3/01/2008

雇われない生き方









雇われない生き方

1.雇われている間にあなたが売っているのは時間
(Income for dummies.)

 ●あなたの本当の売り物は何か?
 ●何が収入の源泉になっているのか?
 ●雇われていると、それが分かりづらくなる
 ●もし、時間を切り売りしているとしたら、
 ●それは、あなたでなくてもできる
 ●大切なのは、あなたの価値とあなたの時間は別物であるということ
 ●あなたが生み出すものに価値がある限り、
 ●あなたがそれにどれだけの時間をかけたかは、
 ●それに価値を見いだす人にとっては無関係
 ●時間を切り売りする限りは、その価値は時間でしか値踏みできなくなる


2.得られるのは特定の目的にしか役に立たない経験
(Limited experience.)

 ●経験は何をしていても得られる
 ●そして、何もしていなくても得られる
 ●雇われている間に得られる経験は特定の目的にしか役に立たない
 ●特定の仕事に必要な専門知識と、
 ●お金の問題に悩まされることなく生きていくための知識と、
 ●どちらを選ぶか


3. 生涯続く放し飼い
(Lifelong domestication.)

 (割愛)


4. “分け前”をシェアする相手が多すぎる
(Too many mouths to feed.)

 ●雇われている間は、“分け前”をシェアする相手が多すぎる
 ●あなたは自分の働きの一部しかもらえていない
 ●そして、一握りの人たちが残りの大半を手にしている
 ●投資家、あるいはオーナー経営者


5. 実態はプロのギャンブラー
(Way too risky.)

 ●会社ではその中のルールに従うのが当然
 ●フリーランスはルールフリー
 ●会社員の収入源は1本
 ●フリーランスの収入源は複数
 ●会社員は安定、フリーランスは不安定、と言われる
 ●いつでも解雇される可能性がある状況を安定と呼べるのか?
 ●収入の手段を自分の手の届かないものに任せている
 ●あなたの本当の職業は、プロのギャンブラーと言うべきだ


6. そもそも「ボス」という言葉は…
(Having an evil bovine master.)

 ●ボスというのは最終的に倒す相手だ
 (注:日本語では「上司」ですが…)。


7. 稼いでいるというより施しを受けている
(Begging for money.)

 ●お金を稼ぐことが、人の許可に左右されるのと、
 ●自分の裁量で決められるのと、どちらがよいか


8. クローズドな社会生活
(An inbred social life.)

 ●置かれる環境を選べない
 ●勤務地、職場、人間関係


9. 余計なことを考えなくて済むという不自由
(Loss of freedom.)

 (前半割愛)
 ●自分が好きなことをして、もっと楽しもう


10. 幻想の前に骨抜きにされる
(Becoming a coward.)

 ●今の職場が働きやすく居心地も良い、ということは
 ●《何か》がそのように感じるように仕向けているに過ぎない

2/27/2008

骨法の完成 堀辺正史













骨法の完成 堀辺正史

勝っているときはイイ恰好もできるわけですよ。逆に負けに追い込まれたときにどういう精神状態が闘いの中で見られるのか。
ヒクソンっていうのは選手としても尊敬できますけど、人間性を見せないという部分では非常に演出がうまいなって気がします。
だから強いことは認めるけれども、彼が最近、自分のことを「侍だ」とか言うことに関しては、ハッキリ言わせてもらえば不愉快ですね。
自分を犠牲にすても公のために尽くす精神ってのが侍精神というのだからね。

非日常状態で耐えられる人間力がためされる
苦しいこととか、つらいことに耐えている力が、やっぱりね、男がこの世の中を生きていくときに一番頼りになるもんなんです。何事にも動じない精神と何回やられたってもう一回立ち上がるっていう精神さえあれば、この世は貧乏だって生きていけるんですよ。だから簡単にいってそういう肝の力っていうか度胸を作るっていうことですね。

上品と下品は背中合わせ。下品も極めれば上品になるということですかね。だから、前田日明にはそれを貫いて欲しいですよ。変に文化人みたいになってほしくない。

用美道とは、
「用」とは、実用を離れざる心
「美」とは、練磨を尽くして無駄を省く心
「道」とは、技を殺して人を殺さざる心

武道とは、すなわち「野蛮を知性に逆転する論理であり、日本が世界に誇れる文化である」と。
武道では「状況不平等」の作りをもって、大きい人、重い人、力の強い人などの「前提不平等」を逆転することが可能なのである。つまり、武道の競争原理は、毒(状況不平等)をもって毒(状況不平等)を制する、ところにその本質がある。

物理的に逃げられない状況を最初から作っておいて、そこで戦うというのは、本質的に武道の競争原理とは異なるんです。自分の意志で、たとえ逃げ道があっても逃げないというのが武士の戦いなんです。それに比べると、あれは奴隷の戦いですね。だから、私はアルティメットを、古代ローマの貴族の見世物だったパンクラシオンに譬えたことがあります。

武道の競争原理で言えば、相手の弱点を狙うのは当然のことであり、その一方、相手に弱点を見せない、あるいは弱点があっても狙われないようにしてこそ武道なんです。武道(現実)とスポーツ(理想、非現実)では物事の見方、見え方がこれだけ違ってくる。
そして、私はいまのような混迷の時代にこそ、自立した精神を持ち、無償の行為や、自己犠牲を厭わない行動ができる武道精神をもった人物が育つべきだと考えています。

正義を貫こうとすれば、闘いを避けて通ることは絶対にできないのだと。

勇気の精神的側面は落ち着きである。つまり、勇気は心のおだやかな平静さによってあらわされる。
平静さとは、静止の状態における勇気である。勇敢な行為が勇気の動的な表現であることに対して、これはその静的表現である。まことに勇気ある人は、常に落ち着いていて、決して驚かされたりせず、何事によっても心の平静さをかき乱されることはない。
彼らは、戦場の高揚のなかでも冷静である。破滅的な事態のさなかでも心の平静さを保っている。
地震にあわてることなく、嵐に立ち向かって笑う。私たちは危険や死を眼前にするとき、なお平静さを保つ人、たとえば、迫り来る危難を前にして詩歌を作ったり、死に直面して詞を吟ずる人こそ立派な人として尊敬する。文づかいや声音に何の乱れもみせないこのような心のひろさー私たちはそれを「余裕」と呼んでいるーはその人の大きさの何よりの証拠である。
それは押しつぶされず、混乱せず、いつもより多くのものを受け入れる余地を保っている。

武士にとって戦場で斬られて死ぬこと、負けることは恥ではなかったことがよくわかる。彼らにとって最大の恥は切腹ができないことであり、切腹に失敗することだったのである。
切腹が武士の道徳となってからは、二本差しに対する解釈も変わっていった。かつての戦国の時代では、小刀は大刀が使えなくなった時の、予備的役割がその主たる目的だったが、江戸時代になると、大刀は人を斬るもの、小刀は自分を斬るためのものとして、存在理由が明確化されるようになったのである。
では、切腹とはいったい何か?人間には様々な欲望がある。物欲、出世欲、性欲、そのすべての根源になる欲望は「生きたい」ということだ。切腹は、その「生きたい」という欲望を自分で確認しながら、否定していく行為なのだ。
そしてまた切腹は、いわゆる衝動的な自殺とは、まったく別種類のものだ。なぜなら、切腹は一瞬にして自分の命を断ちたいと思う者には、もっとも向かない、苦しみが長く続く、きわめて非能率的な自殺法であるからだ。言い換えれば、切腹というのは楽に死んでしまっては、切腹としての意味がなかったのである。
とても衝動でできるものではなく、よほど強い意志で自分をコントロールしなければ、なし得ない行為なのである。そのような苛烈極まりない手段を、侍の死に方として選んだところに、武士の武士としての意地があったのである。

たしかに切腹は外見上、野蛮な行為ではあるだろう。だが、いつでも腹を切る覚悟を持って生きるということは、武士たちを私欲を超えた高い道徳的エネルギーを持った人間へと、変質させたことも事実なのだ。小さな欲望(自我)を捨て、大きな自我を得ることによって、武士たちは、本能に邪魔されることなく、新しい価値観、つまり自分の望むままの人生観を持つことができたのである。

