9/01/2007

スピリチュアリズム/苫米地英人






スピリチュアリズム/苫米地英人

催眠技術は催眠下でした学べません。これは空手や気功と同じで身体から身体への伝達です。催眠下で催眠を学ぶ。するとなんとなくその方法論がわかるというものです。
ちょっとした声色の使い方、眼の動かし方、突然黙って下を向いて間を空けて変性意識が少し深まった瞬間に声を発して誘導する―もちろん手法的にはかなり初歩的ですが、そういった細かい技を江原氏は自然に身につけているいるわけです。
素地は単純で被暗示性が高い「催眠に入りやすい人」、それだけです。

江原啓之氏などの言っていることは、宗教史的に言うと輪廻転生を前提としてヒンドゥー教的カルトです。実はスピリチュアルのみならず、流行っている新宗教はすべて差別的な思想を持つという興味深い共通点があります。
それは「人間を超えた存在」という超人思想であり、選民思想です。もっとはっきり言うとナチズムに繋がるものです。

「神様はひとり」という絶対神の世界、ユダヤ・キリスト教やイスラム教の世界では、逆に日本的な戯れ意識であったり、占いを信じたり、霊の教えることを信じたりすることなどは本来ありえないのです。
本来、キリスト教は霊能者と言われるものを認めず、逆に歴史的には魔女として火炙りにしてきたくらいです。

根本的な問題は、今の世の中がスピリチュアルなものに対して肯定的に動いているということです。21世紀はスピリチュアルに対して否定的に動かなければいけません。しかし、現実には、どうしてもスピリチュアルにはまっていく人がいます。

ある宗教団体をカルトと考えるか否かの判断基準は、一言で言うと、社会がすでに持っている価値観からどこまで遊離しているかということです。
実際に家族や友人が何らかの宗教団体に入ったときに、ただちにやめさせる出来かどうかの判断基準は、「入信する前に言われたことと入信してからやっていることが同じかどうか」ではないかと思います。

江原啓之氏はを中心に述べてきましたが、江原さんのスピリチュアルの中身は一言で言えば、アートマンの永続性と輪廻転生と魂の世界の階層性です。それはすでに述べたようにオウムの論理でありチベット密教、バラモン教の論理です。
何 が危ないかと言えば、彼の進めている論理には次のステージがあるわけで、その論理的な帰結として来るものが危ないわけです。今の彼は混乱しているように思 えます。自分に見えているものをどう処理するかについて戸惑いがある印象を受けます。まだ発展途上で、彼の本を読んでも、言動を見ても、ただの「自分探し 君」です。

瞑想を行うと、人間は大量のドーパミンを出して、気持ち良い体感を得ることができるわけです。それによって、より長時間の抽象度の高い瞑想をすることができます。
数学者にとって数学の世界が気持ち良いのと同じで、それが瞑想のからくりです。非常に抽象度の高い空間を、気持ち良く、五感をもって感じることが出来る訓練、それがヨーガの訓練です。
実は、古くから伝わる密教とは、身体性を用いて脳内のドーパミンを大量に出すことができる秘術なのです。

最終的に地下鉄サリン事件に至ったオウム真理教は、スピリチュアリズムが行き着くある種の論理的帰結であったと私は思います。スピリチュアルズムが表で語らない「この世は幻である」という本質的な思想を実践しました。あの世が主でこの世は単なる幻である。

私 は、現代日本のスピリチュアルの総本山は中沢新一だと思います。そして、布教の最大の担い手として江原さんがいるとしたら、それを中沢が別のベクトルで、 つまりさもスピリチュアルと関係のないように見せかけて、いきなり登場させた本と言うのが、今をときめくコメディアン大田光とのコラボレーション作品であ る「憲法九条を世界遺産に」だと思います。

いわゆる脳死体験とは脳が壊れていくときの現象です。ドーパミンをはじめとするありとあらゆる脳内伝達物質が、脳が壊れるときに大量に放出されます。ですからまず、気持ちが良い。

先 祖がいなければ今の自分は存在しないんですから、それは感謝すべきことですが、先祖の霊が今ここにいますと言って、本来は魂なんか認めないはずの仏教の家 にも位牌があってチーンやるのは、日本人がみな洗脳済みだからです。そして、それをいいことに一大ビジネスをやっている人たちがいる。
「祟り」を 洗脳のメカニズムで説明すれば、「祟り」という言葉それ自体がトリガーで、アンカーとは、言わば日本の歴史上に営々と築き上げられてきた臨場感世界です。 それは、過去からずっと日本人全体に埋め込まれてきた「死への怖れ」などさまざまな迷信であり、一言すれば「日本教」です。
スピリチュアルがますます跋扈する今の時代に、それと立ち向かうには、まずあなたがそれを認識することからはじめなければなりません。互いが互いを洗脳し合い維持しあっているのが今の世間のありようなのですから、まず、あなたがそれに気づけばいいのです。
霊も祟りもありません。祟られる人は「自分で自分に祟っている」のです。

ス ピリチュアリストの人たちが、「確かに非科学であるけれど、スピリチュアリズムのメッセージで人々が幸せに生き、幸せに死んでいけるのだから何が悪いので しょう。」と言っている声が聞こえてきます。何が悪いかと言えば、その優しく、美しく聞こえるメッセージの後ろに、まさに釈迦が否定した、アートマン思 想、輪廻転生、絶対差別思想がしっかりと入っているからです。
これが、過去にヒトラーを生み出し、戦争を起こし、世界では人種やカーストの差別を生み出し、日本では穢れの思想に代表される差別を生み出し、最近ではサリン事件を引き起こしてきた中心教義なのです。それが悪いのです。
そ して、それらのメッセージで幸せに生き、幸せに死んでいけると思っている人たちは、幻覚や妄想の世界に取り込まれることによって、幸せになれると勘違いし ているだけなのです。もちろん、スピリチュアリズムは来世のご利益しか約束しませんから、今生きている人たちの苦難は、「魂を磨くため」という言い訳を使 いますが、それは詭弁です。誰も救われません。

スピリチュアルとは「間違っていても信じたい」と思うことです。それに対して科学とは、徹底的な吟味をし、自分で打つ立てた考えを自ら批判し懐疑するものだということです。
ス ピリチュアルがますます跋扈する今の時代に、それと立ち向かうには、まず皆さんがスピリチュアルの実態を認識することから始めなければなりません。スピリ チュアルに囚われない認識力とオリジナルな思考力を身につけることが「本当のあなたの思考」「本当のあなたの夢」を手に入れるための基礎的な技術なので す。

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