2/03/2008

人生の目的が見つかる魔法の杖 西田文郎







人生の目的が見つかる魔法の杖 西田文郎


・プレッシャーというモチベーションで行動していると、楽しくないし、面白くない
・プレッシャーというモチベーションで行動していると、マイナスイメージ、マイナス感情、マイナス思考が強くなる
・プレッシャーというモチベーションでは、勇気がわいてこない
・プレッシャーというモチベーションでは、新しいことにチャレンジできなくなる
・プレッシャーというモチベーションでは、ストレスが大きくなり、幸せの感覚がなくなる


・タイムリミットを意識しないと、人間は「いつでもできる」と思ってしまう
・タイムリミットは、目標をはっきりさせる
・タイムリミットは、目標に至るまでのプロセスを具体化する
・だからタイムリミットを意識すると、いま成すべきことが明確になる


・成功を一緒に喜んでくれる相手がいないから、淋しく孤独である
・優越性は相対的なものだから、自分が追い越される危険性が常につきまとう
・勝ち続けなければならない人間は、ストレスに苦しめられる
・ストレスが大きいと、幸福感がなくなる
・病気で倒れても、家族や社員が本気で心配してくれるとは限らない
・妻や子が本気で心配してくれないと、死の床で手を伸ばしても、その手をやさしく握り返してくれる手がなくなる可能性もある
・あの世ではお金も役立たないので、そこにばかりに価値を求めてきた人は、人生の意義がわからなくなり、虚しく死んでいかなければならない


・師を持つと素直になり、物事をすんなり吸収できる
・師を持つと素直になり、迷わなくなる
・師を持つと素直になり、向上心が出てくる
・師を持つと素直になり、素直さのエネルギーが出て、がむしゃらになれる


・師がいないと、一から手探りで学ばなければならない
・師がいないと、失敗を繰り返しながら学ぶことになる
・師がいないと、自分の間違いに気づくのが遅くなり、間違った方向に進みやすい
・師がいないと、認めてくれる人がいないので、努力することが辛くなる
・師がいないと、自分の行動や目標になかなか自信がもてない
・師がいないと、師に近づく喜び、師を乗り越える喜びがなくなる


・自分より能力の高い人間
・何かに打ち込んでいる人間
・自分を怒ってくれる人間、叱ってくれる人間
・自分よりすぐれたところのある人間
・自分にない何かを持っている人間


・いままでの自分ではどうしてもがむしゃらになれず、成功してこなかった人が、もし成功を望むなら、いままでの自分を壊す必要がある
・いま幸せを感じられない人が、もし幸せを感じたいというのであれば、幸せが感じられないいまの自分の枠を壊す必要がある
・人生の目的を見つけられない人が、人生の目的を見つけて、充実した毎日を送りたいなら、いまの自分の枠を壊さなければならない
・いまの仕事を面白くないと思っている人が、どうしても面白い仕事をしたいなら、いまの自分を変えてみる必要がある


・感謝を知ることで、人は自己中心的でなくなる
・感謝を知ると、素直になれる
・感謝を知ると、物事に不平不満を抱かなくなる
・感謝を知ると、自分の苦しさや辛さは平気になる
・感謝を知ると、何にでも喜びが感じられる
・感謝を知ると、人のために動けるようになる
・感謝を知ると、臆面もなく妻に花を買って帰れるようになる
・感謝を知ると、妻に小言をいわれてもなぜか腹が立たない


・大きな目標を平気で抱いてしまうような心の質を持っている
・物事に感動し、感激できる心の質を持っている
・自分の役割に真剣に、またがむしゃらに取り組めるような心の質を持っている
・努力していることを努力と思わないような心の質を持っている
・悪い結果は、自分の責任であると思える心の質を持っている


・自分以外を喜ばせる幸せを追求していると、自分が好きになる
・自分以外を喜ばせる幸せを追求していると、自分が信じられる
・自分以外を喜ばせる幸せを追求していると、自分の苦労が気にならなくなる
・自分以外を喜ばせる幸せを追求していると、そのために達成すべき目標が信じられる。自分の気分や一時的な気持ちの変化に左右されないから、その目標が揺るがない
・自分以外を喜ばせる幸せを追求していると、結果はどうであれ、そのプロセス自体が人を喜ばせるから、必ず努力が報われる。だから、努力することが楽しい
・自分以外を喜ばせる幸せを追求していると、共鳴し、助けてくれる人が現れる


・思い続けていると、知恵が生まれる
・思い続けていると、アイデアが発生する
・だから思い続けていると、問題点が解決する
・思い続けていると、勇気ある行動力が備わってくる

2/02/2008

最近の自分の考えていることは、










最近の自分の考えていることは、

自分の人生は自分で決めて、自分の生きたいように生きる。



良くも悪くも他人を頼らず、自分の事しか考えないから、組織はつぶれても個人はつぶれない。



一言で言えば自立している。



ちょっと異常な人たちに興味ある。



変だったり、不合理に見えるものには全部、何かを気づかせてくれる可能性がある。


芸術と採算の両方を理解する優秀なプロデューサー。



独自性にこだわり大衆性も忘れない。


お金の量が幸せの量ではない。



体制に順応的な人が増えていて社会的健康の面から見ると誠に心配。


自己陶酔頬かぶり。



育ちのいい野蛮人。



自由度の広さ。

2/01/2008

愚直に実行せよ! 中谷巌










愚直に実行せよ! 人と組織を動かすリーダー論 中谷巌


リーダーの資質1:「志」がある
 リーダーに求められる第一の資質は、「志」があるということである。大きな「志」がなく、私利私欲だけで動く人間はすぐ見透かされてしまい、そうなったらもう人はついてこなくなる。

リーダーの資質2:ビジョンと説明能力がある
 優れたリーダーになるための第二の条件は、「志」を具体的な行動に移すためのビジョンであり、そのビジョンの意味を人々に明確に示す能力である。

リーダーの資質3:愚直な実行力がある
 リーダーは必ずカリスマ的でなければならないか。決してそんなことはない。カリスマ性はないが、現場に良く足を運び、自分の成し遂げようとしていることが現場レベルでしっかりと実行に移されているかどうか、とことんこだわる人。派手さはないが目標にこだわり、あくまで愚直にそれを実行に移す人。こういうリーダーこそ、実はリーダーとして尊敬され、人々の信望を集めているというケースは決して少なくない。

リーダーの資質4:「身をもって示す」姿勢がある
 リーダーになるための第四の条件は、コミットメント(決意)である。


利口な日本人は、あまり目立つような場所に長い間自分を位置づけることを回避する。日本では、
リーダーになるより、リーダーを支える参謀役のほうが安全なのである。そして、リーダーになった場合には、なるべく周囲の意見を良く聞き、御輿の上に乗っかって、良きに計らえと言っている方が長続きするのである。


「惜しまれて去る」。―――どれだけ意図的であったかどうかはともかく、まさに日本的美学にぴったりの行動パターンであった。


日本の強み――それは「現場の当事者意識」である。現場に当事者意識を持たせ、
現場の力をうまく結集できれば、信じられないくらいの力が出るのが日本人だ。これは、階級社会が確立している欧米や東南アジア諸国とは決定的に異なる点である。このことを明確に理解でき、それにふさわしい行動をとれるということが、成功する「日本型リーダー」の条件であると思う。


エリートとは「いかに社会のために自分が役に立てるかを常に考え、行動している人」と定義できる。


岡崎久彦氏によれば、明治のリーダー、たとえば、幕末から維新にかけて日本の近代化に大きな貢献をした勝海舟、西郷隆盛、福沢諭吉、陸奥宗光などの「知の巨人」は、エリートとしての自覚、責任感が強烈だったが故に、節目節目に筆舌に尽くしがたいほどの猛烈な知的「修行」を行なったという。
彼らには一生のうち何度か、二、三年あるいはもっと長い期間にわたって死にものぐるいの勉強をしている。この死にものぐるいの勉強(それは「勉強」という言葉をはるかに超えた「修行」であった)を通じて、リーダーとしての見識や志を身につけていったのである。
岩倉具視使節団がメンバーの立ち居振る舞いが素晴らしいと各地で絶賛されたのも、このようなあくなき修練の賜物であったと言えるだろう。


「悪いことをしても露見しないならやっても良い」とか、「隙あらば人を欺いてもうまい汁を吸おう」という考え方は、もとより伝統的日本人の美意識からすれば許容できないところである。


留学や海外駐在など、海外での生活をした人なら誰でも経験していることであるが、自国の文化や歴史をろくに知らない人間、自分の国を愛することのない人間はおよそ相手にされない。もちろん、自国の歴史や文化を深く知る能力と同時に、外国のことも勉強することが望ましい。


「真の心理」とは、誰のチェックも受けることなく、自己の利己的、打算的な欲望を抑えて「正しいこと」(その正確な定義は存在しないが)を実践する力である。「社会」も「神」も自分の行動を規定する倫理規範を与えてくれないとき、あなたの「倫理」はどうなるのか。傍若無人に悪の限りを尽くしてしまうのか。それとも、何らかの倫理観があなたの悪事を止めてくれるのか。


リーダーの「直感」を誰にもわかる形に変換する(「概念化」する)必要がある。「概念化」が適切に行われないと、リーダーの「直感」は部下に伝わらない。リーダーがいかに優れた「直感力」の持ち主であっても、「直感」の中身、その意図するところが十分明確に部下に伝わらなければ、リーダーの「直感力」が大きな組織力に転化されることはないであろう。


リーダーに求められる資質として、大きな「志」を持っていること、それを具現化するビジョンがあること、ビジョンを明確に説明する(直感力を概念化する)能力があること、リーダーが明確なコミットメントをしていること、人々に尊敬される「教養」を磨いていること、「大局観」をしっかりと持っていることなどを指摘してきた。


しかし、いくら「志」があり、「説明能力」があっても、組織を動かすのはあくまで現場である。つまり、組織の「実行力」であろう。自らの志を組織の末端にまで行き渡らせ、それを着々と実行する力、これこそ組織を成功に導く前提条件なのである。どんなに良いことを考えついたとしても、どんなに「志」があっても、「実行力」の伴わないリーダー成功しないのである。


どんなに高い「志」を持ち、ビジョンや戦略に長けていても、組織を動かし、人を動かす上でおそらく最も重要なのは、「愚直な実行力」である。リーダーが正しいと思うことを執念を燃やしてとことん実行するまで見届けるという姿勢である。これが現場の「当事者意識」に火をつけ、これまでの惰性を止め、変革を呼び起こすのである。


リーダーシップを発揮するのは、必ずしも高邁な「大きな志」を持ち、ビジョンや説明能力に長けた「人徳」豊かな教養人である必要はない。むしろ、大衆心理を巧みに操り、彼らのやり場のない不満や不安感を巧みに操縦することに長けた天才こそ、リーダーにのし上がる最重要な能力だったのであろう。


フロイトは、人間とはそもそも自分が心酔し、心の底から服従できるような存在を探し求めており、状況次第では、権力によって支配され、「虐待される」ことすら望んでいる、と述べている。


過去にこだわるだけでなく、将来、自分はどういう人生を歩みたいのかを考えよ(ニーチェ)


自分が最も大切にしている目標を達成するためには、過度の理想主義に陥ってはならない。状況を見極め、便宜主義や抜け目なさも駆使せよ(マキャベリ)


改革リーダーに「演技」の臭いがつきまとうようだと、それはすぐに見抜かれてしまう。かけ声は勇ましいが、現場に足を運ばないリーダーや必ず実行に移すというあくなき執念が欠落しているリーダーは、すぐに見透かされてしまう。そうなると、まず改革は成功しないし、逆に、リーダーが本気である場合には、協力者が増え、改革成功の確率が高まる。


リーダーは自分でリーダーになろうと思ってそうなるのではなく、身をもって示しているうちにいつの間にか他人によってリーダーにさせられてしまう、そういう存在である。そういう状況が生まれてくると、それがさらにリーダーにエネルギーを与え、身をもって示す行動に拍車がかかり、ますます支持者が増えていく。リーダーと支持者がだんだんと一体化し、互いにより大きな行動へと輪が広がっていく。
リーダーが変革を起こす者であるとすれば、こういうリーダーと支持者の一体化こそ、変革を成功させる最終的な条件になるのであろう。


もう一つ、重要だと思われるのは、日本文明というものにしっかりした理解を持つということだ。
日本がこれだけの成功を収めた本当の理由は何なのか。世界の人々がこのことに対する納得のいく説明を求めているのに、日本人はなかなかこれができない。自分の依って立つ国の歴史や文明に無関心な人が多すぎる。これでは、日本人は「根無し草」になってしまう。
自分を説明できない人、自分の国の歴史や文化を外国人にきっちりと話せない人はまず国際的なリーダーになれない。
これも、戦後日本の教育の盲点になっている。ここの部分も意識的に勉強する必要がある。

1/31/2008

日経8/17/2006








日経8/17/2006
本を読み考える。

ヒトの根源の活動の前に先ず検索。

「ネットには答えがあるし早いもん」手軽さが好奇心を鈍らせ、近道への欲求が募る。

検索上手でもさまざまな刺激や体験から培う”知的体力”は零点になりかねない。
「その場の空気が分からなければ、利用者をひきつけられない」ネットビジネスの最先端にいるからこそ、妄信する危険性を肌で感じる。

自分の目や耳で確かめ、必要なサービスを考え抜く。

「本当に必要なものは手に入らない」
ネットはヒトの感性や知覚に影を落とし、時に脅威ともなる。

その欠陥をどう克服し、過去と違う進化の階段を上るか。

今日の備忘録


















今日の備忘録

①『脱出』 ジョン・ブアマン監督。ジョン・ボイト、バート・レイノルズ主演。
②『大いなる勇者』 シドニー・ポラック監督。ロバート・レッドフォード主演。
③『愛と野望のナイル』 ボブ・ラフェルソン監督。パトリック・バーギン、イェーン・グレイン主演。


『男の行動学』
『動物と暮らす』
斎藤令介 著(集英社文庫)

『父と息子の教科書』



ヘミングウェイは「善とは何か、それは後味のよいことである。悪とはなにか、それは後味の悪いことである」
スタンダールは「素直さや善良さ、これこそすべての人が身につけるべき最高の道徳です」


自然には厳しい面とやさしい面とがある。人がその厳しい面にふれるとき、自然は人を逞しく育ててくれる。人がその優しく美しい面にふれるとき、自然は豊かな感性や情操を育んでくれる。美しい自然の中で何も考えずにに佇むだけで、少なくともその間は、詩人の心を取り戻すことができる。


考え方が変われば行動が変わる
行動が変われば態度が変わる
態度が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命さえ変わる


日本自然保護協会
http://www.nacsj.or.jp/


理想的な両親や環境の中で育った子供が大人になると、くだらない人間になっている例をよく見る。


規則や規律を強調する人間は、自分の良識のなさ、自制力のないことを告白しているのである。
自分を縛る規律がないとやっていけない、というのはとても幼稚な精神だ。


自分は何も考えたり判断しなくても他の人がやってくれ、しかも数人のグループで行くからどんな激流も恐くない。


この国の人間は誰かに支配されたり、命令されたくてうずうずしているということだ。



一 問題に対する知的好奇心がひじょうに高い(芸術分野では、問題に対する感性がひじょうに豊かである)。
二 新しい考え方や方法を取り込む進取の精神が高い。
三 伝統、権威、社会的常識、体面などにとらわれることが少ない。
四 未踏の分野にチャレンジする知的冒険心を強く持っている。
五 失敗して危機的状況に陥っても、それに耐えられる性格的強さがある。
六 長期間にわたって知的集中を持続できる。
七 実験的精神がひじょうに旺盛である。
八 人間関係や組織に対しては冷めた態度であり、心底から同調しない。

1/30/2008

自己嫌悪ってなんだ?















自己嫌悪ってなんだ?


