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3/18/2008

サイレント・パワー





サイレント・パワー―静かなるカリスマ




社会的に中堅になるとペラペラ自己主張をしゃべることが必ずしもプラスに評価されなくなるものだ。実力も実績もあって当たり前。安定や落着きこそ求められる。この本は静かなカリスマが持つオーラ「サイレント・パワー」とは何か、どうしたらそれを身につけられるかを語る、スピリチュアル要素50%の指南書。



他人と違う雰囲気、自然に惹かれる魅力を持った人は何が違うのか。それはまず心の持ち方が違うのだ、寄りかからないことが大切なのだと著者は次のように最初のステップを教える。



1 自分のものでないものに寄りかかるのを止めること
2 未来に寄りかかって、いつも先のことばかり話すのをやめること
3 他人に何も要求しないですむような人生を設計しよう



そして寄りかからないためには、個人的なことはあまり詳しく人に話さないようにすること、心理的に相手の下に入るようにしてみることが重要なのだという。



「だから、人と張り合わないように、会話に気をつけることだ。誰かがフランス旅行に行った話をしてきたとしよう。もしあなたがフランスに二十年間も住んでいたことがあったとしても、そのことは口にしないことだ。ただ、相手の話を聞けばいい。そう心がけることで、あなたはだんだんと、人の下に入る会話スタイルを身につけることができるようになる。」



ただのしゃべらない人と、サイレントパワーのある人の違いは、内に秘めたエネルギー量の違いらしい。この本ではスピリチュアル用語の「エーテル」として説明されている。科学的にはともかく、自信があるかないかは、しゃべろうがしゃべるまいが自然に態度に現れてくるというのはわかる気がする。



「最大の防御は、他人に対する批判や判断をできるだけ控えることだ。恨みや、憎しみ、反感を持たないようにしよう。防御すべきものを持たないことこそ、最大の防御だ。」

隙をなくして、ゆったりと構えよ、そういう人にサイレントパワーは備わるということみたいだ。「カリスマ性」という言語化しにくいものを、感覚的にとらえることができる面白い本である。

3/02/2008

石田衣良











石田衣良agora2月号インタビュー


格差が生じるると人はなぜかつまらない見せびらかしに走るんですよね。
成り上がった者が満たされなかった頃の自分に復讐するかのように、予算目いっぱいまでお金を使っちゃう。
でもギンギラギンにカッコ悪いよね。
ダイヤがいっぱい入った時計とか、曜日ごとに違う色のロールス・ロイスなんて、一旦手に入ってみれば下らないものなのにね。

お金を持った後、何をするかが大事だと思うな。

昔の日本には、何かが流行ると「それは違うよ」と抵抗して流れにブレーキをかけられる人がいましたよね
今は、流行っているから、視聴率を取っているから、お金があるんだからいいじゃん片付けて、みんながみんな流されている。
自分の中に皆とは違う価値観を持ち、じっと耐えることができる日本人が少なくなった気がします。

1/24/2008

なぜ、この人だけが成功するのか 谷沢永一











なぜ、この人だけが成功するのか 谷沢永一
 百の名言百の知恵

なまじ経験を積んだがために、人柄がすれっからしになって卑しく、他人の顔色を見るだけが能、みんなに嫌われる男がある。
最も厄介で迷惑なのは、博学多識を鼻にかける天狗たちであろう。歩く百科事典(ウォーキング・ディクショナリー)という揶揄(からかい)の呼び名がある。なるほど記憶力は抜群で、詰まらんことまで細かく知っているが、映写幕のように頭脳が受動的にしか働かない。どこに解決すべき問題の、その取っ掛かりが伏在しているか、進んで見出す機能がないから、飾り物にしかならない人もいる。


世間では昔からお喋りに悪人はいないと言い慣わすが、その観察はかなりの率で当たっていよう。
つまりお喋りは他人をほとんど念頭においていないから、他人に計略を施すという企みにまで頭が回らないのである。
そこから直ちに予想される如く、黙っている奴は物騒だから気をつけろ、と言い伝える。


そういうときに閃きを発する人物にかぎって、平素はもの静かに黙っている。いつも黙っている人の九〇パーセント以上は無能であるが、そのなかに純金の素質が交じっているのだから厄介である。しょっちゅうやかましく騒ぎ立てている奴は無視すればよい。職場における自分のまわりに向かって、自分を偉そうに見せている型は問題外である。
自信があって機会を狙っている者は、一挙に真価をあらわす日を期して待っている。


一連の施策にこめられた神谷の構想は、モータリゼーションが進展しやすいように、社会が動いてゆくための環境づくりであった。真当な販売は押し売りではない。欲しい人に商品を提供するのが筋道である。
欲しがる人がいないのに物が売れるか。納得ずくで取引を広げるためには、欲しがる気持が世間一般に高まっていなければならない。それゆえ車の便利さ宜しさを、実感でわかる人を増やせばよい。