武士は子どもに武士の切腹を見せます。西郷隆盛が子供の時一番ショックだったのは、自分のおじさんが切腹すのに、立ち会ったときです。おじさんいわく、「俺は悪いことはしてないのに、切腹することになったが、いついかなるときでも、サムライというのは俺のように死ねなかったらいかんのだ。よく目を開いて見ておけ」と。これは人間の成長に影響を与えますよね。結局、人生の一番深刻な問題から目をそらすよう、そらすよう教育しているのが、今の日本なんです。
もちろん、教育的暴力でないものには絶対反対だから、これはいっておきますけど。

群像 2005 4 高橋源一郎+山田詠美+島田雅彦









群像 2005 4 高橋源一郎+山田詠美+島田雅彦


島田 それが本当に古いのかという問題ね。確かに、日本人はよそへ行っても、結局自分を見ているわけですよ。
    だから、外国に行っても私小説を書くんです。何か導入しようというか、外部的なものを輸入しつつ日本に
    抵抗しようとするために。今は完全にその風潮自体がなくなってきたかもしれない。自我を見つめる儀式として
    の旅はもう必要なくなった。旅の終わりは近代文学の終わりと対応しているんです。
高橋 新しい古いでいえば、古いものなんだと思う。明治以来ずっとだから。何か足りないんで、海外へ行って見つけて、
    輸入して、一応埋めてみるけど、やっぱ足りないんでまた行く。その繰り返し。
島田 そういう意味でいえば、江戸に帰ったんでしょう。
高橋 自足していた時代にへね。
島田 運賃は安いし行こうと思えば幾らでも行けるんだけど、あえて江戸の鎖国の時代に戻った。裏を返せば、
    今現在の日本風俗とかサブカルのたぐいをそのままやっておけば、向こうの方が関心を持ってくれる、
    そういうたかのくくり方はあると思う。だけど、文学はそれにうまく乗っているかというと、乗ってはいない。
    相変わらずやっぱりグローバル文学みたいな形で、村上春樹やよしもとばななが出ているだけ。
    グローバル文学の条件というのが、実はこの座談会のテ-マである顰蹙をなるべく買わないことなんです。
    要するに、どのジェネレーションでもどの地域でも受け入れられるようにするためには、徹底的に無毒化ていかなきゃいけない。
    ここでお二人が顰蹙ということを語られる場合は、ある意味、グローバル商品化に抵抗しながら、普遍を目指すということでしょう。


島田 顰蹙作家の条件は、やはり失敗作を書かなければいけない。
山田 そうなんだよね。私、江藤淳さんにいわれたんだ。パーティで会って、何々を読んだよというので、どうでしたと聴いたら、、「失敗作」。中上(建次)さんなんかも同じことを私によく    いっていたけど、「ああ、やっぱり失敗ですか」といったら、「十個失敗して一個成功すればいいんだから、どんどん書きなさい」といわれたことがあった。

2/26/2008

スランプ脱出法









スランプ脱出法



1. 何が問題なのか
あなたは、はっきりと何が問題の根源なのかを識別しなければなりません。これは必ず最初にやることであり、最もハードルの高いものでもあります。そして、問題の根源を理解したと思っていても、「実は違うところに問題があった。」ということもよくある話です。もし問題点を発見しても、それが本質的な問題点なのか、もう一度理論的に考えてみる必要があります。ここで、理論的な答えを導き出すための7つの自問自答をご紹介します。
理論的に考える際の7つの自問自答

1. 本質的な問題はなんなんだろう?
2. 最近十分な休息を取っているかな?
3. 仕事がプライベートに影響していないかな?しているとしたら具体的にどの部分だろう。そして逆にプライベートが仕事に影響していないかな?
4. 病気、心の状態、あるいは他の原因で自分のエネルギーを消費してしまうような何かがないだろうか?
5. 酒、タバコ、カフェイン、あるいは砂糖のような、自分のエネルギーを奪い去っていくものを摂りすぎていないだろうか?
6. どういった考えが自分をこの状況に留めさせているんだろう?
7. どういった行動が自分をこの状況に留めさせているんだろう?

本質的な問題点ってなかなか導き出せないものですよね。アバウトに、「これなんじゃないか?」「それともこれじゃないか?」なんて考えていても本質は見出すことができません。しかしこうやって物事を順序だてて考えていくと、自然と本当の問題の根源が見えてくるかもしれませんね。
2. 負のエネルギーを解き放つ

たぶんあなたは悲しみ、怒り、フラストレーション、絶望、不安などといった強い感情を感じることがあるでしょう。あなたはこれらのエネルギーを建設的に放出する方法を見つける必要があります。

あなたがスランプを脱し、成功への道をたどる上でこれらを無視することはできません。暗い気持ちのときにこれらを開放することはとても効果的です。それと共に、こういった感情はあなたに何かを訴えかけているものでもあります。そこで2つの方法を試してください。

* 対応が肯定的な人と、次の2つの重要なことをしてください。
1. 反論なしであなたの言うことを聞いてもらってください。
2. あなたが盲点の覆いを取ることを手伝ってもらって、肯定的な解決によってあなたの焦点を再び元に戻してください。
* (1)のことを日記などによって、自分自身で行ってください。あなたの全ての感覚を書いてください。
それを大声で読んでください。ソファでそれをたたき出してください。もしくは30分ほど散歩をしてください。たとえそうしたほうが良いと感じないとしても、それをしてください!

「悲しみや怒りといった感情は、自分に対して何かを訴えかけているものである。」と言う考え方は、様々な書籍で書かれています。そのシグナルを察知して、解消することがポジティブ思考への近道だということですね。
3. 解決、解決、徹底的に解決

状況を変えるためには解決することに注目する必要があります。一度有毒なことを取り除くことができた今、あなたは立ち上がり、自分の思考をコントロールできる準備ができています。あなたのやりたいこと、遅れている仕事に取り掛かってください。

事例:友人ジョーの場合

私がとても好きだった1人の協力者であるジョーがいつも私のところに来て、「スージーQが昇進したのを見た? ムカつかない?」
そこで私が「ジョー、あなたが欲しいのは何? スージーQのことなんて気にすんなよ。」 と言いました。

しかしジョーは決して私に「自分が何を望んでいるか」を教えることができませんでした。抜きんでて、彼が気になったことすべてに対していらいらしていました。彼は賢くて、才覚があって、感じがよかったんですが。。。しかし彼は人生の計画を持っていなくて、常に「なんだか良くない。」と感じていました。

たとえジョーが「自分が何を望んでいるか」について結論に達していたとしても「私は長い間現在の役割に滞在したいです。私は大きな仕事をして、毎年昇給を得ることを望んでいます。」といった程度で言えたはずです。そして彼は置かれている状況について「良い」と感じることができたはずなのです。

「自分が欲しいもの」という観点で考えてください、そうすれば常にはしごを登っているようなことをしなくても良いのです。
「欲しいもの」、「欲しくないもの」という条件定義をし、物事を考えるようにしましょう。

このストーリーは、以前の私の例にもピッタリきます。以前の私は会社の幹部であることに執着し、何故か今考えればどうでも良い様なことに対してイライラを募らせたり体を壊したりしていました。そんなときに同僚から「何が欲しいの?地位?名誉?お金?」と言われ、ハッとしましたwwジョーさんの立場が分かるだけに共感できます。
3. はじけよう

いくつかのポイントであなたは、今までとはドラスティックに異なる方向で動き始めなければなりません。あなたの解決リストにある最初の項目をピックアップし、とにかくそれを行ってください。そしてあなたのリストにある次の項目をピックアップしてとにかくやってみましょう。
やる気を感じるまで待たないでください。それは待ち続けても起こらないはずです。
あなたがいくつかの行動を起こした後に、「やる気」はついて来るはずです。

もし行動を起こして「やる気」を入手できなければ、例えば大好きな音楽をかけてください。血をどくどく流れ出させて、いくらかの新しい新しい酸素をあなたの肺に運んでいい気分にさせていくことが重要です。そしてデスクへ戻ったとき、最初の策をもうひとつの、そして他のもう一つの違ったもので講じてください。
5. 応急処置

もしあなたがまたスランプに陥りそうなとき、また(1)に戻って同じことを繰り返してください。あなたはスランプから抜け出すために肉体的、そして精神的にこのパターンをさえぎる必要があります。