人間は二つに分かれる。

こういう言い方はじじい臭いな。

「やってみます。」という人間と、「むりですよ。」という人間と、である。

どうやったらできるかを考える人間と、すぐにできない理由ばかりを考える人間と、である。

そして、できる人間は自分でできるようになるのであり、できない人間は外からなにを言われてもできない。自分で決めて、自分で成長するしかない。



口先だけで偉ぶりたがるがまったく口ほどにもないサラリーマンは、ただ楽をしたいだけ、マイペースを崩したくないだけである。

職人のように技量が見えないから、ごまかしだきく。他人のせいにできる。

どちらがプロであるかは一目瞭然である。「そこなでやることはない」ではない。「そこまでやる」のがプロの仕事なのだ。





伊丹はこのようにも書いていた。

「私の経験では勉強のできない奴は概してずるい奴だった」(『女たちよ!』新潮文庫)。

「勉強」といってしまうとちょっとニュアンスがちがってくるが、頭が悪いということは、自分(の行動や思考)を客観視することができないということだ。





自分は認められていないと心で感じる者は、他人につらくあたる。このバアサンのようにである。だが自分を認めすぎている者もまた他人につらくあたる。





強さとは心の強さだ。

強いとは、心が強いことである。

復元する心であり、破れてもつくろうことのできる心だ。

さまざまな感情をしることによって、心は深くなりうる。

さまざまな経験をすることによって、心は広くなりうる。

ひとつの物事をつきつめることによって、心は粘り強くなることができる。





人と人の関係とは、心と心の関係のことである。

人間は心で生きている。

しかし、関係が無ければ心もない。

心は生じない。

関係が無ければ心は動かない。

人から認められたいと思うのは、心である。

認めてくれないといって神経がささくれ立つのは、心である。勝ったと思うのは心であり、負けたと思うのは心である。

試合に負けたのに、負けてないと強弁するのではない。

人生は試合ではない。

苦しみや重さを知るのは、心があるからである。

生きるとは、心が生きていくことである。

1/29/2008

竹熊健太郎











竹熊健太郎


俺がIKKIで連載した、韮沢早という架空のマンガ家を追ったフェイク・ドキュメンタリーからの引用ですが、ここでのさいとう氏の談話は本人に取材した本物です(前にも要約紹介しましたがこれが正確な引用)。

竹熊「才能があっても消えてしまった人って、すごく多いでしょう」
さいとう「多いです。よく言うんですけれど、この仕事に必要な条件で、才能なんてのは全体を十としたら二ぐらいのもの。三が努力、五は運ですね。絵が描けるというのは、野球選手がボール投げられますというのと同じことであって、出発点にすぎない。あとは努力と運だということを、よく言うんです」
竹熊「その場合の努力とは何でしょうか」
さいとう「どうやれば自分を一番生かせるかを見きわめることです。それには、自分の能力を冷静に見なければ。ところがこの世界に入って私が一番驚いたことは、みんな自分を天才だと思っていることでした。でもね、たとえ才能があったとしても、それだけではダメなんですよ」
(「追跡者~幻のマンガ家・韮沢早を追え!」月刊IKKI/2001年5月号/小学館 より)



だから、最初に才能があって、次に努力と運がなければならない
。運なんて、それこそどうすればいいんだと思うでしょうが「運も才能のうち」ですからね。この言葉の意味は「運」が向こうからやってきても、その人に才能と努力がなければ、運はそのまま去っていくということですよ。運をつかむためにも、持って生まれた才能と、日頃の努力が肝心だということです。

鈴木カツ音楽対談














鈴木カツ音楽対談

鈴木惣一朗
パッケージがなくなったら、演奏と歌っていうのがすごく大事になるんじゃないかな。



ジャック・ジョンソンを聴いて「フラット・ミュージック」っていうの。つまり舞台の高さにない音楽、目の前で演ってくれる音楽っていうのがこれから支持させるんじゃないかな。歌うってことに対して抵抗感がない、すごくカジュアルな行為なんですよ。Jポップが行き詰まったのは、力が入りすぎたんじゃないかなと思う。
いい音楽っていうにはジャンルの隙間にあるよね。エアポケットっていうかさ。
最近思うのは、Jポップを聴いてJポップを作るっていうミュージシャンが多い。アコギの弾き方といかを見ててもわかる。ニール・ヤング見ろよって言いたい。ギターってもっとグラインドさせて弾くもので、タッチでセンスが変わる、すごく表情豊かな楽器なんですよ。それを、サウンドホールに対して平行に弾いてる人は、絶対Jポップしか聴いてないんですね。
今のジャズには、かってのロックのようなサブカルの勢いがありますね。ノラ・ジョーンズもブルーノートなのに内容はカントリーでしょ?要するにジャズというフォーマットを使いながら、実はなにをやってもいいわけ。でもロックではもうやりつくされてしまった。僕もプロダクトを始めるときに、最近はジャズを基盤にしてフォークとかカントリーをぶつけていく。オルタナっぽくロックをやろうとか、今いちばんダメ。ルーツ・ミュージックとしてのモダン・フォークとかブルースの方が、今は過激だと思う。

沢野ひとし
クラプトンは思想のある音楽家だから、若い子にも伝わるんだよ。その辺のギター小僧には真似できないよ。思想のないやつは絶対ダメ。

山内雄喜
巧いとかヘタじゃなくてさ、やるってことが大事なんだよ。音楽を聴いてもらうんじゃなくて、音楽のあるところに入っていって、一緒に楽しむってほうが最近いいなぁって思うの。聴き手も弾き手も一緒でね。ガチンコで聴くんじゃなくて。
僕は、沖縄もハワイとの共通点ってのがある気がする。メロディのことじゃなくて、なんかフラットな気分なんだよね。演奏するほうも聴き手も、みんなが音楽を共有している感じ。

1/28/2008

ROCK AND ROLL HEART 鳥井賀句














ROCK AND ROLL HEART 鳥井賀句


お前は小さなアングラ劇団で芝居をやりながら、隣街のジャズ喫茶でバイトしたり、美術大学で絵のヌード・モデルをやっていた。
お前の好きなものはパティ・スミスにランボー、エッシャーの版画、アントニオーニの映画に寺山修司の演劇だった。
相変わらず俺の暮らしは貧しかったけど、俺たちは互いの仕事の休みの日を見つけては、映画やロック・コンサートに出かけて行った。


シンプルなコード進行、ティーン・エイジ特有のフラストレーションや性への欲望を赤裸々に歌いあげた詞、イギーの狂おしいヴォーカルは、まさにこれぞ“元祖パンク”と呼べるものである。


イギーとストゥージズに関しては、他の追随を許さない暴力的なステージ・アクト・・・熱くなったワックスを体に塗りたくる、割れたガラスの破片でわが身を切り裂く、折れたドラム・スティックで自分を打つ等々が語り草になっている。
今回、イギーにその辺のことを尋ねてみると、「当時は、俺たちの音楽なんか別に好きでもない奴らに対して“注目を集めるためなら何だってやってやる!!”っていう理論を持っていたんだ。
“できないことなんてないんだ。人を殺さなきゃいけないなら殺してやる!”ってね。
それと同時に、俺はアーティストとして、パフォーマーとして、自分が観客である場合に欲求しうるものすべてを観客に与えようという理論を持っていたんだ。
俺にとってのロックとは、テレビよりも真実の自分自身を世界にアピールする方法なんだと思う。
俺が見た多くのコンサートに欠如していた深くてへヴィなものを提示したかったんだ。


『Michigan Brand Nuggets』


69年にデトロイトをベースに創刊されたロック・マガジン『クリーム』も、ストゥージズやMC5を大いにバックアップした。
後にパティ・スミス・グループのギタリストとなるレニー・ケイも寄稿者の一人で、彼は“デトロイト~アン・アーバーにはロックン・ロール・カルチャーとも呼ぶべき強い共同体が存在する。この地のロックンロールは中産階級的道徳や抑制をぶち破り、ストリートの上でドラッグやあらゆるタブーをワイルドに展開している”と書いている。


こうして60年代末、西海岸を中心としたヒッピーたちのフラワー・ムーヴメントがアメリカ全土を支配していた中で、デトロイトのストゥージズやMC5は、決して“愛と平和”などに惑わされることなく、常にロック本来のエナジーと怒りを、エモーションに求め続けたのである。



何よりもイギー・ポップ自身がロックン・ロールという音楽と行為と思想を、自らの存在のすべてを賭けて求め続けてきたからに他ならない。どうでもいいようなくだらないロックのレコードを1000枚集めて聴くよりも、イギー・ポップのアルバムを10枚だけ100回ずつ聴いたほうが、きっとずっと深くロックという音楽を認識できるだろう。


「俺は失敗し続けていたいとは思わない。俺は過去に多くの失敗を犯してきた。だから俺は成功したいと思っている。俺は本当に心底素晴らしいアーティストになりたいんだ。俺は自分がグレイトであるとは思っていない。だから俺には俺の望む者になるまでやり続けねばならない多くの仕事がある。それが、俺が決してギブ・アップしない理由なんだ」(イギー・ポップ、1986年)


もっといまわしく、もっとワイセツに、もっと毒々しく、もっとよこしまに・・・・・・


当時のシーンにあってヴェルヴェットの革新性そして孤高性とは、ひとつにはリアリズムに徹し、あくまでも都市の狂気と喧騒の中に身を置きながら、人間存在の真実と苦悩を見つめていこうとするその姿勢にあった。


西海岸の連中が“髪に花を飾ってピース、ピース”と能天気なエコロジストを気取り、カントリー~田園思考に走っていったのに対し、ヴェルヴェットはあくまでも都市ニューヨークにとどまり、多くの人々がタブー視していた麻薬による歓喜と苦悩、サドマゾ、同性愛、死・・・等の人生の暗黒部を照らし出すような題材を詞のテーマに揚げていった。


西海岸の連中のような花柄Tシャツにジーンズではなく、黒いサングラスにレザー・ジャケットといった彼らのルックスも、そのモノクロな質感とイメージを決定づけた


ヴェルヴェットの功績とは、他の誰もがタブー視していた人生の暗部(本質)に一切の妥協なく深く入り込んで行ったこと、アヴァンギャルドとポップの精神を融合させたこと、“都市音楽”としてのロックを常にストリートに立って描き出したこと、そしてロック・ミュージックというものが、単なる娯楽以上の意味を語ることができるのだということを、身をもって表現したことだと言えるのではないだろうか。


“ルー・リードは最も過小評価されている現代アメリカの詩人である。”


その意味において音楽の中に歌という形で、歌詞という言葉の表現領域が参入してきた時、我々は演奏力やメロディに対する感覚的な対応とはまた違った形で、否応なしにその言葉に対峙せざるを得ない。たとえばここにどんなに素晴らしい歌唱力と演奏力を誇るバンドがいたとしても、彼らが歌っているその歌詞がどうしようもなく差別的な発言や愚鈍な言い廻しに満ちていた時、あなたはその歌や演奏を心底楽しめないどころか嫌悪感を抱いてしまうかもしれない。つまりメロディやインストゥルメンタルに対しては気分的に対応できても、言葉というものは常に観念を、思考の内実を語ってしまうから、あなたはその歌に対し意識的に意味づけをせざるを得なくなるだろう。


私はロックという音楽が現代においてこれ程の影響力を持ち得たことのひとつは、肉体を開放しようとするその強烈なビートや、あらゆるものを雑食的に取り入れようとしてきた自由でフレキシブルな精神以上に、ロックン・ロールが歌という形で、常に言葉による批評性を媒介としてきた表現形態であったことが大きいように思う。ビートルズやローリング・ストーンズ、ボブ・ディランやこのルー・リードといったアーティストたちは、それまでのティン・パン・アリー的な三文ラヴ・ソングとしてのポップスではなく、ある種の文学的感受性とビートニク的自己探究、旧世代に対するカウンター・カルチャー側からのステイトメント・・・といったものをロックの歌詞の中に詩的に織り込むことによって、ポピュラー・ソングの歌における歌詞の表現の幅を拡大しただけでなく、歌詞の言葉を通して彼らの思想や批評精神を社会に伝達してきたのだ。それは詩というものがロックン・ロールという音楽と一体となる事によってもたらされた極めて浸透力の強いコミュニケーションであり、ひとつの新しいメディアとして存在していた。故に、彼らの歌の多くはその思想の過激さや表現のリアルさによって、ラジオやレコード倫理規定委員会や世のPTA連中から度々の規制や弾圧を受けてきたのである。



①ヘヴィ・メタルの様式美的な、あるいは直線的な発散型サウンドではなく、ブルースやブギ、ブリティッシュ・ビートをルーツとする横揺れのロックン・ロール型ハード・ロックの復権
②ダルでルーズな乗りに絡むファンキーなうねり
③“セックス、ドラッグス&ロックン・ロール”に代表される、不良の音楽としてのロックのかっこ良さへの再認識
④現代性を取り入れながらも、常にルーツとなるブルース・フィーリングを失ない
⑤アメリカの20代の若者たちにとっての少年時代のロック・ヒーロー
・・・・・・こういった事項が要因となって、現在のエアロスミス・リヴァイヴァルが成り立っているのだと思う。


早いハナシが、結局、ロックン・ロールっていうのは、セクシーで悪っぽくて、ルーツを極め、カッコイイ、ファンキーな音楽だったってこと。それがエアロスミスだったんだよ。


ロック・ミュージシャンは常にストリートやキッズの気持ちを忘れてはならないと思っている。
高度な芸術家としてのミュージシャンや崇高な哲学者としてのアーティストが存在することは別に否定しないが、僕はあくまでもストリートに立ち続けるロック・ミュージックにこだわり続けたい。


つまり俺の言いたいのは、パンクでもロックでもヘヴィ・メタルでも、イメージや他人様の作りあげた概念に捉われるなよ・・・ということさ。結局のところパンクであろうとなかろうと、人は自らの1回限りの人生を、自らの個有性において生きていくだけだということだ。精神パンクだろうとファッション・パンクだろうと、営業パンクだろうと、そんなもんは勝手にやってくれよ。安全な道を行くのも、ヤバい橋を渡るのも、アンタのやり方次第さ。ロックで世界は変わりはしないが、人の心を変えられるかもしれない。だがそれをどう受け止めて行くのかは、全く個々の存在においてでしかない。要は変わったアンタが何をし、どうなって行くかだ。その時“パンク”というお題目はそれだけの意味でしかない。万物は流転するのみだ。


頭脳警察は“反抗と怒り”をテーマに“ふざけるんじゃねぇよ、テメエの善人ヅラをいつかぶっ飛ばしてやらあ!!”と歌い、当時のドロップ・アウトの若者の気持を代弁していたのである。それは今から考えると“早すぎたパンク・ロック”と呼べるものだったのだと思う。


ストーンズのキース・リチャーズが最近あるインタビューで言っていた。“ロックっていうのはガキの音楽で、10代の子がデュラン・デュランを聴いているっていうイメージしか持たれてないけど、俺はブルース・マンのマディ・ウォーターズが50過ぎまで本物のブルースをやり続けたみたいに、50になってもロックンロールをやり続けられるんだってことを証明したいんだ”と。
これからの日本のロックがより本物を目指すのなら、海外の聴衆や、30過ぎの洋楽ファンをも納得させてしまうだけの存在感と音楽的才能を持ったアーティストがどんどん登場しなくてはならないと思う。そうでないと、いつまでたっても真の意味でのロックが日本に浸透することはないだろう。


ロックン・ロールというのは、ピンナップ雑誌のアイドルの写真のように、20歳を過ぎたからといって“卒業”してしまえるものではないのだ。ロックン・ロールとはいつまでも夢を見続ける奴らの、おしきせの人生を拒み続ける奴らの、いつまでも不良少年のマインドを忘れない奴らの、そして目一杯カッコよく決めたい奴らの、永遠の子守唄なんだ。


(済)極論をい言えば、歌詞のくだらない歌は結局下らないというのが僕の考えだ。


ロックン・ロール・プリズナー

1/27/2008

こんなバンドがプロになれる! 高垣 健










こんなバンドがプロになれる! 高垣 健


君たちは、自分自身だけが頼りじゃないか。

使い捨ての業界なんだよ。

一生とは言わないが、少しでも長く、大好きなロックを続けるために、デビューについては、慎重に真剣に、自分の音楽を鍛えてほしい。

才能を磨いてほしい。

この世界では、「持続力」が最大の武器になるんだよ。
そしてスタッフの皆さん。

どんなにすばらしいアーチストでも、横にいるスタッフによって、大きく成長するか全くダメになるかが分かれてしまうんだ。

僕が、ライブハウスで、とてもステキなロックバンドに出くわしても、彼らについているマネージャーと話が合わなくて辞退させてもらったことがいっぱいある。
その後の結果を見ると、そのまま他社からデビューしたものの全く売れないまま終わったか、新しいマネジメントに交代して成功したか、のどちらかだ。
プロダクション、レコード会社のスタッフの役割は、一人のアーチスト、一組のバンドの人生を変えてしまうくらいの、責任の大きい、重要なものである。

これだけ新人のアマチュアバンドが増えて、そのレベルも高くなっているというのに、それに見合うスタッフは圧倒的に不足している、だから、新人アーチストを探す前に、優秀なマネジメントスタッフを探そうということが、僕たちの合言葉になっているほどだ。

また、その逆に、マネジメント・プロダクションもレコード会社のスタッフを徹底的に吟味するというのが常識になっている。
才能豊かなアーチストと、それにふさわしいスタッフがめぐり会えば、作品としてのCDは、必ず売れる。



初めて見るアマチュアバンドのライブで、何だか今までに聞いたことのない曲や、言葉づかいや、ブッ飛んだライブパフォーマンスを見たりしたとき、僕は迷わず楽屋にかけつける。

そんな個性を磨いてほしい。

個性=オリジナリティがあれば、ジャンルは全く関係ない。

しかも、君の努力と研究次第で個性は育つということを、ぜひ、忘れないでほしい。



現在のロックシーンをふり返ってみると、先にも言ったが、ジャンルは関係なくなっている。

楽曲である。
メロディである。

歌詞である。

歌である。

特に、歌詞の内容が、時代を反映しているか、本音の気持ちをあらわしているか。


特に、ロックは個人的な音楽だ。

ごく数人の共感者が、まず最初に現れる。

彼らが「共犯者」となって、ジワジワとその輪を広げていく。

時間がかかる。

根性も必要だ。

挫折するときも多い。

しかし、いつの日にか、これが社会現象になって、君はビッグスターの勲章を獲得する。


テレビCMのタイアップなどで、大々的にデビューを飾ったアーチストの転落は実にみじめだが、ライブハウスで鍛えぬかれたバンドが、何年もかかってトップスターの座に登りつめるのは、最高に気持ちがいい。


アーチストが、自分にふさわしいオリジナルのメディアを作ってしまうことがあってもいいじゃないか。
かつて佐野元春がみずから発行した雑誌「THIS」は、そんな勇気ある試みだったんだ。


