親より稼ぐネオニート・今一生
受験勉強や集団生活は、ガマン比べに強い奴が勝ち上がっていく。
だが、「どうせガマンするなら自分のしたいことを実現させるためにガマンしたい」と望むほうが精神的に健康な考えであり、実際に発揮できるはずだ。「みんなと同じ」人生を踏み外す不安に負けて、周囲の望む通りに生きて後悔しても、親も友人も恋人も誰もあなたの人生に責任なんてとってくれない。だから、やりたいことがハッキリとあるときは、みんなの輪から離れても自分が納得できるまでやってみるしかないのだ。
「親が子供に教育すべきことは自分一人で食べる技術を身につけさせることだ」と痛感した。
親は子供に学歴を与えることに躍起になるよりも、自力で稼いでいる姿を見せたほうが、子供にとっては自分が生きている社会がどんなものかがわかる。家庭や学校における教育ではまだまだ学歴信仰が根強い。だが、そこから一歩でも早く目覚めて自力で稼げる技術を磨かせることが、楽しく稼ぐ子=働くのが好きな子に育てる第一歩なのだ。
会社に雇われるより自営したほうが儲けられるなら、雇われる必要などない。資本主義社会では自営で暮らす自信のない若者は学歴にすがって待遇の良い企業への入社を目指す。だが、職業能力や実績に自信のある人は早々と独立する。つまり正規雇用は本来、自営業を安定させることに自信のない弱者の選択にすぎないのだ。
「(下流層は)コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低いのである。その結果として所得が上がらず、未婚のままである確率の高い。そして彼らの中には、だらだら歩き、だらだら生きている者も少なくない。その方が楽だからだ。」
衣食住がいつもあるのを当然と感じ、趣味や遊びにも満足なお金をかけて育てられた世代の子供たちにとっては、わざわざ苦役である労働に自分の時間や体を投げ出さなければいけない理由がピンと来ない。自分の趣味に時間とお金を使うことで、その趣味と向き合っているときの自分が自分らしいと感じてしまった世代にとっては、自分らしさから離れることは自尊心を奪われるのと同じであり、「酸欠」状態だからだ。
ファッション雑誌やテレビ番組でよく報じられるように、流行の服を着ることや毎年水着を買い換えることがおしゃれの基本だろうと、そんな「みんなと同じ」ことにお金を支払うよりも自分らしい趣味にお金を出すほうが楽だから、暮らしぶりは放っておくと自堕落になりがちだ。
その「自分らしい人生」がテレビゲーム三昧の日々だろうと、低収入のために家の外で友人と交際する機会を減らすしかない人生だろうと、「世間様には及ばないが、マイペースの人生で良いじゃないか」と思うことで自尊心を保つしかない。
現実での職場の人間関係は、学校で嫌いな人を無視してやり過ごすようなポーカーフェイスでは立ち行かないし、自分の仕事ぶりは常に同期の人たちと比べられる。
人と競争しながら自分の能力を磨くことに既に疲れきっていたり、人と争いながらも妥協点を探って絆を深めていけるようなコミュニケーション・スキル(交際能力)を鍛えるにも及び腰で、毎日同じ会社に通勤する規則正しい生活を維持する体力も根性も欠如しているという一群が、「エヴァ世代」の若者には珍しくないからだ。
プロは自分の高度な技術を取引先の企業に高く売るために、ギャラの額面を吊り上げていくことに腐心する。その結果、「IT弱者」には払えない額面になってしまうからだ。
そこにこそ、職にあぶれたニートたちが「自分にとって難なくできるレベルのもの」を発見する余地が生まれる。自分ひとりが食っていける程度の労働市場は自力で作れるのだ。誰もやらないことほど独占市場を作れるチャンスなのだから。
ネオニートは、世間体より自分の基準を優先してきた。世間体なんか気にして「普通並み」の暮らしを求めても、自分には無理そうだからあきらめ、不労所得→自営の道を歩いてきたのだ。その経緯を忘れずに、収入能力が同世代のサラリーマンの平均年収以上になった時点で世間に合わせた消費スタイルに変えていく必要がある。
自分が好きな古着を着て路上で歌っていたインディーズ・ミュージシャンも、メジャー・デビューしたらプロのスタイリストにお金を払って、自分の個性をもっと魅力的に見せる眼をあつらえてデビュー・アルバムのジャケット写真を撮影する。それが、「メジャー」に上るだけの商品価値があることを世間に証明する通過儀礼だからだ。
このように、自分が世間からプロとして認められるには、自分のできないことのできるプロにお金を払って自分を磨きながら、いろんなプロたちの輪に入って自分の存在を訴えていくことが求められる。収入能力や資産の増大に伴うべき変化は、消費スタイルだけではない。儲けの大きさに応じて会社法人化したり、せめて確定申告するなどの税申告の明瞭化を図ったり、IT関連だけでなく、IT以前のマスメディアとの連動を図って世間から認められるように振舞っていかないと、時代の変化で市場が頭打ちになったり、ライバルの追従を許してしまう。
人前に出る機会が増えればそれなりの服を買う必要が出てくるし、「安い定食屋の味しか知らない」というわけにはいかなくなる。だが、それこそが世間に合わせるということなのだ。そのように世間に受け入れられるように振舞えば、自分自身が社会的に存在価値が高いことを自他共に認められ、自分の仕事ぶりにもっと確かな自信を持つことができるようになり、新たに労働意欲が補填されるというわけだ。
稼ぐ速度はその人の自分の人生に対する責任感(自尊心)によってまちまちだ。
個人資産が莫大になれば、なるだけ広く社会(それも多数の弱者)に還元していく。このあり方は、不断の拡大再生産を余儀なくされる資本主義の最終形態(解脱)だ。だから、個人では使い切れないほどの資産ができれば、労働者から引退してもボランティアで社会に役立つために動くことだ。それが本物の成功者たちの人生といえる。
下流層は、物欲も性欲も食欲も弱い。人と競争せず自分らしく暮らせれば満足。
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