10/12/2007

持たない!生き方 米山公啓


【「持たない!」生き方 米山公啓】


今思うと、捨て去ることの重要さを痛感する。次の生き方を求めるなら、今を捨てなければ、決して次のステップには進めないのだ。
捨て去ることで、喪失感はなくなる。守っていこうとするから、喪失感が起こるのであって、求めていくなら、そんなことはまったく問題はない。
肩書きも持たず、ものも所有しない潔さこそ、新しい人生の生き方である。それができなければ、新しいスタートには立てない。


過去を語らないことこそ、若さの証明であり、まだまだ前向きに生きるという姿勢の現れである。定年になってから、会社では有能だったとか、肩書きがどうだったとか語るのはやめるべきだ。
過去を語れば語るほど、現在の存在ではなくなってしまうからだ。未来を語れることが、若さなのだ。


病気はあくまでも個人の問題として割り切って、もっと前向きな楽しい話題にすべきである。「あいつはいつも自分の病気のことばかりだ」と陰でささやかれているかもしれない。
同情はされても、それだけのことで、自分の健康がそれで取り戻せるわけではない。だったら、病気のことを頭から排除しようと考えるべきだ。


人に教えるということは、自分も非常に勉強になる。素朴な質問に答えられなくなって、いろいろ調べなければいけない場面も出てくる。冷や汗もかくが、それが自分にとっても大きなメリットになるはずだ。
しかも、人に教えることは、自分の表現能力をアップすることにもなる。それが脳を若くする秘訣になる。人に教えられる何かを持っているということは、歳をとってもずっと大きい財産になるだろう。
教えることで社会とのつながりも維持できるのだ。


あえて自分を人前にさらすことが、評価を受けることにもなり、それが尊敬やいい評判となれば、脳が満足という快感を知って、また次の行動を起こそうとするようになる。
芸術家や芸能人が若いのは、常に人から見られているという緊張感を持っているからだ。
緊張感はストレスにもなれば、励みにもなる。年齢とともに人前に出るチャンスが失われることになりやはり、年老いていく原因でもあろう。


同窓会というのは、タイムカプセルを開けるようなもので、友人たちにあう時は、現在の肩書きなど関係なく、昔に戻ることができる。
いわゆる記憶の虫干しとして、過去の記憶を鮮明にさせることも、友人たちと語っていれば、可能である。忘れていたいろいろなエピソードを思い出すことができる。




【日本国破産のシナリオ ラビ・バトラ】

『人はいつでも利己的であると考えるのは正しくない。お金が絡んで来ると、人間は利己的になるのだ。



『健康に気をつけてほしい。特に精神的な健全性を維持することが重要だ。残念ながらこういった時期には、絶望的になって自殺する方が増える。やはりこの時期を戦い抜く精神力が必要なのだ。

10/11/2007

禅的生活のすすめ・ティク・ナット・ハン


「禅的生活のすすめ・ティク・ナット・ハン」 

他人の好ましくない言動を目にすると、私たちはすぐ不快になります。
特に自分の子供に対しては、いっそう敏感になるでしょう。
その時に理解と哀れみが充分でないと、私たちはつい相手の言動に刺激され、自分の中の苛立ちの種を発芽させてしまいます。
その結果、身体的な暴力や精神的な暴力を振るいかねません。
誰かに腹を立てているとき、人はその誰かを教え論せる状態ではありません。
そういうとき、どんな言動も慎むべきです。


どうか、自分が今苦しんでいるからといって、他人にひどい言葉を吐いたり、仕返ししたり、罰したり出来ると思わないで下さい。
そういうときも、自分の中の苦しみを受け入れる事によって、あなたは人を助ける事が出来るのです。
そういうときには自分の仏性を思い出すための瞑想を行ってください。
息を吸って、自分の未来の目覚めの力、穏やかさと哀れみをもてる能力を、もう一度深く信頼してください。


平和活動に従事する人は、強く、しっかりしていなければならないと同時に、心底から安らかでなくてはなりません。
平和活動には内面の安定が不可欠です。
自分自身に気付けなければ、人を助けることなど出来ません。
自分自身の悲しみや絶望、又は自分自身の内面の葛藤から逃れる為に、人を助けようとしてはなりません。
自分の内面が本当に穏やかで安定していない限り、いくら努力しても人の助けにはならないでしょう。私たちは先ず自分に対して気づきを実践し、自分に対して哀れみを深めなければなりません。そうすれば自分の中に平和と調和が生まれ、社会の変革にも役立てるようになります。

簡素な暮らしの実践には多くの利点があります。
必死に物を所有しようとしなくなれば、もう多くのお金は必要ありません。
したがって、それほど働かなくてもすむようになります。
そうなれば、有意義なことや楽しいことに多くの時間を費やせます。

これを見事に表した孔子の言葉があります。
「何処で充分となるかを知っていれば、おのずと充分となる。しかし充分になるまで待っていれば、決して充分にならない。」


「陛下、僧はほとんど自分のものを持ちません。ですから所有物を失ったり盗まれたりすることに対する恐怖がいっさいありません。森の中に独りでいても、木下でくつろぎながら安心して眠れます。恐怖から開放されているということは大きな幸せです。僧は富や名声を追い求めません。必要なものしか使わず、欲望とは無縁のままです。こうした何の心配もない安らかな状態で暮らせることは大きな幸せです。それが精神修養のもう一つの成果です。それはこの場でこの瞬間にも味わえます。」


私たちの社会は、名声や富や物質や快楽主義への願望に支配されてきました。
その結果、多くの人が精神的伝統や家族を切り捨ててしまいました。
権力やセックスや財産を追い求めることにしか喜びが見出せないと信じていたら、健全な家族などもてるわけがなく、意思の疎通も望めません。
幸せはモノを消費することからは生まれません。

10/10/2007

『虚構と瞑想からの超発想』山田久延彦


『虚構と瞑想からの超発想』山田久延彦


行きづまりに対する真の解決は、新たな発展のSeedsを見つけ出すことによって得られる、ということである。
これまでに考えられなかった新しい理想を作り出し、これまでに知り得なかった新たな可能性の世界を捜し出し、これまでに存在しなかった魅惑的な目標を掲げることである。
新たなものをつくりだすことは、このような理由によってそれ自体、社会正義なのである。

人はしばしば一芸に秀でること、すなわち専門領域を深く掘り下げることが善であると考えがちである。
ところが、このような人たちからは新しいものは生まれない。
深く深く掘り下げているつもりが決して深くなく、細かくいじくりまわしているだけなのである。
にも関わらず、この種の人びとは、自分たちが最先端を行なっているとごかいしている。そして革新的な発想を、狭い視野の中からことごとく否定する。

専門馬鹿という現象は、単なる能力の欠如以外の何者でもないといういべきだろう。“広い視界”が深い理解に必要不可欠である。

「疑問をもつことが重要だ。ただし度を越さないこと」。これが科学的な態度なのだそうだ。だが、敢えていおう。「限度をわきまえるな」と。

現状のもっとも根本を逆転させよ。論理だけではない。感情や道義などからの違和感さえ克服しての逆転だ。否定や抵抗は評価のしるしと考えよ。

「不条理な抵抗や否定にあうような発想の中から、真に価値ある発想を捜し求めよ。みんなが良いということは、どうでもよいことである」

「閉塞状況下、すなわち行きづまり状態においては、従来の前提のもっとも基本的なところを否定せよ。部分的修正は状況をさらに悪化させる」

「たとえ空想でも、思考としてこの世に存在し得るものは、実現可能なことである」―は、別な表現をすれば、「人間の乏しい想像力で考えられることは、せいぜい実現可能なものだけである」ということであった。

ハイポロジストは誤解される。孤独だ。みじめな存在でさえある。
それを承知でハイポロジストになりたい人のために、十の条件を記そう。



●ハイポロジストのための十カ条

1 空想であれ願望であれ、考えとして存在するものは、すべて実現可能なことである。 〔ハイポロジクスの原理〕
2 新たなものをつくり出すことは、それ自体、社会正義である。これを否定する者は、 正義の名のもとに排除されなければならない。〔変革(Break Through)の原則〕
3 単一専門領域をいくら深く掘り下げても、新しいものは生まれない。広い視界が、深い理解と 新しい発想には不可欠である。〔超視界(Hyper Vision)の原則〕
4 社会の不条理な抵抗や否定にあうような発想の中から、真に価値ある発想を探し求めよ。みんなが良いということは、どうでもよいことである。〔反撃(Counterattack)の原則〕
5 行きづまり状況下には、従来の論理のもっとも基本的なところを否定せよ。修正主義は状況をさらに悪化させる。
6 発想は長い間寝かせよ。短期間で成果を得ようと思うな。本を読む前、データをとる前に思考せよ。
7 パイオニアは、その良き理解者とペアで一人前である。
8 高次元の問題を扱うときほど、人間は低次元の感情にかかずらう可能性が大きいと心得よ。
9 実力以上に自分の可能性を信じ、能力以上の問題に挑戦せよ。大風呂敷を広げよ。
10 技術者にとって技術的主張は、個人の思想、信条であり、基本的人権と不可分のものである。誰からも拘束される必要はない。

創造力というのは、能力というよりも執念といった方が適切である。この執念において、日本人は、本質的に決して諸外国の人びとに劣るものではない。ただ現在のところ、理解力型秀才が社会の重要なポジションを占めているため、どちらかというと日本は、基本的な問題において欧米より創造力に乏しいような印象を与えているにすぎないのである。
しかし、創造力型天才がそのポジションに入れかわった場合、日本の創造力たるや、世界のどの国の追随をも許さないほどのものになるはずである。日本の創造性が乏しいといわれる所以は、国民性にあるのではなく、社会体制の中にあると私は考えている。

10/09/2007

幸運と不運の法則 小野十傳


幸運と不運の法則 小野十傳


①ちょっとした仕事で早い時期に頭角を現す
②その分野での仕事に疲労を覚えない
③一つの仕事が終わってもパワーが残っている気がする
以上の条件に合致する仕事こそ、適職です。
もしも、好みだけでその道を歩いていると感じたならば、すぐに方向転換を図る行動に出ることが大切です。


アイデアが浮かばず苦しんでいるとき、私はいままで読んだことのない分野の本を無作為に開いて、そのページを隅から隅まで読むようにしています。すると、大げさではなく100パーセントの確率で、すばらしいアイデアの卵を発見します。
脇道に逸れますが(脇道こそ大切です)、努力しても成績が伸びない学生がいます。その学生は、教科書の欄外を無視して勉強していることがほとんどです。欄外のどうでもいいようなことを覚えておくと、次の試験では確実に成績が10点以上は上がるものです。


いくつかの名刺をつくり、それぞれの場所で使い分けることは、幸運を呼び込むコツを会得するための方法になります。


不運になると、とたんに家相や方位に神経質になるものです。しかし動いてはいけません。自分の居場所をキープすることが大切です。


時代の流れなど無視するという意識をもちましょう。時代にペースを合わせようとせず、自分のペースに生き方や考え方を戻すのです。古臭くていいのです。方言が出ていいのです。
不運時はパワーは自分のパワーが欠けていますから、いちばんラクな生活にペースを戻すことです。それが「五行哲理」に則った生き方です。


まだ可能性があると思うのは錯覚です。もしもほんとうの可能性があるならば、それを幸運のときに実行していたはずではないですか。
不運のときにすばらしいと思うヒラメキは、幸運時には見向きもしなかったカスのアイデアです。
三ヵ月間、とにかく人脈を断ち切りましょう。そして、お金儲けとは縁もゆかりにもなりそうもない趣味をつくって、それに没頭するのが正解なのです。


不運だと感じたならば、最初にすることは、それまで使っていた靴を捨てて新しい靴を購入することです。靴は運気とリンクしている
場合があるからです。不運の兆しは、最初に足から発生することに気づいている人は少ないでしょう。
足の骨折や捻挫は、運命学から見れば許されざること。運を獲得するには足が必要不可欠だからです。
つまり行動力、フットワークが幸運をつかむためには必要なのです。


①体調はいいか?
②いままでの人間関係に変化はないか?
③贅沢をしていることを公表していないか?
④相手をほんとうに楽しませているか?
⑤親族に病気持ちがいて、その面倒を真剣にみていないか?
⑥異性からモテすぎてはいないか?
⑦眉の手入れをしていないか?


自分の運命における五行の偏りを知れば、もはや恐れることはありません。「子孫」に偏っているのであれば、「父母」で(-)にするか、「妻財」を活性化させてパワーを漏らせばいいのです。「官鬼」に偏っていれば、「子孫」に該当することで自分の「官鬼」傾向を(-)し、あるいは、「父母」にあたることを実践して「官鬼」の過剰なパワーを散らせばいいのです。


現実の世界では、見切りをつけることが大切なのです。あきらめられずに、幸運をつかめるはずの人生を無為に送り、ついには犯罪者となったり、アヤシイ宗教の狂言者となるケースがあとを絶ちません。犯罪者や狂言者は、上手に見切りをつけられなかった人のなれの果ての姿と断言してもいいでしょう。
人生には可能性がたくさんあるのです。一つの可能性が失敗したからといって、それに縛られることはきわめて危険です。

10/08/2007

不運のすすめ 米長邦雄


不運のすすめ 米長邦雄


・落ち目になった時に人間の真価が問われる


思えば昭和三十年代前半の日本は、人と人との距離が今よりずっと近かった。そして誰もが率直で、がむしゃらだった。
先生が怒って生徒を殴ったり、廊下に立たせることなどは日常茶飯事だったが、そこには絆というものがあった。
だから、生徒も当たり前のことのように思っていたのである。
 今はそれがなく、人間同士の距離や間合いが離れすぎているような気がする。「カミさんとの距離がだいぶ遠くなった」と
言う人は多いであろう。昔は息づかいが聞こえるくらいに親近感があったように思う。
 酒、ケンカ、バカ騒ぎの類も少なくなった。子供の世界も、上品でよそよそしいお坊ちゃまとお嬢様だけになり、「ガキ」という
ものがいなくなったのは残念なことである。


人生で最も大切なことは、じっと耐えるか、それとも反論したり動きまわったりした方が良いかを的確に判断できるかどうかにある。
その判断に基づいて実行できるかどうかが次に大切である。動いた方が勝ちなら動く、静の方が後になって勝てるのなら動かない。
動か静か。この見極めこそが人生の岐れ目になる。


問題なのは、何をもって勝者、敗者とするのか、ということである。今、巷にあふれている「勝ち・負け」のスケールは、自分ではなく
他人が決めたものである。受動的な基準にばかり反応し、自らの価値観に基づいた能動的な幸福が軽視されている。
自分自身で幸福かどうかの判断ができないのは、当人にとって実に不幸なことであり、社会としても憂うべき問題だと私は思っている。


大切なのは頂点に立つことではなく、頂点へと続くはずの「道」を倦まず弛まず歩むことである。それを忘れた時、人は自ら「福」や「運」から遠ざかっていくのだ。


思えばこれまでの人生に、「不運だ」と思うことは山ほどあった。ほぼ手中にしていたタイトルを落としたとか、失言から喧嘩になったとか、株で損をしたとか、失敗も数々ある。
しかし、失敗をしても、「このあと、どうするか」を、いつも考えてきたつもりである。それは、いつも人生の節目となり、新たな幸運を私にもたらしてくれた。
「不運とは、実は幸福の根源なのです。考え一つで幸運に変えることができるのです」

10/06/2007

ロン先生


Ron Clarkというアメリカの小学校の先生より。


子どもを導く大人にとって大切な資質とは、
①熱意 
②冒険 
③創意 
④反省
⑤バランス 
⑥思いやり 
⑦自信
⑧ユーモア 
⑨常識 
⑩感謝 
⑪回復力

だって。
上記の言葉から想像して、自分の子供と接するように。良い子に育つぞ!!!??

