9/22/2007

8/22/2005 日本経済新聞



8/22/2005 日本経済新聞





膨大な情報が世界を駆け巡る。限りなくゼロに近づく情報交換のコスト、不特定多数につながる開放性・・・・・・。「知」の加工や深化を通じ、物質文明では到達できなかった情報文明へ歩を刻む。

 

 

万人が楽しめる時代が到来した。「現行の補償金制度は権利団体を通じてレコード会社や大先生だけに著作権料が戻る。団体に属さないクリエーターは蚊帳の外だ。彼らにきちんとお金が戻る、新しい仕組みに作り替えるべきだ」(穂口氏)

 

補償金制度のみならず、著作権の仕組み全体を見直す機運もある。小委員会の主査を務める中山信弘・東大教授は「著作権法は(問題の)吹きだまり的様相を呈している。現行法が社会の要請に応じうるものなのか、問い直す必要がある」と主張する。

君はこの映画を見たか! 吉村英夫



君はこの映画を見たか! 吉村英夫





ままならぬのが人と人との関係である。



誰もが一生懸命に生きており、それなりに誠実に人生という一回限りの生と格闘している。



だが誠実だったら幸福になれると決まったものではないし、一生懸命だったら報いられるとは限らない。



それでも人は幸せを求めて生きていくし、努力を放棄しない。



大きな運命のなかで翻弄されはしても、人間が生きるってやはり素晴らしい。



悲しいけれども生きる価値にあるもの、それが人生だ。





サリエリは神に対して恨み言をを言う。



あの女たらしが天才で、真面目で誠実な自分がなぜ三流なのか。

なんと神は不公平なことか。すばらしい芸術はすばらしい人間性に根ざすとは限らないのである。

9/21/2007

「不良定年」


嵐山光三郎さんの「不良定年」を読んだ。





会社で出世しないことをよし、としている人間は、出世した人間の悲しさを知らない。



役職に見合う仕事をなしとげていくには、万年ヒラ社員にはわからぬ苦労がいる。

長のつく立場で、会社という集団のシステムと感情をコントロールしていくことから、不良定年の道がひらける。仕事ができる男は不良定年をめざす。



自分のことを陰で悪くいっている人に、にこやかに冷静に応対する力が不良のはじまりである。

したがって四十歳の無気力社員には不良になれるパワーはない。自分がするべき仕事を、人の二倍、三倍となしとげてこそ不良的精神力が身につくのである。





人の運、不運は縄のようによじれ、いいことがひとつあれば、悪いことがひとつおこり・・・・。



日本人のほとんどはそんなことは考えず、とりあえず流れるように生きていたんだから、欲望に忠実であった。

自分の欲望をかなえるために汗水流して働いて、酒を飲み、道楽で無駄づかいをした。



会社より世間、億ションより長屋、年金より借金、上り坂より下り坂、スピードより熟練、働きバチよりナマケモノ、孫より自分、多忙より貧乏、再就職より自由時間、背広よりジャンパー、人格者より自分本位、理論より経験、自立より孤立、前むきより後ろむき・・・・・。



東京は、江戸の風物はほとんどなくなってしまったが、不良の道楽者が多いのは江戸時代からの伝統だ。

放蕩しつくした人、律儀で通した人、財をなしたお金持ち、と、年寄りの風体はさまざまだが、古い町を仕切っているのは不良の気配をしょった年寄りだ。



歳をとって、田園や山中に身を隠すのはただのオイボレである。歓楽の色街に身をひそめてこそ、退歩する官能を得られる。



「不良中年は自前のモラルを持とう」と題して。100か条のその前半50を。



①約束した事は、呆けて忘れる(老人は常習犯である)

②借金も、呆けて忘れる(これも常習)

③チャンスがあれば浮気する(一期一浮気)

④馴じみの飲み屋へ行かない(旧縁を切り、慣れあわない)

⑤競輪ざんまい(車券は百円のお遊びで十分。競艇・オートも可。宝くじは買わない)

⑥妻の預金をおろして使う(当然の権利だ)

⑦落ちぶれた同僚にたかる(同情しないことが相手のためだ。同情は命とりになる)

⑧信号は無視する(ただし、周囲をよく見て)

⑨いっさいの謙遜をしない(昔のまんま)

⑩絵手紙をよこす人へは返事を書かない。(それほどヒマじゃないので)

⑪宗教活動に関与しない(無常を知る)

⑫占いを信じない(あたるはずがない。自分の運は自分でひらく)

⑬狡猾であれ(老人が生きていく知恵)

⑭妄想に生きる(想像力を喚起する。俳句もそのひとつであろう)

⑮名声を求めない(なにをいまさら)

⑯権威と無縁になる(断固たる決意で)

⑰不機嫌をよしとする(だってそうなんだもの)

⑱義理の葬儀へは行かない(疲れるだけで)

⑲二律背反を是とする(生きる証し。不易流行でいく)

⑳触覚で価値判読する(女もこれでいくに限る)

21.遊牧民志向(蒸発する力。どんどん家出しましょうね)

22.若い者はだます(手練手管で)

23.子はちょろまかす(お手のもの)

24,ヒューマニズムよりニヒリズム(無神論で自分をクールに見つめよ)

25.淋しさを食って生きる(孤独は老後の栄養である)

26.腕組みしない(服に皺がつくからね)

27,反社会(反骨の精神を忘れずに)

28.風とともに去る(危ないときは、ひらきなおって逃げちゃえばよい)

29.競争しない(わが道をゆき、他者と自分を比較しないこと)

30.全力投球(それなりに)

31.裏道で立ち小便をする(もらすよりいい)

32.平気で泣く(感情は素直に出す)

33.ぼんやりする(休養が大切である。ぼーっとする時間の空漠に身をまかす)

34.とぼける(老人の特権である。具合悪くなったらアクビすりゃいいの)

35.眠る(睡眠薬はアモバンかハルシオン。バイアグラを飲んでセックスすれば安眠)

36.耐える(これも実力のうち)

37.ぐれる(とことん堕ちてみて、地べたより世間を見つめよ)

38.情報収集する(要領よくやりましょう。そのため友人とはまめに会う)

39.昼からビールを飲む(酔っぱらって繁華街を歩きましょう)

40.昼間から風呂に入る(気分がよくなる。近所の銭湯で一番湯につかろう)

41.ナンセンスのセンス(理窟っぽく生きるのは愚の骨頂)

42.ハイカラ主義(身なりをよくするのは、不良定年者の基本的心得である)

43.テーマを持たない(なりゆきでいけ。テーマを持つとインテリに戻って、また企業戦士となる)

44.軟弱にいく(年寄りだから当然のことである)

45.唯我独尊(自分の世界へひたる。うぬぼれてけっこう)

46.自由なる日々(なにやったっていいんだ)

47.風狂でいく(吉田兼好や西行に学ぶ)

48.遊んで暮らす(遊ぶにはかなりの精神力がいる。遊ぶ力が不良老人の存在証明だ)

49.不器用でいけ(それで通用させる)

50.妻より友人(共犯者としての友がいてこそ活力が生まれる)

51.霊界通信(ときには死者との会話。故人の著書を読みかえす。読書は霊界との無線電話である)

52.散歩する(山でも町でも、外国でも)

53.小銭を稼ぐ(なんでもいいから)

54.美的生活(これが余裕というものだ。一輪の野草を見つめよ)

55.命を惜しむ(健康第一だもんな)

56.何者にも忠誠しない(相手にも忠誠を求めないのが礼儀である)

57.ケチ(無駄な金は使わないが、大金も使わない。いざというときは気前よくいこうぜ)

58.後悔しない(宮本武蔵のように、「事において後悔せず」)

59.女の愚痴はきかない(恋人は長くつきあうと妻化して、愚痴をこぼす)

60.男の愚痴もきかない(男の愚痴は女より始末が悪い。無視せよ)

61.軽佻浮薄(日本文化の伝統だから、これでけっこう。重厚な老人はかえってボロがでる)

62.離欲(やりたい欲だけに集中する)

63.感動力(小さいことに感動する精神を持続せよ。有能な企業経営者は高齢でも「感動する力」があるものだ)

64.いたずら心(少年時代に戻る。みんな不良少年だった)

65.老人ルネッサンス(キャリアがあるからできることだ。不良老人の条件)

66.忍ぶ恋(古風にいきましょう。忍ぶところに味わいがある)

67.道楽(最後の遊び。なににするかは各自で考える)

68.ソフト帽を愛用(ボルサリーノ)

69.ないものねだり(快楽の追求。枯れてしまってはいけません)

70.すぐ寝込む(仮病の有効活用)

71.電話には出ない(面倒だから)

72.聞こえぬフリをする(そのくせ地獄耳で情報収集)

73.気弱なことをいう(何しろ高齢なもので)

74.朝顔市へ行く(早起きだから)

75.酉の市へ行く(宵っぱりから)

76.足で物を片付ける(省エネ)

77.ふぐは白子を(神田明神下の左々舎がおすすめ)

78.月見献立(昔の恋人に作って貰いましょう)

79.浴衣で宴会(銭湯に行ったあと、ビール飲んで)

80.桐の下駄で歩く(素足で歩くと血のめぐりがよくなる)

81.飛行機はファーストクラス(国内線ならビジネスクラス。新幹線はグリーン車)

82.きっぷのいい女将がいる温泉のなじみ客となる(上の山温泉の葉山館とか)

83.勝手に講釈(幸田露伴のように近所の者を集めて)

84.バラバラ(意識を混乱させる)

85.お化粧してみる(歌舞伎女形役者をまねて)

86.すべてツケにする(現金は持ち歩かない)

87.インターネットはやらない(できないから)

88.煙草はやめない(そんなの勝手でしょ)

89.猟書三昧(神田・神保町で)

90.銀ブラを楽しむ(銀座の老舗には掘り出しものの極上品がある。クラブだけが銀座じゃないのだ)

91.色街で飲む(神楽坂とかね)

92.茶漬けにこる(JAL国際線のファーストクラスで食べるキャビア茶漬けがうまい)

93.ケンカしてよし(ケンカしてこそ友人である。ケンカをおそれてはいけない)

94.文具に淫する(硯は蘭亭硯)

95.もちろん天動説(地球が回ってたまるか。どこを軸にするかで物事の判断が決まる)

96.遠くへは行かない(面倒だしさ)

97.知らない町は歩かない(自分の住む町が穴場である)

98.言い訳は全力で(すべて人のせい)

99.ゆっくりと急ぐ(開高健氏の流儀で。のこり限られた人生だもの)

100.説明はしない(面倒だから。わかんないやつに説明するだけ疲れる)








9/20/2007

再び AOR?



