2/09/2008













日本人は、「世間の人が笑っている」「縁起が悪い」「常識がない」という3つのフレーズを並べられると、身動きできずに、自信を失ってしまう。


“運がいい”ということは、タイミングがいいことであり、自分を活かすことです。


多くの人の中で毎日の生活を通じて環境を活かし、自分を運のいい人間にしていく努力こそ、現代にふさわしい“修業”


・タイミングのいい人間をツイている人という

・ツイていないときは午後11時までに床に入れ

・本気で仕事をしたいとき、自分を活かしたいときはひとりで行動せよ

・きらいなことでツキが変わる

・その土地の良さを活かせない人は、どの土地にいっても自分の良さを活かせない

・いちばん苦手な人と夫婦や親子になると思え

・実家の役に立った娘ほど幸せになる

・運のいい子供は運のいい親が作る

・一家は一火

・文句を聞くときには頭を下げろ

・3月に服を買うと一生着るものに困らない

・文句を言うひまがあったら笑顔の練習

・夢と勇気とわずかなお金

・多数決で決めたことは成功しにくい

・お彼岸には仕事とからだの現状をチェックせよ

・一流の人間が集まるところにパワーあり

・好きな場所で希望や夢をつぶやけ

・太陽の動きに合わせて生活せよ

・多くの人の幸せのために働くことで自分を磨け

・運とツキは相続税がかからない財産

2/08/2008

「身の程」









「身の程」
「身の程」というのは、自分がそれを基準にして生きている規範の地域性・特殊性のことである。自分が規範としているものは、他の社会集団には適用されない。だから、自分と同じ規範に従っている人の言動については、ことの良否を言うけれど、自分の規範とは違う規範で行動している人については、礼儀正しい不干渉を保つ、というのが「身の程を知る」ということである。
今、日本人たちは「権力、財貨、情報、文化資本の占有を求めることがすべての人にとっての生きる目標である」と信じている。
それが日本的グローバリゼーションの帰結である。それは繰り返し用いる比喩を使っていえば、連休にディズニーランドに行って、「なんでこんなに人が多いんだ」と怒っている人間のあり方によく似ている。彼は他人と同じ行動をすることによってしか快楽を得ることができないのであるが、「他人と同じ行動をする」という当の事実が、そのつど彼が快楽を得ることを妨げるのである。
「他の人が欲しがるもの」を欲しがるというかたちでしか欲望を起動させることができないので、彼は物欲しげな顔になり、「他の人が欲しがるもの」はまさに当のその理由によって彼の手には入らないがゆえに、彼は構造的に恨めしげな顔になる。

2/07/2008

西谷泰人







西谷泰人
http://www.nishitani-network.com


「今運のいい人は、10年前にものすごく努力している人です。人間の今の運は、10年前に努力したものが反映するんですね。だから、今努力したものは10年後という気持ちでいけば、不思議なもので同時性があって、ちょうど10年前が映っていますよ。大きな運はそうやって動いていますから、1日や2日じゃないです」

運のいい人は運のいい時期にガンバるのです。運が悪い人は、運が下がっている時に、焦ってガンバるので、ダメなのです。波乗りと一緒で、そういう時は実力をいっぱい蓄えて、ウワーッと上がってくる時期に備える」

2/06/2008

アメリカのスーパーエリート教育















アメリカのスーパーエリート教育


・私の最も幸せな時は
・私が知りたいと思うことは
・私の母は
・学校では
・私が最も心配なことは
・私が必要とするものは
・私の気持ちは
・私は        が好きです。
・私は密かに
・父というものは
・私が読んで興味を惹かれた本は
・私ができないことは
・家では
・私が恐れることは
・私が最も得意とすることは
・人は私のことを
・私が時々いら立つことは
・私がありたいと思うことは
・私が若い時は
・私の友達は



1、私が自慢とするものは?
2、私が友達に求めるものは?
3、私が最も得意とする科目は?
4、私は週末に
5、私が最も尊敬する三人を挙げるとすればその三人は?
6、私が最も他の人より優れている点、あるいは自分の強い点、長所は?
7、自分の最も弱点とするところは?



1、自分自身の人生の目標は何か。そしてその目標をどのように達成しようとしているのか。
2、あなたの親しい友達があなた自身を描写するに際して三つの形容詞を使うとすればそれはどのような言葉になるか。またそれらについて論ぜよ。
3、現代社会あるいは国際社会における諸問題のうち、最もあなたが興味のあるものを選び、自分の考えを述べよ。
4、あなたの今までの人生で最もあなたに影響を与えた人は誰か。なぜその人物はあなたにそのような影響を与えたのか、
  その理由について論ぜよ。

2/05/2008

プロ










『おまえ、明日、クビって言われたらどうする。明日、そのことを家族や友だち、お世話になった人たちに伝えなきゃいけない。きっとプロの思い出を語ることもあるだろう。そのとき、おまえは胸を張って、プロの思い出を語れるか。悔いが残らないほど練習したか。』

クリント・イーストウッド










クリント・イーストウッド「ミリオンダラー・ベイビー」は、なにひとつも急がない。
気取らず、粋がらず、才走らず、受けを狙わず・・・・・・、要するにこの映画は、昨今の「佳作」がつい陥ってしまう恥ずかしさを沈着に、かつ悠然とすり抜けていく。しかもこの作品には「沈着」や「悠然」に付随しがちなしたり顔が一切出てこない。なんとみごとな平叙体だ。この熟成は奇跡に近い。

2/04/2008

ワル知恵本








ワル知恵本

他人の悪口を言わない人間に心を許すな

飲み会に「行けたら行く」と答える人は薄情な人間

しょっちゅう行き違いが生じる人は疑ってかかれ

弱者へのやさしさをやたら主張する人に注意せよ

「一芸に秀でた人」は非常識な人が多い

人たらしの基本はほめることにあり

極上、満面の笑みこそ人たらしのイロハ

喜怒哀楽の“喜”の表情を豊かにする

聞き上手に徹することも人たらしの極意

自分をあけすけに話せば初対面でも相手は気を許す

自尊心をくすぐった後自分の欠点をさらけだせ

飲食を一緒にすることが人をたらす基本

口べたと、理屈で言い争いをしてはダメ

無理を承知で通したければ大きな声で言え

当たり前の話でも大声でくり返せば認められる

しつこく何度もくり返せば相手はその気になる

接待は相手がへとへとになるまでとことんやれ

なついていけば相手は裏切れなくなる

約束の時間に相手が遅れてきても犬のように喜べ

バカにされている人ほどやさしく接しておけ

その気にさせるホメ言葉は人を介して伝えよ

本音を吐かせるには訥弁でノロノロ喋れ

「信じているよ」というひと言でたらしこむ

人は自分と違う意見は聞きたくないものだ

人は誰でもバカバカしいほど優越感にこだわる


さわやかな顔は、年齢のわりに人間性の訓練が不足しているか、あるいは人間的に薄情であることをあらわしている場合が多い。人間的に訓練されていないと、いいも悪いも情が薄いという傾向がある。人間関係において、ややこしいことを嫌う。
また、深い思考をしないので、物事を単純に考えるきらいがある。だから、やたらと、きれいごとや理想を語ったりする傾向もある。情が薄いため、冷酷な人もいるが、他人にたいする執着も薄いので、その点、友人、知人としてつき合いやすいという長所もある。ただし、親友として濃密なつき合いを求めるのなら、
物足りなく感じるだろう。
このタイプの男性は、50代になって皮膚が衰えてきても表情はさわやかなため、ちょっと見には若いが、なにかへん。ちなみに、異様なまでにさわやかな顔は洗脳された人にも見られることがある。