裏・お金の現実 岡本吏郎


裏・お金の現実 岡本吏郎


本格的な「表現の時代」が近い。
道具もいろいろ出てきた。
ブログなどのツールもその一つだろう。
しかし、当面は個性的な没個性が大手を振りそうだ。
本質的には手段が増えただけで何も変わらない。
むしろ、安易なものが大量に生産される分、質は落ちているように見える。


ビジネスは、選択肢の多い者ほど有利だ。
ビジネスとは、活動を通じて選択肢を増やすことだ。
選択肢を増やすと口で言うのは簡単だが、選択肢を増やすには用意周到さが必要だ。
それがスタート段階から限られてしまうのは怖いことだ。


多くの人は選択を我慢すると、何でも手に入る世界が待っていることに気づかない。
そして、まだ手を出す段階にはないのに選択をしてしまう。リスクとはどんなときでも選択することで生じる。
したがって、選択が必要なくなればリスクは減る。
総取りできるのだから当然だ。株だって一銘柄を買うよりも、複数銘柄を買う方がリスクは減る。
いかに、選択の世界から脱出するか。
これが人生という旅の目的の一つだ。


しかし、人間世界でリスクがゼロになることはない。
次の次元のリスクが生じる。したがって、選択からもリスクからも人間は逃げられない。


「なんだ、それじゃ同じじゃないか!」と思うかもしれないが、そんなことはない。
今までいた次元のリスクは間違いなく減る。
また、今まで我慢してきたことを我慢しないで済むのは痛快だ。
選択できるのに選択しないで留保しておくことも痛快だ。


是川銀蔵さんの特徴のもう一つは事実を徹底的に見通すことでした。
どんな成功者にも共通することですが、事実の分析力は最も大事なスキルです。

しかし、これができないのが世の中。ほとんどの人は自分の都合の良いように現実を解釈します。


「ニューエイジ的」は、ポジティブな感覚、自己重要感がわいてきます。
そういう点で非常に良いものだと思います。
ただ、元々がカウンター・カルチャーから派生したものなので、理想主義過ぎる傾向があります。
この「理想主義過ぎる」ところが「ニューエイジ的」なものが受ける理由ですから仕方がないことですが、そこに麻薬性があるのは少し問題だとは思っています。
なお、老荘思想が不況になると流行るように、ニューエイジも不況になると流行ります。
「あるがまま なるがまま」の思想はそういうものです。
そして、デフレ日本でも老荘思想もニューエイジも流行っているわけです。
いくら「あるがまま」が重要でも何もやらなければ何も変わらないのですが、不況期はそういうものととらえるのが良いようです。


「時代は変化する」というよりも「時代には断層がある」
これが答えだと思います。
最初は、気にならない程度の動き。
無視をしていても問題がない動き。
そういう動きを気にせずに、私たちは同じ戦略を続けてしまいます。
ところが、その動きがある時をきっかけに大きくなり、取り返しがつかなくなることがあるのです。


働き過ぎてもそうです。
やり過ぎれば病気をします。
病気をしたら、一巻の終わりです。
その後の労働の質は確実に落ちます。
当然収入も減るでしょう。
ですから、私たちはお金を貯め過ぎてもツケを払わされるのではないでしょうか。
しかし、くどいですが、私たちは人間ですから、それを辞めることはできません。
「貯め過ぎてはいけません」「働き過ぎてはいけません」などという警告には意味がないのです。

仮に、ショッキングなことが起こらないようにするには、常に循環をさせていれば良いことになるとしても、私たち人間はその矛盾に向かっていくしかないのです。
私たちは経験をしなくては何もわかりません。
多くの経験を通じて知恵を蓄え、世の中の変化に対応していくしかないのです。
ですから、やれることは何でもやってみる。
最後は、これしかありません。

tokyo-chicago

10・5より15までシカゴ、デトロイトをうろうろ。
モーテルに泊まって、仕事する。

10/04/2007

お金の現実


「お金の現実 岡本吏郎」

人の価値観とは面白いものだ。なぜか、みんなが似たような価値観を持つ。
そこで、みんなと少し違う価値観を持ってみると、資本主義の世界は非常に生きやすいものになる。
一見、人がやらないことには勇気がいるけれど、人が興味を持たないものには、おいしいものが多いのが資本主義の世界だ。

資本主義の基本は、自分の得意なことで稼ぐ。そして、その稼いだお金で他人に得意なことをしてもらうことだ。

それ以上にステレオタイプの幸せだけは押しつけて欲しくなかったのだ。

「個人としては結構まともで気のきいた人であっても、群衆の一員となると、とたんに馬鹿者になってしまう」とフリードリッヒ・シラーは言った。

本多静六は「経済の自立がなければ、精神の自立はありえない」と言った。

ビジネスはロマンだ。芸術だ。こんな楽しいものはない。しかし、ビジネスを始めたからお金持ちになれるわけではない。それどころか、ビジネスが大きくなったからといって自分の収入が増えるわけではない。収入は増えないのにリスクはどんどん増える。事業をしたからといって金持ちになれるわけではないのだ。本当にお金を貯めたいなら、こういったことを冷静に見る必要がある。

本多静六の言葉に戻ろう。
「貧乏を恐れたり、金が欲しい、財産が欲しいと念じているだけではダメだ。自分から積極的に貧乏を征伐する覚悟を持たない限り、何も変わらない」

ジャック・ニクラウス
「私がプロになった理由はただ一つ。本当に好きなことをしなければ、自分が最善のものになれないと思ったからだ。決して金のためじゃない」
そして、
「金銭にこだわりすぎるゴルファーは三年、四年でプレイできなくなるね・・・・・・」
と言う。

ジャック・ニクラウスは、現実を冷徹に見て、変化する努力を続けてきたわけだ。これも長く働くことができるかどうかの重要な要素だろう。
ミュージシャンや芸人なども同じだ。長く売れ続けているミュージシャンや芸人は同じことをやっていない。かなりの変化を続けている。時には、自らの強みを捨てて新しいやり方に向かう人もいる。当然、その変化がすべてうまくいくわけではない。しかし、それでも変化をし続ける。

成功の定義は人それぞれではあるが、その必要条件が「自己コントロール」であることには間違いない。

どんなに勉強したって、人と同じような勉強、人と同じ商売、人と同じ考えで前に進むならそれは群れの一部だ。群れの中には、成功者はいない。お金を持っている人もいない。そこから抜け出す決断をしないかぎり、何も役には立たない。それは言葉を変えれば、自分の頭で考えるということだ。

レーニンは、『群衆心理』の影響から、「大衆の心をとらえ、大衆を動かすには思想を単純化し、凝縮しなければならない」と言い放った。

「目的に向かって順序正しく進む」

人のことはよくわかる。でも、自分のことはわからない。人間は、自分のことがわかれば無敵だが、そういう風にはできていない。

ノーベル平和賞受賞者のハーバート・A・サイモンはこんなことを言っている。
「私が行った研究では、誰でも10年がんばらなければ、世界的水準には達することができないという結果が出た。ボビー・フィッシャーはチェスの大達人になるのに10年弱かかった。モーツァルトはもうちょっとかかっている」

10/03/2007

リバタリアン宣言・蔵研也



リバタリアン宣言・蔵研也



 



リバタリアンこそが自己の価値観に従って行動しながらも、その相対性を認めているのです。他人の独立した価値観にも敬意を払いつつ、同時に説得をみるという、真に市民的で健全な精神の持ち主たちだと言えるのです。



 



アイン・ランドの客観主義の主張する「利己主義」とは、日本語で言う自分勝手という意味の利己主義とはだいぶ違います。もちろん金銭的な利己性の問題ではありません。それはつまり「人間は一人一人が自分自身の価値観と、それを達成するという目的を持ち、その実現のためにのみ生きるべきだ」という意味での利己主義だといってもいいでしょう。



 



他人から独立した確固なる価値観の構築というのは、日本人にとってはまさに鬼門だと思います。科学からスポーツまで、私たち日本人は他人の価値観を気にしすぎなのです。そこからは横並びの文化は生まれ、それはそれで評価するべきことかもしれません。しかし、他人の批判にもかかわらず追求する自主独立の精神こそが、新たなる地平を作り出し、基準を設定してゆくのです。



人が素晴らしい価値だと思うものがあるなら、それがなんであれ、自分のもっている私有財産を投じてそれを支援すべきです。「自分の価値を社会に押し付けるために、誰か他人のポケットからお金を取り出そうなどとゆめゆめ思うことなかれ」というのが健全は道徳というもではないでしょうか。



「権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対的に腐敗する。」



MITのコンピューター・サインティストのリチャード・ストールマンは「知の共産主義者」とでもいうべきカリスマです。彼は、あらゆる人類の知的資産は非排他的なものであり、前人の知的遺産の上に構築されている以上、すべてが共有されるべきだというのです。これは科学的な知識をみれば、想像できるかもしれません。科学上の知識は、まさに人類の共有財産であり、その成果は発見者の名誉と共にすべての人類に開かれているというのです。





 

10/02/2007

車谷長吉


車谷長吉、私小説家。まぁ、変わった人。



それと彼の奥さんの詩人の高橋順子氏の詩を。
蛇足だか、ご両人、確か50歳前後で結婚、お互い初婚だった。かっこいい。



車谷東吉曰く、

「僕は少し貧乏というのが、いまの世における幸福だと思うね。」





貧乏な椅子  高橋順子

貧乏好きの男と結婚してしまった
わたしも貧乏が似合う女なのだろう
働くのをいとう男と女ではないのだが
というよりは それゆえに
「貧乏」のほうもわたしどもを好いたのであろう
借家の家賃は男の負担で
米 肉 菜っ葉 酒その他は女の負担
小遣いはそれぞれ自前である
当初男は毎日柴刈りに行くところがあったので
定収入のある者が定支出を受け持ったのである
そうこうするうちに不景気到来
男の自宅待機が命じられ 賃金が八割カットされた
「便所掃除でもなんでもやりますから
この会社に置いてください」
と頭を下げたそうな
そうゆうところはえらいとおもう
家では電灯の紐もひっぱらぬ男なのである
朝ほの暗い座敷に坐って
しんと煙草を吸っているのである
しかし会社の掃除人の職は奪えなかった
さいわい今年になって自宅待機が解除され
週二日出勤の温情判決が下った
いまは月曜と木曜 男は会社の半地下に与えられた
椅子に坐りにゆくのである
わたしは校正の仕事のめどがつくと
神田神保町の地下の喫茶店に 週に一度
コーヒーを飲みに下りてゆく
「ひまー、ひまー」
と女主人は歌うように嘆くのである
「誰か一人来てから帰る」
わたしは木の椅子にぼんやり坐って
待っている
貧乏退散を待っていないわけではないのだけれど
何かいいことを待っているわけでもない









これ「銭金について」というエッセイから。
いやはや、もはや、というカンジですわ。


どんな人にも、その人に独特の人間毒がある。
それはその人物の味であり、あくであり、いがらっぽさであり、
面白みであり、思い上がりであり、えらさであり、愚かさであり、
哀しさであり、あんぽんたんぶりであり、なつかしさであり、
こだわりであり、奇癖であり、引け目であり、崇高さであり、
どうしようもなさであり、不可能性であり、あわれであり、
こわばりであり、痼りであり、蠍であり、蝮であり、
「虫」であり、「物の怪」であり、掛け替えのなさであり、
骨の髄に刻印されたものであり――。

すでにこういう人間毒を両人はたがいに分泌し合い、
それに辟易し、みずからの毒はさほどではなくとも、
相手の毒にはことにうんざりし、もう充分に中毒し合っていたのだろう。

人はたがいに人間毒を分泌し合うのである。
場合によっては、なすり付け合いをするのである。
それが人と人との確執である。たがいに相手を許せないと思うようになるのである。
仲がよければよいほどに、いつとは知れず、なおのことそうなって行くのである。




「反時代的毒虫/車谷長吉著」より。

1998年から2004年までの間の車谷長吉が行った対談や、妻・高橋順子との句会が掲載されている。

対談相手は、江藤淳、白洲正子、水上勉、中村うさぎ、河野多惠子・奥本大三郎。

以下、私の気に入ったトコロを抜粋。


江藤 戦後は、みんな知らないうちに何らかの思想を信じているわけです。
平和や民主主義を信じなくても、電気冷蔵庫という思想もあり、マイホームという思想もある。
ダニエル・ブーアスティンというアメリカの社会学者  は、「アメリカの哲学は、みんな物だ。
ティッシュペーパー、ヒルトンホテル……。これにかなうものがあるか」と言いましたが、実際、かなうものはなかった。
今でもないんじゃないんですか。


車谷 素人が玄人に勝つという話をぼくはずっと信奉してました。白洲先生も『遊鬼』の中に少女時代に鹿島
清兵衛にお会いになったという話を書きましたね。感動しました。これがプロの芸術家じゃなくてアマチュア
の芸術家の一つの極致で、完全にプロを超えていると白洲先生は御評価されました。


中村 でも、法廷に持ち込めないわけですよ。ヤミ金って。それで、踏み倒すみたいなことをさらっと言うわけで
すよ、若い十九、二十の女の子が。ほんで、エッ、そんなことしてひどい目にあったらどうするんだと言うと、
取立てが来て、てめぇ、風呂に沈めるぞと言われたけど、自分はソープで働いているから、もう風呂に沈
んでますけど何か?と言ってやったとか(笑)。


車谷 酒の味というのは、やっぱり身銭を切って飲む味ですよね。だから、人からただで飲ましてもらう酒の味と
いうのは、本当の酒の味がしないですね。


奥本 若い人は非常に用心深いんですよ。今の生活水準を落としたくないと思ってる。
河野 もっとお金なんて気楽に考えたらどうかと思うくらい、あきれるくらい細かいでしょう。
奥本 都会生活者なんですよね。臆病になってくるし。
車谷 金というのは、根本的に人を脅かすものというか、脅えを誘発するものだと思います。
奥本 金は人を脅かすかもしれないけど、タイプによっては挑発するものでもあるんじゃない。
それこそバルザックなんかは、金の挑発をまともに受けて、破滅型になっちゃった人でしょう。
ヴィクトル・ユゴーは小遣い帳を細かくつけて・・・・・・。谷崎型ですけど。


車谷 逆説的かもしれないけど、志賀さんみたいな人が出てきて、金のことなんか関係ないっていう感じの小説

書いてるわけですよ。

『暗夜行路』なんかに代表されますが。ところが、志賀さんは金に困らない人です。
それが尊敬されたところに、僕は根本的な問題があると思いますね。

小林秀雄でも誰でもみんな、志賀さんを尊敬する。要するに金のことを考えないで、汚れないところで人間

の精神の問題を考えようということでしょう。

その汚れないところでというのが、甘ちゃんじゃないんですかね。



しかし人の偉さには限りがあるけれど、人の愚かさは底なしの沼です。

僕は人間の本質は相当にたちが悪いものだと思うんです。業深いというか。

文学の原質は、世俗の中の下品な、血みどろの欲望の渦巻く、煩悩や迷いが流れ出るようなものだと思うんです。

なりふりかまわないというか、場合によれば人を殺してしまうというか、そういう世界が流出するのが文学だと思います。

だからディーセントななんていうようなことを言ってると、それはきれいごとになっちゃうんじゃないですかね。

例えば東横線なんかに住んでるような人なんていうのは、窓辺にヨーロッパ風に花を飾るような生活してるじゃないですか。

ああいうことをやっていると、それはディーセントかもしれないけども、人間の煩悩というのは――東京の山の手文化というのが、生身の欲望にひと皮きれいなベールをかぶせたような文化ですよね。

ところが、ひと皮めくると、たちの悪い生身の色と欲、迷いがあるわけでしょう。

文学の素材は、僕は俗なものだと思っているんだけれど。それとどう向き合って、痛み、悲しみ・・・・・・。

そこで美学とか倫理とか、そういうことが出てくるんだと思うんだけれども。

石坂 公成先生


私の履歴書 石坂 公成 (2005年3月31日)

自分が将来何をするかよりも、有名な学校に入ることや安泰を第一としているし、エリート達は名を上げることやほめてもらうことを目的として生きているように見える。

我々が研究者として成功した最も大きな理由は、我々が愚直だったことにある。
私は英語で嘘をつくことができないので、嘘をつくことを忘れてしまった。
照子の場合は正直の上に“ばか”がつく。幸いにして正直であることは科学者にとって最も大切な資質であったし、愚直は多民族社会である米国で自分の信念を通すために最も重要なことであった。
おそらく、我々くらい米国でいろいろの人と心を通わすことができた日本人はめずらしいだろう。

10/01/2007

だから、儲かる


だから、儲かる/木子吉永著



「小さな会社の経営はこうやれば儲かる」
第一章■『経営術』編

1:組織を「円型」にし役職をなくせ。ピラミッド型にするな
ピラミッド型組織は無用の長物/小さな会社では役職はマイナスばかり/小さな会社は円型フラット型組織がいい

2:チマチマした「経費節減」をスローガンにするな
コピー用紙を節約してもタカが知れている/最大の経費節減策は人件費削減だが・・・/多機能型社員をつくることが最大の「節約」だ

3:接客はまったく「悪いこと」ではナイ
接待の目的は人間関係づくり

4:同業他社は「敵」ではない。「味方」だ
発想を逆にすることが大切だ/デメリットよりメリットが大きい提携提携への第一歩

5:粗利益「率」ではメシは食えぬ
一見粗利が高くても利益が出ないケース/メシは粗利「額」で食う

6:会社は「粗利獲得業」だ、売上獲得業ではナイ
社長が売上拡大志向に走る二つの理由/《粗利=売価-仕入れ原価》の発想を捨てヨ/「お客の立場に立つ」ことが一番の近道

7:「増収減益」は「減収減益」より始末が悪い
「増収増益」をめざして「増収減益」になる恐さ/社員が「儲かっている」とカンチガイする/「減収減益」はスリム化の大チャンス

8:見栄を捨てて「しゃくとり虫経営」に徹セヨ
過去にも二回、縮みの時代があった/第一回目、第二回目と今回のチガイ/伸びて、縮んで、また伸びて

9:仕入先こそ神様と思うべし
コストダウンのつもりがアップになることも/得意先より仕入先を大事に/アウトソーシングは「他社機能の仕入」と考えヨ

10:アウトソーシングを活用しないと儲からない
効率のよい経営を行うには?/アウトソーシングは儲けを生む/なぜアウトソーシングに踏み切れないか/本業をアウトソーシングしてはいけない

11:工場経営は粗利益率より稼働率を重視セヨ
生産工場と卸・小売業とはまったく違う/工場は粗利益率より稼働率

第二章■『ヒト使い』編
小さな会社のヒト使いの大きなカン違い

1:キャリアはいらナイ。使えるかどうかが問題だ
技術もキャリアも発揮されなければダメだ/チームプレーができる社員がよい社員

2:小さな会社は「イエスマン」を重要視セヨ
最悪なのは「ひとこと多くて使いづらい社員」/会社全体の雰囲気がよくなってくる

3:小さな会社は一人の経理より「三名のパート」で!
経理のツマヅキで潰れた小会社もある/リスク回避にもコストダウンにもなる

4:カンタンに新人募集をするな
なぜよく考えないでヒトを採用するのか/飾りたてた募集広告は百害あって一利ナシ/小さな会社は経験者採用に徹すること

5:採用面接は社長自身が行わなければダメ
面接は社長が必ず行っているか/小さな会社の社長はサッカー日本代表の監督と同じ

6:繰り返し「判断業務」には、中年女性を登用セヨ
社長は「社長がやるべき仕事」をやる/どんな中年女性が望ましいか

7:退職希望者に引き継ぎや新人教育をさせるな
退職希望者に新人教育をさせるのは時間と経費のムダ/人の入れ代わりを改善のチャンスとセヨ

8:社員が退職してもスグにヒトを入れるな
やめたら、残った人員で作業をこなす工夫をする/マイナスをプラスに変えてしまうこと

9:「和をもって尊し」とするな
「和」を重んじても、いい結果は生まれない/ミスをしたらガツンと怒ること

10:社員には「人財、人材、人罪」の三種類ある。すべて平等ではない
二〇パーセントの「人罪」をどうするか/社員の評価が分かれることもある

11:年に一回は「ヒトの棚卸し」をセヨ
棚卸ししないと自社の人的価値がわからない/ヒトの棚卸しを行う際には評価基準を設けること


第三章■『社長実学』編
儲かる社長と儲からない社長はどこが違うか?

