の原因を知る。


問題とのつきあい方には、次の二つがあります。

*問題がどんな影響を及ぼしているかわかっているのに解決しようとせず、それを忘れてしまおうとする。もちろんそれで問題は解決しません。
*問題の因果関係を把握してよりよい状況をつくりだそうとする。


問題の因果がわかっている場合は、次の三つを駆使してください。

*あなたもしくは人の経験。
*あなた自身の直感。
*あなたの創造力と想像力。


ねばり強く調べあげ、きちんと問いただしていけば、問題の因果関係はかならずつかめます。

問題の原因を解明するもっとも重要な問いは「なぜ?」ということです。


***


健全なエゴイズムをぞんぶんに発揮しながら人生の達人になるというのは、まったく個人の問題です。ずるがしこい文化人や
政財界の幹部どもは、何かにつけ芸術がどうの文化がどうのとこせついた定義づけをしたがりますが、人生の達人になるという
ことはこんなやからのおせっかいとはなんの関係もない事柄なのです。なぜなら、人生の達人になるわざというのは人の役に立つ
ような代物ではなく、もっぱら自分を豊かにするために自分で身につけるものだからです。
そもそも文化とか芸術というものは、愚かな人たちの哀れな人生を少しでもくつろげていくらかでも面白いものにしてやろうと考え
出されたものです。そして、そのなかでもっとも秀でているのは、この人生の達人芸とでもいうべきものなのです。人生の達人芸
というのは、ただ食うために生きているのではなく、自分を乗り越えようという志をもった者なら誰でも自分のものにすることができます。
その際に重要なことは、この人生の達人芸というのは自分を豊かにすること以外に何の役にも立たないということです。人生の
達人は、人から尊敬されるためにパフォーマンスをする必要などまったくないのです。自分というものを最高に尊敬していれば、
それで十分なのです。


***


心配するというのは、あなたが自由でない証拠です。あなたが自由人ならば自分のメロディーで自分にあった踊りを踊るで
しょうし、人の評価など必要としないでしょう。

あなたが自由人で自分のメロディーにあわせて踊りを踊る人ならば、あなたは自分の自然の欲求にしたがって生き、自分の
生き方を無理やり型にはめたりはしないでしょう。だから自由人であるためには自由な創造力が必要なのです。


***


人がとうてい思いつかないようなことを考えてください。型にはまった考え方しかできない人たちには、とうてい思いつかないような
解決策を見つけ出してください。人がとうてい不可能だと思っていることをやってください。

自由というのは、人があなたに与えてくれるものではないのです。自由はあなたのなかにしかありません。やってできない
ことはないと、あなたが自分を信じたその瞬間に自由が生まれるのです。

自由人になるわざを身につければ、目標をかんたんに定めることが出来るようになります。しかも、その目標が実現しようが
しまいがどちらでもへいちゃらなのです。なぜなら自由人にとっては、そこへ至る道すじそのものが目標だからです。もちろん
途中で放棄してしまっては、自由人としての面子は丸つぶれかもしれませんが。


***


自由というのは偶然手に入るものではありません。いまここで頭をはたらかせてあなたの自由を磨いてください。
いまここで自由ならば、「明日はどうなるのだろう?」なんて考えたりしないこと。頭のなかが自由ならば、どこにいても自由になれるのです。

あなたの思考をコントロールする能力が増せば増すほど、あなたの自由も大きくなります。あなたの潜在意識に思考や
イメージをプログラムするときは、よく注意を払いましょう。そのときの合言葉はつねに「今日何が起ころうと、私はいつも自由で幸福」
というものです。

あなたの精神に自由が根付いていれば、いくら人から束縛されても、あなたの心のなかは自由です。これが自由人でいる
ための秘訣なのです。


***


人に勝って自分が優秀であることを証明してみせることはありません。あなたが自分で知っていれば十分です。

人生で大切なのは人よりすぐれていることではなく、自分の力でできるかぎりのことをすることです。ゲームに負けたなら
敗北から学べばよいのです。自己不信に陥ったり言い訳したりせずに、敗北から学ぶ。これこそが自分に勝つということです。


***



ずるがしこい人たちは愚か者どうしを戦わせて利益を得ています。これがゲームをたくみにあやつる彼らの戦略です。
かしこい人たちは人のために戦いませんから誰からも征服されることはありません。

戦いに勝ちたいという願望は、人を攻撃することからはじまります。しかし人を攻撃するということは自分を攻撃することに
ほかならないのです。

自分に対する攻撃は問題が解決できないおのれの不甲斐なさに対するいらだちからはじまります。自分の存在証明が
出来ない人は、他人を攻撃することでそれを得ようとするのです。

あなた自身と仲良くすること。自分の問題は自分で解決すること。人をおとしめて自分をもちあげたりしないこと。
これができれば、あなたは戦わずして人生に勝つことができます。


***


あなたは幸福を味わうことによって成熟を重ねますが、同時に不幸な体験によっても成熟は増していきます。
不運に見舞われたことがなければ、ほんとうに幸福になることはできません。不自由を重ねてようやく自由の境地にたどりつく
ことができるのです。だから一つ学んではまた次へという姿勢をなくしてはいけません。


「残された人生は自分の欲求と気持ちのおもむくままに生きて、人からあれこれ指図されるような関係は全部捨ててしまおう」

1/07/2008

ヴィパッサナー瞑想







ヴィパッサナー瞑想


ブッタは、「一生観察する仕事だけは忘れてはならない」と論します。見る、聞く、この観察だけは決して忘れるな、と。

逆説のように聞こえるかもしれませんが、スローモーションに何でもできる人は、結局いちばん早く何でもできる人なのです。なぜならば、一切の無駄が消えるから。

クリーンな頭で、明晰な頭脳で、正しくものを判断し、的確な決断をしていく。そして、鋭い先見性、先読み術で世の中を楽しく生きてください。そのためには、すべてのものには時間と順番があるということ、それを知るためには観察という能力が必要ということ。

ヴィパッサナー瞑想法は、本当に大切なものは何かということを考え直す方法、ものごとを新しい角度から観る方法です私たちは、妄想の中で生きています。その妄想から離れて、世界をありのままに見る必要があります。それをどうやって身につけるかという実践方法がヴィパッサナー瞑想法です。

結局人間にとって唯一の救いの方法は、自分をきちんと観察することです。これが唯一の救いの道、解脱の道です。他の道はないのです。

12/29/2007

おそうじ風水術 林秀静










幸せが舞い込む おそうじ風水術 林秀静


(1)安心・安全であること
(2)快適であること
(3)家や町が栄えているかどうか


“ゴミには悪人がつく”という傾向があります。玄関にゴミを溜めたり、散らかし放題にしたりしていると、よからぬ客ばかりが訪れるようになります。あるいは、幸運を運ぶお客様が訪れなくなってしまいます。


嫌いなこと、絶対にしたくないことを、紙に書き出して、それらを捨てましょう。嫌いなことを自分の中からスパッと切り捨てると、かえって大好きで真っ直ぐに取り組めることが見つかりやすくなります。


「娯楽・遊興」の運で経済のバブル期でした。それが一転して、「土地、農業、信用」などを意味する新たな20年間に変わったのです。


最近、めっきり運が悪くなったと感じるあなた、運が悪くなるというのは、今までの自分の考え方ややり方が、時代に合わなくなってきたという証拠でもあります。もっといえば、あなたの頭の中がコチコチに凝り固まっているために、にっちもさっちもいかなくなっていて、「この辺でそろそろ頭の中も、身の回りもいっぺんキレイにする必要があるんだよ」というシグナルが発信されているのです。

12/22/2007

怒る技術・中島義道








怒る技術・中島義道


1、すぐに怒りを表出すること。
2、以前の怒りを根にもつことが少ないこと。
3、怒りははげしく、しかしただちに収まること。
4、怒りの表出が言葉中心であること。
5、個人的に怒ること。
6、演技的な怒りであること。

人性はよくしたもので、長く生きてきますと、いろいろ痛めつけられますので、だんだん肩の力を抜いていかざるをえない。ごまかしがきかなくなり、多くの人が「つっぱる」のをやめます。同時に、若いころの悩みがなつかしくなる。けなげで美しくさえ思えてくる。

怒らない人の中にも、鍛錬に鍛錬を重ねて怒らない人もいる。だがどう考えても、怒ると損だからという計算だけで怒らない人が圧倒的に多いのではないか。つまり、ただ怒る勇気がないゆえに怒らない人がおびただしくいるということです。総じて現代日本を風靡している柔和な人々は、しらずしらずのうちに、怒らないほうが得だと計算している。

こういう人種(コメンテーター)は、何年生きれば、人間という複雑怪奇な存在者の生態がわかるようになるのでしょうか。一筋縄ではいかないところが人間なのであり、世の中には、右向けと言われれば右を向き、左を向けと言われれば左を向く、家畜のような善人だけが住んでいるのではないのです。