ワルの人生論











ワルの人生論


1章 善意のウラに悪意あり

「こんなこと言いたくないけど・・・」
なんて切りだすやつの忠告を真に受けるな

「あなたのことを心配してるから言うんだけど・・・」
なんて囁きかけてくる人はあなたを不幸にする

「見てる人は見てるから・・・」
なんて慰め言葉は信じるだけ損

「いいの、あなたが幸せになってくれれば・・・」
なんてケナゲなことを言う女とは別れて正解

「きみのためを思って言ってるんだ・・・」
なんて恩着せがましい輩にはご用心

「きみにとって、悪い話ではない・・・」
なんて口車にうっかりのると地獄行きかも

「きっと、自分の好きな仕事に出会えるはずだ・・・」
なんて年長者の言葉を信じると道を誤るぞ

「失敗を恐れずに・・・」
なんて甘言にのったら、そこがじつは破滅の入り口

「思ったことを言いなさい・・・」
なんて誘いに気を許すと恐ろしい結果を招く

「きみたちには洋々たる未来がある・・・」
なんて励ましに期待すると将来はツライ

「がんばらなくていい・・・」
なんて本気のしようにもなら大変なことになるぞ


2章 きれいごとの真っ赤なウソ

「愛があるから大丈夫なの」
なんて言ってるから周りは心配するの

「罪を憎んで人を憎まず」
なんて、しょせん理想主義者のたわ言さ

「お金があり過ぎても不幸だ」
なんて,持たざる者の負け惜しみでしょ

「人生を豊かにするは酒と恋」
なんて感じ入っても、これには裏がある

「誰に対しても同じ態度で接しなさい」
なんて、そんなことしたら世の中メチャクチャや

「人を見下してはいけない」
はホントだけど、それでは世渡りできない

「他人の長所を見るようにしなさい」
なんて教育するから人間が薄っぺらになる

「なぜ、自分を愛するように人を愛せないのですか」
なんて博愛ぶる人ほど始末に負えない

「外国人ともわかり合える」
なんて、大いなる妄想なんだな、これが

「あの人、いい人だからね」
なんて、ほめ言葉にとるとオメデタイ人で終わる

「女は気立てのいいのが一番」
なんて、でもやっぱり顔でしょ

「年をとると分別がつく」
なんて、世間を見渡せばそのウソは明らか


3章 格好いい言葉のウラは地獄

「どん底を体験したから、どんな苦労にも耐えられる」
なんて不幸自慢をする人に耳を貸すな

「人生、ここまで落ちたら下はない」
なんて誰が決めた。人生、下は底なし沼だ

「金の問題じゃない」
なんて立派ぶる人には気を許すな

「ぼくは金に無頓着だから・・・」
なんて太っ腹な人は、実は貧乏神かも

「運がよかっただけ・・・」
なんて謙虚に振る舞う成功者には要注意

「貧乏暇なしですから」
なんてボヤく人の打算を見抜け

「もう失うものは、なにもない」
なんて言うピンチの人に巻き込まれるな

「オレから仕事をとったら、何もない」
なんて自信満々な人の末路は悲しいもの

「恥を捨てれば何でもできる」
なんて言う人ほど、実は恥知らず

「苦労したからねぇ」
なんてヌケヌケと言う人に油断するな

「私は無欲です」
なんて広言する人はホントに”よくない人”かも


4章 世間が押しつけるコワイ常識

「がんばればできる」
なんて、でも成功するとは限りませんよ

「がんばればきっと、ごほうびがある」
なんて、世の中そんなに甘くないっての

「毎日、感動してますか」
なんて感動の安売りが人間を壊す

「子供は無条件でかわいい」
なんて、ガキの本性を知らない人間のセリフだ

「長生きするのはいいことだ」
なんて、周りのホンネを考えてみよ

「裏表がある性格はよくない」
なんて、本当に裏表のない人はやっかいだ

「素直じゃないんだから・・・」
なんて、それはあんたの物差しでしょ

「単純に考えればうまくいく」
なんて、それじゃますますおバカが増える

「今日できることを明日に延ばすな」
なんて、毎日がんばったらどうなるか

「他人の意見に耳を傾けよ」
なんて、本気で聞いたらアホになる

「もっと大人になれよ」
なんて、汚い世界にひきずりこむな

「若いときは、なんにでもチャレンジしないと」
なんて、鵜呑みにしたらフリーター

「ほんとうの自分が見つかるはず」
なんて、では今の自分は誰なんだ

「誰でも人を殺したいと思ったことがある」
なんて、それじゃ世間は物騒すぎる


5章 もっともらしい偽りの人生訓

「人生に無駄はない」
なんて本気にすると人生パーになる

「人生、良いことと悪いことは5分と5分」
なんて思いこむから毎日がつらくなる

「正直者が馬鹿を見る」
なんて大ウソだ。正直者は尊敬される

「騙すより騙されるほうがいい」
なんてバカなことを言ってるから騙される

「話せばわかる」
なんて世間知らずの人間の幻想だ

「好き嫌いでものを言ってはいけない」
なんて建前の正論にすぎない

「苦労は買ってでもせよ」
なんて真に受けるから性格がゆがむ

「脳ある鷹は爪を隠す」
なんて気どっても社会では生き残れない

「実るほど頭を下げる稲穂かな」
なんてホントかな。本物はへりくだらない

「結果がすべてではない」
なんて慰めると連戦連敗になりそう

「負けるが勝ち」
なんて本当に実践したら最悪の人生になる

「笑う門には福来る」
なんてオメデタイ人が不幸を招く


6章 そんな甘ちゃんでは悪に食われる

「外見ではなく中身を見てほしい」
なんて口にするから世間から見放される

「公平に扱ってください」
なんて訴えるから不公平に扱われる

「自分で自分を評価したい」
なんてうそぶくから誰も評価しなくなる

「一芸に秀でた人は、どんな世界でも一流になれる」
なんてオダテにのるから栄光を汚す

「世渡りだけで出世したくせに」
なんて言うあんたは、ゴマすらすれないくせに

「ぼくってサラリーマンらしくない」
なんて気どるから会社のお荷物になる

「うちの課、みんな変わってるよね」
なんて言うエセ個性集団に惑わされるな

「ぼくは知らないからね」
なんて平気で口走る上司を相手にするな

「私は聞いていない」
なんて土壇場で逃げるやつに近づくな

「誠意を見せてほしい」
なんて常套句に恐れ入ってはいけない

「趣味は人生を豊かにする」
なんて言うワケ知り顔のやつのワナにはまるな

「そんな子供に生んだつもりはない」
なんて、あんたに似たからこうなったんでしょ

2/03/2008

西田文郎・成功力








西田文郎・成功力

常に意識的に選択しながら生きていないと、潜在意識のマイナス感情に引きずられて、それに流されてしまうから、自分の望むようには生きられない。
商売・ビジネスに本気になった人たちは、いかにしたら勝てるかを勉強している。

「顧客満足」などという理屈の言葉を使うからいけない。「お客さんを喜ばせる」と言い換えれば、自分が何をなすべきかのイメージが湧いてくる。
人の脳は”快”になるほど、心も財布も開きやすくなる。

いやらしいくらい強欲にならなければ、大きく成功することは出来ない。大きく成功したければ、善人でいたいなんてムシのいいことは考えるな。

No,1になる人間は、最初からNo.1を目指している。
自己資産1億円になると、人間の器が変わってくる。なぜならそのくらい成功すると、自分ひとりでは成功できなかったことに気づき、感謝の気持ちが生まれるからだ。
人は人とつながることで力を増す。
大成功者は恐ろしいほど自分を信じている。最高の能力開発法は、自分のことが信じられる脳をつくることだ。

商売・ビジネスとは、結局、金儲けである。しかし単に金儲けをしようとしても儲からない仕組みになっている。
人間は、無欲になりたいという究極の欲求を持っている。

強運の持ち主は、必ず大きな苦しみを乗り越え、克服してきた人である。苦しみが大きければ大きいほど、「振り子の法則」で、その強運も大きなものになる。

人生の目的が見つかる魔法の杖 西田文郎







人生の目的が見つかる魔法の杖 西田文郎


・プレッシャーというモチベーションで行動していると、楽しくないし、面白くない
・プレッシャーというモチベーションで行動していると、マイナスイメージ、マイナス感情、マイナス思考が強くなる
・プレッシャーというモチベーションでは、勇気がわいてこない
・プレッシャーというモチベーションでは、新しいことにチャレンジできなくなる
・プレッシャーというモチベーションでは、ストレスが大きくなり、幸せの感覚がなくなる


・タイムリミットを意識しないと、人間は「いつでもできる」と思ってしまう
・タイムリミットは、目標をはっきりさせる
・タイムリミットは、目標に至るまでのプロセスを具体化する
・だからタイムリミットを意識すると、いま成すべきことが明確になる


・成功を一緒に喜んでくれる相手がいないから、淋しく孤独である
・優越性は相対的なものだから、自分が追い越される危険性が常につきまとう
・勝ち続けなければならない人間は、ストレスに苦しめられる
・ストレスが大きいと、幸福感がなくなる
・病気で倒れても、家族や社員が本気で心配してくれるとは限らない
・妻や子が本気で心配してくれないと、死の床で手を伸ばしても、その手をやさしく握り返してくれる手がなくなる可能性もある
・あの世ではお金も役立たないので、そこにばかりに価値を求めてきた人は、人生の意義がわからなくなり、虚しく死んでいかなければならない


・師を持つと素直になり、物事をすんなり吸収できる
・師を持つと素直になり、迷わなくなる
・師を持つと素直になり、向上心が出てくる
・師を持つと素直になり、素直さのエネルギーが出て、がむしゃらになれる