AOR?



当時のカウンター・カルチャー

 

ベテラン勢による原点回帰的な試みから始まったアンプラグド

 

 

AOR=Adult Oriented Rock。お馴染みの図式である。しかし"AOR"という表記

で本書のような作品群をイメージするのは、それこそ日本の音楽ファンだけだ。米国でA

ORといえばAlbum Orientedの略であり、"R"はRockとRadioの双方を意味する。つ

まりシングル・ヒットを指向せず、アルバムをトータルに聴かせようとするロック、あるい

はそれをオンエアするFM局、そんな言葉だった。日本でいうAORはAC(アダルト・

コンテンポラリー)と呼ばれ、ここにはフュージョン系のインストゥルメンタルや、クワ

イエット・ストーム系のブラック・ミュージックも含まれる。しかしアルバム・オリエン

テッドという捉え方は、あながち的外れではない。それは全盛期のAORには、生活を彩

るBGMとしての効用があったからで、アルバム1枚丸ごと楽しめるというのも重要なフ

ァクターだったのだ。

 

最近は1曲良ければOKという傾向が見受けられるが、これには断じてノーと言いたい。

AORと呼ばせるには、トータライズされたテイストが必要なのだ。

 

スタイルを楽しむだけでなく、同時に感情や精神性を共有するための音楽なのである。

 

ポップ・ミュージックに、もっと大人っぽいサウンド、つまりジャズやソウル・ミュージックの

エッセンスを加えてみたら・・・

 

"大人のゆとり"を感じるヴォーカルのセンス

 

トロピカルなリラクゼィション・サウンド

 

センシティヴなアコギと揺れるとようなエレピの音色

 

トロピカル風味とレイド・バックしたムードを品良くまとめてみせた。

 

ぬくもりのあるメロディとハーモニーが素晴らしく、

 

ヒューマンなヴォーカルとまろやかなアコギの響き、

 

これぞ"エヴァー・グリーン・ミュージック"と呼ぶにふさわしいサウンドだ。

若葉が急に萌え出して、街に活気が甦る頃・・・・・・。

あるいは風の色がゆるやかに褪めてゆく夏の終わり・・・・・・。

音楽が決して流行やスタイルではないことを教えてくれる、そんな素敵な"なごみ"の1枚である。

 

キャスティングは相変わらず豪華でも、プレイは実にストイック。

 

ナイーヴかつピュアな心情

 

その芳醇なテイストと深いコクには、丹念に磨かれた技術とスピリットが息づいていた。

 

フランクスのヴォーカルと楽曲の質感は現在までまったく変わっていない。

 

安らぎの時間を演出してくれる。

 

バード・バカラックにも通じる美しいメロディを紡ぎ出す名ソングライター

 

温かい包容力を持たせた

 

妙な先入観や既成概念にあ捕らわれず、音楽のありのままを受け入れる。

 

映画のワンシーンを思わせるジャケットを含め、トータライズされたドラマティックな魅力は本作ならでは

 

圧倒的な歌唱力を持つスーパー・シンガーにして、"ミュージシャンズ・ミュージシャン"と賞賛される

凄腕サウンド・クリエイターでもあるジノ・ヴァネリ。

 

そのヴォ-カルは沸き立つようなエナジーと豊かな声量を持ち、しかもそれをコントロールし得る表現力と

絶対的なスキルも有している。

 



 情感豊かに仕上げた傑作

 

商業主義の業界と距離を置いた彼は、シンプルでシャープな音作りを試みたり、

ジャズに接近しながら、今も自分の音楽家としての欲求を満たすような創作活動を続けている。

 

熱気を孕んだマイアミ・ソウルの甘いムードと、哀愁を帯びたメロディ・ライン

 

無理をして音を重ねずに充分な空間を残している。だからストリングスやブラス、エレピのフェイザーが

とてもヴィヴィッドに伝わってくるのだ。それが彼自身が失わずにいる青臭さと相まって、独特の味にもなっている。

 

人生の光と影をくっきり映し出す。時と運命に翻弄され、ひとときの悦楽にもありつけない。

そんな男の哀愁と孤独を感じさせる、隠れた名盤だ。

 

都市の暗部まで知り抜いたホントの都会人には、彼らこそがリアルなシティ・ミュージックなのかもしれない。

 

どうしてこんなに優しいんだろう、どうしてこんなに穏やかなんだろう・・・・・・。

このアルバムを耳にするたび、そんなことを思う。

 

遅れてきたビートニク。

 

サウンドはスペース感を生かしたフュージョン寄りのハイブリッドなもので、

リズムは滑るようにしなやか。ちょっと投げやりなヴォーカルも、独特の雰囲気を放っている。

 

本末転倒かも知れないが、このアルバムを語る時には、どうしてもグレイドンの演奏及び

プロダクション・ワークを第一義にしておきたい。もちろんそれは本来、マークの才能を活かすために

嵩じた手段だった。

 

筋金入りの極上品だったワケ。

 

この作品もほとんどがミディアム~スローで、郷愁を呼ぶようなノスタルジックな旋律が特徴。

酸いも甘いも知った大人が、まだ青臭かった昔を振り返るようなアルバム

 

今にして思えば、確かに"クリスタル・ブーム"は女性リスナーを獲得し、AORをポピュラーにした。

しかしファッション化させてしまう両刃の剣でもあった。だがその根底を支えていたのは、

レコード店でメンバーを確認して"クレジット買い"するような、純粋な音楽ファンだったと思う。

サラッと聴き流しても雰囲気を楽しめる。それでいて、アレンジやコード進行を分析しても、

感心するほど奥が深い。それが当時のAORだった。

部屋でくつろぐ時、ハンドルを握る時、アウトドアに興じる時、恋人と愛を語る時・・・・・・。

いつもかたわらでAORが鳴っている。それが自然な時代だった。

 

タイアップという暴力的な情報操作でプロモーションを展開する昨今と違い、

良い音楽は口コミで広がってゆく・・・・・・そんな幸せな時代だった。

 

素性は純朴で優しいオッサンという感じ

 

常にマイペースを貫き通して活動しているベテラン・シンガー・ソングライター。

まったく飾り気のないシンプルな作風は、コンサバティヴとも言える。

しかしその素朴な味は、もはや彼の個性として確立。

 

余計なことを考えずにボサッと聴くには、とても気持ちの良いアルバム

 

しっとりした旋律に、フェミニンな詞。恋に悩み、愛に傷つき、それでもまた誰かを求めずには

いられない。そんな男のひとり言を綴った、悲しくホロ苦い詩(うた)の数々。

思春期の頃ならば、誰だってそんな想いをしたことがあるだろう。

 

日々の暮らしに疲れ、自分を見失いそうになった時、

こんなにも優しい音があるのを思い出してほしい。

 

商業化/大衆化を内包しているのが普通だった。なのに彼は実に恣意的で、純粋に音楽的洗練の

プロセスが聞こえてくる。本人の才能もさることながら、恵まれた環境が良質の音を生んだ絶好のサンプルだ。

 

私小説的に詩(うた)を普遍的で大衆にも通用する"歌"へと消化させた彼

 

骨太かつ臨場感のあるサウンドが打ち出された

 

彼らは気負うことなく、自然体で音を創ったという

 

纏ったファッションはその時々で変わっても、中身の人間まで変わってしまうワケじゃない―彼らはきっと

そう言いたかったに違いない。

 

音楽はスタイルじゃない。肝心なのは人間なのだと。

 

あの頃の高揚した空気感が、どれだけAORを輝かせていたか。またAORが自分たちの生活に

どれだけ潤いを与えてくれたか。その一体感の素晴らしさを実感し、次世代に語り継ぐことができるのは、

リアルタイム派だけなのだ。

 

季節やシチュエーションに関係なく、いつも五感で「海」を感じているかどうか。



たとえ都会に住もうとも、喧騒から離れて心を落ち着かせれば、何処からともなくさざ波が聞こえてく

る・・・。



オーガニック・テイスト



リラックスしてオープン・マインド



心に「海」を持っている人



ブルー・アイド・ソウル



ほのぼのした甘いヴォーカルと、ゆるめのアコースティック・グルーヴ

9/19/2007

逆立ち日本論


逆立ち日本論・養老孟司&内田 樹



少数対多数のときに、やくざは絶対に「お前ら」というふうに包括的な名称では相手を扱わない。相手がいくら大勢でも、その中のただ一人を凝視して、「お前、オレに何か文句あるのか」と凄むのです。相手が十人いても百人いても、ただ一人だけに焦点を合わせる。ほかは眼中に入れないんです。具体的で個別的な敵には対処できるけれど、「敵というもの」という総称的存在には打つ手がないですから。(内田)



ユダヤ人は諸国民より多くの「責務」を課されている。「あまりに責任が重いので、人間として十分な成熟が必要な仕事は私たちユダヤ人がやりますからみなさんはもっと楽な仕事をしてください」というのがユダヤ人の選民意識なんです。

この「選び」も自分たちが何か他の民よりもできがいいから選ばれたわけではなく、神に一方的に指名されただけで、その理由は特に示されていない。(内田)