あのコメンテーターたち(そして彼らを支える膨大な数の善良な市民たち)は正しいことを冷静に注意したら、みんなヘヘーっと従うとでも思っているのでしょうか、思っていいるのですねぇ。いままで何を見て生きてきたのだか。「人間をもっとよく見ろ!」と一喝したくなります。

私にとって最重要なことは、お互いに正確に相手の意思を確認しあうことです。この国の大部分の人が、相手に対する怒りを内に秘めて、表面的な平和を保とうとする、その傾向が猛烈に強いからこそ、もう少し風通しをよくしたのです。そのためには「そっとして」おかず、「わざわざ波風を立てる」必要があります。

世の中を見渡しますと、大部分の人間たち(特に立派な市民たち)の営みは他人から「よく思われたい」という壮絶な闘争です。だれもが、実際よりちょっとでも悪く思われたり、ちょっとでも実際より低く評価されると、実を震わせて嘆き苦しみ、相手をひたすら憎み通すのです。

すなわち、私は自分が他人にどう見えるかに関しても「よく思われたい」ゲームから降りてしまったのでですから、何を言われてもあまりショックではない。

11/13/2007

オンリーワンのつくり方







オンリーワンのつくり方 谷口正和


「アイデア発想法7箇条」

1.あたえられた課題はそれが決定項である場合、肯定的に見る。否定するとアイデアが出てこない。
2.持っている情報を肯定的に見る。使える素材として見る。長所、特徴としてみる。具体的に活用法を考える。
3.自分が顧客の立場になってみる。顧客の立場からどんな情報が必要か考えてみる。一般的に考えていてもアイデアは出てこない。
4.あれこれ人にヒアリングしてみる。丘目八目、他人のほうが優れたアイデアマンであるケースは多い。このとき大切なのは、「聞き方」、「質問の設定」。何が知りたいのかを伝える「核心を突いた質問力」。
5.成功事例を研究する。アイデアは転用、活用、組み合わせであり、自己のオリジナリティにあまりこだわり過ぎない。
6.問題を多角的に見る。狭い業界視点からだけ見ない。他ジャンル情報を適用してみる。異なる文脈の情報を衝突させ結合したとき、それが新鮮なアイデアとなる。
7.その課題を常に頭から離さない。頭の隅に置き続ける。どんなことがヒントになって問題が一挙に解決するかも知れないのだから。


文化が発生すると、そこに経済が引きずられるように発生する。


本気でないものは必ず見抜かれてしまう、そういう怖い時代なのである。


メッセージの力は偉大である。優れた宗教者は、みな偉大なメッセージ・メーカーだった。
なぜ宗教者から学ぶかといえば、オンリーワンを作ることはある種「布教活動」だからである。
時代の価値観は「良い・悪い」「好き・嫌い」を超えて、「信じる・信じない」の段階に入ってきた。
CSR(企業の社会的責任)などが問われ始めてきたのは、信じられる企業の選択が始まった証拠だろう。


イエスの話の四つのポイント
1.イエスの言葉は徹底的に圧縮されている。新しい弟子がほしいときは「私についてきなさい」とだけ言った。
2.イエスの言葉は実に単純である。形容詞がない。「種を蒔く人が種を蒔きに出ていった」
3.イエスの言葉には限りない誠実さがある。本心から出たものだからである。「あなたは私の友である」
4.イエスは繰り返すことの大切さを知っていた。つまり「圧縮」「単純化」「繰り返し」が強力なメッセージの本質である。


リーダーには「三つの気」が必要だという。勇気、人気、落ち着きだ。人望とは、この三つの気を備えているということだ。


「鬼十訓」
一、仕事は自ら創るべきで、与えられるべきではない。
二、仕事とは、先手先手と働きかけて行くことで、受身でやるものではない。
三、大きな仕事と取り組め。小さな仕事はおのれを小さくする。
四、難しい仕事を狙え。そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
五、取り組んだら放すな。殺されても放すな。目的完遂までは・・・・・・。
六、周囲を引きずりまわせ。引きずるのと引きずられるのとでは、長い間に転地の開きができる。
七、計画を持て。長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
八、自信を持て。自信がないから、君の仕事には迫力も粘りも、そして厚みすらない。
九、常に頭は全回転。八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ。サービスとはそのようなものだ。
十、摩擦を恐れるな。摩擦は進歩の母。積極の肥料だ。でないと君は卑屈未練になる。


勇気あるオンリーワンは、必ず支持される時代なのだ。


仮説と検証にはサイクルがある。それは情報収集→整理・分析→仮説作り→顧客に提案→検証→再情報収集→整理・分析→再仮説作り→顧客に再提案・・・・・・の流れである。



ここを押さえてオンリーワン!

●ファーストワンを目指す
最初にやれば必ず「最新」。最新以上の話題情報はない。ファーストワンはオンリーワンとイコール。直感を大切にする。

●自分をファーストカスタマーにする
誰を満足させれば、全員満足のスターと地点に立てるか。それは「自分」。最初の顧客満足は自分に与えよ。決して妥協してはダメ。

●情熱がエネルギーであることを知る
最大のエネルギーは資本でも企業規模でも仲間の数でもない。絶対にやり遂げる!という自己エネルギー。思いの力。

●仮説を持つ
ぼんやりでもゴールは見えているか。その道筋はおぼろげでも描いているか。こうやればこうなるはず、という仮説をまず描け。

●小さくスタートする
顧客接点と回数は小さく回す。顧客の顔が見えるサイズで、自分が先頭に立って。小回転イコール高回転イコール実回転。



現場観察の原則は三つある。
1.定場観察・・・一日中、ずっとそこにいる
2.定時観察・・・一定間隔を置いて、定期的にそこに行く
3.定点観察・・・同じ場所からずっと見つづける


「Company Positioning Statement」
Who is your target customer?
 〔誰があなたの主たる顧客なのか?〕
Who is your target compertitor?
 〔誰があなたの主たる競争相手なのか?〕
What business are you in?
 〔あなたの企業はどんなビジネス領域に存在しているのか?〕
Why do your customers choose you?
 〔あなたの顧客はなぜあなたの企業を選ぶのか?〕
How are you able to accomplish this?
 〔どのようにしてこれらを達成するのか?〕


Who is your target omployee?
 〔誰があなたの主たる従業員なのか?〕
What business are you in?
 〔あなたの企業はどんなビジネス領域に存在しているのか?〕
Why do your people choose you?
 〔あなたの従業員はなぜあなたの企業を選ぶのか?〕
How are you able to accomplish this?
 〔どのようにしてこれらを達成するのか?〕


新しいことをすること、これはオンリーワンの作り方の絶対条件である。一見軽薄に見えるくらいの新しさへの
ノリ、これがオンリーワンには必要なのだ。



ここを押さえてオンリーワン!
●現場を見る
顧客は現場のなかにしかない。だから見る、見る、見る、飽きるまで見る。表情を見、目を見、見えない心を見る。

●想定顧客に聞く
あなたが獲得したい理想の顧客に、あれこれ注文を聞く。うるさい顧客ほどいい顧客。あなたのベスト顧客を追いつづける。

●業界発想を捨てる
業界は狭い。生活は広い。貴方のビジネスは顧客の生活の小さな一部分。提供者からみてはダメ、顧客の生活の視点から見る。

●テストする、フィードバックする
まずは何でもテストの気持ちでスタート。テストと修正を繰り返す。その過程で、あなたのオンリーワンが磨かれていく。

●新しい価値を探しつづける
市場を切り開くのは常に「新」。新しいコトが常に価値のリーダー。物の新価値から物を包む文化の新価値へ。


つまり小さいほうが特徴を出しやすく、保ちやすいのである。オンリーワンを目指すなら、小さくスタートし、その小ささを保たねばならない。
小さいほうがコンセプトが凝縮され、顧客に特徴が伝わりやすい。