悪いパターンをさえぎるには物理的な中断をすることが心の中断を容易にすることができます。その場で他の何かをしてください。そうすればよりはっきりと解決について考えることができます。

これは他の観点からの考え方である「マルチタスク」にもつながります。手詰まり感を感じているものをそのまま続けていても、何もいいものは出てこず、結局やっつけに終わってしまうのが関の山。であれば、何か他のタスクをこなしたほうが気分転換にもなるし、より良いものが構築できるという考え方ですね。

2/25/2008

一撃必倒への道・柳川昌弘











一撃必倒への道・柳川昌弘

順突きの練習で得るべき要点は「ムチのようなフィーリング」であるから手腕は無論、特に肩のリラックスに十分注意して「手腕が身体より遅れて出るその時間差を大きく」し、かつそのフィーリングを得るようにすることが肝要。

自らの気配を消すことが、相手の気配を読めるようになる極意。
組手においては、技を出す間合いとタイミングが技術の生命。

蹴り技だけではないが、技の理は絶えず詰める(時間的・空間的な無駄な)ことによって常に上達する。
攻防一体に関する姿形のうえで基本的にいえるのは、身体的表現(身構え)は攻撃的であること、そして、心的内容(気構え)は防御的であること。

激しく動くことは感性による相手の意図を読む能力には適しません。
人間の感性は「理性を使うこと・・・・頭で何かを考えつつ、身体に余計な力を入れること、呼吸が乱れること」とは両立しないのです。
「観の目強く、見の目弱し」
「無謀な攻撃と臆病な防御」は大成しない。
微妙な「タイミングの間合いと見切り」は観の目なしには出来るものではない。

相手の正中線を攻撃する技の動きが、相手からの正中線攻撃を不能にする
転位、転体(体捌き)、転技(手捌き)、転体が大事。体軸のあり方を・・・。
居つかぬ足捌き。
要は腰の動き(転体)によって自由自在な転位と転位が従うことが成功の秘訣。

自然な呼吸、正中線の微妙なあり方。組手の勝敗は、間合いを詰めて生じる一瞬のタイミングをとらえることが可能かどうかがすべて。

相手からの正中線攻撃を捌きつつ、相手の正中線を攻撃すること。

第一段階の練習は、鋭く正確な一本の攻撃技を磨くこと。

次は、同じ技で交差法を使いカウンター。前手突きのカウンターを先の先のタイミングで極める。
読みの能力は「身体のリラックス」「呼吸のあり方」「目のつけ方」。つまり、自然体。

第三段階は、先の先にタイミングによってその他のすべての技によるカウンター攻撃にも目を向ける。
先の先のタイミングでタックル(グレイシー柔術)。

最も難しいはずの修羅場での心身のリラックスによって、ほどなく自然な反射的対応(技・術など)の好ましい結果を不完全とはいえたい拳してゆくことによって自然体の持つ優れた能力に対する認識が深まるでしょう。

2/24/2008

続 空手の理・柳川昌弘











続 空手の理・柳川昌弘

空手の技を出すときは強く、それ以外のときでも下腹に力を込めているのが武道空手の極意である。
技を出すときは呼気と下腹の速筋を使ってその受動筋力だけでなくその後のため能動筋力をも少々増大させる。そのときまでは下腹以外の部分に力を絶対に込めないことが空手の技を完成させる大事な要点である。

空手の名手は最後の極めの一瞬しか全身の力を入れていない。
技の伸びや威力や正確さを得るには手足の力を抜くことだ。この足さばきがより上達するには手足その他の力が自然に抜けるようにならざるを得ない。
こうした動きができるようになるためには、「姿勢」の保持がその絶対条件である。反り身の姿勢なくしてこの足さばきはできない。姿勢と足さばきを同時に完全に体得して欲しい。

下り坂の突き稽古。軸足のタメがいかに大切か。
上り坂の突き稽古。足の抜き、身体の沈みの体得。

その場突きに始まり、その場突きで終わる。

短打法に要する技術上の要点は、
1、姿勢
2、下腹の締め
3、足の抜き
4、速筋と受動筋の使用
5、気合

完全な武道空手(組手)が出来る者にのみ正しい形ができる。
一つの技の理が姿を変えて千変万化する。

心技体のどれひとつを欠いても、こうした攻防一体の調和には至らない。

相手を上と横から見ろ

読みにおいて、「少なくとも、息を少しづつ吐き続けることが最低条件。」
姿勢が正しく調整できるようになると、身体の疲れ、息の乱れ、心臓の動悸は逆に穏やかになる。

蹴り技を体得すれば、空手は基本的に足で攻撃し、手で防御するのが理想的、つまり自然であることがわかる。

正中線への認識は「絶対の理」
組手技術においては、自らは常に相手からの正中線上から身体を外し、自らは常にその正中線上に相手を置くのが何より大切な心構え。
 
交差法の重要性

真の求道心とは「自然を求める」というより「自然と一体化する」ことである。心を自然体に保つならば、他あるいは同種武道の長所欠点がすぐわかるようになる。

気構えは常に攻撃におき、結果としては手の一方あるいは両手が防御的動作となることはあり得るだろう。

2/23/2008

空手の理・柳川昌弘









空手の理・柳川昌弘

武道の道理は無限のかなたにある「負けない技術」への挑戦のみである。
人間の本心は常に自然との調和を欲している。本心とはいわゆる無心であり自然体である。
「心正しかざるは拳正からず」は自然の道理である。

本当の意味での信仰心なくして人は大成することは不可能である。何も宗教の話をしているのではない。

弱さこそすべての不幸の原因である。だから人は本能的に強さを求めるのだ。
エゴの強さは本当の強さではない。己の弱さを確認した者こそ強い人間になる有資格者といえよう。故に劣等感こそ強くなる根源の力である。
真の強さとは正しく美しいことである。

筋力を養成するのも実は力を抜くコツを覚えるための意味も含まれている。技術とは力の抜き方であるともいえよう。

柳川式腹筋と腕立て伏せ
首の速筋を鍛えるナイハンチ

打撃を支える受動筋力
突きは腕で突くのではなく体と腰で突く

筋力を養成する前に骨を丈夫にするよう心がけて欲しい。
柔軟な身体は怪我や事故を防止し、最も大切な姿勢を作るのに欠かせない要素である。
柔軟性とはいっても単に柔らかければよいというよりも、柔らかく使用することを身体に覚えさせることだ。
結局、腰中心の動きであるべき基本。

空手に必要なスピード
人間の手のスピードは大差ないので、このスピードを上昇させるには運足法がすべてを決めるといってよい。

突きの真の威力を体得するには、
巻き藁やサンドバッグを突きまくって体得するしかない。体重を一気に乗せる方法・・・

肘打ちや膝蹴りの練習やその同時技の練習は腰の使い方を早く習得できるからそれぞれ工夫されたし。

後ろへ退がらないこと

植草盛平「相手の武器を見るな。相手の技を見るな。相手を見るな」

身体的技術の方面から「無心」を得るためには、「姿勢」の正しさがすべてを決する。

少なくとも組手においては勝つことは二の次であり、まずは絶対に負けないことを第一としなければならない。

先手攻撃を行う際に注意すべきことは、間合いである。相手の姿勢(身体の構え、気構え、心構え)を崩すことができる間合いから攻撃することだ。

攻防一体の心技に至らぬ者は、とりあえず攻撃中には防御の気持ちを、防御中には攻撃の気持ちを忘れぬように注意すれば上達も早く、後の攻防一体の変化技の習得にも益することを知るべきである。

はじめは強く突くことをやめて、なるべく遠方を身体全体を使って手で触りに行くような気持ちで練習する。

前手による攻撃は強大な威力がありその上達の秘訣は正しい寄り足の習得になる。

2/22/2008

私の失敗







私の失敗

中は所詮自分の利害打算だけで集まっていますから、思惑が外れて期待した利益が手にできないようになると抜け駆けや裏切り、仲間割れを始めます。
すなわちみんなで結束して困難を乗り切るということが極めて苦手な連中なのです。