世の人は他人を応援してやろうと待ち構えているのではない。人間は誰でも必ず猜疑心のかたまりである。
そして何かを成しとげようと努める者には、できるものかと冷たい軽蔑の視線を注ぐ。能力もないくせに力んでいやがると不愉快になる。世に出て何かを為すとは、世に逆らい世間を敵にまわす謀叛の行為である。どこの誰が同情してくれるものか。





成功とは世間を味方に引き寄せた段階を言う。あくせくと血の汗を流して苦しんでいるとき、鐚一文貸してくれなかった悪鬼羅刹が、満面に笑みをたたえて借りてくれと躙り寄ってくる。当方の人格がすぐれているからではない。すべては信用であり見込みであり賭けであり投機である。


ちょっとまわりを見渡してごらんなさい。老人は一方的に自分のことを喋っているだけ、ほとんど会話になっていないのが普通である。中年以上の同窓会で、健康問題と薬の効き工合を封じたら、途端に話題がなくなって座が持たない。六十歳を越すあたりから、自分自身のことにしか興味を示さなくなる。相手が話しかけている間はひたすら辛抱している。先方の声がやっと終るのを待って、たちまち喋りだすのは自分のことばかり、お互い他人の言うことなど、聞いているふりして聞かない。
ほぼ六十歳を越すあたりから、家庭でも職場でも会合でも、無意味な自己主張が一方通行で発射されている。このあたりに精神の定年が訪れるのを常とする。


人を悪く言うと一種の自己催眠のようなものにかかって、その人を悪く言わなかったとき以上に、その人が悪く思われる。反対に人をほめると、ほめる前以上にその人がいいように思われる。だから、なるべく人を悪く言ってはいけないのだ。


映画は元来、不良青年がつくるものだ。僕が言い出した言葉に「不良性感度」というのがあるが、これが鈍いと面白い映画にできない。       岡田茂

1/16/2008

新大学教授になる方法 鷲田小彌太









新大学教授になる方法 鷲田小彌太

大学教授を目指す人に大声で知らせたい10の裏技

裏技1→敵を作らない

裏技2→指導教授のワークス(研究業績)の上に自分の成果を積め

裏技3→周囲の研究者の論文を読め

裏技4→研究誌を作れ

裏技5→有力者を顧問にせよ

裏技6→“裏付け”はしっかり

裏技7→配偶者の選択を誤るな

裏技8→両親に堂々と援助を乞え

裏技9→頭の休息には本を読め

裏技10→生活は規則正しく

 


国立情報学研究所
http://jrecin.jst.go.jp/


関口先生がいうには、肉体労働の価値(価格)は量(労働時間や出来高)で決まる。知的労働の価値は「何か」(漠然たる目に見えない、手に取れないもの)で決まる。


私は、人間にはいろんな生き方があっていいと思います。いろんな生き方を許す社会がいい会社だと考えます。
アメリカは、自国中心主義であり、貧富の格差があり、人種差別があり、治安が悪く、麻薬と犯罪の社会です。そんな社会に住みたくないですね。私もそう思います。でも、それは一面でしょう。アメリカのよさは、なによりも、チャンスの多いことです。選択肢がたくさんあります。意欲のある人にとっては好ましい社会に違いありません。人間のもっとも大きな幸福感は、自分の好きな仕事を心おきなくすることができ、それが相応に評価され、より自分の望むべき仕事へと拡大してゆく道が開かれるということではないでしょうか。


あらためて確認してください。なぜ大学教授になろうとするのか、と。
私は、どういう動機で大学教授になろうとしても、それはいいと思っています。
①研究と教育に心おきなく没頭できる環境を得ることができる。
②週休3~5日。夏、冬休みがたっぷりある。留学もできる。時間的余裕がある人生を送ることができる。
③定年が遅く、体力を要せず、高齢まで安定した地位を確保できる。
④弱肉強食のビジネス世界とは違う、競争原理一辺倒ではない、より人間的な世界が大学にはある。
⑤教えることが好きだ。学生に私の情熱をぶっつけたい。
⑥大学教授には社会的ステータスがあり、医者や弁護士同様、世間体もいい。
⑦言動に関して個人的自由がより多く保証されている。一種の自由人として生きることができる。
⑧苦労して育ててくれた両親、あるいはつれあいが喜ぶ。
⑨小説家でも駄目だった。評論家は無理だった。ジャーナリストでは中途半端。フリーランサーはしんどい。でも語るのが好きだ、書くのがいやじゃない、大学教授には語り書くチャンスも、暇もある。

1/03/2008

土井 利忠さん










土井 利忠さん


「米国の大学の礼賛論には全く賛成できません。米国の大学は、教授がベンチャー企業の経営者のようになって研究資金を集めなければならない。カネを集められる教授が研究者をたくさん抱えてどんどんのし上がっていく仕組みです。本来の研究とは関係のない競争が展開されているわけです」