・師がいないと、一から手探りで学ばなければならない
・師がいないと、失敗を繰り返しながら学ぶことになる
・師がいないと、自分の間違いに気づくのが遅くなり、間違った方向に進みやすい
・師がいないと、認めてくれる人がいないので、努力することが辛くなる
・師がいないと、自分の行動や目標になかなか自信がもてない
・師がいないと、師に近づく喜び、師を乗り越える喜びがなくなる


・自分より能力の高い人間
・何かに打ち込んでいる人間
・自分を怒ってくれる人間、叱ってくれる人間
・自分よりすぐれたところのある人間
・自分にない何かを持っている人間


・いままでの自分ではどうしてもがむしゃらになれず、成功してこなかった人が、もし成功を望むなら、いままでの自分を壊す必要がある
・いま幸せを感じられない人が、もし幸せを感じたいというのであれば、幸せが感じられないいまの自分の枠を壊す必要がある
・人生の目的を見つけられない人が、人生の目的を見つけて、充実した毎日を送りたいなら、いまの自分の枠を壊さなければならない
・いまの仕事を面白くないと思っている人が、どうしても面白い仕事をしたいなら、いまの自分を変えてみる必要がある


・感謝を知ることで、人は自己中心的でなくなる
・感謝を知ると、素直になれる
・感謝を知ると、物事に不平不満を抱かなくなる
・感謝を知ると、自分の苦しさや辛さは平気になる
・感謝を知ると、何にでも喜びが感じられる
・感謝を知ると、人のために動けるようになる
・感謝を知ると、臆面もなく妻に花を買って帰れるようになる
・感謝を知ると、妻に小言をいわれてもなぜか腹が立たない


・大きな目標を平気で抱いてしまうような心の質を持っている
・物事に感動し、感激できる心の質を持っている
・自分の役割に真剣に、またがむしゃらに取り組めるような心の質を持っている
・努力していることを努力と思わないような心の質を持っている
・悪い結果は、自分の責任であると思える心の質を持っている


・自分以外を喜ばせる幸せを追求していると、自分が好きになる
・自分以外を喜ばせる幸せを追求していると、自分が信じられる
・自分以外を喜ばせる幸せを追求していると、自分の苦労が気にならなくなる
・自分以外を喜ばせる幸せを追求していると、そのために達成すべき目標が信じられる。自分の気分や一時的な気持ちの変化に左右されないから、その目標が揺るがない
・自分以外を喜ばせる幸せを追求していると、結果はどうであれ、そのプロセス自体が人を喜ばせるから、必ず努力が報われる。だから、努力することが楽しい
・自分以外を喜ばせる幸せを追求していると、共鳴し、助けてくれる人が現れる


・思い続けていると、知恵が生まれる
・思い続けていると、アイデアが発生する
・だから思い続けていると、問題点が解決する
・思い続けていると、勇気ある行動力が備わってくる

2/02/2008

最近の自分の考えていることは、










最近の自分の考えていることは、

自分の人生は自分で決めて、自分の生きたいように生きる。



良くも悪くも他人を頼らず、自分の事しか考えないから、組織はつぶれても個人はつぶれない。



一言で言えば自立している。



ちょっと異常な人たちに興味ある。



変だったり、不合理に見えるものには全部、何かを気づかせてくれる可能性がある。


芸術と採算の両方を理解する優秀なプロデューサー。



独自性にこだわり大衆性も忘れない。


お金の量が幸せの量ではない。



体制に順応的な人が増えていて社会的健康の面から見ると誠に心配。


自己陶酔頬かぶり。



育ちのいい野蛮人。



自由度の広さ。

2/01/2008

愚直に実行せよ! 中谷巌










愚直に実行せよ! 人と組織を動かすリーダー論 中谷巌


リーダーの資質1:「志」がある
 リーダーに求められる第一の資質は、「志」があるということである。大きな「志」がなく、私利私欲だけで動く人間はすぐ見透かされてしまい、そうなったらもう人はついてこなくなる。

リーダーの資質2:ビジョンと説明能力がある
 優れたリーダーになるための第二の条件は、「志」を具体的な行動に移すためのビジョンであり、そのビジョンの意味を人々に明確に示す能力である。

リーダーの資質3:愚直な実行力がある
 リーダーは必ずカリスマ的でなければならないか。決してそんなことはない。カリスマ性はないが、現場に良く足を運び、自分の成し遂げようとしていることが現場レベルでしっかりと実行に移されているかどうか、とことんこだわる人。派手さはないが目標にこだわり、あくまで愚直にそれを実行に移す人。こういうリーダーこそ、実はリーダーとして尊敬され、人々の信望を集めているというケースは決して少なくない。

リーダーの資質4:「身をもって示す」姿勢がある
 リーダーになるための第四の条件は、コミットメント(決意)である。


利口な日本人は、あまり目立つような場所に長い間自分を位置づけることを回避する。日本では、
リーダーになるより、リーダーを支える参謀役のほうが安全なのである。そして、リーダーになった場合には、なるべく周囲の意見を良く聞き、御輿の上に乗っかって、良きに計らえと言っている方が長続きするのである。


「惜しまれて去る」。―――どれだけ意図的であったかどうかはともかく、まさに日本的美学にぴったりの行動パターンであった。


日本の強み――それは「現場の当事者意識」である。現場に当事者意識を持たせ、
現場の力をうまく結集できれば、信じられないくらいの力が出るのが日本人だ。これは、階級社会が確立している欧米や東南アジア諸国とは決定的に異なる点である。このことを明確に理解でき、それにふさわしい行動をとれるということが、成功する「日本型リーダー」の条件であると思う。


エリートとは「いかに社会のために自分が役に立てるかを常に考え、行動している人」と定義できる。


岡崎久彦氏によれば、明治のリーダー、たとえば、幕末から維新にかけて日本の近代化に大きな貢献をした勝海舟、西郷隆盛、福沢諭吉、陸奥宗光などの「知の巨人」は、エリートとしての自覚、責任感が強烈だったが故に、節目節目に筆舌に尽くしがたいほどの猛烈な知的「修行」を行なったという。
彼らには一生のうち何度か、二、三年あるいはもっと長い期間にわたって死にものぐるいの勉強をしている。この死にものぐるいの勉強(それは「勉強」という言葉をはるかに超えた「修行」であった)を通じて、リーダーとしての見識や志を身につけていったのである。
岩倉具視使節団がメンバーの立ち居振る舞いが素晴らしいと各地で絶賛されたのも、このようなあくなき修練の賜物であったと言えるだろう。


「悪いことをしても露見しないならやっても良い」とか、「隙あらば人を欺いてもうまい汁を吸おう」という考え方は、もとより伝統的日本人の美意識からすれば許容できないところである。


留学や海外駐在など、海外での生活をした人なら誰でも経験していることであるが、自国の文化や歴史をろくに知らない人間、自分の国を愛することのない人間はおよそ相手にされない。もちろん、自国の歴史や文化を深く知る能力と同時に、外国のことも勉強することが望ましい。


「真の心理」とは、誰のチェックも受けることなく、自己の利己的、打算的な欲望を抑えて「正しいこと」(その正確な定義は存在しないが)を実践する力である。「社会」も「神」も自分の行動を規定する倫理規範を与えてくれないとき、あなたの「倫理」はどうなるのか。傍若無人に悪の限りを尽くしてしまうのか。それとも、何らかの倫理観があなたの悪事を止めてくれるのか。


リーダーの「直感」を誰にもわかる形に変換する(「概念化」する)必要がある。「概念化」が適切に行われないと、リーダーの「直感」は部下に伝わらない。リーダーがいかに優れた「直感力」の持ち主であっても、「直感」の中身、その意図するところが十分明確に部下に伝わらなければ、リーダーの「直感力」が大きな組織力に転化されることはないであろう。


リーダーに求められる資質として、大きな「志」を持っていること、それを具現化するビジョンがあること、ビジョンを明確に説明する(直感力を概念化する)能力があること、リーダーが明確なコミットメントをしていること、人々に尊敬される「教養」を磨いていること、「大局観」をしっかりと持っていることなどを指摘してきた。


しかし、いくら「志」があり、「説明能力」があっても、組織を動かすのはあくまで現場である。つまり、組織の「実行力」であろう。自らの志を組織の末端にまで行き渡らせ、それを着々と実行する力、これこそ組織を成功に導く前提条件なのである。どんなに良いことを考えついたとしても、どんなに「志」があっても、「実行力」の伴わないリーダー成功しないのである。


どんなに高い「志」を持ち、ビジョンや戦略に長けていても、組織を動かし、人を動かす上でおそらく最も重要なのは、「愚直な実行力」である。リーダーが正しいと思うことを執念を燃やしてとことん実行するまで見届けるという姿勢である。これが現場の「当事者意識」に火をつけ、これまでの惰性を止め、変革を呼び起こすのである。


