9/15/2007

現代版 食物養生法



現代版 食物養生法 鶴見隆史



 



「血の汚れが病気の元凶であり、そのおおもとは腸の中での腐敗であり、腐敗した時はその毒素がろくな血球をつくらず、また、血漿を汚し、血管壁までもベタベタにし、その結果、肝や腎その他の臓器に負担をかけ、アレルギーを起こしたり、さらに筋肉や骨にまで悪影響を及ぼし、同時にホルモン代謝や自律神経に悪影響を与え、様々な病気につながっていく。そして血の汚れのもとは悪しき食物である」





○食事の質は健康を大いに左右する

○食事の摂取法も健康に大きく影響する(食べる量、噛み方、回数、夜食など)

○食物には血液をきれいにするものと血液を汚すものとがある

○概していわゆるおいしいものほど血液を汚す傾向にある。おいしいものは酸性食品が多い

○血液の質の良さ悪さは、組織の質に影響する

○食事を正すと血液はきれいになる

○血液がきれいになると、病気は治っていく





「土壌が腐れば木は枯れる」ということは、人間なら腸の中が腐れば病気になる、ということを物語ります。実際、東大の光岡知足先生などは、腸に腐敗菌が多くなると病気になることを指摘しています。



 



桜沢(「マクロビオティック」の原点 桜沢如一のこと)の唱えた食事の基本的な考え方は次のようなものです。

①玄米、栗、ひえ、きび、そば、葛を主食とする。

②おかずは、ごぼう、人参、レンコン、ねぎ、玉ネギ、ごま塩など主食の四分の一以下

③味付けは塩と油が一番いい。油は、ごま油、菜種油。塩は自然塩。味噌、醤油は天然醸造のものを使う。

④なるべく加工食品を食べない(つくだ煮、福神漬、缶詰、かまぼこ等)

⑤小用一日四回以下に水分を控える。

⑥一口(一〇グラム)を少なくとも三〇回噛むこと(病気のある人は、五〇回以上一〇〇回でも二〇〇回でもいい)一日二食。少食。体を動かす。



桜沢はこれを「基本食」といいました。そして、この基本食を一ヶ月続けたら、必ず次のような生理的変化が起こると強調したのです。



○頭がすっきりしてくる。記憶力がウンと冴えてくる。

○疲れがなくなり、かぜをひかなくなる。根気がよくなる。

○夢を見なくなる。朝早く目がさめ、いねむりをしなくなる。睡眠時間は六時間で十分になる。

○判断が早くなる。実行力が大きくなる。、作業能率がグッと上がる。





なぜうまいもの、おいしいものがいけないのでしょうか。なぜ食べすぎてはいけないのでしょうか。何度も述べましたように、それは「血が汚れる」からです。





うまいものが身体に悪い。食べすぎが身体に悪い。それはある面では事実です。後者はやはり、どんなことがあってもダメです。食べすぎて良いことは絶対にありません。



 



『玄米を手軽に美味しく食べる本』(高畑康子著、ペガサス)





われわれが生きていくのに必要最低限量以上の食物を身体の中に入れた場合、これが老廃物、余剰物となり、病原菌がはびこるための餌になる。





牛乳は人間にとっては不向きであったということです。カルシウムが多い、栄養素が多い、ビタミンが多い、だから牛乳を摂ると健康になる、それを摂ると背が高くなるなどといわれ、世の中に広まったのは戦後になってからでした。ところが、その最大のうたい文句であったカルシウムの量の多さということが、決して良い骨をつくらないということがわかってきたのは最近です。





カルシウムの供給源として欧米人は牛乳を摂り続けてきました。一日に一リットルも二リットルもです。ところが飲めば飲むほど骨がボロボロ(骨粗鬆症)という現象が出てきたのです。北欧ほど牛乳を飲んでいるところではないそうですが、この北欧の人たちくらい、骨粗鬆症に悩まされているところもないそうです





牛乳の欠点を列記すると次のようになります。



①カゼインタンパクであり、消化不良を起こす

②牛乳のタンパク質は分子が小さく直接血中に吸収されるものもあり、アレルギーのもととなる

③人間の脳の発達に必要なビタミンBとリンが非常に少ない

④タンパク質が多くかつ消化しにくいため腸内腐敗を起こしやすい

⑤マグネシウムが少なくカルシウムばかりが多いため、牛乳を摂ると動脈硬化→高血圧→不整脈→心臓病を起こすもととなる。その他のカルシウム過剰による弊害も、いくつも起こる

⑥自然な免疫力が母乳にはあるが牛乳にはない(IgAなど)

⑦ラクターゼという乳糖分解酵素が日本人は少なく、消化不良を起こしやすい

⑧粉乳には三〇品目の食物添加物が含まれており、さまざまな副作用の併発のもとなる

⑨牛乳のタンパク質と脂肪が血液粘度を増し、高脂血症のもととなる

⑩牛乳の脂肪は飽和脂肪酸が多量に含まれ動脈硬化のもととなり、脂肪の量の多さが乳ガン、大腸ガンなどのもととなる

⑪牛乳は視力低下を起こしやすい(宮崎大島田教授)

⑫粉乳となったものは大きく酸化している





朝はしっかり摂らないほうがいい。もし摂るなら非常に消化が良くてミネラル、ビタミンの多い果物とリブレスープを摂るのがベスト。



(1) 朝、目覚めてすぐは、内臓その他の臓器がしっかり活動していない身体がよく活動をし始めるのは起きて三~五時間経ってからです。それゆえ、目が覚めてすぐ栄養のあるものをしっかり摂ったらただただ内臓(胃腸のみならず肝、腎、心まで)は疲れ果ててしまいます。そして、ホルモン系も自律神経系も異常をきたしてしまうことになります。



(2) 日本人は長い間一日二食であったので、朝に食事を摂るのは体質的に合わない



(3) 中国では、時間と病気(経路)の関係が明記されてる。



(4) 一日二食であることにより、胃と腸と肝その他の臓器の休息につながる



(5) 西式健康法の西勝造の実験結果より





一、少食―断食、半断食をしばらくする(次項のファスティング・メニューを参照)。

二、タンパク質を少なく、穀物菜食(特に生野菜・煮野菜)、味噌汁、漬物、果物中心。

三、良いお茶、良い水をしっかり摂取する。

四、マイナス思考を持たない、積極思考を持つこと。

五、酵素のたっぷり入った食事をいつも摂る(つまりは生野菜摂取と果物摂取あるいは酵素サプリメント)。





 

9/14/2007

断眠


断眠 山田鷹夫



一食で三時間の睡眠が必要であると聞いた気がする。

それが心に残っているけれど、それを更新したいと思う。

一食で二時間の睡眠が必要となる。つまり三食では合計六時間の睡眠が身体に必要となる。

ステップアップして、二時間睡眠の道に突き進むには今の食事量をなくす以外にない。





眠っていながら起きているという、その状態が夢だ。

起きていながら眠っているという、それはどう言ったらいいか、ぼんやりとしているときがそれだ。

起きているのだが、意識がない状態だと言えばいいか。意識がどこかに飛んでいっている。

僕が単純作業が好きなのはおそらくそこに理由がある。単純な作業をくり返していると、たとえば掃き掃除だとかでひたすらホウキを振って広い床を掃いていると時間が飛ぶというか、時空が消える。

