12/08/2007

里の在処















里の在処 内山節


現代人においては、知性と魂は不調和でありつづける。知性は前に向かって歩こうとし、魂はどこかに帰ろうとする。とすると<里>や<田舎>をもたなかった私は、はじめから、魂の帰りたがっている場所をもたないことにはならないか。里を喪失した人間。それは魂が帰ろうとする場所をもたない人間である。


広い世界とは深い世界だったのだろうかと、いま私は問い返す。私たちは、広い世界に目を奪われて、深い世界を失ったのではなかったのかと。
帰りたい世界をもちながら、広い世界で活動することもできたはずだ。人生をやりなおせる場所をもちながら、知性によって自己を主張しなくても、自然に自分の存在を諒解できるような場所をもちながら、広い世界で動くこともできたはずだ。
しかし私たちはそのようには教わらなかった。<里>と、都市やインターナショナルなものとは対立しているように教わった。
その結果、私たちは何を得たのか。帰属だけがある。だが所在不明。
知性は訳知りだから、帰属のなかに自分の存在をみつけだす。ところが魂は<訳>を超越している。
<訳>だけでは存在の場所をみつけだせない。


<金もうけをしたいなら都市のほうがいい。しかし悔いのない暮らしをしたいなら村のほうがいい。村には本当の豊かさがある>

失楽園の向こう側










失楽園の向こう側 橋本治

「社会から脱落しないように」のガイドラインがまずあって、人がそれに合わせるのは、私にとって、「なんかへんだ」でしかない。ところが、いつの間か、「金儲けする社会のあり方に合致しない考え方をするのはバカだ」というような考え方が一般的になってしまった。それは私にとって「バカじゃねーの」というようなものなのだが、「それを考えられないやつはバカ」という風潮があるのだから仕方ない。「社会のあり方」なんてことをああだこうだ考えもしたが、「もういいだろう」である。知ったこっちゃない。「自分は自分の道を行く」がノーマルに肯定されなかったら、社会もへったくれもない。

日本人が信じる「本来性」とは、「多くの日本人が共通して信じる建前」である。だから、こういう建前に従って立派に日本社会への適合をとげた人達の愚痴や説教は、くだくだしいばかりでよく分からない。「人と付き合う」とは、そのくだくだしさに我慢する時間のことだったりする。

それまでの日本社会は、「完成度の高い社会」だった。それが、「単一化された社会」に変わった。「完成度の高い社会」というのは、めんどうな社会である。なぜかと言えば、これが、「完成度の高さの維持」を求めるからである。一方「単一化された社会」は、そんなめんどうを要求しない。みんなと同じことをしていればいいのである。

単一化した社会への適合をうまく果たしたエリート達は、「決められたプロジェクトの実行」には有能であっても、「なにを新たになすべきか?」の知恵がない。

「”自分たちより上にあるもの”を想定して、しかし劣等感に取り憑かれない(とりつかれない)」というには、「セレブ」というとんでもないものに憧れる今となっては難しいことだが、節倹の美学が生きていた時代には、たいして難しいことではなかった。「それは自分たちには似合わない」という美学がりさえすれば、似合わないものの存在に心を動かされる必要がないからである。「美学を持つ」ということには、それだけの力がある。

閉鎖的なムラ社会で生きるためには「そこでの平均値」である。だから、閉鎖的なムラ社会の中で育った人間以外の社会に出て、それまでの自分の生活jパターンで暮らせなくなった時には、新しい「ここでの平均値」を探す。「よく分かんないけど、みんなこんな風にしているみたいだから、それに合わせておけば大丈夫だろう」という発想である。若いやつが、みんな同じような格好をして「よくいる若いやつ」になるのは、それをする彼や彼女が「自分もみんなと同じような若者の一人だ」と思うからである。

他人と同化するために、共有出来る”平均値”を探す。しかし「新しい平均値を探す」ということは、その人間がそれまで「閉鎖的なムラ社会で生きて来た」ということをあらわすものなのである。「流行」とか「社会の変化」と称するものに翻弄されて、平均値から平均値への移動を、まるでレミングの群れの一個体になったみたいに繰り返していたら、いやになってしまう。その愚を避けたいのだったら、それをしてしまう自分の頭の中をまず疑ってみることである。

自己主張が必要になるのは、先ず第一に、そこに危険がある時である。自分の権利が奪われそうになる、自分の存在が危うくなる―そういう時に”自分”を主張しなかったら、権利は奪われっ放しになるし、存在だって危ゆくなる。こう言えば「そんなの当たり前だ」と思うかもしれないが、しかし存外、こういう主張は少ないのである。

日本人は「自己主張の必要」を、根本のところで理解していない。「わざわざ”自己”なんてめんどうなもんを主張しないで済むのがいい社会だ」くらいに思っている。だから、肝心の自己主張が必要になった時、その”度合い”が分からない。

「自己主張の必要」を理解しない日本人は、「自己主張の必要がない世の中」に生きていることの幸福を楽しんでいる。「自己主張の必要がない世の中」とは、問題が起きてその問題を「ないことにしてしまおう」とする世の中である。”問題”をつきつけられても、「分からない」で逃げてしまう。なにか意見を求められても、「意見を言う」ということが大切な自己を主張することだとは思っていないから、それが言えない。「自分の意見」を言うかわりに、まず、「どういう意見を言えば、世間的に”いい意見”としてほめられるか?」という、模範解答を探す。自分が思ってなくても、「こう言えば”いい意見だ”とほめられそうだな」というウケ狙いをする。小学生みたいなもんだが。そのテの訓練が小学生の段階で止まっているから、それ以上のものが出てこない。
なんでそんな情けないことになるのかと言えば、日本人が、「自己主張をする人間は、周囲とは調和の取れない逸脱した人間だから、あまり意見なんかは言わない方がいい」と錯覚しているからである。だから、大勢順応のおとなしいノッペラボー人間ばかりになってしまう。それを、「まともな社会人のあり方」と信じているからである。

劣等感の強い男は、その劣等感を打ち消すため、自分を強引に「いい男」だと錯覚させる。「いい男」でもないのに、「いい男の真似」をする。その結果、「似合わない」という採点表が、「周囲からの視線」という形で送られて来る。それを見るも見ないも勝手で、「似合わない」とい採点結果を送られて来るそばから捨ててしまえば、「なんかへんだな・・・・」とう不調和が起こるだけである。

「一夜の愛」は「一夜の錯覚」で、錯覚の多い人ほど「一夜の愛」の数も多い。「一夜の愛」にだけ勤しむ人が、自分の仕事をなおざりにしてしまうのは、愛が人生とは別のところにあって、仕事が人生の真ん中にあるからである。「愛し合った翌朝」においても、まだ「愛の一夜」がそのまんま続いているのは、「まだ愛したりない」という欲求不満があるからであり、それは「永続すかもしれない愛」の初期段階に限ったことである。

愛を持続させるためには、そこに人生を混入させることが必須となる。愛の中に人生が入り込むとは、つまり、愛のさなかに空腹が襲うことである。「愛だけでいい」と思っている時、人は空腹を感じない。空腹を感じても、平気で我慢をしてしまう。
愛とは、「生きる本能」だえある食欲さえも超越してしまう、とてもへんなものなのである。