「とにかくすさまじい勢いで競争をさせるので、他の研究者の成果を盗んでしまうという話もよく聞きます。油断もすきもない世界です」


――米国で盛んな産学連携を日本の大学はお手本にしようとしています。
「そうしたモデルを日本に持ち込むことには反対です。大学の本来の使命は、すぐには商売にはならないが、本当に先端的な研究をきちんとやることです。企業から研究資金を得られるのは、企業が考えている少しだけ先のことをやっているにすぎなないからです。大学が企業の出先のようになってしまうのでは世も末だという気がします」


――日本の大学は今のままでいいということですか。
「改善すべき点はあります。研究者としての能力がない人物でも、教授としてやっていける仕組みになっているのは由々しきことです。前時代的な親分子分の関係が残っており、研究に何も貢献していない教授が論文に名前だけ連ねたりする。能力を欠く教授には退場願う。だからといって米国式の競争モデルを無批判に取り入れるのは能がない」


「すでにベンチャーなどの企業活動では米国モデルの問題点が露呈していると考えます。
若くして巨万の富を築く起業家がもてはやされました。私は商売柄そうした人々をたくさんみてきましたが、後で消息を聞くと、うつ病になって苦しんだりしている人が多いのです。」


「自我の発達で、常に戦っていないと安定しないレベルを後期自我といいます。このレベルの人は戦う対象がなくなると燃え尽き症候群のようになるのが特徴です。米国に多いパターンです。日本の社会は、まだ依存心の残っている中期自我の人も多いのですが、逆にもう戦わなくても精神が安定している成熟した自我の比率も高く、全体としては米国の社会より進んでいると考えています。したがって、その遅れている米国のやり方を理想郷のように考えて追随するのはやめにした方がいいと思います」

12/20/2007

日本国民に告ぐ・小室直樹







日本国民に告ぐ・小室直樹

日本は義務教育において、最も重要なことを教えていない。
それは、日本とは何か、日本人とは何か。つまり、日本人として誇りを持たせるための教育である。
戦後日本の教育は、それらをすべて悪とされ、おざなりにされた。
学校教育で教えるべきは、自国への忠誠と敬愛である。

アノミー(anoumie)とは何か。
「無規範」と訳されることもあるが、それよりも広く”無連帯”である。
生活水準が上昇すれば、それまでの付き合ってた人たちとの連帯が断たれる。
他方、上流社会の仲間入りを果たすのも容易でない。成り上がり者と烙印を押され、なかなか付き合ってくれない。
かくして、どこにも所属せず、無連帯となる。
連帯を失ったことで、狂的となり、ついには自殺する。

戦後教育は何だ。人間を作るのではなく、条件反射するネズミを作ることを目的としているのではないか。
学校は、鋳型にはまった人間を次から次へと生み出す鋳物工場と化してるではないか。
”金太郎飴”の子供たち。本当に可哀相だ。

評論家西部ススム氏が、かつて左翼運動家として「安保条約に反対した時、実は安保条約など全然読んでいなかった。」と告白しているが、このことが何を意味しているか。
暴れること自体が目的で、反対する理由など、どうでもよかったということだ。
無差別大暴れ。
目的は大暴れだ。
「安保反対闘争」には、何の理由もなかった。
同様に、大学紛争も何の目的も掲げなかった。

12/18/2007

悪の名言









悪の名言


正気であることは、生きていく上でさしたる利点にならない。錯乱することは、生きている上で、たいした欠点ではない。

孤独は、なるほど当事者にとって厳しくつらい経験をもたらしはする。しかし、他者の集団や社会にとっては、何よりもまず危険なものと映る。孤独には、集団の秩序、社会の制度の根幹に敵対する性質が潜在していると思われるからだろう。

利害で結びついた人間たちは、感情によって引き離される。感情によって結びつけられた人間たちは、利害で別れる。

嘘をつくなら、少なくとも不作法にならぬようにしなければならない。相手に屈辱を感じさせないことこそを、嘘をいうか、本当のことをいうかの選択に優先させる必要がある。相手に屈辱を与えるような真実をいうくらいなら、それを避ける嘘をいう方が、はるかに賢明であるだろう、喧嘩を売る場合を除けば。

永生を望む者は、永遠に続く老いを経験するつもりらしい。永遠に若さを保ちたいと欲する者は、永久にバカであり続けることになるのに気づかないほど、あらかじめバカだ。

気ままに生きたいなら、多くのことを、いや、そうすること以外のすべてを諦めることだ。きっぱりとした生き方は、いずれにせよ、容易ではない。

11/23/2007

藤原正彦いわく







藤原正彦いわく、

学者になるための理想的気質とは、好奇心がやたらに強く、いつも野心をたぎらせていて、周囲を辟易させるほどにしつこく頑固で、傲慢と言えるほどの自信家であること。
人当たりが柔らかくていねいで、いかにも穏やかな風貌の一流学者たちを知っているが、彼らも心底では上記の条件を満たしている。