シャガールというのはユダヤ人でほとんど唯一の例外じゃないんでしょうか。「ユダヤ人画家」というのは本来、形容矛盾なんです。ユダヤ人には伝統的に音楽や舞踏のような時間性を含んだ芸術表現以外は許されていないはずですから。シャガールがそれでもユダヤ人世界で許容されたのは、それが聴覚的な、あるいは時間性をどこかにとどめた絵画だからではないでしょうか。たぶん、シャガールの絵からは音楽が聞こえるのです。(内田)



日本人はどちらかというと統一国家に慣れてしまっているので、政府の仕事が「均質化」だとはまさか思っておらず、「利害の調整」だと思っているところがあります。実のところ、「均質化」なり「原則の貫徹」がアメリカ政府の役割だと思います。(養老)



中心地がもっともインターナショナルだと思っているのは、日本が島国だからでしょう。大陸に行ったら、異世界に接する辺境こそがもっともインターナショナルなんです。(養老)



スローフード運動というのは、マクドナルドのローマ出店に反対するイタリア人が始めた運動ですけれども、始まったのは北部同盟の中心地であり、ムッソリーニの政治的拠点であったピエモンテなのです。スローフードと北部独立運動とファシズムがなじみがいいということはよく理解できます。イタリア人にしてみたら、それはアメリカの牛肉がヨーロッパ人の身体を侵すことを拒否する身ぶりでもあるわけです。(内田)



ぼくは「デスクトップに並べておく」という言い方をしてます。自分の意識の『デスクトップ」に開いたファイルをどれくらいたくさん載せられるか。どれだけデスクトップが散乱しているのに耐えられるか。この無秩序に対する耐性というのは結構大切じゃないかなと思うのです。(内田)



「こうなったらどうなる」「こうなったらどうする」とう未来の可能性は、数え上げたらキリがない。だからぼくは「まだこれからどうなるかわからないのだから、それは起こってから考えよう」と言う。そういうふうに開放的に未来に向かった方が気が楽だと思うんですけれども、「もしもこうなって、こうなって、こうなって、予測される最悪の事態に立ち至った場合、内田はどうその責任を取るのか」と訊かれても、そんな蓋然性の低い予測についての対策なんて、考えるだけ時間の無駄じゃないですか。(内田)



本来、「個性」とうのは他人の目にどう映るかということのはずでしょう。そうやって年寄りが人を見ることをサボるから、同時に年寄りの意味がなくなりました。長く付きあって見るからこそ、「お前はああいうことをやれよ」って言って・・・・。(養老)



オーラル中心でやっている限り、宗主国と植民地の知的な位階差は絶対に埋められないんです。だから、英語教育をオーラル中心にやるということは、日米間の知的、権力的な非対称性を維持することに同意するということです。アメリカのイーブンパートナーになるという意欲がはじめからないということです。だから、ぼくは「オーラルより文法をやれ」「英語は読み書きができれば十分じゃないか」と言ってるのですが、誰も聞いてくれない。(内田)



大瀧詠一さんと喋っていて、

歌手における声と作家における文体というのは機能的には同じものじゃないかと思うのです。文体というのはやはり楽器みたいなものでしょう。作家は一人ずつ固有の楽器を持っている。どのへんで厚みのある音がでるとか、どの音域の伸びがいいかわっているはずです。「僕の文体は中音域で説得力がある」とか、そういうこと絶対考えているはずなのに、批評家は誰もそれを指摘しない。「この作家はクライマックスでカ行の語を多用する」とか言っていいはずだけど、誰もそういうことは言わない。(内田)



「顔の悪い結婚詐欺師はいるけど、声の悪い結婚詐欺師はいない」って言いますね。声の悪い詐欺師はいっぱいいるけど、結婚詐欺師となると声が命です、と。声がいいというのは、「自分の言っていることを信じている」ということなんです。自分の言っていることに自分が同意していると、声帯以外の身体部位が共振するんです。(内田)



やくざというのは「相手がどのようなことを言おうと、どのような行動をとろうと、それが彼にとって常に『想定内の出来事』でしかないことを思い知らせ、同時に絶えず相手の想定を裏切る言動をとることで、相手に無力感を感じさせる」ことのプロある。(内田)

9/18/2007

プロ相場師の思考術


プロ相場師の思考術ー「運」と「ツキ」の考え方/高田智也



私が相場師をしている理由は、

「自分ができる仕事の中で、人からの評価が一番高い」

ということにほかなりません。私ができる数少ない仕事のなかで、これだけは誰にも負けない自信があるからなのです。



相場の世界は、どんな世界より成功すれば見返りは多く、失敗すれば厳しい世界です。



一人の弟子に聞くと、

「将棋の考え方は、相場そのものである」

「考える必要のあるゲームができる人は、相場に向いている」



相場師として成功した人たちの共通点は、「根気のある人」です。

根気のない人に、本当に強い人はいません。



根気のある人、どんなことでもやれる人は、本当に少ないです。

苦しい時期を粘りきれるか。これで相場ができる人間かどうかがわかります。



「本を読む早さ」

「ルールを覚える早さ」

「投資対象を理解する早さ」

相場で強い人ほど、投資対象のルール、基礎を理解するのが早いです。



私は、相場の強さと、学習した時間は比例すると思っています。



「余計なことを聞いて、相場ができなかった。儲けられなかった」

という経験は、私だけでなく、みなさんもあるでしょう。

「相場に勝つ情報は少なく、深く利用する」



「強くなってからでないと、投機に参加してはいけません」

学習があやふやな状態で、絶対にお金をかけてはいけないのです。

学習した時間が長い人ほど、この世界で成功する可能性が高いのです。逆に言うと、何もせずに相場に参加した人ほど、資金を失って、自信をなくすだけです。



常識や世のきれいごとも、そして相場も一度疑うと必ず違う世界が見えてきます。



相場に強い人の多くは、しっかりと自己分析ができていることに気づきました。私は、自分を客観的に見ることができます。



役に立つ書籍

「チャートの救急箱・伊藤智洋」

「課プランのオプション売買戦略・パンローリング」

「文系人間のための金融工学の本・日経ビジネス人文庫」

「ゾーン相場心理学入門・パンローリング」

9/17/2007

丸山敏雄先生



丸山敏雄先生



 



 「早起き」のコツ

 

1.「さあ、明日から早く起きるぞ」と心に決める。

2.何の不安も持たず、夜はさっさと寝る。

3.目が覚めたらぐずぐずせず、パッと起き、衣服を改める。

4.積極的に仕事を追ってとりかかる。

今日一日の順序や段取りを考えよ。

 

 

「物事を成就させる」秘訣

 

1.一日一回、今までにしたことがない、実生活とはまったく関係のないことを、毎日くり返して実行せよ。

2.最後まで、成就するまで必ずやり通すこと。

 

 

 

「朗らか」とは

 

1.「明朗」は、積極的であり、建設である。

「憂うつ」は、消極的であり、破壊である。

2.幸福だから「朗らか」なのではない。

「朗らか」だから、幸福が舞い込んでくる。

3.病気は、心の浄化作用である。

「朗らか」な心で病気を迎え入れれば、吹っ飛んでしまう。

 

 

 

「継続して努力する」コツ

 

1.努力とは「反復」である。

今日できなければ明日、明日できなければ明後日、くり返し行なう。

2.まっすぐに、何も思わず、いつも同じ力で行なう。

 

 

男性は、躊躇しない、くよくよしない、なまけない、思い切ってやる。

 

 

「男」の心得

 

1.男は「陽」である。

動くべきときに動け。

2.成就するまで押してゆけ。やってやりぬけ。

3.躊躇しない。くよくよしない。なまけない。コソコソしない。

4.何事も「やってのけるぞ」の精神で、思い切ってやる。

 

 

「女」の心得

 

1.純粋に、喜んで働け。

2.天性を「長養」せよ。

髪の毛を大切にする。顔や体は「日本一」のものと思って洗う。

家庭や境遇を大切にする。

3.隠しごとをつくらない。

4.「つつしみ」深くする。

5.美しく、優しくなるように努力せよ。

女は「陰」である。

 

 

 

「『損をした』とがっかりしない」コツ

 

1.たとえ「得」したとしても、一時のことである。

2.「得しよう」とたくらんでも、ろくなことはない。

3.ポジティブシンキングに転換し、「どうせ・・・・・・だったのだから、もうけたわい!」と吹っ切ること。

 

 

 

「病気にならない」コツ

 

1.自分の体は、宇宙が生んだものであることを自覚する。

2.何も心に留めない。残さない。ためない。いつも心を空にしている。

3.思ったらすぐやる。体を動かす。

4.いつも自然に命いっぱい、豊かに生きる。

5.朗らかに、和やかに、力いっぱい働く。

6.休む時は、何もかも忘れて休む。

 

 

 

「スナオ」とは

 

1.スナオとは、「緊張」である。

事物が本来あるべき姿であること。

2.スナオとは、「そのまま受け入れる心」である。

不平不満、文句を言わす、そのまま受け入れることである。

3.スナオとは、「そのまま働きかける力」である。

スナオな者ほど、恐ろしい力を発揮する。偉人は全員、スナオであった。

4.スナオになるためには、まず「気がついたら、すぐする」ことだ。

そして、一気にやってやり遂げよ。

 

 



「やってはいけない」19のツミとその心得

 

「己に対するツミ」編

1.己を粗末にするツミ

自分が言うべきこと、立つべき所は、一歩も後ろに退いてはいけない。己を尊ばなければならない。

2.己を高くするツミ

人間はあるとおりにある。偉くもなければ、偉くないこともない。

ただそんなものである。

3.己をいたわるツミ

自分を大切にしすぎて弱くし、結局、自分を粗末にする。

4.冒険のツミ

必要がないことをするから、けがをする。

 

「親に対するツミ」編

5.親を大切にしすぎるツミ

好きなことを、思う存分やらせてあげなさい。

6.親を思いすぎるツミ

心配さえしなければ、いくら食べても大丈夫。思い切って好物を差し上げなさい。

 