大きな威力を発揮するのは、ズバリ「ライブパフォーマンス」である。


こんな興奮や感動を与えられるのは、ライブでしかないと思う。

ライブは君たちを宣伝する最大のチャンスだ。
迷っていた人は、間違いなくその翌日に、君たちのCDを手に入れるだろう。

ライブハウスでもCD即売を見かけることが多くなったが、すばらしいライブが終わったあとのCD売り場にはファンが殺到している。

僕も、関係するライブでのCD即売はいつも気になっている。
特に、新人としてデビューしたばかりのころは、レコード店にそう多くの枚数が出ていないから、ライブ会場で初めてファンの目にCDがふれることも多い。

だから、ライブの良いバンドは、とても貴重な存在なんだ。
最初は、数十人のお客だけを前にしていたバンドも、内容さえ良ければ確実にそのファンの数は増えていく。
次に百人。

さらに、二千人の渋谷公会堂へ、ついには、一万人の日本武道館へ・・・・・・。

順調に進んでも、まぁ五年はかかると思っていいだろう。



年齢層を考えると、ロックに興味を持っている人は、深夜番組や衛星放送のほうが確実に多いはずだ。
ロック専門テレビを見る人の全体数は少ないが、その100%の人が、新人バンドになにがしかの興味を持って見ているはずだ。

また、このようなテレビ局のスタッフは、噂を聞きつけて新人のライブに足を運ぶことも多い。



電波メディア(ラジオ、テレビ関係)のスタッフは、その番組を作ること自体に大きな目標をもっているようだ。
つまり、番組自体が評判となり影響力を持つことが、彼らの製作スタッフとしての達成感を支えている。

しかし、特に音楽専門誌のスタッフに関しては、雑誌全体よりも、自分が担当している一つの記事、一組のアーチストの評価や動向が、次の自分の仕事を左右する。

雑誌全体の売れ行きや評判を気にしているのは、おそらく編集長だけだろう。


プロとしての大きな変化は、制限された時間の中で最大の成果を求められることにある。これまでに書いたような、マスコミとのつきあいや取材が増えるのはまちがいない。

限られた時間と環境のなかで、どれだけベストの作品を作り出すことができるか。プロとアマチュアの最大の違いは、ここにあると言えるだろう。



ロックは、自分の身を削っての自己表現だ。

スタッフがいくら優秀であっても、アーチストみずからが切り開いて音楽を作っていく。

しかし、映画やテレビドラマは、監督が絶大な力を持っている。

その要求のなかでいかに自分を表現していけるかが、役者の使命になっていく。


スタッフの条件としては、ポイントが四つある。

「愛情」「知識」「企画」「行動」だ。

アーチストを本当に愛しているか。
議論するときに必要な音楽の知識が、どのくらいあるか。他人をノセルためのプラン、企画力があるか。

誰よりも早い行動力を持っているか。
この四つのポイントは、努力次第で、誰にでも身につけることができるはずだ。

音楽がすきなのは、スタッフとしての常識。
プロフェッショナルに、ビジネスとして「スタッフ」を名乗るのなら、このポイントに向けて、最大の努力を傾けるべきだろう。


オーディションを見るとき、最も気になるポイントは? よく質問されることである。

ずばり、ヴォーカルと楽曲だ。
一、二曲しか聴けないことが多いのでこれがすべてではないが、まずこの二点からすべてが始まる。

いい声、いい歌であってほしいのはあたりまえだが、それ以上に個性的であること、オリジナリティを感じられることが重要なんだ。

他のアーチストにはないものが聞こえてくることである。

ライブパフォーマンスやサウンドは、この歌と曲を引き立たせるものだから、元が悪ければすべてダメと言ってもいいだろう。


よく、ルックスやファッションのセンスを話す審査員がいるようだが、これは、他に話すことが見つからないための言いわけにすぎない。

すべてが揃っているにこしたことはないが、見ばえだけで音楽は語れない。

しかし、いい音楽があれば、そこからファッションとルックスを作り出すことは可能だ。

僕たちは、まずは音だけで仕事を始めるのだから、楽曲、ヴォーカル、本音の会話、この三つが揃えば、ファーストステップはクリアである。


フライング・キッズの再生と成功の例は、音楽活動を長く続けて実を結ぶ、すべてのミュージシャンに当てはまる教訓になると思う。

持続力と、チームワーク。

メンバー間のチームワーク。

メンバーとスタッフのチームワーク。

ロック、ポップスという音楽ジャンルは、アーチストの才能がすべてを左右する世界だから、持続力とチームワークという二点は最大の武器だといっていいだろう。


プロデビューをめざしての練習は、まず、レパートリーを増やすことだ。

つまらない曲が大半でも結構。

百曲作れば、ヒット曲の可能性がその中に一曲はあるはずだし、いろんな意見を聞いているうちに、君の曲作りの内容も自然に進歩してくるはずだから。
アップテンポ、バラード、ロックンロール、ブルース、レゲエ、16ビートのファンク、4ビートのジャズ、6/8のポップス、ビートルズ風、ストーンズ風、ディラン風、ビーチボーイズ風、ギターサウンドのブリットポップ・・・・・・。


僕の個人的な考え方だが、甘い曲には辛い歌詞を、激しい曲には優しい歌詞を。そんな逆説が一曲にまとまっていると、個性が浮きぼりになって、他との差別化をはかりやすいことがよくあるようだ。


リズムの練習を徹底的にくり返すこと。

リズムボックス(ドンカマ)を使って、一定のリズムをキープするように心がけよう。
「ロックンロールはノリ一発だから、ドンカマなんて使わないよ」と言う人もいるが、これは、よっぽど自分のリズム感に自信を持っている人だけのセリフだ。

とにかく、理屈を言う前に、ドンカマを使ってリズムを鍛えよう。

僕が新人バンドをチェックする
ポイントは楽曲とヴォーカルだが、リズムがいいのはその大前提なんだよ。


バンドのメンバーは、一人一人が大事な役割を持っている。

しかし、ヴォーカリストは誰が見ても、バンドの顔である。
バンドのすべてではないが、ヴォーカルによって、そのバンドの表現は一変するんだ。

歌の内容、そのキャラクターは、そのバンドを代表する。

演奏がド下手なバンドだが、ヴォーカルがすばらしいということがある。

時間がたてば、演奏は目に見えて上達してくるものだ。

しかし、その逆には出会ったことがない。

楽器演奏は、個人での練習よりも、チームワークによってうまくなることが多い。

バンドマジックとよく言うが、やはり、バンドのアンサンブルが個人の技術をカバーすることができるからである。


コピーをすることで、あこがれの洋楽アーチストの本音が聞こえてくる。

初めて出会ったミュージシャンとセッションをする機会が増え、新しい音楽仲間ができる。

君が作るオリジナル曲へのヒントになって、作品の幅が広がり、可能性も大きくなる。

リハーサルで煮つまったときには、息抜きのセッションで盛り上がる。

日本語の歌詞をつけて歌ってみたら、思わぬ言葉が浮かんできた。
歌い方にも、新しいトライができる。

ロックンロールの名曲をレゲエに変えて演奏してみると、自分たちのサウンドに近づいた曲になった。

ライブでコピー曲を一曲だけはさんで演奏したときに、ファンが総立ちの大合唱になって、今までになかったような盛り上がりになった・・・・・・。

1/26/2008

デジタル音楽の行方/2005年12月














デジタル音楽の行方/著者: デヴィッド・クセック&ゲルト・レオナルト


レコードレーベルが果たせる残された役割は、アーティストが従来のレコード契約を結ぶ際に譲り渡す法外な経済的、芸術的、そして個人的な権利に明らかに釣り合わなくなっている。



いずれはマネージャーがマーケティングからツアーやマーチャンダイジングにいたるまで、ビジネス上の決定の際に中心軸としてもっと大きな役割を演じることになりそうだ。マネージャーの名声と富は直接彼らが手がけるアーティストと結びついているので、マネージャーが指導的な役割を果たすのだ。それはアーティストにとってとても好ましい構造であり、伝統的なレコードレーベルよりもずっと深いレベルの強調関係につながりうる。マネージャーが流通経路、マーケティングの代理店、広報担当者、技術に関する契約、そしてスポンサーを選択するのだ。賢明なマネージャーならば、独立したミュージシャンビジネスとしてアーティストを成功に導くことで新たな音楽経済を成長させるだろう。



人間である以上、そこから生まれる感情的なつながり、つまりトーク番組の訴求力がラジオの魅力を保つかもしれない。ラジオが生き残りたいのなら、音楽やニュースを提供する個人的なつながりを維持しなくてはならないけれども、衛星ラジオネットワークのシリウスやXMラジオが行っているように、デジタル技術も受け入れないといけない。


アーティストがレコードを五十万枚以上売らなければ成功とはいえないという考えは、おおかた音楽企業カルテルが自分達の巨大な間接費を埋め合わせようと広めた奇妙な神話である。
















種を撒いてきちんと手入れすれば、ニッチ市場は非常に儲かる可能性がある。音楽のような無形の商品の場合は特にそうだ。
この分野には、サービスやテクノロジーの企業だけでなく抜け目のない新参の企業家にも大きなチャンスがある。



我々みんなにとって幸運なことに、ひとつのサイズをすべてにあてはめるタイプのマスマーケティングや、世界規模のオーディエンスを相手にする世界規模のスーパースターの時代は急速に終わりを迎えつつある。もうまもなく、流通は――そしてさらに重要なことに、マーケティングも――デジタルな手法に移行するだろう。最終的にはマーケティングは流通と同義になる。消費者はすでに音楽を発見し購入する場所、そして音楽を受け入れる形式にし関してとても多くの選択肢を手にしている。それが音楽を借りるのか、所有するのか、あるいは「失敬する」のかは関係ない。デジタルの力を得た音楽ファンは、ある種の流行の仕掛け人であり音楽ビジネスの活力となる。



 間違いなく、インターネットはオンラインでアーティストを売り込み、アーティストとファンの間の有益な関係を育てる大変効果的なツールである。そのわかりやすい例が、音楽をダウンロードして視聴できたり、CDが購入できるアーティストのウェブサイトである。そこではアーティストの関連商品も販売できる。ウェブサイトはそこで落ち合って音楽についておしゃべりするファンのコミュニティを主催できるし、メーリングリストを運用し、アーティストとファンの間に直接的なつながりを確立する素晴らしい媒体の機能を果たせる。
 ウェブは、アーティストが自分達のキャリアより自覚的にコントロールするための優秀なプラットフォームを提供する。ダイレクトマーケティングを通じて、アーティストとそのマネージメントは、すべての仕事をこなすレーベルの働き詰めのスタッフに頼る必要なくファンにアピールする宣伝活動を管理できる。


 アーティストはウェブを介してツアー、ショー、コンサートの宣伝ができるが、もし会場でアーティストが直接チケットの予約ができれば、チケットの販売さえ可能である。これは一般に大きな会場であったり、主要なコンサートプロモーター経由ではできないが、小規模なクラブやショーのチケットであれば、多くの場合オンラインで販売できる。少なくともショーの宣伝はできるし、コンテストやその他のオファーがファンを引きつける――コンテストのグランプリはバックステージパスが、アーティストに直接会って話をするチャンスが得られるというわけだ。
 当然ながら、インターネットはニッチ市場を対象にするとき最大限の力を発揮する。アーティストがギグで演奏したり、ショーの会場でレコードを販売したり、何らかの草の根運動を起こすことで潜在的なオーディエンスを見つければ、インターネットがこのオーディエンスをターゲットとし、その数を増やすのに利用できる。オーディエンスを知り、彼らの関心を引き、友達に進めるよう促し、似ている他のアーティストを見つけ、そして関係性を広げることすべてが、アーティストのキャリアを前進させる原動力になりうる。音楽が実際に売られる場所は関係ない。だが、アーティストが直接販売すれば、ずっと割がよいかもしれないのだ。



ニッチマーケティングにより、レーベルは小規模なファンに集中して取り組めるようになり、特定のグループのニーズを実現すべく彼らへのマーケティングメッセージに磨きをかけることができる。アーティストとファンの間で個別のアプローチや直接的なつながりを提供するレーベルは、似たジャンルの他のアーティストやレーベルとの相互リンクを検討すべきだ。「友達に紹介(Tell-a-friend)」の署名は、サイトメンバー登録やメーリングリストへの登録を促すインセンティブを与える。あるいはアーティストとのライブチャット、バックステージパス、優先チケット、個人向け商品、衣料品、ポスター、ゲーム、そしてまもなく発売されるアルバムからの曲を含む有料音楽サブスクリプションサイトは、音楽ファンにまったく新しい体験と、企業と消費者の間で強い関係性を生み出すだろう。



皆かつてないほど携帯電話に依存しており、その依存度は増え続けている。携帯電話だけでネットサーフィンできるし、電子メール、テキストメッセージ、スポーツのスコア、そして株式相場のチェック、着信音の取得、画像転送といった幅広い活動に参加できる。オンラインコミュニケーションはもはやコンピュータが独占する領域ではない。情報とコミュニケーションの広大なネットワークが、携帯電話を持てば誰でも利用できるのだ。



自分達の携帯電話のカスタマイズ


持続的な関係性の見返りとして無料コンテンツを提供することは、ミュージシャンとファンの間に直の接触を育む素晴らしい機会になる。これが音楽を売り込む非常に有力な手段になるだろう。



現在大手のレコード会社は、音楽の製作会社というよりも映画の配給会社のような役割を果たしている。新しい音楽を一般大衆に与えるための組織、資本、影響力はあるが、次代のホットなアーティストを自ら開拓する能力はほとんどない。インディーは、明日のスーパースターを試す非常に貴重な場なのである。



「メジャーレーベルはマクドナルドがハンバーガーを売るみたいに音楽を売りたいようだが、我々はそれよりむしろ角を曲がった通りにある小さなグルメ向きのレストランのチェーン店でありたいんだ」とインディーレーベルのアリゲーター・レコードの創始者ブルースイグロアは語っている。「重要なのは料理だ――いくつ料理を出しているかではなくてね」独立レーベルは芸術性でも創造性の面でも新しい音楽最先端にいる。また新しい音楽とは一時の流行ではなく、音楽市場からのもっとも成長率が高い分野である。


音楽は今後ますますデジタルネットワーク上で直接販売、配信されるようになるだろう。今ではオーディエンスに直接手を差し伸べ、インターネット経由で音楽を届けたり、ほぼ毎日新しいサービスが登場するオンラインで、人気が爆発中のデジタル音楽配信サービスを活用できる。さて、もっとも重要なのは忠実なファンや消費者と有意義な関係性を作り上げることである。アイランド・レコードの前社長であるダビット・シガーソンは次のように語る。「支配権が流行の仕掛け人や門番の手から大衆の手に移る傾向が加速している」。



サンクチュアリのビジネスには、レコード音楽、ビジュアルエンターテインメント、アーティストやプロデューサーのマネージメント、ツアーのサポーート、ライブのブッキング、音楽出版やライセンシング、ニューメディア、マーケティングのサービス、レコーディングスタジオ、書籍やDVDの出版、そしてマーチャンダイジングが含まれる。


この戦略はアーティストが長く生き残れる可能性が潜在する。


敬意。 もともと著作権が上げる信条の根本目的、クリエーターの権利と利用者の権利の健全なバランス、そしてフェアユースとファーストセール・ドクトリンに敬意を払わなくてはならない。

共有。 音楽はオーディエンスの間で共有できてしかるべきだ。そのプロセスで実際のメディアファイルをやりとりするかどうかは、音楽を共有するコミュニティの持続可能性に比べれば重要ではない。

携帯性。 人々はますますモバイルになっているので、デジタル音楽もモバイル、かつ「無線」になる必要がある。

透明性。 すべての関係当事者(つまり、消費者、供給者、クリエーター)はどのように利益が分割、分配されるべきかということについて相互理解を醸成し、維持するよう努力しなければならない。透明性がその鍵になる。

公正な価格設定。 音楽製品や音楽サービスは市場主導で、ロケーション、タイミング、アクセスレベル、ユーザーの権利、そして他メディアとの比較価値に関し、常に実際の市場価値に従って価格設定がなされる必要がある。

音楽への容易なアクセス。 すべてのものが常にいかなる場所でも入手でき、どの機器でも再生可能であるべきだ。



我々は未来の音楽企業は、アーティストのマネージメント、出版、ツアー、マーチャンダイジング、そしてレコーディングをはじめとする複数のビジネスに携わるようになると考える。アーティストのブランドがビジネスの原動力となり、アーティスト、企業、そしてファンの間のウィン―ウィン―ウィンの経済状態がリスクを緩和し、投資へのリターンの予測をしやすくする。ごく少数のアーティストの大きなCDセールスに依存する、従来の一割の成功に期待するモデルに賭けるよりも、現在進化中のビジネスモデルならばアーティストをより効果的に市場テストできるので、リスクを複数の収入源や多様な形態の「製品」に分散することで、現在よりもずっと小規模でやっていける。


この新しいミュージシャンのビジネスモデルは、レコードレーベル、マネージメント会社、出版社、そしてマーチャンダイザーの役割を単一の事業体、さもなくばサンクチュアリ・グループのように関連する企業体の集合に結びつける。


企業は、アーティストが原版所有権を保持し、その企業に限られた期間ライセンスのみを与える(リースする)契約をアーティストと結ぶ。アーティストはレコーディングを行ない、企業はそれを固定化されたデジタル形式で市場に出し、販売する製品を作り、マネージメントとライブツアーの手配を行なう。企業はまた契約期間内に書かれた全楽曲の出版社の役割も果たす。これが、アーティスト、マネージャー、レコード会社、そして出版社の利害をすべての収入源を分割する単一の事業体にまとめることで、契約したアーティスト毎の投資に対する
潜在的なリターンを増加させる。このモデルは、新しいミュージシャンに資金を調達するリスクを最小化することで――また潜在的リターンを最大化することで――関係者にかかる制作、流通、宣伝のコストを低減することを踏まえている。