1:「他力本願経営」ではどうしようもナイ
景気回復を待っていてもダメ/スリム化のためのアウトソーシング

2:マジメでやさしい社長がいいのか
やさしい社長が会社を潰す/「NOといえる社長」になることだ

3:「朝令暮改」はスピーディな証。よいことだ
社員から不満が出ることもあるが・・・/肝心なのは、ダメならサッと撤退すること

4:社長は自分の性格にあった経営をセヨ
「成功者の話を参考」にするのは大いに結構だが・・・/自分の性格にあったやり方が一番いい

5:ワンマン経営がナゼ悪い
リーダーに従うのが組織本来のあり方だ/自分一人で責任をとる覚悟をもて

6:「ヤル気を出セ」とは、社員より社長のことだ
社長にヤル気がなくて、社員にヤル気が出るわけがない/社長がヤル気を出すには二つのポイントがある

7:企業体質を改善したいなら、まず社長が「一番早く」出勤セヨ
もっともらしいスローガンは効率が薄い/早い出社にはたくさんのメリットがある

8:時間は生み出すものだ
時間の使い方が賢ければ儲かる会社になる/スキ間時間を上手に使うこと

9:仕事を「趣味」にしてどこが悪いのか?
社長は仕事を趣味にしてしまおう/大企業のマネをする必要は全然ない

10:社長は作業をするな。創造的な仕事をセヨ
作業をする社長は、給料をアルバイト並みにセヨ/「率先垂範」という言葉をカン違いするな

11:「粗利額と支払額」の把握は社長自身が継続的に行え
粗利額と支払額だけは社長が自分で記入セヨ/「連続・売上額・粗利益額・出荷数の現況と比較一覧」を活用する/「支払先別継続一覧表」を活用する

12:小さな会社の社長は泣いて馬謖を切れ
社員を「切る」覚悟と勇気が必要だ/一時は苦しくても体質は改善する

13:社長はよい意味での「二重人格」になれ
社長は性格の使い分けをセヨ/悪口を恐れてはいけない

14:後継者にはカネを残すナ、「知恵」を残せ
息子はナゼ後を継ぎたがらないか/人生四期説で説得セヨ/ソフトには相続税はかからない


第四章■『売りup』編
こうやらないから「売り」に強くなれない

1:本業以外の売りに柱を。ただし本業に関連したことをヤレ本業のみでは買いたたかれる/本業に関連した事業の成功のカギ/ナゼ、本業に関連した事業か?

2:小さな会社は「何を売るのか」をハッキリさせヨ
 モノを売るのか、人間関係を売るのか/あなたの商品だから買うのです/「営業販促ハガキ」を活用しよう

3:「商品開発」だけで儲けられるか
 小さな会社は大企業の商品開発部だ/商品開発に過大な投資をしてはいけない

4:儲けるために頭を下げるか、倒産して頭を下げるか
 「守りの儲け」と「攻めの儲け」/「攻めの儲け」のために社長は外回りをセヨ/社長は「ウチ弁慶」を直すこと

5:小さな工場の営業はモノづくりを知った社長が行え
 恐いのはデッドストックだ/生産を熟知した社長が営業に当たること

6:経営資源はヒト、モノ、カネだけではない。「時間」を入れヨ
 ヒトなし、カネなし、モノもなし/みえない資源を活用セヨ/「時間と情報」を活用して人間関係づくりを

7:インターネットを毛嫌いするな
 「今からでは遅すぎる」ということはない/自分でできなければ人を雇うこと/パソコンなくして経営は成り立たず

8:ホームページは他社と連携してつくろう
 自分だけでやろうとするからできない/インターネットを活用した顧客獲得

岡本太郎


人生は意義ある悲劇。人生の岐路に立った時、必ず楽な路を選ばず、危険と思う路を進むべきだ。

9/29/2007

金出武雄先生


金出武雄先生、


「ものを書くときには、頭の中でセンテンスの最初から最後のマルのところまでつくれ。つくり終わってから、それを一気に書け。それから次のセンテンスにかかれ。それを続けて行け。そうすれば早いし、いい文章ができる」


情報や人を独占していたからだが、インターネット技術によって誰もが最新の情報を入手でき、国際的にも連携できるようになった。


「大企業神話」が崩れ、地方の小さな企業が外国の企業と結んでビジネスを推し進めるようになっている。


「金出君、アメリカで日本人であることを売り物にしないで勝負して来い」

9/28/2007

稲増龍夫さん


稲増龍夫さん、

かつての「若者」は、よくも悪くも、「大人」と対立・葛藤する一つの世代として存在しましたが、今は個人主義が進み、みんな、ばらばらで、一つの世代というくくりでは語れず、「若者」は「大人」に無関心で、自分とは無関係と考えています。

これは縦型社会の崩壊に大きな原因があります。

昔は、豊かさを求めるという点では、みんなに共通の目標がありましたが、今は、それも実現し、そんなに頑張らなくても何とか生きていく道はあり、フリーターでもいいやなどと、生き方が多様化しています。

生き方が多様化し、個性を重視するから、「若者」は他者との比較や競争を嫌います。
それが若者から覇気を奪っている一つの要因です。また、かつては、傷心している他者にはかかわり、いたわることが優しさでしたが、それが干渉しないことが優しさだと変化し、自分も他者からの干渉を嫌うようになります。

全部が自分基準ですから、縦型社会の権威も、「若者」には関係がありません。そのため、今の「若者」は、もはや活字離れどころではなく、縦型社会の権威の一つだったマスメディアからも離れ、テレビすらあまり見ず、携帯電話やメールなど、パーソナルメディアを中心にした横のつながりで情報は伝わります。

また、昔は、若さには、未熟だとか、世間知らずだとか、青二才というマイナスイメージがあり、多くの若者は、早く一人前の「大人」になりたがったものでした。今は逆に、若さは柔軟だとか、何にでも挑戦できるというプラスイメージとなり、「若者」は、若いがゆえに持つその特権を、社会に出た瞬間、失うのではないかと怖がって、「大人」になりたがらないのです。

豊かさを実現した今、「若者」に、かわりに何を目標として与えられるか。
今はリストラや何かと「大人」社会の暗い面ばかりを伝えていませんか。
職業を通して自己実現ができるんだということを、「大人」がもっと言わないといけません。

9/27/2007

脳を鍛えれば今までの10倍うまくいく


『脳を鍛えれば今までの10倍うまくいく/ビル・ルーカス』



脳を正しく扱うための10のアドバイス



1.十分に水分を補給しておくこと。

あなたの脳は、「電気回路」を効果的に機能させるために多量の水を必要としている。



2.定期的に休憩して、身体を伸ばすこと。

脳が十分に機能するためには、酸素を含んだ大量の血液が必要である。立ち上がるだけで、血液の流れが20%も増大する。



3.いつも最初に全体像を示すこと。

あなたの脳は絶えずつながりを作ろうとしている。したがって、最初に全体像を示しておくことにより、細部に注意を向けることを好む人にも、物事の意味を理解したり、特定のテーマに関して自分が知っていることをすべて集めたりするための時間が与えられる。



4.人々に向かって長時間一方的に話し続けないようにすること。

あなたの脳は、一度に一定量の新しい情報しか取り入れることができない。話し手の力量が大変優れているのでない限り、聞き手の脳は20分ほどで停止してしまう。



5.情報を伝える方法に変化を持たせること。

私たちの頭は一人ひとり異なっている。視覚的な情報を好む人もいれば、聴覚的な情報を好む人もいる。また、立ち上がって何かをすることによって情報を取り入れることを好む運動型の人もいる。



6.集中力の持続する時 間についても考慮すること。

流れに乗っているときは仕事を続けると効果的であるが、20~30分ごとに定期的な小休止を入れると頭は仕事を継続しやすくなる。



7.大きな課題はいくつかの小さな部分に分けて、取り組みやすくすること。

いくつかの小さな要素に分解することによって、頭は大きな問題に取り組みやすくなる。



8.ユーモアを用いること。

笑うと、緊張をほぐす働きを持つエンドルフィンと呼ばれる化学物質が分泌されることがわかっている。



9.よりよい成果を出させたければ、恐怖心を与えないこと。

わたしたちの脳は、ストレス下では、生き残ることしか考えることができず、より高度な思考作用が効果的に行なわれることはなくなる。



10.必ず十分な睡眠をとるようにすること。

必要な睡眠時間は人によって異なるが、多くの人にとって、夜の睡眠は7時間以上なければ十分とはいえない。脳が疲労しているとき、脳はうまく働かない。



今から24時間前までを振り返ってみましょう。あなたは、脳の世話をどの程度心がけてきましたか?

あなたは10の簡単なヒントの中で、十分に生かしているものはいくつありますか?

あなたの生活には、どこかアニーの日常と共通している部分がありますか?









意識していないしできない



意識しているができない



意識していてできる



意識しないでもできる









他者を模倣することによって確実に恩恵を受けるための10の方法



1.組織の中であなたが最も尊敬する人々と共に時間を過ごすこと。

わたしたちは、非常に短時間のうちに、身近にいる人々の持つ行動様式や物事への取り組み方から影響を受ける。したがって、分別のある時間の過ごし方をすることはとても大事である。



2.あなたが選んだ仕事の現場の中で、最も尊敬できる人を見つけて、彼らが実際に仕事をする様子を観察できる方法を考えること。

もし、自分の関わっている分野における最高の人々を見習うことができれば、あなたの成功の確率は高くなる。



3.自分の仕事ぶりを改善したいと思う領域を選んで、組織の中でそれを一番よくこなす人物を見つけること。

この種の具体的な模倣は、スキルを改善するための非常に積極的な方法となり得る。

例:会議の司会。フィードバックの方法。



4.模倣するための良い手本と提供するテレビ番組や映画を探す。

あなたの脳には、真似をする特性が備わっているので、脳に吸収させる情報には注意を払わばければならない。



5.尊敬する人々の伝記を読む。

伝記には、わたしたちの見習うべき、成功を招く行動についての洞察が含まれている場合が多い。



6.意識的に、職場であなたが見習いたいと思う人々と昼食を共にする。

わたしたちは昼食の時間を無駄に過ごしてしまう場合が多い。あなたが尊敬する人々と交友関係を持つことができれば、彼らの成功の方程式を発見するチャンスは高まる。



7.様々な分野において、あなたが手本にしたいと思うような行動をとっている人々を見つけて、彼らと交友関係を結ぶこと。

自分とは異なる仮説を持っている人々と一緒にいるときに、有用な洞察が得られることが多い。



8.職場にいる否定的な傾向を持つ人々と、不要な時間を共に過ごすことのないように留意すること。

あなたは何らかの形で、彼らの持つ否定的な傾向の影響を受けてしまうことになる。



9.困難な状況が見事に処理されるのを見たら、そのやり方を書き留めておくこと。

物事がうまく行ったと感じる自分の感受性を大事にすること。



10.あなたが手本にできる人々のネットワークを広げるための、交友と学習の機会を探すこと。

これはあなたが、「あらゆる種類の鳥たちの群れに加わる(フロッキング)」ことができるようにする方法である。



学習が困難になったときに取るべき10の行動



1.今やっていることをやめて、完全な休憩を取る。

2.以前同じように行き詰まったときのことを振り返って、自分が何をしたかを考える。

3.自分にとっての選択肢の概要を示すマップやリストを作る。

4.友人にそのことを話して、彼らだったらどうするかを尋ねる。

5.本を使って、突破口を見つけるのに役立てる。

6.インターネットを使って、答えを発見するために役立てる。

7.何か運動をして、答えが浮かばないか試してみる。

8.行き詰まりを放置して眠る。寝る前に「自分は問題の突破口を見つける」と自分に言い聞かせる。

9.自分が今やっていることを、まったく別の場所でやってみる。

10.もし答えが見つかれば、あなたの仕事の達成に役立つかもしれないと思える質問をできるだけ多く考え出す。







事態が混迷を極めるときに取るべき10の行動



1.心を乱さない。

2.自分に正直になって、自分の最初の目的を思い出す。

3.その状況に取り組む別々の方法を3つ考えて、その中に使えるものがないか調べる。

4.その状況で、実務家や理論家(自分と異なったタイプの人)であればどうするかを想像してみる。

5.別な人が同じ問題に対してどのような取り組みを行うかを、近くに行って観察し、彼らから学ぶ

(他者が見習うことは、不正行為ではなく、知性の発露であるということを思い出そう)。

6.電話をかけたり、Eメールを送ったり、本を参照したりして、その分野の専門家は、この場合に何をするか調べる。

7.あなたがしていることの詳細は知らなくても、常識にもとづいたアドバイスをくれそうな人や、あなたの考え方を変えてくれそうな人に尋ねる。

8.インターネットでヒントを探す。

9.その日のうちに、時間を変えてもう一度その問題に戻ってみる。

10.自分の学習を続けることが正しいことかどうかを、よく考える。場合によっては、それまでに自分が学んだことを振り返った上で、別なことをする方が賢いことがある。









発明とはアイデア同士の創造的な組み合わせ





本当に新しいアイデアというものは非常に少ない。ほとんどの場合、それはすでに存在しているアイデア同士の創造的組み合わせである。



●車というアイデア+鋼鉄の発明+蒸気機関の発明=鉄道

●手紙+ワープロ+モデム=Eメール

●ラジオ+カセットプレーヤー+ヘッドフォン=ソニーのウォークマン

●巨大な書店というアイデア+インターネット=アマゾン・ドット・コム

●何でも最後の最後にならないとやらないという、わたしたちの持つ傾向+ワン・ストップ・ショッピングというアイデア+インターネット=lastminute.com

●大学というアイデア+新しいテクノロジ-=バーチャル・ユニバーシティや企業大学

●「洗濯仕上げ用圧搾ローラー」と「洗濯板」を使った、昔の洗濯の仕方+逆方向に回る2つの桶を備えた最新テクノロジー=ダイソンの最新型洗濯機



MIT(マサチューセッツ工科大学)のニコラス・ネグロポンテは次のように言う。



新しいアイデアは相違から生まれる。それらは、見解の相違や、比較対照される理論の相違から生まれる。



アメリカの詩人ロバート・フロストは、さらに簡潔に、「アイデアは、連想の妙である」と言った。









幸運なことに、より深刻な症状が起きる前に発見することができる、多くの兆候がある。

次に挙げるのは、その一部分に過ぎない。



●怒りっぽくなる

●攻撃性

●過剰防衛

●優柔不断

●集中力の低下

●自信喪失

●持続的な疲労感

●筋肉の緊張。特に首・肩・背中

●頭痛

●消化不良

●不眠症

●便秘

●大量の発汗














9/26/2007

東洋通信/日本に帰るつもりの日本人高校生は?