最も間違いのない、しかも強力なアイデア多層化戦略は、コラボレーションである。他者と手を組む共同開発戦略である。



「行列の法則」
1.リミテッド
  時の限定、場の限定、個数限定、対象者限定、生産過程の限定。本書の眼目である「限定」が行列の法則の第一条だ。

2.プレ・アクション
  先行性、前倒し、先取性、テスト、プレ実験などによる実験革新。先にやる、まだ誰もやっていないことをやる。早いほうが勝つ。

3.オンリー
  独自性、特徴、オリジナリティー、ブランド力、記銘性、パーソナリティー。唯一を目指す。

4.キーパーソン
  熱意ある心を持って汗をかく個人、リーダーシップの発揮、人気者の創出。人が行列の求心力である場合が増えている。

5.ライブ&ショー
  感動、実感、体験学習、今を生きる。実演販売の力に学ぶ。ライブコンサートの集客力に学ぶ。お祭りの熱狂力に学ぶ。

6.ハッピー&ヒーリング
  幸福感、癒し、充足感、安心感。気持ちを幸福で満たす。並んでいること自体が幸福の証明になるようにする。豊かな参加感。

7.コレクション
  回数性、リピート率、ストックカルチャー。人はコレクションに並ぶ。限定発売、シリーズ発売に並ぶ。

8.パーソナルユース
  個人を対象に据えた手軽なデザイン、大きさ、価格。並ぶのはいつも個人。個人のニーズを満たせ。

9.ニュース&ジャーナル
  話題性がある。ニュースが人を呼ぶ。



圧倒的なビジュアル・コミュニケーションの時代なのだ。コンピュータは、あらゆるものの視覚化を可能にした。



ここを押さえてオンリーワン!
●独自の特徴を持つ
他にない価値の創造と提供。独自こそオンリーワン創造の原点。真似しない、あるいわニューアレンジでひねる。

●アイデアを何層にも重ねる
ひとつのアイデアに他のアイデアを加える。簡単には真似されない複合独自性の開発。それが強力なオンリーワンを作り出す。

●徹底的に「限定」でいく
限定はオンリーワン戦略の要戦略。何重もの限定オブ限定で、オンリーワンの独自性をさらに高めていこう。

●決定的な支持層を作り出す
あなたのオンリーワンを触れ歩く熱狂的な支持者を作り出せ。一人で何十人分もの作用を果たすコア顧客を作り出せ。

●デザインを重視する
オンリーワンを視聴的に伝達するビジュアル戦略を構築する。デザインは強力なオンリーワンメッセージだ。



ネーミングは非常に大事で、話題発信力の鍵になるのが、コンセプトを言い当てていて、なおかつユニークなネーミングである。


無限のサービススプリットさえあれば、それはオンリーワンになれるということだ。


それに対してワンツーマン・マーケッターは、
・一人の顧客にできるだけ多くの商品を売ろうとする
・顧客の差別化に努める
・既存の顧客から絶えず新しいビジネスを獲得しようとする
・範囲の経済を重視する
・顔が見える個々の個客志向
・個別化された商品
・個別化された流通
・個別化されたメッセージ
・個別化されたインセンティブ
・双方向へのメッセージ
・個客意識におけるシェア
・利益を与えてくれる顧客に売ろうとする
・個客保持に傾注する



口コミの原則

1.短縮=伝えやすい
2.キーワード化=流布しやすい
3.自分の情報生活県内の出来事=仲間に速く伝えたい
4.中間的情報=「知っていた」と「知らなかった」の中間である
5.伝える(教える)=確認する(教わる)
6.情報リーダー力=瞬時でも情報優位に立つ
7.拡大と変形=虚実が混在しやすい



ひとつは通常のメディアに頼らないことである。今までメディアでないと思っていたものが、新しいメディアなのだ。
新しいメディアであればあるほど、注目率も鮮度も高い。その分魅力の浸透度も高い。


自分のメディアで、自分の情報を、自分の顧客に向けて受発信できれば、それが最高のカスタマーメディアなのだ。



ここを押さえてオンリーワン!
●独自のコミュニケーション作法を編み出す
コミュニケーションの中心は「すてきなお話」。そのお話が次々と伝播していき、オンリーワンの神話を作り出す。

●パーソナル・コミュニケーションを重視する
マス・コミュニケーションよ、さらば。一人から一人へとつながっていく“個人的波紋の輪”の波に乗れ。

●核なるキーワードを創り出す
最大のコミュニケーション・ワードは「キーワード」。鍵になる短い言葉。伝えやすく、面白く、耳に残りやすい言葉を作れ。

●サイン、シンボル、ロゴタイプ=アイデンティティを創造する
ビジュアル・アイデンティティ創造はオンリーワン戦略の核心。オリジナリティとアイデアに富んだ視覚的同一性を。

●セルフメディアを持つ
自前のメディアを持つ。そこで自前のメッセージを発信する。自前の顧客から丁寧に受信する。あなたのメディアの創造を。



宗教的なビジネスが伸びる。人生の問題はほとんど心の問題であり、心のソリューションが最大のライフソリューションだからだ。



ここを押さえてオンリーワン!
●限定=予約が最大の販売力であることを知る
徹底的に「予約」を活性化する戦略をとる。作ってから売るのではない、売ってから作る。この逆転構造を戦略化する。

●コレクション・カスタマーをつくる
集めてくれる顧客が最大のヘビーユーザー。だから集めてくれるようにコレクション・マーチャンダイジングを設計する。

●ライフウェイ産業になる
顧客の「人生設計」を応援する。日々の消費ではなく、人生へのライフウェイ投資を応援する。

●「顧客立場」で考える
目線を徹底的に「顧客目線」に置く。100%提供者論理から脱する。あなたの理想の顧客の「立場」で考え抜く。

●「感性価値」を重視する
数字と理屈で考えすぎない。感性と直感で飛躍してみる。想い、閃き、想像力に身を任せてみる。

11/12/2007

ハイポロジックス

ハイポロジックス
ハイポロジックスの発想法を身につけるためには、以下の四つの誤解や思い違いという束縛から解き放たれ、自由であることの必要性を説いている。

①常識という誤解
②権威主義という誤解
③唯物史観という誤解
④実証主義という誤解

これらハイポロジックスの発想を身につけた人をハイポロジストと呼ぶが、そのための十カ条は次の通りである。

①空想であれ願望であれ、考えとして存在するものは、すべて実現可能なことである。
 [ハイポロジックスの原理]
②新たなものをつくり出すことは、それ自体、社会正義である。これを否定する者は、正義の名のもとに排除されなければならない。
 [変革(Break Through)の原則]
③単一専門領域をいくら深く掘り下げても、新しいものは生まれない。広い視界が、深い理解と新しい発想には不可欠である。
 [超視界(Hyper Vision)の原則]
④社会の不条理な抵抗や否定にあうような発想の中から、真に価値ある発想を探し求めよ。みんなが良いということは、どうでもよいことである。
 [反撃(Counterattack)の原則]
⑤行きづまり状況下には、従来の論理のもっとも基本的なところを否定せよ。修正主義は状況をさらに悪化させる。
⑥発想は長い間寝かせよ。短期間で成果を得ようと思うな。本を読む前、データをとる前に思考せよ。
⑦パイオニアは、その良き理解者とペアで一人前である。
⑧高次元の問題を扱うときほど、人間は低次元の感情にかかずらう可能性が大きいと心得よ。
⑨実力以上に自分の可能性を信じ、能力以上の問題に挑戦せよ。大風呂敷を広げよ。
⑩技術者にとって技術的主張は、個人の思想、信条であり、基本的人権と不可分なものである。誰からも拘束される必要はない。

10/15/2007

色川武大/阿佐田哲也


色川武大の一連のエッセイを読みまくっている。そこで、ふと昔読んだ佐藤愛子のエッセイで彼女が色川さんを理想のタイプと書いていて、鮮明に覚えているので以下に記す。

色川さんはそういう点で私の理想のタイプだった。ザンバラ髪の、「首実検の首」といった風貌だったが、いつも穏やかな、実に大きな人だった。
女にもてることとか、損得とか、えらくなりたいとか、人に好かれたいとか、カッコよく見られたいとか、およそ卑しい野心というものがなかった。ということは時流に妥協することも流されることもなかったということである。それゆえに色川さんは自由だった。

自由をしっかりと身体の奥に止めている男の魅力が色川さんにはあった。
頭のいい男、おしゃれの上手な男、物腰のスマートな男、優しい気配りの男・・・・・・・そういう男たちは増えている。


無芸大食大睡眠 阿佐田哲也


なにしろ私自身五十の坂を越すと、遊び仲間が櫛の歯のように欠けていく。
友人は、欠けたからといって、総入れ歯のように補塡するわけにはいかない。


テレビに向かない芸がある。ご家庭向きでない芸もある。凄い芸の持主だったり、ユニークな才があっても、ブラウン管にはまらない孤高の芸がある。演芸界ばかりに限らないが、こういう人たちはどうしてもマイナーな職場しかなくて、だんだんクサってしまう例が多い。


ヌード劇場ではハマるけれども、大劇場やテレビには生かしにくい。玄人の間ではよく知られ、一目おく存在だったが、一般的にはマイナーのヴォードビリアンという域に止まった。
とにかく彼の創ったギャグを、彼が演ずるとマイナー芸になり、他のタレントが演じた方がずっと受ける、と皮肉なことになったのである。だから、ずいぶんいろいろなコメディアンが、彼のギャグを貰って演じている。泉和助としては、それらのギャグが受ければ受けるほど、心が晴れなかっただろう。


林家三平が、邪道から出て邪道を持ちこたえるのに、いかにも苦しげだった。彼はふんばりとおして壮烈な一生を終えたが、のん気そうに見えるのはうわべだけなのである。
枝雀がそうなるかどうかわからない。


中学の生存競争に、敗戦意識や挫折感を持った者たちなのであろうが、そういうひとつの黒星が、人生を決するものと限らないことを彼等に教えてやりたい。人生にはたくさんの試合があって、勝星や負星が無限に続く。ギャンブルで、小さな勝ちや負けを経験しながら、一方で通産打率をよくしていく気力を持ち、一方ではまた負けの味をかみしめていくうちに、自分以外の者の勝ち負けについても配慮が沸いてくる。すくなくとも私はギャンブルからそういうものを教わった。

