9/16/2007

無双原理・易/桜沢如一


無双原理・易 「マクロビオティック」の原点 桜沢如一





桜沢先生は自律神経の働きをとりわけ重視し、その中枢である間脳の強化法として、食を正すことに加え、幼児期から寒さ、ひもじさを、できるだけ多く体験させることを強調していました。今でこそ、自律神経の働きが免疫力を高めることが明らかになりつつありますが、先生は50年近くも前に、「自律神経のバランスがとれていれば、病気は絶対しない」と断言されています。





つまり、あらゆる環境のエッセンスとしての食を正すことによって、人間の意識を変えることができる。そして、その理論的な根拠として無双原理を示し、後世の人々に人類普遍の指導原理としてその応用・実践を託したのだと思います。





では、東西両文明を統合し、21世紀にふさわしい精神文明を構築するために、日本人に託された課題とは何でしょうか?





最終的に何が国家の命運を決定するかといえば、私は人間の資質だと思います。現在の文明国と呼ばれている国々、それは西洋型の先進国ですが、それらの国の人々の資質はどうでしょうか?米国や日本の現状を見ても明らかなように、決して人間性が高いとはいえず、私にはその大きな原因が、食と教育にあるように思われてなりません。自由主義経済を導入している中国も、戦後の日本と同じように徐々に内部崩壊を起こしつつあるように見えるのは、私だけではないでしょう。





それに、私は従来の「日本人」というような狭い観念の殻を抜け出したいのである。私は、全世界を私の故郷とし、すべての民族を真実の同胞と感じる。それこそ、日本人のいわゆる「忠道」の極致である、と言う人があるかもしれない。しかし、私にはそんな大げさな考えがあるのではなく、感傷的な少年時代、西洋崇拝やら自然主義文芸に感化を受けたうえに、東洋の古代思想の自由な広大無辺さに呼吸することを覚えたばかりに、日本という島に容れられるにはあまりに放埓な思想をもつに至ったからなのだろうと思う。



われわれは、不自然な状態をつくり出すためにこそ積極的な努力が必要なのであって、自然に返るためには単に不自然な生活をやめさえすればよいのである。

その努力は実に消極的なもので、単に惰力をコントロールすれば足りるのである。





すなわち、人間は自然の征服を喜び、不自然な快楽の欲望にかられてとどまることを知らず、日に日に新しい不自然をつくり出しているのに対して、人間以外の生物は自然環境に絶対的適応を試み、それに成功している。

ここに、陰陽呼吸という、極めて自然で独特な天地調和の生命現象を、特別な努力によって修業的に試みなければならない人間と、自然に楽しく、何ら特別な修行なしに行い、それによって日々の生活を営んでいる人間以外の生物との違いが生まれてくるのではないだろうか。





いわゆる経済的な行為や実用的なもの、便利なものが必ずしもわれわれに幸福をもたらすとは限らない。

自国の工業のみを偏重して、農産物を外国からの供給にゆだねておくことは、確かに経済的であるかもしれないが、身土不二の原則をやぶる罪は、必ずや国民全体の心身の異常となって現れる。





正しい意味においては、西洋に文明はなく、東洋に物質文明がない。二十世紀以後の人類の文明は、この東西文明を綜合したものでなくてはならない。





物質文明は必ず亡びる。それは陽性過多で斃れる。精神の陰がないからである。これは人類滅亡の歴史を見れば明らかである。

すべての文明は物質文明に圧迫されるが、やがては物質文明を分解し吸収してしまう。

個人においても同様で、陽性の人は華やかな生活をするが、忽然としてそれを終えたり、悲惨な最期を遂げたりする。陰性の人は長く地味な生活を続ける。

やがて時を経て大成し、あるいは平和な終わりを全うし、あるいは偉大な仕事を成就する。








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