岡崎良介







岡崎良介

権力が暴走するときに悲劇が起こることは、歴史が証明する通りです。

2/21/2008

ユリウス・カエサルにみるリーダーの条件










「ローマ人の物語」より、ユリウス・カエサルにみるリーダーの条件
WIND BENEATH MY WINGSより
2008-01-05 22:09:25

http://blog.goo.ne.jp/mamiko-kouhei



ユリウス・カエサルは
「リーダーとはかくあるべし」というお手本のような人だ。

ローマの教科書に習うと・・・。

①知性
■常に先を読んでいる。
■行動しながら、考えることが出来る。
■大局的に物事をみながら、同時に緻密に計算もしている。
■文章が上手い

②説得力
■演説が上手い
■手紙を書くのが得意。しかも筆まめ。
■女性にもてる。
■何人も愛人を持ちながら、誰ひとりとして(妻すらも)怒らせていない。
■部下(将官や兵士)は、どこへでもついて行きます状態。
■敵すらも自分の側に引き入れる。

③肉体上の耐久力
■暗殺されるまでは病気知らず。
■馬を御するのが上手い。
■行動が素早い、反射神経は鋭い。
■厳冬期も半ズボン。

④自己制御の能力
■いつも元気で冷静沈着、上機嫌。
■嫉妬や憎悪とは無縁、感情によって判断は狂うことはない。
■凹み知らず
■目先の利益、私利私欲とは無縁

⑤持続する意志
■常に大局的に物事をみつめ、
目的を達成するためにどうすればいいかを
考えている。
■目的を達成するたにめはどうすればいいかを、
具体的かつ現実的に考えて、実行に移す。
■苦しい時期には耐える意志、
成功したときには有頂天にならずにおさえる意志の強さを持っている。
■自らがなすべきことを完璧に理解しており、決してあきらめない。

そしてカエサル自身は、こう言っている。

「人間ならば誰にでも現実のすべてがみえるわけではない。
多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」。

彼には、過酷な現実がすべて見えていたのだと思う。
いくら楽観的な人だとしても、ルビコンを越えて、
軍団の命運まで背負った心のうちはいかなるものだったろう。
そんなすべての逆境をひっくりかえしての、勝利はひときわ輝く。

宇宙銀行・植西 聰









宇宙銀行・植西 聰

01笑顔をキープすることから始めよう
02みんなが愉快な気分になる言葉を連発しよう
03「ありがとう」を口癖にしよう
04相手を優越感に浸らせてあげよう
05ねぎらいの言葉を口にしよう
06ほめ言葉を習慣にしよう
07約束は必ず守ろう
08グット・ニュースの提供者になろう
09知識や情報を提供してあげよう
10仕事のノウハウを人のために役立てよう
11他人のために時間を捧げよう
12人を紹介してあげよう
13頼まれ事を快く引き受けよう
14他人の好み・嗜好に敏感になろう
15代理想像能力を高めよう
16誰に対しても謙虚に振舞おう
17「ユーモア」で他人を健康にしてあげよう
18ヘルパーになってあげよう
19大切なものを差し出そう
20存在するだけでも喜びを与えられる
21ネガティブな返答を、ポジティブな言葉に置き換えよう
22人が面倒臭がることを行おう
23人が嫌がることを引き受けよう
24サービス精神を持とう
25小さいことでいいからボランティア活動を行おう
26気のきいたプレゼントを贈ろう
27譲れることはなあるべく譲ろう
28適度に遠慮し、損して得を取ろう
29魂・人間性を高めていこう
30仕事に使命感を組み込もう


私の一週間
月・道端に落ちているタバコやゴミなどを一つでもいいから拾う。
火・コンビニに立ち寄ったら、一円でもいいから募金箱に入れる。
水・今まで以上に人に挨拶をする。
木・人の長所をほめてあげる。
金・「ありがとう」という言葉をいつもより多く使う。
土・朝、自宅の前の道路を箒で掃く。
日・家のトイレ掃除をする。

私の約束
01嫉妬しない
02グチや不平不満を言わない。
03悪口を言わない。
04怒らない。威張らない。
05恨まない。憎まない。
06ウソをつかない。
07非難しない。ケンカを売らない。
08盗まない。
09騙さない。
10暴力を振るわない。

2/20/2008

ルーツを調べる








ルーツを調べる

1、あなた自身のルーツを調べてみましょう。

あなたの土台を作ってくれたルーツを探り、血縁、地縁、業縁をはじめとする様々な「良質な縁」を大切にしているかどうか確認すること。

「円環は切れ目なしにぐるりとつながっている」(荘子『斉物論』)

2、こだわりをもって生き、実践していますか。

こだわりとは自分自身に対する信義のようなもの。心の核。これなくては蛸のゴルフスイ ング、くらげのスマッシュ。

「友に交わるにはすべからく三分の侠気を帯ぶべし。人となるには一点の素心を存するを要す」(洪自誠『菜根譚』)

「人は単に知っていることによって知慮あるひとたるのではなくして、それを実践しうるひとたることによってそうなのである」(アリストテレス『ニコマコス倫理学』)



1、創業の心を忘れずに。しかし創業の心は常に革新されるべきものです。

革新の原動力は、自分自身の中にあります。先ず指導者であるあなたから「革新」を。

「自分のつらが曲がっているのに、鏡を責めて何になる」(ゴーゴリー「検察官」)

2、企業は未来永劫になんか続きはしない。

「企業とは潰れるもの」と肝に銘じていただきたい。どんな企業も、どんな政権も日本では三百年以上にわたって繁栄することは不可能なのだから。(何とか生き延びてその子孫がまた再興したということはありますが、日の当たる場所で輝き続けたという例はないのです)

少しでも企業を永続させるためには、原理原則にのっとって、正しい利益を生み出し続けなければならない。しかし不幸にして、道半ばで倒れてもそれはそれでしょうがない。・・・・私は無責任でいっているのではありません。中小企業・中堅企業のトップ、管理者はそれほどのリスキーな中で日々活動しているのですから。・・・・

「一番大切なことは、単に生きることそのことでなくて、善く生きることである」(プラトン「ソクラテスの弁明」)そこから先は、誰も知りえない……。

「世はさだめなきこそいみじけれ」(兼行法師「徒然草」)

3、商売は変化への対応力。それが弱ければ組織は腐敗、堕落する。

「組織を動かすための公式なんていうものは存在しない。トライアル・アンド・エラーで組織全体を活性化していくしかない」(土光敏夫)

4、大志を抱き、慌てず急がず、着実に。それでもトラブルはつきもの。そんな時は、頭のなかを空っぽにして明日に備えよう。

「莟(つぼみ)とはなれもしらずや蕗のとう」(蕪村拝句集より)

即戦力の磨き方 大前研一










下克上の時代を生き抜く 即戦力の磨き方 大前研一


そのためには語学力と国際的なマインドの養成が必須だ


二十一世紀はパーソン・スペシフィックの時代だ。世界で勝負できるプロフェッショナルが何人いるかで国力が決まる。韓国でもインドでも北欧でも、すでに国家レベルでその取り組みが始まっている。


基本的に英語さえ話せれば、世界中のどこの国、どんな人種の人とも、問題なく商売ができる。
なぜなら英語というのは、二十一世紀のエスペラント語だからだ。  


二十一世紀は見えない大陸だから、おおぜいが古い知識を持ち寄って、あれこれ相談しても、進むべき道など発見できるわけがない。それができるのは、前例が通用しないところでもひるまず、自分で問いを立て答えが出せる能力を持った個人なのだ。だから企業が生き残れるかどうかは、そういう人間をトップに戴いているかどうかにかかっている。


私は三十代、四十代の人たちが、とくに問題だと思っている。この世代は、体制の求める詰め込み教育に過剰に適応して、高度な受験技術だけを磨いてきたので、肝心の「自分の頭で考える」という訓練が、まるでなされていない。


まず四十歳を過ぎたら、次の人生で何をやるかを決める。仮に、「これまでの経験を買われて、中小企業の顧問に招かれる」ことを目標にしたなら、そこから逆算してキャリアプランを立て準備を始めるのだ。