馬鹿になれる人だけが世の中で成功しているというのは冷厳な現実であり、ある意味では悲しい現実であると言えるかもしれない。
なぜ馬鹿になることがそれほど決定的に重要なのだろうか。この答えは簡単だ。各個人の潜在的能力というものが伯仲しているからである。馬鹿になった時に初めて、それによってもたらされる狂気が、当人の眠っていた能力を揺り起こし、それを無限大へと発展させるドライビング・フォースとなる。天才とか一流と言われる人々を身近に見ているとそう思えて仕方がない。
それではどうしたら馬鹿になれるかという問題になる。ごく自然になれる人は最も恵まれた人であるが、そうでない人でも短期間ならばかになることが出来る。それにはある種の自己暗示が効果的と思われる。私も受験時代には、一年程の間、誰に教わった訳でもないがこの方法によって完全な馬鹿になっていた。おかげで全く無邪気にがり勉をすることが出来た。そして合格した。

個性教育とは人手のかかる非能率な教育である。それは効率性を追求する大量生産型教育の対極にある。

11/19/2007

「仁義礼智信」










「仁義礼智信」
とは、儒教の基本的な五つの徳目、「五常」と言います。


 


五常は孔子(紀元前551~紀元前479)が確立したものではありません。


孔子は「仁」と「礼」を説き、孟子(紀元前372~紀元前289)が「仁義礼智」の四つを説きました。


さらに漢の董仲舒(紀元前176~紀元前104)がこれに信を加え、「五常」を確立したのです。



五常の意味を簡単にまとめると、以下のような意味だそうです。


 


仁・・愛、慈しみ、思いやりの心、慈悲の心


義・・人の生きる正しい行い、判断力、恩義、義理(孟子は、「義とは人の正しい道、もし生と義が両方満たされない場合は、生を捨て義を取るもの」と教えました。)


礼・・礼節を重んじる、辞譲の心、謙虚に、社会秩序に従い、人を敬うこと


智・・考え学ぶ力、是非の心、知識や経験を通じた正邪の区別ができる知恵


信・・信頼、信仰、自分を信じ、人を信じる心。うそをつかない、約束を守ること


船井は、社会人になり、世の中を知ると、できるだけこの五常に沿った生き方をしよう、と実行しました。しかし、「五常」を実行した後に、どうも自分にとってはこの生き方は「窮屈」である、と判断したそうです。そこで、三つのことだけを実行することにしたと言います。


 


・約束を守る
・他人の足はひっぱらない
・恩義は忘れない

10/31/2007

留学で人生を棒に振る日本人/栄 陽子


留学で人生を棒に振る日本人/栄 陽子



中国やインドの人たちがアメリカの大学に留学するのは、より高いレベルの学歴を身につけて母国でステップ・アップするためであり、アメリカで人脈を作ることによって高い地位を獲得すること、そして母国の発展に寄与することを目的にしています。



決断力と行動力と勘が良ければ、集中力と記憶力と自己管理力がちょっと劣っていても人生の致命傷にはならない。



アメリカの教育

・大学の数が世界一多く、しかも日本の大学のように理系、文系、芸術系、体育系に分かれていない。

・専攻をふたつ取ることも可能で、音楽と物理など全く違う分野を同時に専攻することができる。また、パフォーマンスを大事にする国柄から、音楽や演劇、美術などの芸術分野はどの大学にもあり、まったくピアノを弾いたことがない人でも音楽を専攻することができる。

・医学、法学、獣医学、歯学、カウンセリングなど大学院からしか始まらない学部がある。

・国家ができる前からハーバード大学などの私立大学があり、州立の歴史は私立と比べて短い。

・私立大学は社会のリーダーを養成するための「全人教育」を大きな理念としている。全人教育とは、人格的な高みを目指す教育で、理系や文系に分けることなく様々な教育を受けて、芸術を愛し、科学に興味を持ち、スポーツができ、法律や経済について語れるような、芸術を含めてあらゆる分野の人間を育てることを目的としている。

・州立大学は新しい州の開拓民の教育水準を上げ、開拓の援助ができるように農業や工業などの実学を中心とした。

・州立は日本の公立高校のシステムに似た方式が採られていて、ひとつの州に、レベルの高いところから誰でも入れるようなレベルのところまでがある。自分が住んでいる州なら必ず入学できる州立大学があり。

・それぞれの大学に独自の入学基準があり、原則として入学テストはなく、書類選考が基本。全国的な学力テストはアメリカにもあるが、それで足切りをしたり、学力テストの結果のみで合否を決定するのではなく、あくまでも入学基準の一要素としている。

・私立大学は成績やテストの点数だけでなく全人的な要素を見るため、エッセイ、推薦状、面接などを重視するところが多い。成績やテストの結果を見る時も、上位グループから20%、その下のグループから10%、さらに下のグループから5%というように、バラエティに富んだ生徒構成にしないとディスカションが活性化しないと考える大学が多い。

・州立大学にも、自分の州の学生を必ず入れるほか、州内にあるすべての高校からトップクラスの生徒を中心に入れるというところ、黒人や中南米からの移民を10%程度入学させると決めているところ、親が大学を出ていない学生を10%程度入学させると決めているところなど、様々な入学基準がある。