私は別に、えらくなりたかったわけじゃない。教科書に載りたかったわけじゃない。ただ、「えらくなることを恐れちゃいけない、教科書に載ることを恐れちゃいけない」と思った。

コミック編集という仕事は大きく分けて三つから出来上がっている。雑誌を育てること、作品を育てること、新人作家を育てること、この三つである。

12/07/2007

渋沢龍彦









渋沢龍彦


カサノヴァ

ゲーテ

ジャン・コクトー

李白

ディオゲネス

ピストロ・アレティノ

ブリア=サヴァラン

深沢七郎




ユーモリストは、人生の失敗にくじけない、強い柔軟な精神をもった快楽主義者です。世の中のばかばかしさを
横目でながめ、すべてを冗談で笑い飛ばしてしまう精神は、男らしく、爽快なものではありますまいか。


アルフレッド・ジャリ


マルキ・ド・サド


このリベルタンという言葉は、少しばかり説明を要する言葉です。もともと、リベルタンという言葉には、宗教的な
意味があって、「信仰および宗教的義務に従うことを拒否する自由な精神」を意味しておりました。
日本では「自由思想家」と翻訳することもあります。そうした意味の言葉が、いつごろからか、徐々に転化して、
道徳上の放埒を意味するようになったのです。つまり、宗教的戒律に対する不服従から、性的束縛に対する
不服従へと意味が転化したわけです。
男女の愛欲の行為において、リベルダンは、種族維持の自然法則をできるだけのがれようとします。カトリックでは、
中世の聖者トマス・アクィナス以来、子どもを生むことを性交の第一の目的としており、性を遊びの対象とすることを
きびしく戒めておりますが、リベルダンはまず、そうした宗教上の束縛をすすんで打ち破ろうとします。あたりまえの話ですが、
娼婦と遊ぶのは、子どもを生むのが目的ではありません。
第二に、リベルダンの特徴は、情熱的な恋愛に我を忘れることを、みずから警戒します。つまり、男女の愛欲は、
あくまで誘惑したり誘惑されたりする性の遊びなのであって、快楽以外には何の目的もないのです。ロメオとジュリエットとか、
トリスタンとイゾルデとかいった純情可憐な男女の、身を滅ぼすような情熱的な恋愛は、リベルダンのもっとも
軽蔑するところです。
なぜかというと、情熱的な恋愛に身をまかせることは、リベルダンがいちばんだいじにしている自己の主体性、自己の自由を
失うことを意味するからです。リベルダンという言葉は、自由(リベルテ)と関係があるので、何よりもまず、伝統や因習を
打破する、精神の自由を意味していたのです。一言をもってすれば、遊びの精神、自由の精神、―これがリベルダンの
特徴といってよいでしょう。



おもしろいことに、岡本さんもまた、夫婦子どもなんかもたず、いつも自由な独身生活を楽しんでいる人です。親子とか
夫婦とかいった関係が、人間の自由な冒険的な生き方を拘束し、世の中をじめじめした、不潔なものにするということを、
芸術家の直観で、本能的に知っているのです。だから、そういうわずらわしい世の中のきめごとや、愚劣な約束ごとを、
避けてとおるのです。
小心翼々とした人間や、けちな占有欲のある人間、反抗精神や破壊精神に欠けた、優等生のエリートだけが、家庭だとか、
会社だとか、―あるいはもっと広くいって、国家だとか、社会だとかいった欺瞞の秩序に、必死になって、かじりついているわけです。
なんの意味もない、くだらないものでも、しっかり手に握っていないと、不安になるのかもしれません。


そもそも、しあわせな家庭などというものを築いたら、もう、若者のエネルギーは、行きどまりだということを知るべきです。
妻子ある家庭を思えば、冒険もなにもできやしません。大学をうまく卒業し、一流会社へ就職し、課長の媒酌できれいな
奥さんをもらい、一姫二太郎をこしらえ、モダンなアパートに住み、車を買い、ステレオを買ったら、まあ、あとはせいぜい、
女の子のいるバーで、奥さんの目をぬすんで、ちょっとした浮気をするぐらいが関の山でしょう。まことに、なさけない。こんなのは、
快楽主義者として、最低の部類に属します。
わたしは、現代の社会に生きる快楽主義者の代表として、二人の人物の名をあげましたが、むろん、これは、たまたま、わたしの
頭に思い浮かんだ偶然の選択による結果にすぎません。もっと広く世の中を見渡せば、あるいは、さらにおもしろい無名の人物が
見つかるかもしれない。


父母も江戸っ子だったので(ボクは父系で4代目、母方では14代目だそうだ)、大橋家の価値体系は、江戸風であるか無いか
だったようである。江戸風といっても解りにくいだろうが、「粋か無粋か」といったら解るだろうか。特に母はそうであった。
粋とはぜい沢なものを着ることではない、と言っていた。袷(あわせ―裏地のついた着物)の時季には袷を着、浴衣の時季には
浴衣を着ること。時と場合(今でいうTPO)に合ったものを着るべきだとも言った。
食べ物も同じで、そばや寿司をくちゃくちゃ噛んで食べるのは野暮の骨頂と教えられた。ああいうものは「のど越し」で
食べるものだからと言っていた。
「噛みたければ、うどんを食べればいいのさ」


灰皿と金持ちはたまるほど汚くなる


常に収入の四分の一と臨時収入の全部を蓄えることは富をなす基礎であるだけでなく、それがすでに克己心の強い発露である。


人は貧乏すれば、自分が苦しいだけでなく、義理を欠き、人にも迷惑を及ぼし、心ならずも嘘をつくようになり、ついには
世間の信用を失う。


人生の幸福に家庭平和が必要であることは繰り返すまでもないが、実際に家庭が平和でさえあれば、自然健康も勇気も
増して、必ず相当に成功できるものである。


今日の時世に、とくに必要なのは、できるだけ人の手を借りず、人の世話にならずに自分で自分を始末して生きていくということである。
たとえば自分の寝床の上げ下げはもちろん、自分の身のまわりのことはいっさい自分でやる習慣をつけ、旅行の際は手荷物なども
自分で持つことにすれば、時間も省け、紛失の心配もなく、金もかからずに済んで、どれだけ楽になるかわからない。


学者であっても、独立した生活ができるだけの財産をこしらえなければいけない。そうでないと金のために自由を奪われ、
精神の独立も生活の独立もおぼつかないようになる。財産をつくるための基本は勤倹貯蓄であり、貯金ができたらこれを
有利な事業に投資しなければならない。貯金を貯金のままにしておいたのではたかが知れている」。


「人生で最大の幸福は家庭生活の円満と職業の道楽化である」


①努力して職業を道楽化する、②努力と生活の単純化によってそのかすをためる、③そのかすを精神的享楽に使う、
の三つである。本多博士の職業の道楽化を、私はやや近代的に「自己実現」と理解している。私の言う「自己実現」は
「自分の好きなことを精一杯やって、十分に食えるだけでなく、それが他人によって高く評価されること」である。