「子どもに対するツミ」編

7.子どもをオモチャにするツミ

できるだけ簡素に、おおらかに育てる。

8.子どもをいたわるツミ

鷹揚に、大胆に、自由に教育する。

9.添い寝のツミ

別に寝かさなければならない。

 

「夫婦間のツミ」編

10.妻を大切にするツミ

妻の任務が達せられず、弱くなるばかりである。

11.妻を誇るツミ

歴史的に見ても、美人に生まれて、幸福になった例はない。妻を鼻にかけない方がよい。

12.妻に頼るツミ

男子はあくまでも人に頼ってはいけない。

13.妻を感心するツミ

妻に鶏冠をかまれるな。「なに、負けるものか」と、敢然と立つこと。私はこういう人間だと、さらけ出す意気でいくこと。

14.夫を大切にするツミ

神に夫のことを頼むのではなく、夫を神のごとく信頼する。

15.良妻のツミ

夫の遊びをやめさせようとせずに、「私がいたらないからだ」と、いっさいのツミを自分自身に受け止め、喜んで夫に心を任せる。

16.夫を助けようとするツミ

横で口出ししない。裏工作をしない。

17.里方に心惹かれるツミ

もうこちらにお嫁に来ているのだから、ここが第一である。

18.夫を粗末にするツミ

夫は子どもより弱い。太い神経の持ち主でも、主人は、家では細糸のような神経になる。夫を先に、子どもは後回しにする。

19.へそくりのツミ

夫の病気、失敗、死亡などの理由でへそくりをすることは、そうなることを願っていることと同じである。



「とらわれる心を捨て去り、好き嫌いや不足不満の心も捨てよ」

 

 

「周囲の物や人に対する」考え方

 

1.物そのものは、美しくも、汚くもない。

不足不満は、人とその心にある。

2.世の中にはいろいろな人がいるから、にぎやかで、面白いのだ。

3.「いやがる」からいやになる。「寒がる」から寒くなる。

「がる」から、そうなるのだ。

4.天候や物や他人を変えることは容易ではない。

しかし、自分を変えることはきわめて簡単である。

5.あたたかな愛情で接すれば、人は味方になってくれる。おだやかな明るい心で接すれば、

物は自分のために働いてくれる。

 

 

「運命は自ら招き、境遇は自らつくる」

 

 

「運命を切り開く」コツ

 

1.人生は偉大なる演劇である。端役ではなく、主役を熱演せよ。

2.小さな己の殻に閉じこもってはいけない。

己をすべて開放し、全に生きよ。

3.自分の力は無限である。世界は広い。道もたくさんある。希望を持とう。

 

 

一家中、どうやって朗らかににぎやかに暮らしていこうか

 

 

 

「店を繁盛させる」秘訣

 

1.店はお客様のものである。

2.何事も、お客様の好み第一、お客様の都合第一である。

3.とにかく掃除をする。

4.水を大切にし、一滴も粗末にしてはいけない。火も大切にし、煙も粗末にしてはいけない。

5.建物は「お預かりしているもの」と考え、掃除、手入れを怠らない。

6.一家、仲よく暮らす。

7.商品をわが子のようにかわいがり、心から大切に扱う。

8.商品について、あらゆる研究をし、知識を得る。

9.店頭の装飾や陳列の研究をする。

10.宣伝をすることによって自信がつく。

11.美しく、なごやかな心で商売をする。

 

 

 

「商人」の心得

 

1.気がついたら、すぐすること。

2.人を好き嫌いせず、物も好き嫌いしないこと。

3金の支払いをよくすること。.

4.天候気候について不平不満を持たないこと。

5.時勢の変動に直ちに対処しなくてはならないが、ビクビクはしないこと。

6.人を信じて、己を信じること。

7.早く始めて、早く終わらせること。

8.思い切って断行すること。

 





「天職にいきる」コツ

 

1.純粋に一途に働く。そうすれば、周囲が味方してくれる。

2.「やりすぎ」はない。ただ、一気に前進するだけだ。

3天職に生き、それをまっとうした人間こそ、人生の勝利者である。

.4.働いて、働いて、働きぬく。そこに楽しい人生が開けてくる。

 

 

「物を味方につける」コツ

 

1.喜んで受ける。

2.心を込めて大切に扱う。

3.物の由来を知る。

4.その物のよさを知る。

5.物に対する道(礼)を尽くす。

6.十分に働かす。

7.管理を十分にする。

8.物の恩を感じ、それを表わす感謝の式をとる。

9.後始末をする。

 

 

「気がついたらすぐやる」コツ

 

1.気がついたその瞬間が、その仕事をやるには、最良のコンディションである。「それをせよ」という、

至上命令が下りてきたと思い、即刻やり遂げる。

2.第一回目の失敗は第二回目の成功の足場であり、第二回目の不出来は第三回目の

華々しい成功の序幕である。失敗しても、新しい気持ちで、くり返し取り組む。

3.時を置かずに、目の前の仕事を片づける。

4.ノートと鉛筆を備えておいて、気がついたらすぐメモをとる。

5.今日は最良の一日、気づいた時はチャンスである。

これを取り逃せば、時は再び回って来ないのである。

 

 

「起業」の原則

 

1.目的を明確にする。

2.準備を完璧にする。

3.順序を間違えない。

4.方向を間違えない。

5.始末を完璧にする。

 

 

「よいスタート」の心得

 

1.早く起きる。

2.爽やかに、さっと、歯切れよく家を出る。

3.通勤電車の中では、意識して本を読む。

もしも、満員電車で本が読めなかったら、ピープルウォッチングをして、人生哲学の勉強をする。

また、電車を「人生の練習所」と思い、「どんな場所も時間も嫌わない稽古」を積もう。春の川を下る、帆船のような穏やかな心で。

4.襟を正して、職場に入る。今日一日の命をかけて働く場所である。

5.人よりも、いち早いスタートを切る。

 

 

「よいゴール」の心得

 

1.スタート以上にゴールは大切である。力いっぱい働いて、見事なゴールを決める。

2.今日一日の仕事の後始末をする。

3.道具や機械には「今日一日、助けてくれてありがとう。また明日」と感謝と愛情の挨拶をし、目礼する。職場には敬意を残す。

4.門を出る時に、向き直って一礼する。自らに“くくり”をつける作法である。

5.仕事を追い、早く切れ目をつける。

 

 

 

「岡目八目」

 

お金というものは「魔物」である。

 

どんなになくなっても、ビクビクする必要はない、ということを学んだのです。

 

お金は妥協を好まない。

 

「自分の思うことをズバリと言ってのけることができない人間は駄目だ。人の喜ばない

ことでも、言うべきことはあっさりと気がるにいうことが正しい」

 

いつも金庫が空になっているということは一見貧乏人のようですが、胃の中が食べたものを

全部消化して一つもあとに残さないというように、きわめて健康な状態なのです。

 

「お金を生かす」心得

 

1.お金は生きている。

2.たとえ1円でも大金のように大切に扱う。お金は、かわいがってくれる人を好む。

3.妥協なく請求する。きちんと集金しないと、結局、相手も自分も困ることになる。

4.一刻も早く支払う。金を休ませない。

5.有効なことに使う。不用なことには1円もつかってはならない。

6.豊かな時も、貧しい時も、変わらずにあるがままを喜ぶ。

7.喜んで働き、感謝して使うとき、お金は本当に生きて働く。

 

 

「ある相当な会社の元社長で、ほかに趣味も道楽もない。ただ働くことが楽しみな男」

 

「働き」とは

 

1.働きは「世の中のすべての苦難を解決する鍵」である。

2.働きは「最良の健康法」である。

3.働きは「長寿の秘法」である。

4.働きは「幸福の原動力」である。

5.働きは「喜びの源」である。

6.喜んで働く人は、健康、経済、家庭愛和に恵まれる。

 

 

一つのことを、まず十年続けなさい。そしたらきっと一流になれる。

 

人格は金では買えない。自分で磨くよりない。だから価値が高い。

 

 





 

ホテルリスト 東南アジアに行くんだ


ホテルリスト



◎バリ島
アマンキラ (アマンダリ)
http://www.amanresorts.com


クプ・クプ・バロン
http://www.bali-tours.com/hotel/kupubarong.html
http://appleworld.com/entertainment/virtualtour/kupukupu.html


◎ジャワ島
ホテル・マジャパヒ
http://www.mandarin-oriental.com


◎ロンボック島
ジ・オベロイ・ロンボック
http://www.oberoihotels.com


◎チェンマイ
リージェント・リゾート・チェンマイ
http://www.regenthotels.com


◎マカオ
ポウサダ・デ・サン・チアゴ
http://www.saotiago.com.mo


◎ランカウイ島
ダタイ
http://park12.wakwak.com/~takutaku/island/ranka2.htm
http://www.geocities.jp/kobefuna/datai/datai-LangkawiInfo_1.htm

9/16/2007

無双原理・易/桜沢如一


無双原理・易 「マクロビオティック」の原点 桜沢如一





桜沢先生は自律神経の働きをとりわけ重視し、その中枢である間脳の強化法として、食を正すことに加え、幼児期から寒さ、ひもじさを、できるだけ多く体験させることを強調していました。今でこそ、自律神経の働きが免疫力を高めることが明らかになりつつありますが、先生は50年近くも前に、「自律神経のバランスがとれていれば、病気は絶対しない」と断言されています。





つまり、あらゆる環境のエッセンスとしての食を正すことによって、人間の意識を変えることができる。そして、その理論的な根拠として無双原理を示し、後世の人々に人類普遍の指導原理としてその応用・実践を託したのだと思います。





では、東西両文明を統合し、21世紀にふさわしい精神文明を構築するために、日本人に託された課題とは何でしょうか?