彼は四十代である。「同じ世代がかったるいほうがこちらは楽だ」というのが、彼の口ぐせである。
先ほどいった宮本雅史氏も孫さんと同じ歳。彼の口ぐせも「同世代がリスクをとらないから僕でも事業ができた」である。
これが勝ち組の発想であり、思考回路なのだ。間違えたらどうしようなんてことは考えない。まず動いてみて、そこから修正を繰り返し、自分なりの方法論をつくっていく。これに対して、自分の頭で考えないで、誰かにうまくいくやり方を聞こう、ノウハウを頂戴しようなどという不精なことをやっていたら、正解のない新大陸では、負け組への道をまっしぐらだ。

2/19/2008

「独行道」










「独行道」
一、世々の道をそむく事なし
一、身にたのしみをたくまず
一、よろずに依枯の心なし
一、身を浅く思い、世を深く思う
一、一生の間欲心思わず
一、我事において後悔をせず
一、善悪に他をねたむ心なし
一、いずれの道にも別れを悲しまず
一、自他共にうらみかこつ心なし
一、恋慕の道思いよる心なし
一、物毎にすきこのむ事なし
一、私宅においてのぞむ心なし
一、身ひとつに美食をこのまず
一、末々代物なる古き道具を所持せず
一、わが身にいたり物いみする事なし
一、兵具は格別、余の道具たしなまず
一、道においては死をいとわず思う
一、老身に財宝所領もちゆる心なし
一、神仏を尊び、神仏を頼まず
一、身を捨て名利は捨てず
一、常に兵法の道を離れず
「独行道」宮本武蔵 1645年5月12日

日本の行く道・橋本 治









日本の行く道・橋本 治

家でなく学校の方が、「自分の所属する場所」になっているから、「自分がそこから排除されている」という事実が受け入れにくくなって、「虐待する友達がいる」ということも、「虐待されている自分がいる」ということも認めにくくなるのです。そう考えないと「いじめにあっても黙っている」ということが説明出来ません。事態は、「報復が怖いから黙っている」というような、単純なものではないと思います。

かっての世の中には「いじめっ子」のような、明白な「他者」がいました。でも、今の世の中には「距離のある人」が存在しにくくなりました。

今の子ども達が「成長の早い子ども」あると同時に「成長の遅い子ども」でもあるという事実です。今の大人たちの中にも、この体質が入り込んでいるのです。

「大人が大人の基準に達していないー大人でありながら、大人が子どもであることをひきずりすぎている」

「子どもと大人の境を曖昧にしてしまうような形で世の中が進んできて、そこに問題があるとも思われなかった’今まで’」

「なぜ、’便利’は、そんなところへまで人を追い込んだか?」

自立に関する錯覚をそのまま引き受けて社会人になってしまった人間

明治新政府の中心(薩長)には「先進国との戦争に負けた傷」があります。「負けた!ヤバイ」で方針転換をし、その後に統一政府を作った勢力は、「脅威となる西洋に負けないような国作り」という方向へ進みます。
なにしろ、西洋先進国と戦争をして負け、「相手の強さ」を肌身で理解したのは、長州と薩摩だけです。

日本人にとっての「戦争」は「武力と兵器による戦争」で、20世紀後半の「経済戦争」が、「産業革命を契機として勃興して来た、西洋中心の帝国主義戦争の時代にピリオドを打つもの」とは考えなかったのだと思います。

「遠い昔の戦争で受けた傷を残し、それを継承している政府」と「そのことにあまりピンと来ない国民」-近代化を達成した日本は、このような分裂を抱えているのです。

国民が成熟する以外、民主主義の生きる途はないのです。その点で、まだまだ日本は民主主義は不十分なのです。不十分というか、未熟なのです。だからこそ、「ご主人さま」の資格のない人間が、平気で「ご主人さま」気取りになっていたーそれをそのままにして、「民主主義の未熟」は隠蔽されていたのです。

「昔そうだったから」という理由だけで、いつまでも過去のあり方に縛られている必要はありません。

日本が世界の経済戦争に勝ったのは、機械化のせいではなくて、その以前に存在していた、「物を作り、さらによい物を作ろうとする職人・職工のレベルの高さ」だとしか考えられないのです。それで私は「江戸時代に確立した工場制手工業という基盤」を重要視するのです。

「需要がなかったら、そこに需要を作り出してでも商品を売る」という、20世紀後半のマーケティング理論

「終身雇用の崩壊」は「自由を求める社員のせい」で、「子どものわがままを許して、家族は崩壊の結果へと至る」というようなものです。

日本の企業の大半が零細であってもかまわないじゃないか。そっちの方が、あり方として正しいんじゃないか。

農村というところから人力エネルギーが消えた結果です。
日本の農業を成立させる「農家」から、その「家」であることを成立させる「人によるシステム」が消えたからです。
「家とは、そこにいる人間たちが作り上げ維持する、一つのシステムだ。」

家族に「家を出て行く自由」を与えた時、「家」は崩壊する

人は「豊かさ」によって自由になり、自由になって「豊かさ」を求め、その結果、「豊かさ」によって翻弄され、「豊かさ」を失う。

「歴史が短い」と身軽です。若い人は「失敗することがある」などと考えず、どんどん自由に考えられるのです。失敗したのは「自分たち」ではなくて、「役立たずの過去」を生きて来た、その点で「古い」になってしまった人達だからです。だから、世界中は「行け行け、どんどん」です。

日本は、未来を考える選択肢の検討を、とんでもなく長いスパンで可能に出来る国なんだ、と思うと、私はただ「日本に生まれた日本人でよかった」なのです。

2/18/2008

自分らしく生きたかったらエゴイストになりなさい









自分らしく生きたかったらエゴイストになりなさい ヨーゼフ・キルシュナー



平和の唱道者たちはこれまで以上に戦争で大もうけするでしょう。ぐうたらのなまけ者どもは、これからも有能な
者たちの汗と努力の結晶を食いものにしてしてのらくらと暮らしつづけるでしょう。有能な者たちはなんのためとも
知らず、ただ死にものぐるいで働くだけのことでしょう。健康産業はますます活状を呈し、ブームはさらに続くでしょう。
それでも、人類の病気がますますふえていくことに、誰も疑問を投げかけたりはしないでしょう。


***


その期待はものの見事に裏切られるでしょう。なぜなら二十一世紀もこれまで同様に三階級社会という人類最古の
システムが引き続き私たちを支配することになるからです。これは絶対に疑いありません。ここでいう階級とは次の三つをさします。

*愚かな人たち
*ずるがしこい人たち
*真にかしこい人たち

どうしたらいいかわからない愚かな人たちは、自分が何を信じ、何を考え、何を望み、何を買えばいいかを教えてくれる人たちを、
これからも探し求めるでしょう。そして、ずるがしこい人たちは、親切に笑って愚かな人たちにあれこれ助言を与えてたっぷりもうけて、
甘い汁を吸うことでしょう。


***


(エゴイストの十戒)

1.権利より先に義務がある。

2.お金がなければつかわない。

3.仕事ができるなら勤め口はかならずある。自分の値打ちは自分で決める。

4.自分と調和できるのなら、世界とも調和できる。

5.人を責めるのは自分自身を責めるのとおなじこと。それは自分への怒りを相手にぶちまけているだけのこと。

6.何がやりたいかわかっているなら、誰も口出しなどできない。

7.誰にでもなまける権利がある。しかし自分の有能さを犠牲にしてまでなまけることはない。

8.有能というのは自分自身にとってであって、他人にとってではない。

9.あることについて語れば語るほど、それがわからなくなる。

10.多くを知れば知るほど、ますますそれについて語る必要はなくなる。内容のないことを百回言うよりは、黙っているほうが時として効果的。


***


かしこい人たちは自己を解放することによって自由を獲得しようとするのですが、それは自分の人生に対して、
はっきりとしたイメージをもつことによってのみ得られます。


***


「誰も他人に幸福を与えることはできないし、他人から幸福を奪うこともできない。自分の責任は自分にしか負えない」


***


「人生の舵は自分でとる、最後の決定は自分で下す」


***


「どうやらこれが、賢者の階級に所属するための鍵のようです。自分が不幸なのは他人のせいだと逃げ口上ばかりならべるのは、
おろかな人だけがすることです。
指図したり取り締まったりするのがずるがしこい人たちの習性だとすれば、どうしてよいかわからずに服従するのが愚かな人たちの
習性といえそうです。だから、両者はたがいに依存しあっています。