①縁の下の力持ちになれ、②他人とは長所でもって交われ、③言動を慎み反感を買うな、④施した恩は忘れ受けた恩は
忘れるな、


「頼まれごとはよく考えた上で返答する」と「一度引き受けた用事は、どんなに些細なことでもできるだけ親切確実にする」


成功と人づきあいの秘訣は勤勉、正直と「思い上がりをしないこと」の三つということになる。


「何ごとがあろうと、けっして卑屈になったり、弱気になったりせずに、常に堂々と生き、堂々と失敗し、堂々と設け、
堂々と傷つき、堂々と老い、堂々と死ぬ」

12/06/2007

正慶孝ほか







正慶孝
西原克成
岡田充
寺川正雄
糸川英夫
首藤尚丈
倉田大嗣
木村 汎
小串正三
池口恵観

人間には二種類のタイプが昔から存在しており、時間を支配する自由人と支配される奴隷がいて、子供を育て上げるまでは仕事をするが、子供が独立したら義務を果たしたことになるので、余生は社会への恩返しだと考えました。
後は人材育成に役立ちたいと考えて、人類が残した知恵を世に伝えるために、自由人として行きようと思い立ちました。
若い時代に知識を仕込んで学習するのであり、人生経験を通じて豊かな人間性を育て上げ、内面から円熟すれば醗酵して知恵を生み出し、それが文明に文化の味付けをするのです。この味わい深い知恵を自らの中に体現し、若い世代に伝えるのが老いた世代の責務であり、それが社会への恩返しになるのです。

本当の意味で「知的財産」というものは、社会が蓄積している知恵のことであり、「パテント」や「著作権」のようなものではない。
その基本は掃除に始まる「しつけ」があり、根気とやる気を育てて手抜きしないことを学び、整理整頓を通じて「けじめ」を身につけたいものです。

日本では長らく適材適所が行われず、減点法で生き残った無能な人が偉くなり、派閥の遊泳術に長けた策士が出世している。だから、マネージメントに適切な指令をしたり、真の意味で判断力や独創性を持った人材は、指導者の椅子に座れないようになっています。

それに加えて高い倫理観に基づく責任意識が、指導的な立場に達人に欠かせないのに、最近の日本ではモラル・ハザードが目立ちます。
宣戦布告のハンコを押した天皇が、戦争責任をとらなかったことに源流があって、日本人は一億層無責任の体制を作ってしまいました。

やはり何といっても人材が決め手になりますね。
「人は石垣、人は城」で、優れた人材の確保は、国家や社会の安全保障にとって決め手であり、ここに政治をする上での眼目がある。

一番になるのは努力することで可能だが、ビリを維持するのはそう簡単ではない。
「刑務所は人性の最高の大学であり、そこで鍛えられた者は鋼鉄の精神を持ち、革命的な指導者に育つ日が来る。」

長岡 貫







長岡 貫


「どの先輩も食うや食わずで新しい日本を作ろうという気概に満ちていました。明治維新の志士に通じるものがあった」


「恥ずかしいことをしてはいけない。潔くあらねばならない。明治の人びとは現代人が忘れかけている信念を抱いていました。たとえば列強の属国になるのは恥ずべきことだという考えです。背伸びをしてでもほかのアジアの国とは違うという証しをたてたい。この信念は指導者層に特有のものと思うでしょうが、実はほとんどの国民が同じ思いだった」


「初の外国人教師として東大などで教えた英国人チェンバレンは欠点も挙げています。付和雷同を常とする、外国のまねをするなどです。日露戦争後、国全体が過信状態に陥り、やがてあの無謀な戦争に突入して完膚なきまでにやられちゃう。悪いのは軍閥だが、なかには尻馬にのってやれやれと言った国民もいた。付和雷同の典型でしょう」


「昭和三十五年の国民所得倍増計画は立派な政策だし国民に受けた。衣食足りて礼節を知るといけばよかったのですが、物質的な豊かさを求めるあまり、心の問題が置き去りにされなかったか。戦後の占領政策によって小中学校で価値観のようなものを教える機会が減り、家庭教育は金銭面の豊かさを実現するための進学や就職に主眼が置かれた。月並みですが、この世に生まれた以上、やりがいのある仕事を求め努力を傾注すれば、結果として経済的に恵まれなくてもいいじゃないか」

12/05/2007

「杉浦日向子 一日江戸人」









「杉浦日向子 一日江戸人」

☆江戸ッ子度・十八のチェック
 ①衝動買いをすることがよくある。
 ②見栄っ張りだ。借金をしても、人におごったことがある。
 ③早口だ。よく聞き返される。
 ④何でも勝手に略語にしてしまう。
 ⑤気が短い。推理小説は、いつも初めに結末のページを見てしまう。
 ⑥定食より丼飯のほうが好き。
 ⑦意外と潔癖だ。濡れたお箸を気味悪がる。
 ⑧下着は白、必ず毎日取り替える。
 ⑨行きつけの床屋がある。
 ⑩おしゃれに無頓着のように見えるが、本人なりのこだわりがある。
 ⑪履き物にはお金をかけるほうだ。
 ⑫間食が好き。
 ⑬入浴時間は十五分以内、摂氏四十五度以上の熱湯に毎日入る。
 ⑭アガリ性だ。緊張すると、言動が怒っているように見える。
 ⑮異性交際がヘタ。いったんくっつくと、泥沼になりやすい。
 ⑯駄洒落が好き。人に嫌がられるほど駄洒落を連発する。
 ⑰ウソ話を本気で聞いて、後で笑われることがよくある。
 ⑱涙もろいほうだ。

十八項目パーフェクトなら、オメデトウ金箔付きの江戸ッ子。十五以上は、江戸ッ子の末裔の東京ッ子を名乗る資格あり。
十以上は並の東京人、ヒトケタ台は並の日本人です。

12/04/2007

不良中年は楽しい









嵐山・不良中年は楽しい



吊るしの背広は着るな、上等の服と靴を身につけろ、といっている。
中身がぼろなら、せめて外見ぐらいはちゃんとしよう、ということか。
さらには、威張るな、自慢するな、分析するな、怒るな、泣くな、だそうだ。
やせ我慢しろ、金離れは良くしろ、時計は安物で良い、髪の毛は短くしろ。
おお、不良中年になるのもたいへんだ。

色欲に従うとはいえ、中年になったら風俗はやめろと思っているようだ。
「去勢された若僧がいくところ」だそうだ。
まあ、永井荷風の域まで達すれば別なのだろうが。じじいが風俗に通うのは、端から見てもみすぼらしいよね。
まあ、若くても行かない方が良いとは思うが。

女性が行くホストクラブ(最近は落ち目?)とか、薄い水割りを出して何万円も取るバー・クラブも風俗の親戚のようなものだ。
銀座のクラブのママが男の出来・不出来を本に出したりしているが、噴飯ものだ。