最終的に何が国家の命運を決定するかといえば、私は人間の資質だと思います。現在の文明国と呼ばれている国々、それは西洋型の先進国ですが、それらの国の人々の資質はどうでしょうか?米国や日本の現状を見ても明らかなように、決して人間性が高いとはいえず、私にはその大きな原因が、食と教育にあるように思われてなりません。自由主義経済を導入している中国も、戦後の日本と同じように徐々に内部崩壊を起こしつつあるように見えるのは、私だけではないでしょう。





それに、私は従来の「日本人」というような狭い観念の殻を抜け出したいのである。私は、全世界を私の故郷とし、すべての民族を真実の同胞と感じる。それこそ、日本人のいわゆる「忠道」の極致である、と言う人があるかもしれない。しかし、私にはそんな大げさな考えがあるのではなく、感傷的な少年時代、西洋崇拝やら自然主義文芸に感化を受けたうえに、東洋の古代思想の自由な広大無辺さに呼吸することを覚えたばかりに、日本という島に容れられるにはあまりに放埓な思想をもつに至ったからなのだろうと思う。



われわれは、不自然な状態をつくり出すためにこそ積極的な努力が必要なのであって、自然に返るためには単に不自然な生活をやめさえすればよいのである。

その努力は実に消極的なもので、単に惰力をコントロールすれば足りるのである。





すなわち、人間は自然の征服を喜び、不自然な快楽の欲望にかられてとどまることを知らず、日に日に新しい不自然をつくり出しているのに対して、人間以外の生物は自然環境に絶対的適応を試み、それに成功している。

ここに、陰陽呼吸という、極めて自然で独特な天地調和の生命現象を、特別な努力によって修業的に試みなければならない人間と、自然に楽しく、何ら特別な修行なしに行い、それによって日々の生活を営んでいる人間以外の生物との違いが生まれてくるのではないだろうか。





いわゆる経済的な行為や実用的なもの、便利なものが必ずしもわれわれに幸福をもたらすとは限らない。

自国の工業のみを偏重して、農産物を外国からの供給にゆだねておくことは、確かに経済的であるかもしれないが、身土不二の原則をやぶる罪は、必ずや国民全体の心身の異常となって現れる。





正しい意味においては、西洋に文明はなく、東洋に物質文明がない。二十世紀以後の人類の文明は、この東西文明を綜合したものでなくてはならない。





物質文明は必ず亡びる。それは陽性過多で斃れる。精神の陰がないからである。これは人類滅亡の歴史を見れば明らかである。

すべての文明は物質文明に圧迫されるが、やがては物質文明を分解し吸収してしまう。

個人においても同様で、陽性の人は華やかな生活をするが、忽然としてそれを終えたり、悲惨な最期を遂げたりする。陰性の人は長く地味な生活を続ける。

やがて時を経て大成し、あるいは平和な終わりを全うし、あるいは偉大な仕事を成就する。








9/15/2007

現代版 食物養生法



現代版 食物養生法 鶴見隆史



 



「血の汚れが病気の元凶であり、そのおおもとは腸の中での腐敗であり、腐敗した時はその毒素がろくな血球をつくらず、また、血漿を汚し、血管壁までもベタベタにし、その結果、肝や腎その他の臓器に負担をかけ、アレルギーを起こしたり、さらに筋肉や骨にまで悪影響を及ぼし、同時にホルモン代謝や自律神経に悪影響を与え、様々な病気につながっていく。そして血の汚れのもとは悪しき食物である」





○食事の質は健康を大いに左右する

○食事の摂取法も健康に大きく影響する(食べる量、噛み方、回数、夜食など)

○食物には血液をきれいにするものと血液を汚すものとがある

○概していわゆるおいしいものほど血液を汚す傾向にある。おいしいものは酸性食品が多い

○血液の質の良さ悪さは、組織の質に影響する

○食事を正すと血液はきれいになる

○血液がきれいになると、病気は治っていく





「土壌が腐れば木は枯れる」ということは、人間なら腸の中が腐れば病気になる、ということを物語ります。実際、東大の光岡知足先生などは、腸に腐敗菌が多くなると病気になることを指摘しています。



 



桜沢(「マクロビオティック」の原点 桜沢如一のこと)の唱えた食事の基本的な考え方は次のようなものです。

①玄米、栗、ひえ、きび、そば、葛を主食とする。

②おかずは、ごぼう、人参、レンコン、ねぎ、玉ネギ、ごま塩など主食の四分の一以下

③味付けは塩と油が一番いい。油は、ごま油、菜種油。塩は自然塩。味噌、醤油は天然醸造のものを使う。

④なるべく加工食品を食べない(つくだ煮、福神漬、缶詰、かまぼこ等)

⑤小用一日四回以下に水分を控える。

⑥一口(一〇グラム)を少なくとも三〇回噛むこと(病気のある人は、五〇回以上一〇〇回でも二〇〇回でもいい)一日二食。少食。体を動かす。



桜沢はこれを「基本食」といいました。そして、この基本食を一ヶ月続けたら、必ず次のような生理的変化が起こると強調したのです。



○頭がすっきりしてくる。記憶力がウンと冴えてくる。

○疲れがなくなり、かぜをひかなくなる。根気がよくなる。

○夢を見なくなる。朝早く目がさめ、いねむりをしなくなる。睡眠時間は六時間で十分になる。

○判断が早くなる。実行力が大きくなる。、作業能率がグッと上がる。





なぜうまいもの、おいしいものがいけないのでしょうか。なぜ食べすぎてはいけないのでしょうか。何度も述べましたように、それは「血が汚れる」からです。





うまいものが身体に悪い。食べすぎが身体に悪い。それはある面では事実です。後者はやはり、どんなことがあってもダメです。食べすぎて良いことは絶対にありません。



 



『玄米を手軽に美味しく食べる本』(高畑康子著、ペガサス)





われわれが生きていくのに必要最低限量以上の食物を身体の中に入れた場合、これが老廃物、余剰物となり、病原菌がはびこるための餌になる。





牛乳は人間にとっては不向きであったということです。カルシウムが多い、栄養素が多い、ビタミンが多い、だから牛乳を摂ると健康になる、それを摂ると背が高くなるなどといわれ、世の中に広まったのは戦後になってからでした。ところが、その最大のうたい文句であったカルシウムの量の多さということが、決して良い骨をつくらないということがわかってきたのは最近です。





カルシウムの供給源として欧米人は牛乳を摂り続けてきました。一日に一リットルも二リットルもです。ところが飲めば飲むほど骨がボロボロ(骨粗鬆症)という現象が出てきたのです。北欧ほど牛乳を飲んでいるところではないそうですが、この北欧の人たちくらい、骨粗鬆症に悩まされているところもないそうです





牛乳の欠点を列記すると次のようになります。



①カゼインタンパクであり、消化不良を起こす

②牛乳のタンパク質は分子が小さく直接血中に吸収されるものもあり、アレルギーのもととなる

③人間の脳の発達に必要なビタミンBとリンが非常に少ない

④タンパク質が多くかつ消化しにくいため腸内腐敗を起こしやすい

⑤マグネシウムが少なくカルシウムばかりが多いため、牛乳を摂ると動脈硬化→高血圧→不整脈→心臓病を起こすもととなる。その他のカルシウム過剰による弊害も、いくつも起こる

⑥自然な免疫力が母乳にはあるが牛乳にはない(IgAなど)

⑦ラクターゼという乳糖分解酵素が日本人は少なく、消化不良を起こしやすい

⑧粉乳には三〇品目の食物添加物が含まれており、さまざまな副作用の併発のもとなる

⑨牛乳のタンパク質と脂肪が血液粘度を増し、高脂血症のもととなる

⑩牛乳の脂肪は飽和脂肪酸が多量に含まれ動脈硬化のもととなり、脂肪の量の多さが乳ガン、大腸ガンなどのもととなる

⑪牛乳は視力低下を起こしやすい(宮崎大島田教授)

⑫粉乳となったものは大きく酸化している





朝はしっかり摂らないほうがいい。もし摂るなら非常に消化が良くてミネラル、ビタミンの多い果物とリブレスープを摂るのがベスト。



(1) 朝、目覚めてすぐは、内臓その他の臓器がしっかり活動していない身体がよく活動をし始めるのは起きて三~五時間経ってからです。それゆえ、目が覚めてすぐ栄養のあるものをしっかり摂ったらただただ内臓(胃腸のみならず肝、腎、心まで)は疲れ果ててしまいます。そして、ホルモン系も自律神経系も異常をきたしてしまうことになります。



(2) 日本人は長い間一日二食であったので、朝に食事を摂るのは体質的に合わない



(3) 中国では、時間と病気(経路)の関係が明記されてる。



(4) 一日二食であることにより、胃と腸と肝その他の臓器の休息につながる



(5) 西式健康法の西勝造の実験結果より





一、少食―断食、半断食をしばらくする(次項のファスティング・メニューを参照)。

二、タンパク質を少なく、穀物菜食(特に生野菜・煮野菜)、味噌汁、漬物、果物中心。

三、良いお茶、良い水をしっかり摂取する。

四、マイナス思考を持たない、積極思考を持つこと。

五、酵素のたっぷり入った食事をいつも摂る(つまりは生野菜摂取と果物摂取あるいは酵素サプリメント)。





 

9/14/2007

断眠


断眠 山田鷹夫



一食で三時間の睡眠が必要であると聞いた気がする。

それが心に残っているけれど、それを更新したいと思う。

一食で二時間の睡眠が必要となる。つまり三食では合計六時間の睡眠が身体に必要となる。

ステップアップして、二時間睡眠の道に突き進むには今の食事量をなくす以外にない。





眠っていながら起きているという、その状態が夢だ。

起きていながら眠っているという、それはどう言ったらいいか、ぼんやりとしているときがそれだ。

起きているのだが、意識がない状態だと言えばいいか。意識がどこかに飛んでいっている。

僕が単純作業が好きなのはおそらくそこに理由がある。単純な作業をくり返していると、たとえば掃き掃除だとかでひたすらホウキを振って広い床を掃いていると時間が飛ぶというか、時空が消える。

