7/23/2007
土井利忠さん
土井 利忠さんって知ってるかな?ソニーの発明家。上層部の人?。天外伺郎というペンネームで面白本たくさん書いてる。瞑想とか、その手のことが中心なのでオカルトみたいに言われているけど、私は結構好きな人で尊敬してるんだな、これが。その土井さんが日経新聞のインタビューに答えたのを以下に。2005年の5月中旬(具体的な日忘れました、すみません)の記事から。
「米国の大学の礼賛論には全く賛成できません。米国の大学は、教授がベンチャー企業の経営者のようになって研究資金を集めなければならない。カネを集められる教授が研究者をたくさん抱えてどんどんのし上がっていく仕組みです。本来の研究とは関係のない競争が展開されているわけです」
「とにかくすさまじい勢いで競争をさせるので、他の研究者の成果を盗んでしまうという話もよく聞きます。油断もすきもない世界です」
――米国で盛んな産学連携を日本の大学はお手本にしようとしています。
「そうしたモデルを日本に持ち込むことには反対です。大学の本来の使命は、すぐには商売にはならないが、本当に先端的な研究をきちんとやることです。企業から研究資金を得られるのは、企業が考えている少しだけ先のことをやっているにすぎなないからです。大学が企業の出先のようになってしまうのでは世も末だという気がします」
――日本の大学は今のままでいいということですか。
「改善すべき点はあります。研究者としての能力がない人物でも、教授としてやっていける仕組みになっているのは由々しきことです。前時代的な親分子分の関係が残っており、研究に何も貢献していない教授が論文に名前だけ連ねたりする。能力を欠く教授には退場願う。だからといって米国式の競争モデルを無批判に取り入れるのは能がない」
「すでにベンチャーなどの企業活動では米国モデルの問題点が露呈していると考えます。
若くして巨万の富を築く起業家がもてはやされました。私は商売柄そうした人々をたくさんみてきましたが、後で消息を聞くと、うつ病になって苦しんだりしている人が多いのです。」
「自我の発達で、常に戦っていないと安定しないレベルを後期自我といいます。このレベルの人は戦う対象がなくなると燃え尽き症候群のようになるのが特徴です。米国に多いパターンです。日本の社会は、まだ依存心の残っている中期自我の人も多いのですが、逆にもう戦わなくても精神が安定している成熟した自我の比率も高く、全体としては米国の社会より進んでいると考えています。したがって、その遅れている米国のやり方を理想郷のように考えて追随するのはやめにした方がいいと思います」
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