久石譲 感動をつくれますか?
創造力で大きな仕事をしている人たちは予定調和を嫌う。
「作曲家として最もプライオリティを置いていることは何ですか?」と問われたら、僕は迷わず「とにかく曲を書き続けること」と答える。
仕事は”点”でなく”線”だ。集中して物事を考え、創作する作業を、次へ次へとコンスタントに続けられるかどうか。それができるから、作曲家です、小説家です、映画監督ですと名乗って生きていける。
優れたプロとは、継続して自分の表現をしていける人のことである。
一流とは、ハイレベルの力を毎回発揮できることだ。
確実にたくさんの曲を作り続けていくことは、気分の波に流されない、という意識が僕には強くある。
結局、いかに多くのものを観て、聴いて、読んでいるかだ大切だということだ。創造力の源にある感性、その土台になっているのは自分の中の知識や経験の蓄積だ。そのストックを、その絶対量を増やしていくことが、自分のキャパシティ(受容力)を広げることにつながる。
ドラマのストーリーも音楽のメロディも、通俗的すぎるくらいのほうがインパクトが強いことがある。つくり手がへんに気取っているようなものは、人間味が感じられず結構つまらないものになりやすい。あざとくても、下世話でも、そういうものが求められているのならば、堂々とやりきってしまうほうがよい。
楽な人生などない。みんな何かしら人知れず苦労しているものだ。だから自分から進んで苦労する必要はない。苦労自慢をする人には、自分を冷静に見つめる第三の脳、客観視能力がない。ひいては、知性が感じられない。
普通の苦労は人間の幅を広げることにはならない。幅を広げたかったら、知性を磨くことと本当の修羅場をくぐりぬけることである。
才能豊かな人は劇薬みたいなものだ。プラスの影響力も強いが、毒もある。間違えて服用したら死ぬ。そういう人たちと互角に与していくにはそれ相当の覚悟が要る。専門的な能力が試されるだけではない。強靭な精神力が問われる。
ものをつくる人間に必要なのは、自分の作品に対してのこだわり、独善に陥らないバランス感覚、そしてタフな精神力、この三つだと思っている。どれが欠けてもうまくいかない。
音を出すことで何を伝えたいのか。音楽をやることで表現しなければならないのは、そこだ。ところが、技術的なところで自分の立派を追い求め、そこに価値を置いているだけだと、どんなにうまくても、音楽にはならない。ピッチやリズムではない。
「トップの地位に登りつめたことのある人間は、根本的に何かが変わる」
僕は、一等賞を取ることが人間としての目的だとは考えないし、勝ち負けの結果や人の序列といったものにも意義を感じてはいない。むしろ、そんなものは人間の本質とは関係ないと思っている。だが、結果としてトップを取るだけの力を持った人は、精神的に誰よりも強さを身につけているということは歴然たる事実だと思う。他者との戦いに勝てる力のある人は、自分の身にふりかかる難題やさまざまな誘惑も克服していけるだろう。今日のように行く先を見据えにくい時代には、そういう強さを持つことが有益なのではないだろうか。
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