女よりも犬のほうがいい30の理由
1. 帰りが遅くなればなるほど、顔を合わせたときに興奮してくれる
(逆の意味で興奮されることは…)
2. 犬は他の犬と遊んできても許してくれる
3. ある犬がとびきりルックスがよくても他の犬たちが嫉妬しまくったりしない
4. 犬の名前を間違って呼んでも犬は気にしないでくれる
(寝言でも許してもらえません)
5. 犬の性質は1ヶ月の間ずっと同じだ
(毎月のアノ時期が)
6. 床にものを落としても喜んでくれる
7. 犬の両親が訪ねてくるなんてことはない
8. 自分の体を嫌ったりしない
9. 声を荒げてもそれに賛同してくれる
10. 犬は財布や机ではなく、外を覗いてくれる
(携帯も覗かないしね)
11. 自分より長生きしない
12. しゃべらない
13. 公共の場でベタベタ触っても楽しんでくれる
14. 犬を待つ必要がまったく無い、24時間準備ができている
15. 酔っ払っていても面白いと思ってくれる
16. 狩りを楽しいと思ってくれる
17. 他の男に自分の犬がとられる事はめったにない
18. 他の犬を持って帰ってきても、両方と楽しく遊べる
(ハーレムハーレム)
19. 犬に真夜中に起こされ、「私が死んだら、他の犬を飼うの?」なんて聞かれることはない
(メンヘラメンヘラ)
20. 盲目のふりをすると、犬はホテル宿泊料が無料になる
21. 犬が妊娠しても広告を出して他人に引き取ってもらえる
22. ビョウのついた首輪をつけさせても変態扱いされない
(……)
23. 新しい車を買おうとしても犬なら邪魔しない
24. 他の犬のにおいが自分についても怒り狂ったりしない、興味しんしんになるだけ
25. 車で出かけるのに、暖房をつけることを強要しない
(真夏の冷房も嫌がられがち)
26. 犬は雑誌の記事に人生を左右されない
27. 歳をとった犬なら、安らかに眠らせられる
28. 荷車の後ろでも犬は喜んで乗る
29. デパートや靴や服のアパレル店では犬は入場禁止だ
30. 犬が家を出ていっても所有物を半分持っていくことはない
ジョークと言い切れないのはたぶん気のせいでしょう。

先物取引のお勉強










先物取引のお勉強


先物とは、
・予め決められた期日に、
・特定の商品を、
・予め定められた価格で売買する義務
・日経225先物は、毎年3,6,9,12月第2金曜の寄り付きに、
・日経225指数を、予め定められた価格で売買する義務

日経225先物の損益は、思惑通りに相場が動けば、大きな利益が出る。しかし、逆に、思惑が裏切られると、売りでも買いでも、大きな損が出る。
先物の損益は、売り買い共に線形である、無限大。正にハイリスク、ハイリターン。



**********
日経225ミニは日経平均株価の100倍の値段の取引。
日経225ミニは証拠金と取引金額の規模が10分の1というだけで、基本的には、日経225先物の特徴をそのまま引き継いでいる。
225ミニは、値段の刻みが5円。つまり、1単位動くと500円の損益が発生。225先物は10円。10,000円の損益が発生。

満期日のSQ日には、先物価格と現物価格は理論上も実務上もSQ精算値で一致する。
流動性とレバレッジが高い先物が現物株価をリードする傾向がある。
************

米国では、毎四半期の最終月(3,6,9,12月)の第3金曜日にナスダック100指数などの指数先物の満期が到来する。
これに対し、日本では同月の第2金曜日に日経先物の期日が到来する。SQ(Special Quatation)という。
日本では、米国より1週間早く、これらトリプル・ウィチングやダブル・ウイッティングが訪れるのだが、前者をメジャーSQ、後者をただ単にSQと称する。
SQ直前に日経平均株価が大きく変動しやすい。それも、日々の日経先物価格は、事実上前日のシカゴでほぼ決まっているのだから大変だ。

オプション戦略は、実は、先物よりも難しい側面がある。なぜなら、オプションの買いで勝利するためには、相場の方向性や変動率を予想することも必要だが、タイミングも的確に予想できなければ高いリターンは期待できない。特にSQ日前後のカレンダーと相談しながら、タイム・ディケィに留意しつつ、ベストのオプション戦略を描く必要がある。

日本の月例データで最も注目されるものは、毎月末に経済産業省よりリリースされる「鉱工業活動指数」。
1%の前年比率上昇率はその約3から4倍の企業利益の伸び率と整合的であることを理解しておく。
次が、財務省から出される、「貿易統計」
3番目が、内閣府からの「機械受注統計」
四半期毎の「日銀短観」と「GDP統計」も忘れずに。

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株価の方向がわからずとも、単に、変動率が市場予想よりも大きくなると予想できるのであれば、コールとプットを同時に買うことで利益を出すことが可能となる。たとえば、グローバルやマクロ経済指標の予想をもとに、「イベント・ドリブン」のストラドル、スロラングルの買いなどのオプション戦略を組むことは、極めて重要である。
また、ファンダメンタルズ要因とは独立して、単にSQ前にアットのガンマが高まることを利用して、ノイズ要因やいわゆる需給要因によって、イン・ザ・マネーになろうとするアットのオプションを安く買うことは、極めてパワフルなオプションだ。

オプション買いの成功のポイントは、株価変動率の高まりを、ピンポイントで捕まえることにある。SQ直前にイン・ザ・マネーとなろうとするアットに近いオプションを安く買うことが決め手になろう。

12/03/2007

投機家菊地の理想の一日







投機家菊地の理想の一日






オプショントレーダーのための毎朝大証寄り付き前7つのチェックポイント

・米国株価(NYダウ・S&P500・ナスダック指数)の終値。
・CME225先物の終値:前日の大証終値との比較が重要
・CMEのグロベックス(GLOBEX)市場におけるナスダック100先物指数の最新情報(+か-か)
 :NY引け後の決算情報等に関する市場の最新情報が反映。
・最新ドル・円:NZ・ウェリントン市場におけるドル・円相場等に注目。
・外資系証券会社経由の寄り付き注文状況:大幅売り越しか大幅買い越しか。
・8:30-8:50の寄り付前に発表されるマクロ指標:予想をどの程度上回るのか下回るのか。
・SGXの寄り付状況(日本時間8:45)

などを、メモを取りながら、頭に入れていきます。
そして、いくらくらいで寄り付くのかを考えるのです。

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GLOBEXのナスダック100指数(キューブ)は、重要である。シカゴ時間15:30から8:15まで、つまり、東京の朝11時15分までだ。
と言うことは、このキューブが大証で取引される先物を先導する傾向がある。
つまり、翌朝の日本株は、今晩の米国市場に大きく影響を受ける。今晩の米国の寄り付きは、今日のキューブに影響される。したがって、今日の日経平均先物は、今日のキューブに右倣えだ。
***********

通常であれば、CME225先物(シカゴ市場で取引されている日経先物)のSETT値付近で、寄り付くことになります。

基本的には、CME225先物のSETT値付近で寄り付くことが多いのですが、
国内の重要指標が8:50に発表されるような場合、事前の予想数値と大きく乖離する数字が発表されれば、寄り付きの価格は、その数字を織り込むことになり、CME225先物のSETT値から大きくかけ離れた価格で寄り付くことになります

9:30くらいになると一定の価格に収斂し、当日の需給や材料を織り込んだ動きになってきます。
したがって9:00-9:30前後の間に、仕掛けのポジションを取ることになります。