・何より「バラエティとバランス」を好むため、大学生の出身校が偏ることがなく、同じ大学から大学院に優先的に入れることもない。エスカレーター式は、アメリカではあり得ない。

・昔から交通手段がない場所に大学があるため、もともと自宅から通えなかった。また、先生と学友と一緒に住んで勉強することで人間関係を学び、親離れをすることが大切とされていたので、今でもアメリカの大学のほとんどは寮制になっている。

・学期はセメスター制といって9~12月、翌年1から5月各16週間のふたつの学期で一年とするのが一般的で(三学期制の大学もある)、それぞれの学期に入学と卒業があるなど、完全に独立している。つまり、9月入学もあれば1月入学もあり、日本の大学のように前期と後期の通年で同じ授業を受けるという発想がない。

・日本のような入学式もなければ、親切なオリエンテーションもない。入学すると、すぐに授業がはじまってしまう。

・大学は単位制で、各学期で12~18単位とることができる。早く単位を取れば、三年や三年半で卒業することもできるが、ゆっくり単位を取って五年で卒業もよい。

・ひとつの学期が16週間で、8週間ごとに中間、期末テストがあるため、とてもめまぐるしい。

・大学で成績が二学期続けて四段階評価のC評価平均、大学院でB評価平均を下回ると、退学になる。大学院への進学や、一流企業の就職を目指すには、大学でもB平均をしていることが不可欠。

・大学や大学院を卒業するためには必要な単位数は、大学で120、修士課程で30~60、博士課程で90.多くの大学は卒業に必要な120単位のうち、60単位はどこから持ってきてもよいとされ、留学生は母国の大学で取った単位を認めてもらえる。



留学は、やる気、学力、心身ともにタフであること。



習得能力のよさだけでなく、物事を深く考え、自分なりの考えをまとめることができる能力を持ち、そして努力することを苦としない子どもは、どんな会社に入っても、どんな国へ行っても、そしてどんな時代になっても困らないものです。



私が留学を若い人たちに勧めるのは、何より自分の目で他国での生活を通して、日本を見つめ直して欲しいからです。そして、日本でしか通用しないような価値観をひっくり返し、自分の足で生きていく力を身につけて欲しい、そんなことも思ってます。

留学ほど、スリルと興奮とサスペンスに満ちたものはありません。価値観も習慣も違う人達とうまくやっていきながら、自分の意思を通す強さも必要なら、学校が要求する単位をしっかり取るために厳しい勉強を続ける努力も必要です。遊びたいという気持ちとも闘わなくてならないし、自分の甘さや至らなさを突きつけられても、それを受け入れつつ、そこでめげずに頑張る意地も欠かせないでしょう。

親元を離れて遠い外国で勉強し、卒業を迎えるためには、多くの精神的苦痛が伴います。しかし、それを乗り越えて得られるものこそが生きる力であり、自分に対する自信ではないでしょうか。

また、外国にいると自分の国や家族、そして自分自身について客観的に、そして深く考えることが多くなります。「愛国心」と言いますか、自分の国のよさは、外国に出て初めて知ることも多々あるものです。これは、とても大切なことだと思います。




9/19/2007

逆立ち日本論


逆立ち日本論・養老孟司&内田 樹



少数対多数のときに、やくざは絶対に「お前ら」というふうに包括的な名称では相手を扱わない。相手がいくら大勢でも、その中のただ一人を凝視して、「お前、オレに何か文句あるのか」と凄むのです。相手が十人いても百人いても、ただ一人だけに焦点を合わせる。ほかは眼中に入れないんです。具体的で個別的な敵には対処できるけれど、「敵というもの」という総称的存在には打つ手がないですから。(内田)



ユダヤ人は諸国民より多くの「責務」を課されている。「あまりに責任が重いので、人間として十分な成熟が必要な仕事は私たちユダヤ人がやりますからみなさんはもっと楽な仕事をしてください」というのがユダヤ人の選民意識なんです。

この「選び」も自分たちが何か他の民よりもできがいいから選ばれたわけではなく、神に一方的に指名されただけで、その理由は特に示されていない。(内田)



シャガールというのはユダヤ人でほとんど唯一の例外じゃないんでしょうか。「ユダヤ人画家」というのは本来、形容矛盾なんです。ユダヤ人には伝統的に音楽や舞踏のような時間性を含んだ芸術表現以外は許されていないはずですから。シャガールがそれでもユダヤ人世界で許容されたのは、それが聴覚的な、あるいは時間性をどこかにとどめた絵画だからではないでしょうか。たぶん、シャガールの絵からは音楽が聞こえるのです。(内田)



日本人はどちらかというと統一国家に慣れてしまっているので、政府の仕事が「均質化」だとはまさか思っておらず、「利害の調整」だと思っているところがあります。実のところ、「均質化」なり「原則の貫徹」がアメリカ政府の役割だと思います。(養老)