意識がなくなるということに気がつく。





もし身体の負担や疲れを消したいと願うのであれば、一つ勧めることがある。

眠る前には胃を空っぽにしておくという習慣を身につけるということである。

できるならば夜食はもとより、眠る三時間前には食事をとらないほうがいい。

なぜかと言えば、あなたの意識が休んでいると思うだけで、身体は少しも休めていないからだ。

胃に残った食物の消化のために、あなたが寝入っても身体はせっせと働きつづけなければならないからで、身体は休みになっていないのだ。

休んでいると思うのはあなたの意識でしかない。睡眠を一番左右するのは食物だからだ。



眠るということと、食うということは深いつながりがある。表と裏である。

食うということは眠るということで、眠るということは食うと同義であると言える。

一般的にはそんなふうには意識していないが、そうである。

眠るために食べるという言い方ができる。食べなければ眠らない。食べなくなれば眠る必要はなくなる。

眠らないためには、食べなければいい。単純な真理である。

だれも信じられないだろうが、僕にはそれがわかる。

不食というアホな実験をした者だからそれが見える。

断食体験者であるならばそのことを知っている。



不食の会:http://www.taka45.com/fushoku/




9/13/2007

不食のすすめ


「不食のすすめ」という本。変わった本だけど、興味深い内容。
以下、赤線引っ張った箇所を示します。どんどん哲学的、印度りんご的になる自分を制御出来ない、と。


水野南北は、遊郭に遊ぼうが何をしようが、何をしてもいい、ただ一つ食だけは節制するようにと、この一点にすべてがかかっていると言った。
今の日本にはその警告を発する者がいない。

個人でも国家でも食を節しないものは、滅ぶ。
合併だとかは些末なことだ。
根本である食を改めることのほうがはるかに優って重大であるのだ。
だがだれもそういう警告を出す者はいない。
異論を吐く者は巷にいない。
今の社会は食という欲望の怪物にからめ取られている。
何重にも封鎖されてしまっている。こ
の包囲網から、食欲構造から、人間は、日本人は脱出できるのか。
それだけが問題だ。


物質の歓びは頂点に達した、そこに幸福はなかった。
ではその体験を生かして、新しい山に向かおうというさらなる進化の道に踏み入ろうという代替の提案だ。
没落を歓迎したい。
達成の後には降下があって当たり前だ。
成功の連続では感激は薄れる。
失敗や没落は長い人生のスパイスになる。
繁栄だけの人生は底が浅い。
対極をも味わって究めてこそである。
半世紀で貧乏から、繁栄の頂点に達した。
再び没落するのもいい。
だがその没落の流れの中で新しい流れを形成する。
過去の歓びとは対極にある歓びに自らの意識と生活をシフトする。


9/12/2007

オシムの言葉






オシムの言葉





間瀬秀一は
「行く国、行く国、貧しい国。行く先、行く先、苦しい場所。ツテもなくて2部とか3部ばっかりで、スタジアムも小さくて環境も悪いわけですよ。住むところも食べるものも貧しいわけです。で、サッカー辞めようかなと何回も思った。でもそこのチームメイトと同じものを食べて、同じ生活をするうちに見えてくる。俺がこんなに苦しいってことは、そこの国の人、みんな、苦しいわけです。彼らに愛着が湧いて来たんです。どんな環境であろうが、そこに人が住んで生活を営んでいる。1部でも3部でもやることは結局同じサッカー。
人生なんて、みんな、価値観、それぞれ違うわけじゃないですか。サッカーなんてどうでもいい、サッカーなんて嫌いな人だって世の中にいるわけです。でも自分はサッカーを好きで、こととん追求することができた。代表になれたわけじゃない。サッカーで大金を稼いだわけでもない。それでもね、確かに自分は貫いたという自負があります。」





夢ばかり見て後で現実に打ちのめされるより、現実を見据え、現実を徐々に良くしていくことを考えるべきであろう。





攻めるべきかどうかということは、人生の哲学とも関わっている。プロの世界だから結果は大事。内容が良いかどうかよりも、やはり勝ち負けが注目されるし、それがプロでもある。そういう意味で、人生の哲学と関わってくるのではないか?
私が思考するのは、観客やサポーターはいったい何を望んでいるのか、そして何が目的なのかということだ。サッカーとは攻撃と守備から成り立っているもの。その要素の中でいろいろな方法論をとることができるが、私としては、いる選手がやれる最大限のことをして、魅力的なサッカーを展開したいと考えている。そういうサッカーを目指すには、リスクが付きものだ。しかし、現代サッカーがビジネス化し大きなお金が動くからといって、そのリスクのほうを狭め、大きなお金のためにサッカーを展開し、ほとんどの試合が0-0になったらどうか?もちろん、いいサッカーをしても0-0の結果になることはあるが、それはまた別の話。観客が満足するようなことに挑戦することこそが、大切なことだと私は思っている。
全ての監督が大きなプレッシャーを感じている。ほとんどの人たちが、試合の内容よりも結果に注目しているわけだからね。やはりチームが負けないようなサッカーを監督は選択していくだろう。ただそういうことを続けていたら、残念ながらいい内容の試合は展開されないだろうね。










9/11/2007

行列のできる店はどこが違うのか




行列のできる店はどこが違うのか/大久保一彦



#1行動の9割は無意識



あらゆるものが成熟した日本の市場において、この差は「商品の違い」でないことは、みんながうすうす感じていると思います。しかし、どうしても商品に固執してしまう。状況が悪くなればなるほどその傾向が強くなります。



味は嗜好性のある要素であり、人それぞれ好みが違います。例えば、塩加減などは生まれ育った環境で違います。生活水準が高く、文化的な生活を送る家庭で育てば、塩加減は穏やかになります。その反対に、夫婦共働きで、時間に追われて生活をすると塩加減が強くなります。なぜならば、サラリーマンやOLのランチタイムは非常に短く、短時間にお腹を満たさねばなりません。おのずと無意識のうちにインパクトのある味を求めるようになるのです。私は、堂々、「貧乏人はタレを飲み、塩を食べ、裕福になって時間を食べる」と言っています。



店というのは売上が上がった時点から本当の商売が始まります。



ラーメン屋で味のインパクトを出す場合、化学調味料を増やすのが常套手段です。人間は舌と体のふたつで塩分を感じます。舌と体です。


しかし、 化学調味料を塩とブレンドするとこのブレーキの利きを甘くするようで、舌で「しょっぱい」と感じるポイントをずらしてしまいます。



インアンドアウトバーガーでは創業以来裏メニューがあったそうですが、もしそうだとするとインアンドアウトバーガーは商売の天才です。


なぜか。まず、メニューをシンプルにすることで生産性を高め、仕入れ効率を高め、高品質のハンバーガーとどこのハンバーガーチェーンよりも高い賃金とを実現しています。おいしさとサービスで評判になる。



売込みを意識させるのとさせないのでは、逆説的なことに、意識させないほうのが良いのです。


「新宿さぼてん」はアルバイト、パートで店を運営しています。したがって、販売スキルは低いです。そこで私は、袋や箱を作ったり、スタンプカードにハンコを押したりと手空きのときの作業を考えました。これによって販売スキルの低いスタッフでもお客さんを店に引き込むことができます。従業員に動きを作ることで、ショーケースの前に立ちやすくなり、売れる環境になるのです。



開放度とはお店が道路に対してどれくらいオープンかを表します。入り口にキュウリやトマトなどの野菜をザルに載せているような八百屋さんは開放度が高いといえます。開放している度合いが高ければ境界線を意識しませんので、お客さんは入りやすいと感じます。


次が透視度です。飲食店などは、一般的に外気を遮断するために八百屋さんのようにはオープンにしません。その場合、入りやすさを出すために、入り口などをガラスにして中が見えるようにします。そうすると入りやすく感じるわけです。どれくらい中が見えるかを透視度といいます。


最後に深度です。お店が奥まっていると一般的に気取った印象を受けます。この奥まっている度合いを深度といいます。料亭などは、塀があって中が見えず、おまけに入り口が奥まってます。ですので、とても入りにくい印象を受けます。逆に、町の八百屋さんは入りやすい印象を受けます。これをうまく調節するとお客さんの無意識に感じる入りやすさをコントロールできるのです。ドラッグストアは入り口にティッシュやトイレットペーパーをおきますね。まるで万引きされそうです。でも、この万引きされそうな環境が大切で、万引きされそうというのはお客さんに境界線を感じさせないのです。