リーダーシップを発揮するのは、必ずしも高邁な「大きな志」を持ち、ビジョンや説明能力に長けた「人徳」豊かな教養人である必要はない。むしろ、大衆心理を巧みに操り、彼らのやり場のない不満や不安感を巧みに操縦することに長けた天才こそ、リーダーにのし上がる最重要な能力だったのであろう。


フロイトは、人間とはそもそも自分が心酔し、心の底から服従できるような存在を探し求めており、状況次第では、権力によって支配され、「虐待される」ことすら望んでいる、と述べている。


過去にこだわるだけでなく、将来、自分はどういう人生を歩みたいのかを考えよ(ニーチェ)


自分が最も大切にしている目標を達成するためには、過度の理想主義に陥ってはならない。状況を見極め、便宜主義や抜け目なさも駆使せよ(マキャベリ)


改革リーダーに「演技」の臭いがつきまとうようだと、それはすぐに見抜かれてしまう。かけ声は勇ましいが、現場に足を運ばないリーダーや必ず実行に移すというあくなき執念が欠落しているリーダーは、すぐに見透かされてしまう。そうなると、まず改革は成功しないし、逆に、リーダーが本気である場合には、協力者が増え、改革成功の確率が高まる。


リーダーは自分でリーダーになろうと思ってそうなるのではなく、身をもって示しているうちにいつの間にか他人によってリーダーにさせられてしまう、そういう存在である。そういう状況が生まれてくると、それがさらにリーダーにエネルギーを与え、身をもって示す行動に拍車がかかり、ますます支持者が増えていく。リーダーと支持者がだんだんと一体化し、互いにより大きな行動へと輪が広がっていく。
リーダーが変革を起こす者であるとすれば、こういうリーダーと支持者の一体化こそ、変革を成功させる最終的な条件になるのであろう。


もう一つ、重要だと思われるのは、日本文明というものにしっかりした理解を持つということだ。
日本がこれだけの成功を収めた本当の理由は何なのか。世界の人々がこのことに対する納得のいく説明を求めているのに、日本人はなかなかこれができない。自分の依って立つ国の歴史や文明に無関心な人が多すぎる。これでは、日本人は「根無し草」になってしまう。
自分を説明できない人、自分の国の歴史や文化を外国人にきっちりと話せない人はまず国際的なリーダーになれない。
これも、戦後日本の教育の盲点になっている。ここの部分も意識的に勉強する必要がある。

1/31/2008

日経8/17/2006








日経8/17/2006
本を読み考える。

ヒトの根源の活動の前に先ず検索。

「ネットには答えがあるし早いもん」手軽さが好奇心を鈍らせ、近道への欲求が募る。

検索上手でもさまざまな刺激や体験から培う”知的体力”は零点になりかねない。
「その場の空気が分からなければ、利用者をひきつけられない」ネットビジネスの最先端にいるからこそ、妄信する危険性を肌で感じる。

自分の目や耳で確かめ、必要なサービスを考え抜く。

「本当に必要なものは手に入らない」
ネットはヒトの感性や知覚に影を落とし、時に脅威ともなる。

その欠陥をどう克服し、過去と違う進化の階段を上るか。

今日の備忘録


















今日の備忘録

①『脱出』 ジョン・ブアマン監督。ジョン・ボイト、バート・レイノルズ主演。
②『大いなる勇者』 シドニー・ポラック監督。ロバート・レッドフォード主演。
③『愛と野望のナイル』 ボブ・ラフェルソン監督。パトリック・バーギン、イェーン・グレイン主演。


『男の行動学』
『動物と暮らす』
斎藤令介 著(集英社文庫)

『父と息子の教科書』



ヘミングウェイは「善とは何か、それは後味のよいことである。悪とはなにか、それは後味の悪いことである」
スタンダールは「素直さや善良さ、これこそすべての人が身につけるべき最高の道徳です」


自然には厳しい面とやさしい面とがある。人がその厳しい面にふれるとき、自然は人を逞しく育ててくれる。人がその優しく美しい面にふれるとき、自然は豊かな感性や情操を育んでくれる。美しい自然の中で何も考えずにに佇むだけで、少なくともその間は、詩人の心を取り戻すことができる。


考え方が変われば行動が変わる
行動が変われば態度が変わる
態度が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命さえ変わる


日本自然保護協会
http://www.nacsj.or.jp/


理想的な両親や環境の中で育った子供が大人になると、くだらない人間になっている例をよく見る。


規則や規律を強調する人間は、自分の良識のなさ、自制力のないことを告白しているのである。
自分を縛る規律がないとやっていけない、というのはとても幼稚な精神だ。


自分は何も考えたり判断しなくても他の人がやってくれ、しかも数人のグループで行くからどんな激流も恐くない。


この国の人間は誰かに支配されたり、命令されたくてうずうずしているということだ。



一 問題に対する知的好奇心がひじょうに高い(芸術分野では、問題に対する感性がひじょうに豊かである)。
二 新しい考え方や方法を取り込む進取の精神が高い。
三 伝統、権威、社会的常識、体面などにとらわれることが少ない。
四 未踏の分野にチャレンジする知的冒険心を強く持っている。
五 失敗して危機的状況に陥っても、それに耐えられる性格的強さがある。
六 長期間にわたって知的集中を持続できる。
七 実験的精神がひじょうに旺盛である。
八 人間関係や組織に対しては冷めた態度であり、心底から同調しない。

1/30/2008

自己嫌悪ってなんだ?















自己嫌悪ってなんだ?


人間は二つに分かれる。

こういう言い方はじじい臭いな。

「やってみます。」という人間と、「むりですよ。」という人間と、である。

どうやったらできるかを考える人間と、すぐにできない理由ばかりを考える人間と、である。

そして、できる人間は自分でできるようになるのであり、できない人間は外からなにを言われてもできない。自分で決めて、自分で成長するしかない。



口先だけで偉ぶりたがるがまったく口ほどにもないサラリーマンは、ただ楽をしたいだけ、マイペースを崩したくないだけである。

職人のように技量が見えないから、ごまかしだきく。他人のせいにできる。

どちらがプロであるかは一目瞭然である。「そこなでやることはない」ではない。「そこまでやる」のがプロの仕事なのだ。





伊丹はこのようにも書いていた。

「私の経験では勉強のできない奴は概してずるい奴だった」(『女たちよ!』新潮文庫)。

「勉強」といってしまうとちょっとニュアンスがちがってくるが、頭が悪いということは、自分(の行動や思考)を客観視することができないということだ。





自分は認められていないと心で感じる者は、他人につらくあたる。このバアサンのようにである。だが自分を認めすぎている者もまた他人につらくあたる。





強さとは心の強さだ。

強いとは、心が強いことである。

復元する心であり、破れてもつくろうことのできる心だ。

さまざまな感情をしることによって、心は深くなりうる。

さまざまな経験をすることによって、心は広くなりうる。

ひとつの物事をつきつめることによって、心は粘り強くなることができる。





人と人の関係とは、心と心の関係のことである。

人間は心で生きている。

しかし、関係が無ければ心もない。

心は生じない。

関係が無ければ心は動かない。

人から認められたいと思うのは、心である。

認めてくれないといって神経がささくれ立つのは、心である。勝ったと思うのは心であり、負けたと思うのは心である。

試合に負けたのに、負けてないと強弁するのではない。

人生は試合ではない。

苦しみや重さを知るのは、心があるからである。

生きるとは、心が生きていくことである。

1/29/2008

竹熊健太郎











竹熊健太郎


俺がIKKIで連載した、韮沢早という架空のマンガ家を追ったフェイク・ドキュメンタリーからの引用ですが、ここでのさいとう氏の談話は本人に取材した本物です(前にも要約紹介しましたがこれが正確な引用)。

竹熊「才能があっても消えてしまった人って、すごく多いでしょう」
さいとう「多いです。よく言うんですけれど、この仕事に必要な条件で、才能なんてのは全体を十としたら二ぐらいのもの。三が努力、五は運ですね。絵が描けるというのは、野球選手がボール投げられますというのと同じことであって、出発点にすぎない。あとは努力と運だということを、よく言うんです」
竹熊「その場合の努力とは何でしょうか」
さいとう「どうやれば自分を一番生かせるかを見きわめることです。それには、自分の能力を冷静に見なければ。ところがこの世界に入って私が一番驚いたことは、みんな自分を天才だと思っていることでした。でもね、たとえ才能があったとしても、それだけではダメなんですよ」
(「追跡者~幻のマンガ家・韮沢早を追え!」月刊IKKI/2001年5月号/小学館 より)



だから、最初に才能があって、次に努力と運がなければならない
。運なんて、それこそどうすればいいんだと思うでしょうが「運も才能のうち」ですからね。この言葉の意味は「運」が向こうからやってきても、その人に才能と努力がなければ、運はそのまま去っていくということですよ。運をつかむためにも、持って生まれた才能と、日頃の努力が肝心だということです。