「結局のところクリエイティブ産業は、ことによるとアーティストの収益から手数料を得ることで、配給業者というより宣伝係として活動するという新しい役割に順応しなくてはならないのかもしれない」。



突き詰めれば、デジタルコンテンツに関して一番重要なことは、常に露出の機会を得て知ってもらい、そしてその後でファンをお金につなげることである。これこそ、大半のメジャーレーベルの戦術の中でいまだに手が届いていないように見える重要な課題である。デジタル技術は、料金所の先のほうに動かすわけだ。手前ではない――もし消費者が自分の欲しいものだと十分納得できれば、消費者はいつでもそれにお金を支払う。



http://www.futureofmusicbook.com



Berkleemusic
http://www.berkleemusic.com


音楽が高度に産業化していく家庭であまりにも中間業者の力が大きくなり過ぎてしまい、アーティストと消費者(ファン)の距離が離れてしまっていたのだ 。

「ヒットと音楽ビジネスの可能性」他メモ、メモ










「ヒットと音楽ビジネスの可能性」

「いい企画を出せる人の習慣術」(小泉十三著、河出書房新社)

『セレンディピティ』という言葉がある。『求めずして思わぬ能力を発見する能力』
「偶然からモノを見つけ出す本」(澤泉重一著、角川書店)
「ごく当たり前のことが、ごく当たり前のままに書かれている」ということだそうです。

読者の多くは、新奇な考え方、生き方の提案を求めているのではなく、じつは、日々を生きる中で8割がたは理解できている当たり前の考え方、生き方を求めている。
あと残りの2割について、少しだけ自分の知らない生き方があることが確認できればいい。そういう考えに至ったとき、筆者はベストセラーの秘密をかいま見たような気がしたと言っています。

日本人はともすると、成功した人間のあら探しをたがるか、少なくとも企画する人間は、他社のヒット作を生きたテキストに変える必要があるのではないか、と言っています。

僕らが売っている楽曲だったり、作っているヒット曲というのは、楽曲を売っているのではなくて、実はアーティストを売っていることではないか

アーティストの生み出す本でもライブでもTシャツでもCDでもいいのですけれども、それに対して対価としてお金を払って所有したい、というような魅力のあるアーティストを僕らが次から次に輩出していかないと、この問題というのは止まらない

予定調和になったらだめ、負けると思っているのです。

テレビもそうでしたが、最大公約数の時代から最小公倍数の時代に来ている

僕らの世界というのは千に三つではないですか。皆が怪しい種を持っていて、どれが当たるか分からないという、これが大事なのです。

ヒットを出すというのは思い込みだと思う。正解がないですから、自分で思い込むしかないのです。

今あれが流行っているから、今、流行っていないものをやるべきだというのが僕の理論なのです。
俺はこれだ、もう絶対これが好きというものをやり続けるということが一番なのではないか。

ヒットを出すためには、そこにいかに止まっていられるか、自分の思い込み、この次はこれだと信じて疑わないということに強い人が、ヒットを出し続けるのではないかなと思うのです。

1/25/2008

人間の見分け方 谷沢永一

















人間の見分け方 谷沢永一


・「いつ」「どこで」「どのように」頼りになるかで、頼りになる人は違ってくる。
・頼りになる人を確認するポイントは、組織全体に目配りがあるかどうか。
・一緒にいると気分がいいという人も見落とせないタイプ。
・個人レベルでは話を聞いてくれる人が一番。


・自制心のある人は欲を抑えられる。ただし、ポジションや境遇で抑えている人もいるから注意。
・年を取ると、自制心は弱まる。
・信用は本職をしっかりしていることが絶対条件。お金の払いがきれいであることは必要条件。
・どこへ行っても通用する人間などはいない。
・世の中はすべて偶然の組み合わせ。誰にでも、どこにでも通用する公式はない。


・女は世間の代表。女にもてる男は世間にもてる。女に嫌われるようでは駄目である。
・人を喜ばせる嘘は人間関係で大事である。
・運がよくても将来への展望がない人は頼りにならない。
・「自分と合うものがある」「ピンとくるものがある」「ウマが合う」という感覚があったら、必ず付き合いを持ちたい。
・「この人と付き合いたい」と思う人に出会ったら幸せである。
・好きな人、付き合いやすい人には無理がない。頼りにしようと思って付き合うのは無理がある。


・権勢家との関係を作るのは、出世する前から付き合うのが鉄則。鍋が煮えてからでは遅い。
・凡人は権力に近づかず、小細工しないで生きる方が賢明。
・無能とは能力がないことではない。有能の証を立てる機会がなかったのである。


人情味とは人情味が重要であると知ったときに沸き起こる情合いではないかと思う。
いわゆる思いやりというものができて初めて、人情の価値がわかる。男が本当の人情味を持つのは、四十歳以上だと思う。


・エネルギッシュな上司が大失敗する時に、自分まで巻き込まれないように警戒する。
・成果を横取りされても余り気にしない。それでも悔しかったら別なところで取り返せばいい。
・責任を取らない立場に身を置き、部下の成功を自分の手柄にするのが官僚の処世術。
・人情味が重要とわかる年齢になって、人情味が出る。若い時に人情味がある人はくせ者かもしれない。


そもそも人生からして、自分の計画通りにいくものではないと私は思う。まず人生は常に偶然によって組み立てられる。
そこから出発しないことには仕方ないのではないか。つまり、合理的にはいかないということである。ものの本を読むと、アメリカ社会は
日本よりも理屈あるいは利害で割り切れるらしいが、それでも利害だけでも理屈だけでも決まらないようだ。やはり何かプラスアルファがある。


・スカウトされて成功した人は、上位の人の勧誘や紹介がある。
・誘ってくれる人とウマが合うか、心変わりしない人かをチェック。
・誘ってくれることをおろそかに思ってはならない。
・人生に人間関係も偶然のなせる技である。合理的にはいかない。


・だらしない人とはとばっちりをくわない距離で付き合う。
・全身をピカピカに飾っている人は自己愛の塊。自分本位でいながら自信がない。
・賭け事の好きな人に金を貸してはいけないが、能力を期待できるかもしれない。ただし、扱いにくい。
・ズケズケと直言してくれることに感謝する度量を持つ。


霧島昇は地方巡業で司会を務めた人の名前を最後まで覚えなかったそうだ。霧島昇はただ喉を聞かせることに没頭する機械なのである。
身持ちは正しく、どこからみても立派な人物だが、どこの舞台で何時から歌うということだけを考えているのだから、社会的な活動に対する意識は希薄だ。
要するに、講談に出てくる左甚五郎のように社会性はゼロである。


・嫉妬深い人は正直で善人。でも、付き合いづらい。
・嫉妬がひどい人と思ったら近寄らない。
・こちらに好意があれば大欲の人に見え、好意がないと強欲の人に見える。
・自分のことしか関心のない人は工芸品、役に立つ機械だと割り切って付き合う。
・人間関係で無理をしない時のために挨拶言葉がある。
・人間関係には、中身のある関係と中身のない関係の二種類がある。


・遅刻常習犯は心構えに問題あり。
・憎む相手が多い人は社会性に乏しいかもしれない。
・裏切りは前もってわかるものではない。
・分け隔てのない人は自分を出していない。隠したいことがある要注意人物。
・感謝の気持ちには有効期限がある。いつまでも感謝してくれるなどと思うな。
・無責任は諸悪の根元。なおかつ直る見込みはない。


「ケチと臆病は生まれつきなので直らない」
これは私が間違いないと考える言葉である。
まず、ケチというのは、いまの一瞬だけに生きている。いま何かを出費することが嫌ということだから、未来がない。動物と一緒なのである。
そうすることによって、自分がどう思われるかという未来測定がない。ということは、情というものが冷えている。


・ケチはいまの瞬間だけを生きていて、情が冷えている動物である。
・お金を持てば持つほどケチになる。
・情報力は人間関係学。情報力のない人は人間関係を持たない人である。
・慎重と臆病の差は決断のタイミングの差。
・味方がイライラする直前に決断しないと、敵に負ける前に味方に負ける。


高校教師が君が代、国家掲揚に反対して騒がれたが、教師がなぜ日の丸を憎いのか。
素直に日の丸を見て憎いと思うなどとは、人間感情では考えられない。オリンピックを見たらすぐにわかる。一番高い位置に日の丸があがり、
君が代が流れると、誰もが喜んでいるではないか。では、なぜ君が代と国家掲揚に反対するのか。要するに、高校教師という立場に不平があり、
面白くないから、日の丸、君が代に反対し、逆らうことで満足しようとしているのだろう。


・高慢な人の仮想敵国にならないように注意。
・高慢な人には尊敬するふりをして敬遠するのが得策。
・清貧の人は凡人の欲望をわかってくれないから難儀な相手。
・いつも不機嫌な人を気にしない。不機嫌とは対人関係に無関心であることの表れ。頼りになってくれるはずがない。
・不平不満ばかり言って能力のない人は危ないから付き合わない方がいい
・人間の間で「受け渡しできるもの」と「受け渡しできないもの」とがある。


三成は颯爽としたかったのだろう。あるいは自分を英雄に仕立てたかったのだろう。その一方で、同時に天下取りをやろうとした。
そこで目的が分裂している。だから、天下を取るという外面だけに絞り、なりふり構わなかった家康が勝った。


・人間関係を切る理想的な方法は切り捨てるという姿を取らないこと。
・一つの人間関係を切ることは、腹をくくって今生の縁をきるというぐらいの気持ちがいる。自分をよく思ってもらおうという色気は失敗の元。
・自分に矢が飛んでくることも覚悟する。なまじ凡庸な人間が簡単に人を切ろうと思ってはいけない。
・人を切り捨てる動機は公に利することが最低条件。
・やるならとことんやる。中途半端は駄目。


芸能人はうぬぼれてもよろしい。しかし、それ以外の仕事をする人間が評判の良さを真に受けていい気になるのは駄目である。
なぜなら、自分の能力に対する反省がないからだ。


友達は二十歳の頃から営々と作るものである。若いときから情を発し、その積み重ねの上にやっと生まれるのだ。「何かをしてあげたい」という気持ちが
生まれたら、「やあ」と言って声をかけるような人懐かしい態度がおのずからできるのではないかと思う。能動的に情を発し、気持ちを働かせる人は心の温度が高い。
逆に、「して欲しい」ばかりの人は心の温度が低い。心の温度を高くして、得をするのは自分である。


・よい評判にうぬぼれている人は危なくて頼れない。
・人は言葉の端々に本音が出るものだ。
・悪評のある人に宝の山が埋もれている可能性はある。それを掘り出す力が自分にあるかを考えて付き合う。他の人が掘り出したら、二番手で行くもの手だ。
・奥さんには言葉に尽くせない豊かな情報が潜んでいる。奥さんと話をするのは相手を知るのに有効な方法。
・誰かに何かをしてあげたいと思ったことのない男は危険、情が薄い。
・友達は若いときから自分が能動的に情を発し続けた延長線上に生まれる。


私は第一印象にそれほど信頼を置かないが、こういうことは言えると思う。「この人から何かをもらえる」という第一印象はよくよく考えた方がいい。しかし、
「この人には何かをしてあげたい」という第一印象は大事にした方がいい。


・「この人から何かをもらえる」という第一印象は信用できないが、「この人には何かをしてあげたい」という第一印象は大事にする。
・人間は無意識のうちに何かを望んでいる。人間を見るということは望むものを察することである。
・腐りかけはおいしいらしい。果物も女も、生ビールも。
・癖は変えられない。女房の癖を変えようなどと大それたことを考えてはならない。自然現象だと思え。
・人は誰でも自分の情念を透かして物事を見ている。
・スタンドプレー、自己アピールがオーバー、などと思う相手は、自分が好感を持っていない。
・敵が多いことは必ずしもマイナスではないが、敵が少ないことは明らかにプラスである。


・世間は人をよく見ている。世間の目、世間の評価は尊重すること。
・人間は他人を自分に引きつけて考えがちである。
・自分をひけらかすために無駄なことをやらせる人がいる。これが上司だと厄介極まりない。
・人生の落とし穴の避けるには、身を慎み、欲を抑えるしかない。ということは、実際問題として難しい。
・人間はうぬぼれの塊。自分と同じくらいと思う人はずっと上、しょうもないヤツと思う人が同レベル。つまり、自分を客観的に見れば、
しょうもないヤツということ。そう思うと、少しは謙虚になれるだろうか。


夫婦にしても、六〇歳になってまだ女房が夫に興味があるなんていうアホなことはない。しかし、結婚という枠にはめられているから、みな一緒に居る。
一般人の場合はその枠がない。そうなったら、もう、儂が俺が、である。


・こちらが話している時、相手が黙っているのは聞いているのではなく、話が終わるのを待っているのである。
・年寄りの話を聞いてやることで仲良くなれる。 
・相手が誇らしいと思っていることを覚えておいて、時には口に出すことがいい関係を作る。
・たいがいの人の話は、どこかに勉強になるものが含まれている。ただし、どうしようもない人は一人か二人はいる。
・みんなが悪口を言っている時は、一緒に悪口を言わないと仲間はずれにされる。


他人への期待の上に何かを築き上げることはやめた方がいい。少なくとも、「あの人がこうしてくれることによって自分はこうなる」というふうに、
将来計画の中へ加算することは間違いではないかと思う。


普通、期待という言葉で世間は言うが、実質は要求であることが多い。つまり「何々して欲しい」ということだ。そういう「欲しがり屋」は
要求ばかりの旧社会党と何ら違いはない。


・説得するには数字が有効。納得させるには相手が受け入れやすい言葉が必要。
・仕事は世間にわかるようにやるべきだ。
・期待するなら自分からアプローチして人間関係を作る。待っているだけでは何も生まれない。
・特別な情報源はいらない。問題意識があれば、公開情報の中から役立つ情報が手に入る。
・読書と実生活を往復してこそ、読書が役に立つ。


私はこの年まで「こうしよう」「ああしよう」と思ったことはほとんどない。ましてや自分で人生の設計図を描いたことはいっぺんもない。そのときの流れにそって生きてきた。
人生とはそんなものではないかと思う。いくら精巧な設計図を描いたところで、それだけのことだ。設計図に偶然という要素を入れることはできないのだから。
株の名人野村徳七があと十年、株の投機に手を染めていたら大損した可能性だってある。いつも勝つとは限らないと思っていたから、大儲けしたらさっさとやめた。
これは見込みに引きずられない賢い態度である。


うまくいかないことが起こったら、「今はまだ完成に向かう途中だ」と思ったらいい。あるいは、人生という探検の旅で、氾濫する川に遭遇したと思えばいい。
困難のない真っ直ぐな道を歩くのでは探検にならない。山があり、谷があり、時には川が氾濫しているところを乗り越えていくから探検なのだ。
人生もそう考えれば、面白くなるではないか。


・質実剛健、木訥の裏面は恩知らず。
・人の面倒を見て、見返りを期待しないのが鉄則。
・人間関係は壊れ物。水を入れたコップをそろりそろりと持ち運ぶようなもの。
・人は寂しい生き物。誰かを頼りにしたい。
・人生は、いつの時点でも完成に向かう途中である。

1/24/2008

なぜ、この人だけが成功するのか 谷沢永一











なぜ、この人だけが成功するのか 谷沢永一
 百の名言百の知恵

なまじ経験を積んだがために、人柄がすれっからしになって卑しく、他人の顔色を見るだけが能、みんなに嫌われる男がある。
最も厄介で迷惑なのは、博学多識を鼻にかける天狗たちであろう。歩く百科事典(ウォーキング・ディクショナリー)という揶揄(からかい)の呼び名がある。なるほど記憶力は抜群で、詰まらんことまで細かく知っているが、映写幕のように頭脳が受動的にしか働かない。どこに解決すべき問題の、その取っ掛かりが伏在しているか、進んで見出す機能がないから、飾り物にしかならない人もいる。


世間では昔からお喋りに悪人はいないと言い慣わすが、その観察はかなりの率で当たっていよう。
つまりお喋りは他人をほとんど念頭においていないから、他人に計略を施すという企みにまで頭が回らないのである。
そこから直ちに予想される如く、黙っている奴は物騒だから気をつけろ、と言い伝える。


そういうときに閃きを発する人物にかぎって、平素はもの静かに黙っている。いつも黙っている人の九〇パーセント以上は無能であるが、そのなかに純金の素質が交じっているのだから厄介である。しょっちゅうやかましく騒ぎ立てている奴は無視すればよい。職場における自分のまわりに向かって、自分を偉そうに見せている型は問題外である。
自信があって機会を狙っている者は、一挙に真価をあらわす日を期して待っている。


一連の施策にこめられた神谷の構想は、モータリゼーションが進展しやすいように、社会が動いてゆくための環境づくりであった。真当な販売は押し売りではない。欲しい人に商品を提供するのが筋道である。
欲しがる人がいないのに物が売れるか。納得ずくで取引を広げるためには、欲しがる気持が世間一般に高まっていなければならない。それゆえ車の便利さ宜しさを、実感でわかる人を増やせばよい。


世の人は他人を応援してやろうと待ち構えているのではない。人間は誰でも必ず猜疑心のかたまりである。
そして何かを成しとげようと努める者には、できるものかと冷たい軽蔑の視線を注ぐ。能力もないくせに力んでいやがると不愉快になる。世に出て何かを為すとは、世に逆らい世間を敵にまわす謀叛の行為である。どこの誰が同情してくれるものか。