9/29/2007

金出武雄先生


金出武雄先生、


「ものを書くときには、頭の中でセンテンスの最初から最後のマルのところまでつくれ。つくり終わってから、それを一気に書け。それから次のセンテンスにかかれ。それを続けて行け。そうすれば早いし、いい文章ができる」


情報や人を独占していたからだが、インターネット技術によって誰もが最新の情報を入手でき、国際的にも連携できるようになった。


「大企業神話」が崩れ、地方の小さな企業が外国の企業と結んでビジネスを推し進めるようになっている。


「金出君、アメリカで日本人であることを売り物にしないで勝負して来い」

9/28/2007

稲増龍夫さん


稲増龍夫さん、

かつての「若者」は、よくも悪くも、「大人」と対立・葛藤する一つの世代として存在しましたが、今は個人主義が進み、みんな、ばらばらで、一つの世代というくくりでは語れず、「若者」は「大人」に無関心で、自分とは無関係と考えています。

これは縦型社会の崩壊に大きな原因があります。

昔は、豊かさを求めるという点では、みんなに共通の目標がありましたが、今は、それも実現し、そんなに頑張らなくても何とか生きていく道はあり、フリーターでもいいやなどと、生き方が多様化しています。

生き方が多様化し、個性を重視するから、「若者」は他者との比較や競争を嫌います。
それが若者から覇気を奪っている一つの要因です。また、かつては、傷心している他者にはかかわり、いたわることが優しさでしたが、それが干渉しないことが優しさだと変化し、自分も他者からの干渉を嫌うようになります。

全部が自分基準ですから、縦型社会の権威も、「若者」には関係がありません。そのため、今の「若者」は、もはや活字離れどころではなく、縦型社会の権威の一つだったマスメディアからも離れ、テレビすらあまり見ず、携帯電話やメールなど、パーソナルメディアを中心にした横のつながりで情報は伝わります。

また、昔は、若さには、未熟だとか、世間知らずだとか、青二才というマイナスイメージがあり、多くの若者は、早く一人前の「大人」になりたがったものでした。今は逆に、若さは柔軟だとか、何にでも挑戦できるというプラスイメージとなり、「若者」は、若いがゆえに持つその特権を、社会に出た瞬間、失うのではないかと怖がって、「大人」になりたがらないのです。

豊かさを実現した今、「若者」に、かわりに何を目標として与えられるか。
今はリストラや何かと「大人」社会の暗い面ばかりを伝えていませんか。
職業を通して自己実現ができるんだということを、「大人」がもっと言わないといけません。

9/22/2007

君はこの映画を見たか! 吉村英夫



君はこの映画を見たか! 吉村英夫





ままならぬのが人と人との関係である。



誰もが一生懸命に生きており、それなりに誠実に人生という一回限りの生と格闘している。



だが誠実だったら幸福になれると決まったものではないし、一生懸命だったら報いられるとは限らない。



それでも人は幸せを求めて生きていくし、努力を放棄しない。



大きな運命のなかで翻弄されはしても、人間が生きるってやはり素晴らしい。



悲しいけれども生きる価値にあるもの、それが人生だ。





サリエリは神に対して恨み言をを言う。



あの女たらしが天才で、真面目で誠実な自分がなぜ三流なのか。

なんと神は不公平なことか。すばらしい芸術はすばらしい人間性に根ざすとは限らないのである。

9/14/2007

断眠


断眠 山田鷹夫



一食で三時間の睡眠が必要であると聞いた気がする。

それが心に残っているけれど、それを更新したいと思う。

一食で二時間の睡眠が必要となる。つまり三食では合計六時間の睡眠が身体に必要となる。

ステップアップして、二時間睡眠の道に突き進むには今の食事量をなくす以外にない。





眠っていながら起きているという、その状態が夢だ。

起きていながら眠っているという、それはどう言ったらいいか、ぼんやりとしているときがそれだ。

起きているのだが、意識がない状態だと言えばいいか。意識がどこかに飛んでいっている。

僕が単純作業が好きなのはおそらくそこに理由がある。単純な作業をくり返していると、たとえば掃き掃除だとかでひたすらホウキを振って広い床を掃いていると時間が飛ぶというか、時空が消える。

意識がなくなるということに気がつく。





もし身体の負担や疲れを消したいと願うのであれば、一つ勧めることがある。

眠る前には胃を空っぽにしておくという習慣を身につけるということである。

できるならば夜食はもとより、眠る三時間前には食事をとらないほうがいい。

なぜかと言えば、あなたの意識が休んでいると思うだけで、身体は少しも休めていないからだ。

胃に残った食物の消化のために、あなたが寝入っても身体はせっせと働きつづけなければならないからで、身体は休みになっていないのだ。

休んでいると思うのはあなたの意識でしかない。睡眠を一番左右するのは食物だからだ。



眠るということと、食うということは深いつながりがある。表と裏である。

食うということは眠るということで、眠るということは食うと同義であると言える。

一般的にはそんなふうには意識していないが、そうである。

眠るために食べるという言い方ができる。食べなければ眠らない。食べなくなれば眠る必要はなくなる。

眠らないためには、食べなければいい。単純な真理である。

だれも信じられないだろうが、僕にはそれがわかる。

不食というアホな実験をした者だからそれが見える。

断食体験者であるならばそのことを知っている。



不食の会:http://www.taka45.com/fushoku/




9/13/2007

不食のすすめ


「不食のすすめ」という本。変わった本だけど、興味深い内容。
以下、赤線引っ張った箇所を示します。どんどん哲学的、印度りんご的になる自分を制御出来ない、と。


水野南北は、遊郭に遊ぼうが何をしようが、何をしてもいい、ただ一つ食だけは節制するようにと、この一点にすべてがかかっていると言った。
今の日本にはその警告を発する者がいない。

個人でも国家でも食を節しないものは、滅ぶ。
合併だとかは些末なことだ。
根本である食を改めることのほうがはるかに優って重大であるのだ。
だがだれもそういう警告を出す者はいない。
異論を吐く者は巷にいない。
今の社会は食という欲望の怪物にからめ取られている。
何重にも封鎖されてしまっている。こ
の包囲網から、食欲構造から、人間は、日本人は脱出できるのか。
それだけが問題だ。


物質の歓びは頂点に達した、そこに幸福はなかった。
ではその体験を生かして、新しい山に向かおうというさらなる進化の道に踏み入ろうという代替の提案だ。
没落を歓迎したい。
達成の後には降下があって当たり前だ。
成功の連続では感激は薄れる。
失敗や没落は長い人生のスパイスになる。
繁栄だけの人生は底が浅い。
対極をも味わって究めてこそである。
半世紀で貧乏から、繁栄の頂点に達した。
再び没落するのもいい。
だがその没落の流れの中で新しい流れを形成する。
過去の歓びとは対極にある歓びに自らの意識と生活をシフトする。


9/03/2007

頭の回転が50倍速くなる脳の作り方









頭の回転が50倍速くなる脳の作り方・苫米地英人





最速でマスターするメカニズム
・抽象化の訓練をしながら日本語脳の活性化を抑える
・次を予想する(決して暗記しようとせずに、次を予想する)
・英語のドラマなどのDVDを朝から晩まで見続ける
・抽象化訓練を行う

IQの高い「新しい脳」をつくる
ステップ1 リラックス状態をつくる
身体の一箇所から始めてだんだん身体全体をゆっくりゆっくり緩める。これを5~10分くらいかけて筋肉を緩めるリクライゼーションを毎日やる。
逆腹式呼吸
息を吸うときにおなかをへこませ、息を吐くときにおなかをふくらます。口と鼻の両方で吐いていいので、ゆっくりゆっくり息を吐きます。
とにかく、息を吐くときに全身をありったけ緩めることが重要です。

ステップ2 コンセントレーション(集中)状態をつくる
一点に集中すると、その一点以外がすべて無意識になる。

ステップ3 超並列脳をつくる
リラックス状態をつくったあとに、自分で目をつぶっておでこのどこか一ヶ所だけをじっと見る。
その一ヶ所だけをずーっと凝視するだけでいい。目をつぶったまま眼球を上に向けるのです。
ラピットアイロールという方法。
そうすると人間の脳は超並列的に動き出してきます。
中には寝てしまう人もいます。寝るということは超並列的に思いっきり動くことを意味しますが、コントロールできなくなるのでなるべく寝ないようにしましょう。

抽象度を上げるトレーニング
・目の前にあるものすべてに説明や解釈を重ねる
・一度目をつぶって、目を開けた瞬間に先ほどの説明や解釈すべてが目に飛び込んでくるようになる
・上記を繰り返すと、いつの間にか抽象度の高い思考が身に付く