鈴木カツ音楽対談














鈴木カツ音楽対談

鈴木惣一朗
パッケージがなくなったら、演奏と歌っていうのがすごく大事になるんじゃないかな。



ジャック・ジョンソンを聴いて「フラット・ミュージック」っていうの。つまり舞台の高さにない音楽、目の前で演ってくれる音楽っていうのがこれから支持させるんじゃないかな。歌うってことに対して抵抗感がない、すごくカジュアルな行為なんですよ。Jポップが行き詰まったのは、力が入りすぎたんじゃないかなと思う。
いい音楽っていうにはジャンルの隙間にあるよね。エアポケットっていうかさ。
最近思うのは、Jポップを聴いてJポップを作るっていうミュージシャンが多い。アコギの弾き方といかを見ててもわかる。ニール・ヤング見ろよって言いたい。ギターってもっとグラインドさせて弾くもので、タッチでセンスが変わる、すごく表情豊かな楽器なんですよ。それを、サウンドホールに対して平行に弾いてる人は、絶対Jポップしか聴いてないんですね。
今のジャズには、かってのロックのようなサブカルの勢いがありますね。ノラ・ジョーンズもブルーノートなのに内容はカントリーでしょ?要するにジャズというフォーマットを使いながら、実はなにをやってもいいわけ。でもロックではもうやりつくされてしまった。僕もプロダクトを始めるときに、最近はジャズを基盤にしてフォークとかカントリーをぶつけていく。オルタナっぽくロックをやろうとか、今いちばんダメ。ルーツ・ミュージックとしてのモダン・フォークとかブルースの方が、今は過激だと思う。

沢野ひとし
クラプトンは思想のある音楽家だから、若い子にも伝わるんだよ。その辺のギター小僧には真似できないよ。思想のないやつは絶対ダメ。

山内雄喜
巧いとかヘタじゃなくてさ、やるってことが大事なんだよ。音楽を聴いてもらうんじゃなくて、音楽のあるところに入っていって、一緒に楽しむってほうが最近いいなぁって思うの。聴き手も弾き手も一緒でね。ガチンコで聴くんじゃなくて。
僕は、沖縄もハワイとの共通点ってのがある気がする。メロディのことじゃなくて、なんかフラットな気分なんだよね。演奏するほうも聴き手も、みんなが音楽を共有している感じ。

1/28/2008

ROCK AND ROLL HEART 鳥井賀句














ROCK AND ROLL HEART 鳥井賀句


お前は小さなアングラ劇団で芝居をやりながら、隣街のジャズ喫茶でバイトしたり、美術大学で絵のヌード・モデルをやっていた。
お前の好きなものはパティ・スミスにランボー、エッシャーの版画、アントニオーニの映画に寺山修司の演劇だった。
相変わらず俺の暮らしは貧しかったけど、俺たちは互いの仕事の休みの日を見つけては、映画やロック・コンサートに出かけて行った。


シンプルなコード進行、ティーン・エイジ特有のフラストレーションや性への欲望を赤裸々に歌いあげた詞、イギーの狂おしいヴォーカルは、まさにこれぞ“元祖パンク”と呼べるものである。


イギーとストゥージズに関しては、他の追随を許さない暴力的なステージ・アクト・・・熱くなったワックスを体に塗りたくる、割れたガラスの破片でわが身を切り裂く、折れたドラム・スティックで自分を打つ等々が語り草になっている。
今回、イギーにその辺のことを尋ねてみると、「当時は、俺たちの音楽なんか別に好きでもない奴らに対して“注目を集めるためなら何だってやってやる!!”っていう理論を持っていたんだ。
“できないことなんてないんだ。人を殺さなきゃいけないなら殺してやる!”ってね。
それと同時に、俺はアーティストとして、パフォーマーとして、自分が観客である場合に欲求しうるものすべてを観客に与えようという理論を持っていたんだ。
俺にとってのロックとは、テレビよりも真実の自分自身を世界にアピールする方法なんだと思う。
俺が見た多くのコンサートに欠如していた深くてへヴィなものを提示したかったんだ。


『Michigan Brand Nuggets』


69年にデトロイトをベースに創刊されたロック・マガジン『クリーム』も、ストゥージズやMC5を大いにバックアップした。
後にパティ・スミス・グループのギタリストとなるレニー・ケイも寄稿者の一人で、彼は“デトロイト~アン・アーバーにはロックン・ロール・カルチャーとも呼ぶべき強い共同体が存在する。この地のロックンロールは中産階級的道徳や抑制をぶち破り、ストリートの上でドラッグやあらゆるタブーをワイルドに展開している”と書いている。


こうして60年代末、西海岸を中心としたヒッピーたちのフラワー・ムーヴメントがアメリカ全土を支配していた中で、デトロイトのストゥージズやMC5は、決して“愛と平和”などに惑わされることなく、常にロック本来のエナジーと怒りを、エモーションに求め続けたのである。



何よりもイギー・ポップ自身がロックン・ロールという音楽と行為と思想を、自らの存在のすべてを賭けて求め続けてきたからに他ならない。どうでもいいようなくだらないロックのレコードを1000枚集めて聴くよりも、イギー・ポップのアルバムを10枚だけ100回ずつ聴いたほうが、きっとずっと深くロックという音楽を認識できるだろう。


「俺は失敗し続けていたいとは思わない。俺は過去に多くの失敗を犯してきた。だから俺は成功したいと思っている。俺は本当に心底素晴らしいアーティストになりたいんだ。俺は自分がグレイトであるとは思っていない。だから俺には俺の望む者になるまでやり続けねばならない多くの仕事がある。それが、俺が決してギブ・アップしない理由なんだ」(イギー・ポップ、1986年)


もっといまわしく、もっとワイセツに、もっと毒々しく、もっとよこしまに・・・・・・


当時のシーンにあってヴェルヴェットの革新性そして孤高性とは、ひとつにはリアリズムに徹し、あくまでも都市の狂気と喧騒の中に身を置きながら、人間存在の真実と苦悩を見つめていこうとするその姿勢にあった。


西海岸の連中が“髪に花を飾ってピース、ピース”と能天気なエコロジストを気取り、カントリー~田園思考に走っていったのに対し、ヴェルヴェットはあくまでも都市ニューヨークにとどまり、多くの人々がタブー視していた麻薬による歓喜と苦悩、サドマゾ、同性愛、死・・・等の人生の暗黒部を照らし出すような題材を詞のテーマに揚げていった。


西海岸の連中のような花柄Tシャツにジーンズではなく、黒いサングラスにレザー・ジャケットといった彼らのルックスも、そのモノクロな質感とイメージを決定づけた


ヴェルヴェットの功績とは、他の誰もがタブー視していた人生の暗部(本質)に一切の妥協なく深く入り込んで行ったこと、アヴァンギャルドとポップの精神を融合させたこと、“都市音楽”としてのロックを常にストリートに立って描き出したこと、そしてロック・ミュージックというものが、単なる娯楽以上の意味を語ることができるのだということを、身をもって表現したことだと言えるのではないだろうか。


“ルー・リードは最も過小評価されている現代アメリカの詩人である。”


その意味において音楽の中に歌という形で、歌詞という言葉の表現領域が参入してきた時、我々は演奏力やメロディに対する感覚的な対応とはまた違った形で、否応なしにその言葉に対峙せざるを得ない。たとえばここにどんなに素晴らしい歌唱力と演奏力を誇るバンドがいたとしても、彼らが歌っているその歌詞がどうしようもなく差別的な発言や愚鈍な言い廻しに満ちていた時、あなたはその歌や演奏を心底楽しめないどころか嫌悪感を抱いてしまうかもしれない。つまりメロディやインストゥルメンタルに対しては気分的に対応できても、言葉というものは常に観念を、思考の内実を語ってしまうから、あなたはその歌に対し意識的に意味づけをせざるを得なくなるだろう。


私はロックという音楽が現代においてこれ程の影響力を持ち得たことのひとつは、肉体を開放しようとするその強烈なビートや、あらゆるものを雑食的に取り入れようとしてきた自由でフレキシブルな精神以上に、ロックン・ロールが歌という形で、常に言葉による批評性を媒介としてきた表現形態であったことが大きいように思う。ビートルズやローリング・ストーンズ、ボブ・ディランやこのルー・リードといったアーティストたちは、それまでのティン・パン・アリー的な三文ラヴ・ソングとしてのポップスではなく、ある種の文学的感受性とビートニク的自己探究、旧世代に対するカウンター・カルチャー側からのステイトメント・・・といったものをロックの歌詞の中に詩的に織り込むことによって、ポピュラー・ソングの歌における歌詞の表現の幅を拡大しただけでなく、歌詞の言葉を通して彼らの思想や批評精神を社会に伝達してきたのだ。それは詩というものがロックン・ロールという音楽と一体となる事によってもたらされた極めて浸透力の強いコミュニケーションであり、ひとつの新しいメディアとして存在していた。故に、彼らの歌の多くはその思想の過激さや表現のリアルさによって、ラジオやレコード倫理規定委員会や世のPTA連中から度々の規制や弾圧を受けてきたのである。