成功とは世間を味方に引き寄せた段階を言う。あくせくと血の汗を流して苦しんでいるとき、鐚一文貸してくれなかった悪鬼羅刹が、満面に笑みをたたえて借りてくれと躙り寄ってくる。当方の人格がすぐれているからではない。すべては信用であり見込みであり賭けであり投機である。


ちょっとまわりを見渡してごらんなさい。老人は一方的に自分のことを喋っているだけ、ほとんど会話になっていないのが普通である。中年以上の同窓会で、健康問題と薬の効き工合を封じたら、途端に話題がなくなって座が持たない。六十歳を越すあたりから、自分自身のことにしか興味を示さなくなる。相手が話しかけている間はひたすら辛抱している。先方の声がやっと終るのを待って、たちまち喋りだすのは自分のことばかり、お互い他人の言うことなど、聞いているふりして聞かない。
ほぼ六十歳を越すあたりから、家庭でも職場でも会合でも、無意味な自己主張が一方通行で発射されている。このあたりに精神の定年が訪れるのを常とする。


人を悪く言うと一種の自己催眠のようなものにかかって、その人を悪く言わなかったとき以上に、その人が悪く思われる。反対に人をほめると、ほめる前以上にその人がいいように思われる。だから、なるべく人を悪く言ってはいけないのだ。


映画は元来、不良青年がつくるものだ。僕が言い出した言葉に「不良性感度」というのがあるが、これが鈍いと面白い映画にできない。       岡田茂

1/23/2008

日下公人さん










道徳という土をなくして経済の花は咲かず 日下公人

社長になったり偉くなったりした途端、急に舞い上がるような人間は愚か者である。周りで見ている人はよくわかるが、本人は気づかない。地位が上がったとき、舞い上がって周囲を見下す人は珍しくないが、こうしたとき舞い上がらず、公私混同しない人が本物のエリートである。

①仲間に入れてくれ
②差別しないでくれ
③公平にやって欲しい
④入れてくれない理由を教えてくれ
⑤その基準は何か
⑥その基準はおかしい
⑦もっと次元の高い基準がある
⑧たとえば、公平・平等・機会均等・自由・民主・進歩・人権、等々
⑨この地域だけは別とかのローカル・スタンダードをつくるのはよくない

①アメリカでも教授の地位はそんなに高くない
②それ以外の世界によいポジションがたくさんある
③日本で学者の地位が低いのは、一般人の知的レベルが高いからである
④日本でも学者以外に成功の道がたくさんある
⑤理科系の学問は別として、文型の学問は空虚なものが多いので、それを埋めるべく、学者は色々な制度をつくる。
学位、試験、称号、資格(特に国家資格)等々で、 ますます空虚になるが、それをわからない程度の人が、あるいはわかっても職業だからやめられない人が、それを続けている。

パワープレイ








パワープレイ

並んで歩くときには、相手の左側に位置するように歩くと、相手の正常な思考を奪うことができる。
私たちは無意識のうちに心臓を守ろうとするので、他人が左側にいると落ち着かない気分になる。
逆に、相手をリラックスさせたい場合には、戦略的に右側を歩けばいい。
意識的に心臓から離れてあげることで、相手の警戒心はゆるむだろう。


おしゃべりな相手から発言権を奪い返すには、手に持っているモノを落として会話を中断させる、その場からいなくなる、というふたつの作戦があることを覚えておこう。


私たちには、「対称性(シンメトリー)は美である」という思い込みがある。
右と左がきちんと真ん中でバランスがとれているほど、美しいと評価する傾向にあるのだ。
心理学では、これを「シンメトリーの原理」と呼んでいる。

1/22/2008

いろいろ、








いろいろ、



自己チュー
目に余るような人たちはよく・自己チュー・と言われるが、その態度は個人主義とは違う。

なぜならその自分とは、社会や公的な世界と対峙した自立した自己ではない。

自己責任の欠けた自己、容易に全体主義に揺さぶられる危ない存在でもある。


芸術と採算の両方を理解する優秀なプロデューサー、お金の量が幸せの量ではない。
独自性にこだわり大衆性も忘れない。

自分の人生は自分で決めて、自分の生きたいように生きる。

良くも悪くも他人を頼らず、自分の事しか考えないから、組織はつぶれても個人はつぶれない。

一言で言えば自立している。

ちょっと異常な人たちに興味ある。

変だったり、不合理に見えるものには全部、何かを気づかせてくれる可能性がある。

ライフデザインの方法









ライフデザインの方法


①自分が何をしたいかを、だらだらと順不同に書いてみる。夫婦一緒でもいい。

②年代毎のイベントを記し、未来年表にする。

③大きな紙に支出曲線と収入曲線を書く。

④二つの線が交差したところから次の交差点の間に生まれる面積が資金のゆとりか不足。

⑤別の紙に時間曲線を書く。夫婦の不平等がやはり面積で現れる。

⑥キャッシュフローの苦しくなる「綱渡りの十年」と将来、時間摩擦の起きる「時限爆弾の時代」は、ほぼ同時。
キャッシュフローの苦しさを緩和し、時間摩擦を事前に回避する手立てを講じるため、結婚の中間決算を節目々々で試みること。

1/21/2008

佐藤洋二郎








佐藤洋二郎(作家)

先日、電車の中で、まだおさないこどもに、絵本を広げ「お勉強」をさせている若い夫婦を見た。父親は勤め人風だったが、妻が女の子に指示するのをおだやかな表情でみつめていた。中年のおっちゃんのこちらは、なにも子供のうちから、生き方の幅を狭めるようなことをしなくてもいいではないかとながめていたが、電車をおりてからも妙に心がざわつき、大丈夫なのかと心配になってきた。

わたしたちが生きていく自信は「学歴」を身につけることでも、知識があることでもない。自分がやろうとしていることに、どれだけ一生懸命やってきたかのほうが重要なのだ。自分はこれだけがんばったのだからという自信のほうが生きていく糧になる。

親や人様のことを聞いて行動するよりも、好きなことを辛抱強くやることのほうが将来につながる。人生はやる気と忍耐があればなんとかなるものだ。おれはあれだけやったのだからと踏ん張りもする。ひとつのことを懸命にやっていれば、見えていなかったものも突然見えてくるときがある。近頃の若い人たちが堪え性がないもの、なんでも上滑りに生きているからではないか。一芸に秀でることは、どんな職業でも年季がいるが、肝心なおとながそのことを教えなくなった。

あまやかされたり必要以上に手をかけられたこどもはどうなるか。わがままで忍耐力のない人間や、「お勉強」はできても、いざというときに右往左往して、なにもできないおとなになってしまうのではないか。政治家はよく教育論を唱えているが、近頃の親の自信のなさも、政治の無策ではないかとうがった味方をしている。

hollywood ending











hollywood ending

自らは「ハリウッド エンディング」をやらなくては大衆の支持は得られない。
自らの仕事に対する「こだわり」は重要。こだわりがないと仕事なんてできない。
しかし、こだわりすぎると誰も相手にしてくれない。
しかし、ブルース・スプリングスティーンのような「こだわりの評価」を得ていたミュージシャンが突然大成功を納めてしまうこともある。
当然、ウディー・アレンも過去にオスカーを取っている。

「ハリウッド エンディング」という非独創。
「こだわり」という独創。

しかし、大衆が支持するのは「ハリウッド エンディング」。
「こだわり」は滅多に見向きはされない。

ところが、「ハリウッド エンディング」のほとんどは時代と共に陳腐化する。
同時に、多くの「こだわり」も討ち死にする。

1/20/2008

他人と深く関わらずに生きるには










他人と深く関わらずに生きるには・池田清彦


大人になっても、だれかにかまってもらいたい、だれかに面倒を見てもらいたい、だれかに甘えたい、というのは、赤ん坊の感性を引きずっているのである。赤ん坊と母親は非対称だから、赤ん坊はひたすら甘える身であり、母親はひたすら面倒を見る身であるのはやむを得ない。しかし、大人になれば、自分と他人は対称だから、自分だけ甘えたり、自分だけわがままを言うことはできない。自分が甘えるということは、相手の甘えを許すことであり、自分がわがままを言えば、相手のわがままも許さざるを得ない。
だから、他人に自分の心の中にズカズカと侵入されたくない人は、自分も他人に甘えてはいけないのである。

ルールは守れるなら、守った方が良いが、絶対に守らなければならないものではない。状況によっては守らない方が都合がよい時には、守らなくてもよいのである。ただし、どんな状況の時にどんなルールなら守らなくてよいかは自分で判断する他ない。与えられたルールをただ墨守するよりも、最終的には自分で判断して行動する方がステキではないか。

日本の学校は、個人の自立を妨げるように機能しているとしか思えない。他人を当てにして、他人にものを平気で頼み、断られるとムカつくような人を育てているように思える。知人や親友や時に知らない人に何かを頼むことはよくあるだろうし、そのこと自体は別にとがめられるようなことではない。しかし、人には色々事情があり、あなたの頼みを常に聞いてくれるとは限らない。頼みを聞いてくれた時は素直に感謝し、断られてもムカついてはいけないのである。

自由に生きることは結構しんどい。他人を当てにして生きた方が楽かもしれない。しかし、他でない自分の人生なんだから、最後は自分で決める他ないのである。
あなたはあなたにとって世界で一人しかいない唯一の個人である。世間の物語が通用するかどうか、それもあなたが決める他ないのである。他人を当てにしないで生きるとは、社会と隔絶して生きるということでもないし、他人とコミュニケーションをもたずに生きるということでもない。自分の食いぶちは自分でかせぎ、自分の人生は自分で決定する、というごく当たり前のことにすぎない。

親が自分のなし得なかった夢を子供に託す気持ちも判らないでもないが、才能の半分くらいは遺伝するのだから、あなたもできなかったし、子供の興味を示さないことを無理強いしても時間とお金のムダである。子供が真にやりたいことをサポートしてやることと、無理強いすることは違うのである。ない才能をたたいても普通は埃しかでないものだ。

他力を頼まず自力で生きて、力が尽きたら死ぬのが最も上品な生き方だ、ということだ。働けなくなったら、金を稼げなくなったら、誰かに面倒を見てもらうのは当然ではないのである。そうなったら野垂れ死ぬのが当然なのだ。それは自分ひとりで自給自足の生活や狩猟採集的生活をすれば、当たり前の帰結である。
自由に自力だけで行きようする人は、最後は野垂れ死にを覚悟する必要がある。自由に生きたいけれど、死にそうになったら助けてくれという人は、自由に生きる資格はない。そういう人は、不自由に生きて不自由に死ねばよい。ただし、不自由に生きて不自由に死ねよりも、自由に生きて、野垂れ死ぬ方が、はるかにカッコイイと思うだけだ。死んだ後まで戒名など付けて、ウジウジと現世とつながっているのは下品である。人は死ねば死にきりである。それでよいではないか。

デュパルク













デュパルク
http://www.geocities.co.jp/MusicHall/6119/museum/duparc/
デュパルク:死ぬ前に自分の作品の殆どを燃やしてしまったという変人なのか、完璧主義者なのか分からないフランスの作曲家。

1/19/2008

時代の寵児 核心 田勢康弘











時代の寵児 核心 田勢康弘
時代はいつも寵児(ちょうじ)を追い求める。寵児は聖人君子であってはならない。どこかに怪しさ、胡散(うさん)臭さを引きずっていなければ寵児にはなれない。怪しさゆえに魅力的で、それゆえに舞台から引きずり降ろされるときは完膚なきまでにたたきのめされる。


「脱偽善だと思う。ほとんどの偽悪に近いが、建前ばかりの偽善より、失うものがないようなストレートな物言いのほうが受ける。その点では小泉首相も同じだし、日本経団連に入れたのはミスった、と発言した奥田碩会長、そしていまはやりのお笑いまでみなそうだ。民主党がうけないのはその逆で偽善的だから」

偽善を脱して本音で生きようとする姿勢を変えない限り、希代の寵児が再び表舞台に登場することもあるだろう。その可能性を閉ざしてしまうと、あとに続こうとする若者たち、日本を変えようと挑戦しようとする人たちから勇気を奪ってしまうことになる。挑戦しようとしているおびただしい数の人々の士気を阻喪してはならない。

1/18/2008

岡部弘(デンソー会長)







岡部弘(デンソー会長)

識者が指摘する平均的イギリス人の生活態度は次のようになる。
伝統的で質素な食生活に満足し、

ゆとりある田舎暮らしを楽しみ、

古い家具や生活用品を使い続け、

お金はあっても理屈に合わない使い方はしない、などなど。

まことに簡素で地味な暮らしぶりと言える。

これに対し日本はどうか。

豊かな食材と健康に気を使った食事。

常に周囲の目を気にし、古いものは捨て新しい家具や生活用品に取り替える。

お金をかけた観光地への旅行を好み、人との付き合いにも多くのお金をかける、などなど。

その結果、仮に月二十万-三十万円の年金と二千万円を超える貯金を持っていても、多くの人々が老後の生活に不安を持つ。

モチベーションマネジメント????








モチベーションマネジメント 小笹芳央


目標を達成する人、成果を上げる人に共通して言えることは、皆自分の夢や目標が明確であり、それを実現するためのシナリオを持っていることだ。そして、そのシナリオを自ら演じることができるのは、言うまでもない。つまり、成功した自分の姿を鮮明にイメージすることで、そこに至るプロセスや行動まで決定付けることができるのである。



ワーキングスタイルは次の8項目

1)圧倒的なクオリティを実現する
2)世の中の3ヶ月はLMIの1年
3)オープンなコミュニケーションを実践する
4)ゼロリセットの勇気を持つ
5)ゴールからさかのぼって「今の行動」を決める
6)フレームワークを重視する
7)ロールプレイング(役割演技)を楽しむ
8)ゲームのように仕事を遊び、そこから学ぶ

長野峻也先生のブログから








長野峻也先生のブログから
http://yusin6.blog77.fc2.com/

Q,「重心移動のやり方がよく判りません」
A,「実際にセミナーを受けて戴くのが一番。それが難しいのでしたらDVDを購入して戴くのが良いのですが、それも不可能でしたら、『あなたの知らない武術のヒミツ』の発勁の打ち方の解説箇所にイラストと写真で重心移動の基礎的やり方がありますので、それを参考にしてください。サンドバッグを打って確認できれば一番良いのですが、友達に厚いクッションを持ってもらって打ってみるという方法が重心移動ができているかどうかの確認では一般的です。ただし、この場合、三人でやって、一人は押し飛ばされる友達が転んで怪我をしないように待ち構えておいた方が良いでしょう。安全には十分、注意してください」

Q,「丹田の回転、丹田の感覚を指先まで延長するとはどういう意味ですか」
A,「丹田の回転は、スワイショウの動作がそのまま当てはまります。これが横回転です。その他、縦回転と8の字回転も当会ではやりますが、まずはスワイショウだけで十分でしょう。骨盤を左右に捻って戻す・・・という動作に合わせて脱力した腕が振り回される時、丹田の感覚が指先まで達っすることになります。しかし、これは"感覚"を利用したものではなく、単に身体操作で動いているだけなので、スワイショウの動作の時に骨盤が動いている様子をしっかりイメージして身体感覚を高めていく必要があります。それが骨盤の動くのに合わせて背骨が動き、肩甲骨から腕、指先へと連動していくイメージを持つ訳です。この身体内部の感覚は、最初はイメージで思い描いていかなければ生じてくるのは難しいものです。この点は、重心移動について質問されている方にも言える点ですが、イメージ力の乏しい人は、このような身体の内観的訓練法を独習するのは少々難しいでしょう。一度、実際に体験されるのが早いでしょう。経過がはかばかしくなければ御検討をお勧めします」

Q,「故・佐川幸義翁の合気(力抜きと飛ばし)の原理も是非解明してください」
A,「真壁師範代が既に回答したと報告を受けておりますが、私の考えも回答しておきたいと思います・・・。亡くなっておられる方の技の原理を解明するのは不可能ですし、師範代が既にお答えしている通り、その門下の者でもない人間が"解明する"と称するのは無礼千万だと思います。基本的に、私も師範代が答えた内容に同意見です。失礼ですが、貴方は武術・武道の世界の礼儀の意味を知らな過ぎます。もちろん、私は武術の研究家という立場上、一般公開されている情報を分析して技術の原理を解明しようとする者ではありますが、だからといって、『これが佐川翁の技の秘密である』と書いた解説本やDVDを作って売ったりしたら、それは完全に"故人の名声を利用して詐欺行為を働いている"ことにしかならないと思うのです。佐川師範の名声は武道メディアで業界に広く知れ渡っており、亡くなられてから、技術分析して講習会で教えたりする人も何人かいた様子です。しかし、これは、その本人が自分の工夫を"佐川ブランド"で権威付けして人を集めているみたいで、私は感心しません。悪気の有無にかかわらず、そのような恥ずかしい真似をした人物を、まともな武道修行者は相手にしないでしょう。貴方に悪気が無くとも、私も金儲けのためには手段を選ばぬ山師の同類だと思われているみたいで、正直、不愉快に感じさせられます。佐川師範の技を身につけたければ、佐川一門に入門して一から修行するのが当然のことでしょう。佐川師範が亡くなられても、その門下の師範方は活動されているのですから、それは不可能ではないのです。それが筋道を通す大人の男のやり方だと思います。また、そうすれば、いかに原理が解ったところで、それを具体的に体技として駆使するのは全く別のことであるという真相がお解りになるかと思います。また、誤解の生じないように書いておきますが、私は純粋に技術分析として佐川師範の体の合気を
"恐らく、こういうものでは無かったか?"という所感は何度も述べていますけれども、それは私が知り得た情報の枠内で推測して書いたまでのことであり、私自身は全く別のアプローチで、"私なりの武術理論に沿った合気技法"を探究していくつもりです。斯界の道を拓いてくれた先人諸師に敬意を払う気持ちを持たない者に、研究家を名乗る資格は無いと考えております。どうぞ、軽佻浮薄なブランド意識を改められ、武の本質を考えられますよう、願っております。私自身、研究家として自分の発言の影響に十分に注意しなければならないな~と反省させられました」

