10/11/2007
禅的生活のすすめ・ティク・ナット・ハン
「禅的生活のすすめ・ティク・ナット・ハン」
他人の好ましくない言動を目にすると、私たちはすぐ不快になります。
特に自分の子供に対しては、いっそう敏感になるでしょう。
その時に理解と哀れみが充分でないと、私たちはつい相手の言動に刺激され、自分の中の苛立ちの種を発芽させてしまいます。
その結果、身体的な暴力や精神的な暴力を振るいかねません。
誰かに腹を立てているとき、人はその誰かを教え論せる状態ではありません。
そういうとき、どんな言動も慎むべきです。
どうか、自分が今苦しんでいるからといって、他人にひどい言葉を吐いたり、仕返ししたり、罰したり出来ると思わないで下さい。
そういうときも、自分の中の苦しみを受け入れる事によって、あなたは人を助ける事が出来るのです。
そういうときには自分の仏性を思い出すための瞑想を行ってください。
息を吸って、自分の未来の目覚めの力、穏やかさと哀れみをもてる能力を、もう一度深く信頼してください。
平和活動に従事する人は、強く、しっかりしていなければならないと同時に、心底から安らかでなくてはなりません。
平和活動には内面の安定が不可欠です。
自分自身に気付けなければ、人を助けることなど出来ません。
自分自身の悲しみや絶望、又は自分自身の内面の葛藤から逃れる為に、人を助けようとしてはなりません。
自分の内面が本当に穏やかで安定していない限り、いくら努力しても人の助けにはならないでしょう。私たちは先ず自分に対して気づきを実践し、自分に対して哀れみを深めなければなりません。そうすれば自分の中に平和と調和が生まれ、社会の変革にも役立てるようになります。
簡素な暮らしの実践には多くの利点があります。
必死に物を所有しようとしなくなれば、もう多くのお金は必要ありません。
したがって、それほど働かなくてもすむようになります。
そうなれば、有意義なことや楽しいことに多くの時間を費やせます。
これを見事に表した孔子の言葉があります。
「何処で充分となるかを知っていれば、おのずと充分となる。しかし充分になるまで待っていれば、決して充分にならない。」
「陛下、僧はほとんど自分のものを持ちません。ですから所有物を失ったり盗まれたりすることに対する恐怖がいっさいありません。森の中に独りでいても、木下でくつろぎながら安心して眠れます。恐怖から開放されているということは大きな幸せです。僧は富や名声を追い求めません。必要なものしか使わず、欲望とは無縁のままです。こうした何の心配もない安らかな状態で暮らせることは大きな幸せです。それが精神修養のもう一つの成果です。それはこの場でこの瞬間にも味わえます。」
私たちの社会は、名声や富や物質や快楽主義への願望に支配されてきました。
その結果、多くの人が精神的伝統や家族を切り捨ててしまいました。
権力やセックスや財産を追い求めることにしか喜びが見出せないと信じていたら、健全な家族などもてるわけがなく、意思の疎通も望めません。
幸せはモノを消費することからは生まれません。
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