共感覚を作るトレーニング
それぞれ別の感覚でマッピングする。
味はサラサラ、形は花のにおい、においは赤色・・・

過去に対して、自分の楽しかったこと、うれしかったこと、を3日から1週間前、3ヶ月から半年前、1年前、3年から5年前、10年前。
未来に対しても、それを3日から1週間後、3ヶ月から半年後、1年前後、3年から5年後、10年後、そして、自分が臨場感を感じられるだけ先の時間に対しても同様にしてください。

「未来にしっかりと強力なプライミングをつくることにより、強力な学習モチベーションをつくるため」であるとか、「未来にしっかりと臨場感を持てば、過去の記憶のそれぞれが、それにふさわしいものとして解釈されるのである」といった説明が出来ると思います。

9/02/2007

ドクター苫米地の新・福音書







ドクター苫米地の新・福音書/苫米地秀人






私が言う「奴隷の人生」とは、「他人または社会の価値観に基づいて理想を追求し、それに沿っ てつくりあげた人生」のことです。そこに、自分自身はありません。自分の価値観や自分が心から望む理想は置き去りにされています。ただひたすら、他人や社 会の思惑通りに生きることが幸せだと思い込んでいるだけ。だから、「奴隷の人生」だというのです。

自分自身をより高い視点から見る「抽象思考」ができるようになると、生き方や夢実現のためのノウハウなんか何一つ学ばなくとも、無意識のうちに「なりたい自分」「夢」「幸せ」を手に入れるべく行動する自分になれます。
その「技術」は、いくつかのトレーニングを重ねることによって、誰もが身につけられるものです。

私という存在を決めているものはどれも「他社との関係」であって、自分自身ではないのです。
ようするに、自我は自分でつくるあげるのが不可能なもので、他社との関係によって定義されるものだと言うことです。
「自我なんて存在はない。自我は書き換え可能な情報として利用できるものである。

私たちが心から望んでいる幸せは本来、非常に抽象度の高い感覚です。「私」だけにこだわる抽象度の低い状態のままでは、「奴隷の幸せ」しか得られません。脳の仕組みがそうなっているのです。
我 欲を満たすだけの幸福感よりは抽象思考で求める幸福感のほうが、ずっと志は高いし、スケールも格段に大きい。その分、満足度もアップすることは間違いあり ません。私自身、「世界から差別と戦争がなくなる」ことを夢見て、日々抽象思考をしています。それによって、幸福感にも満たされています。

最も大事なのは、
「私は一瞬にして生まれ変われる。なりたい自分になれる」
と本気で信じることでしょう。
過去を悔やむ人は過去の延長線上で未来を考えています。事あるごとに過去を振り返り、「仮想の自分」を描き出しては「いまの自分」と比較して、「もう少し上にいる自分になりたい」と考えてしまうのです。
そんな風に過去に遡って「いまの自分」を不幸だと思いつつ「未来はこうなりたい」と自分の理想像を描くのではなく、未来を見据えて「今の自分は最高に幸せだ」と考えてほしいのです。

1、物理的実体としての「自我」は存在しない。他社との関係性のなかで、「他人の目」がつくりだした「これが私」と認識・定義している情報状態に過ぎない。よって、その情報を書き換えれば、自分を変えることができる。
2、人間には他と比べられない価値がある。「他人と比べる尺度」「自分と比べる尺度」を捨て、自分自身を他人や社会の目、「仮想の自分」による洗脳から解き放つ。
3、時間は未来から現在、過去へと流れる。いまの自分を最高に幸せだと感じることが、未来に対するいい働きかけになる。

目標は「5次元人」抽象度を上げて、自分の経営コンサルタントになる。
2次元:3次元:真っ青な空がきれいだ、宇宙にある銀河はいったいいくつあるんだろう?4次元:地球の誕生から宇宙の行く末まで時間はつながっているんだなぁ!5次元:この世界、時空を俯瞰できる。この宇宙のすべてが愛おしいなぁ

ただ抽象度を上げるだけでなく、臨場感を保つことがポイント
経験と知識と想像力をフル稼働させよう

準備運動①逆腹式呼吸
心身を思いっ切りリラックスさせて、物理空間の縛りから自らを解き放つ
息をゆっくり吐き出すだけ。

準備運動②自分の得意なモーダルチャンネルを見つけよう
内部表現の書き換えは、自分の得意なモーダルチャンネルと抽象度で行う
あなたは、どの感覚が鋭い人ですか?
ステップ1:自分は五感のどれが鋭いか―モーダルチャンネルを見つける
ステップ2:現実の物から抽象度を上げながら、どこまでそのものの実体を感じていられるか
臨場感を保てるギリギリのところに、得意な抽象度を見つける

準備運動③自分を中心とする世界に、整合的な地図をつくろう
脳の情報処理能力は無限大!抽象度を上げるトレーニング
①過去の情動を利用する方法―あなたにとって思い出深い出来事は?
・過去の思い出から喜怒哀楽の情動を甦らせて、体感を引っ張り出す
・体感を少しずつ強化する
・芸術家になった気分で、体感を色、音、触感などで表現する
②演技に働きかける方法―物の過去を想像しよう
・物はどうやっていまここにやってきたのかを、想像まじりに考えてみる
・物の歴史に感情を結びつける
・体感を強化し、それを色や絵、音、触感などで表現する
・複数の物を同時に感じる

IQトレーニング―自然界に「概念のヒエラルキー」を構築する
要は、「系図」のようなものを、自分なりにつくればいい
①目に入るものひとつひとつの抽象度を上げていく
②各抽象度で横に概念を広げる
③連想したものについて、抽象度を上げていく
④”網の目世界”を動かす

煩悩をコントロールするトレーニング「止観」―最後まで自分を縛るものは「煩悩」

本当に『なりたい自分』になる決意を堅固にしよう
「奴隷になるな」としくこく繰り返すか。それは逆説的に言うと、奴隷が一番幸せであることは間違いないからです。
自 分で何も考えず、社会の思惑通りに生きるのなら、それほど簡単なことはありません。社会や他人に操られていればいいわけですから、何も自分で考えなくいい し、何も自分で決定する必要はないし、自分のしたことに対して何一つ責任を取ることもない。だからお気楽だし、ハッピーなのです。

学問の世界だけでなく、どんな仕事でも、その現場をリアルに体験することは大切です。その臨場感をしっかり感じたうえで、抽象化の作業をしていくのです。
誰かにあこがれる場合も、そういった”色眼鏡”で憧れの人を見てはいないかを、しっかりチェックしなければなりません。
そのために雄幸なのが、「止観」です。
その人にあこがれる気持ちをちょっと脇に置いて、高い視点から自分を観てください。それで、たしかにその人本人ではなく、その人の生き方に自分の生き方が重なるならOKです。

成功が「ある」と「ない」との2パターンを包含する抽象度に自分を置いて、自らの意思で「ある」を選択する。だからこそ、思い通りの自分になる記述が有効になるのです。
だから、失敗イメージに対して、そう臆病になることはありません。単に否定形にすればいいだけです。脳はバカ正直なおで、いくら「ノー」とか「ノット」の否定形をつけて思考しても、肯定形でしか受け止めません。

内部表現を書き換えるポイントは、大きく分けて2つあります。
ひとつは、「なりたい自分」「叶えたい夢」「実現したい幸せ」に関わる未来の縁起ひとつひとつに対して、いかに強い臨場感が得られるかにあります。言い換えれば、自分が記述する”未来情報”を得意なモーダルチャンネルに変えて、いかに大量のドーパミンを出せるか、です。
もうひとつは、「ある」と「ない」とを同時に見られる、抽象度の高いところで、「なりたい自分」「叶えたい夢」「実現したい幸せ」を自分の得意なモーダルチャンネルで表現することです。

普段から高い抽象度で思考する習慣をつけていれば、いずれ内部表現の外側に飛び出す瞬間を体験できるはずです。
かなりハードルは高いけれど、本当の自由意思とはそういうものだということを心に留めて置いてください。目標はあくまでも、
「何事も、社会や他人、過去のしがらみ、つまり自分自身の記憶から自由になって判断する自分になる」
ことで、その先にもうひとつ、最終ゴールとして、
「内部表現から頭を突き出して、真の自由意思を獲得する」
ことを揚げておくのがベストです。
いずれにせよ、大切なのは、ふだんから抽象度を上げて思考することです。

つまりエントロピーは極小から極大に流れる、抽象度は高から低に流れる、そして、時間は未来から過去にながるということです。

9/01/2007

スピリチュアリズム/苫米地英人






スピリチュアリズム/苫米地英人

催眠技術は催眠下でした学べません。これは空手や気功と同じで身体から身体への伝達です。催眠下で催眠を学ぶ。するとなんとなくその方法論がわかるというものです。
ちょっとした声色の使い方、眼の動かし方、突然黙って下を向いて間を空けて変性意識が少し深まった瞬間に声を発して誘導する―もちろん手法的にはかなり初歩的ですが、そういった細かい技を江原氏は自然に身につけているいるわけです。
素地は単純で被暗示性が高い「催眠に入りやすい人」、それだけです。