***


イメージしたら信じることです。信じればこれまで疑っていたことも実行する力がわきます。信じるということは、
想像はできるというレベルから一歩踏み出して、想像もできないことを実現することなのです。ただし正当な方法をとること。


***


しっくりくる人生を送るには、何がほんとうに必要なのかを知ることです。必要なものを手に入れるには、何をあきらめなくては
ならないかを知ることです。


***


教育というのはどんな教育であれ人を不安がらせ、おどし、こわがらせるのが常套手段です。人は不安になると言いなりに
なってしまうものだからです。しかし、あなたは自分で自分を教育するのですから、他人の言いなりにはなりません。


***


あなたの言うことが正しい必要はありません。人がそれをほんとうだと信じてさえいればいいのです。権威というのは、
あなたが正しいことを言っているからではなく、あなたが正しいことを言っていると人々が信じているから成立するのです。
あなたが権威をを利用するときは、もしそれが見抜かれたときには逆にあなたに不利なかたちで利用されることもお忘れなく。


***


もっとも強い説得力をもつのは権威などではなく、あなたが日々の行動のなかで着々と積み重ねている自分への確信に
ほかなりません。


***


けなしたりほめたりするのは、相手をゆさぶるための手段です。人からほめられないとやっていけない人、人からけなされるのを
恐れる人、こうした人たちは他人に左右されています。

何がしたいのかはっきりさせましょう。自分を信じて自分のものさしで行動してください。そうすれば誰も、ほめたりけなしたりして、
あなたを不利な状況へ追いやることなどできません。

あなたをほめる人は、あなたを味方につけたがっているのです。あなたをけなす人は、あなたをおとしめることで自分が上に
行きたいのです。あるいはあなたの失敗にあげつらうことで自分の失敗の言い訳をしようという魂胆でしょう。ほめたりけなしたり
というのは、相手をゆさぶるための戦術です。この戦術をつかって、ずるがしこい人たちは愚かな人たちを統率しているのです。

他人をけなす人は、それによって自分の権威を打ち立てようとしているのです。あなたは自分自身の確信で人を説得するので
あって、自分の権威を前面に打ち出す必要はありません。権威にだまされるのは自分に権威のない証拠です。

それが利益をもたらすなら、あなたもほめたりけなしたりの戦術を駆使して相手をゆさぶってみてください。他人が不利益を
こうむるのは知ったことではありませんが、あなたが利益を得るのは大事なことです。

誰でも自分に対して責任をもたねばなりません。だから他人にたくみにあやつられて油揚げをさらわれたからといって、
なんの弁解もできません。


***


どんな協力関係にせよ、はじまりはあなた自身です。あなたが自分を信じて、自分自身と調和がとれていれば、
あなたは自分自身のもっとも信頼のおけるパートナーです。

自分自身と調和が取れているとは次のようなことをいいます。

*敗北を喫しても自分を責めたり言い逃れを考えたりせずに、敗北から学ぼうとする。
*自分自身を信じていて、誰もその自信をゆるがすことができない。
*自分に対して責任を負っていて、誰もその責任を肩代わりしようなどとちょっかいを出さない。
*自分を信じて、決して自分を否定しない。ただし、誰かをたくみにあやつってひともうけするために自分をいつわるというのなら話は別。


パートナーシップを結ぶ意味は、一人で問題を解決するよりは二人でいっしょに取り組んだほうがうまくいくということにあります。

パートナーシップでいちばん大事なのは、平等ということではなく、相互補完ということです。

パートナーシップとは、パートナーに対する思いやりではなく、創造的なぶつかりあいのなかで相互理解を深めることをいいます。

パートナーシップとは、相手を尊重すると同時に自分も尊重されることです。

パートナーシップとは、それぞれが投資したよりもたくさん返ってくるということを意味します。

パートナーシップにおいては、それぞれが自分なりに正しいのです。つまりあなたはパートナーの真理を尊重するけれども、むこうもあなたの
真理を尊重するのです。たとえパートナーがあなたの真理を尊重しなかったとしても、それがあなたの真理であることには変わりはないのです。
おなじく、あなたがパートナーの真理を尊重しなくても、それはやはり相手の真理であることに変わりはないのです。

パートナーシップがあなたによろこびよりも苦痛を与えるようになったら、それは意味を失います。そのときは相手にかまうことなく決定を下すことです。

あなたが自分自身と幸せな関係でないのなら、どんなパートナーとも幸福にはなれません。自分を愛していないのに、人を愛せるはずがありませんから。

あなたが他の誰よりもあなた自身を信じているのなら、どんなパートナーにも幻滅することはないでしょう。

パートナーシップの原理は、階級組織の原理と真っ向から対立するものです。パートナーシップにおいては、
何よりもまず個人個人が自分に対して責任を負い、連帯責任はあとになります。


***


社会に庇護を求めるものは、自分で自分を守ることができない人間です。こういう人は庇護者たちからいいようにあやつられて貢がされてしまうでしょう。

モラルというのは、自分のものさしをもたない愚かな人たちをあやつるためのよい口実になります。

モラルをもてあそんで金もうけをしているずるがしこい人たちは、モラルの基準をひじょうに高く設けていて、愚かな信奉者たちがいくら努力しても、
その基準を満たすことはとうていできないのです。そのために信奉者たちはつねにダメ人間のレッテルをはられ、彼らの人生はたくみにあやつられてしまうのです。
しかし何より自分を信じ、自分のものさしだけで生きている人は、罪悪感などで人のいいなりになったりはしないのです。


***


あなたは次のような三階級社会のなかで生きています。

*ずるがしこい人たちの階級―彼らは愚かな人たちに何を考え、何を信じ、何を望み、何を買ったらよいかをあれこれ指図してぼろもうけしている。
*愚かな人たちの階級―彼らは自分が何を考え、何を信じ、何を望み、何を買ったらいいのか自分で判断できないので、ずるがしこい人たちのいいなりになってしまう。
*真にかしこい人たちの階級―彼らは自分が何を考え、何を望み、何を買うべきかをよく心得ていて、自分のものさしにしたがって行動する。


***


自由な社会というのは自分自身が自由である人にとってのみ存在するものです。自由であるためには、できることはすべて
やってみることです。そうすれば、あなたはいつでもどんな社会でも自由でいられます。


***


文化というのは、あなた自身の心のなかにあります。だから、あなたの生き方そのものが文化のあらわれなのです。
文化というのは生命のあるがままの姿であり、誰かに指図されたり管理されたりするものではないのです。


***


マスメディアというのは正義やモラルをかかげるのが大好きですが、彼らは決して倫理的な集団ではありません。
彼らはスポンサーの利害にかなうように言論を操作する企業なのです。

マスメディアは人工的な世界をつくりあげ、視聴者や読者はそれを見たり聞いたり読んだりして、現実では満たされない
欲求のはけ口を見つけるのです。つまりマスメディアは自分の人生でナマで生きることのできない人たちのために、
作りものの人生を提供しているのです。

毎日現実とむきあって、あなた自身のナマの人生を生きてください。あなたはあなたにしかない人生を体ごと生きているのであり、
傍観しているのではないのです。

マスメディアなんていうものは、あなたの役に立つように、あなたのものさしにあわせて利用すればいいのです。

あなたの人生を毎日の現実のなかで精いっぱい生きてください。そして現実に背を向けて映像の世界に逃げ込んだりしないで、
自分の手で問題を解決してください。

自分の夢を見ましょう。自分の苦しみを苦しみ抜きましょう。そして自分の力で、自分にあった世界をつくりましょう。

自分の手で人生をつむぎだす人は、メディアのヒーローに自分の幸福を重ね合わせる必要などないのです。


***


宗教や政党は信者や支持者たちに全員が幸福になることを約束しますが、そのかわりに個人の自由は失われます。


***


自分を変えれば自分が住む世界も変わります。これは個人主義の考え方で、誰もが自分自身の世界を築くことができるというものです。
ただし、その責任は自分が引き受けなければなりません。

自由競争社会では、誰もが他人を犠牲にして自分の利益をものにするチャンスにめぐまれています。
だから自由競争社会というのは計算ずくめのゲームのための格好の舞台なのです。