東京の港区の人気のあるレストランでは、「お客様、○と△と□をお選びですと、お二人様では量が多すぎると思います。□を次回のお楽しみとされたらいかがですか?」と、お客さんの注文のしすぎを防いでいます。なぜかというと、料理を残された場合、量が多いことを知らない一見さんの場合、まず、「不親切な店だな」と思われてしまうからです。そして、もうひとつが、無意識にすごしている限りは予算を超えないようにすることによって、お客さんの価格に対する満足度が高まるからです。



売上の構造を説明する時に、「売上=買い上げ単価×客数」という公式を使います。その考え方に従うと、売上を上げるには買い上げ金額を上げるか、客数を増やすしかないことになります。あまりお客さんが増えない成熟の時代、どうしても新規客が増えそうに思えませんから、来店されているお客さんから売上を搾り取ろうとしています。経営者は「なかなか手が伸びないこの商品、買ってくれたらなあ」こんな事を考え勝ち。しかし、これが、より一見さんしか来ない商売にしてしまうわけなのです。


では、単価をアップさせる方法はないのでしょうか?もちろんあります。それは、自分、すなわち店とお客さんの両方を進化させるのです。進化とは、文化の度合い、分かりやすい言葉で言えば価値観の水準の向上です。



人間は幼少から育った環境で、生活習慣や文化を身につけます。



人間は安定を得ると新しい文化を理解するようになることがあります。ですから、私は、無意識のうちに新しい世界に接する機会を積極的につかもうと行動してきました。



文化を創るには自分自身にその文化が必要です。それは文化の階段を上がるには、道案内するガイドが必要だからです。自分自身に文化がないと、誰かに依存しないといけません。自分の体験以上にお客さんを感動させることはできません。


ですので、単価アップは自分のためにも大切なことです。そのためには、自ら進化し、文化発信できる立場になり志が重要なのです。



売上=新規客の売上(客単価×客数)+その後のお客さんの利用の度合い+その後のお客さんと自分の成長




#2常識は時代の産物



良い商品開発には、経験曲線のメリットを享受できることが必要です。分かりやすく言うと、売上に比例して増える経費、すなわち変動費を増やさず、かつ、そもそもかかる経費、固定費も増やさないで、経費と増えた売上のギャップを作る商品を開発するのです。



「おいしさがあれば繁盛する」これは食を扱う誰しもが持っている常識です。しかし、あらゆる食べ物が身近なところで手に入る今の時代では、この「おいしさ」という言葉の前に「卓越して感動に値する」という前置きがあってはじめて成立する話なのです。



#3強みではなく弱みで勝負



鮮度が重要な文化というのは、必ず上から下に流さないといけないのです。


ですので、店というのはまず、今までにないものは、新しいものに敏感な文化のある変わり者に流さねばなりません。そして、その人たちに文化発信する楽しさを十分堪能してもらい、優越感に浸ってもらいます。このプロセスで口コミが浸透し、文化として根付いていきます。


繁盛店作りの最初のポイントで、消費者全体の中では変わり者のお客さんの口コミを通して、世の中でおいしいものという常識になっていけな繁盛店は容易にできるのです。



二流店はよさそうなもの同士を組み合わせ、一流の店は意外なものを組み合わせるのです。



一般的に弱小企業や新参者はいいスペースをもらえません、悪い条件下で、数ある埋もれた商品の中から、お客さんの目に止まり、選んでいただくことまでをデザインの中に落とし込まなければならないのです。これは重要な販売術で、ヒット商品には欠かせないポイントです。



自分の知識の基準を相手に押しつけるのは難しい。ここではまず、待つことが大切です。お客さんが新しい文化を取り込むには、加えてタイミングが重要です。早すぎても遅すぎてもよくありません。



今の消費者は、より選択肢が多い場所を選ぶ傾向があります。それは、「その街に出ればなんとかなるだろう」と思って外に出る今時の若者の深層心理を如実に表しています。このタイプの「とりあえず客」は目的意識がありませんので、すぐ忘れてくれるという良さがあります。



#4脚本+演出+役者



『神話の法則』(クリストファー・ボグラー著)という脚本家のマニュアルのような本があります。この本には脚本作りのセオリーが書かれており、ハリウッド映画、特にディズニーなどはストーリー展開においてこのセオリーを踏襲しています。例えば、この著者は、ストーリーの展開は次の12ステージになっていると述べています。


1、日常の世界(映画の始まり方、子供同士が遊んでいるシーンから入る)


2、冒険への誘い(たんすの中に別世界への入り口を発見)


3、冒険の拒絶(誰かにその入り口へ入ることへの恐怖が湧く)


4、メンターが現れる(見知らぬ世界への準備をさせる)


5、第一関門突破(冒険に踏み出し何らかの成功を収める)


6、試練、敵対者(なんらかの成功を収めるとやっかみなどの試練が発生する)


7、もっとも危険な場所への接近


8、最大の試練


9、報酬(第二関門の突破)


10、帰路(この時点でヒーローは完全に危険な状態から脱しておらず、どんでん返しが待っている)


11、復活


12、宝を持っての帰還


この展開を頭に入れて映画を観ますと、いかに多くの作品がこのようなセオリーで進行しているかがわかります。



高級ワインを楽しむことは、歴史を受け継いだ過去と今と未来を結ぶ共有できる価値観を楽しむ文化なのです。文化度がなければ、価値観を感じないのです。ワインのつくり手や関る人は必ずしも、単に儲けを考えて事業としてやっているわけではなく、文化の伝道師というミッションで日々携わっている人も多いのです。



#5ビジネスと人生設計



店の命の源は活気です。明日や先のことなど、何も余計なことは考えず、ただ目の前のお客さんを喜ばすために必死にいろいろなことを考え、その瞬間を繁盛店のスタッフだと思って演じきってもらわないと店は繁盛に導かれないのです。



「あなたが一年以内に行くようになった店で、三度以上行った店はどれくらいありますか?」



「今までお客さんがまた来ないという視点でみたことがありませんでした」



「料理人よ故郷へ帰れ、そして故郷の市場に行き、故郷の人々のために料理を作れ」


商売人にとって大切なのは自らを育んでくれた故郷にあるのではないでしょうか?その縁のあった故郷を豊かにしてこそ、自分の生きていることに対しての恩返しができるのではないでしょうか。



9/10/2007

海外留学の理想と現実




海外留学の理想と現実・浅井宏純



日本人にとっての国際性というのは、国際人的な意味で使われるのだと思いますが、もっと広い意味で使われる国際性というのは、主に国益なども含めてた、他国との違いということです。つまり、国益や文化的な意味での対立を前提にした、異文化へのコミュニケーションだそうです。現実にはそういう意味の方が強いのでしょう。



留学することが国際性を直接に育てるとは思いませんが、日本にいるよりは、留学することで早くから自然に外国人と触れるので、意識は国際的に変わるでしょう。繰り返しますが、日本人が日本人であることがとても重要であり、日本人であることが、すなわち国際的に貢献できるのを忘れないでください。



アイデンティティが育っていないのは、家庭での日常生活や日本の学校教育のなかで、誇り高い日本の文化が教えられていないからです。留学することで、日本にいる家族と日本により興味を持って、自分の文化を育てていく学生がいる反面、留学して根無し草になる学生がいます。彼らは、現地で知り合って友だちになった外国人から影響を受けやすく、彼らの文化に染まるのです。



もっともよい対策は、親が待つことです。気になっても、少々子供が苦労していても、放っておくことです。考え方の違う異文化に、子供が留学しているのです。親があれこれ自分の(日本での)考え方や知識でアドバイスしないことです。


遠くにいる親より、知覚の他人。子供には、離れた日本にいる親ではなく、留学先でお世話になっている身近な人、先生やホストファミリーや友だちに相談するようにさせることです。本人から相手に悩みを伝えることで、必ずうまく解決します。



