7/05/2007
こころの処方箋/河合隼雄
『こころの処方箋/河合隼雄』
日本人としての自覚が国際性を高める。
国際的とやらで根無し草のようにふらふらするよりも、自分の根を深く深く追求することによって、他と交わることを考えるべきであろう。
人生には時に「100点以外はダメなときがある」ことを知る必要がある。
人生にも、ここぞというときがある。
そのときに準備も十分にせず、覚悟もきめずに臨むのは、まったく馬鹿げている。
アメリカでは烈しく相手を攻撃する代りに、相手の言い分も十分に聞こうとする態度がある。
自分の生き方と父親(あるいは、母親)の生き方とを比較してみると、びっくりするほど同じことをしているか、正反対のことをしているか、に気づく人が多いのではなかろうか。
男女は協力し合えても理解し合うことは難しい。
協力し合っているときは、相手のことなど深くは考えず、ともかく目標に向かって前進する。
そのとき、自分が喜んでいるときに相手の方はそれを支える苦労で半泣きになっていたりしても気がつかない。
ところが、目標を達成してしまって、やれやれと思って、二人が向き合ってみると、お互いのことを本当に知らないままで来たことに思いあたる。
男女が理解し合うことは実に大変なこと。
イマジネーションこそ、人間の「精神」のはたらきそのものではないだろうか。
目先を照らす役に立っている灯―それは他人から与えられたものであることが多い―を、敢て消してしまい、闇のなかに目をこらして遠い目標を見出そうとする勇気は、誰にとっても、人生のどこかで必要なことと言っていいのではなかろうか。
孤独に耐える力のある人は、団子のようにひとつにかたまる人間関係ではなく、権力のある者とない者との区別を明らかにしつつ、人間としては適切な関係を維持することができるはずである。
それに、ときとして権力を棄てる経験をもつようにすると、ますます人間関係は洗練されてくるだろう。
まず自分がどれだけの権力を持っているかをはっきりと意識し、それに見合うだけの孤独に耐える強さを持っているかを考えてみる方が意味が深い。
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