東洋通信





日本の帰国大学受験では、TOEFL、SATのテストの得点が最重要です。



ほとんどの難関大学では、これで合否が決まるか、合格者の絞込みが行われるかのどちらかになっています。



勿論、この統一テストの成績を提出せずに受験できる大学も、たくさんありますが、それらの大学は、一般的にいうと、あまりレベルの高い大学ではないと言えます。



 



 ですから、もし、ある程度のレベル以上の大学を目指すなら、統一テストを受けないという選択肢はありません。



逆にいうと、できるだけ、早く必要な得点を出すように努力することが、必要です。



もちろん、学科試験の教科を学習することも大切ですが、最も早く対応を迫られているのは、この統一テストの対応です。それは、統一テストの得点は、出願よりはるか前に必要な得点を挙げなければならないという、時間的な制限があるからです。





 統一テストをいつから受けだすのかは、一概にはいえませんが、早いほどよいと思います。



日本の帰国受験では、統一テストを何回受けても、大丈夫です。



よく、3回以上受けるとダメだとか、いう人がいますが、それは間違いです。

実際「東洋」の受験生は、毎年ほとんどが、難関大学に合格しますが、全員が最低でも5~6回以上SAT、TOEFLを受験しています。



特にTOEFLはスコアを大学に送付する際には、特定の受験日の結果のみしか送付されないので、その人が過去に何回受験したのかは、受け取り手には一切わかりません。



SATの結果は、大学に送付されるスコアレポートには、最初に受験した時から、そのスコアレポートを要請した時点までのすべての結果が、一覧になって掲載されます。



ですから、多い人だと10回を超えますが、それでも、帰国受験ではその中の最高点を採用してもらえるので、心配はありません。



ですから、早く受け始めるほうが、よいのですが、何の準備もせずに受け続けても、得点はあがりませんから、単にお金と時間の無駄になってしまいます。





TOEFL、SATとともに、11年生になれば、受け始める必要があります。



10年生の人で早卒しない人は、自分の現在の実力がどれくらいなのかを正確に知るために一度受験してみるのもよいでしょう。



9~10年生の人はまずTOEFLを受けてみてください。



とにかく一度受けてみて、現在の自分の得点力を見てみましょう。



模擬試験などを受けることを宣伝するところもあるかも知れませんが、それは時間の無駄です。



必ず、本当のTOEFLを申し込んで受験してください。



SATは、11年生になったら、10月~12月の間に一度は、必ず受験してみてください。



もし、9月で滞在が6ヶ月に満たない11年生の人で、英語力がまだ充分でない人は、3~6月まで待ってもかまいません。



ただし、それまでに、継続して実力を上げるように学習をしてください。その場合もTOEFLはSATよりも早く受け始めるようにしてください。

 

9/25/2007

守りぬけ個人資産・副島隆彦



守りぬけ個人資産・副島隆彦



 



現金振込みを代行するコンビニ店が増えているが、コンビニのレジで振込用紙を使って10万円以上を振り込んでも、このときは免許証も健康保険証も何もいらない。 なぜかと言えば、「本人確認法施行令」の対象は「金融機関」であって、コンビニは除かれているからである。



 



役所はこうして国民を管理する



①財務省=国税賞庁=税務署による個人と企業(法人)の「納税者番号制度(納番)」



②現在の総務省が握っている、住民基本台帳の11桁の国民一人一人につけた番号(住民票コード)



③経済産業省が持っている、企業活動の全般に対する統制権



④法務省=裁判所=警察庁が持つ権力



このように4つの主要官庁が、国民の管理と統制を行ってきた。ところだこの4つの主要な国家組織による、これまでそれぞれバラバラだった国民管理が、最近、急激に統御され、統一されつつあるようなのである。そのことが真に警戒されなければなないことである。



金融統制官僚たちは、「正義のふりをした法律の山」を使って私たちに襲いかかっている。



 



どうせ自分は戦争に行かないですむ、自分は死ぬことはない、と思っている人間たちのいやらしさは、今のアメリカ国内にも充満している。イラク戦争の戦場にまで行って死ぬ危険と向かい合うのは、どうせ軍人と持て囃される、その実、戦争土方でしかない者たちだ。



この冷酷な現実は十分に知ったうえで、私から教えておきます。戦争経済が本当に恐いのは、戦場には行かなくてもいい後方の人間たちにも、「国家総動員令」とともに、金融統制や身体検査が待ち受けているということなのだ。



 



金:これがこの先5年(~2012年)くらいのスパンで見た場合、1トロイオンスあたり2000ドルがあっても不思議ではない。日本円にすると1グラムで約6000円である。金はこれかれらも高騰してゆくだろう。



 



4大銀行の不良債権処理は完了したとされるが、地方銀行の処理がまだ続いていると言われている。地方銀行にとっての最大のお荷物(不良債権物件)は、全国各地の温泉地であり、そこに建っている10階建てなどの豪華な温泉ホテルである。



 



これまでに税務署にひどい目に遭ったことのある資産家や投資家や経営者たちは、勇気をふりしぼって、難儀であることを覚悟して、どんどん国税庁と税務署を裁判に訴えるべきである。「税務署を相手に裁判をやっても(争っても)どうせ勝てない」 などと、根性なしの泣き寝入りの態度でいるから、国税庁の役人(税金官僚)たちがつけあがるのである。これこそまさしく究極の個人資産防衛である。私は、そんな国税庁からの嫌がらせにはひるまない。



 



「人材派遣業」という名の職業紹介・斡旋業は、他人の労働賃金をピンハネして汚らわしい利益を出す手配師の業であって、人身売買や奴隷労働につながるものである。労働法という法律を少しでも勉強したことのある人なら分かることである。「職業紹介・斡旋業」は原則的に禁止されなければならない。



 

9/24/2007

一回性の人生/梁石日



『一回性の人生/梁石日』。壮絶な人生を送っている人の言葉は説得力あるね。





管理社会はまだ、真実を大いに隠すシステムである。一種の思考停止状態であり、自分がいま行っている行為が何を意味しているかを自己判断する能力を奪われ、ひたすら没個性的な人間になることを要求させられる。何かに帰属したい。寄らば大樹の陰。

 

人間は本来、他者との関わりなしでは生きていけない。

 

親に米国型の個人主義の習慣がないのに子供にそのような個人主義が育つはずがない。身体の空洞化

 

人生には無駄な時間は不可欠であり、若ければそれだけ無駄な時間が多く過ごせる。無駄のない人生ほど無味乾燥な人生はない。

人生を豊かに過ごすという事は、社会の出来事にもっと関心を持って積極的に関与していく事だ。

ここでいう豊かさはただ単に物質的なそれを言っているのではない。

今の若者が失敗を恐れるのは、そんな豊かさの中で親から失敗への対処法を学ぶ事もなく、親も教える必要がないと思ったせいかもしれない。

 

傲慢と卑屈は裏と表の関係にある。

権力を持てばどんな人間も傲慢になる。権力もないのに傲慢な人間は、自分を錯覚して勝手に肥大化させているだけだ。本当の自分は十しかないのに、百くらいに肥大化させる。他人に対して傲慢な態度を取りながら、実はちっぽけな存在である事が分っているので、その裏に卑屈な心が生まれるのである。

 

文化を育てない経済は衰退していく。文化を育てる事が、とりもなおさず経済の活性化につながるのだ。蒔かぬ種は生えないのである。目先の利益だけを考えて長いスタンスでものを考えない経済人が多すぎる。

 

自分を信じる事は必要だが、自分を錯覚する事は危険である。

 

人間はどうしても楽をしたいと考え、楽なほうを選ぼうとする。だが、今楽な道を選ぶと、その分だけツケとして人生の後半にのしかかってくるのだ。人生のツケを先取りするのは至難の業だからだ。

 

物事は全て相対的なものであり、強い姿勢をとればとるほどその内部では益々大きな不安が膨れあがってくる。

きわめて不確かな未来を前にして、もっと一人一人がじぶんのこととして日本の進むべき道筋にたいしてはっきり声を上げて意見を言うべきだ。

 

金でなんでも買えるようになると、金は人間の欲望と切っても切り離せないものになっていき、権力とも密接につながっていった。

 

金は人間の感情や理性を全てさらけ出し、その人の人格がみごとに反映してしまう。そして、人生を左右するほどの力を持っているのが金だ。

金を儲けた人間は世の中にいっぱいいるが、金を持っていても使い方がわからない人がいる。金に対して強い執着心を持っている人である。「金持ち」といわれる人にこのようなタイプは多く、金儲けそのものが目的化しているのだ。

 

だいたい金儲けをしている人間は俗物なのである。きれいな手のままで金儲けした人間などいないと私は思うし、必ずどこかで手を汚している。一度汚してしまった手をきれいに洗う事などなかなかでくるものではない。

 

「おまえはこれまで友人に何かをやってあげたことあがあるのか」

やはり友情とはお互いに熱い思いがあり、相手のためなら一肌ぬいでもいいと思わせる関係でなければないだろう。互いの資質を認めて評価しあい、受け入れることができなければ友情は成立しない。

親友の付き合いはお互いの生い立ち、性格などを把握してないと成り立たない。利害関係があるかないかはともかく、親友と呼べる友人が一人もいないというは寂しいものだ。

 

土壇場まで目の前の厳しい状況と戦い続けるのはなかなか大変であり、それで事態が好転しないともう逃げる術がなくなってしまう。そうならないためにはたたかいながらもどこかで楽観的な心を持ち、いくつかの退路を残しておくのも必要な事だ。それも複数の退路を残しておく。要するに柔軟性ということである。

 

僕は荷物になるものを一つずつ捨ててきた。肉親、虚栄心、金、書物、最後の砦だったなけなしの自尊心までどぶに捨てた。お陰で身軽だ。いまや何の未練もない。

 

人間はいつかは労働と真剣に向き合わなければならない。働くということは人生そのものであり、人間はさまざまな職業で生きる糧を得ながら生涯を送る。

労働の喜びは創る喜び、達成する喜び、自分の能力を確かめる喜び、社会に貢献する喜びである。

 

若い人たちの中には、企業に勤めながら、音楽が好きであれば仲間を募ってバンドを組み、仕事がオフのときに演奏活動を展開するなどの動きも見え始めた。若者世代が生き方に対して幅広く考えるようになってきたことはいいことだと思う。企業の中での労働に埋没して思考停止状態に陥るのを避けるためにもこのような考えは必要なことだろう。

 

倫理観、道徳観などは権力側が自分達に都合のいいようにつくってきたものだ。

人間性というものは人生の中で絶えず崩壊したり再生したりするものである。一貫して人間性を貫き通せる人は極めて少ないし、とかく過ちを犯すことが良くあるのが人間なのである。

 

人生の時間は絶えず再生の可能性があるのだから、本当にやりたいことがあればいったんは捨ててもまた再開できるはずだ。そこに新たな可能性が生まれる。

自らの運命に楔を打つことは、時代の流れにあえて逆らうことである。いいかえれば、流されていく自分を流されていないようにすることである。

 

自分の過去や記憶を自信に都合よく拡大解釈してしまうと、他者に対してきちんと向き合う事ができかくなる。そうならないためには自分や自分を取り巻く社会などあらゆる物事に対して、常に等距離でみることのできる批評精神を養うことである。

 

人間の意識の変革は簡単にはいかないものだ。自分では変わったつもりでも、本質的に変革をとげるのは至難の業である。

 

 

 

 

 

9/23/2007

上田紀行「生きる意味」



上田紀行「生きる意味」岩波新書より。



 



私達が求める「強さ」とは、もっと包容力のある強さである。



大人の成熟した強さ、それは自分の強さも弱さも知った、もっとしなやかな余裕のある強さであろう。





そして、不安と恐れから行動を発する生き方ではなく、自分自身と社会への信頼に満ちたおおらかな生き方であろう。

人間の「生きる」意味は学歴やテストの点で決まるわけではない。



周りからは成功者と思われていても、本人的にはあまり面白い人生を生きてないと思っていることはよくある。

それは人生に「創造性」がないからだ。





小さい時からずっと「いい子」をやる続ける。「どうやったら儲かるか。」をやり続ける。



その事に成功し、周囲からは何一つ不自由していないと見られても、自分の人生に「内的成長」や「創造性」を欠いてしまっていれば、私たちはどこか空しさを感じ、「これでいいのか?」と自問してしまうのだ。



私たちの社会はもはや物質的には十分豊かだ。いま真に求められているのは、生きることの創造性、「内的成長」の豊かさなのである。





[ワクワクすること」「生きてる!という感覚」は、私たちの「生きる意味」の中核である。

それはまさに「生命の輝き」を実感する一瞬であり、私たちが自分自身の「生きる意味」の創造者となる一瞬である。

そしてそれは私たちと世界がどのような「愛」でつながっているのかを実感する瞬間でもある。



私たちが苦悩している時、困り果てている時、その苦しみの声を聞いてもらった体験は、確実に自分自身と世界への信頼を深めるものだ。

世界は私の声を聴いてくれるという実感を持つ人は、その世界を破壊しようとは思わない。

自分の苦しみ、弱さを深く受けとめてもらった経験を持っている人は、人を傷つけたりしたいと思わない。

「いい子」の若者が突然キレて人を傷つけるのは、「いい子」を演じ演じさせられる関係の中で、自分の苦しみの声が聞き逃されてきたからであり、それは決して突然の出来事ではない。

表面の体裁を整えることばかりで、私たちの深い苦しみが受けとめられない社会は、むしろ暴力が噴出する社会となる。

表面上が妙に明るいだけの社会は、裏に大きな闇を抱え込む。

一見ネガティブな声を表現してもいい社会、そしてそれが聞き届けられる社会こそが、信頼を醸成する社会なのだ。



 



 

9/22/2007

8/22/2005 日本経済新聞



8/22/2005 日本経済新聞





膨大な情報が世界を駆け巡る。限りなくゼロに近づく情報交換のコスト、不特定多数につながる開放性・・・・・・。「知」の加工や深化を通じ、物質文明では到達できなかった情報文明へ歩を刻む。

 

 

万人が楽しめる時代が到来した。「現行の補償金制度は権利団体を通じてレコード会社や大先生だけに著作権料が戻る。団体に属さないクリエーターは蚊帳の外だ。彼らにきちんとお金が戻る、新しい仕組みに作り替えるべきだ」(穂口氏)

 

補償金制度のみならず、著作権の仕組み全体を見直す機運もある。小委員会の主査を務める中山信弘・東大教授は「著作権法は(問題の)吹きだまり的様相を呈している。現行法が社会の要請に応じうるものなのか、問い直す必要がある」と主張する。

君はこの映画を見たか! 吉村英夫



君はこの映画を見たか! 吉村英夫





ままならぬのが人と人との関係である。



誰もが一生懸命に生きており、それなりに誠実に人生という一回限りの生と格闘している。



だが誠実だったら幸福になれると決まったものではないし、一生懸命だったら報いられるとは限らない。



それでも人は幸せを求めて生きていくし、努力を放棄しない。



大きな運命のなかで翻弄されはしても、人間が生きるってやはり素晴らしい。



悲しいけれども生きる価値にあるもの、それが人生だ。





サリエリは神に対して恨み言をを言う。



あの女たらしが天才で、真面目で誠実な自分がなぜ三流なのか。

なんと神は不公平なことか。すばらしい芸術はすばらしい人間性に根ざすとは限らないのである。

9/21/2007

「不良定年」


嵐山光三郎さんの「不良定年」を読んだ。





会社で出世しないことをよし、としている人間は、出世した人間の悲しさを知らない。



役職に見合う仕事をなしとげていくには、万年ヒラ社員にはわからぬ苦労がいる。

長のつく立場で、会社という集団のシステムと感情をコントロールしていくことから、不良定年の道がひらける。仕事ができる男は不良定年をめざす。



自分のことを陰で悪くいっている人に、にこやかに冷静に応対する力が不良のはじまりである。

したがって四十歳の無気力社員には不良になれるパワーはない。自分がするべき仕事を、人の二倍、三倍となしとげてこそ不良的精神力が身につくのである。





人の運、不運は縄のようによじれ、いいことがひとつあれば、悪いことがひとつおこり・・・・。



日本人のほとんどはそんなことは考えず、とりあえず流れるように生きていたんだから、欲望に忠実であった。

自分の欲望をかなえるために汗水流して働いて、酒を飲み、道楽で無駄づかいをした。



会社より世間、億ションより長屋、年金より借金、上り坂より下り坂、スピードより熟練、働きバチよりナマケモノ、孫より自分、多忙より貧乏、再就職より自由時間、背広よりジャンパー、人格者より自分本位、理論より経験、自立より孤立、前むきより後ろむき・・・・・。