江原啓之氏などの言っていることは、宗教史的に言うと輪廻転生を前提としてヒンドゥー教的カルトです。実はスピリチュアルのみならず、流行っている新宗教はすべて差別的な思想を持つという興味深い共通点があります。
それは「人間を超えた存在」という超人思想であり、選民思想です。もっとはっきり言うとナチズムに繋がるものです。

「神様はひとり」という絶対神の世界、ユダヤ・キリスト教やイスラム教の世界では、逆に日本的な戯れ意識であったり、占いを信じたり、霊の教えることを信じたりすることなどは本来ありえないのです。
本来、キリスト教は霊能者と言われるものを認めず、逆に歴史的には魔女として火炙りにしてきたくらいです。

根本的な問題は、今の世の中がスピリチュアルなものに対して肯定的に動いているということです。21世紀はスピリチュアルに対して否定的に動かなければいけません。しかし、現実には、どうしてもスピリチュアルにはまっていく人がいます。

ある宗教団体をカルトと考えるか否かの判断基準は、一言で言うと、社会がすでに持っている価値観からどこまで遊離しているかということです。
実際に家族や友人が何らかの宗教団体に入ったときに、ただちにやめさせる出来かどうかの判断基準は、「入信する前に言われたことと入信してからやっていることが同じかどうか」ではないかと思います。

江原啓之氏はを中心に述べてきましたが、江原さんのスピリチュアルの中身は一言で言えば、アートマンの永続性と輪廻転生と魂の世界の階層性です。それはすでに述べたようにオウムの論理でありチベット密教、バラモン教の論理です。
何 が危ないかと言えば、彼の進めている論理には次のステージがあるわけで、その論理的な帰結として来るものが危ないわけです。今の彼は混乱しているように思 えます。自分に見えているものをどう処理するかについて戸惑いがある印象を受けます。まだ発展途上で、彼の本を読んでも、言動を見ても、ただの「自分探し 君」です。

瞑想を行うと、人間は大量のドーパミンを出して、気持ち良い体感を得ることができるわけです。それによって、より長時間の抽象度の高い瞑想をすることができます。
数学者にとって数学の世界が気持ち良いのと同じで、それが瞑想のからくりです。非常に抽象度の高い空間を、気持ち良く、五感をもって感じることが出来る訓練、それがヨーガの訓練です。
実は、古くから伝わる密教とは、身体性を用いて脳内のドーパミンを大量に出すことができる秘術なのです。

最終的に地下鉄サリン事件に至ったオウム真理教は、スピリチュアリズムが行き着くある種の論理的帰結であったと私は思います。スピリチュアルズムが表で語らない「この世は幻である」という本質的な思想を実践しました。あの世が主でこの世は単なる幻である。

私 は、現代日本のスピリチュアルの総本山は中沢新一だと思います。そして、布教の最大の担い手として江原さんがいるとしたら、それを中沢が別のベクトルで、 つまりさもスピリチュアルと関係のないように見せかけて、いきなり登場させた本と言うのが、今をときめくコメディアン大田光とのコラボレーション作品であ る「憲法九条を世界遺産に」だと思います。

いわゆる脳死体験とは脳が壊れていくときの現象です。ドーパミンをはじめとするありとあらゆる脳内伝達物質が、脳が壊れるときに大量に放出されます。ですからまず、気持ちが良い。

先 祖がいなければ今の自分は存在しないんですから、それは感謝すべきことですが、先祖の霊が今ここにいますと言って、本来は魂なんか認めないはずの仏教の家 にも位牌があってチーンやるのは、日本人がみな洗脳済みだからです。そして、それをいいことに一大ビジネスをやっている人たちがいる。
「祟り」を 洗脳のメカニズムで説明すれば、「祟り」という言葉それ自体がトリガーで、アンカーとは、言わば日本の歴史上に営々と築き上げられてきた臨場感世界です。 それは、過去からずっと日本人全体に埋め込まれてきた「死への怖れ」などさまざまな迷信であり、一言すれば「日本教」です。
スピリチュアルがますます跋扈する今の時代に、それと立ち向かうには、まずあなたがそれを認識することからはじめなければなりません。互いが互いを洗脳し合い維持しあっているのが今の世間のありようなのですから、まず、あなたがそれに気づけばいいのです。
霊も祟りもありません。祟られる人は「自分で自分に祟っている」のです。

ス ピリチュアリストの人たちが、「確かに非科学であるけれど、スピリチュアリズムのメッセージで人々が幸せに生き、幸せに死んでいけるのだから何が悪いので しょう。」と言っている声が聞こえてきます。何が悪いかと言えば、その優しく、美しく聞こえるメッセージの後ろに、まさに釈迦が否定した、アートマン思 想、輪廻転生、絶対差別思想がしっかりと入っているからです。
これが、過去にヒトラーを生み出し、戦争を起こし、世界では人種やカーストの差別を生み出し、日本では穢れの思想に代表される差別を生み出し、最近ではサリン事件を引き起こしてきた中心教義なのです。それが悪いのです。
そ して、それらのメッセージで幸せに生き、幸せに死んでいけると思っている人たちは、幻覚や妄想の世界に取り込まれることによって、幸せになれると勘違いし ているだけなのです。もちろん、スピリチュアリズムは来世のご利益しか約束しませんから、今生きている人たちの苦難は、「魂を磨くため」という言い訳を使 いますが、それは詭弁です。誰も救われません。

スピリチュアルとは「間違っていても信じたい」と思うことです。それに対して科学とは、徹底的な吟味をし、自分で打つ立てた考えを自ら批判し懐疑するものだということです。
ス ピリチュアルがますます跋扈する今の時代に、それと立ち向かうには、まず皆さんがスピリチュアルの実態を認識することから始めなければなりません。スピリ チュアルに囚われない認識力とオリジナルな思考力を身につけることが「本当のあなたの思考」「本当のあなたの夢」を手に入れるための基礎的な技術なので す。

8/24/2007

整体的生活術


整体的生活術 三枝誠


ただし、転地、転職、転婚で人生を変えろといっても、それは、コロコロと職を変えろといっているわけではありません。でも何かひとつ、少し無理をしてでも新しいものを手に入れたりすると、そこからガラガラガラッと人生が変わってくるんです。
それから服装を変えるだけでも人生は違ってきます。そこで大事なのは、ちょっと無理をすること。転機の時、品物はバーゲンで買わないことです。私は安売りという概念が嫌いです。

涙が出るほど無理をして、高くても良い物をエーイと思いきって買うと、そういうエーイと思いきって買った苦しさの部分には運が上がる秘訣があるものです。

ある人が偉大な能力を持っていた場合、それと一緒に大きな欠落部分も持っています。
才能というのは言葉を換えれば、欠落ですからね。でも、その欠落を補ってくれるものがあって、初めて物事は動きだします。欠落を埋めた瞬間、初めて市民権を持ち、超人的な力が発揮されてきます。

仮に、才能ということを言おうとするなら、才能がある人ほど、間主体を大切にしなければなりません。人は、どんな人間関係を結ぶかによって、あっけないくらいに変わるものです。

天与の才能というものが少しはあるとするなら、自分自身を潰すような場所からは立ち去って、自分自身を活かしてくれる場所に出向く能力のことだと思います。ですから、ちゃんと「ノー」が言えることも大切な才能のひとつです。

大事なことは、気のパイプを自分は誰とつなげるかということです。

やはり人はクリエイターとして、なにかを生み出さなければいけないと私は思っているんです。
クリエイターに条件があるとするなら、その一番の条件は、孤独を知っていることでしょうね。
孤独は悪いことではないし、悲しいことではない。

大切なのは、孤独、忍耐、そして笑顔。クリエイターは孤独、忍耐、笑顔、そして、マメでなければいけない。

さらには、丈夫であることも大事。自分が健康であって、初めてものを作ることができるし、人間として生きていけるものなのです。

色恋沙汰で自分が狂った時期がないと、わからないということはある。狂われるのも迷惑ですが、狂ったことのない人間には語れないということもあるわけです。

好きとか嫌いとかいう感情は、非常に主観的な感情でしょう。でも、この主観的な感情も、ある外部的な事件が起こったり、社会的な制裁を受けたりして地獄をみると、人間は主観的な感情から距離を置くという、客観視を覚えるようになってきます。