①ヘヴィ・メタルの様式美的な、あるいは直線的な発散型サウンドではなく、ブルースやブギ、ブリティッシュ・ビートをルーツとする横揺れのロックン・ロール型ハード・ロックの復権
②ダルでルーズな乗りに絡むファンキーなうねり
③“セックス、ドラッグス&ロックン・ロール”に代表される、不良の音楽としてのロックのかっこ良さへの再認識
④現代性を取り入れながらも、常にルーツとなるブルース・フィーリングを失ない
⑤アメリカの20代の若者たちにとっての少年時代のロック・ヒーロー
・・・・・・こういった事項が要因となって、現在のエアロスミス・リヴァイヴァルが成り立っているのだと思う。


早いハナシが、結局、ロックン・ロールっていうのは、セクシーで悪っぽくて、ルーツを極め、カッコイイ、ファンキーな音楽だったってこと。それがエアロスミスだったんだよ。


ロック・ミュージシャンは常にストリートやキッズの気持ちを忘れてはならないと思っている。
高度な芸術家としてのミュージシャンや崇高な哲学者としてのアーティストが存在することは別に否定しないが、僕はあくまでもストリートに立ち続けるロック・ミュージックにこだわり続けたい。


つまり俺の言いたいのは、パンクでもロックでもヘヴィ・メタルでも、イメージや他人様の作りあげた概念に捉われるなよ・・・ということさ。結局のところパンクであろうとなかろうと、人は自らの1回限りの人生を、自らの個有性において生きていくだけだということだ。精神パンクだろうとファッション・パンクだろうと、営業パンクだろうと、そんなもんは勝手にやってくれよ。安全な道を行くのも、ヤバい橋を渡るのも、アンタのやり方次第さ。ロックで世界は変わりはしないが、人の心を変えられるかもしれない。だがそれをどう受け止めて行くのかは、全く個々の存在においてでしかない。要は変わったアンタが何をし、どうなって行くかだ。その時“パンク”というお題目はそれだけの意味でしかない。万物は流転するのみだ。


頭脳警察は“反抗と怒り”をテーマに“ふざけるんじゃねぇよ、テメエの善人ヅラをいつかぶっ飛ばしてやらあ!!”と歌い、当時のドロップ・アウトの若者の気持を代弁していたのである。それは今から考えると“早すぎたパンク・ロック”と呼べるものだったのだと思う。


ストーンズのキース・リチャーズが最近あるインタビューで言っていた。“ロックっていうのはガキの音楽で、10代の子がデュラン・デュランを聴いているっていうイメージしか持たれてないけど、俺はブルース・マンのマディ・ウォーターズが50過ぎまで本物のブルースをやり続けたみたいに、50になってもロックンロールをやり続けられるんだってことを証明したいんだ”と。
これからの日本のロックがより本物を目指すのなら、海外の聴衆や、30過ぎの洋楽ファンをも納得させてしまうだけの存在感と音楽的才能を持ったアーティストがどんどん登場しなくてはならないと思う。そうでないと、いつまでたっても真の意味でのロックが日本に浸透することはないだろう。


ロックン・ロールというのは、ピンナップ雑誌のアイドルの写真のように、20歳を過ぎたからといって“卒業”してしまえるものではないのだ。ロックン・ロールとはいつまでも夢を見続ける奴らの、おしきせの人生を拒み続ける奴らの、いつまでも不良少年のマインドを忘れない奴らの、そして目一杯カッコよく決めたい奴らの、永遠の子守唄なんだ。


(済)極論をい言えば、歌詞のくだらない歌は結局下らないというのが僕の考えだ。


ロックン・ロール・プリズナー

1/27/2008

こんなバンドがプロになれる! 高垣 健










こんなバンドがプロになれる! 高垣 健


君たちは、自分自身だけが頼りじゃないか。

使い捨ての業界なんだよ。

一生とは言わないが、少しでも長く、大好きなロックを続けるために、デビューについては、慎重に真剣に、自分の音楽を鍛えてほしい。

才能を磨いてほしい。

この世界では、「持続力」が最大の武器になるんだよ。
そしてスタッフの皆さん。

どんなにすばらしいアーチストでも、横にいるスタッフによって、大きく成長するか全くダメになるかが分かれてしまうんだ。

僕が、ライブハウスで、とてもステキなロックバンドに出くわしても、彼らについているマネージャーと話が合わなくて辞退させてもらったことがいっぱいある。
その後の結果を見ると、そのまま他社からデビューしたものの全く売れないまま終わったか、新しいマネジメントに交代して成功したか、のどちらかだ。
プロダクション、レコード会社のスタッフの役割は、一人のアーチスト、一組のバンドの人生を変えてしまうくらいの、責任の大きい、重要なものである。

これだけ新人のアマチュアバンドが増えて、そのレベルも高くなっているというのに、それに見合うスタッフは圧倒的に不足している、だから、新人アーチストを探す前に、優秀なマネジメントスタッフを探そうということが、僕たちの合言葉になっているほどだ。

また、その逆に、マネジメント・プロダクションもレコード会社のスタッフを徹底的に吟味するというのが常識になっている。
才能豊かなアーチストと、それにふさわしいスタッフがめぐり会えば、作品としてのCDは、必ず売れる。



初めて見るアマチュアバンドのライブで、何だか今までに聞いたことのない曲や、言葉づかいや、ブッ飛んだライブパフォーマンスを見たりしたとき、僕は迷わず楽屋にかけつける。

そんな個性を磨いてほしい。

個性=オリジナリティがあれば、ジャンルは全く関係ない。

しかも、君の努力と研究次第で個性は育つということを、ぜひ、忘れないでほしい。



現在のロックシーンをふり返ってみると、先にも言ったが、ジャンルは関係なくなっている。

楽曲である。
メロディである。

歌詞である。

歌である。

特に、歌詞の内容が、時代を反映しているか、本音の気持ちをあらわしているか。


特に、ロックは個人的な音楽だ。

ごく数人の共感者が、まず最初に現れる。

彼らが「共犯者」となって、ジワジワとその輪を広げていく。

時間がかかる。

根性も必要だ。

挫折するときも多い。

しかし、いつの日にか、これが社会現象になって、君はビッグスターの勲章を獲得する。


テレビCMのタイアップなどで、大々的にデビューを飾ったアーチストの転落は実にみじめだが、ライブハウスで鍛えぬかれたバンドが、何年もかかってトップスターの座に登りつめるのは、最高に気持ちがいい。


アーチストが、自分にふさわしいオリジナルのメディアを作ってしまうことがあってもいいじゃないか。
かつて佐野元春がみずから発行した雑誌「THIS」は、そんな勇気ある試みだったんだ。


大きな威力を発揮するのは、ズバリ「ライブパフォーマンス」である。


こんな興奮や感動を与えられるのは、ライブでしかないと思う。

ライブは君たちを宣伝する最大のチャンスだ。
迷っていた人は、間違いなくその翌日に、君たちのCDを手に入れるだろう。

ライブハウスでもCD即売を見かけることが多くなったが、すばらしいライブが終わったあとのCD売り場にはファンが殺到している。

僕も、関係するライブでのCD即売はいつも気になっている。
特に、新人としてデビューしたばかりのころは、レコード店にそう多くの枚数が出ていないから、ライブ会場で初めてファンの目にCDがふれることも多い。

だから、ライブの良いバンドは、とても貴重な存在なんだ。
最初は、数十人のお客だけを前にしていたバンドも、内容さえ良ければ確実にそのファンの数は増えていく。
次に百人。

さらに、二千人の渋谷公会堂へ、ついには、一万人の日本武道館へ・・・・・・。

順調に進んでも、まぁ五年はかかると思っていいだろう。



年齢層を考えると、ロックに興味を持っている人は、深夜番組や衛星放送のほうが確実に多いはずだ。
ロック専門テレビを見る人の全体数は少ないが、その100%の人が、新人バンドになにがしかの興味を持って見ているはずだ。

また、このようなテレビ局のスタッフは、噂を聞きつけて新人のライブに足を運ぶことも多い。



電波メディア(ラジオ、テレビ関係)のスタッフは、その番組を作ること自体に大きな目標をもっているようだ。
つまり、番組自体が評判となり影響力を持つことが、彼らの製作スタッフとしての達成感を支えている。