東京は、江戸の風物はほとんどなくなってしまったが、不良の道楽者が多いのは江戸時代からの伝統だ。

放蕩しつくした人、律儀で通した人、財をなしたお金持ち、と、年寄りの風体はさまざまだが、古い町を仕切っているのは不良の気配をしょった年寄りだ。



歳をとって、田園や山中に身を隠すのはただのオイボレである。歓楽の色街に身をひそめてこそ、退歩する官能を得られる。



「不良中年は自前のモラルを持とう」と題して。100か条のその前半50を。



①約束した事は、呆けて忘れる(老人は常習犯である)

②借金も、呆けて忘れる(これも常習)

③チャンスがあれば浮気する(一期一浮気)

④馴じみの飲み屋へ行かない(旧縁を切り、慣れあわない)

⑤競輪ざんまい(車券は百円のお遊びで十分。競艇・オートも可。宝くじは買わない)

⑥妻の預金をおろして使う(当然の権利だ)

⑦落ちぶれた同僚にたかる(同情しないことが相手のためだ。同情は命とりになる)

⑧信号は無視する(ただし、周囲をよく見て)

⑨いっさいの謙遜をしない(昔のまんま)

⑩絵手紙をよこす人へは返事を書かない。(それほどヒマじゃないので)

⑪宗教活動に関与しない(無常を知る)

⑫占いを信じない(あたるはずがない。自分の運は自分でひらく)

⑬狡猾であれ(老人が生きていく知恵)

⑭妄想に生きる(想像力を喚起する。俳句もそのひとつであろう)

⑮名声を求めない(なにをいまさら)

⑯権威と無縁になる(断固たる決意で)

⑰不機嫌をよしとする(だってそうなんだもの)

⑱義理の葬儀へは行かない(疲れるだけで)

⑲二律背反を是とする(生きる証し。不易流行でいく)

⑳触覚で価値判読する(女もこれでいくに限る)

21.遊牧民志向(蒸発する力。どんどん家出しましょうね)

22.若い者はだます(手練手管で)

23.子はちょろまかす(お手のもの)

24,ヒューマニズムよりニヒリズム(無神論で自分をクールに見つめよ)

25.淋しさを食って生きる(孤独は老後の栄養である)

26.腕組みしない(服に皺がつくからね)

27,反社会(反骨の精神を忘れずに)

28.風とともに去る(危ないときは、ひらきなおって逃げちゃえばよい)

29.競争しない(わが道をゆき、他者と自分を比較しないこと)

30.全力投球(それなりに)

31.裏道で立ち小便をする(もらすよりいい)

32.平気で泣く(感情は素直に出す)

33.ぼんやりする(休養が大切である。ぼーっとする時間の空漠に身をまかす)

34.とぼける(老人の特権である。具合悪くなったらアクビすりゃいいの)

35.眠る(睡眠薬はアモバンかハルシオン。バイアグラを飲んでセックスすれば安眠)

36.耐える(これも実力のうち)

37.ぐれる(とことん堕ちてみて、地べたより世間を見つめよ)

38.情報収集する(要領よくやりましょう。そのため友人とはまめに会う)

39.昼からビールを飲む(酔っぱらって繁華街を歩きましょう)

40.昼間から風呂に入る(気分がよくなる。近所の銭湯で一番湯につかろう)

41.ナンセンスのセンス(理窟っぽく生きるのは愚の骨頂)

42.ハイカラ主義(身なりをよくするのは、不良定年者の基本的心得である)

43.テーマを持たない(なりゆきでいけ。テーマを持つとインテリに戻って、また企業戦士となる)

44.軟弱にいく(年寄りだから当然のことである)

45.唯我独尊(自分の世界へひたる。うぬぼれてけっこう)

46.自由なる日々(なにやったっていいんだ)

47.風狂でいく(吉田兼好や西行に学ぶ)

48.遊んで暮らす(遊ぶにはかなりの精神力がいる。遊ぶ力が不良老人の存在証明だ)

49.不器用でいけ(それで通用させる)

50.妻より友人(共犯者としての友がいてこそ活力が生まれる)

51.霊界通信(ときには死者との会話。故人の著書を読みかえす。読書は霊界との無線電話である)

52.散歩する(山でも町でも、外国でも)

53.小銭を稼ぐ(なんでもいいから)

54.美的生活(これが余裕というものだ。一輪の野草を見つめよ)

55.命を惜しむ(健康第一だもんな)

56.何者にも忠誠しない(相手にも忠誠を求めないのが礼儀である)

57.ケチ(無駄な金は使わないが、大金も使わない。いざというときは気前よくいこうぜ)

58.後悔しない(宮本武蔵のように、「事において後悔せず」)

59.女の愚痴はきかない(恋人は長くつきあうと妻化して、愚痴をこぼす)

60.男の愚痴もきかない(男の愚痴は女より始末が悪い。無視せよ)

61.軽佻浮薄(日本文化の伝統だから、これでけっこう。重厚な老人はかえってボロがでる)

62.離欲(やりたい欲だけに集中する)

63.感動力(小さいことに感動する精神を持続せよ。有能な企業経営者は高齢でも「感動する力」があるものだ)

64.いたずら心(少年時代に戻る。みんな不良少年だった)

65.老人ルネッサンス(キャリアがあるからできることだ。不良老人の条件)

66.忍ぶ恋(古風にいきましょう。忍ぶところに味わいがある)

67.道楽(最後の遊び。なににするかは各自で考える)

68.ソフト帽を愛用(ボルサリーノ)

69.ないものねだり(快楽の追求。枯れてしまってはいけません)

70.すぐ寝込む(仮病の有効活用)

71.電話には出ない(面倒だから)

72.聞こえぬフリをする(そのくせ地獄耳で情報収集)

73.気弱なことをいう(何しろ高齢なもので)

74.朝顔市へ行く(早起きだから)

75.酉の市へ行く(宵っぱりから)

76.足で物を片付ける(省エネ)

77.ふぐは白子を(神田明神下の左々舎がおすすめ)

78.月見献立(昔の恋人に作って貰いましょう)

79.浴衣で宴会(銭湯に行ったあと、ビール飲んで)

80.桐の下駄で歩く(素足で歩くと血のめぐりがよくなる)

81.飛行機はファーストクラス(国内線ならビジネスクラス。新幹線はグリーン車)

82.きっぷのいい女将がいる温泉のなじみ客となる(上の山温泉の葉山館とか)

83.勝手に講釈(幸田露伴のように近所の者を集めて)

84.バラバラ(意識を混乱させる)

85.お化粧してみる(歌舞伎女形役者をまねて)

86.すべてツケにする(現金は持ち歩かない)

87.インターネットはやらない(できないから)

88.煙草はやめない(そんなの勝手でしょ)

89.猟書三昧(神田・神保町で)

90.銀ブラを楽しむ(銀座の老舗には掘り出しものの極上品がある。クラブだけが銀座じゃないのだ)

91.色街で飲む(神楽坂とかね)

92.茶漬けにこる(JAL国際線のファーストクラスで食べるキャビア茶漬けがうまい)

93.ケンカしてよし(ケンカしてこそ友人である。ケンカをおそれてはいけない)

94.文具に淫する(硯は蘭亭硯)

95.もちろん天動説(地球が回ってたまるか。どこを軸にするかで物事の判断が決まる)

96.遠くへは行かない(面倒だしさ)

97.知らない町は歩かない(自分の住む町が穴場である)

98.言い訳は全力で(すべて人のせい)

99.ゆっくりと急ぐ(開高健氏の流儀で。のこり限られた人生だもの)

100.説明はしない(面倒だから。わかんないやつに説明するだけ疲れる)








9/20/2007

再び AOR?



AOR?



当時のカウンター・カルチャー

 

ベテラン勢による原点回帰的な試みから始まったアンプラグド

 

 

AOR=Adult Oriented Rock。お馴染みの図式である。しかし"AOR"という表記

で本書のような作品群をイメージするのは、それこそ日本の音楽ファンだけだ。米国でA

ORといえばAlbum Orientedの略であり、"R"はRockとRadioの双方を意味する。つ

まりシングル・ヒットを指向せず、アルバムをトータルに聴かせようとするロック、あるい

はそれをオンエアするFM局、そんな言葉だった。日本でいうAORはAC(アダルト・

コンテンポラリー)と呼ばれ、ここにはフュージョン系のインストゥルメンタルや、クワ

イエット・ストーム系のブラック・ミュージックも含まれる。しかしアルバム・オリエン

テッドという捉え方は、あながち的外れではない。それは全盛期のAORには、生活を彩

るBGMとしての効用があったからで、アルバム1枚丸ごと楽しめるというのも重要なフ

ァクターだったのだ。

 

最近は1曲良ければOKという傾向が見受けられるが、これには断じてノーと言いたい。

AORと呼ばせるには、トータライズされたテイストが必要なのだ。

 

スタイルを楽しむだけでなく、同時に感情や精神性を共有するための音楽なのである。

 

ポップ・ミュージックに、もっと大人っぽいサウンド、つまりジャズやソウル・ミュージックの

エッセンスを加えてみたら・・・

 

"大人のゆとり"を感じるヴォーカルのセンス

 

トロピカルなリラクゼィション・サウンド

 

センシティヴなアコギと揺れるとようなエレピの音色

 

トロピカル風味とレイド・バックしたムードを品良くまとめてみせた。

 

ぬくもりのあるメロディとハーモニーが素晴らしく、

 

ヒューマンなヴォーカルとまろやかなアコギの響き、

 

これぞ"エヴァー・グリーン・ミュージック"と呼ぶにふさわしいサウンドだ。

若葉が急に萌え出して、街に活気が甦る頃・・・・・・。

あるいは風の色がゆるやかに褪めてゆく夏の終わり・・・・・・。

音楽が決して流行やスタイルではないことを教えてくれる、そんな素敵な"なごみ"の1枚である。

 

キャスティングは相変わらず豪華でも、プレイは実にストイック。

 

ナイーヴかつピュアな心情

 

その芳醇なテイストと深いコクには、丹念に磨かれた技術とスピリットが息づいていた。

 

フランクスのヴォーカルと楽曲の質感は現在までまったく変わっていない。

 

安らぎの時間を演出してくれる。

 

バード・バカラックにも通じる美しいメロディを紡ぎ出す名ソングライター

 

温かい包容力を持たせた

 

妙な先入観や既成概念にあ捕らわれず、音楽のありのままを受け入れる。

 

映画のワンシーンを思わせるジャケットを含め、トータライズされたドラマティックな魅力は本作ならでは

 

圧倒的な歌唱力を持つスーパー・シンガーにして、"ミュージシャンズ・ミュージシャン"と賞賛される

凄腕サウンド・クリエイターでもあるジノ・ヴァネリ。

 

そのヴォ-カルは沸き立つようなエナジーと豊かな声量を持ち、しかもそれをコントロールし得る表現力と

絶対的なスキルも有している。

 



 情感豊かに仕上げた傑作

 

商業主義の業界と距離を置いた彼は、シンプルでシャープな音作りを試みたり、

ジャズに接近しながら、今も自分の音楽家としての欲求を満たすような創作活動を続けている。

 

熱気を孕んだマイアミ・ソウルの甘いムードと、哀愁を帯びたメロディ・ライン

 

無理をして音を重ねずに充分な空間を残している。だからストリングスやブラス、エレピのフェイザーが

とてもヴィヴィッドに伝わってくるのだ。それが彼自身が失わずにいる青臭さと相まって、独特の味にもなっている。

 

人生の光と影をくっきり映し出す。時と運命に翻弄され、ひとときの悦楽にもありつけない。

そんな男の哀愁と孤独を感じさせる、隠れた名盤だ。

 

都市の暗部まで知り抜いたホントの都会人には、彼らこそがリアルなシティ・ミュージックなのかもしれない。

 

どうしてこんなに優しいんだろう、どうしてこんなに穏やかなんだろう・・・・・・。

このアルバムを耳にするたび、そんなことを思う。

 

遅れてきたビートニク。

 

サウンドはスペース感を生かしたフュージョン寄りのハイブリッドなもので、

リズムは滑るようにしなやか。ちょっと投げやりなヴォーカルも、独特の雰囲気を放っている。

 

本末転倒かも知れないが、このアルバムを語る時には、どうしてもグレイドンの演奏及び

プロダクション・ワークを第一義にしておきたい。もちろんそれは本来、マークの才能を活かすために

嵩じた手段だった。

 

筋金入りの極上品だったワケ。

 

この作品もほとんどがミディアム~スローで、郷愁を呼ぶようなノスタルジックな旋律が特徴。

酸いも甘いも知った大人が、まだ青臭かった昔を振り返るようなアルバム

 

今にして思えば、確かに"クリスタル・ブーム"は女性リスナーを獲得し、AORをポピュラーにした。

しかしファッション化させてしまう両刃の剣でもあった。だがその根底を支えていたのは、

レコード店でメンバーを確認して"クレジット買い"するような、純粋な音楽ファンだったと思う。

サラッと聴き流しても雰囲気を楽しめる。それでいて、アレンジやコード進行を分析しても、

感心するほど奥が深い。それが当時のAORだった。

部屋でくつろぐ時、ハンドルを握る時、アウトドアに興じる時、恋人と愛を語る時・・・・・・。

いつもかたわらでAORが鳴っている。それが自然な時代だった。

 

タイアップという暴力的な情報操作でプロモーションを展開する昨今と違い、

良い音楽は口コミで広がってゆく・・・・・・そんな幸せな時代だった。

 

素性は純朴で優しいオッサンという感じ

 

常にマイペースを貫き通して活動しているベテラン・シンガー・ソングライター。

まったく飾り気のないシンプルな作風は、コンサバティヴとも言える。

しかしその素朴な味は、もはや彼の個性として確立。

 

余計なことを考えずにボサッと聴くには、とても気持ちの良いアルバム

 

しっとりした旋律に、フェミニンな詞。恋に悩み、愛に傷つき、それでもまた誰かを求めずには

いられない。そんな男のひとり言を綴った、悲しくホロ苦い詩(うた)の数々。

思春期の頃ならば、誰だってそんな想いをしたことがあるだろう。

 

日々の暮らしに疲れ、自分を見失いそうになった時、

こんなにも優しい音があるのを思い出してほしい。

 

商業化/大衆化を内包しているのが普通だった。なのに彼は実に恣意的で、純粋に音楽的洗練の

プロセスが聞こえてくる。本人の才能もさることながら、恵まれた環境が良質の音を生んだ絶好のサンプルだ。

 

私小説的に詩(うた)を普遍的で大衆にも通用する"歌"へと消化させた彼

 

骨太かつ臨場感のあるサウンドが打ち出された

 

彼らは気負うことなく、自然体で音を創ったという

 

纏ったファッションはその時々で変わっても、中身の人間まで変わってしまうワケじゃない―彼らはきっと

そう言いたかったに違いない。

 

音楽はスタイルじゃない。肝心なのは人間なのだと。

 

あの頃の高揚した空気感が、どれだけAORを輝かせていたか。またAORが自分たちの生活に

どれだけ潤いを与えてくれたか。その一体感の素晴らしさを実感し、次世代に語り継ぐことができるのは、

リアルタイム派だけなのだ。

 

季節やシチュエーションに関係なく、いつも五感で「海」を感じているかどうか。



たとえ都会に住もうとも、喧騒から離れて心を落ち着かせれば、何処からともなくさざ波が聞こえてく

る・・・。



オーガニック・テイスト



リラックスしてオープン・マインド



心に「海」を持っている人



ブルー・アイド・ソウル



ほのぼのした甘いヴォーカルと、ゆるめのアコースティック・グルーヴ

9/19/2007

逆立ち日本論


逆立ち日本論・養老孟司&内田 樹



少数対多数のときに、やくざは絶対に「お前ら」というふうに包括的な名称では相手を扱わない。相手がいくら大勢でも、その中のただ一人を凝視して、「お前、オレに何か文句あるのか」と凄むのです。相手が十人いても百人いても、ただ一人だけに焦点を合わせる。ほかは眼中に入れないんです。具体的で個別的な敵には対処できるけれど、「敵というもの」という総称的存在には打つ手がないですから。(内田)



ユダヤ人は諸国民より多くの「責務」を課されている。「あまりに責任が重いので、人間として十分な成熟が必要な仕事は私たちユダヤ人がやりますからみなさんはもっと楽な仕事をしてください」というのがユダヤ人の選民意識なんです。

この「選び」も自分たちが何か他の民よりもできがいいから選ばれたわけではなく、神に一方的に指名されただけで、その理由は特に示されていない。(内田)



シャガールというのはユダヤ人でほとんど唯一の例外じゃないんでしょうか。「ユダヤ人画家」というのは本来、形容矛盾なんです。ユダヤ人には伝統的に音楽や舞踏のような時間性を含んだ芸術表現以外は許されていないはずですから。シャガールがそれでもユダヤ人世界で許容されたのは、それが聴覚的な、あるいは時間性をどこかにとどめた絵画だからではないでしょうか。たぶん、シャガールの絵からは音楽が聞こえるのです。(内田)