「好きなことをしなさい」「好きなことを見つけて、一生の仕事にすればいいのよ」といって育てらている子供は、思考に柔軟性がなくなります。「(よい大学、よい就職のために)勉強さえしていれば、あとは好きなことをしていいのよ」というのも、根は同じです。そのようにいわれ続けて育てば、自分の希望を大切にするがために、人のアドバイスを聞かなくなります。好きなことをするためにはリスクがあり、したくないこともしなくてはならないことを教えておかなくてはなりません。


大人になったら「人の役に立つ仕事ができるようになればいいね」といって育てられた子供は、人のためなら人が嫌がる仕事にもチャレンジできるのです。その方がどれだけ可能性が拡がることでしょう。



私が3人の娘をすべて中学留学させた理由は「子供を自立させる」ためです。私は、「自立」が教育の役割の一つ、留学が自立の芽を育てる最高の手段だと、経験上、確信しています。だから、娘たちを旅に出して、他人の釜の飯を食べさせること、外国へ一人で行かせて、言葉の壁を乗り越えて、厳しくも楽しい学園生活をさせました。外国から親のこと、姉妹のこと、友だちのこと、日本のこと考えるきっかけを与えてあげたい。また、一度、日本の教育システムから外すことで、日本に戻っても、子供たちが自分の将来は自分で決められるような、逞しい想像力を身につけさせたかったからです。



「留学とはお金を出して、苦労を買いにいくもの」です。親の庇護から離れて精神的に独立し、日本での価値とはまったく違うものを学び、他人の気持ちをわかってをわかってあげらるように成長していくところに、留学生活の本当の意義があるのです。苦労を買おうとしないようでは、とうてい夢など追い求めることはできないのです。



感謝できない子は、日本ではいつも親に守られていて、欲しいものをなんでも与えられていたように感じます。高校生なのにとるべき責任が取れない。高校留学はもはや親の責任にはなく、自己責任なのです。



18歳くらいには、人生を自ら選ぶ能力を身につけて欲しい。だから旅(修行)をさせるのです。かわいい子には旅をさせる。旅行とは違い、旅には危険がつきものです。問題に直面したら、それを自らで乗り越えさせるのです。正しく生きることが社会への貢献です。そのうえで、夢大きく、志高く、世界のために日本のために活躍できるリーダーにも育って欲しいと願ってしるのです。



留学は日本では知り得なかった人々との出逢いと感動があります。感動は人を動かし人生を変える原動力ではないでしょうか。子供も大人も、留学体験をして初めて身につくことがたくさんあるのです。


遠藤周作は昭和25年、留学先のフランスへ上陸する直前に「ぼくはすべての独断を今日から捨てよう。すべてのものを新鮮なままで受け入れていこう。そして、より善きもの、より美しきものをこの国の中に探っていこう。自分をたえず支えるものは、誠実であり、真実に対する勇気であることにしよう、ぼくはそう考えました。」(『ルーアンの丘』)と決意を述べています。アレもコレも欲しがらなければ成功を手にすることは簡単なのです。なくすものなど何ひとつありません。勇気を持って新しい一歩を踏み出してみませんか。何はなくとも「夢はでっかく、根は深く!」です。



外国で成功するために重要なことは?


・偏見のない開いた目と冒険


・自信を確立し、外交的な性格を得、他の人たちと関係を得る能力を持つことです


・新しいやり方を学ぼうとする意思です。学ぶ意思と願望、これを持っている生徒、そして指示に従おうという意思がある生徒は海外でうまくやっていけるでしょう


・海外で勉強することに誠実でなければいけなせん。柔軟で態度を適応させることができ、他の人に対し開放的で親しみやすくなければいけません。また、異文化は生活スタイルに対し準備が整っていなければいけません。そうでなければカルチャーショックは大きすぎます


・異文化に対して、考えを広く持つ必要があります。物事に対して柔軟で、もっとも重要なことは、経験に対して前向きな態度が必要です。このような生徒は最適に対応でき、経験から最大のものを得ます



9/09/2007

正しい意思決定の五条件




「正しい意思決定の五条件」とは、



つぎのとおりです。

①やりたいこと・楽しいことをやる

②自信のあることは、やってもいい

③自分のためだけのことではなく、世のためになること

④責任がとれること

⑤恨まれることはしない


たかのしれた社会



たかのしれた社会


(タオ・老子【原著】加島祥造【訳】著より)

ぼくらは人にほめられたりけなされたりして、
それを気にして、びくびく生きている。

自分が人にどう見られるか、
いつも気になっている。

しかしね、
そういう自分というのは、本当の自分じゃなくて、
社会とかかわっている自分なんだ。

一方、道(タオ)につながる本当の自分があるんだ。

そういう自分にもどれば、
人にあざけられたって、笑われたって、
ふふんという顔ができるようになるんだ。

社会から蹴落とされるのは怖いかもしれないが、
社会のほうだって、いずれ変わってゆくんだ。

大きな道(タオ)をちょっとでも感じていれば、
くよくよしなくなるんだ。

たかの知れた自分だけど、同時に、
たかのしれた社会なんだ。

もっともっと大きな「ライフ」というもの
それにつながる「自分」こそ、大切なんだ。

そこにつながる「自分」を愛するようになれば、
世間からちょっとばかりパンチをくらったって平気さ。

愛するものが、他にいっぱい見つかるさ。

世間では値打ちなんかなくっても、
別の値打ちのあるものが、いくらでも見えてくるんだ。

金なんかんで買わないで済むもんがね。



9/08/2007

掟破りの成功法則


掟破りの成功法則 夏目幸明




<海洋堂/宮脇修>

海洋堂には『これさえやめたらいける3箇条』があるという。
1.お金がないのに次々と新しい企画を進めない。
2.ヘンなものを出さない。
3.常にバクチを打ち続けない
・・・・・・つまり、宮脇はその3つを激しく続けてきた。


結局のところ、ホンマの才能言うんは、好きで好きでしょうもないことを、真剣に、長く続けることなんや。逆に、不器用なヤツが、5年、10年かけてモノになると鳥肌が立つようなもんを作りよる。


『クラスに40人おったら、1割ぐらいは変わり者がいるはずや。そいつらが買うてくれたら商売にはなる』


「なあ、こんなお笑いのようなことを大まじめに続けてきたんが海洋堂の歴史や。なあ、わかるか?これは“好き”とか“愛着”なんて小っちゃなもんがデカイものにかみつき続けてきた歴史なんや」


世の中に媚びて自分を曲げんことや。好きなことを好きなようにやる、遠まわりに思えるかもしれんけど、ホンマはそれだけがオマエの人生とちゃうんか?