先ほどの「上下200円で納まる確立が60%以上」という数字なのです。
日経225先物の原指数は、前回も述べたように、「日経平均株価」です。
ですので、指数に影響を持つ個別銘柄(鉄鋼、非鉄、ハイテク、自動車、銀行など)も同時に監視します。
また、最近では日本時間の10:30から始まる、中国・上海指数の影響も受けやすくなっているようですので、一応、注意してください。


**************************************************
PM3:10 相場の終了 ここから次の相場がスタート

◆ ~5:00 本日の相場のまとめと計数の整理
  
  ①本日の相場の感想をトレード日誌にまとめる
  ②5分・10分チャートの出力・保管
  ③本日のデータ入力
      ・移動平均(5・10・25・75・100日)
      ・ボリンジャーバンド(5・9・13・20・25日)
      ・騰落レシオ(6・10・15・25日)
      ・一目均衡表(基準・転換線、雲)
      ・出来高平均
      ・NT倍率
      ・PER、EPS
      ・東証売買単価と時価総額単価比
      ・裁定買残
      ・オプション建玉変化
      ・先物・オプション証券会社手口変化
     *オリジナル日足チャート CME価格入       
        トレンドラインの作成・修正
   以上は時系列で整理、加工・比較・予測が出来るようにしてあります。
   MACD、ストキャスティクス、RSI、DMIは証券会社ソフトにて数値・トレンド確認

  ④オリジナルマーケットプロファイルシート作成
          サポート&レジスタンス価格の設定

◇PM5:00~6:00 ウォーキング&ストレッチ 
  
◇PM6:30~     夕食&フリータイム・家族との団欒

◇PM11:30     就寝

◆AM5:30      起床  海外市場確認(ダウ・ナスダック・CME)
◇6:00~6:30   散歩・体操

◆AM6:30      トレーディング準備  
     ①日経新聞
     ②TVブルームバーグ、モーニングサテライト(録画)
     ③netブルームバーグ、ロイター
     ④翌日確定データの入力

  本日のトレーディング戦略とシュミレーション
        
        < 朝食 >

◆AM8:20 トレーディング画面 セッティング
  ・8:30から寄り板 変化チェック
  ・外国証券会社経由注文動向
  ・為替,CME
  ・8:50発表の経済指標
  ・8:55からの寄り板変化(重要)寄付き価格で80%のトレードの方向性確定     

  AM9:00 トレーディング 開始

12/02/2007

利休7則










利休7則

茶は服のよきように ……「事を行うには、相手の気持ち・状況を考えて。」
炭は湯の沸くように……「準備・段取りは、要となるツボを押さえて。」
夏は涼しく、冬は暖かに……「ものの表現は、本質を知り、より簡潔に。」 
花は野にあるように……「もてなしは、相手を想う心で。」
刻限は早めに……「ゆとりは、自らの心掛けによって。」
降らずとも雨の用意……「備えは、万人の憂いを想定して。」
相客に心せよ……「何事に接するにも、無垢な心で。」

12/01/2007

長野先生




 長野先生

どんな武術も、元々、体格や体力が圧倒的に差のある敵を打ち倒すために考案されてきたものです。その原点に立ち返れば、勝てない道理はない!ということを・・・。

 能書きを垂れるより、具体的な戦略の提案を記します。是非、参考にしてください。

 第一に、徹底して歩法(運足)を磨くことです。
 外国勢はフットワークを駆使して動きながら突き蹴りを出しているのに、体格が劣る日本人が足を止めていたら狙い撃ちにされてダメージが蓄積されるだけです。これでは、一日に何度も闘わねばならない勝ち抜きトーナメントで不利です。絶対に足を止めて間合を固定して打ち合ってはいけません。前後・横・斜めに自在に動きながら受け払い、突き蹴りを繰り出す運足を磨けば、体格の小ささが逆にプラスに作用して外国人選手の死角に位置取りしながら闘うことができるでしょう。“身体で受けて返す”という戦闘スタイルから脱却することです。練習法としては、太気拳の這いとスリ足をミックスして練習することです。スリ足で運足する利点は、通常のフットワークが重心が上下に振れるのに対して、スリ足だと重心が振れませんから、熟練すれば動きながら足を固定して出すのと同等かそれ以上(重心移動のエネルギーを利用した場合)の打撃力が出せることです。全盛期の数見選手がこの運足を使っていました。あの動きの滑らかさにプラスしてスピードの緩急を使い分け、死角に位置取りすることを工夫すれば、体格差は封じることが可能でしょう。

 第二に、インファイトで肘打ちを活用することです。
 これは上手く極まれば一撃で倒せる威力を持っています。入身交叉突きで入ると同時に体当たり気味に肘打ちを中段に打ち込む八極拳(頂心肘)の用法ならば、体格差をプラスに転換できます。極真のルールでは肘打ちは禁止ではないそうですが、誰も使いません。しかし、今回の優勝したブラジルの選手のように膝蹴りを多用する選手はたまにいます。膝蹴りが使えて肘打ちが使えない道理はありません。そして、肘打ちは文字通りの一撃必倒の武器になり得るのです。ただ、単体で狙ってもほとんど当たらないから誰も使わないのでしょう。肘打ちを当てるには体当たりの間合まで入るのが肝心です。通常の打ち合いの間合から半歩踏み込めば当たります。その入り方としては、内脚へのローキックを放って相手の動きを一瞬止めつつ、そのローキックの足を戻さず、そのまま相手の脚(股)の間に深く踏み込んで、一気に体当たり気味に飛び込みながら肘打ちを中段に入れるのが基本的なパターンです。これは一刀流剣術の“切り落とし”のように全身を日本刀に見立てて相手の正中線にぶちかましていく戦法です。的確に当たれば一発で必ず倒せる威力がありますから、是非、体得していただきたいものです。

 第三に、相手の突き腕に乗って交叉突きを出すことです。
 これは、一種のクロスカウンターですが、思うほど難しくはありません。受け技で突き腕を払い落とす要領で、そのまま受けた腕をひねり込むように突き出すだけです。これは訓練すれば的確にできるようになるでしょう。コツとしては、内腕部分を相手の前腕部にペタリと覆いかぶせていくようにしつつ、そのまま腕をひねり込んで相手の脇腹にドリルをねじ込むようなイメージで擦りつけながら突くことです。ただし、受け押さえた腕を離してしまうと意味がありませんから、腕を離さずに擦りつけるようにねじ込んで打つのがコツです。こうすることで相手は突きを出そうとした力が殺されてしまうので、瞬間的にバランスを崩して “死に体(防御不能の体勢)”にする効果も得られます。防御と攻撃を完全に一体化させた交叉突きは、相手の攻撃を殺しつつ自分の攻撃は当てられるので、効率よく相手を追い詰めていくことができます。ちなみに、この突きは、必然的に相手の乳下の筋肉の薄い脇腹に近い箇所に当たることになりますから、相手は嫌がって容易に突きを出せなくなる心理効果も狙えます。これは形意拳の基本技の一つ、崩拳の術理を応用したものですが、馬庭念流剣術の“続飯付(ソクイヅ)け”の原理も参考にしています。