自由競争では思いやりという視点はありえません。自然界における弱肉強食の原理とおなじく、誰もがわが身かわいさだけで生きているのですから。

ずるがしこい人たちは、なにかにつけ平和・平等・隣人愛などといった希望を説いて、愚かな人たちを自分たちの利害にしばりつけます。
残された唯一の自由は、ずるがしこい人たち、愚かな人たち、そしてかしこい人たちのいずれの階級に所属するかを自分で決定するということだけです。

いかなる選択をするにせよ、一市民として知っておかねばならないのは、自分の人生を意味あるものにするには、何かをあきらめなければならないということです。

あなたが自由でいられるのは、他人と比較しないときだけです。なぜなら、そのときのあなたは自分が何をしたいのか、ほんとうにわかっているからです。


***


潜在意識に埋め込まれた障害は、あなたが意識的な意志決定をしても取り除くことはできません。それを取り除くには、あなたの潜在意識にあなた自身の
プログラムを植えこむしかありません。そのプログラムとは、あなたが自分で自分を教育するということなのです。

潜在意識に到達するには、欲しいと思うものをねばり強く思い続けることです。どのくらいねばり強く思いつづけるのかというと、あなたの行動をさまたげている
すべての潜在意識よりもさらに深く根強くあなたの思いが植えこまれるまでです。

そこまで思いつづけると、あなたは思いどおりの自分になることができます。そしてこうしたことが、ごく自然に堂々と行なえるようになります。

このように潜在意識の世界にあなたのプログラムを植えこむのは、あなたがリラックスしているときにかぎります。リラックスするには、静かな場所で
楽な姿勢をとり、静かに深呼吸して、あなた自身に精神を集中することです。

リラックスした姿勢、深呼吸、そして自分自身へ意識を集中することによって、あなたは他人が押しつけた生活のリズムを脱却して、
自分に合ったリズムに乗り換えることができるのです。


***


忘れてならないことは、どんな行動もトレーニングを積み重ねた上でなければ実現しないということです。あなたがなにかを
なしとげようとするならば、それが自分のイメージどおりに自然にできるようになるまで、一歩一歩ねばり強く実践を通じて
改善していかなければならないのです。

つまり、それはどういうことかというと「計画と決断の段階では頭をつかってよく考えよ、しかし、行動するときには疑う気持ちなど
かけらももたずに、ただ成功の確信だけをもって行動せよ」ということなのです。


***


問題を解決するには、その問題を把握しなければなりません。問題を把握するには三つの段階があります。

*その問題がどんな影響を及ぼしているかを知る。
*その問題が他のこととどう絡みあっているかを知る。
*その問題の原因を知る。


問題とのつきあい方には、次の二つがあります。

*問題がどんな影響を及ぼしているかわかっているのに解決しようとせず、それを忘れてしまおうとする。もちろんそれで問題は解決しません。
*問題の因果関係を把握してよりよい状況をつくりだそうとする。


問題の因果がわかっている場合は、次の三つを駆使してください。

*あなたもしくは人の経験。
*あなた自身の直感。
*あなたの創造力と想像力。


ねばり強く調べあげ、きちんと問いただしていけば、問題の因果関係はかならずつかめます。

問題の原因を解明するもっとも重要な問いは「なぜ?」ということです。


***


健全なエゴイズムをぞんぶんに発揮しながら人生の達人になるというのは、まったく個人の問題です。ずるがしこい文化人や
政財界の幹部どもは、何かにつけ芸術がどうの文化がどうのとこせついた定義づけをしたがりますが、人生の達人になるという
ことはこんなやからのおせっかいとはなんの関係もない事柄なのです。なぜなら、人生の達人になるわざというのは人の役に立つ
ような代物ではなく、もっぱら自分を豊かにするために自分で身につけるものだからです。
そもそも文化とか芸術というものは、愚かな人たちの哀れな人生を少しでもくつろげていくらかでも面白いものにしてやろうと考え
出されたものです。そして、そのなかでもっとも秀でているのは、この人生の達人芸とでもいうべきものなのです。人生の達人芸
というのは、ただ食うために生きているのではなく、自分を乗り越えようという志をもった者なら誰でも自分のものにすることができます。
その際に重要なことは、この人生の達人芸というのは自分を豊かにすること以外に何の役にも立たないということです。人生の
達人は、人から尊敬されるためにパフォーマンスをする必要などまったくないのです。自分というものを最高に尊敬していれば、
それで十分なのです。


***


心配するというのは、あなたが自由でない証拠です。あなたが自由人ならば自分のメロディーで自分にあった踊りを踊るで
しょうし、人の評価など必要としないでしょう。

あなたが自由人で自分のメロディーにあわせて踊りを踊る人ならば、あなたは自分の自然の欲求にしたがって生き、自分の
生き方を無理やり型にはめたりはしないでしょう。だから自由人であるためには自由な創造力が必要なのです。


***


人がとうてい思いつかないようなことを考えてください。型にはまった考え方しかできない人たちには、とうてい思いつかないような
解決策を見つけ出してください。人がとうてい不可能だと思っていることをやってください。

自由というのは、人があなたに与えてくれるものではないのです。自由はあなたのなかにしかありません。やってできない
ことはないと、あなたが自分を信じたその瞬間に自由が生まれるのです。

自由人になるわざを身につければ、目標をかんたんに定めることが出来るようになります。しかも、その目標が実現しようが
しまいがどちらでもへいちゃらなのです。なぜなら自由人にとっては、そこへ至る道すじそのものが目標だからです。もちろん
途中で放棄してしまっては、自由人としての面子は丸つぶれかもしれませんが。


***


自由というのは偶然手に入るものではありません。いまここで頭をはたらかせてあなたの自由を磨いてください。
いまここで自由ならば、「明日はどうなるのだろう?」なんて考えたりしないこと。頭のなかが自由ならば、どこにいても自由になれるのです。

あなたの思考をコントロールする能力が増せば増すほど、あなたの自由も大きくなります。あなたの潜在意識に思考や
イメージをプログラムするときは、よく注意を払いましょう。そのときの合言葉はつねに「今日何が起ころうと、私はいつも自由で幸福」
というものです。

あなたの精神に自由が根付いていれば、いくら人から束縛されても、あなたの心のなかは自由です。これが自由人でいる
ための秘訣なのです。


***


人に勝って自分が優秀であることを証明してみせることはありません。あなたが自分で知っていれば十分です。

人生で大切なのは人よりすぐれていることではなく、自分の力でできるかぎりのことをすることです。ゲームに負けたなら
敗北から学べばよいのです。自己不信に陥ったり言い訳したりせずに、敗北から学ぶ。これこそが自分に勝つということです。


***



ずるがしこい人たちは愚か者どうしを戦わせて利益を得ています。これがゲームをたくみにあやつる彼らの戦略です。
かしこい人たちは人のために戦いませんから誰からも征服されることはありません。

戦いに勝ちたいという願望は、人を攻撃することからはじまります。しかし人を攻撃するということは自分を攻撃することに
ほかならないのです。

自分に対する攻撃は問題が解決できないおのれの不甲斐なさに対するいらだちからはじまります。自分の存在証明が
出来ない人は、他人を攻撃することでそれを得ようとするのです。

あなた自身と仲良くすること。自分の問題は自分で解決すること。人をおとしめて自分をもちあげたりしないこと。
これができれば、あなたは戦わずして人生に勝つことができます。


***


あなたは幸福を味わうことによって成熟を重ねますが、同時に不幸な体験によっても成熟は増していきます。
不運に見舞われたことがなければ、ほんとうに幸福になることはできません。不自由を重ねてようやく自由の境地にたどりつく
ことができるのです。だから一つ学んではまた次へという姿勢をなくしてはいけません。


「残された人生は自分の欲求と気持ちのおもむくままに生きて、人からあれこれ指図されるような関係は全部捨ててしまおう」

2/17/2008

本は同時に10冊読め!・成毛眞









本は同時に10冊読め!・成毛眞

最初にはっきり言っておこう。みんなと同じような家に住み、みんなと同じような店に行って同じものを食べ、みんなと同じ場所に旅行する人は、いつまでたっても「庶民」である。
「庶民的」なことしかしないから「庶民」になり、「庶民的」な生活しか送れなくなるのである。

成功とはイノベーション、つまる革新性のあることを実現できたときにはじめて成り立つものだ。他の人が思いつかないようなビジネスをして、他の人がマネできない生き方をしてこそ、自分の人生を生きているのではないか。