日本人はどちらかというと統一国家に慣れてしまっているので、政府の仕事が「均質化」だとはまさか思っておらず、「利害の調整」だと思っているところがあります。実のところ、「均質化」なり「原則の貫徹」がアメリカ政府の役割だと思います。(養老)



中心地がもっともインターナショナルだと思っているのは、日本が島国だからでしょう。大陸に行ったら、異世界に接する辺境こそがもっともインターナショナルなんです。(養老)



スローフード運動というのは、マクドナルドのローマ出店に反対するイタリア人が始めた運動ですけれども、始まったのは北部同盟の中心地であり、ムッソリーニの政治的拠点であったピエモンテなのです。スローフードと北部独立運動とファシズムがなじみがいいということはよく理解できます。イタリア人にしてみたら、それはアメリカの牛肉がヨーロッパ人の身体を侵すことを拒否する身ぶりでもあるわけです。(内田)



ぼくは「デスクトップに並べておく」という言い方をしてます。自分の意識の『デスクトップ」に開いたファイルをどれくらいたくさん載せられるか。どれだけデスクトップが散乱しているのに耐えられるか。この無秩序に対する耐性というのは結構大切じゃないかなと思うのです。(内田)



「こうなったらどうなる」「こうなったらどうする」とう未来の可能性は、数え上げたらキリがない。だからぼくは「まだこれからどうなるかわからないのだから、それは起こってから考えよう」と言う。そういうふうに開放的に未来に向かった方が気が楽だと思うんですけれども、「もしもこうなって、こうなって、こうなって、予測される最悪の事態に立ち至った場合、内田はどうその責任を取るのか」と訊かれても、そんな蓋然性の低い予測についての対策なんて、考えるだけ時間の無駄じゃないですか。(内田)



本来、「個性」とうのは他人の目にどう映るかということのはずでしょう。そうやって年寄りが人を見ることをサボるから、同時に年寄りの意味がなくなりました。長く付きあって見るからこそ、「お前はああいうことをやれよ」って言って・・・・。(養老)



オーラル中心でやっている限り、宗主国と植民地の知的な位階差は絶対に埋められないんです。だから、英語教育をオーラル中心にやるということは、日米間の知的、権力的な非対称性を維持することに同意するということです。アメリカのイーブンパートナーになるという意欲がはじめからないということです。だから、ぼくは「オーラルより文法をやれ」「英語は読み書きができれば十分じゃないか」と言ってるのですが、誰も聞いてくれない。(内田)



大瀧詠一さんと喋っていて、

歌手における声と作家における文体というのは機能的には同じものじゃないかと思うのです。文体というのはやはり楽器みたいなものでしょう。作家は一人ずつ固有の楽器を持っている。どのへんで厚みのある音がでるとか、どの音域の伸びがいいかわっているはずです。「僕の文体は中音域で説得力がある」とか、そういうこと絶対考えているはずなのに、批評家は誰もそれを指摘しない。「この作家はクライマックスでカ行の語を多用する」とか言っていいはずだけど、誰もそういうことは言わない。(内田)



「顔の悪い結婚詐欺師はいるけど、声の悪い結婚詐欺師はいない」って言いますね。声の悪い詐欺師はいっぱいいるけど、結婚詐欺師となると声が命です、と。声がいいというのは、「自分の言っていることを信じている」ということなんです。自分の言っていることに自分が同意していると、声帯以外の身体部位が共振するんです。(内田)



やくざというのは「相手がどのようなことを言おうと、どのような行動をとろうと、それが彼にとって常に『想定内の出来事』でしかないことを思い知らせ、同時に絶えず相手の想定を裏切る言動をとることで、相手に無力感を感じさせる」ことのプロある。(内田)

9/18/2007

プロ相場師の思考術


プロ相場師の思考術ー「運」と「ツキ」の考え方/高田智也



私が相場師をしている理由は、

「自分ができる仕事の中で、人からの評価が一番高い」

ということにほかなりません。私ができる数少ない仕事のなかで、これだけは誰にも負けない自信があるからなのです。



相場の世界は、どんな世界より成功すれば見返りは多く、失敗すれば厳しい世界です。



一人の弟子に聞くと、

「将棋の考え方は、相場そのものである」

「考える必要のあるゲームができる人は、相場に向いている」



相場師として成功した人たちの共通点は、「根気のある人」です。

根気のない人に、本当に強い人はいません。



根気のある人、どんなことでもやれる人は、本当に少ないです。

苦しい時期を粘りきれるか。これで相場ができる人間かどうかがわかります。



「本を読む早さ」

「ルールを覚える早さ」

「投資対象を理解する早さ」

相場で強い人ほど、投資対象のルール、基礎を理解するのが早いです。



私は、相場の強さと、学習した時間は比例すると思っています。



「余計なことを聞いて、相場ができなかった。儲けられなかった」

という経験は、私だけでなく、みなさんもあるでしょう。

「相場に勝つ情報は少なく、深く利用する」



「強くなってからでないと、投機に参加してはいけません」

学習があやふやな状態で、絶対にお金をかけてはいけないのです。

学習した時間が長い人ほど、この世界で成功する可能性が高いのです。逆に言うと、何もせずに相場に参加した人ほど、資金を失って、自信をなくすだけです。



常識や世のきれいごとも、そして相場も一度疑うと必ず違う世界が見えてきます。



相場に強い人の多くは、しっかりと自己分析ができていることに気づきました。私は、自分を客観的に見ることができます。



役に立つ書籍

「チャートの救急箱・伊藤智洋」

「課プランのオプション売買戦略・パンローリング」

「文系人間のための金融工学の本・日経ビジネス人文庫」

「ゾーン相場心理学入門・パンローリング」

9/17/2007

丸山敏雄先生



丸山敏雄先生



 



 「早起き」のコツ

 

1.「さあ、明日から早く起きるぞ」と心に決める。

2.何の不安も持たず、夜はさっさと寝る。

3.目が覚めたらぐずぐずせず、パッと起き、衣服を改める。

4.積極的に仕事を追ってとりかかる。

今日一日の順序や段取りを考えよ。

 

 

「物事を成就させる」秘訣

 

1.一日一回、今までにしたことがない、実生活とはまったく関係のないことを、毎日くり返して実行せよ。

2.最後まで、成就するまで必ずやり通すこと。

 

 

 

「朗らか」とは

 

1.「明朗」は、積極的であり、建設である。

「憂うつ」は、消極的であり、破壊である。

2.幸福だから「朗らか」なのではない。

「朗らか」だから、幸福が舞い込んでくる。

3.病気は、心の浄化作用である。

「朗らか」な心で病気を迎え入れれば、吹っ飛んでしまう。

 

 

 

「継続して努力する」コツ

 

1.努力とは「反復」である。

今日できなければ明日、明日できなければ明後日、くり返し行なう。

2.まっすぐに、何も思わず、いつも同じ力で行なう。

 

 

男性は、躊躇しない、くよくよしない、なまけない、思い切ってやる。

 

 

「男」の心得

 

1.男は「陽」である。

動くべきときに動け。

2.成就するまで押してゆけ。やってやりぬけ。

3.躊躇しない。くよくよしない。なまけない。コソコソしない。

4.何事も「やってのけるぞ」の精神で、思い切ってやる。

 

 

「女」の心得

 

1.純粋に、喜んで働け。

2.天性を「長養」せよ。

髪の毛を大切にする。顔や体は「日本一」のものと思って洗う。

家庭や境遇を大切にする。

3.隠しごとをつくらない。

4.「つつしみ」深くする。

5.美しく、優しくなるように努力せよ。

女は「陰」である。

 

 

 

「『損をした』とがっかりしない」コツ

 

1.たとえ「得」したとしても、一時のことである。

2.「得しよう」とたくらんでも、ろくなことはない。

3.ポジティブシンキングに転換し、「どうせ・・・・・・だったのだから、もうけたわい!」と吹っ切ること。

 

 

 

「病気にならない」コツ

 

1.自分の体は、宇宙が生んだものであることを自覚する。

2.何も心に留めない。残さない。ためない。いつも心を空にしている。

3.思ったらすぐやる。体を動かす。

4.いつも自然に命いっぱい、豊かに生きる。

5.朗らかに、和やかに、力いっぱい働く。

6.休む時は、何もかも忘れて休む。

 

 

 

「スナオ」とは

 

1.スナオとは、「緊張」である。

事物が本来あるべき姿であること。

2.スナオとは、「そのまま受け入れる心」である。

不平不満、文句を言わす、そのまま受け入れることである。

3.スナオとは、「そのまま働きかける力」である。

スナオな者ほど、恐ろしい力を発揮する。偉人は全員、スナオであった。

4.スナオになるためには、まず「気がついたら、すぐする」ことだ。

そして、一気にやってやり遂げよ。

 

 



「やってはいけない」19のツミとその心得

 

「己に対するツミ」編

1.己を粗末にするツミ

自分が言うべきこと、立つべき所は、一歩も後ろに退いてはいけない。己を尊ばなければならない。

2.己を高くするツミ

人間はあるとおりにある。偉くもなければ、偉くないこともない。

ただそんなものである。

3.己をいたわるツミ

自分を大切にしすぎて弱くし、結局、自分を粗末にする。

4.冒険のツミ

必要がないことをするから、けがをする。

 

「親に対するツミ」編

5.親を大切にしすぎるツミ

好きなことを、思う存分やらせてあげなさい。

6.親を思いすぎるツミ

心配さえしなければ、いくら食べても大丈夫。思い切って好物を差し上げなさい。

 

「子どもに対するツミ」編

7.子どもをオモチャにするツミ

できるだけ簡素に、おおらかに育てる。

8.子どもをいたわるツミ

鷹揚に、大胆に、自由に教育する。

9.添い寝のツミ

別に寝かさなければならない。

 

「夫婦間のツミ」編

10.妻を大切にするツミ

妻の任務が達せられず、弱くなるばかりである。

11.妻を誇るツミ

歴史的に見ても、美人に生まれて、幸福になった例はない。妻を鼻にかけない方がよい。

12.妻に頼るツミ

男子はあくまでも人に頼ってはいけない。

13.妻を感心するツミ

妻に鶏冠をかまれるな。「なに、負けるものか」と、敢然と立つこと。私はこういう人間だと、さらけ出す意気でいくこと。

14.夫を大切にするツミ

神に夫のことを頼むのではなく、夫を神のごとく信頼する。

15.良妻のツミ

夫の遊びをやめさせようとせずに、「私がいたらないからだ」と、いっさいのツミを自分自身に受け止め、喜んで夫に心を任せる。

16.夫を助けようとするツミ

横で口出ししない。裏工作をしない。

17.里方に心惹かれるツミ

もうこちらにお嫁に来ているのだから、ここが第一である。

18.夫を粗末にするツミ

夫は子どもより弱い。太い神経の持ち主でも、主人は、家では細糸のような神経になる。夫を先に、子どもは後回しにする。

19.へそくりのツミ

夫の病気、失敗、死亡などの理由でへそくりをすることは、そうなることを願っていることと同じである。



「とらわれる心を捨て去り、好き嫌いや不足不満の心も捨てよ」

 

 

「周囲の物や人に対する」考え方

 

1.物そのものは、美しくも、汚くもない。

不足不満は、人とその心にある。

2.世の中にはいろいろな人がいるから、にぎやかで、面白いのだ。

3.「いやがる」からいやになる。「寒がる」から寒くなる。

「がる」から、そうなるのだ。

4.天候や物や他人を変えることは容易ではない。

しかし、自分を変えることはきわめて簡単である。

5.あたたかな愛情で接すれば、人は味方になってくれる。おだやかな明るい心で接すれば、

物は自分のために働いてくれる。

 

 

「運命は自ら招き、境遇は自らつくる」

 

 

「運命を切り開く」コツ

 

1.人生は偉大なる演劇である。端役ではなく、主役を熱演せよ。

2.小さな己の殻に閉じこもってはいけない。

己をすべて開放し、全に生きよ。

3.自分の力は無限である。世界は広い。道もたくさんある。希望を持とう。

 

 

一家中、どうやって朗らかににぎやかに暮らしていこうか

 

 

 

「店を繁盛させる」秘訣

 

1.店はお客様のものである。

2.何事も、お客様の好み第一、お客様の都合第一である。

3.とにかく掃除をする。

4.水を大切にし、一滴も粗末にしてはいけない。火も大切にし、煙も粗末にしてはいけない。

5.建物は「お預かりしているもの」と考え、掃除、手入れを怠らない。

6.一家、仲よく暮らす。

7.商品をわが子のようにかわいがり、心から大切に扱う。

8.商品について、あらゆる研究をし、知識を得る。

9.店頭の装飾や陳列の研究をする。

10.宣伝をすることによって自信がつく。

11.美しく、なごやかな心で商売をする。

 

 

 

「商人」の心得

 

1.気がついたら、すぐすること。

2.人を好き嫌いせず、物も好き嫌いしないこと。

3金の支払いをよくすること。.

4.天候気候について不平不満を持たないこと。

5.時勢の変動に直ちに対処しなくてはならないが、ビクビクはしないこと。

6.人を信じて、己を信じること。

7.早く始めて、早く終わらせること。

8.思い切って断行すること。

 





「天職にいきる」コツ

 

1.純粋に一途に働く。そうすれば、周囲が味方してくれる。

2.「やりすぎ」はない。ただ、一気に前進するだけだ。

3天職に生き、それをまっとうした人間こそ、人生の勝利者である。

.4.働いて、働いて、働きぬく。そこに楽しい人生が開けてくる。

 

 

「物を味方につける」コツ

 

1.喜んで受ける。

2.心を込めて大切に扱う。

3.物の由来を知る。

4.その物のよさを知る。

5.物に対する道(礼)を尽くす。

6.十分に働かす。

7.管理を十分にする。

8.物の恩を感じ、それを表わす感謝の式をとる。

9.後始末をする。

 

 

「気がついたらすぐやる」コツ

 

1.気がついたその瞬間が、その仕事をやるには、最良のコンディションである。「それをせよ」という、

至上命令が下りてきたと思い、即刻やり遂げる。

2.第一回目の失敗は第二回目の成功の足場であり、第二回目の不出来は第三回目の

華々しい成功の序幕である。失敗しても、新しい気持ちで、くり返し取り組む。

3.時を置かずに、目の前の仕事を片づける。

4.ノートと鉛筆を備えておいて、気がついたらすぐメモをとる。

5.今日は最良の一日、気づいた時はチャンスである。

これを取り逃せば、時は再び回って来ないのである。

 

 

「起業」の原則

 

1.目的を明確にする。

2.準備を完璧にする。

3.順序を間違えない。

4.方向を間違えない。

5.始末を完璧にする。

 

 

「よいスタート」の心得

 

1.早く起きる。

2.爽やかに、さっと、歯切れよく家を出る。

3.通勤電車の中では、意識して本を読む。

もしも、満員電車で本が読めなかったら、ピープルウォッチングをして、人生哲学の勉強をする。

また、電車を「人生の練習所」と思い、「どんな場所も時間も嫌わない稽古」を積もう。春の川を下る、帆船のような穏やかな心で。

4.襟を正して、職場に入る。今日一日の命をかけて働く場所である。

5.人よりも、いち早いスタートを切る。

 

 

「よいゴール」の心得

 

1.スタート以上にゴールは大切である。力いっぱい働いて、見事なゴールを決める。

2.今日一日の仕事の後始末をする。

3.道具や機械には「今日一日、助けてくれてありがとう。また明日」と感謝と愛情の挨拶をし、目礼する。職場には敬意を残す。

4.門を出る時に、向き直って一礼する。自らに“くくり”をつける作法である。

5.仕事を追い、早く切れ目をつける。

 

 

 

「岡目八目」

 

お金というものは「魔物」である。

 

どんなになくなっても、ビクビクする必要はない、ということを学んだのです。

 

お金は妥協を好まない。

 

「自分の思うことをズバリと言ってのけることができない人間は駄目だ。人の喜ばない

ことでも、言うべきことはあっさりと気がるにいうことが正しい」

 

いつも金庫が空になっているということは一見貧乏人のようですが、胃の中が食べたものを

全部消化して一つもあとに残さないというように、きわめて健康な状態なのです。

 

「お金を生かす」心得

 

1.お金は生きている。

2.たとえ1円でも大金のように大切に扱う。お金は、かわいがってくれる人を好む。

3.妥協なく請求する。きちんと集金しないと、結局、相手も自分も困ることになる。

4.一刻も早く支払う。金を休ませない。

5.有効なことに使う。不用なことには1円もつかってはならない。

6.豊かな時も、貧しい時も、変わらずにあるがままを喜ぶ。

7.喜んで働き、感謝して使うとき、お金は本当に生きて働く。

 

 

「ある相当な会社の元社長で、ほかに趣味も道楽もない。ただ働くことが楽しみな男」

 

「働き」とは

 

1.働きは「世の中のすべての苦難を解決する鍵」である。

2.働きは「最良の健康法」である。

3.働きは「長寿の秘法」である。

4.働きは「幸福の原動力」である。

5.働きは「喜びの源」である。

6.喜んで働く人は、健康、経済、家庭愛和に恵まれる。

 

 

一つのことを、まず十年続けなさい。そしたらきっと一流になれる。

 

人格は金では買えない。自分で磨くよりない。だから価値が高い。

 

 





 

ホテルリスト 東南アジアに行くんだ


ホテルリスト



◎バリ島
アマンキラ (アマンダリ)
http://www.amanresorts.com


クプ・クプ・バロン
http://www.bali-tours.com/hotel/kupubarong.html
http://appleworld.com/entertainment/virtualtour/kupukupu.html


◎ジャワ島
ホテル・マジャパヒ
http://www.mandarin-oriental.com


◎ロンボック島
ジ・オベロイ・ロンボック
http://www.oberoihotels.com


◎チェンマイ
リージェント・リゾート・チェンマイ
http://www.regenthotels.com


◎マカオ
ポウサダ・デ・サン・チアゴ
http://www.saotiago.com.mo


◎ランカウイ島
ダタイ
http://park12.wakwak.com/~takutaku/island/ranka2.htm
http://www.geocities.jp/kobefuna/datai/datai-LangkawiInfo_1.htm

9/16/2007

無双原理・易/桜沢如一


無双原理・易 「マクロビオティック」の原点 桜沢如一





桜沢先生は自律神経の働きをとりわけ重視し、その中枢である間脳の強化法として、食を正すことに加え、幼児期から寒さ、ひもじさを、できるだけ多く体験させることを強調していました。今でこそ、自律神経の働きが免疫力を高めることが明らかになりつつありますが、先生は50年近くも前に、「自律神経のバランスがとれていれば、病気は絶対しない」と断言されています。





つまり、あらゆる環境のエッセンスとしての食を正すことによって、人間の意識を変えることができる。そして、その理論的な根拠として無双原理を示し、後世の人々に人類普遍の指導原理としてその応用・実践を託したのだと思います。





では、東西両文明を統合し、21世紀にふさわしい精神文明を構築するために、日本人に託された課題とは何でしょうか?