沈む淵があれば浮かぶ瀬もある・・・


目の前の壁に挑戦したり、ぶつかったりするうちにこうなっただけですわ(笑)。
人生にはいろんな“壁”がありますやろ?鉄の壁、石 の壁、板でできてる壁もあれば実は紙、いうのもあるはずや。それが目の前に立ちふさがった時、どうしたらいいと思います?結局、力一杯ブッ叩いてみんこと には、それが何でできてるかはわからんのです。跳ね返された痛みで目が回ることもあれば、びっくりするほどカンタンに腕が突き抜けることもある。そんなこ とを繰り返しているウチに、こうなってただけですわ(笑)」


「心に花を思わずば、手先手練は人に勝れたれども、花を知る人とは云わず。未熟にても、心に花を思ふ人は、花を知りたる也」。いかに技術があれど、いかに器用であろうとも、愛情がなければ、ついに花を知る人とはなれない――。

<ソフト・オン・デマンド㈱/高橋がなり>

「人と変わったことをやり通すだけの意思と力を持っていたら、大抵食べていけますよ」(ソニー創業者・井深大氏)。

<㈱トーイズ/北原照久>

人が大事なものを見失う理由の大半は、他人との無意味な「比較」にある。実は、偏差値、給料、社会的な立場など、分かりやすい基準であるほど、比較に意味はない。世に、自らの絶対的な価値を見つけられず、世俗の価値にすがる人物がいかに多いことか・・・。

<創庫生活館/堀之内九一郎>

足が棒になるまで売り歩く、というのは残念ながら努力じゃないんです。足を棒にしなくてもいいように、効率のいいシステムを作る、商売をデザインするのが、本当の“努力”なんです。世の中には、ここに気付かずに、ただがんばっちゃう人が意外と多い。


「意外と、この振れ幅が大事なんだよ。少々のことがあっても、何ともなくなる」
それは「堕ちる時はとことん堕ちろ」と絶叫した昭和の名文学、『堕落論』の一節のようにも思える。


・座右の銘は?
流れに従って志を変えず。

<コロちゃん㈱/小竹守>

はなから負けるとわかる勝負に挑むこともある。結果、やっぱりボロクソに負ける。けどさ――やったってことには、意味がある。


その結果、たとえ大損をしてもいいんですよ。人生トータルで考えれば、場面、場面で人間として納得行く道を進んだ方がきっと大きくなれる。

<㈱テンポスバスターズ/森下篤史>

進化論の世界では、強いもの、大きいものでなく環境に適応できたものが生き残る―


ようは“余計なこと”が人間の可能性を拡げるというわけだ。フランスの微生物学者・パスツールは「偶然は準備のある心に味方する」という言葉を残している。

<まんだらけ/古川益蔵>

人に何を言われようと、どう思われようと、好きなことをやり続けること、これに尽きるんです。ボクは言ってみれば、社会からツマハジキにされてきた 人間です。かといって天才的な才能があったわけでもない。けれど、ついに『世間並み』にならず、自分を貫いたんです。そしたら意外なことが起こった。世間 がボクに付いてきてくれたんです。開き直るまでは大変でした。仕事も減ったし、友達も失った。だけど、道が開けてきたのは、それからなんです。


成功と破滅、堕落とストイック。対極にあるものはときに激しい相似形をとる。

9/07/2007

堺屋太一・9/2/2007日経



堺屋太一・9/2/2007日経


子供に勇気とか覚悟とか独創といった美徳を教えなかった。自分で考え選択する気力を与えなかった。一流の大学を出て会社に入るのが幸せなんだと。



優しさと安易さだけが美徳と教えた。満足の大きいことが幸せになった。満足とは主観的。世界中の人が主観を持ち出しているのに、日本人は客観がいいと思いたがっている。



好きを基本に勇気と決断と覚悟の美意識を持ち直そう。

つか版 誰がために鐘は鳴る






つか版 誰がために鐘は鳴る つかこうへい



女を辱しめず裏切らない人間をスターという。



『冬のソナタ』のペ・ヨンジュンも、『ローマの休日』のグレゴリー・ペックも、誠実であり続けようとする。
なぜならスターは、強気をくじき、弱きを助ける正義の味方でなければならないからだ。



韓国では、どのような理由があるにせよ、兵役に行っていない男性は貶められる。
イ・ビョンホンは義務を果たしたが、公益勤務要員ということで6ヶ月に期間短縮され、チャン・ドンゴンもまた気胸という病気で免除されている。兵役に行かなかった者に対して、人は彼らを「腰抜け、卑怯者」と差別する。
ペ・ヨンジュンもチャン・ドンゴンも、その差別の中で生きてきた。
その中で彼らは、必死で不動のスターへの道を模索し続けている。
だからこそ、いま毅然と輝いている韓流スター達の微笑の中に、孤独を見る。
彼らの微笑みの裏には、決してこの社会に完全には受け入れてもらえないという、諦めからくる寂しさがつきまとっているように感じられる。



儒教の国・韓国では、学問を重んじ高学歴であることが重要視される。
そして俳優という仕事は国民にとって自分達の代表であり、高学歴・高身長・鍛え抜かれた肉体・人柄と、完璧さを求められている。



ペ・ヨンジュンは芸術家と呼ばれたかったのであろう。映画好きな韓国の中にあって、知性ある役者と呼ばれたかったのであろう。
が、映画というものは大衆が楽しむエンターテイメントであることを忘れてはならない。



彼女たちは芸術を見たいのではない。夢を見たいだけなのだ。



私はペ・ヨンジュンに、若い娘の将来のために入れ歯をはずさせるような、そんな男気を持つ人間に成長して欲しいと思う。
ペ・ヨンジュンなら、きっとなれる。
なぜなら、スターは相手を、ファンを思いやる心の深さのことであるから。そして、スターの華とは、男気のことであるから。



誠実に生きていこうとするサラリーマンが死ななければならないアメリカ。
アメリカは、心の美しさを鍛えず、『見栄ばかり』鍛えてきたから腐ったのである。
エリザベス・テイラーは、「子供を堕ろすくらいなら、死んだほうがましだわ」と古き良きアメリカ女の心意気を見せていた。



「ペ・ヨンジュンは、威張らないって。偉そうにしないから、日本の女達が、魅かれたと」



「それに日本の亭主たちって、奥さんに対して威張って恩着せがましくするじゃないですか」


「恩着せがましい」


「女って恩着せがましくされるのが嫌いなんですよ。やれ『家買った』『不自由のない暮らしさせた』そのうえ自分は会社の若い女の子と浮気しといて、『定年になったから面倒みろ』『ボケたお袋の介護頼む』。これじゃ女達だっていい加減頭にきますよ」



作法とは人を思いやること、やさしさとは人に恥をかかせないことだと知ったんですよ。



「私も思うんですよ、弱い者の視点で物を見なきゃいけないんじゃないですかね、文学とか芸術とかは。
ペ・ヨンジュンって人はその弱い人への優しい目線があると思うんですよ。」




リーダー論???

台風上陸した。海岸の家が揺れている。怖い。高いところに住むものではない。


リーダー論



プラトンのこの話はもともと「無知」と「知」ということを論じたものでありますが、この話をリーダーシップ論として考察するというのは着眼である。

この話の教訓は、
(1)リーダーとなる資質のあるものは、未知の世界を見にいく好奇心と勇気を持つ、
(2)リーダーは見たり体験した素晴らしいものを独占せず、仲間に伝え、共用しようとする(わたくしはこれを指導者の重要な資質だと思うのです。じぶんで苦労して見つけた新しい世界である。独り占めしていい思いをしたっていいのだからね)、
(3)そしてリーダーはそれを知らない仲間たちにきちんと伝え、説得する能力を持つ、
という3点であります。


9/06/2007

風水ことわざ






風水ことわざ



日本人は、「世間の人が笑っている」「縁起が悪い」「常識がない」という3つのフレーズを並べられると、身動きできずに、自信を失ってしまう。

“運がいい”ということは、タイミングがいいことであり、自分を活かすことです。


多くの人の中で毎日の生活を通じて環境を活かし、自分を運のいい人間にしていく努力こそ、現代にふさわしい“修業”


・タイミングのいい人間をツイている人という

・ツイていないときは午後11時までに床に入れ

・本気で仕事をしたいとき、自分を活かしたいときはひとりで行動せよ

・きらいなことでツキが変わる

・その土地の良さを活かせない人は、どの土地にいっても自分の良さを活かせない

・いちばん苦手な人と夫婦や親子になると思え

・実家の役に立った娘ほど幸せになる

・運のいい子供は運のいい親が作る

・一家は一火

・文句を聞くときには頭を下げろ

・3月に服を買うと一生着るものに困らない

・文句を言うひまがあったら笑顔の練習

・夢と勇気とわずかなお金

・多数決で決めたことは成功しにくい

・お彼岸には仕事とからだの現状をチェックせよ

・一流の人間が集まるところにパワーあり

・好きな場所で希望や夢をつぶやけ

・太陽の動きに合わせて生活せよ

・多くの人の幸せのために働くことで自分を磨け

・運とツキは相続税がかからない財産

9/05/2007


2年前のメモより

9/14/2005のメモより。2年前の内容だけど、腐ってないので・・・。


もっとフリーに生きようと思えば、最悪のことを覚悟して、それを一旦、心の倉庫にしまっておくべきだ。

オドオドしていては、物事の実行にブレーキをかけるのだ。
失敗していいんだ、くらいの気持ちでいることである。
逆に、恐怖心とか、心配事、不安のない人はこだわりがないし、集中できるから、
何事もすべてスムーズに行なえる。