意識がなくなるということに気がつく。





もし身体の負担や疲れを消したいと願うのであれば、一つ勧めることがある。

眠る前には胃を空っぽにしておくという習慣を身につけるということである。

できるならば夜食はもとより、眠る三時間前には食事をとらないほうがいい。

なぜかと言えば、あなたの意識が休んでいると思うだけで、身体は少しも休めていないからだ。

胃に残った食物の消化のために、あなたが寝入っても身体はせっせと働きつづけなければならないからで、身体は休みになっていないのだ。

休んでいると思うのはあなたの意識でしかない。睡眠を一番左右するのは食物だからだ。



眠るということと、食うということは深いつながりがある。表と裏である。

食うということは眠るということで、眠るということは食うと同義であると言える。

一般的にはそんなふうには意識していないが、そうである。

眠るために食べるという言い方ができる。食べなければ眠らない。食べなくなれば眠る必要はなくなる。

眠らないためには、食べなければいい。単純な真理である。

だれも信じられないだろうが、僕にはそれがわかる。

不食というアホな実験をした者だからそれが見える。

断食体験者であるならばそのことを知っている。



不食の会:http://www.taka45.com/fushoku/




9/13/2007

不食のすすめ


「不食のすすめ」という本。変わった本だけど、興味深い内容。
以下、赤線引っ張った箇所を示します。どんどん哲学的、印度りんご的になる自分を制御出来ない、と。


水野南北は、遊郭に遊ぼうが何をしようが、何をしてもいい、ただ一つ食だけは節制するようにと、この一点にすべてがかかっていると言った。
今の日本にはその警告を発する者がいない。

個人でも国家でも食を節しないものは、滅ぶ。
合併だとかは些末なことだ。
根本である食を改めることのほうがはるかに優って重大であるのだ。
だがだれもそういう警告を出す者はいない。
異論を吐く者は巷にいない。
今の社会は食という欲望の怪物にからめ取られている。
何重にも封鎖されてしまっている。こ
の包囲網から、食欲構造から、人間は、日本人は脱出できるのか。
それだけが問題だ。


物質の歓びは頂点に達した、そこに幸福はなかった。
ではその体験を生かして、新しい山に向かおうというさらなる進化の道に踏み入ろうという代替の提案だ。
没落を歓迎したい。
達成の後には降下があって当たり前だ。
成功の連続では感激は薄れる。
失敗や没落は長い人生のスパイスになる。
繁栄だけの人生は底が浅い。
対極をも味わって究めてこそである。
半世紀で貧乏から、繁栄の頂点に達した。
再び没落するのもいい。
だがその没落の流れの中で新しい流れを形成する。
過去の歓びとは対極にある歓びに自らの意識と生活をシフトする。


9/12/2007

オシムの言葉






オシムの言葉





間瀬秀一は
「行く国、行く国、貧しい国。行く先、行く先、苦しい場所。ツテもなくて2部とか3部ばっかりで、スタジアムも小さくて環境も悪いわけですよ。住むところも食べるものも貧しいわけです。で、サッカー辞めようかなと何回も思った。でもそこのチームメイトと同じものを食べて、同じ生活をするうちに見えてくる。俺がこんなに苦しいってことは、そこの国の人、みんな、苦しいわけです。彼らに愛着が湧いて来たんです。どんな環境であろうが、そこに人が住んで生活を営んでいる。1部でも3部でもやることは結局同じサッカー。
人生なんて、みんな、価値観、それぞれ違うわけじゃないですか。サッカーなんてどうでもいい、サッカーなんて嫌いな人だって世の中にいるわけです。でも自分はサッカーを好きで、こととん追求することができた。代表になれたわけじゃない。サッカーで大金を稼いだわけでもない。それでもね、確かに自分は貫いたという自負があります。」





夢ばかり見て後で現実に打ちのめされるより、現実を見据え、現実を徐々に良くしていくことを考えるべきであろう。





攻めるべきかどうかということは、人生の哲学とも関わっている。プロの世界だから結果は大事。内容が良いかどうかよりも、やはり勝ち負けが注目されるし、それがプロでもある。そういう意味で、人生の哲学と関わってくるのではないか?
私が思考するのは、観客やサポーターはいったい何を望んでいるのか、そして何が目的なのかということだ。サッカーとは攻撃と守備から成り立っているもの。その要素の中でいろいろな方法論をとることができるが、私としては、いる選手がやれる最大限のことをして、魅力的なサッカーを展開したいと考えている。そういうサッカーを目指すには、リスクが付きものだ。しかし、現代サッカーがビジネス化し大きなお金が動くからといって、そのリスクのほうを狭め、大きなお金のためにサッカーを展開し、ほとんどの試合が0-0になったらどうか?もちろん、いいサッカーをしても0-0の結果になることはあるが、それはまた別の話。観客が満足するようなことに挑戦することこそが、大切なことだと私は思っている。
全ての監督が大きなプレッシャーを感じている。ほとんどの人たちが、試合の内容よりも結果に注目しているわけだからね。やはりチームが負けないようなサッカーを監督は選択していくだろう。ただそういうことを続けていたら、残念ながらいい内容の試合は展開されないだろうね。










9/11/2007

行列のできる店はどこが違うのか




行列のできる店はどこが違うのか/大久保一彦



#1行動の9割は無意識



あらゆるものが成熟した日本の市場において、この差は「商品の違い」でないことは、みんながうすうす感じていると思います。しかし、どうしても商品に固執してしまう。状況が悪くなればなるほどその傾向が強くなります。



味は嗜好性のある要素であり、人それぞれ好みが違います。例えば、塩加減などは生まれ育った環境で違います。生活水準が高く、文化的な生活を送る家庭で育てば、塩加減は穏やかになります。その反対に、夫婦共働きで、時間に追われて生活をすると塩加減が強くなります。なぜならば、サラリーマンやOLのランチタイムは非常に短く、短時間にお腹を満たさねばなりません。おのずと無意識のうちにインパクトのある味を求めるようになるのです。私は、堂々、「貧乏人はタレを飲み、塩を食べ、裕福になって時間を食べる」と言っています。



店というのは売上が上がった時点から本当の商売が始まります。



ラーメン屋で味のインパクトを出す場合、化学調味料を増やすのが常套手段です。人間は舌と体のふたつで塩分を感じます。舌と体です。


しかし、 化学調味料を塩とブレンドするとこのブレーキの利きを甘くするようで、舌で「しょっぱい」と感じるポイントをずらしてしまいます。



インアンドアウトバーガーでは創業以来裏メニューがあったそうですが、もしそうだとするとインアンドアウトバーガーは商売の天才です。


なぜか。まず、メニューをシンプルにすることで生産性を高め、仕入れ効率を高め、高品質のハンバーガーとどこのハンバーガーチェーンよりも高い賃金とを実現しています。おいしさとサービスで評判になる。



売込みを意識させるのとさせないのでは、逆説的なことに、意識させないほうのが良いのです。


「新宿さぼてん」はアルバイト、パートで店を運営しています。したがって、販売スキルは低いです。そこで私は、袋や箱を作ったり、スタンプカードにハンコを押したりと手空きのときの作業を考えました。これによって販売スキルの低いスタッフでもお客さんを店に引き込むことができます。従業員に動きを作ることで、ショーケースの前に立ちやすくなり、売れる環境になるのです。



開放度とはお店が道路に対してどれくらいオープンかを表します。入り口にキュウリやトマトなどの野菜をザルに載せているような八百屋さんは開放度が高いといえます。開放している度合いが高ければ境界線を意識しませんので、お客さんは入りやすいと感じます。


次が透視度です。飲食店などは、一般的に外気を遮断するために八百屋さんのようにはオープンにしません。その場合、入りやすさを出すために、入り口などをガラスにして中が見えるようにします。そうすると入りやすく感じるわけです。どれくらい中が見えるかを透視度といいます。


最後に深度です。お店が奥まっていると一般的に気取った印象を受けます。この奥まっている度合いを深度といいます。料亭などは、塀があって中が見えず、おまけに入り口が奥まってます。ですので、とても入りにくい印象を受けます。逆に、町の八百屋さんは入りやすい印象を受けます。これをうまく調節するとお客さんの無意識に感じる入りやすさをコントロールできるのです。ドラッグストアは入り口にティッシュやトイレットペーパーをおきますね。まるで万引きされそうです。でも、この万引きされそうな環境が大切で、万引きされそうというのはお客さんに境界線を感じさせないのです。



東京の港区の人気のあるレストランでは、「お客様、○と△と□をお選びですと、お二人様では量が多すぎると思います。□を次回のお楽しみとされたらいかがですか?」と、お客さんの注文のしすぎを防いでいます。なぜかというと、料理を残された場合、量が多いことを知らない一見さんの場合、まず、「不親切な店だな」と思われてしまうからです。そして、もうひとつが、無意識にすごしている限りは予算を超えないようにすることによって、お客さんの価格に対する満足度が高まるからです。



売上の構造を説明する時に、「売上=買い上げ単価×客数」という公式を使います。その考え方に従うと、売上を上げるには買い上げ金額を上げるか、客数を増やすしかないことになります。あまりお客さんが増えない成熟の時代、どうしても新規客が増えそうに思えませんから、来店されているお客さんから売上を搾り取ろうとしています。経営者は「なかなか手が伸びないこの商品、買ってくれたらなあ」こんな事を考え勝ち。しかし、これが、より一見さんしか来ない商売にしてしまうわけなのです。


では、単価をアップさせる方法はないのでしょうか?もちろんあります。それは、自分、すなわち店とお客さんの両方を進化させるのです。進化とは、文化の度合い、分かりやすい言葉で言えば価値観の水準の向上です。



人間は幼少から育った環境で、生活習慣や文化を身につけます。



人間は安定を得ると新しい文化を理解するようになることがあります。ですから、私は、無意識のうちに新しい世界に接する機会を積極的につかもうと行動してきました。



文化を創るには自分自身にその文化が必要です。それは文化の階段を上がるには、道案内するガイドが必要だからです。自分自身に文化がないと、誰かに依存しないといけません。自分の体験以上にお客さんを感動させることはできません。