中心地がもっともインターナショナルだと思っているのは、日本が島国だからでしょう。大陸に行ったら、異世界に接する辺境こそがもっともインターナショナルなんです。(養老)



スローフード運動というのは、マクドナルドのローマ出店に反対するイタリア人が始めた運動ですけれども、始まったのは北部同盟の中心地であり、ムッソリーニの政治的拠点であったピエモンテなのです。スローフードと北部独立運動とファシズムがなじみがいいということはよく理解できます。イタリア人にしてみたら、それはアメリカの牛肉がヨーロッパ人の身体を侵すことを拒否する身ぶりでもあるわけです。(内田)



ぼくは「デスクトップに並べておく」という言い方をしてます。自分の意識の『デスクトップ」に開いたファイルをどれくらいたくさん載せられるか。どれだけデスクトップが散乱しているのに耐えられるか。この無秩序に対する耐性というのは結構大切じゃないかなと思うのです。(内田)



「こうなったらどうなる」「こうなったらどうする」とう未来の可能性は、数え上げたらキリがない。だからぼくは「まだこれからどうなるかわからないのだから、それは起こってから考えよう」と言う。そういうふうに開放的に未来に向かった方が気が楽だと思うんですけれども、「もしもこうなって、こうなって、こうなって、予測される最悪の事態に立ち至った場合、内田はどうその責任を取るのか」と訊かれても、そんな蓋然性の低い予測についての対策なんて、考えるだけ時間の無駄じゃないですか。(内田)



本来、「個性」とうのは他人の目にどう映るかということのはずでしょう。そうやって年寄りが人を見ることをサボるから、同時に年寄りの意味がなくなりました。長く付きあって見るからこそ、「お前はああいうことをやれよ」って言って・・・・。(養老)



オーラル中心でやっている限り、宗主国と植民地の知的な位階差は絶対に埋められないんです。だから、英語教育をオーラル中心にやるということは、日米間の知的、権力的な非対称性を維持することに同意するということです。アメリカのイーブンパートナーになるという意欲がはじめからないということです。だから、ぼくは「オーラルより文法をやれ」「英語は読み書きができれば十分じゃないか」と言ってるのですが、誰も聞いてくれない。(内田)



大瀧詠一さんと喋っていて、

歌手における声と作家における文体というのは機能的には同じものじゃないかと思うのです。文体というのはやはり楽器みたいなものでしょう。作家は一人ずつ固有の楽器を持っている。どのへんで厚みのある音がでるとか、どの音域の伸びがいいかわっているはずです。「僕の文体は中音域で説得力がある」とか、そういうこと絶対考えているはずなのに、批評家は誰もそれを指摘しない。「この作家はクライマックスでカ行の語を多用する」とか言っていいはずだけど、誰もそういうことは言わない。(内田)



「顔の悪い結婚詐欺師はいるけど、声の悪い結婚詐欺師はいない」って言いますね。声の悪い詐欺師はいっぱいいるけど、結婚詐欺師となると声が命です、と。声がいいというのは、「自分の言っていることを信じている」ということなんです。自分の言っていることに自分が同意していると、声帯以外の身体部位が共振するんです。(内田)



やくざというのは「相手がどのようなことを言おうと、どのような行動をとろうと、それが彼にとって常に『想定内の出来事』でしかないことを思い知らせ、同時に絶えず相手の想定を裏切る言動をとることで、相手に無力感を感じさせる」ことのプロある。(内田)

7/23/2007

土井利忠さん


土井 利忠さんって知ってるかな?ソニーの発明家。上層部の人?。天外伺郎というペンネームで面白本たくさん書いてる。瞑想とか、その手のことが中心なのでオカルトみたいに言われているけど、私は結構好きな人で尊敬してるんだな、これが。その土井さんが日経新聞のインタビューに答えたのを以下に。2005年の5月中旬(具体的な日忘れました、すみません)の記事から。



「米国の大学の礼賛論には全く賛成できません。米国の大学は、教授がベンチャー企業の経営者のようになって研究資金を集めなければならない。カネを集められる教授が研究者をたくさん抱えてどんどんのし上がっていく仕組みです。本来の研究とは関係のない競争が展開されているわけです」


「とにかくすさまじい勢いで競争をさせるので、他の研究者の成果を盗んでしまうという話もよく聞きます。油断もすきもない世界です」


――米国で盛んな産学連携を日本の大学はお手本にしようとしています。
「そうしたモデルを日本に持ち込むことには反対です。大学の本来の使命は、すぐには商売にはならないが、本当に先端的な研究をきちんとやることです。企業から研究資金を得られるのは、企業が考えている少しだけ先のことをやっているにすぎなないからです。大学が企業の出先のようになってしまうのでは世も末だという気がします」


――日本の大学は今のままでいいということですか。
「改善すべき点はあります。研究者としての能力がない人物でも、教授としてやっていける仕組みになっているのは由々しきことです。前時代的な親分子分の関係が残っており、研究に何も貢献していない教授が論文に名前だけ連ねたりする。能力を欠く教授には退場願う。だからといって米国式の競争モデルを無批判に取り入れるのは能がない」