嫌いなもの、苦しい時点を克服することに喜びをもつと、そのことによって魂は磨かれるんです。

一つ克服すれば一つの新しい力が、そして二つ克服すれば二つの新しい力が備わってくる。
苦しまなければ力はつかない。
そして、苦しいという方を見るのではなくて、力のついているほうを見ると、そこには喜びが沸く。
だから、苦しみの裏にこそ力がつくともいえるのだ。

会社を変えたいとか奥さんを変えたいなんていう人がいるが、自分が変わらない限り
相手が変わるはずがない。

自分は変われるんだ、という心構えを持つことが必要である。
まずは、そう思うだけで違う。
そして、自分を変える一番いい方法は、自分の身柄を誰かに全部預けることだ。
自分が変わり得ないということを知ったなら、手を引いてくれる人にすべてを任せてしまうことだ。

その人は実績のある人でなければならない。



膨大な情報が世界を駆け巡る。限りなくゼロに近づく情報交換のコスト、不特定多数につながる開放性・・・・・・。「知」の加工や深化を通じ、物質文明では到達できなかった情報文明へ歩を刻む。


万人が楽しめる時代が到来した。「現行の補償金制度は権利団体を通じてレコード会社や大先生だけに著作権料が戻る。団体に属さないクリエーターは蚊帳の外だ。彼らにきちんとお金が戻る、新しい仕組みに作り替えるべきだ」(穂口氏)

補償金制度のみならず、著作権の仕組み全体を見直す機運もある。小委員会の主査を務める中山信弘・東大教授は「著作権法は(問題の)吹きだまり的様相を呈している。現行法が社会の要請に応じうるものなのか、問い直す必要がある」と主張する。


9/04/2007

一度も植民地になったことがない日本


一度も植民地になったことがない日本・デュランれい子




アングロサクソンが単純という根拠の象徴は、あの「カウボーイ」である。ハリウッド映画の例を出せばどなたも納得されられるはず。腕力で勝負を決めたいアン グロサクソンのイギリス、アメリカに、とことん議論し合うことをよしとするラテンのフランスが抵抗している今回のイラク戦争は、この対比の好例ではないか と思う。


アーティストは非常にリスキーな仕事だ。好きだからはじめても、食べることが満たされる仕事ではないから、先進国の仕事と言ってしまえば確かにそうかもしれない。食べることが最優先される国々では、芸術が職業として公認されていないのはよくわかる。


自分が確立した定評ある画風を一生守り抜くほうが、楽と言えば楽かもしれない。とはいえ、プロとして退屈な人生ではないだろうか。


ヨーロッパの人々は知らない人同士でも顔が合うとニコッと笑う。何のためかと言えば、「私は、あなたを警戒してませんよ」という合図。ただそれだけなのだ。しっかり覚えておいてください。「笑顔はタダ」なのです。



9/03/2007

頭の回転が50倍速くなる脳の作り方









頭の回転が50倍速くなる脳の作り方・苫米地英人





最速でマスターするメカニズム
・抽象化の訓練をしながら日本語脳の活性化を抑える
・次を予想する(決して暗記しようとせずに、次を予想する)
・英語のドラマなどのDVDを朝から晩まで見続ける
・抽象化訓練を行う

IQの高い「新しい脳」をつくる
ステップ1 リラックス状態をつくる
身体の一箇所から始めてだんだん身体全体をゆっくりゆっくり緩める。これを5~10分くらいかけて筋肉を緩めるリクライゼーションを毎日やる。
逆腹式呼吸
息を吸うときにおなかをへこませ、息を吐くときにおなかをふくらます。口と鼻の両方で吐いていいので、ゆっくりゆっくり息を吐きます。
とにかく、息を吐くときに全身をありったけ緩めることが重要です。

ステップ2 コンセントレーション(集中)状態をつくる
一点に集中すると、その一点以外がすべて無意識になる。

ステップ3 超並列脳をつくる
リラックス状態をつくったあとに、自分で目をつぶっておでこのどこか一ヶ所だけをじっと見る。
その一ヶ所だけをずーっと凝視するだけでいい。目をつぶったまま眼球を上に向けるのです。
ラピットアイロールという方法。
そうすると人間の脳は超並列的に動き出してきます。
中には寝てしまう人もいます。寝るということは超並列的に思いっきり動くことを意味しますが、コントロールできなくなるのでなるべく寝ないようにしましょう。

抽象度を上げるトレーニング
・目の前にあるものすべてに説明や解釈を重ねる
・一度目をつぶって、目を開けた瞬間に先ほどの説明や解釈すべてが目に飛び込んでくるようになる
・上記を繰り返すと、いつの間にか抽象度の高い思考が身に付く

共感覚を作るトレーニング
それぞれ別の感覚でマッピングする。
味はサラサラ、形は花のにおい、においは赤色・・・

過去に対して、自分の楽しかったこと、うれしかったこと、を3日から1週間前、3ヶ月から半年前、1年前、3年から5年前、10年前。
未来に対しても、それを3日から1週間後、3ヶ月から半年後、1年前後、3年から5年後、10年後、そして、自分が臨場感を感じられるだけ先の時間に対しても同様にしてください。

「未来にしっかりと強力なプライミングをつくることにより、強力な学習モチベーションをつくるため」であるとか、「未来にしっかりと臨場感を持てば、過去の記憶のそれぞれが、それにふさわしいものとして解釈されるのである」といった説明が出来ると思います。

9/02/2007

ドクター苫米地の新・福音書







ドクター苫米地の新・福音書/苫米地秀人






私が言う「奴隷の人生」とは、「他人または社会の価値観に基づいて理想を追求し、それに沿っ てつくりあげた人生」のことです。そこに、自分自身はありません。自分の価値観や自分が心から望む理想は置き去りにされています。ただひたすら、他人や社 会の思惑通りに生きることが幸せだと思い込んでいるだけ。だから、「奴隷の人生」だというのです。

自分自身をより高い視点から見る「抽象思考」ができるようになると、生き方や夢実現のためのノウハウなんか何一つ学ばなくとも、無意識のうちに「なりたい自分」「夢」「幸せ」を手に入れるべく行動する自分になれます。
その「技術」は、いくつかのトレーニングを重ねることによって、誰もが身につけられるものです。

私という存在を決めているものはどれも「他社との関係」であって、自分自身ではないのです。
ようするに、自我は自分でつくるあげるのが不可能なもので、他社との関係によって定義されるものだと言うことです。
「自我なんて存在はない。自我は書き換え可能な情報として利用できるものである。

私たちが心から望んでいる幸せは本来、非常に抽象度の高い感覚です。「私」だけにこだわる抽象度の低い状態のままでは、「奴隷の幸せ」しか得られません。脳の仕組みがそうなっているのです。
我 欲を満たすだけの幸福感よりは抽象思考で求める幸福感のほうが、ずっと志は高いし、スケールも格段に大きい。その分、満足度もアップすることは間違いあり ません。私自身、「世界から差別と戦争がなくなる」ことを夢見て、日々抽象思考をしています。それによって、幸福感にも満たされています。