1/17/2008

スローガン








スローガン

「他人を感化して、その潜在的な力を完全に実現させる」
「人や組織を感化して、その潜在的な力を認識させ、完全に実現させる。そして、人生において価値ある目的を達成させるために、彼らの有益性を高める。これにより、また指針となる自然の原則や価値観と調和して生きることにより、自分自身の潜在的な力も発展させる」


指針となる原則

1.自分自身に誠実になる
2.確固とした高潔さをもって、仕事と私生活を管理する
3.自ら行動をもって、道徳を追求する
4.信頼と尊厳を基盤にした、長期的な人間関係を築く
5.人格と能力を発展させるために、絶え間なく努力する
6.自分のことを理解してもらおうとする前に、他人の信念や価値観を理解するように努める
7.他人の成功を促進することで、自分自身の成功を得る


価値観

正義と公正:すべての人は人間として平等に扱われる権利がある
勤勉と規律:自分の人生を正さないで、他人を尊敬したり評価したりはできない
高潔と誠実:自分自身と他人に対して約束を守り、他人を欺こうとしない
自制と穏健:自分のためにならないことにかまけず、不愉快なことに過剰反応しない
節約と節制:稼いだ金額より多くを使わず、無駄を出さない。すべての活動がその本分をまっとうするようにする
沈黙と平静:自分の意見を大切にし、つまらない会話を避ける。一般的な、または避けようのない障害に惑わされない

1/16/2008

新大学教授になる方法 鷲田小彌太









新大学教授になる方法 鷲田小彌太

大学教授を目指す人に大声で知らせたい10の裏技

裏技1→敵を作らない

裏技2→指導教授のワークス(研究業績)の上に自分の成果を積め

裏技3→周囲の研究者の論文を読め

裏技4→研究誌を作れ

裏技5→有力者を顧問にせよ

裏技6→“裏付け”はしっかり

裏技7→配偶者の選択を誤るな

裏技8→両親に堂々と援助を乞え

裏技9→頭の休息には本を読め

裏技10→生活は規則正しく

 


国立情報学研究所
http://jrecin.jst.go.jp/


関口先生がいうには、肉体労働の価値(価格)は量(労働時間や出来高)で決まる。知的労働の価値は「何か」(漠然たる目に見えない、手に取れないもの)で決まる。


私は、人間にはいろんな生き方があっていいと思います。いろんな生き方を許す社会がいい会社だと考えます。
アメリカは、自国中心主義であり、貧富の格差があり、人種差別があり、治安が悪く、麻薬と犯罪の社会です。そんな社会に住みたくないですね。私もそう思います。でも、それは一面でしょう。アメリカのよさは、なによりも、チャンスの多いことです。選択肢がたくさんあります。意欲のある人にとっては好ましい社会に違いありません。人間のもっとも大きな幸福感は、自分の好きな仕事を心おきなくすることができ、それが相応に評価され、より自分の望むべき仕事へと拡大してゆく道が開かれるということではないでしょうか。


あらためて確認してください。なぜ大学教授になろうとするのか、と。
私は、どういう動機で大学教授になろうとしても、それはいいと思っています。
①研究と教育に心おきなく没頭できる環境を得ることができる。
②週休3~5日。夏、冬休みがたっぷりある。留学もできる。時間的余裕がある人生を送ることができる。
③定年が遅く、体力を要せず、高齢まで安定した地位を確保できる。
④弱肉強食のビジネス世界とは違う、競争原理一辺倒ではない、より人間的な世界が大学にはある。
⑤教えることが好きだ。学生に私の情熱をぶっつけたい。
⑥大学教授には社会的ステータスがあり、医者や弁護士同様、世間体もいい。
⑦言動に関して個人的自由がより多く保証されている。一種の自由人として生きることができる。
⑧苦労して育ててくれた両親、あるいはつれあいが喜ぶ。
⑨小説家でも駄目だった。評論家は無理だった。ジャーナリストでは中途半端。フリーランサーはしんどい。でも語るのが好きだ、書くのがいやじゃない、大学教授には語り書くチャンスも、暇もある。

1/15/2008

中田英は語る








中田英は語る。2006/3/09日経


「他人のマネをするということは、自ら考える必要もないだけに実はとっても楽だし、言い訳もできるため、責任を感じることも少ないように思います。しかし、それを続けていくと、どんな経験をしても『・・・・・・のおかげ』 『・・・・・・のせい』になってしまう。逆に自分で考えて行動したことは成否にかかわらず必ず自分の糧、経験になる。それにはすべての行動、言動に対して自己責任が出てくるわけで簡単なことではないと思いますが・・・・・・」

 何事も人任せにしない中田英は「一知半解」を嫌う。
「自分で考えるときには、できうる限りの情報を集めてよく吟味してから答えを出す必要があると思っています」

「重要なのは、周りの意見等をしっかり吟味して最終的には自らの意志で決める、ということだと思います。その決めたことが他の多くの人の普通と違うと、大きな反発を受ける可能性もありますが、それは常にあることという前提で行動しているので、あまり気にならないです」

ストレスのない人生のために









ストレスのない人生のために単純ですぐできる 7つの習慣


世界中の金を溶かしてひとつの金塊にすると、全部で8部屋の家にすっぽりおさまってしまう。
何十億ドルの価値に相当する金をすべて持っていても、君は、友人、性格、心の平穏、
清い良心、永遠の悟りを買うことはできない。
                        ―――チャールズ・バニイング(1842-1911)
                                          アメリカの哲学者


昔の友だちは良かった
学校時代の友人のほうがずっと義理堅く、素敵で親切で、いつも連絡をとっていたと、今の友だちに
言ってあげなさい。友だちはあなたの正直さを喜んで、すべてについて完璧を求めようといっそう頑張る
でしょう。
彼らは改善する機会が得られたことを喜ぶでしょう。そうしたら、同じ理屈つまり、過去がすべて未来に
勝るというあなたの哲学のおかげで、友だちでなくなったときに初めて、完全な友人になれることを言って
あげるのです。


過去は私たちにとって安全地帯で、未来は危険地帯なのです。ですから、未来に背を向けて昨日の
ために生きることは、たいへん意味があるのだとわかるでしょう。
将来には老化と老衰、病気と死が待ち受けています。過去には誕生と青春、健康と熱気、遊びと
楽しみ、活力と熱狂があります。昔は良かったのですし、未来は悪くなるのみです。


未来主義者が私たちに求めることは、ただ効率と成功であり、生産的かつスマートでケチなことです。
私たちはそんなことは求めません。グズで気ままで、楽しいことを探して、幸福でありたいのです。スマートで
あるよりも、太っていたいのです。


かっこよくスマートな生き方は排し、だらしなく、自分らしい生き方をしたいのです。恐怖にせきたてられて
行動するのはやめて、恐怖を感じたら尻込みすることにしましょう。魂のためにチキンスープはごめんです。
かわりにおいしい紅茶を飲みましょう。子供、イルカ、ビスケット、恐怖、怒り、両親、ハート・スペースと
いった内的なものと触れ合いたいものです。ファーストフードや上品なテレビはいいものです。無能で、
のろまで、役立たず、弱虫で、なまけものでありたいのです。世界を支配したいのですが、それも控えめに。


「携帯電話を持ったサル」からおさらばしなさいと提案します。技術の急速な進歩に追いつこうとして、
つい便利さに惑わされ、結局は自縄自縛になる。効率的だと思いながら、実は身のまわりに記憶の鎧を
何重にも重ね着している。時計も外しなさい、そして時間の束縛から自由になりなさい。それが本当の
生き方であると著者は訴えるのです。
ひとまず裸になって、幸福を探してみよう。そして自分の心のに従って生きようというのです。それには
「効率を捨てた暮らし」、「嘘をつかない生き方」、「相手にノーと言わない付き合い」など、素直で効率に
惑わされない自分を育てなさいと、日常生活の中での実践的な方法を紹介しています。

1/14/2008

加藤登紀子







ちょっと古いが、

加藤登紀子・夕刊文化「飾らない言葉 原点に」日経新聞 2006/05/17


私のコンサートで最近、おやっと思う現象が起きています。観客で最も多いのは私と同世代の人。
でも次はストンと飛んで二十代の若者なんです。自分よりずっと年下の若者が来てくれるなんて、なかった。
公演後に観客から回収するアンケートを見ても、全体の三分の一が若者からのものです。
これまでは三十枚あれば、二十代のは一、二枚だったのに。

また、興味深いことに、アンケートを読むと、歌詞に触れた記述が多い。歌詞の裏側に秘めた作り手の
思いを読み取ろうとしている。ステージで歌っていても、聴きどころの歌詞にさしかかると、同世代の人たちに限らず、若い人も引きずり込まれるように聴いています。

私の友人には二十代から三十代の人も多いけど、彼らはこう言います。私の歌だけでなく、浜崎あゆみさんなど最近の若い歌手の曲でも、メロディーではなくて歌詞に耳を傾けている、と。
いま、真実味のある歌が求められているのではないでしょうか。表面的な軽い言葉が飛び交う時代だからこそ、本来の言葉が持つ重みを実感しています。

歌詞の題材は自分の心の中にある。心のふたを開けて、自然と出てくる言葉を見つけます。
ヒット曲を作らなければという意識で歌詞を練ると、つい自分の外側から言葉を探してしまい、うまくいかないことが多い。「ひとり寝の子守唄」や「知床旅情」とか、「私のために作っちゃった」という意識で作った歌は消えずに、今の時代にも残ってますね。
よく「言葉は大事」と言いますよね。でも意味だけが大事というわけではない。自分の体からわき上がった、うそや飾りのない言葉かどうか、その姿勢も大切なんです。歌にしろ日常的な会話にしろ、その人が自分の中から真に発したい言葉であれば、相手にも強いインパクトで入っていく。自分がどうして作詞にこだわるかというと、まっとうに自分の言葉で言えているか確かめるためでもあるもんです。

将来に不安を抱いている人は多いかもしれない。でも、将来の保証なんて、私の若いころも、今の時代もない。
どんな時代も変化して崩れる。だけど、未来に向かって飛び出していける情熱を持つことが大事だ、と言いたいですね。
私は今、とても元気。世の中が転機を迎え、未来が未知数であることがはっきり見えているから、何でもできるとわくわくしています。

1/13/2008

「風水の達人」









「風水の達人」といわれている白峰(しらみね)さんのひとりごと

一条 太陽フレアと地球異変(スマトラ大地震での学び)
 スマトラでの大地震は M(マグニチュード)9で、広島に落とされた原子爆弾の二万発分の破壊力があったと言う。
 アメリカの大型ハリケーン、そしてパキスタンの大地震、まるで地球そのものが目覚めたように動き出した。この大変化は今後も続く。その原因の一つが、太陽の活動と深く関係があるようです。すなわち太陽フレアと呼ばれるもの。
 10年前に比較すると、次のような変化がありました。
 
  A 太陽の明るさ1000倍
  B 太陽のエネルギー出力2.3倍
  C 太陽のフレア放射3倍
 これは科学データとして発表されており、紫外線の強さだけではありません。

二条 観光とは光を見る事なり(観光客では世界第35位の観光立国日本)
 日本を観光立国の第一位とまではいかずとも、第五位にする事は充分に可能である。
 それには温泉大国としての環境保全に、国と自治体が協力して温泉事業を行うことでしょう。観光産業振興として、環境庁主管の下で行う事が必要となります。

  一、 まず、日本の浄水所をすべて、最新式の浄化水システムにする。
(塩素消毒もなし、水道管もすべてセラミックパイプにする)
  二、観光地にダムや道路工事規模の援助金を与え、日本100景観光条例を作る。
  三、事業税、所得税の3%を観光予算とする。同じく観光地では消費税0%とする。
  四、会社の福利厚生費として、年間一人60万円の旅行代を観光経費として認める。

四条 人相とは心の表現そして脳相なり(成功者共通の意識の持ち方)
 昔、観相家の大家に「水野南北」という人がいた。自分の運の悪さを人相家に見てもらったら大凶と言われ、食生活を変えたら人相が良くなり、その後「人の運命は食で決まる」という思想を世に残した人である。
 そして顔がおだやかな人は実は脳もしっかりしていると言う。ある財界のパーティーに参加して、いつもふと気付くことがあった。成功者に共通するシグサと品格である。
 成金社長やIT社長、彼らと50年以上の歴史のある会社の社長連中はなにが達うのか? ズバリ人相の品格が違うのである。小泉総理を人相学で見ると良くないが、一国の総理である。人相家で選ぶなら加山雄三氏の方がいいかも(笑)。
 人相よりも、相の奥にある脳の意識のあり方が凡人と違うのである。成功者共通の意識の持ち方はただ一つ。常に命がけである事だ。

五条、女らしさとは(恋愛して、結婚して子供を作り一人前)
 最近よく独身女性が多くなったと聞く。それで少子化も進む。独身貴族が多くなったが、結婚はしなくても子供が欲しいという女性が58%もいる。
 本当は女性の仕事はただ3つだけだ。
  一、結婚して子供を作り、家庭を持ち主人と子供の食と教育などについて良き環境作りをする事。
  二、女性は本来仕事をせず、家庭にいるだけで生活できるべきだ。今は2人で仕事をしても豊かな生活ができず、すなわち政治が悪い。(ゆえに今の政治を変えるのは、女性の仕事である)。
  三、男が会社で仕事する分、ゆとりある時間で教養を身につけて。
  子供を教育でなく徳育を以って育てること。(金と時間を上手に使ってこそ人生)

六条、食は命なり(大和魂と民族の誇りは食事から)
 人相も運も食事で決まると私はいつも話しているが、肉食中心の人と米食中心の人とでは、血液の硬化も精神の状態も違ってくる。日本人は長きに旦り穀物と菜食ゆえおだやかな性格であったが、西洋的に肉を食べるようになってから、病気や精神的にも弱くなったと思う。もし米を主食としなくなったら、この国の魂はどうなるだろう?
 食は命ゆえ、そして米を食してこそ日本人としてのらしさが形成される。
 パンやスパゲティや冷凍食品では、魂の栄養は摂れません。現代の栄養学で言えば、江戸時代の人はまったく栄養不足だった。されど60kg(一俵の米)を持ち上げ、現代人よりも体力も精力もあった。江戸時代にはアスレチッククラブもなかったはず(笑)(抜粋ここまで)。

女と時代が見えない男たち











女と時代が見えない男たち


年より若く見える経営者を見たことがない!“おじん発想”では女性客はつかめないいま、女性が求める男性像

第1部:女心7つの好き
 ここに女性心理の原点がある

①文化が好き
②夜が好き
③変化が好き
④残酷が好き
⑤座るのが好き
⑥防御が好き
⑦不満が好き


第2部:女心33の願望
 なにを望みなにを嫌うのか

PART1 男と女の決定的違い
(1)見栄を張りたい
(2)わがままをいいたい
(3)集まりたい
(4)感性を大事にしたい
(5)興奮したい
(6)別人格になりたい
(7)遊びを大切にしたい
(8)知的がほしい
(9)納得できる理由がほしい
(10)忘れさせてほしい
(11)受け入れる側でありたい


PART2 財布を開くからには
(12)自分が魅力的になれるか
(13)社会的ステータスが表示できるか
(14)未婚に見えるか
(15)本能を満足させられるか
(16)自信をもてるか
(17)意外性があるか
(18)男が寄ってくるか
(19)新しい香りがするか
(20)怠けられるか
(21)安心できるか
(22)幸せになれるか


PART3 女性客としての欲望
(23)時間消費が重要と考えてほしい
(24)トクを与えたもらいたい
(25)待たせない
(26)紙袋のデザインをぜいたくにしてほしい
(27)いいあと味を残してほしい
(28)実利・実用・実益がほしい
(29)ばか丁寧の愚かさ
(30)女でも男ものがほしい
(31)個客型にしてほしい
(32)あいまいな表現は嫌い
(33)売り手の論理はいらない


第3部:商いの真髄18の視点
 社会の変化を読み取る

①ガーデニングの本当の意義
②「単身商品」とはなにか?
③「特化型」商売に専念しよう
④「水化現象」はどこまで伸びるか
⑤「身体商品」時代が必ず来る
⑥不安を煽るより安心を売れ
⑦一日一回の特売戦略
⑧自分で商品をつくりたい女性たち
⑨品数が薄い店には客が来ない
⑩新しい商品は六、七年で消滅!?
⑪四人に一人の成功者はなにをしたか
⑫なぜ不精ひげが重要なのか
⑬あなたの店に商品以外の利点があるか
⑭「アンドロジーナス社会」と商売
⑮上空に視点を向けよう
⑯アナログとデジタルにターゲットを分ける
⑰女は草食動物から肉食動物に変わった
⑱日本語はできるだけ早く捨てる