「すでにベンチャーなどの企業活動では米国モデルの問題点が露呈していると考えます。
若くして巨万の富を築く起業家がもてはやされました。私は商売柄そうした人々をたくさんみてきましたが、後で消息を聞くと、うつ病になって苦しんだりしている人が多いのです。」


「自我の発達で、常に戦っていないと安定しないレベルを後期自我といいます。このレベルの人は戦う対象がなくなると燃え尽き症候群のようになるのが特徴です。米国に多いパターンです。日本の社会は、まだ依存心の残っている中期自我の人も多いのですが、逆にもう戦わなくても精神が安定している成熟した自我の比率も高く、全体としては米国の社会より進んでいると考えています。したがって、その遅れている米国のやり方を理想郷のように考えて追随するのはやめにした方がいいと思います」

7/21/2007

あなたは顕在意識型か、潜在意識型か










最近読んだ本(タイトル忘れた)。

【あなたは顕在意識型か、潜在意識型か】
<顕在意識型の特徴>


・左脳で計算、設計し、理論的で自分でやるという意欲が強い。ワンマンになりやすい。


・一貫性があり、時として人に譲らないことがある。妥協性が少なく、融通のきかない時もある。


・自分の目や耳で確かめないと納得しない。


・権利と義務を型にはめたがる。


・意志は強いが、折れると案外もろいところがある。


・目がきつくなりやすい。


・縦線のつながりばかりを考え、横のつながりが少なくなりやすい。


・独善的、独裁的になりやすい。


・人の意見をうち消すか、反発しやすい。


・「恕」の心が少なく、世間が狭くなりがちで敵を作りやすい。晩年はあまりいいとは言えない。


・科学的でないと、あるいは立証できないと納得できない。


・織田信長型が多い。


・病気であれば、悪いところばかり考え、その原因、関連性を考えることが少ない。


・取引根性が強く、一プラス一は二でないと納得しないタイプ。例えば、一個百円のリンゴを千円分買うと十個であって、おまけで十一個の時もあるとか、大きいリンゴが入っていて九個の時もあるという意識が少ない。


・世の中は全て実力であって、バックアップや、縁の下の力、陰の力、あるいは何かに守られているということに気がつかないことが多い。


・足を組んだ時、右足を上にし、上を向いて寝た時に左足を右足首の上に乗せる癖がある。ただし、肝臓、左腎臓が悪い時、弱っている時や右膝や左足首の悪い時、弱っている時にも、この姿勢をとることがある。


・歩く時にいきなり歩くので、意識が前だけにきており、後ろは留守になっている。したがって、足の力が抜けにくく、柔軟性がない。このような人は、背中を伸ばしても胸骨と肋骨の上部が上がらないため、品物を持つような時には手首に力が入る。これを私は「我」と呼んでいる。「我」とは、現在意識のことである。


・階段の上がり下りは、右足からしている。


・自分の身体と心、また自分と相手との中和を考えないで物事を判断し行動している。





<潜在意識型の特徴>


・左脳の働きを右脳に反映させ、音楽、絵画、美術などの感受性や、剣道、合気道、柔道などの武術、哲学や宗教的分野の素質を持っている。


・左脳と右脳で構成される脳の新皮質の下部に位置する、本能的な脳である古皮質の働きを活かしている。


・謙譲の心を持ち、融通性を備えている。


・権利と義務の基本は守りつつ、義務を先行する精神を持っている。


・心の柔軟性を持ち、自分にはより厳しい。


・目は平常やさしいが、潜在意識の働いた時には険しい。


・取引根性は少なく、誰かに助けられているという意識が強い。


・徳川家康型が多い。


・生かされ生きていると思う。


・物事の関連性を広く持ち、縦の考え方だけでなく、横のつながりを考えた言動をしている。


・民主的で、周りの人の意志に対応して行動する。


・創造性を持ち、何か判らない事柄があると「なぜだろう」という疑問を抱き、探求する心を持っている。


・「損して得取れ」「雨降って地固まる」の精神。進むためには退くことの大切さも知っている。


・人のよいところを見る傾向があり、感謝の気持ちが多い。・足を組んだ時、左足を右膝の上に置くことが多く、上を向いて寝た時には右足を左足首の上に乗せる癖がある。ただし、胃、右腎臓が悪い時、弱っている時、左膝や右足首が弱っている時にも、この姿勢をとることがある。・階段の上がり下りは、左足からする。

7/17/2007

新しいアイデアは?