最も大事なのは、
「私は一瞬にして生まれ変われる。なりたい自分になれる」
と本気で信じることでしょう。
過去を悔やむ人は過去の延長線上で未来を考えています。事あるごとに過去を振り返り、「仮想の自分」を描き出しては「いまの自分」と比較して、「もう少し上にいる自分になりたい」と考えてしまうのです。
そんな風に過去に遡って「いまの自分」を不幸だと思いつつ「未来はこうなりたい」と自分の理想像を描くのではなく、未来を見据えて「今の自分は最高に幸せだ」と考えてほしいのです。

1、物理的実体としての「自我」は存在しない。他社との関係性のなかで、「他人の目」がつくりだした「これが私」と認識・定義している情報状態に過ぎない。よって、その情報を書き換えれば、自分を変えることができる。
2、人間には他と比べられない価値がある。「他人と比べる尺度」「自分と比べる尺度」を捨て、自分自身を他人や社会の目、「仮想の自分」による洗脳から解き放つ。
3、時間は未来から現在、過去へと流れる。いまの自分を最高に幸せだと感じることが、未来に対するいい働きかけになる。

目標は「5次元人」抽象度を上げて、自分の経営コンサルタントになる。
2次元:3次元:真っ青な空がきれいだ、宇宙にある銀河はいったいいくつあるんだろう?4次元:地球の誕生から宇宙の行く末まで時間はつながっているんだなぁ!5次元:この世界、時空を俯瞰できる。この宇宙のすべてが愛おしいなぁ

ただ抽象度を上げるだけでなく、臨場感を保つことがポイント
経験と知識と想像力をフル稼働させよう

準備運動①逆腹式呼吸
心身を思いっ切りリラックスさせて、物理空間の縛りから自らを解き放つ
息をゆっくり吐き出すだけ。

準備運動②自分の得意なモーダルチャンネルを見つけよう
内部表現の書き換えは、自分の得意なモーダルチャンネルと抽象度で行う
あなたは、どの感覚が鋭い人ですか?
ステップ1:自分は五感のどれが鋭いか―モーダルチャンネルを見つける
ステップ2:現実の物から抽象度を上げながら、どこまでそのものの実体を感じていられるか
臨場感を保てるギリギリのところに、得意な抽象度を見つける

準備運動③自分を中心とする世界に、整合的な地図をつくろう
脳の情報処理能力は無限大!抽象度を上げるトレーニング
①過去の情動を利用する方法―あなたにとって思い出深い出来事は?
・過去の思い出から喜怒哀楽の情動を甦らせて、体感を引っ張り出す
・体感を少しずつ強化する
・芸術家になった気分で、体感を色、音、触感などで表現する
②演技に働きかける方法―物の過去を想像しよう
・物はどうやっていまここにやってきたのかを、想像まじりに考えてみる
・物の歴史に感情を結びつける
・体感を強化し、それを色や絵、音、触感などで表現する
・複数の物を同時に感じる

IQトレーニング―自然界に「概念のヒエラルキー」を構築する
要は、「系図」のようなものを、自分なりにつくればいい
①目に入るものひとつひとつの抽象度を上げていく
②各抽象度で横に概念を広げる
③連想したものについて、抽象度を上げていく
④”網の目世界”を動かす

煩悩をコントロールするトレーニング「止観」―最後まで自分を縛るものは「煩悩」

本当に『なりたい自分』になる決意を堅固にしよう
「奴隷になるな」としくこく繰り返すか。それは逆説的に言うと、奴隷が一番幸せであることは間違いないからです。
自 分で何も考えず、社会の思惑通りに生きるのなら、それほど簡単なことはありません。社会や他人に操られていればいいわけですから、何も自分で考えなくいい し、何も自分で決定する必要はないし、自分のしたことに対して何一つ責任を取ることもない。だからお気楽だし、ハッピーなのです。

学問の世界だけでなく、どんな仕事でも、その現場をリアルに体験することは大切です。その臨場感をしっかり感じたうえで、抽象化の作業をしていくのです。
誰かにあこがれる場合も、そういった”色眼鏡”で憧れの人を見てはいないかを、しっかりチェックしなければなりません。
そのために雄幸なのが、「止観」です。
その人にあこがれる気持ちをちょっと脇に置いて、高い視点から自分を観てください。それで、たしかにその人本人ではなく、その人の生き方に自分の生き方が重なるならOKです。

成功が「ある」と「ない」との2パターンを包含する抽象度に自分を置いて、自らの意思で「ある」を選択する。だからこそ、思い通りの自分になる記述が有効になるのです。
だから、失敗イメージに対して、そう臆病になることはありません。単に否定形にすればいいだけです。脳はバカ正直なおで、いくら「ノー」とか「ノット」の否定形をつけて思考しても、肯定形でしか受け止めません。

内部表現を書き換えるポイントは、大きく分けて2つあります。
ひとつは、「なりたい自分」「叶えたい夢」「実現したい幸せ」に関わる未来の縁起ひとつひとつに対して、いかに強い臨場感が得られるかにあります。言い換えれば、自分が記述する”未来情報”を得意なモーダルチャンネルに変えて、いかに大量のドーパミンを出せるか、です。
もうひとつは、「ある」と「ない」とを同時に見られる、抽象度の高いところで、「なりたい自分」「叶えたい夢」「実現したい幸せ」を自分の得意なモーダルチャンネルで表現することです。

普段から高い抽象度で思考する習慣をつけていれば、いずれ内部表現の外側に飛び出す瞬間を体験できるはずです。
かなりハードルは高いけれど、本当の自由意思とはそういうものだということを心に留めて置いてください。目標はあくまでも、
「何事も、社会や他人、過去のしがらみ、つまり自分自身の記憶から自由になって判断する自分になる」
ことで、その先にもうひとつ、最終ゴールとして、
「内部表現から頭を突き出して、真の自由意思を獲得する」
ことを揚げておくのがベストです。
いずれにせよ、大切なのは、ふだんから抽象度を上げて思考することです。

つまりエントロピーは極小から極大に流れる、抽象度は高から低に流れる、そして、時間は未来から過去にながるということです。

9/01/2007

スピリチュアリズム/苫米地英人






スピリチュアリズム/苫米地英人

催眠技術は催眠下でした学べません。これは空手や気功と同じで身体から身体への伝達です。催眠下で催眠を学ぶ。するとなんとなくその方法論がわかるというものです。
ちょっとした声色の使い方、眼の動かし方、突然黙って下を向いて間を空けて変性意識が少し深まった瞬間に声を発して誘導する―もちろん手法的にはかなり初歩的ですが、そういった細かい技を江原氏は自然に身につけているいるわけです。
素地は単純で被暗示性が高い「催眠に入りやすい人」、それだけです。

江原啓之氏などの言っていることは、宗教史的に言うと輪廻転生を前提としてヒンドゥー教的カルトです。実はスピリチュアルのみならず、流行っている新宗教はすべて差別的な思想を持つという興味深い共通点があります。
それは「人間を超えた存在」という超人思想であり、選民思想です。もっとはっきり言うとナチズムに繋がるものです。

「神様はひとり」という絶対神の世界、ユダヤ・キリスト教やイスラム教の世界では、逆に日本的な戯れ意識であったり、占いを信じたり、霊の教えることを信じたりすることなどは本来ありえないのです。
本来、キリスト教は霊能者と言われるものを認めず、逆に歴史的には魔女として火炙りにしてきたくらいです。

根本的な問題は、今の世の中がスピリチュアルなものに対して肯定的に動いているということです。21世紀はスピリチュアルに対して否定的に動かなければいけません。しかし、現実には、どうしてもスピリチュアルにはまっていく人がいます。

ある宗教団体をカルトと考えるか否かの判断基準は、一言で言うと、社会がすでに持っている価値観からどこまで遊離しているかということです。
実際に家族や友人が何らかの宗教団体に入ったときに、ただちにやめさせる出来かどうかの判断基準は、「入信する前に言われたことと入信してからやっていることが同じかどうか」ではないかと思います。