番外編:女性が期待する20のサービス

①目を見つめるのもサービス
②季節感にあわせるものサービスだ
③周囲に合わせるのもサービスである
④ゆっくりも早口もサービスのうち
⑤女性にはヒロイン願望を満足させる
⑥名前を名乗るサービス
⑦口の説明より図を書くサービス
⑧すばやく共通点を見出すサービス
⑨虚像を見せることも必要なサービスだ
⑩非日常の夢をサービスせよ
⑪音楽をかけるサービス
⑫二度繰り返すサービス
⑬二極分化という重要なサービス
⑭流行に遅れていない安心感サービス
⑮客の予想を上回るサービス
⑯午前中は“声”のサービス
⑰わかりやすい言葉というサービス
⑱文化をサービスにしてもよい
⑲有料サービスも必要になる
⑳知の収集サービス

1/12/2008

外為FX勝者の条件・山口祐介












外為FX勝者の条件・山口祐介



相場の世界には、「出たら仕舞い」「噂で買い、事実で売る」



今上がっている。だから、今買おう。

「相場とは未来を予想するゲームではなく、未来に対応していくゲームである」



損切りの基本となり3つのルール

1、一回の損失を抑える5%ルール

  一回のトレードで総資金の5%の含み損になったら、問答無用でポジションをクローズする

2、一ヶ月間の損失を抑える10%ルール

  一ヶ月間のトレードの合計損失額が総資金の10%に達した段階で、それ以降、月末までトレードをしてはいけない。

3、10分割ルール

  総資金の10%をトレードに注ぎこむ。



トレイリングストップ

トレイリングとは、(Trailing)追跡するという意味で値段を追いかける事を言います。

トレイリングストップは逆指値の応用で「逆指値を置きながら値段を追いかける」戦術です。

この戦術は落玉時においては、損失額の限定や利益額の確保、建玉時においては、流れに乗る順張り戦術にも応用する事が出来ます。

弊社では建玉時と落玉時の両方にトレイリングストップを用いる事により建玉時には流れに乗る事を重視し、落玉時には、損失額を限定しつつ利益額を最大限まで引き伸ばす事を重視しております。







利食いはゆっくり、損切りは素早く。

値動きには順張り、市場心理には逆張り。



利乗せができないトレーダーはナンピンをしてはいけない。

ナンピンとは含み損のときにポジションを増やす行為、利乗せとは含み益のときにポジションを増やす行為。



負けたあとにすぐトレードするな。

負けたあとにポジションを増やしてトレードするな。

含み損のときにナンピンするな。



感情的になるな。

淡々とトレードせよ。

自分で作ったルールを破るな。

言い訳をするな。

含み損のポジションを理論や技術で強引に正当化するな。

事前にトレード計画を立てろ。

ポジションを持っているときも持っていないときも、考えを変えるな。

勝つことを前提にトレードするな。

負けを取り戻すために無謀なトレードをするな。

謙虚であれ。

1/11/2008

ノヴァーリスの言葉









ノヴァーリスの言葉。
人々がすべて死すべき運命を共有していることを悟る時、虚しい諍いは止み、地上に平和が訪れると言う。
自分の限界を知れば傲慢にはなれず、他人もまた自分と同様に限界に悩みつつ生きると知れば、その過ちに対して居丈高になる自分の醜さが見えてくる。
人間の限界を知れること。
それがすべての知恵の根源となる。

柴田翔 12/26/2007 日経夕刊

1/10/2008

関島瑞穂先生









関島瑞穂


人間は悲しくて寂しい。それが本性だと。
明るく前向きなのは、世を忍ぶ仮の姿だと。
明るく前向きな人を見てみなさい。
だいたい鈍そうな顔をしてます。


頭が固いのは体が硬いから


中心感覚研究会


養生訓
わが身の足るを知れば、人間どんな環境にあっても楽しんで生きることができる。


仏教の教えでも「多欲は人の利を求めることが多いがゆえに苦悩も多い」といい、利益ばかりを追い求めて生きる人は満足を知らないから悩み苦しむことが多いのだとする。
こういった人は、他人のことまで考える余裕はなく、他人や社会のために貢献しようなどという気持ちはないから、心はいっそう貧しくなる。
逆に、足ることを知ってる人は心が豊かで穏やかだから、自然と顔や表情も穏やかになり、身体もおのずと健康になる。


便利屋ウェヴ

ブランドはフィーリングを売るもの、おそらくライフスタイル全般を売るものだ。その点では宗教に通ずる。
将来に不安を感じたらブランドに訊け、というわけだ。

1/09/2008

大事なことだけを考える技術












大事なことだけを考える技術


1 自分にとっての大事なものを書きだしてみよう

●自分の大事なものを紙に書き出してみよう
●大事なものの順序は、常に変わっていく
●自分を大事にするため、自分以外の人を大事にしよう
●人間関係を大事にすると、いい仕事ができる
●次につながる仕事をしていますか?
●柔軟に生きよう。そうすれば大事なものを失わない
●大事なものが変わっていくのは、人生に限りがあるから
●長い時間を経て、大事なものはつくられる


2 できないことは、できないままがいい

●物事には完全解答などありえない
●目の前のことを淡々とこなす人ほど「すごい人」だ
●人生のチャンスは地味な形でやってくる
●どんな難しい問題でも、基本をクリアすれば解決できる
●妻も子も愛さずに、妻だけを愛そう
●時には、解決そのものを放棄してしまおう
●できないことは、できないままがいい
●普通の人ほど泥沼にはまりやすい
●進路をはやく決めなくたっていいじゃないか
●総力を結集しても、できないものはできない


3 「正しく質問できれば、正しい答えが見つかる」

●正しく質問できれば、正しい答えが見つかる
●生活のアクセントを変えてみよう。そうすると違う人生が現れる
●マニュアルどおりに考えると、時間が短縮できる
●マニュアルにも人との相性がある
●まず「解答」を決め、書き出してみよう
●私ならどうするか、具体的にいってみよう
●徹底的にやると、やりたい仕事がみえてくる
●必要なものはたくさんのガラクタから生まれる
●自分の能力よりちょっと上をめざそう


4 先が見えないのは当たり前。不安があってもいいのだ。当然なのだ

●「どこからはじめるか?」ではなく、「どこからはじめてもいい」
●先が見えないのは当たり前。不安があってもいい
●どんな稚拙に思えても、まず自分で解決案を考えよう
●書物は、いつでもどこでもマインド・トレーニングに応じてくれる
●自分の選んだ進路が、最高の出発点だ
●トラブルがあるのは当たり前。怒らず、焦らず、驚かず
●「ノー・プロブレム」lこそ、恐ろしい1
●「ノー・プロブレム」lこそ、恐ろしい2
●完全無欠な危機管理などは不可能であり、ムダだ


5 解決をあきらめるのも、一つの解決策だ

●一年分の生活費を貯めたら、自由なことができるようになった
●解決をあきらめるのも、一つの解決法だ
●「何もせずに放っておく」ことが解決のいい手だてになる
●非難されたら、「逃げる。隠れる。無関心を装う」
●いったん矢を飛ばすと、止めることができなくなるから、要注意
●有名シェフの店が長蛇の列なら、小路の地味な店を探してみよう


6 運のいい人についていくと、チャンスがやってくる

●雑事に強い人、雑事だけで終わる人
●いい仕事は自分だけでやらないほうがいい
●調べる力のある友人を持つと、仕事の生産性がグンと上がる
●できることでも手を出さない
●敵には最後の逃げ道をつくってあげよう
●三年やれば、瑣末なことでも面白くなる


7 「大事なこと」かどうかをジャッジできる力を養おう

●一枚の表で労働評価が決まる社会はおかしい
●一時的ではなく、長期的視野で評価しよう
●あなたは、誰の評価を大事にしていますか?
●「仮想敵」をもっていますか?
●すぐれた「先生」をみつけよう
●「先生」は、利害がない書物上の先生のほうがいい
●先生から学ぶと、いつのまにか癖まで似てくる
●大事にしたもの、大事にしなかったものを書きとめておこう
●大事なことだけ考えれば、何でもスピードアップできる

1/08/2008

「あの世、自然の摂理」









「あの世、自然の摂理」

会社にイエスマンばかり残した結果、一種の奴隷根性がとても発達した社員ばかりが残っているというような組織が珍しくない。

人は表向きは書いたモノや理屈で動くように見せるが、最後の決断は「心」が決める。

[あの世]
自分のことは二の次
名前など不要
まとめて考える
区別、差別なし
秘密がない
例外こそ大事
比較しない
感性と良心に従う
本音と建前が一緒
競争は悪、しないほうがよい
自由

[自然の摂理]
単純である
効率的である
調和している
自由である
あけっぱなし
共生している
ストレスはない

[貧しさ]
他人に思いやりが持てないのは貧しさゆえ。
上昇志向が強いのも貧しさゆえ(そういう点では、ハングリー精神がときに限定された領域での、いわゆる成功に必要とされるのはもっともなこと)。
他人と同じことをしたがるのも貧しさゆえ。ここでいう貧しさとは、経済的な貧しさではない。

[大人]
大人になれば、自分で自分の人生を決定することができるが、しくじれば責められるのも自分。自己決定と自己責任、それが大人の掟だ。
「他人が欲しがるものをあなたも欲しがりなさい」と教えてきた日本の教育。

私の嫌いな10の人びと・中島義道








私の嫌いな10の人びと・中島義道

笑顔の絶えない人
常に感謝の気持ちを忘れない人
みんなの喜ぶ顔が見たい人
いつも前向きに生きている人
自分の仕事に「誇り」を持っている人
「けじめ」を大切にする人
喧嘩が起こるとすぐ止めに入る人
物事をはっきり言わない人
「おれ、バカだから」と言う人
「わが人生に悔いない」と思っている人

市場経済にかなう商品を生産し、その利益に見合った対価を得るべきだということ。
作品の芸術的完成度と芸術に対する真摯は姿勢などで金を儲けようなんてノーテンキなことを夢見てはいけません。
世の中は、優れたものを漏れなく認め、それにただちに対価を払うほど甘くはないのです。

書きたければ、いくらでも小説を書いても、油絵を描いてもいいけれど、おびただしい「作品」のほとんどは-自分にとってどれほど大切であろうとも-社会的にはゴミ同様の扱いを受ける、と言いたいだけ。
よくよく考えてみれば、現代日本は無駄なことの集積からなっている。
作家予備軍や画家予備軍が数十万人いてもいいのです。ただ、そのうち社会的に成功するか否かは、それが商品として市場価値があるか否かだけで決まること、そして市場価値がつくきっかけはほぼ偶然だということ、こうしたことにつべこべ難癖をつけるべきではない。これが厭ならやめればいいだけです。

現代日本では、誰もが、「(ルールにのっとって)なるべく得をしなるべく損をしないようにふるまう」という大前提でことが進んでいる。こんな空気の中で、「損をしてもいい」という発想を伝えるのは至難の業です。

「対立を嫌う」ことを至上命令にしている御仁は、与えられた情況-それがいかに理不尽でも-を「変える」ことを嫌う人であって、だから、私のように、ずけずけと他人に向かって命令するような無礼な男を嫌う。としても、「対立」を嫌うのですから、けっして私に向かってこない。ただただ「厭な奴がいるものだ」という不愉快な気持ちが残るだけでしょう。こういう人が、この国でもっとも頻繁に見られる「対立を嫌う人」なのです。

私は、親をはじめ、他人に心配をかけまいと思ったことがない。私のことを心配する人は、勝手に死ぬまで心配しつづければいいのです。それはその人の趣味の問題。私にはまったくかかわりのないことです。
ほとんどの人は、親に心配かけたくないあまり、悪いことはいっさい親に話さず、いいことばかり話して、平然としている。まあ、こういう人の親も、なんか変だなぁとは感づくけれど、それも私に心配かけまいとうの思いからなんだろうと察して、詮索することはない。だから、うまくコミュニケーションは成立しているんですが。

ふたりとも同じ言葉使いながら、それに込められている意味がそれぞれ異なるから。

自己利益を求めないとかなりのことが出来る。

学者や技術者や作家や芸術家などの一芸に秀でた者、あるいは官僚や大企業の重役や大学教授や医者や弁護士など社会的ステイタスが高いとされる職業に就いている人のほとんどは、「私は偉い」と思っています。そう思わないように日々体からその臭みを消していく努力をしなければならないはずなのに、そういう訓練を自分に課している人はほんの一握りであって、みんなごく素朴に威張る。

1/07/2008

ヴィパッサナー瞑想







ヴィパッサナー瞑想


ブッタは、「一生観察する仕事だけは忘れてはならない」と論します。見る、聞く、この観察だけは決して忘れるな、と。

逆説のように聞こえるかもしれませんが、スローモーションに何でもできる人は、結局いちばん早く何でもできる人なのです。なぜならば、一切の無駄が消えるから。

クリーンな頭で、明晰な頭脳で、正しくものを判断し、的確な決断をしていく。そして、鋭い先見性、先読み術で世の中を楽しく生きてください。そのためには、すべてのものには時間と順番があるということ、それを知るためには観察という能力が必要ということ。

ヴィパッサナー瞑想法は、本当に大切なものは何かということを考え直す方法、ものごとを新しい角度から観る方法です私たちは、妄想の中で生きています。その妄想から離れて、世界をありのままに見る必要があります。それをどうやって身につけるかという実践方法がヴィパッサナー瞑想法です。

結局人間にとって唯一の救いの方法は、自分をきちんと観察することです。これが唯一の救いの道、解脱の道です。他の道はないのです。

1/06/2008

色川大吉先生









色川大吉先生 「公」意識できない自分勝手は危ない 8/16/2006

目に余るような人たちはよく・自己チュー・と言われるが、その態度は個人主義とは違う。

なぜならその自分とは、社会や公的な世界と対峙した自立した自己ではない。

自己責任の欠けた自己、容易に全体主義に揺さぶられる危ない存在でもある。




柳田國男さんは敗戦後、こうんなことを書いている。

日本人の事大主義にあるようだ。時々の強い力をもつ、より大きな者になびく。そういう性格を、日本人は封建時代から持ち続けている。

そうした人たちを、どうやったら時代の大勢に対してもノーと言えるような国民にすることができるか、それが戦後の自分の使命である、と。




そのためには一人ひとりが思考力、判断力をつけることが先決と柳田さんは考え、国語教育に力を注いだ。
今こそ思考力を持った自立した個人をつくらなければならない。

1/05/2008

「権力(パワー)に翻弄されないための48の法則」












「権力(パワー)に翻弄されないための48の法則」

法則1 主人より目立ってはならない
法則2 友を信じすぎず、敵をうまく使え
法則3 本当の目的は隠しておけ
法則4 必要以上に多くを語るな
法則5 名声は大いに頼りになる - 生命をかけて名声を守れ
法則6 ぜひとも人の注目を集めよ
法則7 他人を自分のために働かせよ、ただし手柄は決して渡すな
法則8 他人に足を運ばせよ - 必要ならば餌を使え
法則9 言葉ではなく行動によって勝て
法則10 感染を避けよ - 不幸な人間や不運な人間とはつきあうな
法則11 他人を自分に依存させておくすべを覚えよ
法則12 意図的な正直さや寛大さで敵の武装を解け
法則13 他人に助力を求めるときは相手の利益に訴えよ。情けや感謝の念に頼ってはならない
法則14 友を装ってスパイを働け
法則15 敵は完全に叩き潰せ
法則16 姿を見せないようにして周囲の敬意と賞賛を高めよ
法則17 予測不能の雰囲気をかもしだして、相手をつねにおびえさせておけ
法則18 保身のために砦を築くな - 孤立は危険である
法則19 相手の性格を見きわめよ
法則20 誰にも深く肩入れするな
法則21 だまされやすい人間を装って人をだませ - カモよりも自分を愚かに見せよ
法則22 降伏戦術を使って、弱さを力に変えよ
法則23 自分の力を結集せよ
法則24 完璧な廷臣を演じよ
法則25 新しい自分を創造せよ
法則26 自分の手を汚すな
法則27 何かを信じたがる人間の性向を利用して、盲目的な崇拝者をつくれ
法則28 大胆に行動せよ
法則29 終わりにいたるまで計画を立てよ
法則30 努力は人に見せるな
法則31 選択肢を支配せよ - 自分に都合のいいカードを引かせる
法則32 幻想に訴えよ
法則33 人の摘みネジを見つけろ
法則34 自分のやり方で王になれ - 王のように振舞えば、王のように扱ってもらえる
法則35 タイミングをはかる技術を習得せよ
法則36 手に入らないものは相手にするな。無視する事が最大の復習である
法則37 壮大なものを見せて人の目を釘付けにしろ
法則38 考えは自由でも、行動は他人にならえ
法則39 魚をつかまえるために水をかきまわせ
法則40 ただ飯を軽蔑せよ
法則41 偉大な人間の靴に足を入れるな
法則42 羊飼いを攻撃せよ、そうすれば羊は散り散りになる
法則43 相手の頭や心に働きかけよ
法則44 ミラー効果で敵を武装解除させ、あるいは激しく怒らせろ
法則45 変革の必要性を説け、ただし一度に多くを変えるな
法則46 あまり完璧に見せてはならない
法則47 狙ったところを超えて進むな、勝ったら引きどきを心得よ
法則48 かたちあるものなどない

1/04/2008

日本人を幸せにする経済学






『日本人を幸せにする経済学』2004/10

女性はブランド物を買っているのは格式を買っているのです。
完成された評判を買っているわけだから、男から見たら面白くないのです。

森栗茂一さん『夜這いと近代買春』(明石書店刊)