本当に新しいアイデアというものは非常に少ない。ほとんどの場合、それはすでに存在しているアイデア同士の創造的組み合わせである。

●車というアイデア+鋼鉄の発明+蒸気機関の発明=鉄道
●手紙+ワープロ+モデム=Eメール
●ラジオ+カセットプレーヤー+ヘッドフォン=ソニーのウォークマン
●巨大発明とはアイデア同士の創造的な組み合わせな書店というアイデア+インターネット=アマゾン・ドット・コム
●大学というアイデア+新しいテクノロジ-=バーチャル・ユニバーシティや企業大学
●「洗濯仕上げ用圧搾ローラー」と「洗濯板」を使った、昔の洗濯の仕方+逆方向に回る2つの桶を備えた最新テクノロジー=ダイソンの最新型洗濯機

MIT(マサチューセッツ工科大学)のニコラス・ネグロポンテは次のように言う。

新しいアイデアは相違から生まれる。それらは、見解の相違や、比較対照される理論の相違から生まれる、アメリカの詩人ロバート・フロストは、さらに簡潔に、「アイデアは、連想の妙である」と言った。

7/04/2007

『虚構と瞑想からの超発想』山田久延彦


物凄い人がいたもんだ。その人の名は山田久延彦。とにかく、楽しい。


『虚構と瞑想からの超発想』山田久延彦


行きづまりに対する真の解決は、新たな発展のSeedsを見つけ出すことによって得られる、ということである。
これまでに考えられなかった新しい理想を作り出し、これまでに知り得なかった新たな可能性の世界を捜し出し、これまでに存在しなかった魅惑的な目標を掲げることである。
新たなものをつくりだすことは、このような理由によってそれ自体、社会正義なのである。

人はしばしば一芸に秀でること、すなわち専門領域を深く掘り下げることが善であると考えがちである。
ところが、このような人たちからは新しいものは生まれない。
深く深く掘り下げているつもりが決して深くなく、細かくいじくりまわしているだけなのである。
にも関わらず、この種の人びとは、自分たちが最先端を行なっているとごかいしている。
そして革新的な発想を、狭い視野の中からことごとく否定する。

専門馬鹿という現象は、単なる能力の欠如以外の何者でもないといういべきだろう。
“広い視界”が深い理解に必要不可欠である。

「疑問をもつことが重要だ。ただし度を越さないこと」。これが科学的な態度なのだそうだ。
だが、敢えていおう。「限度をわきまえるな」と。

現状のもっとも根本を逆転させよ。論理だけではない。感情や道義などからの違和感さえ克服しての逆転だ。
否定や抵抗は評価のしるしと考えよ。

「不条理な抵抗や否定にあうような発想の中から、真に価値ある発想を捜し求めよ。
みんなが良いということは、どうでもよいことである」

「閉塞状況下、すなわち行きづまり状態においては、従来の前提のもっとも基本的なところを否定せよ。部分的修正は状況をさらに悪化させる」

「たとえ空想でも、思考としてこの世に存在し得るものは、実現可能なことである」
―は、別な表現をすれば、
「人間の乏しい想像力で考えられることは、せいぜい実現可能なものだけである」ということであった。



ハイポロジストは誤解される。孤独だ。みじめな存在でさえある。
それを承知でハイポロジストになりたい人のために、十の条件を記そう。

●ハイポロジストのための十カ条

1 空想であれ願望であれ、考えとして存在するものは、すべて実現可能なことである。
〔ハイポロジクスの原理〕
2 新たなものをつくり出すことは、それ自体、社会正義である。これを否定する者は、正義の名のもとに排除されなければならない。
〔変革(Break Through)の原則〕
3 単一専門領域をいくら深く掘り下げても、新しいものは生まれない。広い視界が、深い理解と新しい発想には不可欠である。
〔超視界(Hyper Vision)の原則〕
4 社会の不条理な抵抗や否定にあうような発想の中から、真に価値ある発想を探し求めよ。みんなが良いということは、どうでもよいことである。
〔反撃(Counterattack)の原則〕
5 行きづまり状況下には、従来の論理のもっとも基本的なところを否定せよ。修正主義は状況をさらに悪化させる。
6 発想は長い間寝かせよ。短期間で成果を得ようと思うな。本を読む前、データをとる前に思考せよ。
7 パイオニアは、その良き理解者とペアで一人前である。
8 高次元の問題を扱うときほど、人間は低次元の感情にかかずらう可能性が大きいと心得よ。
9 実力以上に自分の可能性を信じ、能力以上の問題に挑戦せよ。大風呂敷を広げよ。
10 技術者にとって技術的主張は、個人の思想、信条であり、基本的人権と不可分のものである。誰からも拘束される必要はない。


創造力というのは、能力というよりも執念といった方が適切である。
この執念において、日本人は、本質的に決して諸外国の人びとに劣るものではない。
ただ現在のところ、理解力型秀才が社会の重要なポジションを占めているため、どちらかというと日本は、基本的な問題において欧米より創造力に乏しいような印象を与えているにすぎないのである。

しかし、創造力型天才がそのポジションに入れかわった場合、日本の創造力たるや、世界のどの国の追随をも許さないほどのものになるはずである。日本の創造性が乏しいといわれる所以は、国民性にあるのではなく、社会体制の中にあると私は考えている。