江原啓之氏はを中心に述べてきましたが、江原さんのスピリチュアルの中身は一言で言えば、アートマンの永続性と輪廻転生と魂の世界の階層性です。それはすでに述べたようにオウムの論理でありチベット密教、バラモン教の論理です。
何 が危ないかと言えば、彼の進めている論理には次のステージがあるわけで、その論理的な帰結として来るものが危ないわけです。今の彼は混乱しているように思 えます。自分に見えているものをどう処理するかについて戸惑いがある印象を受けます。まだ発展途上で、彼の本を読んでも、言動を見ても、ただの「自分探し 君」です。

瞑想を行うと、人間は大量のドーパミンを出して、気持ち良い体感を得ることができるわけです。それによって、より長時間の抽象度の高い瞑想をすることができます。
数学者にとって数学の世界が気持ち良いのと同じで、それが瞑想のからくりです。非常に抽象度の高い空間を、気持ち良く、五感をもって感じることが出来る訓練、それがヨーガの訓練です。
実は、古くから伝わる密教とは、身体性を用いて脳内のドーパミンを大量に出すことができる秘術なのです。

最終的に地下鉄サリン事件に至ったオウム真理教は、スピリチュアリズムが行き着くある種の論理的帰結であったと私は思います。スピリチュアルズムが表で語らない「この世は幻である」という本質的な思想を実践しました。あの世が主でこの世は単なる幻である。

私 は、現代日本のスピリチュアルの総本山は中沢新一だと思います。そして、布教の最大の担い手として江原さんがいるとしたら、それを中沢が別のベクトルで、 つまりさもスピリチュアルと関係のないように見せかけて、いきなり登場させた本と言うのが、今をときめくコメディアン大田光とのコラボレーション作品であ る「憲法九条を世界遺産に」だと思います。

いわゆる脳死体験とは脳が壊れていくときの現象です。ドーパミンをはじめとするありとあらゆる脳内伝達物質が、脳が壊れるときに大量に放出されます。ですからまず、気持ちが良い。

先 祖がいなければ今の自分は存在しないんですから、それは感謝すべきことですが、先祖の霊が今ここにいますと言って、本来は魂なんか認めないはずの仏教の家 にも位牌があってチーンやるのは、日本人がみな洗脳済みだからです。そして、それをいいことに一大ビジネスをやっている人たちがいる。
「祟り」を 洗脳のメカニズムで説明すれば、「祟り」という言葉それ自体がトリガーで、アンカーとは、言わば日本の歴史上に営々と築き上げられてきた臨場感世界です。 それは、過去からずっと日本人全体に埋め込まれてきた「死への怖れ」などさまざまな迷信であり、一言すれば「日本教」です。
スピリチュアルがますます跋扈する今の時代に、それと立ち向かうには、まずあなたがそれを認識することからはじめなければなりません。互いが互いを洗脳し合い維持しあっているのが今の世間のありようなのですから、まず、あなたがそれに気づけばいいのです。
霊も祟りもありません。祟られる人は「自分で自分に祟っている」のです。

ス ピリチュアリストの人たちが、「確かに非科学であるけれど、スピリチュアリズムのメッセージで人々が幸せに生き、幸せに死んでいけるのだから何が悪いので しょう。」と言っている声が聞こえてきます。何が悪いかと言えば、その優しく、美しく聞こえるメッセージの後ろに、まさに釈迦が否定した、アートマン思 想、輪廻転生、絶対差別思想がしっかりと入っているからです。
これが、過去にヒトラーを生み出し、戦争を起こし、世界では人種やカーストの差別を生み出し、日本では穢れの思想に代表される差別を生み出し、最近ではサリン事件を引き起こしてきた中心教義なのです。それが悪いのです。
そ して、それらのメッセージで幸せに生き、幸せに死んでいけると思っている人たちは、幻覚や妄想の世界に取り込まれることによって、幸せになれると勘違いし ているだけなのです。もちろん、スピリチュアリズムは来世のご利益しか約束しませんから、今生きている人たちの苦難は、「魂を磨くため」という言い訳を使 いますが、それは詭弁です。誰も救われません。

スピリチュアルとは「間違っていても信じたい」と思うことです。それに対して科学とは、徹底的な吟味をし、自分で打つ立てた考えを自ら批判し懐疑するものだということです。
ス ピリチュアルがますます跋扈する今の時代に、それと立ち向かうには、まず皆さんがスピリチュアルの実態を認識することから始めなければなりません。スピリ チュアルに囚われない認識力とオリジナルな思考力を身につけることが「本当のあなたの思考」「本当のあなたの夢」を手に入れるための基礎的な技術なので す。

8/31/2007

これからの運命傾向 8/9/2007

和太郎くんの占いメモより、

これからの運命傾向 8/9/2007

2007年は2006年の変わってきた状況に応じて、個々のシステムやコンテンツ、流通の完成度が問われている。理想と現実のギャップの中で、出来ることから、長く続けていける業務、本当の意味でやりたい業務に改善していく必要がある。

この44歳から54歳にかけての運気は、確かに今までのシステムや信頼してきた組織のパイプは細く、薄くなってきている。よって、少しフィールドを広げて協力・信頼関係を築けるブレイン・スタッフをはっきりさせていくことが重要になる。

2008年は大きな変革があり、2009年は本音として進めていく人や縁に落ち着いていくだろう。


(近い未来について)

妻の事や場所など、何かひとつ力のある場所(パワースポット)と繋がってコミュニケーションを広げる必要あり。

また、妻の心情、不安多く、修復する必要あり。

少し孤立している時にあれば、人との縁を少し広げて情報をふくらましていくことは必要。


大阪発の飲食系は求め過ぎなければかえって良い。野心を抱かず進むが良し。

音楽葬関連は、北方面を求むるが良い。

マネージメントについては、手前に障害あってゆっくり進むことになる。急がば廻れ。儲けは後からついてくる。


吉凶転換の日

8/13,8/25,9/6,9/18,9/30,10/12,10/24,11/5,11/17,11/29,12/11,12/23,1/4,1/16

この日に会うべき人に会うこと、先祖供養、神仏祈願すること、

やるべきことをやること、この日を活かすべし。


鹿島神宮、香取神社、神栖神社


知恵と客観性とヤル気

リスクと責任を取ることで知恵が出る。

高学歴は劣等感が少ない

メモ魔 ・学んだこと・感じたこと・ルール化したこと

ついている人、与え好きの人、全力投球

幸せ(自己)と成功(他者)の為に人は生きる。

好きな人に会うと人相も良くなる

引き算より足し算の生き方

我々の心は異常事態で暮らしていると、間もなく、それに慣れてしまう。適応のメカニズムを持つ。

パニックが過剰自己防衛であるのに対して正常性バイアスは虚構的自己防衛である。

日本や米国では、災害時に避難命令が出ても実際の避難者は5割を越えない。

打つべき手は打つ。

発想を柔軟に。ますます競争は激しくなる。

あたまの固いプロよりも先見性のあるアマチュア

意思決定の遅れは致命的。

自分を表現する100個のセンテンス


2010年から2015年より、地球の気温は急激に冷える→氷河期への突入

基本的生命力

本能の力の低下、情念の枯渇

情念は、その要素に性欲・食欲、攻撃的本能。→真に鍛えたタフな本能の力


わからないことはしない。

自信のないことはしない。

責任の取れないことはしない。

やりたくないことはしない。

世のためにならないことはしない。


ウソはつかない。 

安いモノは買わない。

相手の立場でモノを考える。

言動が一致しているか?

責任を転嫁してないか?

言い訳をしてないか?

感情的な反対か、理性的な反対か?

聞き上手に勝る話し上手なし。

怒らず恐れず悲しまず

正直、親切、愉快に!!