父親はもらうことばかり考えていました。
三高・東大(三高は京都にあった旧制高校)の秀才だから、そういう根性が身についているのです。
逆に母親の実家は田舎の金持ちだから、人の顔をみたら何かあげないといけないと思っている人間です。

霞が関あたりにいる人は父親と一緒だな。一生、もらうこと、褒められることばかり考えている乞食である。

「これだけは世界に負けない」などは田舎者の言うことで、「世界を引っ張る」と言わないといけません。

これからは技術あっての産業ではなく、マーケットあっての産業なのです。

『恋愛と贅沢と資本主義』(講談社学術文庫)

ゾンバルトは、「新しいマーケットを作るのは金持ちである。余裕のできたお金持ちが美しい女性(娼婦)に贈り物をしたいがために何か新しい物を作らせる。そこに新技術や新商品が生まれ、その後を貧乏人がついていく」

「東洋精神で、瞬間に洞察する方法を教えてくれ」と言うし、「日本人には着地点(落としどころ)がすぐ見えるのはなぜか?」と聞いてくる。


お金というのは、持てば持つほど他人を信用できなくなるようで、某消費者金融の社長もそうだったみたいです。
成功してどんどんお金がたまっていくと、誰かがそれを奪い取りにくるのではないかと思ってしまうのでしょう。
お金持ちほどケチですからね。

お金持ちになるとケチになって、結局、みんなに嫌われるのです。
嫌われた人は大邸宅の中に閉じこもっています。

1/03/2008

土井 利忠さん










土井 利忠さん


「米国の大学の礼賛論には全く賛成できません。米国の大学は、教授がベンチャー企業の経営者のようになって研究資金を集めなければならない。カネを集められる教授が研究者をたくさん抱えてどんどんのし上がっていく仕組みです。本来の研究とは関係のない競争が展開されているわけです」


「とにかくすさまじい勢いで競争をさせるので、他の研究者の成果を盗んでしまうという話もよく聞きます。油断もすきもない世界です」


――米国で盛んな産学連携を日本の大学はお手本にしようとしています。
「そうしたモデルを日本に持ち込むことには反対です。大学の本来の使命は、すぐには商売にはならないが、本当に先端的な研究をきちんとやることです。企業から研究資金を得られるのは、企業が考えている少しだけ先のことをやっているにすぎなないからです。大学が企業の出先のようになってしまうのでは世も末だという気がします」


――日本の大学は今のままでいいということですか。
「改善すべき点はあります。研究者としての能力がない人物でも、教授としてやっていける仕組みになっているのは由々しきことです。前時代的な親分子分の関係が残っており、研究に何も貢献していない教授が論文に名前だけ連ねたりする。能力を欠く教授には退場願う。だからといって米国式の競争モデルを無批判に取り入れるのは能がない」


「すでにベンチャーなどの企業活動では米国モデルの問題点が露呈していると考えます。
若くして巨万の富を築く起業家がもてはやされました。私は商売柄そうした人々をたくさんみてきましたが、後で消息を聞くと、うつ病になって苦しんだりしている人が多いのです。」


「自我の発達で、常に戦っていないと安定しないレベルを後期自我といいます。このレベルの人は戦う対象がなくなると燃え尽き症候群のようになるのが特徴です。米国に多いパターンです。日本の社会は、まだ依存心の残っている中期自我の人も多いのですが、逆にもう戦わなくても精神が安定している成熟した自我の比率も高く、全体としては米国の社会より進んでいると考えています。したがって、その遅れている米国のやり方を理想郷のように考えて追随するのはやめにした方がいいと思います」

1/02/2008

動き革命/小森君美











動き革命/小森君美



より大きな力を加えようとすれば、顔は正面に向けていなければなりません。

また身体も顔を向けた反対方向にズレていき、そのためにそれまで行っていた動きとは別の動きになるということも重要なポイントです。

「思い悩むと目線は下がる。空想・夢想のたぐいだと目線は中空をさまよう。現実を客観的にとらえる目はまっすぐに前に向いている。」

一般論として私が良く口にする言葉ですが、これは目線と心の関係です。しかも両目の間、少し下にある花は目が向いた方向を向きやすいもので、これはヒトだけに限らず他の動物にも言えることですが、鼻が向いた方向へ身体が動いていくことは大変多いです。



「蹴らない前進」が速い

地面を蹴る歩きに比べ、身体を直接前方に送り出す「体重移動」の歩きでは、本人が大きな力を使った感覚を持たないのに、はるかに大きなスピードを得ることができます。

おもしろいのは、体重移動の歩きでは、後ろ足が地面から離れる瞬間が早くなるという現象が起きていることです。これは優れた陸上短距離選手が走るとき、後ろ足が地面から早く離れるのと同じです。



ものにとらわれることなく動くことができれば、幼児と同じように「天真爛漫」な動きが出来ることでしょう。天真爛漫な気持ちで動けば、その動きは必ずのびのびとしたものになっていきます。のびのびと動くことは、普段と同じようにしか動いていないのに、想像もしないような威力が伴ってきます。威力など別に追求しているわけではないのに、動いた結果として威力が出てしまうのです。



速く動こうというときに、自分が思っているよりも速く動かされると、身体は自動的にブレーキをかけようとします。それは身体の生理的な限界を超えているからです。自分が希望する以上の動きをやってしまうと、身体が壊れてしまうこともあります。



のびのび動く・・・・「舒展(じょてん)」

手をしっかり握ると、前腕が緊張します。さらに精神的緊張が加わったり、あせりが伴ったりすると肩が上がります。肩が上がるということは、肩関節の可動域が小さくなることを意味します。また肩が上がることによって、僧帽筋という首と肩と背中をつなぐ筋肉に緊張が起こり、上半身各部の動きが制限されることになります。

上半身が緊張すると、上半身と下半身の間での連携がとれなくなります。この状態では、下半身の動きは日常の習慣に基づいてなされているだけで「魂のこもっていない動き」にならざるを得ません。また全身の動きが連携してないわけですから、力んでいるわりには出力の小さな動きになってしまいます。

筋肉の緊張は、「力ずく」で動く人でも同じように起こりますから、力んで動く人にも、上半身と下半身の連携がとれた動きはできないことになります。

逆にのびのびした動きを行えるようになると、小さな力しか出していないように本人は感じていても、全身が協力して動いた結果としての「出力」は大きくなります。結果としていい仕事をしているのに、ひどく疲れたり、筋肉を傷つけたりしないですむようになります。



『整体動作』

整体動作とは、全身が一つの目的のために同時に協力して動く動作のことですが、そのためには全身が同時に動くような身体を持たなければなりません。これはただの柔軟体操やストレッチ体操でできるようなものではなく、高度に発達した「感覚のネットワーク」なしには考えられないものです。

全身が同時に協力して動けば、本人はそれほど意識して力を入れないにもかかわらず、大きな威力を出すことができます。これは大きな仕事を行う仕事を行うことができる「能力」であり、結果を出す上では非常に重要なことです。



「刺激に対する反応」は過不足ないのが一番いいという結果に到達したのですが、なんでもかんでも、大きな筋肉にモノを言わせて力ずくで動いていると、必ず反作用が自分の身体に返ってきて自分の身体を痛めることになります。

「刺激に対する反応」という面では、決して「大は小をかねません」。大きな刺激に対しては大きいなりの、小さな刺激に対しては小さいなりの反応が最も目的にかなうものといえます。



大切なことは目的の達成であって、いかに大きな筋力を使ったかではありません。動きの合理性から言えば「出来るだけ小さな力で目的が達成」できれば、それにこしたことはありません。ただ「小さな力」でということばかりに気を使うと、非常に長い時間がかかって間に合わないことがあるかもしれませんが。

動いた結果目的が達成できていればいいと考えれば、当然動きのほうが力よりも先にくるべきなのです。

だから筋肉の仕事は、必要な動きをするための最低限度の力を発揮することであり、それ以上の仕事をすることは、他のものがやらなければならないはずの仕事を妨害しているだけです。

大切なことは、身体の各部がそれぞれに応じてきちんとやらなければならない仕事をきっちりこなすことであって、こういう動き方のことを「整体動作」と呼ぶのです。



腰を落として、両脚足に不必要な緊張が発生せず、適度な緊張と弛緩が同時に存在するとき、体幹部をどちらに向けるという行為に両脚足が協力してくれます。このときの動きは一見何気ないですが、非常に強い力が発生してます。



ゆっくり動くと言うことは、日ごろなんとなくやっている動きの中に潜んでいる問題点を洗い直す上で大きな効果があります。

一般的に「速い動き」では我々の「感覚」がその速さについていくことができませんから、正確な位置関係や方向、角度などについて詳しい認識を得ることができませんが、ゆっくりした動きの中では、「感覚」が正確に自分自身を把握することができます。従って「速い動き」ではできる誤魔化しも、ゆっくりした動きではできません。

「動きの精度」を上げていく上では、ゆっくり動くということは、重要な練習の一つと言えるでしょう。

この「ゆっくりした動き」が極限までいったものは、外見上、静止して見えます。この状態で自分が普段何気なく行っている動きが持続していれば、「静止しているように見える動き」になります。ここで「動きの感覚」が継続できていれば、それは「活動的な静止状態」と言えます。

中国武術の「たんとうこう」は、まさにこの動きです。」



安定とは全身が完全に自由に動くことが出来る状態でなければならず、不安定というのはどこかの部位が、安定させるための身体の動きに参加できなかった場合に起こる状況だからです。

つまり不安定は身体の中に固定した部分があるから発生しているわけで、よく例にあげられる前に進むという動作にしても、「身体が倒れようとする力を利用して」動くと言いますが、これでは動きの主体が重力になってしまっていて、自分の意志ではありません。自分の動きは自分の「動作目的」を達成するために行うものであり、何かに作用された結果としての動きは、どうしても「あなたまかせ」の部分が出てきます。



ある動きができない人が、「できる人」がその動きを行っているときに肉体の一部を接触させたとしましょう。このときは「できなかった人」がきわめて短時間で「できる」ようになっていきます。

身体運用上の情報は目や耳だけからだけではなく、身体の接触によって伝えることができます。しかもこのときは非常に大量の情報が流れ込んでいるようです。我々の身体にはまだ解明されていない多くの「能力」が眠っていると考えられますが、私はこれを「身体のアクセス」とよんでいます。新しい動きを覚えていく上で極めて有効な方法です。

武術の世界では「技はくらって覚えろ」というのがありますが、まさにその通りです。ただこのとき肌と肌が直に接触していたほうが、より多くの情報が流れるように感じています。うすい布一枚はさんでしまうと、それだけで情報の伝わり方が弱くなっていくようで、スキンシップという情報伝達の方法の有効性を最近になって再認識しています。



人に質問することは、ときに害になる。



「一人練習」「一人稽古」は「自分と向き合う」ことによって「自分自身を理解する」上では、意義が大きい。



型練習は難しいです。優秀な師範の下で、一生懸命、根気強く稽古しなければ、型稽古本来の成果はあげられません。けれども、長年ホンモノの型を練り上げてきた人の動きは、優れたコンビネーション攻撃を一瞬にして無力化してしまう能力を持っています。

本来型を伝える武道・武術には、「コンビネーション」という発想はなく、「一撃必殺」「一発必倒」であったと考えられます。



武道・武術の稽古は、能力を開発していくということ。



マナーを考えると、自分の所属する「階層」の中で、自分の階層に相応しい所作ができなければ、自分の所属する階層にいられないということを意味しています。それは、社会的な「生死」がかかっているわけです。

「相手を思いやる」ということにしても、自分の利益につながることです。我々は一人で生きていくことができませんから、「相手を思いやる」ことによって「自分を思いやってもらう」ことになったのです。



身体重心がブレないということは、効果的な動きを行う上で非常に重要なことです。



つい力が入ってしまいようになるところで、呼吸を「吸気」にしているのですが、「呼気」では力が入りすぎて床を蹴ってしまう動きが、「吸気」に変えることで床を蹴らない動きに変えられます。

床を蹴る動きは、身体重心をブレさせたり、力の無駄使いにつながり、気配を出すことになり、昔に人はずいぶん嫌がったようです。



全身を同時に協力させて動かそう



相手の自然を崩せないようなら、絶対に勝つことはできません。相手が「必然律」を支配してしまうからです。

自分が「必然律」を支配しようと思えば、自分の「必然性」を高めなければなりませんから、目先のことに追われていては無理です。自分にとっての自然を感じ、その自然を、いついかなる状況でも崩さないように動かなければなりません。それが無心で動くということです。



人間が最も人間らしいときに、人間としての「最高」の能力を発揮することができるのです。



無理をすることは不自然とつながります。無理をするということは「理」がないわけですから、成功につながることも少ないのです。無理をしないこと、不自然な動き方をしないことが、「必然」の世界に入っていくためには不可欠な要素といえます。



現代はマニュアルがないと動けない人が増えているそうです。これは長い間、自分の「感覚」を信用して物事に対処してこなかったから、外部からの刺激に対する反応が、その人の中で正確に起こっていないということを意味します。



我々にとって最も大切なことは、トレーニングによって自分の身体を変形させ、それらを獲得しようとすることではありません。まず「自分が持って生まれた能力を、最大限発揮できる心身になろう」ということなのです。



やっていることが正しいのなら、それは武道・武術であれ、スポーツであれ、仕事での動作であれ、日常生活での何気ない動きであれ、全て役立ちます。



「自分が何をするか」という目的意識を持つことは大切ですが、そのために他の事から目をそらしてしまうと、自由な活動ができなくなります。これは生きていく姿勢の「固定」です。目的意識だけに凝り固まると、まったく融通のきかないものになりますが、「精神的な余裕」を持って生きると、「自由な発想」が得やすくなります。余裕が自由な発想を生み、凝り固まった頭からは出てこないモノに発展します。こういう柔軟さを持つことが、生きる姿勢の「安定」です。

あまりに規則正しい生活同様に、自分で自分を縛っていて、それ以外のことができなくなってしまうのですが、何かに「縛られる」ことは、自分で考えなくても生活が送れることを意味していますから、それなりに楽なので、生真面目な人ほどはまりやすい状態と考えることもできます。自分の目的達成のために「安定」した生き方をしたいなら、注意しなければなりません。

旅に出るということは







旅に出るということは生を実感するのと同時に死の観念のような気がしないでもない。

自然は現代人にとっては自己を知る教科書だと思う。

出会いというのは、人間が計算して出会えるもんじゃないです。

出会う時期がきて出会うんですよ。

1/01/2008

さわやかでたのもしい経済社会への道









「さわやかでたのもしい経済社会への道」ナナオサカキ ゲーリー


1、ぎりぎり 必要なものだけを 求めよう
2、工業製品ではなく 手作りを
3、スーパーマーケットではなく 個人商店 または生協に つながろう
4、虚栄と浪費のシンボル―誇大広告を まずボイコットしよう
5、最大の浪費 ミリタリズムに かかわらない
6、生活のすべてに もっと 工夫と創造を
7、新しい 生産と流通のシステムを 試みよう
8、汗と思いを わかち合う よろこびから
9、真の豊かさとは 物と金に 依存しないこと
10、野生への第一歩―よく笑い よく歌い よく遊ぶ

「恐怖体制」
どうやらぼくたちのこの現代社会は恐怖の体制であるらしい。そこでは安心をお金で買い、競争で勝ちとらねばならない。それは椅子取りゲームのようなもの。より多く、より速く、といつも前のめりになって、永遠に得ることのできない安心を追いかけまわす。それがファストな社会に生きる僕辰の姿だ。そんな社会にあって、ぼくたちのスローダウンとは一体どんなことを意味するのだろう。それは恐怖の連鎖から外へ出ること。恐怖の体制から自らをアンプラグすること。恐怖という登りかけた山を下りて、引き返すこと。山の向こう側に安心などありはしないのだから。安心はどこにあるのだろう。よく見れば安心の種はこちら側にいくらだって見出されるのだ。

   ○―×
自信―失敗するはずがないという意識
スピード―拙速
機知―口の悪さ
アンテナを張り巡らす―よさそうなものだけに目を向ける
献身―仕事中毒
制御―柔軟性の欠如
勇気―向こう見ず
我慢強い―変化に逆らう
人を引きつける魅力―人を思いのままに操る力
倹約家―ケチ
一途に取り組む―妄信

オープンシステム―情報は部門間を必要に応じて流れる。隠し事は奨励されない。
報酬は事業単位へ―権限委譲やコラボレーションを推進するマネージャーが評価される。
自主管理―情報と経験は速やかに知識に変換される。知識の取得と共有が自主管理グループの土台となる。
マインドフルな思考スタイル―ローカルな視点とグローバルな視点の両方を常に取り込む。方針決定にあたっては多様性、倫理、美なども考慮する。学習する姿勢が高い評価を受ける。慢心の発生はチェックされ、抑制される。

「人生棚卸」
1、自分の仕事と自己イメージはどんな部分で一致し、どんな部分で一致しないか?
2、熱心に取組んでいることがあるか?また、それについて積極的に学んだり、よい意味での難問にぶつかって緊張感を味わったりしているか?
3、仕事や私生活での人間関係は現在、どのような状況にあるか?
4、どんな秘密を持っているか?
5、深く後悔していることはないか?
6、最も恐れていることは何か?
7、どんな問題行動に苦しんでいるか?その問題行動は、もっと深い問題とつながっているか?
8、人生の目標をどのように変更してきたか?
9、時間にどの程度追われているか?その最大の原因は何か?
10、自分の性格のどの部分を強化する必要があるか?自分のどんな才能を見過ごしているように感じるか?
11、自分は何に貢献しているか?