最終的に何が国家の命運を決定するかといえば、私は人間の資質だと思います。現在の文明国と呼ばれている国々、それは西洋型の先進国ですが、それらの国の人々の資質はどうでしょうか?米国や日本の現状を見ても明らかなように、決して人間性が高いとはいえず、私にはその大きな原因が、食と教育にあるように思われてなりません。自由主義経済を導入している中国も、戦後の日本と同じように徐々に内部崩壊を起こしつつあるように見えるのは、私だけではないでしょう。





それに、私は従来の「日本人」というような狭い観念の殻を抜け出したいのである。私は、全世界を私の故郷とし、すべての民族を真実の同胞と感じる。それこそ、日本人のいわゆる「忠道」の極致である、と言う人があるかもしれない。しかし、私にはそんな大げさな考えがあるのではなく、感傷的な少年時代、西洋崇拝やら自然主義文芸に感化を受けたうえに、東洋の古代思想の自由な広大無辺さに呼吸することを覚えたばかりに、日本という島に容れられるにはあまりに放埓な思想をもつに至ったからなのだろうと思う。



われわれは、不自然な状態をつくり出すためにこそ積極的な努力が必要なのであって、自然に返るためには単に不自然な生活をやめさえすればよいのである。

その努力は実に消極的なもので、単に惰力をコントロールすれば足りるのである。





すなわち、人間は自然の征服を喜び、不自然な快楽の欲望にかられてとどまることを知らず、日に日に新しい不自然をつくり出しているのに対して、人間以外の生物は自然環境に絶対的適応を試み、それに成功している。

ここに、陰陽呼吸という、極めて自然で独特な天地調和の生命現象を、特別な努力によって修業的に試みなければならない人間と、自然に楽しく、何ら特別な修行なしに行い、それによって日々の生活を営んでいる人間以外の生物との違いが生まれてくるのではないだろうか。





いわゆる経済的な行為や実用的なもの、便利なものが必ずしもわれわれに幸福をもたらすとは限らない。

自国の工業のみを偏重して、農産物を外国からの供給にゆだねておくことは、確かに経済的であるかもしれないが、身土不二の原則をやぶる罪は、必ずや国民全体の心身の異常となって現れる。





正しい意味においては、西洋に文明はなく、東洋に物質文明がない。二十世紀以後の人類の文明は、この東西文明を綜合したものでなくてはならない。





物質文明は必ず亡びる。それは陽性過多で斃れる。精神の陰がないからである。これは人類滅亡の歴史を見れば明らかである。

すべての文明は物質文明に圧迫されるが、やがては物質文明を分解し吸収してしまう。

個人においても同様で、陽性の人は華やかな生活をするが、忽然としてそれを終えたり、悲惨な最期を遂げたりする。陰性の人は長く地味な生活を続ける。

やがて時を経て大成し、あるいは平和な終わりを全うし、あるいは偉大な仕事を成就する。








9/15/2007

現代版 食物養生法



現代版 食物養生法 鶴見隆史



 



「血の汚れが病気の元凶であり、そのおおもとは腸の中での腐敗であり、腐敗した時はその毒素がろくな血球をつくらず、また、血漿を汚し、血管壁までもベタベタにし、その結果、肝や腎その他の臓器に負担をかけ、アレルギーを起こしたり、さらに筋肉や骨にまで悪影響を及ぼし、同時にホルモン代謝や自律神経に悪影響を与え、様々な病気につながっていく。そして血の汚れのもとは悪しき食物である」





○食事の質は健康を大いに左右する

○食事の摂取法も健康に大きく影響する(食べる量、噛み方、回数、夜食など)

○食物には血液をきれいにするものと血液を汚すものとがある

○概していわゆるおいしいものほど血液を汚す傾向にある。おいしいものは酸性食品が多い

○血液の質の良さ悪さは、組織の質に影響する

○食事を正すと血液はきれいになる

○血液がきれいになると、病気は治っていく





「土壌が腐れば木は枯れる」ということは、人間なら腸の中が腐れば病気になる、ということを物語ります。実際、東大の光岡知足先生などは、腸に腐敗菌が多くなると病気になることを指摘しています。



 



桜沢(「マクロビオティック」の原点 桜沢如一のこと)の唱えた食事の基本的な考え方は次のようなものです。

①玄米、栗、ひえ、きび、そば、葛を主食とする。

②おかずは、ごぼう、人参、レンコン、ねぎ、玉ネギ、ごま塩など主食の四分の一以下

③味付けは塩と油が一番いい。油は、ごま油、菜種油。塩は自然塩。味噌、醤油は天然醸造のものを使う。

④なるべく加工食品を食べない(つくだ煮、福神漬、缶詰、かまぼこ等)

⑤小用一日四回以下に水分を控える。

⑥一口(一〇グラム)を少なくとも三〇回噛むこと(病気のある人は、五〇回以上一〇〇回でも二〇〇回でもいい)一日二食。少食。体を動かす。



桜沢はこれを「基本食」といいました。そして、この基本食を一ヶ月続けたら、必ず次のような生理的変化が起こると強調したのです。



○頭がすっきりしてくる。記憶力がウンと冴えてくる。

○疲れがなくなり、かぜをひかなくなる。根気がよくなる。

○夢を見なくなる。朝早く目がさめ、いねむりをしなくなる。睡眠時間は六時間で十分になる。

○判断が早くなる。実行力が大きくなる。、作業能率がグッと上がる。





なぜうまいもの、おいしいものがいけないのでしょうか。なぜ食べすぎてはいけないのでしょうか。何度も述べましたように、それは「血が汚れる」からです。





うまいものが身体に悪い。食べすぎが身体に悪い。それはある面では事実です。後者はやはり、どんなことがあってもダメです。食べすぎて良いことは絶対にありません。



 



『玄米を手軽に美味しく食べる本』(高畑康子著、ペガサス)





われわれが生きていくのに必要最低限量以上の食物を身体の中に入れた場合、これが老廃物、余剰物となり、病原菌がはびこるための餌になる。





牛乳は人間にとっては不向きであったということです。カルシウムが多い、栄養素が多い、ビタミンが多い、だから牛乳を摂ると健康になる、それを摂ると背が高くなるなどといわれ、世の中に広まったのは戦後になってからでした。ところが、その最大のうたい文句であったカルシウムの量の多さということが、決して良い骨をつくらないということがわかってきたのは最近です。





カルシウムの供給源として欧米人は牛乳を摂り続けてきました。一日に一リットルも二リットルもです。ところが飲めば飲むほど骨がボロボロ(骨粗鬆症)という現象が出てきたのです。北欧ほど牛乳を飲んでいるところではないそうですが、この北欧の人たちくらい、骨粗鬆症に悩まされているところもないそうです





牛乳の欠点を列記すると次のようになります。



①カゼインタンパクであり、消化不良を起こす

②牛乳のタンパク質は分子が小さく直接血中に吸収されるものもあり、アレルギーのもととなる

③人間の脳の発達に必要なビタミンBとリンが非常に少ない

④タンパク質が多くかつ消化しにくいため腸内腐敗を起こしやすい

⑤マグネシウムが少なくカルシウムばかりが多いため、牛乳を摂ると動脈硬化→高血圧→不整脈→心臓病を起こすもととなる。その他のカルシウム過剰による弊害も、いくつも起こる

⑥自然な免疫力が母乳にはあるが牛乳にはない(IgAなど)

⑦ラクターゼという乳糖分解酵素が日本人は少なく、消化不良を起こしやすい

⑧粉乳には三〇品目の食物添加物が含まれており、さまざまな副作用の併発のもとなる

⑨牛乳のタンパク質と脂肪が血液粘度を増し、高脂血症のもととなる

⑩牛乳の脂肪は飽和脂肪酸が多量に含まれ動脈硬化のもととなり、脂肪の量の多さが乳ガン、大腸ガンなどのもととなる

⑪牛乳は視力低下を起こしやすい(宮崎大島田教授)

⑫粉乳となったものは大きく酸化している





朝はしっかり摂らないほうがいい。もし摂るなら非常に消化が良くてミネラル、ビタミンの多い果物とリブレスープを摂るのがベスト。



(1) 朝、目覚めてすぐは、内臓その他の臓器がしっかり活動していない身体がよく活動をし始めるのは起きて三~五時間経ってからです。それゆえ、目が覚めてすぐ栄養のあるものをしっかり摂ったらただただ内臓(胃腸のみならず肝、腎、心まで)は疲れ果ててしまいます。そして、ホルモン系も自律神経系も異常をきたしてしまうことになります。



(2) 日本人は長い間一日二食であったので、朝に食事を摂るのは体質的に合わない



(3) 中国では、時間と病気(経路)の関係が明記されてる。



(4) 一日二食であることにより、胃と腸と肝その他の臓器の休息につながる



(5) 西式健康法の西勝造の実験結果より





一、少食―断食、半断食をしばらくする(次項のファスティング・メニューを参照)。

二、タンパク質を少なく、穀物菜食(特に生野菜・煮野菜)、味噌汁、漬物、果物中心。

三、良いお茶、良い水をしっかり摂取する。

四、マイナス思考を持たない、積極思考を持つこと。

五、酵素のたっぷり入った食事をいつも摂る(つまりは生野菜摂取と果物摂取あるいは酵素サプリメント)。





 

9/14/2007

断眠


断眠 山田鷹夫



一食で三時間の睡眠が必要であると聞いた気がする。

それが心に残っているけれど、それを更新したいと思う。

一食で二時間の睡眠が必要となる。つまり三食では合計六時間の睡眠が身体に必要となる。

ステップアップして、二時間睡眠の道に突き進むには今の食事量をなくす以外にない。





眠っていながら起きているという、その状態が夢だ。

起きていながら眠っているという、それはどう言ったらいいか、ぼんやりとしているときがそれだ。

起きているのだが、意識がない状態だと言えばいいか。意識がどこかに飛んでいっている。

僕が単純作業が好きなのはおそらくそこに理由がある。単純な作業をくり返していると、たとえば掃き掃除だとかでひたすらホウキを振って広い床を掃いていると時間が飛ぶというか、時空が消える。

意識がなくなるということに気がつく。





もし身体の負担や疲れを消したいと願うのであれば、一つ勧めることがある。

眠る前には胃を空っぽにしておくという習慣を身につけるということである。

できるならば夜食はもとより、眠る三時間前には食事をとらないほうがいい。

なぜかと言えば、あなたの意識が休んでいると思うだけで、身体は少しも休めていないからだ。

胃に残った食物の消化のために、あなたが寝入っても身体はせっせと働きつづけなければならないからで、身体は休みになっていないのだ。

休んでいると思うのはあなたの意識でしかない。睡眠を一番左右するのは食物だからだ。



眠るということと、食うということは深いつながりがある。表と裏である。

食うということは眠るということで、眠るということは食うと同義であると言える。

一般的にはそんなふうには意識していないが、そうである。

眠るために食べるという言い方ができる。食べなければ眠らない。食べなくなれば眠る必要はなくなる。

眠らないためには、食べなければいい。単純な真理である。

だれも信じられないだろうが、僕にはそれがわかる。

不食というアホな実験をした者だからそれが見える。

断食体験者であるならばそのことを知っている。



不食の会:http://www.taka45.com/fushoku/




9/13/2007

不食のすすめ


「不食のすすめ」という本。変わった本だけど、興味深い内容。
以下、赤線引っ張った箇所を示します。どんどん哲学的、印度りんご的になる自分を制御出来ない、と。


水野南北は、遊郭に遊ぼうが何をしようが、何をしてもいい、ただ一つ食だけは節制するようにと、この一点にすべてがかかっていると言った。
今の日本にはその警告を発する者がいない。

個人でも国家でも食を節しないものは、滅ぶ。
合併だとかは些末なことだ。
根本である食を改めることのほうがはるかに優って重大であるのだ。
だがだれもそういう警告を出す者はいない。
異論を吐く者は巷にいない。
今の社会は食という欲望の怪物にからめ取られている。
何重にも封鎖されてしまっている。こ
の包囲網から、食欲構造から、人間は、日本人は脱出できるのか。
それだけが問題だ。


物質の歓びは頂点に達した、そこに幸福はなかった。
ではその体験を生かして、新しい山に向かおうというさらなる進化の道に踏み入ろうという代替の提案だ。
没落を歓迎したい。
達成の後には降下があって当たり前だ。
成功の連続では感激は薄れる。
失敗や没落は長い人生のスパイスになる。
繁栄だけの人生は底が浅い。
対極をも味わって究めてこそである。
半世紀で貧乏から、繁栄の頂点に達した。
再び没落するのもいい。
だがその没落の流れの中で新しい流れを形成する。
過去の歓びとは対極にある歓びに自らの意識と生活をシフトする。


9/12/2007

オシムの言葉






オシムの言葉





間瀬秀一は
「行く国、行く国、貧しい国。行く先、行く先、苦しい場所。ツテもなくて2部とか3部ばっかりで、スタジアムも小さくて環境も悪いわけですよ。住むところも食べるものも貧しいわけです。で、サッカー辞めようかなと何回も思った。でもそこのチームメイトと同じものを食べて、同じ生活をするうちに見えてくる。俺がこんなに苦しいってことは、そこの国の人、みんな、苦しいわけです。彼らに愛着が湧いて来たんです。どんな環境であろうが、そこに人が住んで生活を営んでいる。1部でも3部でもやることは結局同じサッカー。
人生なんて、みんな、価値観、それぞれ違うわけじゃないですか。サッカーなんてどうでもいい、サッカーなんて嫌いな人だって世の中にいるわけです。でも自分はサッカーを好きで、こととん追求することができた。代表になれたわけじゃない。サッカーで大金を稼いだわけでもない。それでもね、確かに自分は貫いたという自負があります。」





夢ばかり見て後で現実に打ちのめされるより、現実を見据え、現実を徐々に良くしていくことを考えるべきであろう。





攻めるべきかどうかということは、人生の哲学とも関わっている。プロの世界だから結果は大事。内容が良いかどうかよりも、やはり勝ち負けが注目されるし、それがプロでもある。そういう意味で、人生の哲学と関わってくるのではないか?
私が思考するのは、観客やサポーターはいったい何を望んでいるのか、そして何が目的なのかということだ。サッカーとは攻撃と守備から成り立っているもの。その要素の中でいろいろな方法論をとることができるが、私としては、いる選手がやれる最大限のことをして、魅力的なサッカーを展開したいと考えている。そういうサッカーを目指すには、リスクが付きものだ。しかし、現代サッカーがビジネス化し大きなお金が動くからといって、そのリスクのほうを狭め、大きなお金のためにサッカーを展開し、ほとんどの試合が0-0になったらどうか?もちろん、いいサッカーをしても0-0の結果になることはあるが、それはまた別の話。観客が満足するようなことに挑戦することこそが、大切なことだと私は思っている。
全ての監督が大きなプレッシャーを感じている。ほとんどの人たちが、試合の内容よりも結果に注目しているわけだからね。やはりチームが負けないようなサッカーを監督は選択していくだろう。ただそういうことを続けていたら、残念ながらいい内容の試合は展開されないだろうね。