しかし、特に音楽専門誌のスタッフに関しては、雑誌全体よりも、自分が担当している一つの記事、一組のアーチストの評価や動向が、次の自分の仕事を左右する。

雑誌全体の売れ行きや評判を気にしているのは、おそらく編集長だけだろう。


プロとしての大きな変化は、制限された時間の中で最大の成果を求められることにある。これまでに書いたような、マスコミとのつきあいや取材が増えるのはまちがいない。

限られた時間と環境のなかで、どれだけベストの作品を作り出すことができるか。プロとアマチュアの最大の違いは、ここにあると言えるだろう。



ロックは、自分の身を削っての自己表現だ。

スタッフがいくら優秀であっても、アーチストみずからが切り開いて音楽を作っていく。

しかし、映画やテレビドラマは、監督が絶大な力を持っている。

その要求のなかでいかに自分を表現していけるかが、役者の使命になっていく。


スタッフの条件としては、ポイントが四つある。

「愛情」「知識」「企画」「行動」だ。

アーチストを本当に愛しているか。
議論するときに必要な音楽の知識が、どのくらいあるか。他人をノセルためのプラン、企画力があるか。

誰よりも早い行動力を持っているか。
この四つのポイントは、努力次第で、誰にでも身につけることができるはずだ。

音楽がすきなのは、スタッフとしての常識。
プロフェッショナルに、ビジネスとして「スタッフ」を名乗るのなら、このポイントに向けて、最大の努力を傾けるべきだろう。


オーディションを見るとき、最も気になるポイントは? よく質問されることである。

ずばり、ヴォーカルと楽曲だ。
一、二曲しか聴けないことが多いのでこれがすべてではないが、まずこの二点からすべてが始まる。

いい声、いい歌であってほしいのはあたりまえだが、それ以上に個性的であること、オリジナリティを感じられることが重要なんだ。

他のアーチストにはないものが聞こえてくることである。

ライブパフォーマンスやサウンドは、この歌と曲を引き立たせるものだから、元が悪ければすべてダメと言ってもいいだろう。


よく、ルックスやファッションのセンスを話す審査員がいるようだが、これは、他に話すことが見つからないための言いわけにすぎない。

すべてが揃っているにこしたことはないが、見ばえだけで音楽は語れない。

しかし、いい音楽があれば、そこからファッションとルックスを作り出すことは可能だ。

僕たちは、まずは音だけで仕事を始めるのだから、楽曲、ヴォーカル、本音の会話、この三つが揃えば、ファーストステップはクリアである。


フライング・キッズの再生と成功の例は、音楽活動を長く続けて実を結ぶ、すべてのミュージシャンに当てはまる教訓になると思う。

持続力と、チームワーク。

メンバー間のチームワーク。

メンバーとスタッフのチームワーク。

ロック、ポップスという音楽ジャンルは、アーチストの才能がすべてを左右する世界だから、持続力とチームワークという二点は最大の武器だといっていいだろう。


プロデビューをめざしての練習は、まず、レパートリーを増やすことだ。

つまらない曲が大半でも結構。

百曲作れば、ヒット曲の可能性がその中に一曲はあるはずだし、いろんな意見を聞いているうちに、君の曲作りの内容も自然に進歩してくるはずだから。
アップテンポ、バラード、ロックンロール、ブルース、レゲエ、16ビートのファンク、4ビートのジャズ、6/8のポップス、ビートルズ風、ストーンズ風、ディラン風、ビーチボーイズ風、ギターサウンドのブリットポップ・・・・・・。


僕の個人的な考え方だが、甘い曲には辛い歌詞を、激しい曲には優しい歌詞を。そんな逆説が一曲にまとまっていると、個性が浮きぼりになって、他との差別化をはかりやすいことがよくあるようだ。


リズムの練習を徹底的にくり返すこと。

リズムボックス(ドンカマ)を使って、一定のリズムをキープするように心がけよう。
「ロックンロールはノリ一発だから、ドンカマなんて使わないよ」と言う人もいるが、これは、よっぽど自分のリズム感に自信を持っている人だけのセリフだ。

とにかく、理屈を言う前に、ドンカマを使ってリズムを鍛えよう。

僕が新人バンドをチェックする
ポイントは楽曲とヴォーカルだが、リズムがいいのはその大前提なんだよ。


バンドのメンバーは、一人一人が大事な役割を持っている。

しかし、ヴォーカリストは誰が見ても、バンドの顔である。
バンドのすべてではないが、ヴォーカルによって、そのバンドの表現は一変するんだ。

歌の内容、そのキャラクターは、そのバンドを代表する。

演奏がド下手なバンドだが、ヴォーカルがすばらしいということがある。

時間がたてば、演奏は目に見えて上達してくるものだ。

しかし、その逆には出会ったことがない。

楽器演奏は、個人での練習よりも、チームワークによってうまくなることが多い。

バンドマジックとよく言うが、やはり、バンドのアンサンブルが個人の技術をカバーすることができるからである。


コピーをすることで、あこがれの洋楽アーチストの本音が聞こえてくる。

初めて出会ったミュージシャンとセッションをする機会が増え、新しい音楽仲間ができる。

君が作るオリジナル曲へのヒントになって、作品の幅が広がり、可能性も大きくなる。

リハーサルで煮つまったときには、息抜きのセッションで盛り上がる。

日本語の歌詞をつけて歌ってみたら、思わぬ言葉が浮かんできた。
歌い方にも、新しいトライができる。

ロックンロールの名曲をレゲエに変えて演奏してみると、自分たちのサウンドに近づいた曲になった。

ライブでコピー曲を一曲だけはさんで演奏したときに、ファンが総立ちの大合唱になって、今までになかったような盛り上がりになった・・・・・・。

1/26/2008

デジタル音楽の行方/2005年12月














デジタル音楽の行方/著者: デヴィッド・クセック&ゲルト・レオナルト


レコードレーベルが果たせる残された役割は、アーティストが従来のレコード契約を結ぶ際に譲り渡す法外な経済的、芸術的、そして個人的な権利に明らかに釣り合わなくなっている。



いずれはマネージャーがマーケティングからツアーやマーチャンダイジングにいたるまで、ビジネス上の決定の際に中心軸としてもっと大きな役割を演じることになりそうだ。マネージャーの名声と富は直接彼らが手がけるアーティストと結びついているので、マネージャーが指導的な役割を果たすのだ。それはアーティストにとってとても好ましい構造であり、伝統的なレコードレーベルよりもずっと深いレベルの強調関係につながりうる。マネージャーが流通経路、マーケティングの代理店、広報担当者、技術に関する契約、そしてスポンサーを選択するのだ。賢明なマネージャーならば、独立したミュージシャンビジネスとしてアーティストを成功に導くことで新たな音楽経済を成長させるだろう。



人間である以上、そこから生まれる感情的なつながり、つまりトーク番組の訴求力がラジオの魅力を保つかもしれない。ラジオが生き残りたいのなら、音楽やニュースを提供する個人的なつながりを維持しなくてはならないけれども、衛星ラジオネットワークのシリウスやXMラジオが行っているように、デジタル技術も受け入れないといけない。


アーティストがレコードを五十万枚以上売らなければ成功とはいえないという考えは、おおかた音楽企業カルテルが自分達の巨大な間接費を埋め合わせようと広めた奇妙な神話である。
















種を撒いてきちんと手入れすれば、ニッチ市場は非常に儲かる可能性がある。音楽のような無形の商品の場合は特にそうだ。
この分野には、サービスやテクノロジーの企業だけでなく抜け目のない新参の企業家にも大きなチャンスがある。



我々みんなにとって幸運なことに、ひとつのサイズをすべてにあてはめるタイプのマスマーケティングや、世界規模のオーディエンスを相手にする世界規模のスーパースターの時代は急速に終わりを迎えつつある。もうまもなく、流通は――そしてさらに重要なことに、マーケティングも――デジタルな手法に移行するだろう。最終的にはマーケティングは流通と同義になる。消費者はすでに音楽を発見し購入する場所、そして音楽を受け入れる形式にし関してとても多くの選択肢を手にしている。それが音楽を借りるのか、所有するのか、あるいは「失敬する」のかは関係ない。デジタルの力を得た音楽ファンは、ある種の流行の仕掛け人であり音楽ビジネスの活力となる。



