11/22/2007

オプション投資・中丸友太郎










オプション投資・中丸友太郎
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日経225先物とオプションの魅力
・究極の分散投資(市場インデックス投資)
・高いレバレッジ効果(30倍以上)
・流動性
・ヘッジとスペキュレーション機能
・低い取引コスト

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オプションの買いには現在証拠金はいらなくなった。
日経225オプションは、SQ日にだけ権利行使が許される。ただし、権利行使日前でも転売できる。ヨーロッパオプションタイプ

イン・ザ・マネーとは、
オプションが今、権利行使されると、本源的価値が生まれ利益が出る状態。
コールの場合、原資産価格が権利行使価格を上回った状態。プットの場合、下回った状態。

アウト・オブ・ザ・マネーとは、
オプションが今、権利行使されると、本源的価値ない状態。
コールの場合、原資産価格が権利行使価格を下回った状態。プットの場合、上回った状態。

アット・ザ・マネj-とは、
オプションの原資産価格が権利行使価格に等しい状態。

個人投資家にとって、コールの売りはお勧めできない。しないこと。

コール買い権利行使価格+プレミアム(利益)無限(損失)プレミアム
プット買い権利行使価格-プレミアム(利益)無限(損失)プレミアム



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オプションの買い戦略
コール、プット共に、日経225オプションの買い手にとっては、原資産である日経225の変動幅が大きければ大きいほど、利益の可能性が大きくなる。

オプション・プレミアム
・オプション・プレミアムは、本質的価値(コールの場合、日経平均株価-権利行使価格あるいはゼロのいずれか大きいほう。プットの場合はその逆)と時間価値の2つの価値から構成される。(オプション・プレミアムから本質的価値除いたもの全てが時間価値)
・時間価値は、満期まで期間、予想変動率、金利などによって決定され、可能性の価値、あるいはボラティリティー価値とも言う。

オプション・プレミアムの変動要因
・原資産である日経平均株価が上昇すれば、コールは上昇し、プットは下落する。その逆は逆。
・満期までの時間が短くなればなるほど、コール・プット共に下落。
・予想変動率が大きくなればなるほど、コール・プットともに上昇。
・金利の上昇は、コールの上昇、プットの下落。ただし、日本は現在ほぼゼロ金利なので、この影響はほぼ無視できる。

プット投機買い
オプションの満期が近づくと、タイミングよくプットを安く買えば、大儲けができる可能性が高まる。SQ日直前に、イン・ザ・マネーとなるプットを買う戦略。換言すれば、SQ日直前1週間前ほどの安い保険には、掛け捨てでも加入すべき価値がある。
SQを週末に控えた週におけるプットの買い戦略は、損失限定で小額投資を大きなリターンに変える魅力と可能性を持っているのである。

イベント・ドリブンのプットの投機買い
一万円から始めるオプション投資は、以上のように、SQ直前の1週間が最も利益を上げやすい。
ディープ・アウト・オブ・マネーの投機買いのケースでは、利益獲得機会の遭遇に恵まれなければ、ただちに戦線から撤退することが肝要である。時間経過は最大の天敵。
オプション・プレミアムには、先に述べた、タイム・ディケィが働くから、コレを狙った売り中心の戦力を取る大型プレーヤーの存在があることを常に忘れてはならない。

プット買いの一般的な特徴
・弱気の戦略。日経225の下落を予想してプットして買う。
・相場見通しが弱気であればあるほど、権利行使価格が低いプットを選択。
・利益は日経225が下がれば下がるほど増大。
・損失は支払プレミアム金額に限定。
・損益分岐点は、権利行使価格-プット・プレミアム支払代金。
・時間価値の減少(タイムディケィ)が満期接近とともに加速するので注意。
・投機目的では、買い枚数を増加させ、レバレッジを増大させる。
・保険目的では、満期まで株式ポートフォリオの価値を守ることを狙う。(後述のプロテクティブ・プット参照)

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ボラティリティと市場の不安を読む
オプション・プレミアムを安く購入すればするほど、オプション投資のリターンが大きくなる。

