7/04/2007
『虚構と瞑想からの超発想』山田久延彦
物凄い人がいたもんだ。その人の名は山田久延彦。とにかく、楽しい。
『虚構と瞑想からの超発想』山田久延彦
行きづまりに対する真の解決は、新たな発展のSeedsを見つけ出すことによって得られる、ということである。
これまでに考えられなかった新しい理想を作り出し、これまでに知り得なかった新たな可能性の世界を捜し出し、これまでに存在しなかった魅惑的な目標を掲げることである。
新たなものをつくりだすことは、このような理由によってそれ自体、社会正義なのである。
人はしばしば一芸に秀でること、すなわち専門領域を深く掘り下げることが善であると考えがちである。
ところが、このような人たちからは新しいものは生まれない。
深く深く掘り下げているつもりが決して深くなく、細かくいじくりまわしているだけなのである。
にも関わらず、この種の人びとは、自分たちが最先端を行なっているとごかいしている。
そして革新的な発想を、狭い視野の中からことごとく否定する。
専門馬鹿という現象は、単なる能力の欠如以外の何者でもないといういべきだろう。
“広い視界”が深い理解に必要不可欠である。
「疑問をもつことが重要だ。ただし度を越さないこと」。これが科学的な態度なのだそうだ。
だが、敢えていおう。「限度をわきまえるな」と。
現状のもっとも根本を逆転させよ。論理だけではない。感情や道義などからの違和感さえ克服しての逆転だ。
否定や抵抗は評価のしるしと考えよ。
「不条理な抵抗や否定にあうような発想の中から、真に価値ある発想を捜し求めよ。
みんなが良いということは、どうでもよいことである」
「閉塞状況下、すなわち行きづまり状態においては、従来の前提のもっとも基本的なところを否定せよ。部分的修正は状況をさらに悪化させる」
「たとえ空想でも、思考としてこの世に存在し得るものは、実現可能なことである」
―は、別な表現をすれば、
「人間の乏しい想像力で考えられることは、せいぜい実現可能なものだけである」ということであった。
ハイポロジストは誤解される。孤独だ。みじめな存在でさえある。
それを承知でハイポロジストになりたい人のために、十の条件を記そう。
●ハイポロジストのための十カ条
1 空想であれ願望であれ、考えとして存在するものは、すべて実現可能なことである。
〔ハイポロジクスの原理〕
2 新たなものをつくり出すことは、それ自体、社会正義である。これを否定する者は、正義の名のもとに排除されなければならない。
〔変革(Break Through)の原則〕
3 単一専門領域をいくら深く掘り下げても、新しいものは生まれない。広い視界が、深い理解と新しい発想には不可欠である。
〔超視界(Hyper Vision)の原則〕
4 社会の不条理な抵抗や否定にあうような発想の中から、真に価値ある発想を探し求めよ。みんなが良いということは、どうでもよいことである。
〔反撃(Counterattack)の原則〕
5 行きづまり状況下には、従来の論理のもっとも基本的なところを否定せよ。修正主義は状況をさらに悪化させる。
6 発想は長い間寝かせよ。短期間で成果を得ようと思うな。本を読む前、データをとる前に思考せよ。
7 パイオニアは、その良き理解者とペアで一人前である。
8 高次元の問題を扱うときほど、人間は低次元の感情にかかずらう可能性が大きいと心得よ。
9 実力以上に自分の可能性を信じ、能力以上の問題に挑戦せよ。大風呂敷を広げよ。
10 技術者にとって技術的主張は、個人の思想、信条であり、基本的人権と不可分のものである。誰からも拘束される必要はない。
創造力というのは、能力というよりも執念といった方が適切である。
この執念において、日本人は、本質的に決して諸外国の人びとに劣るものではない。
ただ現在のところ、理解力型秀才が社会の重要なポジションを占めているため、どちらかというと日本は、基本的な問題において欧米より創造力に乏しいような印象を与えているにすぎないのである。
しかし、創造力型天才がそのポジションに入れかわった場合、日本の創造力たるや、世界のどの国の追随をも許さないほどのものになるはずである。日本の創造性が乏しいといわれる所以は、国民性にあるのではなく、社会体制の中にあると私は考えている。
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