上田紀行「生きる意味」岩波新書より。
私達が求める「強さ」とは、もっと包容力のある強さである。
大人の成熟した強さ、それは自分の強さも弱さも知った、もっとしなやかな余裕のある強さであろう。
そして、不安と恐れから行動を発する生き方ではなく、自分自身と社会への信頼に満ちたおおらかな生き方であろう。
人間の「生きる」意味は学歴やテストの点で決まるわけではない。
周りからは成功者と思われていても、本人的にはあまり面白い人生を生きてないと思っていることはよくある。
それは人生に「創造性」がないからだ。
小さい時からずっと「いい子」をやる続ける。「どうやったら儲かるか。」をやり続ける。
その事に成功し、周囲からは何一つ不自由していないと見られても、自分の人生に「内的成長」や「創造性」を欠いてしまっていれば、私たちはどこか空しさを感じ、「これでいいのか?」と自問してしまうのだ。
私たちの社会はもはや物質的には十分豊かだ。いま真に求められているのは、生きることの創造性、「内的成長」の豊かさなのである。
[ワクワクすること」「生きてる!という感覚」は、私たちの「生きる意味」の中核である。
それはまさに「生命の輝き」を実感する一瞬であり、私たちが自分自身の「生きる意味」の創造者となる一瞬である。
そしてそれは私たちと世界がどのような「愛」でつながっているのかを実感する瞬間でもある。
私たちが苦悩している時、困り果てている時、その苦しみの声を聞いてもらった体験は、確実に自分自身と世界への信頼を深めるものだ。
世界は私の声を聴いてくれるという実感を持つ人は、その世界を破壊しようとは思わない。
自分の苦しみ、弱さを深く受けとめてもらった経験を持っている人は、人を傷つけたりしたいと思わない。
「いい子」の若者が突然キレて人を傷つけるのは、「いい子」を演じ演じさせられる関係の中で、自分の苦しみの声が聞き逃されてきたからであり、それは決して突然の出来事ではない。
表面の体裁を整えることばかりで、私たちの深い苦しみが受けとめられない社会は、むしろ暴力が噴出する社会となる。
表面上が妙に明るいだけの社会は、裏に大きな闇を抱え込む。
一見ネガティブな声を表現してもいい社会、そしてそれが聞き届けられる社会こそが、信頼を醸成する社会なのだ。
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