 第四に、軸脚カッティングキック。
 これは、相手が蹴ってくる瞬間に蹴りは無視して軸脚を刈るようにローキックを食らわす“肉を斬らせて骨を断つ”ものです。回し蹴りの威力は、軸脚の支えとスピンで生じますから、蹴りを出してきた瞬間に軸脚を刈れば威力は出ない上に、大きくバランスを崩し、倒れなくとも重心が浮き上がってしまいます。そこを一気に畳み掛けて連打を食らわせれば防御力が減っている瞬間なので少ない手数で効率よくダメージを与えられます。これは中国武術の足払い技“掃腿”とローキックをミックスしたものです。とにかく、蹴り技を攻略するには軸脚を狙うのが有効です。外から蹴るより内から軸脚を刈り倒すように蹴りつつ肘打ちを当てる複合技も使えるでしょう。よく、剣道家が女性の薙刀にやられてしまったりしますが、ローキックの有効性を高めるには、威力よりも狙うポイントとシチュエイションを工夫することです。

 第五に、寸勁打法の連打。
 これができれば体格差は関係なくなります。拳を引いて打つ必要もなくなるので、受けに専念し、そのまま交叉突きが楽に出せます。極真関係者も多数学んでいる宇城憲治師範の突きをDVDで見ていると、原理的に寸勁なんですね。それができるから、自信をもって相手の懐にスルリと入っていくことができる。かなり小柄な宇城師範が自分より二廻り以上の体格の相手を簡単に突き転がしてしまうのも、寸勁ができるから「これが当たっても倒れなかったらどうしよう」という不安を感じないからでしょう。当たってから威力を出せるので力のロスが無く、一撃で充分に倒せる訳です。ちなみに寸勁の威力の原動力は“重心移動力”です。小柄な宇城師範の驚くべき重い打撃力は、いくら筋肉を鍛えても獲得できないでしょう。これは脱力体ができなければ上手くできません。筋力に頼らず、リラックスした中から突き蹴りに体重を乗せて、“背中側へ突き抜くようなつもり”で出せるように練習してください。この“狙う箇所を当たる箇所より後ろに想定すること”で、打撃に貫通性(威力が作用する持続時間が伸びて力積が大きく“重い打撃”になる)が出てくる訳です。これは蟷螂拳の連珠砲その他の門派の寸勁連続打法の応用ですが、熟練すれば、拳から肘へと片手で連続打法を使うこともできます。

11/30/2007

芸人







芸人


芸人に良しあしはなく、最後は好きか嫌いかで判断するしかない。

そして、それを声だかに叫ぶにはどれだけの義務と責任、知識と感性を必要とするか。

ダバスバイブル






ダバスバイブル


目を見開いてまわりを見ろ。
多様性なんかこれっぽっちもない。
モノはあふれかえってが、どれも同じ。
われわれの表面もつるっとして包装されて皆同じ。
立ち上って叫ぼう、もうたくさんだと。CEOの奴らがブランディングと叫びぶものは洗脳に過ぎない。
今こそ、こんなトレンドを逆流させるべきだ。

11/29/2007

武道的身体のつくり方









武道的身体のつくり方/木村文哉

胴体力の項から
背中の柔らかさが大切。歳を取って背中が硬くなって板のようになると、関節や肩を痛めてしまう。魚はみんな背骨でしょ。坂東玉三郎

武道の極意は力を抜くこと。

人間は前面の感覚が強いから、どうしても胸の方に意識が行きがち。そうではなく、背中から伸びるように意識してください。


腹に空間ができたような感じる姿勢。

伊藤昇先生の立ち方の条件
①足の裏の真上に骨盤が位置していること。
②腿、膝、ふくらはぎに力が入っていないこと。
③骨盤の真上に肋骨が位置していること。
④股関節で地面を捉えていること。

柳川先生の項
空手における正しい立ち方
①下腹に力を少し込めてやや腹をへこませる。
②腰の「くの字に曲がる部分」をすこしずつ下腹のほうに向かって押し込めていく。
③ある位置に腰が決まったときに、違和感のない一点が感受できる。それが腰と腹のバランスがぴったりと一致した状態である。
 肥田春充が「腰腹同量の力」と表現している状態と同じであり、これが空手技の発現に不可欠な立ち方である。

11/28/2007

超意識あなたの願いを叶える力・坂本政道







超意識あなたの願いを叶える力・坂本政道

欲の心が強すぎると、功をあせり、着実に努力することをないがしろにします。ここを少しかじり、うまくいかないと今度は別のところをかじり、どんどんかじる場所が変わって、一年経って振り返ったときに、何も前進していないという状態です。
私たちは欲の心で仕事をしているのに変わりないのですが、それを全面に出すか、出さないかで結果に大きな違いが出てくるようです。

ガイドとの交信
1)私は誰ですか?
2)この人生を始める前に私は何処の誰でしたか?
3)この人生の目的は何ですか?
4)その目的を達成するには何をすべきですか?
5)この時点で私が受け入れることができ、理解することができるもっとも重要なメッセージは何ですか?

非合理的、非論理的、直感的、経験的という日本人本来のものの見方、言ってみれば、右脳的なものの見方です。これは、自然に逆らわず、自然とともに生きるという発想をもたらしました。自然にそう「なる」文化とでも呼べるでしょうか。

私たちの持つ願望は、ほとんどの場合、実現するのに私たち自身の努力が必要です。こういう願望を実現する秘訣は、無欲、無心になって、努力することです。そうすれば、超意識はあらゆる手段で私たちを支援してくれます。
さらに言えば、無欲、無心で、なおかつ、宇宙と一体になり、実現したい対象と一体になることで、その願望が実現されるのです。

11/27/2007

高田式日経225先物システムトレード必勝法







高田式日経225先物システムトレード必勝法/高田智也

日経225先物は、あくまでも「プロ向き」の市場です。これまで片手間で株をやっていた人が同じような気持ちで参加してよい場所ではありません。しかし、ここで成功するということは、「トレード」を自分の職業にすることが出来る、ということでもあります。
先物で成功している人は、ほとんどが先物でトレードすることだけを職業とし、片手間で勝っている人は見かけません。
「頼れるのはすべて自分」ということを肝に銘じて、この世界を目指してください。

レバレッジが大きいということは、短期間で大きく利益を上げるチャンスがある半面、短期間で大きく損をする可能性もあるということをよく理解しておいてください。

株価指数であれば、構成銘柄全体の株価からその数値が算出されることになるので、個々の会社の事情から受ける影響というのは小さくなります。ただし、日経225株価指数の構成銘柄については、適宜、見直しが行われ、その結果入れ替えがなされることがあります。過去に、この入れ替えのタイミングで相場が急落してしまぅったケースがあるので、そのあたりについては注意が必要でしょう。

日経225先物取引は、3月6月9月12月の第2金曜日(休業日にあたるときは順次繰り上げ)の前日(休業日にあたるときは順次繰り上げ)を取引最終日として取引が行われます。

専用口座を開設したら、必要証拠金を入金して、すぐに取引をすることが可能です。注文をする際には、下記の事項をそれぞれ決定する必要があります。
1、限月
2、執行条件(指値か成行きか)
3、単価(指値の場合)
4、買いか売りか
5、数量(何枚取引するか)
たとえば、「日経225先物 2007年12月限 指値 16550円 買い 1枚」というようにです。