9/11/2007

行列のできる店はどこが違うのか




行列のできる店はどこが違うのか/大久保一彦



#1行動の9割は無意識



あらゆるものが成熟した日本の市場において、この差は「商品の違い」でないことは、みんながうすうす感じていると思います。しかし、どうしても商品に固執してしまう。状況が悪くなればなるほどその傾向が強くなります。



味は嗜好性のある要素であり、人それぞれ好みが違います。例えば、塩加減などは生まれ育った環境で違います。生活水準が高く、文化的な生活を送る家庭で育てば、塩加減は穏やかになります。その反対に、夫婦共働きで、時間に追われて生活をすると塩加減が強くなります。なぜならば、サラリーマンやOLのランチタイムは非常に短く、短時間にお腹を満たさねばなりません。おのずと無意識のうちにインパクトのある味を求めるようになるのです。私は、堂々、「貧乏人はタレを飲み、塩を食べ、裕福になって時間を食べる」と言っています。



店というのは売上が上がった時点から本当の商売が始まります。



ラーメン屋で味のインパクトを出す場合、化学調味料を増やすのが常套手段です。人間は舌と体のふたつで塩分を感じます。舌と体です。


しかし、 化学調味料を塩とブレンドするとこのブレーキの利きを甘くするようで、舌で「しょっぱい」と感じるポイントをずらしてしまいます。



インアンドアウトバーガーでは創業以来裏メニューがあったそうですが、もしそうだとするとインアンドアウトバーガーは商売の天才です。


なぜか。まず、メニューをシンプルにすることで生産性を高め、仕入れ効率を高め、高品質のハンバーガーとどこのハンバーガーチェーンよりも高い賃金とを実現しています。おいしさとサービスで評判になる。



売込みを意識させるのとさせないのでは、逆説的なことに、意識させないほうのが良いのです。


「新宿さぼてん」はアルバイト、パートで店を運営しています。したがって、販売スキルは低いです。そこで私は、袋や箱を作ったり、スタンプカードにハンコを押したりと手空きのときの作業を考えました。これによって販売スキルの低いスタッフでもお客さんを店に引き込むことができます。従業員に動きを作ることで、ショーケースの前に立ちやすくなり、売れる環境になるのです。



開放度とはお店が道路に対してどれくらいオープンかを表します。入り口にキュウリやトマトなどの野菜をザルに載せているような八百屋さんは開放度が高いといえます。開放している度合いが高ければ境界線を意識しませんので、お客さんは入りやすいと感じます。


次が透視度です。飲食店などは、一般的に外気を遮断するために八百屋さんのようにはオープンにしません。その場合、入りやすさを出すために、入り口などをガラスにして中が見えるようにします。そうすると入りやすく感じるわけです。どれくらい中が見えるかを透視度といいます。


最後に深度です。お店が奥まっていると一般的に気取った印象を受けます。この奥まっている度合いを深度といいます。料亭などは、塀があって中が見えず、おまけに入り口が奥まってます。ですので、とても入りにくい印象を受けます。逆に、町の八百屋さんは入りやすい印象を受けます。これをうまく調節するとお客さんの無意識に感じる入りやすさをコントロールできるのです。ドラッグストアは入り口にティッシュやトイレットペーパーをおきますね。まるで万引きされそうです。でも、この万引きされそうな環境が大切で、万引きされそうというのはお客さんに境界線を感じさせないのです。



東京の港区の人気のあるレストランでは、「お客様、○と△と□をお選びですと、お二人様では量が多すぎると思います。□を次回のお楽しみとされたらいかがですか?」と、お客さんの注文のしすぎを防いでいます。なぜかというと、料理を残された場合、量が多いことを知らない一見さんの場合、まず、「不親切な店だな」と思われてしまうからです。そして、もうひとつが、無意識にすごしている限りは予算を超えないようにすることによって、お客さんの価格に対する満足度が高まるからです。



売上の構造を説明する時に、「売上=買い上げ単価×客数」という公式を使います。その考え方に従うと、売上を上げるには買い上げ金額を上げるか、客数を増やすしかないことになります。あまりお客さんが増えない成熟の時代、どうしても新規客が増えそうに思えませんから、来店されているお客さんから売上を搾り取ろうとしています。経営者は「なかなか手が伸びないこの商品、買ってくれたらなあ」こんな事を考え勝ち。しかし、これが、より一見さんしか来ない商売にしてしまうわけなのです。


では、単価をアップさせる方法はないのでしょうか?もちろんあります。それは、自分、すなわち店とお客さんの両方を進化させるのです。進化とは、文化の度合い、分かりやすい言葉で言えば価値観の水準の向上です。



人間は幼少から育った環境で、生活習慣や文化を身につけます。



人間は安定を得ると新しい文化を理解するようになることがあります。ですから、私は、無意識のうちに新しい世界に接する機会を積極的につかもうと行動してきました。



文化を創るには自分自身にその文化が必要です。それは文化の階段を上がるには、道案内するガイドが必要だからです。自分自身に文化がないと、誰かに依存しないといけません。自分の体験以上にお客さんを感動させることはできません。


ですので、単価アップは自分のためにも大切なことです。そのためには、自ら進化し、文化発信できる立場になり志が重要なのです。



売上=新規客の売上(客単価×客数)+その後のお客さんの利用の度合い+その後のお客さんと自分の成長




#2常識は時代の産物



良い商品開発には、経験曲線のメリットを享受できることが必要です。分かりやすく言うと、売上に比例して増える経費、すなわち変動費を増やさず、かつ、そもそもかかる経費、固定費も増やさないで、経費と増えた売上のギャップを作る商品を開発するのです。



「おいしさがあれば繁盛する」これは食を扱う誰しもが持っている常識です。しかし、あらゆる食べ物が身近なところで手に入る今の時代では、この「おいしさ」という言葉の前に「卓越して感動に値する」という前置きがあってはじめて成立する話なのです。



#3強みではなく弱みで勝負



鮮度が重要な文化というのは、必ず上から下に流さないといけないのです。


ですので、店というのはまず、今までにないものは、新しいものに敏感な文化のある変わり者に流さねばなりません。そして、その人たちに文化発信する楽しさを十分堪能してもらい、優越感に浸ってもらいます。このプロセスで口コミが浸透し、文化として根付いていきます。


繁盛店作りの最初のポイントで、消費者全体の中では変わり者のお客さんの口コミを通して、世の中でおいしいものという常識になっていけな繁盛店は容易にできるのです。



二流店はよさそうなもの同士を組み合わせ、一流の店は意外なものを組み合わせるのです。



一般的に弱小企業や新参者はいいスペースをもらえません、悪い条件下で、数ある埋もれた商品の中から、お客さんの目に止まり、選んでいただくことまでをデザインの中に落とし込まなければならないのです。これは重要な販売術で、ヒット商品には欠かせないポイントです。



自分の知識の基準を相手に押しつけるのは難しい。ここではまず、待つことが大切です。お客さんが新しい文化を取り込むには、加えてタイミングが重要です。早すぎても遅すぎてもよくありません。



今の消費者は、より選択肢が多い場所を選ぶ傾向があります。それは、「その街に出ればなんとかなるだろう」と思って外に出る今時の若者の深層心理を如実に表しています。このタイプの「とりあえず客」は目的意識がありませんので、すぐ忘れてくれるという良さがあります。



#4脚本+演出+役者



『神話の法則』(クリストファー・ボグラー著)という脚本家のマニュアルのような本があります。この本には脚本作りのセオリーが書かれており、ハリウッド映画、特にディズニーなどはストーリー展開においてこのセオリーを踏襲しています。例えば、この著者は、ストーリーの展開は次の12ステージになっていると述べています。


1、日常の世界(映画の始まり方、子供同士が遊んでいるシーンから入る)


2、冒険への誘い(たんすの中に別世界への入り口を発見)


3、冒険の拒絶(誰かにその入り口へ入ることへの恐怖が湧く)


4、メンターが現れる(見知らぬ世界への準備をさせる)


5、第一関門突破(冒険に踏み出し何らかの成功を収める)


6、試練、敵対者(なんらかの成功を収めるとやっかみなどの試練が発生する)


7、もっとも危険な場所への接近


8、最大の試練


9、報酬(第二関門の突破)


10、帰路(この時点でヒーローは完全に危険な状態から脱しておらず、どんでん返しが待っている)


11、復活


12、宝を持っての帰還


この展開を頭に入れて映画を観ますと、いかに多くの作品がこのようなセオリーで進行しているかがわかります。



高級ワインを楽しむことは、歴史を受け継いだ過去と今と未来を結ぶ共有できる価値観を楽しむ文化なのです。文化度がなければ、価値観を感じないのです。ワインのつくり手や関る人は必ずしも、単に儲けを考えて事業としてやっているわけではなく、文化の伝道師というミッションで日々携わっている人も多いのです。



#5ビジネスと人生設計



店の命の源は活気です。明日や先のことなど、何も余計なことは考えず、ただ目の前のお客さんを喜ばすために必死にいろいろなことを考え、その瞬間を繁盛店のスタッフだと思って演じきってもらわないと店は繁盛に導かれないのです。



「あなたが一年以内に行くようになった店で、三度以上行った店はどれくらいありますか?」



「今までお客さんがまた来ないという視点でみたことがありませんでした」



「料理人よ故郷へ帰れ、そして故郷の市場に行き、故郷の人々のために料理を作れ」


商売人にとって大切なのは自らを育んでくれた故郷にあるのではないでしょうか?その縁のあった故郷を豊かにしてこそ、自分の生きていることに対しての恩返しができるのではないでしょうか。



9/10/2007

海外留学の理想と現実




海外留学の理想と現実・浅井宏純



日本人にとっての国際性というのは、国際人的な意味で使われるのだと思いますが、もっと広い意味で使われる国際性というのは、主に国益なども含めてた、他国との違いということです。つまり、国益や文化的な意味での対立を前提にした、異文化へのコミュニケーションだそうです。現実にはそういう意味の方が強いのでしょう。



留学することが国際性を直接に育てるとは思いませんが、日本にいるよりは、留学することで早くから自然に外国人と触れるので、意識は国際的に変わるでしょう。繰り返しますが、日本人が日本人であることがとても重要であり、日本人であることが、すなわち国際的に貢献できるのを忘れないでください。



アイデンティティが育っていないのは、家庭での日常生活や日本の学校教育のなかで、誇り高い日本の文化が教えられていないからです。留学することで、日本にいる家族と日本により興味を持って、自分の文化を育てていく学生がいる反面、留学して根無し草になる学生がいます。彼らは、現地で知り合って友だちになった外国人から影響を受けやすく、彼らの文化に染まるのです。



もっともよい対策は、親が待つことです。気になっても、少々子供が苦労していても、放っておくことです。考え方の違う異文化に、子供が留学しているのです。親があれこれ自分の(日本での)考え方や知識でアドバイスしないことです。


遠くにいる親より、知覚の他人。子供には、離れた日本にいる親ではなく、留学先でお世話になっている身近な人、先生やホストファミリーや友だちに相談するようにさせることです。本人から相手に悩みを伝えることで、必ずうまく解決します。



「好きなことをしなさい」「好きなことを見つけて、一生の仕事にすればいいのよ」といって育てらている子供は、思考に柔軟性がなくなります。「(よい大学、よい就職のために)勉強さえしていれば、あとは好きなことをしていいのよ」というのも、根は同じです。そのようにいわれ続けて育てば、自分の希望を大切にするがために、人のアドバイスを聞かなくなります。好きなことをするためにはリスクがあり、したくないこともしなくてはならないことを教えておかなくてはなりません。


大人になったら「人の役に立つ仕事ができるようになればいいね」といって育てられた子供は、人のためなら人が嫌がる仕事にもチャレンジできるのです。その方がどれだけ可能性が拡がることでしょう。



私が3人の娘をすべて中学留学させた理由は「子供を自立させる」ためです。私は、「自立」が教育の役割の一つ、留学が自立の芽を育てる最高の手段だと、経験上、確信しています。だから、娘たちを旅に出して、他人の釜の飯を食べさせること、外国へ一人で行かせて、言葉の壁を乗り越えて、厳しくも楽しい学園生活をさせました。外国から親のこと、姉妹のこと、友だちのこと、日本のこと考えるきっかけを与えてあげたい。また、一度、日本の教育システムから外すことで、日本に戻っても、子供たちが自分の将来は自分で決められるような、逞しい想像力を身につけさせたかったからです。



「留学とはお金を出して、苦労を買いにいくもの」です。親の庇護から離れて精神的に独立し、日本での価値とはまったく違うものを学び、他人の気持ちをわかってをわかってあげらるように成長していくところに、留学生活の本当の意義があるのです。苦労を買おうとしないようでは、とうてい夢など追い求めることはできないのです。



感謝できない子は、日本ではいつも親に守られていて、欲しいものをなんでも与えられていたように感じます。高校生なのにとるべき責任が取れない。高校留学はもはや親の責任にはなく、自己責任なのです。



18歳くらいには、人生を自ら選ぶ能力を身につけて欲しい。だから旅(修行)をさせるのです。かわいい子には旅をさせる。旅行とは違い、旅には危険がつきものです。問題に直面したら、それを自らで乗り越えさせるのです。正しく生きることが社会への貢献です。そのうえで、夢大きく、志高く、世界のために日本のために活躍できるリーダーにも育って欲しいと願ってしるのです。



留学は日本では知り得なかった人々との出逢いと感動があります。感動は人を動かし人生を変える原動力ではないでしょうか。子供も大人も、留学体験をして初めて身につくことがたくさんあるのです。


遠藤周作は昭和25年、留学先のフランスへ上陸する直前に「ぼくはすべての独断を今日から捨てよう。すべてのものを新鮮なままで受け入れていこう。そして、より善きもの、より美しきものをこの国の中に探っていこう。自分をたえず支えるものは、誠実であり、真実に対する勇気であることにしよう、ぼくはそう考えました。」(『ルーアンの丘』)と決意を述べています。アレもコレも欲しがらなければ成功を手にすることは簡単なのです。なくすものなど何ひとつありません。勇気を持って新しい一歩を踏み出してみませんか。何はなくとも「夢はでっかく、根は深く!」です。



外国で成功するために重要なことは?


・偏見のない開いた目と冒険


・自信を確立し、外交的な性格を得、他の人たちと関係を得る能力を持つことです


・新しいやり方を学ぼうとする意思です。学ぶ意思と願望、これを持っている生徒、そして指示に従おうという意思がある生徒は海外でうまくやっていけるでしょう


・海外で勉強することに誠実でなければいけなせん。柔軟で態度を適応させることができ、他の人に対し開放的で親しみやすくなければいけません。また、異文化は生活スタイルに対し準備が整っていなければいけません。そうでなければカルチャーショックは大きすぎます


・異文化に対して、考えを広く持つ必要があります。物事に対して柔軟で、もっとも重要なことは、経験に対して前向きな態度が必要です。このような生徒は最適に対応でき、経験から最大のものを得ます



9/09/2007

正しい意思決定の五条件




「正しい意思決定の五条件」とは、



つぎのとおりです。

①やりたいこと・楽しいことをやる

②自信のあることは、やってもいい

③自分のためだけのことではなく、世のためになること

④責任がとれること

⑤恨まれることはしない


たかのしれた社会



たかのしれた社会


(タオ・老子【原著】加島祥造【訳】著より)

ぼくらは人にほめられたりけなされたりして、
それを気にして、びくびく生きている。

自分が人にどう見られるか、
いつも気になっている。

しかしね、
そういう自分というのは、本当の自分じゃなくて、
社会とかかわっている自分なんだ。

一方、道(タオ)につながる本当の自分があるんだ。

そういう自分にもどれば、
人にあざけられたって、笑われたって、
ふふんという顔ができるようになるんだ。

社会から蹴落とされるのは怖いかもしれないが、
社会のほうだって、いずれ変わってゆくんだ。

大きな道(タオ)をちょっとでも感じていれば、
くよくよしなくなるんだ。

たかの知れた自分だけど、同時に、
たかのしれた社会なんだ。

もっともっと大きな「ライフ」というもの
それにつながる「自分」こそ、大切なんだ。

そこにつながる「自分」を愛するようになれば、
世間からちょっとばかりパンチをくらったって平気さ。

愛するものが、他にいっぱい見つかるさ。

世間では値打ちなんかなくっても、
別の値打ちのあるものが、いくらでも見えてくるんだ。

金なんかんで買わないで済むもんがね。