7/18/2007
洗脳力・苫米地英人
「洗脳力・苫米地英人」はあまり気違いだ。すごいよ、この先生。
「我欲を満たすこと=夢を叶えること=幸せになること」という、これまたレベルの低い論理に脳全体が侵され、思考停止に陥っているとしか思えません。
大人になってから無意識に下す判断の8割から9割が親の物真似である。
「自己実現」とか「なりたい自分になる」なんていうのが、他人から見るといかにみっともないか。早く気付くべきです。
イメージのなかの仮想現実こそが私たちが認識している世界である以上、この仮想現実を揺るがすことで現実世界を揺るがすことができるのです。
残念なことに地球上では多くの人が戦争に明け暮れ、戦争をし、差別をし、自分の欲のためだけに行動しています。しかも、自分のことだけ考えている多くの人が、じつは他人に洗脳され、操られています。「自己実現」とか「成功」とか、当たりの良い言葉に酔いしれて、喜んで奴隷に成り下がり、安全なところでぬくぬくと命令だけしている連中にために嬉々として戦場の最前線に身を置いているのです。
それは、「我欲=煩悩が強すぎる」からです。我欲に自分自身が縛られていて、そこから抜け出せず、本来は自分がコントロールしなければいけないはずの我欲に、すっかりコントロールされてしまっているからです。
逆に言うと、我欲をコントロールできれば、もっとレベルの高い夢を持つことが出来、それを実現することが出来るわけです。
私たちは「止観」をして抽象度を上げる思考をすることで、すでに悟っているのと同じことになり、抽象度の高い夢を抱いて突き進むことで、大いなる夢を実現しているのと同じなのです。
「止観」とは、瞑想でもあります。心の動きを止めて自分自身を見つめる作業、これは即ち瞑想です。煩悩を止めていろいろな宇宙を瞑想で体験する。自分とは、自分と自分以外のすべての関係のゲシュタルトですから、自分を見つめるというのは、宇宙を見つめることでもあります。これが「止観」の基本です。
では、瞑想とは何か。
瞑想とは端的に言えば、「抽象度の高い空間を五感を使ってリアルに感じること」を言います。抽象度の高い空間ですから、この世の出来事によって惑わされるような雑念はここにはありません。「今日のご飯は何を食べようか」「次のボーナスはいくらもらえるのか」といった思考は雑念です。
ですが、瞑想はこの世の雑念よりも高い抽象空間をリアルに体感して、そこに生活してしまうことです。
人間は抽象度の高い思考をリアルに感じることで大いなる快感を得ることができます。それは人間の脳がそれを可能にする構造をもっているからです。
仮想世界をリアルに感じることで楽しさ、気持ちよさを体感するということの一例です。こうした思考練習を日頃からしておくと、抽象度の高い思考が楽にできるようになるのです。しかも、リアルに体感できるようになれば、この思考がどんどんと快感につながっていきますから、楽しくて仕方がなくなっていきます。
大きな夢とは抽象度の高い夢です。夢の抽象度を高めていくと、自然に自分という殻から離れていきます。だからこそ、多くの人にできるだけ大きな夢をもってほしいのです。自分やその周りしか幸せになれないちっぽけな夢、生命維持や子孫を残すことなどの本能的欲求を人間としてのIQで乗り越えて、大きな夢を抱いてください。
大きな夢をもった人たちが世の中をデザインし、みんなの夢がひとつになったとき、そこには本当にみんなが幸せになれる世界が生まれていることでしょう。
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