自分の外側にもう一人の自分がいるという意識を持って、その俯瞰的な客観視の能力で、つらくてもしばらく頑張ってみる。

そうすると、そのあとに何がくるかというと、前向きの諦観というか、明るい絶望感みたいなものが出てくるのです。

つらい出来事があって、とても苦しい気持ちを体験すると、最初はだだっ子のようだった主観性が、客観性に変わって、そのあとにちょっと弛むんです。

自分では天動説だと思いこんでいたものが、ある時、絶望や挫折を味わって地動説になり、もう一度天動説に戻る。自分のつらい体験でそれを知る。

私のいう「身体尺度」とはそういうことです。

手首を切って血を流したり、身体ごといろんなものを抜けた人間が主観を超えて、客観を覚えて、もう一度、自分を中心に考えるところまで戻ってくる。

ユーモアがわかるというのも、自分を客観視できる人間かどうかということでしょう。

逆に、絶望感というのも、知性や忍耐力がない人には味わうことができないものです。

人間には、“溜め”の時期というのもあって、悲嘆とか慟哭といった状態を味わうような、自分にとっての耐え難い出来事と出会ってしまう時期があるんです。

そのときに激しく混乱した感情、あるいは深い悲しみをぐーっと我慢していると少しずつ抜けてきて、何かが見えてくるというのはあるものなんです。

要するに平均値でものを考えないようにしているんです。

自分の考えていることが、たまたま大多数の人の意見と一致するならそれはそれでいい。

ただ平均的なことが、即、正常なことだという考え方は大変危険だと思ってる。

「平均的なものは、別に正常でも健康でもない!」

私は、感謝という感情は、センスの問題であって、努力の問題ではないと思っています。

たとえば男女が別れる時だって、相手に嫌われているならば修繕は可能。

だけど、愛の反対は憎しみや嫌悪じゃなくて無関心だし、別れの際にとにかく一番こわいのは、感謝の言葉です。

別れの際の女性に「ありがとう」と心底言われた日には、どういう修繕も男女関係にはできません。

感謝というのは、本当に過去になってしまったものに対して抱く感情ですからね。

その感謝を現役でつきあっている人間に強制するというのは、非常にむずかしいことなのです。

ですから、感謝ほど自然に出てこないと意味がないものもありません。

身体的に無理な状況で感謝の感情を持とうとすれば、やはり身体を壊します。モラルの強制は、身体を壊す。

モラルというものも強制ではなくて、自然に発生するものなんですから。

物事をはかる尺度も身体に置いておくほうが、圧倒的に正しい。

この身体尺度から離れれば離れるほど、人間は他人の痛みも他人との距離も何もわからなくなってしまいます。

簡単にいえば、身体尺度というのは、わからないことは身体に聞けということなんです。

迷ったら、身体が行きたがっているほうへ行けばいい。そういうことには、いつも敏感でいたほうがいいと思いますね。

家風、なんていうのも身体記憶の一種です。

単なる遺伝よりも、親の教えや家風のほうが影響力を持つ怖いものだと思います。

たとえば、結婚しようとする二人の仲が、家風が違うということで壊れたりすることがありますが、あれは、つまり身体記憶が違いすぎると上手くいかないといういことなんですね。

私が見た一級の人間の特徴は、自分を客観的に見る能力、現状をちゃんと分析できる能力を持っている人ということですね、自分自身を一歩離れたところに置いて、それでいてきちんと自分を愛している。

やはり、一級の人というのは自分の身体に対する意識が高い人です。

二級の人間というのは、優れた編集の能力、情報を取捨選択して再構築する能力を持っている人だと思います。

その編集能力は一級の人間も持っています。

自分でものを作り出すことも、編集する能力も両方持っているのが一級の人でしょうね。

三級の人間というのは、保身的な人です。

地方でちょっと有名な人とか、地方の道場で一番だとか、そういう人は一見したところ他人に対してとても威張っていても、実は非常に脆いということが多いですね。

四級の人達は、いわゆる善男善女です。

不愉快にはならない人たちだけど、いろんな状況に流されて生きている人達ですね。

五級というのは、権力に弱いくせに権力を振り回す人間。なんらかの権威に守られていて、その権威をカサに自分が威張る。

競争社会に身を置かずに、狭い世界でエラソーにしている人達です。

それから一級の人と三級の人との大きな違いは、一級の人には、恐怖心をモチベーションにしないという強さがあるということでしょうね。

生きていく動機づけが、恐怖心ではなくて好奇心なのです。

恐怖心をモチベーションにしない人は、いまや希少価値です。

“考えないで怒る”というのも、とても難しいけれども大切なことです。

なぜならば、頭で考えていると、怒るタイミングを逃してしまう。悪く思われるんじゃないかとか嫌われるんじゃないかとかいろいろ考えているうちに、“怒りの機”を逃してしまうのです。

怒り方がヘタな人は、人の上に立てません。

十歳までの記憶というのは、とても大きいんですね。

記憶というものは本当に身体に染みつきます。

住居の話をしていると、身体記憶の話になってくる。

身についたもの、つまり身体記憶を書き換えるということは身体を変えるということでもあるんです。

たとえば、金持ちには金持ちの身体というものがある。

それから初代の金持ちの身体と2代目の金持ちの身体というのもあるんです。

金を稼ぐ身体と金を管理する身体とは違う。

そうすると、金持ちの身体じゃないかぎり、金持ちになってはいけない、ということが言える。

なぜならば、身体と金は、当然つながっていますから、金持ちの身体を持っていない人がいきなり大金を持っても、使いこなせないから単に貯めこむだけか、あるいは無駄に使ってしまうだけということになります。

身体記憶を入れ替えるしかない。

親と違うことをするというのは大変なことですから、結果としては身体が変わってきます。

自分がこれから親とは違う生き方をしようと思ったら、まず、見た目も変わります。

体つきだけでなく、顔も変わる、歩き方も変わる。逆にいうと、小さなことから変化をつけることで生き方を変えることができます。

住まいもそういうものの延長にあります。ですから当然、身体記憶と住居というのは、とても深い関係があるわけです。

「足湯くん」





8/22/2007

「B級自由民」宣言




「B級自由民」宣言・山谷哲夫


「上に政策あれば、下に対策あり」

そのもそも日本人男性は、世界的にもそんなに見栄えはよくない。まず、顔の彫りが浅く、平面的だ。背も高くないし、がに股も多い。何よりも着こなし、色のセンスがいま一つだ。奥さん任せにし、自分の着るものさえ自分で選んでいないからだ。何よりも決定的なことは、奥さん以外の女性に恋をしていないから、外見に気を使わないことだ。

ぼくらも、頭の髪の毛だけでなく、肝心の中身も薄く、凡庸でもある事実を謙虚に自覚したほうがいい。例えば、僕らの会話に古典である近松、蕪村が出てくることはまずない。その身を切るような、つらい自己認識を踏まえた上で、攻めて外見を今以上に上品、おしゃれしたい。

ゴミ捨て、掃除、洗濯、布団干し、皿洗い、ご飯炊きなど、細々した家事が、僕は全く苦にならない。また、子供の三者面談に、母親のほうが出なくてはならないという掟はない。

僕は今まで、あまりに自由業、特に映画関係者、物書き等の末路を見てきた。多くは50歳代に入ると仕事が激減する。かんじんの感受性が年とともに鈍磨するのだから、仕方ない面もある。ギャラも新人に比べると、明らかに高い。そして、何よりも一言多く、使いづらい。








8/19/2007

表参道のヤッコさん











表参道のヤッコさん 高橋靖子



「開拓者というものは、いつも理不尽な思いを吹き飛ばしながら、前に進むんだよ」



私は生きることに苦労しながら、生きることを楽しんでいた。



「東洋人はお金のためだけに仕事をしない。ときには友情のために仕事をするのだ」

8/01/2007

何用あって月世界へ



何用あって月世界へ  山本夏彦名言集





八百長は必ずしも悪事ではない。この世はもっと本式の悪事に満ちたところである。それを知って悪に染まないのと、知らないで染まないのとでは相違する。
いうまでもなく、知っててそれをしないのがモラルである。
私はすべて巨大なものえらそうなものなら疑う。
疑わしいところがなければ巨大になれる道理がないからである。大デパート、大会社、大新聞社は図体が大きい。よいことばかりして、あんなに大きくなれるはずがない。
総評や日教組は組織が大きい。
もっとも大きいのは世論で、これを疑うのは現代のタブーである。
だから私は疑う。
世論に従うのを当然とする俗論を読むと、私はしばしば逆上する。

善良というものは、たまらぬものだ。危険なものだ。殺せといえば、殺すものだ。

全き善人と芸術家とは、ふつう両立しない。
私は各人に個性があることを前提とした教育は、間違いではないかと疑っている。
人は個性ある存在ではない。人は大ぜいに従うもので、従ってはじめて安心するものである。
従えと言って、断じて従わぬ個性はまれである。万一あれば大ぜいは、世間は、社会はそれを爪はじきする。
すなわち、爪はじきされて、はじめて個性は頭角をあらわす。ちやほやされて育つ個性なんて、今も昔もないに決まってる。
(才能というものは)のぼり坂が三年、のぼりつめて三年、くだり坂が三年、〆て十年続けば良いほうである。
「愛する」という言葉を平気で口に出して言えるのは鈍感だからだ。
愛するが日本語になるには、まだ百年や二百年はかかる。
大きな声では言えないが、私の袖の下またワイロに近いものは必要だと思っている。世間の潤滑油だと思っている。
人は潔白であることを余儀なくされると意地悪になる。また正義感になる。
汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼす。

同類は何百人集まっても一人である。

金は魔物というが労せずし舞いこむ金はことに魔物で、人の子を毒すだけである。まずこれを減らすまいとして臆病になる。
利息だけで暮らそうとしてケチになる、人が来ると借りに着たのではないかと疑うようになる。
「年寄りのバカほどバカなものはない」ということわざ、大好きです。