ですので、単価アップは自分のためにも大切なことです。そのためには、自ら進化し、文化発信できる立場になり志が重要なのです。



売上=新規客の売上(客単価×客数)+その後のお客さんの利用の度合い+その後のお客さんと自分の成長




#2常識は時代の産物



良い商品開発には、経験曲線のメリットを享受できることが必要です。分かりやすく言うと、売上に比例して増える経費、すなわち変動費を増やさず、かつ、そもそもかかる経費、固定費も増やさないで、経費と増えた売上のギャップを作る商品を開発するのです。



「おいしさがあれば繁盛する」これは食を扱う誰しもが持っている常識です。しかし、あらゆる食べ物が身近なところで手に入る今の時代では、この「おいしさ」という言葉の前に「卓越して感動に値する」という前置きがあってはじめて成立する話なのです。



#3強みではなく弱みで勝負



鮮度が重要な文化というのは、必ず上から下に流さないといけないのです。


ですので、店というのはまず、今までにないものは、新しいものに敏感な文化のある変わり者に流さねばなりません。そして、その人たちに文化発信する楽しさを十分堪能してもらい、優越感に浸ってもらいます。このプロセスで口コミが浸透し、文化として根付いていきます。


繁盛店作りの最初のポイントで、消費者全体の中では変わり者のお客さんの口コミを通して、世の中でおいしいものという常識になっていけな繁盛店は容易にできるのです。



二流店はよさそうなもの同士を組み合わせ、一流の店は意外なものを組み合わせるのです。



一般的に弱小企業や新参者はいいスペースをもらえません、悪い条件下で、数ある埋もれた商品の中から、お客さんの目に止まり、選んでいただくことまでをデザインの中に落とし込まなければならないのです。これは重要な販売術で、ヒット商品には欠かせないポイントです。



自分の知識の基準を相手に押しつけるのは難しい。ここではまず、待つことが大切です。お客さんが新しい文化を取り込むには、加えてタイミングが重要です。早すぎても遅すぎてもよくありません。



今の消費者は、より選択肢が多い場所を選ぶ傾向があります。それは、「その街に出ればなんとかなるだろう」と思って外に出る今時の若者の深層心理を如実に表しています。このタイプの「とりあえず客」は目的意識がありませんので、すぐ忘れてくれるという良さがあります。



#4脚本+演出+役者



『神話の法則』(クリストファー・ボグラー著)という脚本家のマニュアルのような本があります。この本には脚本作りのセオリーが書かれており、ハリウッド映画、特にディズニーなどはストーリー展開においてこのセオリーを踏襲しています。例えば、この著者は、ストーリーの展開は次の12ステージになっていると述べています。


1、日常の世界(映画の始まり方、子供同士が遊んでいるシーンから入る)


2、冒険への誘い(たんすの中に別世界への入り口を発見)


3、冒険の拒絶(誰かにその入り口へ入ることへの恐怖が湧く)


4、メンターが現れる(見知らぬ世界への準備をさせる)


5、第一関門突破(冒険に踏み出し何らかの成功を収める)


6、試練、敵対者(なんらかの成功を収めるとやっかみなどの試練が発生する)


7、もっとも危険な場所への接近


8、最大の試練


9、報酬(第二関門の突破)


10、帰路(この時点でヒーローは完全に危険な状態から脱しておらず、どんでん返しが待っている)


11、復活


12、宝を持っての帰還


この展開を頭に入れて映画を観ますと、いかに多くの作品がこのようなセオリーで進行しているかがわかります。



高級ワインを楽しむことは、歴史を受け継いだ過去と今と未来を結ぶ共有できる価値観を楽しむ文化なのです。文化度がなければ、価値観を感じないのです。ワインのつくり手や関る人は必ずしも、単に儲けを考えて事業としてやっているわけではなく、文化の伝道師というミッションで日々携わっている人も多いのです。



#5ビジネスと人生設計



店の命の源は活気です。明日や先のことなど、何も余計なことは考えず、ただ目の前のお客さんを喜ばすために必死にいろいろなことを考え、その瞬間を繁盛店のスタッフだと思って演じきってもらわないと店は繁盛に導かれないのです。



「あなたが一年以内に行くようになった店で、三度以上行った店はどれくらいありますか?」



「今までお客さんがまた来ないという視点でみたことがありませんでした」



「料理人よ故郷へ帰れ、そして故郷の市場に行き、故郷の人々のために料理を作れ」


商売人にとって大切なのは自らを育んでくれた故郷にあるのではないでしょうか?その縁のあった故郷を豊かにしてこそ、自分の生きていることに対しての恩返しができるのではないでしょうか。



9/10/2007

海外留学の理想と現実




海外留学の理想と現実・浅井宏純



日本人にとっての国際性というのは、国際人的な意味で使われるのだと思いますが、もっと広い意味で使われる国際性というのは、主に国益なども含めてた、他国との違いということです。つまり、国益や文化的な意味での対立を前提にした、異文化へのコミュニケーションだそうです。現実にはそういう意味の方が強いのでしょう。



留学することが国際性を直接に育てるとは思いませんが、日本にいるよりは、留学することで早くから自然に外国人と触れるので、意識は国際的に変わるでしょう。繰り返しますが、日本人が日本人であることがとても重要であり、日本人であることが、すなわち国際的に貢献できるのを忘れないでください。



アイデンティティが育っていないのは、家庭での日常生活や日本の学校教育のなかで、誇り高い日本の文化が教えられていないからです。留学することで、日本にいる家族と日本により興味を持って、自分の文化を育てていく学生がいる反面、留学して根無し草になる学生がいます。彼らは、現地で知り合って友だちになった外国人から影響を受けやすく、彼らの文化に染まるのです。



もっともよい対策は、親が待つことです。気になっても、少々子供が苦労していても、放っておくことです。考え方の違う異文化に、子供が留学しているのです。親があれこれ自分の(日本での)考え方や知識でアドバイスしないことです。


遠くにいる親より、知覚の他人。子供には、離れた日本にいる親ではなく、留学先でお世話になっている身近な人、先生やホストファミリーや友だちに相談するようにさせることです。本人から相手に悩みを伝えることで、必ずうまく解決します。



「好きなことをしなさい」「好きなことを見つけて、一生の仕事にすればいいのよ」といって育てらている子供は、思考に柔軟性がなくなります。「(よい大学、よい就職のために)勉強さえしていれば、あとは好きなことをしていいのよ」というのも、根は同じです。そのようにいわれ続けて育てば、自分の希望を大切にするがために、人のアドバイスを聞かなくなります。好きなことをするためにはリスクがあり、したくないこともしなくてはならないことを教えておかなくてはなりません。


大人になったら「人の役に立つ仕事ができるようになればいいね」といって育てられた子供は、人のためなら人が嫌がる仕事にもチャレンジできるのです。その方がどれだけ可能性が拡がることでしょう。



私が3人の娘をすべて中学留学させた理由は「子供を自立させる」ためです。私は、「自立」が教育の役割の一つ、留学が自立の芽を育てる最高の手段だと、経験上、確信しています。だから、娘たちを旅に出して、他人の釜の飯を食べさせること、外国へ一人で行かせて、言葉の壁を乗り越えて、厳しくも楽しい学園生活をさせました。外国から親のこと、姉妹のこと、友だちのこと、日本のこと考えるきっかけを与えてあげたい。また、一度、日本の教育システムから外すことで、日本に戻っても、子供たちが自分の将来は自分で決められるような、逞しい想像力を身につけさせたかったからです。



「留学とはお金を出して、苦労を買いにいくもの」です。親の庇護から離れて精神的に独立し、日本での価値とはまったく違うものを学び、他人の気持ちをわかってをわかってあげらるように成長していくところに、留学生活の本当の意義があるのです。苦労を買おうとしないようでは、とうてい夢など追い求めることはできないのです。



感謝できない子は、日本ではいつも親に守られていて、欲しいものをなんでも与えられていたように感じます。高校生なのにとるべき責任が取れない。高校留学はもはや親の責任にはなく、自己責任なのです。



18歳くらいには、人生を自ら選ぶ能力を身につけて欲しい。だから旅(修行)をさせるのです。かわいい子には旅をさせる。旅行とは違い、旅には危険がつきものです。問題に直面したら、それを自らで乗り越えさせるのです。正しく生きることが社会への貢献です。そのうえで、夢大きく、志高く、世界のために日本のために活躍できるリーダーにも育って欲しいと願ってしるのです。



留学は日本では知り得なかった人々との出逢いと感動があります。感動は人を動かし人生を変える原動力ではないでしょうか。子供も大人も、留学体験をして初めて身につくことがたくさんあるのです。


遠藤周作は昭和25年、留学先のフランスへ上陸する直前に「ぼくはすべての独断を今日から捨てよう。すべてのものを新鮮なままで受け入れていこう。そして、より善きもの、より美しきものをこの国の中に探っていこう。自分をたえず支えるものは、誠実であり、真実に対する勇気であることにしよう、ぼくはそう考えました。」(『ルーアンの丘』)と決意を述べています。アレもコレも欲しがらなければ成功を手にすることは簡単なのです。なくすものなど何ひとつありません。勇気を持って新しい一歩を踏み出してみませんか。何はなくとも「夢はでっかく、根は深く!」です。



外国で成功するために重要なことは?