 間違いなく、インターネットはオンラインでアーティストを売り込み、アーティストとファンの間の有益な関係を育てる大変効果的なツールである。そのわかりやすい例が、音楽をダウンロードして視聴できたり、CDが購入できるアーティストのウェブサイトである。そこではアーティストの関連商品も販売できる。ウェブサイトはそこで落ち合って音楽についておしゃべりするファンのコミュニティを主催できるし、メーリングリストを運用し、アーティストとファンの間に直接的なつながりを確立する素晴らしい媒体の機能を果たせる。
 ウェブは、アーティストが自分達のキャリアより自覚的にコントロールするための優秀なプラットフォームを提供する。ダイレクトマーケティングを通じて、アーティストとそのマネージメントは、すべての仕事をこなすレーベルの働き詰めのスタッフに頼る必要なくファンにアピールする宣伝活動を管理できる。


 アーティストはウェブを介してツアー、ショー、コンサートの宣伝ができるが、もし会場でアーティストが直接チケットの予約ができれば、チケットの販売さえ可能である。これは一般に大きな会場であったり、主要なコンサートプロモーター経由ではできないが、小規模なクラブやショーのチケットであれば、多くの場合オンラインで販売できる。少なくともショーの宣伝はできるし、コンテストやその他のオファーがファンを引きつける――コンテストのグランプリはバックステージパスが、アーティストに直接会って話をするチャンスが得られるというわけだ。
 当然ながら、インターネットはニッチ市場を対象にするとき最大限の力を発揮する。アーティストがギグで演奏したり、ショーの会場でレコードを販売したり、何らかの草の根運動を起こすことで潜在的なオーディエンスを見つければ、インターネットがこのオーディエンスをターゲットとし、その数を増やすのに利用できる。オーディエンスを知り、彼らの関心を引き、友達に進めるよう促し、似ている他のアーティストを見つけ、そして関係性を広げることすべてが、アーティストのキャリアを前進させる原動力になりうる。音楽が実際に売られる場所は関係ない。だが、アーティストが直接販売すれば、ずっと割がよいかもしれないのだ。



ニッチマーケティングにより、レーベルは小規模なファンに集中して取り組めるようになり、特定のグループのニーズを実現すべく彼らへのマーケティングメッセージに磨きをかけることができる。アーティストとファンの間で個別のアプローチや直接的なつながりを提供するレーベルは、似たジャンルの他のアーティストやレーベルとの相互リンクを検討すべきだ。「友達に紹介(Tell-a-friend)」の署名は、サイトメンバー登録やメーリングリストへの登録を促すインセンティブを与える。あるいはアーティストとのライブチャット、バックステージパス、優先チケット、個人向け商品、衣料品、ポスター、ゲーム、そしてまもなく発売されるアルバムからの曲を含む有料音楽サブスクリプションサイトは、音楽ファンにまったく新しい体験と、企業と消費者の間で強い関係性を生み出すだろう。



皆かつてないほど携帯電話に依存しており、その依存度は増え続けている。携帯電話だけでネットサーフィンできるし、電子メール、テキストメッセージ、スポーツのスコア、そして株式相場のチェック、着信音の取得、画像転送といった幅広い活動に参加できる。オンラインコミュニケーションはもはやコンピュータが独占する領域ではない。情報とコミュニケーションの広大なネットワークが、携帯電話を持てば誰でも利用できるのだ。



自分達の携帯電話のカスタマイズ


持続的な関係性の見返りとして無料コンテンツを提供することは、ミュージシャンとファンの間に直の接触を育む素晴らしい機会になる。これが音楽を売り込む非常に有力な手段になるだろう。



現在大手のレコード会社は、音楽の製作会社というよりも映画の配給会社のような役割を果たしている。新しい音楽を一般大衆に与えるための組織、資本、影響力はあるが、次代のホットなアーティストを自ら開拓する能力はほとんどない。インディーは、明日のスーパースターを試す非常に貴重な場なのである。



「メジャーレーベルはマクドナルドがハンバーガーを売るみたいに音楽を売りたいようだが、我々はそれよりむしろ角を曲がった通りにある小さなグルメ向きのレストランのチェーン店でありたいんだ」とインディーレーベルのアリゲーター・レコードの創始者ブルースイグロアは語っている。「重要なのは料理だ――いくつ料理を出しているかではなくてね」独立レーベルは芸術性でも創造性の面でも新しい音楽最先端にいる。また新しい音楽とは一時の流行ではなく、音楽市場からのもっとも成長率が高い分野である。


音楽は今後ますますデジタルネットワーク上で直接販売、配信されるようになるだろう。今ではオーディエンスに直接手を差し伸べ、インターネット経由で音楽を届けたり、ほぼ毎日新しいサービスが登場するオンラインで、人気が爆発中のデジタル音楽配信サービスを活用できる。さて、もっとも重要なのは忠実なファンや消費者と有意義な関係性を作り上げることである。アイランド・レコードの前社長であるダビット・シガーソンは次のように語る。「支配権が流行の仕掛け人や門番の手から大衆の手に移る傾向が加速している」。



サンクチュアリのビジネスには、レコード音楽、ビジュアルエンターテインメント、アーティストやプロデューサーのマネージメント、ツアーのサポーート、ライブのブッキング、音楽出版やライセンシング、ニューメディア、マーケティングのサービス、レコーディングスタジオ、書籍やDVDの出版、そしてマーチャンダイジングが含まれる。


この戦略はアーティストが長く生き残れる可能性が潜在する。


敬意。 もともと著作権が上げる信条の根本目的、クリエーターの権利と利用者の権利の健全なバランス、そしてフェアユースとファーストセール・ドクトリンに敬意を払わなくてはならない。

共有。 音楽はオーディエンスの間で共有できてしかるべきだ。そのプロセスで実際のメディアファイルをやりとりするかどうかは、音楽を共有するコミュニティの持続可能性に比べれば重要ではない。

携帯性。 人々はますますモバイルになっているので、デジタル音楽もモバイル、かつ「無線」になる必要がある。

透明性。 すべての関係当事者(つまり、消費者、供給者、クリエーター)はどのように利益が分割、分配されるべきかということについて相互理解を醸成し、維持するよう努力しなければならない。透明性がその鍵になる。

公正な価格設定。 音楽製品や音楽サービスは市場主導で、ロケーション、タイミング、アクセスレベル、ユーザーの権利、そして他メディアとの比較価値に関し、常に実際の市場価値に従って価格設定がなされる必要がある。

音楽への容易なアクセス。 すべてのものが常にいかなる場所でも入手でき、どの機器でも再生可能であるべきだ。



我々は未来の音楽企業は、アーティストのマネージメント、出版、ツアー、マーチャンダイジング、そしてレコーディングをはじめとする複数のビジネスに携わるようになると考える。アーティストのブランドがビジネスの原動力となり、アーティスト、企業、そしてファンの間のウィン―ウィン―ウィンの経済状態がリスクを緩和し、投資へのリターンの予測をしやすくする。ごく少数のアーティストの大きなCDセールスに依存する、従来の一割の成功に期待するモデルに賭けるよりも、現在進化中のビジネスモデルならばアーティストをより効果的に市場テストできるので、リスクを複数の収入源や多様な形態の「製品」に分散することで、現在よりもずっと小規模でやっていける。


この新しいミュージシャンのビジネスモデルは、レコードレーベル、マネージメント会社、出版社、そしてマーチャンダイザーの役割を単一の事業体、さもなくばサンクチュアリ・グループのように関連する企業体の集合に結びつける。


企業は、アーティストが原版所有権を保持し、その企業に限られた期間ライセンスのみを与える(リースする)契約をアーティストと結ぶ。アーティストはレコーディングを行ない、企業はそれを固定化されたデジタル形式で市場に出し、販売する製品を作り、マネージメントとライブツアーの手配を行なう。企業はまた契約期間内に書かれた全楽曲の出版社の役割も果たす。これが、アーティスト、マネージャー、レコード会社、そして出版社の利害をすべての収入源を分割する単一の事業体にまとめることで、契約したアーティスト毎の投資に対する
潜在的なリターンを増加させる。このモデルは、新しいミュージシャンに資金を調達するリスクを最小化することで――また潜在的リターンを最大化することで――関係者にかかる制作、流通、宣伝のコストを低減することを踏まえている。


「結局のところクリエイティブ産業は、ことによるとアーティストの収益から手数料を得ることで、配給業者というより宣伝係として活動するという新しい役割に順応しなくてはならないのかもしれない」。



突き詰めれば、デジタルコンテンツに関して一番重要なことは、常に露出の機会を得て知ってもらい、そしてその後でファンをお金につなげることである。これこそ、大半のメジャーレーベルの戦術の中でいまだに手が届いていないように見える重要な課題である。デジタル技術は、料金所の先のほうに動かすわけだ。手前ではない――もし消費者が自分の欲しいものだと十分納得できれば、消費者はいつでもそれにお金を支払う。



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Berkleemusic
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音楽が高度に産業化していく家庭であまりにも中間業者の力が大きくなり過ぎてしまい、アーティストと消費者(ファン)の距離が離れてしまっていたのだ 。