10/15/2007
色川武大/阿佐田哲也
色川武大の一連のエッセイを読みまくっている。そこで、ふと昔読んだ佐藤愛子のエッセイで彼女が色川さんを理想のタイプと書いていて、鮮明に覚えているので以下に記す。
色川さんはそういう点で私の理想のタイプだった。ザンバラ髪の、「首実検の首」といった風貌だったが、いつも穏やかな、実に大きな人だった。
女にもてることとか、損得とか、えらくなりたいとか、人に好かれたいとか、カッコよく見られたいとか、およそ卑しい野心というものがなかった。ということは時流に妥協することも流されることもなかったということである。それゆえに色川さんは自由だった。
自由をしっかりと身体の奥に止めている男の魅力が色川さんにはあった。
頭のいい男、おしゃれの上手な男、物腰のスマートな男、優しい気配りの男・・・・・・・そういう男たちは増えている。
無芸大食大睡眠 阿佐田哲也
なにしろ私自身五十の坂を越すと、遊び仲間が櫛の歯のように欠けていく。
友人は、欠けたからといって、総入れ歯のように補塡するわけにはいかない。
テレビに向かない芸がある。ご家庭向きでない芸もある。凄い芸の持主だったり、ユニークな才があっても、ブラウン管にはまらない孤高の芸がある。演芸界ばかりに限らないが、こういう人たちはどうしてもマイナーな職場しかなくて、だんだんクサってしまう例が多い。
ヌード劇場ではハマるけれども、大劇場やテレビには生かしにくい。玄人の間ではよく知られ、一目おく存在だったが、一般的にはマイナーのヴォードビリアンという域に止まった。
とにかく彼の創ったギャグを、彼が演ずるとマイナー芸になり、他のタレントが演じた方がずっと受ける、と皮肉なことになったのである。だから、ずいぶんいろいろなコメディアンが、彼のギャグを貰って演じている。泉和助としては、それらのギャグが受ければ受けるほど、心が晴れなかっただろう。
林家三平が、邪道から出て邪道を持ちこたえるのに、いかにも苦しげだった。彼はふんばりとおして壮烈な一生を終えたが、のん気そうに見えるのはうわべだけなのである。
枝雀がそうなるかどうかわからない。
中学の生存競争に、敗戦意識や挫折感を持った者たちなのであろうが、そういうひとつの黒星が、人生を決するものと限らないことを彼等に教えてやりたい。人生にはたくさんの試合があって、勝星や負星が無限に続く。ギャンブルで、小さな勝ちや負けを経験しながら、一方で通産打率をよくしていく気力を持ち、一方ではまた負けの味をかみしめていくうちに、自分以外の者の勝ち負けについても配慮が沸いてくる。すくなくとも私はギャンブルからそういうものを教わった。
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