短期売買であること
とくに先物取引においては、売買のタイミングが損益に重要な影響を与えるため、投資のスタンスは一般的には短期投資に絞られます。
トレンドフォロー系
トレンドフォロー系は、トレンド(値動きの方向性)を見つけることに適してます。一方的な方向性を持った相場になった場合に、トレンドフォロー系は有効に作用します。
ただし、短期間における値動きについては、反応が遅れるという弱点があり、また短期的な値振れに対しても売買のサインが出ることがあり、いわゆるダマシ(偽のサイン)が多く見られる傾向があります。

オシレータ系はボラティリティや相場の強弱を捉えるのに向いてます。
先物取引においてはトレンドフォロー系の指標が好まれます。

単純移動平均の特徴
移動平均のようなとエンドフォロー系のテクニカル指標は、株価の動きに対してやや遅れて反応する性質があります。

実際の株価と移動平均線の位置関係
株価の終値が移動平均線を下から上に突き抜けたとき、買いのポイントとして判断します。逆に、株価の終値が移動平均線を上から下に突き抜けたとき、売りのポイントとして判断します。

一目均衡表
株価が雲の上にあるとき、相場は強気であると判断します。また、株価が雲の下にあるとき、相場は弱気であると判断します。
しかしながら、本格的な上昇相場であると判断するときは先行スパン1が雲の上の線を形成し、かつ株価が雲の上にあるときです。逆に本格的な下落相場であると判断するときは先行スパン2が雲の上の線を形成し、かつ株価が雲の下にあるときです。

パラボリック
買いサイン:下降中のSARが市場価格のローソク足(ヒゲも含めて)とクロスしたとき
売りサイン:上昇中のSARが市場価格のローソク足(ヒゲも含めて)とクロスしたとき
相場の保ち合いが続く場面ではダマシが多くなるため、短期的な売買には不向きです。状況に応じて、オシレータ系のテクニカル指標もあわせて活用することが望ましいでしょう。

モメンタム
買いサイン:モメンタムの数値がプラスになったとき
売りサイン:モメンタムの数値がマイナスになったとき
モメンタムの数値の上限と下限の範囲を測定し、上限に来たら「売り」、下限に来たら「買い」

MACD
MACDがシグナルを下から上に抜けたときが「買い」、上から下に抜けたときが「売り」
ゼロの水準を下から上に抜けたときを「買い」、上から下に抜けたときが「売り」
MACDはオシレータ系とトレンド・フォロー系のどちらの性質も兼ね備えているので、通常の移動平均などと比べても、早い段階で転換を示唆してくれる非常に使いやすい指標です。
転換を示唆するポイントもある程度早く、トレンドも捉えてくれるので、とくに長い期間で見たときにMACDのよさを最大限引き出せるのではないでしょうか。
MACDは大きな値動きのときに力を発揮します。その逆が弱点になります。

ストキャスティックス
20%~30%以下を安値圏、70%~80%以上を高値圏と見て、そのゾーンに入ったところを売買ポイントにする。
安値圏、高値圏で2本のラインがクロスしたところを売買ポイントとする、もしくは一度目安となる水準に達した後に反転し、その水準を抜けたときをサインと見るようにするなど、使い方を工夫する必要があります。

RSI
買いサイン:20%~30%の水準に達したとき
売りサイン:70%~80%の水準に達したとき

RCI
1、売られすぎ、買われすぎの水準で見る場合
買いサイン:-70%~-80%以下の時に「買い」
売りサイン:70%~80%以上の時に「売り」
2、RCIの水準の頂点で見る場合
買いサイン:-70%~-80%以下で上がり始めた時に「買い」
売りサイン:70%~80%以上で下がり始めた時に「売り」

RSIなどは株価の値動きに素早く反応し、数値の変動値が激しく大きなものですが、RCIは他のオシレータ系のテクニカル指標に比べて、滑らかな動き方をします。
そのため、計算期間を長くし、RCIの反応を滑らかにすることによって、トレンド系のテクニカル指標のように使うことも可能です。

検証について
仮定した取引ルールに基づいて実際の市場で取引した場合に、過去にどれくらいの成績が出ているか確認する作業。
この作業により、仮定したルールの優位性を確認するのです。
それだけでも十分重要な意味を持つと考えられますが、そのほかにも検証という作業を行うなかで、相場の動きのパターンを見つけることができます。
また、この作業は、自己規律(相場参加時、不参加時、双方の場面において)、自身の環境にあったシステムトレードの構築などにつながります。

実際の検証手順
1、取引ルールの仮定
・デイトレードかスイングトレードか
・テクニカル指標の使用方法
・使用するローソク足の選択
・パラメータの設定
・使用するテクニカル指標の選択

2、過去データを使用して検証
・上記1で仮定したルールの成績を過去データを使用して検証。
・手順としては、最初にチャート上で大きな値動きとテクニカルの対応度の把握を行い、その後、実際の数値を拾うという作業に入ります。

3、検証結果(成績)の検討
・一定期間における利益額(利益率)
・最大損失額
・取引回数(トレード回数)など

4、実際の運用
1~3までの作業を慎重に行った後、実際の使用においても十分に利益を上げられる可能性が高いと判断できる場合には、そのシステムを使用して市場に参加します。

5、見直しおよびルールの再検討
見直し:一度作成したルールについて、過去の検証時において出た成績と同等の水準を保つことが出来ているか否かの確認
再検討:一度作成したルール設定、またはそれ以外にもよりよい設定がないかどうか検討

実際の運用
「そのシステムを扱うことのできる者がそれを使用する」ということが求められます。どういうことかというと、売買サインに忠実に従うことが出来ずに、途中でシステムの使用をやめてしまったり、別のシステムに目移りする、といったことをしないようにしていただきたいのです。
定めたルールに忠実に取引を行ってください(システムトレードにおいて、これがある意味最も難しいのかもしれません)。

相場は順張りのほうがよいと私は思います。

なぜ先物を投資の対象とするのか?
・個別株では投資(投機)できない
・投資(投機)に限らず、何かで上達しようとするとき、失敗の理由がはっきりわからないと上手くなりようがありません。個別株の場合、自分のミスで負けたのか、仕方のない負けであったのかさえ区別がつかない

こんな人は投資をしないほうがよい
・私自身、自分でトレードするまでに約2年半の時間をかけて相場を勉強したり、見たりしていました。少しばかりの知恵を入れて、すぐにやったところで、結果を出すどころか、逆に痛い目に逢う事は目に見えていました。
・「早くやりたがる人ほど弱い、そして強くなれない」
・情報過多は「リスク」である
・HV(ヒストリカル・ボラティリティ)は、15%以下ならオプション屋が喜び、それ以上なら先物屋が喜ぶ

一目均衡表の雲のみを使う
「シンプルでないと相場に勝てない」
一目均衡表のなかにあって雲のみを見るかというと、前述したとおり、「ややこしいから」にほかなりません。

半日足を使ったルール作り
買い:ローソク足の終値が雲より上になった状態で、パラボリックが買いになっているときのみエントリーします。
ローソク足が雲の上にある場合でも、パラボリックのサインが売りになっているときにはポジションを持ちません。(ポジションがあればクローズ)