・偏見のない開いた目と冒険


・自信を確立し、外交的な性格を得、他の人たちと関係を得る能力を持つことです


・新しいやり方を学ぼうとする意思です。学ぶ意思と願望、これを持っている生徒、そして指示に従おうという意思がある生徒は海外でうまくやっていけるでしょう


・海外で勉強することに誠実でなければいけなせん。柔軟で態度を適応させることができ、他の人に対し開放的で親しみやすくなければいけません。また、異文化は生活スタイルに対し準備が整っていなければいけません。そうでなければカルチャーショックは大きすぎます


・異文化に対して、考えを広く持つ必要があります。物事に対して柔軟で、もっとも重要なことは、経験に対して前向きな態度が必要です。このような生徒は最適に対応でき、経験から最大のものを得ます



9/09/2007

正しい意思決定の五条件




「正しい意思決定の五条件」とは、



つぎのとおりです。

①やりたいこと・楽しいことをやる

②自信のあることは、やってもいい

③自分のためだけのことではなく、世のためになること

④責任がとれること

⑤恨まれることはしない


たかのしれた社会



たかのしれた社会


(タオ・老子【原著】加島祥造【訳】著より)

ぼくらは人にほめられたりけなされたりして、
それを気にして、びくびく生きている。

自分が人にどう見られるか、
いつも気になっている。

しかしね、
そういう自分というのは、本当の自分じゃなくて、
社会とかかわっている自分なんだ。

一方、道(タオ)につながる本当の自分があるんだ。

そういう自分にもどれば、
人にあざけられたって、笑われたって、
ふふんという顔ができるようになるんだ。

社会から蹴落とされるのは怖いかもしれないが、
社会のほうだって、いずれ変わってゆくんだ。

大きな道(タオ)をちょっとでも感じていれば、
くよくよしなくなるんだ。

たかの知れた自分だけど、同時に、
たかのしれた社会なんだ。

もっともっと大きな「ライフ」というもの
それにつながる「自分」こそ、大切なんだ。

そこにつながる「自分」を愛するようになれば、
世間からちょっとばかりパンチをくらったって平気さ。

愛するものが、他にいっぱい見つかるさ。

世間では値打ちなんかなくっても、
別の値打ちのあるものが、いくらでも見えてくるんだ。

金なんかんで買わないで済むもんがね。



9/08/2007

掟破りの成功法則


掟破りの成功法則 夏目幸明




<海洋堂/宮脇修>

海洋堂には『これさえやめたらいける3箇条』があるという。
1.お金がないのに次々と新しい企画を進めない。
2.ヘンなものを出さない。
3.常にバクチを打ち続けない
・・・・・・つまり、宮脇はその3つを激しく続けてきた。


結局のところ、ホンマの才能言うんは、好きで好きでしょうもないことを、真剣に、長く続けることなんや。逆に、不器用なヤツが、5年、10年かけてモノになると鳥肌が立つようなもんを作りよる。


『クラスに40人おったら、1割ぐらいは変わり者がいるはずや。そいつらが買うてくれたら商売にはなる』


「なあ、こんなお笑いのようなことを大まじめに続けてきたんが海洋堂の歴史や。なあ、わかるか?これは“好き”とか“愛着”なんて小っちゃなもんがデカイものにかみつき続けてきた歴史なんや」


世の中に媚びて自分を曲げんことや。好きなことを好きなようにやる、遠まわりに思えるかもしれんけど、ホンマはそれだけがオマエの人生とちゃうんか?


沈む淵があれば浮かぶ瀬もある・・・


目の前の壁に挑戦したり、ぶつかったりするうちにこうなっただけですわ(笑)。
人生にはいろんな“壁”がありますやろ?鉄の壁、石 の壁、板でできてる壁もあれば実は紙、いうのもあるはずや。それが目の前に立ちふさがった時、どうしたらいいと思います?結局、力一杯ブッ叩いてみんこと には、それが何でできてるかはわからんのです。跳ね返された痛みで目が回ることもあれば、びっくりするほどカンタンに腕が突き抜けることもある。そんなこ とを繰り返しているウチに、こうなってただけですわ(笑)」


「心に花を思わずば、手先手練は人に勝れたれども、花を知る人とは云わず。未熟にても、心に花を思ふ人は、花を知りたる也」。いかに技術があれど、いかに器用であろうとも、愛情がなければ、ついに花を知る人とはなれない――。

<ソフト・オン・デマンド㈱/高橋がなり>

「人と変わったことをやり通すだけの意思と力を持っていたら、大抵食べていけますよ」(ソニー創業者・井深大氏)。

<㈱トーイズ/北原照久>

人が大事なものを見失う理由の大半は、他人との無意味な「比較」にある。実は、偏差値、給料、社会的な立場など、分かりやすい基準であるほど、比較に意味はない。世に、自らの絶対的な価値を見つけられず、世俗の価値にすがる人物がいかに多いことか・・・。

<創庫生活館/堀之内九一郎>

足が棒になるまで売り歩く、というのは残念ながら努力じゃないんです。足を棒にしなくてもいいように、効率のいいシステムを作る、商売をデザインするのが、本当の“努力”なんです。世の中には、ここに気付かずに、ただがんばっちゃう人が意外と多い。


「意外と、この振れ幅が大事なんだよ。少々のことがあっても、何ともなくなる」
それは「堕ちる時はとことん堕ちろ」と絶叫した昭和の名文学、『堕落論』の一節のようにも思える。


・座右の銘は?
流れに従って志を変えず。

<コロちゃん㈱/小竹守>

はなから負けるとわかる勝負に挑むこともある。結果、やっぱりボロクソに負ける。けどさ――やったってことには、意味がある。


その結果、たとえ大損をしてもいいんですよ。人生トータルで考えれば、場面、場面で人間として納得行く道を進んだ方がきっと大きくなれる。

<㈱テンポスバスターズ/森下篤史>

進化論の世界では、強いもの、大きいものでなく環境に適応できたものが生き残る―


ようは“余計なこと”が人間の可能性を拡げるというわけだ。フランスの微生物学者・パスツールは「偶然は準備のある心に味方する」という言葉を残している。

<まんだらけ/古川益蔵>

人に何を言われようと、どう思われようと、好きなことをやり続けること、これに尽きるんです。ボクは言ってみれば、社会からツマハジキにされてきた 人間です。かといって天才的な才能があったわけでもない。けれど、ついに『世間並み』にならず、自分を貫いたんです。そしたら意外なことが起こった。世間 がボクに付いてきてくれたんです。開き直るまでは大変でした。仕事も減ったし、友達も失った。だけど、道が開けてきたのは、それからなんです。


成功と破滅、堕落とストイック。対極にあるものはときに激しい相似形をとる。

9/07/2007

堺屋太一・9/2/2007日経



堺屋太一・9/2/2007日経


子供に勇気とか覚悟とか独創といった美徳を教えなかった。自分で考え選択する気力を与えなかった。一流の大学を出て会社に入るのが幸せなんだと。



優しさと安易さだけが美徳と教えた。満足の大きいことが幸せになった。満足とは主観的。世界中の人が主観を持ち出しているのに、日本人は客観がいいと思いたがっている。



好きを基本に勇気と決断と覚悟の美意識を持ち直そう。

つか版 誰がために鐘は鳴る






つか版 誰がために鐘は鳴る つかこうへい



女を辱しめず裏切らない人間をスターという。



『冬のソナタ』のペ・ヨンジュンも、『ローマの休日』のグレゴリー・ペックも、誠実であり続けようとする。
なぜならスターは、強気をくじき、弱きを助ける正義の味方でなければならないからだ。



韓国では、どのような理由があるにせよ、兵役に行っていない男性は貶められる。
イ・ビョンホンは義務を果たしたが、公益勤務要員ということで6ヶ月に期間短縮され、チャン・ドンゴンもまた気胸という病気で免除されている。兵役に行かなかった者に対して、人は彼らを「腰抜け、卑怯者」と差別する。
ペ・ヨンジュンもチャン・ドンゴンも、その差別の中で生きてきた。
その中で彼らは、必死で不動のスターへの道を模索し続けている。
だからこそ、いま毅然と輝いている韓流スター達の微笑の中に、孤独を見る。
彼らの微笑みの裏には、決してこの社会に完全には受け入れてもらえないという、諦めからくる寂しさがつきまとっているように感じられる。



儒教の国・韓国では、学問を重んじ高学歴であることが重要視される。
そして俳優という仕事は国民にとって自分達の代表であり、高学歴・高身長・鍛え抜かれた肉体・人柄と、完璧さを求められている。



ペ・ヨンジュンは芸術家と呼ばれたかったのであろう。映画好きな韓国の中にあって、知性ある役者と呼ばれたかったのであろう。
が、映画というものは大衆が楽しむエンターテイメントであることを忘れてはならない。



彼女たちは芸術を見たいのではない。夢を見たいだけなのだ。



私はペ・ヨンジュンに、若い娘の将来のために入れ歯をはずさせるような、そんな男気を持つ人間に成長して欲しいと思う。
ペ・ヨンジュンなら、きっとなれる。
なぜなら、スターは相手を、ファンを思いやる心の深さのことであるから。そして、スターの華とは、男気のことであるから。



誠実に生きていこうとするサラリーマンが死ななければならないアメリカ。
アメリカは、心の美しさを鍛えず、『見栄ばかり』鍛えてきたから腐ったのである。
エリザベス・テイラーは、「子供を堕ろすくらいなら、死んだほうがましだわ」と古き良きアメリカ女の心意気を見せていた。



「ペ・ヨンジュンは、威張らないって。偉そうにしないから、日本の女達が、魅かれたと」



「それに日本の亭主たちって、奥さんに対して威張って恩着せがましくするじゃないですか」


「恩着せがましい」


「女って恩着せがましくされるのが嫌いなんですよ。やれ『家買った』『不自由のない暮らしさせた』そのうえ自分は会社の若い女の子と浮気しといて、『定年になったから面倒みろ』『ボケたお袋の介護頼む』。これじゃ女達だっていい加減頭にきますよ」



作法とは人を思いやること、やさしさとは人に恥をかかせないことだと知ったんですよ。



「私も思うんですよ、弱い者の視点で物を見なきゃいけないんじゃないですかね、文学とか芸術とかは。
ペ・ヨンジュンって人はその弱い人への優しい目線があると思うんですよ。」