7/31/2007

実践冥想ヨガ・生活編


実践冥想ヨガ・生活編/沖正弘

自分が本当の意味で自由自在にいきていてこそ、相手も自由自在に生かすことができるのです。こちらがとらわれると相手もとらわれ、こちらが嫌うと相手も嫌ってしまう。このように自分も生き、相手も生きる世界が悟りの世界です。無になるための修行法が禅であるのです。

人間的霊能者とは、感謝心、懺悔心、下坐心、奉仕心を持ち、愛の心で愛の生活が出来る人のことです。愛とは一番正しく物事を把握し、一番正しく物事を実行することですが、この基本が感謝、懺悔、下坐、奉仕の心なのです。このためには体を柔らげること、心は安らげること、生活は楽しむことが必要なのです。ヨガの肉体的訓練はすべて体を柔らげるものであり、この原則が笑いです。そして、体全体を笑わせるものが呼吸法なのです。心を柔らげるには喜びを感じる必要があり、喜びを感じるには感謝心がなければならないのですが、おかげを感じないと感謝心は出てきません。楽しみは相手に喜びを与えたときに自分の手にすることができるものです。自分だけ喜んでも本当の楽しみは与えられません。仕事においても、仕事が喜んでくださるような仕方をしたときに、こちらも楽しくなれるのです。

本当の儲けとは、自分の儲けと相手の儲けと社会の儲けとがピタリと一致した場合をいいます。自分だけの儲けでは偏りがあります。自分と相手と社会の儲けを併せると大きな儲けになります。

引けば引かれ、いじめればいじめられ、泣かせば泣かされる。困らせれば困らされる、騙せば騙される。これが自然の法則です。私は、日々の生活と仕事は、どれだけ自分の全力を投球できるかを見るためにあるのであり、このすべてへの全力投球の生き方が自己にノルマをかけることであり、この自己にノルマをかけた仕事の仕方をするとき、はじめてその仕事が自分の仕事になるのであると思っています。

才能は喜びを感じる刺激を与えた時に伸び、良い人間にもなりえます。体が喜べば健康になり、心が喜べば幸福になるのです。ですから、どうしたら喜べるか、どうしたら喜ばすことができるかを意識的に考えるのです。喜びを感じない生き方をしていると疲れてしまいます。疲れないための原則は、心、体、仕事に対して柔軟性を持つことです。出来るだけ広く学ぶと人生が面白く、愉快で楽しくてたまらなくなり、よいアイディアも浮かんできます。

教育とは、自分が犠牲になる覚悟でするものです。相手を裁きたかったら、先ず自分から裁くのです。

私たちは何を学ぶにも、先ず自己流の考えを無にして正しい型に入り、その型の中で正しい方法を体得するのが自己の開発法であり、ものを正しくなすコツに至る道であると思います。これを「心眼を開く(開眼)」というのです。体の働きを正しくし、心を鎮めて、永遠の安らかさ(ニルヴァーナ)の中で、自然に出てきた感じを音に表すのが音楽家であり、色にするのが画家であり、文章にするのが文筆家で、事業にするのが事業家ではないでしょうか。心の成熟は「次第に」ですから、何事も年期を入れなくてはならないと思います。あせらず、しかし怠らずにです。表現は心身の練磨と、心身の環境の調和によってなされるものですから、自分がどういう状態であるかということが決定点です。

一切の煩悩から離脱して、身構え正しく、一物に心を込めて、無心にことをなすのが真実(コツ)に至る道ではないでしょうか。すなわち冥想行法の実践です。
その意味で、日本の生花や茶道や武道の発生、その発達によって教えられることの多いことを感じます。これらの、心を静め、心を清める芸道は、生死の真っ只中に立たされている武士たちによってつくられたものです。
私は華道とか茶道とかは美の宗教であり、武道やスポーツは道の宗教であり、日本文化の特徴は求道を中心にしているところにあると思います。求道を目的としている武道やスポーツは、勝負がその目的ではなく、心の修養がその第一目的となっていて、修行を通じて大自然の法則を体得して、その真理に沿った生き方の工夫をする自己完成の道です。静的な求道でも動的な求道でも、その原則は心を統一し、安定した姿勢をとり、丹田力を充実させ、意識を明確にしうる呼吸で行うことです。とくに動的訓練は、千変万化の動作をして、しかも乱れない心と安定した体をつくるのがその目的です。

人間は文化生活と称する不自然な生き方をしていますから、このアンバランスな生活の中でバランスを回復し、維持する能力を身につけない限り喜びは与えられません。自然法則とは「絶え間なく変化しながら、しかも安定性を保っている」働きです。アンバランスをバランス化してしまうことが救われる原理なのです。

今時分が困っているのは、誰が悪いのでもなく、今までほかを困らせてきたことの証明書なのです。自分を支配している法則と、社会を支配している法則は共通の法則です。生活の上で悪いことは心身の上でも悪く、仕事の上でも悪いのです。人間として成功する者は、そのまま生活で成功し、仕事で成功し、社会で成功することができます。自分が自分に成功することは、自分を大切にすることです。宗教的な言葉で「自分を拝むことが出来る者がはじめて他を拝むことが出来、自分を愛することの出来る者が、はじめて他を愛することが出来、自分を大切にすることが出来る者が、はじめて他を大切にすることが出来るのです。そして、自分を活かすことの出来る者がはじめて他を活かすことが出来、自分を管理できる者が、はじめて他を管理出来る」と教えています(自業自得の原理)。

筋肉を柔らげるためには心の力を抜くことが肝要で、このコツが呼吸を深く静かにすることです。頭にカッとくるようではダメです。いかなるときも冷静さを保っていることが心の修養であり、その秘訣が宗教心を身につけることです。そしてその第一歩が意識的に有難いと思うこと、依頼心を捨てることです。依頼心を持っている限り、そこには憎しみ、不平、不満が生じてきます。一切のことを自分でやるのだと思えば不平、不満をいう相手はなくなるはずです。心の平安を保つには「乞食根性」と「ヤクザ根性」を持ってはいけません。他に依頼心を持つことは、乞食根性を持っていることです。恩を売るのをヤクザ根性といいます。恩はただひたすらにかんじるべきものであって売るものではありません。無条件の善事がまことの善事であり、このまことの善事なら、業を残さないから、自然的に無執着心になれるのです。

頭を軽くし筋肉の力を抜くコツは呼吸をととのえることです。胸を張って肩を下げて、わきの下の力を抜いて下さい。感情をコントロールするのは胸であり、欲望をコントロールするのは腰であり、思考をコントロールするのは首であります。

冥想行法は、自己流の考え方や囚われた考え方から離れる修行ですから、どのようなことにも、引っかかったりしないことが肝要で、悟ろうと求めたり、奇蹟や神助を祈ったり、治りたいと願ったり、真理とは何かなどと、求めても考えてもいけないのです。ただ無条件に行うのです。すなわち生じるままに生じさせ、滅するままに滅しさせるおまかせの心になるのです。見性、見神による信仰心が最高のおまかせの心であり、この心は安定していて静寂ですから、明鏡止水の状態とか、超えた心とかと形容し、何も求めていないかのような状態なので、無心というべきものです。

私は自由に求道したい心から、生涯何にも属さず、できる限り多くのことを体験するという生き方を続けて、約五十種のちがった職種の体験を持っています。商売とは、お客様に喜んでもらい、ほかの売り上げも伸ばしてあげるという、商道にまで引き上げてこそ価値があるのです。

安易な道を選ぶのは商売をする者のとるべき道ではありません。売れない商品を仕入れると、売るためには、どうしても全力投球しなければなりません。あらゆる知恵を総合しなければならないのです。自然に、あらゆる方法を研究し、知恵を高めていくことができるのです。

科学がそのまま哲学であり、哲学がそのまま科学であり、医学がそのまま宗教であり、宗教がそのまま医学であり、心理学がそのまま体育学であるというようになったとき、はじめて人間育成の学ということができると思います。それはこれらの学が人間とその生活に直結するものだからです。心の注意力と体の注意力が最高の状態で協力結合して、ある一つの目的物へ全力を集約傾注できるようになったときが統一状態で、このことを繰り返して行っているうちに相手のことがそのまま自分のことのように分かるようになったら、これが自他一如の境地です。この自他一如になったときが合掌礼拝の境地であり、相手のことがそのまま自分のこととして考えられ、感じれるようになったときが、本当の意味の和合(三昧)であり、ここに真の平和と自由の世界が生まれるのです。

「生命力を弱めている者ほど、心身の働きの失調者ほど、外的条件を多く要求するのである」

直感、直覚を働かせる秘訣は、何に対しても同じことです。それは、好きになることです。関心を持つことです。愛の心をそそぐことです。発見、発明はこの心から生まれるものです。仕事が好きになれば、仕事の方が感じ方、読み取り方、やり方を教えてくれるようになります。これが三昧です。