黒井千次(7/26/2007日経夕刊)
老いは自分の内側から訪れると言うより、他人によってある日突然もたらされるという面があります。
自分は結構若いし、何でもできると思っていたのに段々身体が付いていかなくなる。少しずつ自分で老いに気付くということは確かにある。
でも、それ以上にショックが大きいのは、全然意識していないことを他人から言われたときでしょう。
放っておくと、人は自分が年を取ったとは本気で思いたくないのかもしれない。
生涯青春ということがさかんにいわれます。そうなると人生の終盤に近い老人の老人らしい生き方というのはなくなる。時代は理想的な老人像がない時代なのです。
世の中全体がそれを求めていない。老いは否定的なイメージでしか語られない。しかし、老いたからこそ手に入れることができる何か、老いの果実があるではないか。それを意識しないまま最期まで行っちゃうのはちょっと寂しい。
時代の変化に調和できない方が老人として自然です。変化に上手に適応している人の中にはありようもない貴重なものが、時代に取り残された人の中にはある。みんなが一斉に走っている時に、そうじゃないだろってブツブツ言いながら歩いている人間を書きたい。
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