お金に縛られ、追われる人生を送るのか、知識という一生モノの財産を使って、残高など気にしないでいられるほど稼げる人間になるのか。お金とは、使い方次第で生き金にも死に金にも変わるものである。

みんなと同じ時間の使い方をしている人は「庶民」だ。

「庶民」から抜け出したいのなら、行列に並ばない、混雑している場所に行かない、この2点だけでも徹底するべきである。

水滸伝・岩波書店
積みすぎた箱舟
星を継ぐもの/JP・ホーガン
華麗なる一族
失敗の本質
ご冗談でしょう、ファインマンさん
タオ自然学
資本主義対資本主義
モーゼと一神教
ノアの洪水
利休・茶室の謎
黒死病
セーヌ左岸の恋
鷲は舞い降りた
深夜プラス1

2/16/2008

ボケる、グレッグ先生







ボケる、グレッグ先生

以下のことで人はボケる。

① メディアとの接触(テレビ、ラジオ、ゲームなど、音楽をきいている時)
② マッサージ、エステを受けている時
③ パソコンの画面を見ている時
④ 人と会わないのがつづく時
⑤ 人と話さないのがつづく時


ロックフェラー財団の医学部長グレッグ博士が46年3月にニューヨーク市のコロンビア大学医学部医学科の卒業式で行った講演。

グレッグ博士は、優秀とされる医学校の卒業生が社会に出て活動する過程で「身中の虫」として常に心せねばならない要素として「うぬぼれ」「地方人気質」「忘恩」をあげ、これらを病に見立てて「むかしなじみ症候群」と命名。世の中に出てからも「むかしなじみ症候群」には用心しろと警鐘を鳴らしている。

具体的には「うぬぼれ」とは、その字義のとおり、優秀とされる学校を卒業した者が抱きがちな自己満足感。自信過剰になる一方で育ちのよさ特有の「けだるい無気力」にもつながると述べている。

「地方人気質」とは、狭くて自分の立場に凝り固まる傾向で、コロンビア大学などの場合では「医者としてのそれ、ニューヨーク子としてのそれ、及びアメリカ人としてのそれ、というふうに三重のものとなっている」と痛烈に批判している。

都会育ちであろうが、井の中の蛙は狭い地方人気質にとりつかれているのだ。

「忘恩」とは、深く物事を考えずに何でも鵜呑みにすることから生じるようだ。

2/15/2008

仕事が活きる 男の風水・金寄 靖水











仕事が活きる 男の風水・金寄 靖水

氣が天地人の「感応術」というのはこうしたことができるからである。自分の運氣が上がるかどうかは、その人の行動や考え方によるのである。氣という波動エネルギーは、あらゆるものを繋いでいるのである。これまでは印象など心理に関わるものは経験則でしか語られなかった。音楽にしても色にしても形にしても、である。しかし、それらが皆、氣で繋がり、人に影響を与えるとしたら、非常に分かりやすいだろう。

危険にしてもチャンスにしても先んじることは大切である。皆が気づいた時では遅いのである。天の氣に先んじ、地の氣を使い、備えを作る。後はあなたの行動力と思慮で運氣をコントロールすればいいのである。

孫子の言葉や彼の行動のベースにあるのは、先を見通すことと冷静な状況判断である。これを怠ればいつでも危機に陥ると考えたのである。

風水が天地人の感応術というのは、氣というものを知ることで情報を先んじ、行動のために備え、そして行動を起こしてからの進退に役立てることができるものだからである。

運氣の良い時にはチャンスやきっかけに恵まれるが、それを生かす努力や前向きな気持ちがなければ生かすことはできない。前向きな気持ちというのは良い氣の流れを持つ。それは前向きに物事を考える、努力するということもそうだが、人への想いもそうなのである。嫌いな人がいる時は、氣は乱れている。だから氣のやり取りなどできるはずがないのである。氣が乱れれば感情に表れる。イライラしたり、腹が立ったりする原因は乱れた氣なのだ。

良い氣の流れを作り、氣を充実させ、活性化し、そこいるものの心身を良好に保つことが目的である。それが守ることにも攻めることにも不可欠なものだからである。

「氣」の流れや変化に対応するものが風水なのである。世界の変化はそのまま日本の変化に繋がる時代である。そのような変化の時代に対応することができなければ、企業の繁栄はない。繁栄がないどころか存立も危ぶまれる。事実、これまで考えられなかったことが、経済界では起こっている。
いかに変化に対応するか、そのための戦略が必要な時代なのである。

最近のメモ帳2/15









最近のメモ帳2/15

やや過激に言うなら、50歳からの人生はすでに自分のものではない、と思い切ってもいいくらいだと私は思っている。
自分のものではない、他者のものだ、と思い切ったときに、はじめて再び自分のものに戻るのである。
「私は毎日、何百回となく自分の精神や肉体が、すでに亡くなった人や生きている人々の労働によって支えられていることを思い返している。だから、私も同じように人々のために献身しなければならないのだ」
これは、20世紀最大の知の巨人、アルバート・アインシュタインの言葉だ。

物理的な遺書から精神的な遺書へ、それは教育であったり、文章であったり、絵であったり、言葉であったり、さまざまな形をとるだろうが、多分それらはいずれも文化的なものに違いない。


長く一つの会社、職業についていると、考え方が固定化し、融通がきかなくなります。そのために新しい組織になかなか適応できない。

「大馬鹿者と言われるような非常識性」ということになるかと思います。要するにどでかい非常識と思われる発想をする。そして実現のために綿密な計画をつくり、知恵を出して最後には実現してしまう。」

「よいことを思えば、よいことが来る。悪いことを思えば悪いことが来る」

定年になれば、相手が頼んで来てくれていくらの世界です。

うぬぼれは早く捨てるべきなのです。あなたの代わりはいくらでもいて、皆があなたの職を狙っていると考えるべきなのです。

勉強するということは自分の脳の効率をよくし、記憶を高め、情緒も豊かにすることになるのです。ですから年をとっても勉強し、能力を高めようとすることは自分の人生をより豊かにすることであり、それは自分のためになることです。



知識や学歴は、金銭的に評価されるための手段としての側面を強めてきました。逆言すれば、金にならなければ、知識には意味がない。

官僚や政治家が賄賂を受け取るのは、欲に目が眩んでの行為だと思われていますが、実はそれだけではないように、私は感じています。彼らは自分のしている仕事が重要であり、大切であることの証明として、多額の金が自分のところに渡らされるのを望んでいる、という気持ちがあるのではないでしょうか。

ちなみに、子供からはなれて自分が社会参加(復帰)したいという母親の対極にあるのが、子供と密着して、その子を「いい子・優等生」に育て上げることにすべての情熱を傾ける母親です。
しかし両者は実は同じものですね。というのは、前者は自分が積極的に社会から評価されたいと思っているのに対して、後者は子供を「いい子・優等生」に育てることで自分が母親として優秀であると社会的に評価されたいと望んでいるにすぎないからです。このどちらにも「子供自身のため」という視点が欠落しています。そしてそれだけではなくて、親自身の視点さえもなくて、ただ世間からどう見えるのかというおびえだけがある、という状況に陥っています。

彼らは家に閉じこもっているのがいやだったり、家事から逃げたいのでしょうか。本人はそう思っているかもしれませんが、実はもっと深い理由があるような気がしてなりません。
実はみんな、自分自身とほんとうに向き合うのが嫌だから、それから逃げるために働きに出たがっているのではないでしょうか。子供と向き合うということは、ごまかしようもなく自分自身を見つめ直すということです。

だから逆言すると、自分らしく生きている人間は、たとえその生き様が不器用でも、正直で真剣に生きているのであれば、子供はそのことを見て取るのです。太宰のケースのように。

だから子供には、誠心誠意、率直に接したいと思います。それは子供と友達のように接することではないし、子供に自分の期待をぶつけることでもありません。親が真剣に自分本位の行き方を模索することが、親自身、幸福になるための第一歩であり、そんな親の姿を見せてやれたなら、子供のために何よりの贈り物となるでしょう。

自分に出来ることを精一杯やる。虚しく思われても、滑稽に見えても、他人が評価してくれなくても、子供のために種を蒔き、子供の心に種を蒔くのが、親というものです。