10/18/2007
Jポップの心象風景
「Jポップの心象風景by烏賀陽弘道」
「うたや歌い手・演奏者が聴き手に与える情報」とは、必ずしもレコードディスクに記録された音楽の内容だけを指すのではない。歌手やバンドのふるまい、行動、発言、コンサートのあり方、テレビCMで作られるイメージ、彼らを囲む大衆の反応、あるいはメディア上の報道のされ方など、歌手やバンドが主体ではない情報まで、大衆が受け取る情報はすべて含まれる。こうした情報をすべて受け取ったうえで、大衆は認識を形成するからである。
ユーミンについて、
鶴見はさらに、日本の歴史に登場するアメノウズメの後継者たちを何人か同書で分析し、彼女たちに共通する要素を次のように分類している。
(一)美人ではない。しかし、魅力がある。
(二)なりふりかまわない。世間体にとらわれぬ自由な動きをする。
(三)その気分に人びとをさそいこんで一座をたのしくする。
(四)生命力にあふれている。それが他の人たちの活気をさそいだす。
(五)笑わせる。人のおとがいをとき、不安をしずめる。嘘をついてでも、安心させる。
(六)わいせつを恐れない。性についての抑制をこえるはたらきをする。
(七)外部の人が、その一座に入ってきても、平気である。開かれた心を持っている。
鶴見がいう「アメノウズメたち」には、こんな名前が挙がっている。オカメ、オタフク。ストリッパー・一条さゆり。終戦間近から歌説法で天皇制を批判した天照皇大神宮教の教祖・北村サヨ。小説家・瀬戸内晴美(寂聴)。同じく田辺聖子。私は、鶴見が指摘するアメノウズメ像は、ユーミンにもよくあてはまると思う。
前述の林真理子との対談で、ユーミンは「お客様の前でマゾです。サービス業じゃないけど、ステージで、これでもか、というぐらいサービスする」と冗談めかして語っている。ファンであれ一見であれ、客が楽しめないと気が済まないらしい。「コンサートでは、ファンじゃなくても楽しめるものをやろうと思っている。(・・・)私はプロレスも映画も歌舞伎も(含めた――引用者注)、全部の娯楽の中で並べられるようなステージをやりたいと思っている」(同前)
つまりユーミンは、大衆が経験しながら言葉にできない感情を、歌に乗せて言葉にする。すなわち、普通の人間には聞くことのできない「心の発する声」に耳を傾け、それを誰にでも理解できるような「言葉」と「歌」に翻訳し、表現する媒介者が彼女なのだ。
ブルーハーツ(ハイローズ)について、
この『人にやさしく』(八七年)という歌のタイトルがそのまま示すように、甲本の詞には、精神世界の価値を追求する傾向が強い。そんな歌が、物質主義に酔いしれる社会にぽんと出ると、本人の自覚とは無関係に「異議申し立て」「反抗」といった俗語で理解されてしまう。これが、当初ブルーハーツが「パンク」と呼ばれた理由である。ブルーハーツをよく聴くと、七〇年代末に英国に現れた一群のパンクバンドのように攻撃的でも否定的でも、冷笑的でもない。むしろその逆である。
ニューヨークの近郊、「テレビ二台とキャデラック二台」を持つ、物質的に裕福な家庭に育つ少女が、物質的な豊かさとはうらはらの精神的な空虚感、不安を、ラジオからふと流れてきたロックンロールによって一瞬のうちに救われてしまう。このルー・リードの歌う世界に、甲本が語る十二歳のときのロックとの出会いは、文化や国の違いを飛び越えて酷似している。理性を超えた神秘体験という意味では、音楽は文化を超えて宗教的ともいえる「救済体験」をもたらすようだ。
今もロックは「生きることの不安から解放してくれる救済体験」であるがゆえに、甲本はデビュー以来十五年以上、休むことなくバンド活動を続けているのではないか。つまり彼は、今も自分自身の救済を求め続けているのだ。だからその視点は低い。聴き手と同じ救済を求める者の側にいる。甲本ヒロトの姿がどこか布教者に似ている理由は、そんなところにあるのかもしれない。
スピッツについて、
――スポーツや勉強ができるというのは、社会が用意した価値観ですよね。そこで自分は評価されない存在だ、と。
草野 あと「人にあてにされたい願望」っていうか・・・・・・そうですね、今はすごく恵まれているというか、ステージに出て行けばお客さんがわーっと期待して出迎えてくれるような状況があるけど、小学校のころ、「眼中にないっ子」だったころは、川で溺れ死んだところで両親ぐらいしか泣いてくれないのかな、と。
・希望に対する「絶望」
・受容に対する「孤独」
・喜びに対する「痛み」
・自信に対する「不安」
・信頼に対する「不信」
・安定に対する「不安定」
B'zについて、
ゆえに、B'zがエアロスミスやジミ・ヘンドリクスといった「大家」を上手に真似すればするほど、日本人は無意識に認識するはずである。彼らが「権威」である欧米ポピュラー音楽の精神性とその権威の後継者であることを。特に理由もなく感じてしまうはずである。「カッコいいな」「上手だな」と。いずれにせよ、上手なコピーであることは、B'zの権威、あるいは人気を高めこそすれ、減じることはまったくないのだ。
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