8/03/2007

フューチャリスト宣言・梅田望夫&茂木健一郎



フューチャリスト宣言・梅田望夫&茂木健一郎

本屋に平積みになっていた春に読んで、以下の内容ピックアップ。

梅田さんは理想論者だね。でも、勉強になった。





インターネットの成り立ちのところに、利他性というかボランティア精神的なものがかかわっている。インターネットという素晴らしいものが毎日動いている裏には、いろんな人のただ働きがある、無償の奉仕をしている人がいる。

シリコンバレーのルーツは、フロンティア精神、テクノロジー志向、反権威、反中央、反体制、それからヒッピー文化、カウンター・カルチャーというか、そのへんの組み合わせですね。
日本にも反体制、ヒッピーっぽい人はいますが、その人たちは往々にして技術を持ってない。しかも、うらめしそうな視点(ルサンチマン)を世界に対してもっている。意欲でも権威の側に負けていることが多い。でもアメリカには全然違うタイプがいますよね。

要するに自分一人の能力がテクノロジーによって増幅されなければ、必ず権威に負けるわけですね。権威と闘う道具としてのテクノロジーということです。

コンサバティブなことを言うほうが最後は負けるだろう、そのくらい世の中が進歩することが経験的にわかっている。コンサバティブなことを言うほうが陳腐化するだろうなという、逆の常識がある。だから僕なんかも、たとえばブログやウィキペディアを見て、「wisdom of crowds/群集の叡智」だとか「総表現社会の到来」だとか言うのは、そういう逆の常識に導かれているんですね。

今の日本社会は、新しく生まれた大きな存在に対して、「気に入らない」と言っていると何とかなってくれるんじゃないかと思っている。もう後戻りできないほど強力な力が働いているのだから、そのことを前提にどうやっていくか、という議論を本当はしないといけない。
どんなものでも、新しく出てきたものは毒性が強い。

自分の肩書きに頼ってモノをいう奴は本当にダメで、肩書きはいらない。ブログが一個あれば良い。ネットでのプレゼンスをどれだけ高めていけるかという、その戦略というのは大事なんですね。

ネットは絶対に有料にしちゃいけないんです。無料にしてそれで広告が入るかといったら、先進国でまともな生活ができるほどは普通に入らない。一方、リアルというのは不自由だからこそ、お金を使って自由を求めます。だから永久にリアルの世界でお金が圧倒的に回る。この二つの世界での生計の立て方とか、それから知的満足のしかたとか、いろいろ組み合わせて戦略的に考えていく必要があります。

個人が組織に属しているという考えはもう古い。勤務規定とかがあるとして、人事の人たちの顔をつぶしてはいけないから、積極的に反逆することはしないほうがいい。でもそんなことで自分の行為をがんじがらめに縛ったら、これからのネット時代に輝けない。組織と個人の関係をうまくやらなければ日本は活性化しない。組織が大事だと言うならば、シリコンバレーとは違う、日本的な表現があっても良いのです。七割は会社なんだけど三割は個人、そんな考え方もアリだと僕は思っている。

談合社会の中に入って仲間になれという圧力が、日本社会のありとあらゆるところでとても強い。

「可能無限」という概念があります。もともと数学用語で、自然数を1,2、....と数えていった時に、どんな大きな数(n)を考えてみても、さらに大きな数(n+1)を、可能性としてどこまでも提示できるということ。可能無限は、「もう一つ増やす余地がある。」という意味での「空白」によって常に支えられている。他方、実無限(本当の無限)というものは、実際に我々が扱うことはできない。私たちは実無限を決して知りえないし、人生において手に入れることもできません。人間に与えられた時間には限りがある。にもかかわらず、若者が「また次の日がある」と思い続けられるのは、じつはそれは可能性としての無限に過ぎないにもかかわらず、実無限であるかのように感じることができるからです。ただ、そのことの効用は大きい。ネット上はまさに可能無限の宝庫で、それはリンクをどこまでもたどっていくことができるから、実無限は手に入れられないけれど、ネット上ではまさにフリーで、ドンドン歩みを進めることができる、可能無限が実現している。

警戒心を解くというのが、ネットで生きるための大切な知恵だと思います。僕はいろんな情報をネット上で公開していますが、そういうことができない人って、やはり警戒心がある。著作権フリーでおいておくと、悪用されてしまうんじゃないかと。でも、コミュニケーションを阻む最大のものは警戒心ですよね。あるいは、免疫作用というか。自分を守ろうとする気持ち。そういうものを取り払ってオープンにしていかないと。

世の中で求められているのは、創造性とコミュニケーションなんですよ。

僕のプロフェッショナルの定義は簡単です。お金をもらっていることじゃなんです。お金をもらっていても、仕事を楽しんでいなければプロじゃないんです。プロフェッショナルの定義というのは、自分のやっていることに快楽を感じる人。しかも、生物学的に単純な快感じゃつまらない。そうではなく、仕事とか勉強とかをいくらやぅっても飽きない人。

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