売り:ローソク足の終値が雲より下になった状態で、パラボリックが売りになっているときのみエントリーします。
ローソク足が雲の下にある場合でも、パラボリックのサインが買いになっているときにはポジションを持ちません。(ポジションがあればクローズ)

順張りにポジションを取ると、そのリスクは小さい。逆張りに取るとそのリスクは大きい

11/25/2007

茂木健一郎ほかなんか色々










茂木健一郎
チャンドラーの世界はキャラクターで動いている世界。
つまり強いスペックというのが男性原理で、かわいいパッケージに包んでいるというのが女性原理だと。それがうまく合わさったので、ああいうヒット商品になっているんですね。(iMACについて)



渡部昇一
スキートの勉強法
1、余暇をふんだんにもっており、そのほとんどを仕事に捧げたこと。
2、毎日、同じテーマについて着実に仕事をし、一年中、それを毎日繰り返すこと。
3、自分の仕事が人知の増進になんらかの貢献をすることになり、という希望を不断に持ち続けたことにある。

リーダーは強ければ強いほどいいんです。だけどあまり長くやったり、暴走したりした時には、我慢しませんよといった制度が必要です。

機械的に記憶がよいだけでは、知的風景の中に濃淡やアクセントが出てこない。それ故に、文学や芸術が生じてこない。
記憶が悪いと、本人の関心の強かったものしか頭の中に残らない。つまり記憶の残り方が、個性的になるのだ。これが文学や芸術のもとである。
機械的記憶力が絶大な力を振るいはじめる。そしてそのような記憶力は、文学や芸術の創造原理を遺すものになり易いからである。

高杉晋作
昔、高杉晋作は「面白きこともなき世を面白く、棲みなすすべは心なりけり」と辞世に詠いました。お金や財産は奪い取られることがあります。頼りになるのは自分の健康だけです。心を明るく持ち、寿命の尽きる日まで元気で楽しく過ごしましょう。

ノリタケ、森村市右衛門

これはまさに近江商人の「三方よし」すなわち「売り手よし、買い手よし、世間よし」(商取引は売る方にも、買う方にも、そして社会全体にも利益になるものでなくてはならない)の考え方を地で行く経営である。

小林茂明ロフト

私の人生は音楽に助けられていたと感じる。疲れた時も絶望の時も、音楽が次の一歩を踏み出す勇気を与えてくれた。

世界は画一化しつつあるので、昔ほど面白くないが、外に出ることで得られるモノは大きい。

宮崎学









宮崎学

(万年東一)もう他人は信頼しない、という決意か。そうではない。もう金儲けはやめた、という決意である。そもそも銭を貯め込もうというケチな了見が間違っていたんだ。今後、いっさい金銭にはこだわるまい。そのとき、そのときの必要が満たされれば、それでいいんだ。


「おめえねぇ、着ていかれた者より、着てった者のほうがもっとつらいよ。他人の一張羅を着てトンズラしなくちゃならない者の身になってみな。どれだけ切ないか・・・。」

「ミヤよお、俺たちゃあ、子供のことでえらそうなことはいえねぇよな」



反無法者の生き方とは、

ただ営々と市民生活のルーティンに埋もれて生きる。

ヒトよりモノに関心がある。人間関係をあまり大事にしない。

冒険や荒っぽいことが苦手で、常にそこから逃げる。

目的や意味ばかり問い、それがはっきりしないと動かない。

私生活と公生活を使い分ける。公で都合の悪いことは私に逃げ、私で都合の悪いことは公に逃げる。

定期的な収入を失うことを恐れ、その奴隷になることをいとわない。

最悪の事態を考えまいとし、平穏な秩序がいつまでも続くことを請い願う。

善悪の判断にぐずぐずし、きっぱりとした態度がとれない。



名誉やカネを得ようとすると、欲しかったものが得られなくなるからにほかない。

そんなものを得てしまうと、かえって重荷をしょいこんだことになり、万年がいま満喫している、この自由な行動、平等で闊達な人との関係が失われてしまうことを恐れたのである。



現実をよく知らず、責任感と親心だけから一流大学を目指す母親達に、父親は確率のかなり低いことを知らせ、安心させるべきだと思う。幼年期と青春期を、自然な姿で送ることが、深い情緒を育み、総合的判断力を培い、人間的スケールを大きく育てると言う点で、決定的に重要であり、ひいては出世や幸福にもつながると説くべきと思う。

司馬遼太郎/開口健










司馬遼太郎のコメントから、




商人というものは、借りたカネを返す仕事なんだ。

侍たるものが、いやしくも下屋敷という名目で土地を所有してはいけないという意識があった。

明治四年に日本は金納性になります。税金をカネで納めることになる。農民たちは困りました。二宮尊徳的な自給自足の精神をもっていましたから、商品経済を排除してきた。現金はなるべく持たないようにしていたからで、そのため村の醤油屋や造り酒屋のところに、小作にしてくださいと頼みにいった。その後に日本の酒造業者の中から政治家を多く輩出したのは、このとき大地主になったからです。そしてそのとき、農民たいてゃ酒一升を持って頼みにいったという話が全国のどこに行っても残っている。造り酒屋たちが喜んで地主になったわけではなく、逃げ回ったからです。それはどこか心のなかに、土地をそんなに持ったり、小作を持ったりするのはよくないことだという気持ちがあったからだと思うのです。




開口健

狂気の文明からの偉大な逃走

彼はいかにもその道の魔にふさわしく、私生活は徹底的にスパルターンである。タバコを吸わず、酒を飲まず、美食せず、大食もしない。筋と骨だけのような体つきをしている。鋭いユーモアの精神を持っているが、口数は少なく、それでいてそばにいてまったく気にしないでいられる。

11/24/2007

橋本治







橋本治
古典芸能の世界で、「自分が出る」というのは、とても恥ずかしいことである。芸というのは、「自分」を消してからでなければ生まれない。「じぶん」が残っていればシロートで、シロートというものは、「自分を消す」という表現の基本をまだマスター出来ていない存在なのである。

キイワード式のダイジェスト型マスターは、「万巻の書を読まなければならない教養主義に対するアンチだ」と、誤解されている。教養というものは、別に万巻の書を読まなければ身につかないものではない。必要なのは、所詮「何冊かの本」だ。何冊かの本の一冊一冊を納得のいくまで読み込まなければ、「教養」を「教養」たしめる構造を理解出来ない。その根本がなかったら、本を何万冊読んでも同じだ。「万巻の書」という発想は、実は「教養」の発想ではない。これは、範囲を決める「一般教養」の発想である。「本を読むのはしんどいな」と思う人間には、その「範囲」が「万巻の書」のような膨大かつ巨大なものに見えるだけである。そして、「範囲」が決まっているからこそ、その「万巻の書」は、「これだけ読んどけば大丈夫」という形で、凝縮されてしまうのである。

たまに街へ出て、自分がよく知っていたはずの街がとんでもない変貌を遂げていることを知ったりして思うのは、ただ「ここはもう自分の知る街ではないな」だけである。「自分にとってはもう必要ではない」とう意識があるから、そんなことしか考えない。「この街をどうするかは、この街を必要とする人の考えることで、この街への批評は、この街を必要とする人の責任だな」としか思えない。