日経平均株価の変動確率
・±1標準偏差以内:約68%の確率
・±2標準偏差以内:約95%の確率
・±3標準偏差以内:約99%の確率
簡単に言うと、
1営業日に1,5%(あるいは16,000を前提として240円)を超えて上下に振れる日経平均株価の確率は32%
1週間に3,4%(あるいは16,000を前提として502円)を超えて上下に大きく動く日経平均株価の確率も32%
一ヶ月に一回程度、変動率にして3,0%、変動幅にして500円を超えて大きく動く確率が5%程度ある。

ヒストリカル・バラティリティ(HV)
インプライド・ボラティリティ(IV)
このIVは極めて重要である。IVが小さければ、オプションの売り手が予想を上回る高い収益率をあげることになり、逆に、それが大きくなる傾向があればオプションの買い手が勝利することになる。

シカゴVIX指数(IV自体が取引されている)が跳ね上がった時こそが、株式投資家にとってこれまで絶好の買い場であったようだ。他方、VIX相場が低下すれば投資家の慢心を示す傾向がある。
アメリカではVIXが高ければ、株は買い。

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オプションの基本戦略

相場全体が、予想される株価変動範囲の上方に位置するのであれば、弱気または守りのポジションをとることが合理的だ。
オプション戦略上は、強気よりも現物株のポジションをヘッジでくる弱気の戦略から始めるほうが合理的であり有効である。
++++
弱気の戦略
ベア・スプレッド
・権利行使価格が高いプットの買いと権利行使価格が低いプットの売りの組み合わせ。
・相場の見通しに弱気。
・相場の見通しに非常に弱気の場合、かなりアウト・オブ・ザ・マネーのプットを買い、さらに低い権利行使価格のプットを売る。権利行使価格の間隔を広げても良い。
・最大損失は、プットの買いとプットの売りのプレミアムの差額。
・最大利益は、権利行使価格からプレミアム差を控除した金額。
・単純なプットの買いよりも、コストが安い。


+++++
強気の戦略
コールの買いは、より強気な投資家の相場感。
一般に、SQ直前ですでにプレミアムが十分に安くなっており、しかも満期日にイン・ザ・マネーになりやすく、アウト・オブ。ザ・マネーのなかでもアット・ザ・マネーに最も近い権利行使価格のコールを買うことが望ましい。
++++++
プル・スプレッド
・権利行使価格が低いコール買いと権利行使価格が高いコールの売りの組み合わせ。
・相場の見通しに強気。
・相場の見通しに非常に強気の場合、かなりアウト・オブ・ザ・マネーのコールを買い、さらに高い権利行使価格のコールを売る。権利行使価格の間隔を広げても良い。
・最大損失は、コールの買いとコールの売りのプレミアムの差額。
・最大利益は、権利行使価格からプレミアム差を控除した金額。
・単純なコールの買いよりも、コストが安い。


+++++++
ストラドルの買い
・権利行使価格が同一のコールとプットの買い。
・相場の見通しは不透明だが、相場の大幅変動を予想。
・相場が、上下いずれかの方向でも、大きく動くほど利益が拡大。
・最大損失は、コールとプットの支払プレミアムの合計に限定。
・時間価値は満期に向けて急減する。2つのプレミアムを支払っていることに注意。
・満期まで、保有されることは、稀。

ストラングルの買い
・権利行使価格が低いプットの買いとそれが高いコールの買いの組み合わせ。
・相場の見通しは不透明だが、相場の大幅変動を予想。
・相場が、上下いずれかの方向でも、大きく動くほど利益が拡大。
・最大損失は、コールとプットの支払プレミアムの合計に限定。ストラドルのコストよりも安い。
・時間価値は満期に向けて急減する。2つのプレミアムを支払っていることに注意。
・損益分岐点に達するまでには相場の大幅な変動が必要。
・満期まで、保有されることは、稀。


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数学が入る、どうやってオプション価格は決まるのか?

オプション価格の2項モデル
・株価の単純な上げ下げだけで、オプション価格の基本を説明する。
・2期と起こりうる2つの可能性。
・無裁定取引条件によってオプション価格が決まる。
・2項モデルでは、オプションがイン・ザ・マネーとなる確立を使わずに、オプション価格が求められたことに注意。

11/21/2007

スローライフ/筑紫哲也








スローライフ/筑紫哲也

高田渡
「若者の反乱」に触発されて始まったフォークソングはやがてニューミュージックなどと名前を変えたが、それまで大人たちが用意して若者たちに供給してきた既成の音楽に対抗して活動した「対抗文化(カウンターカルチャー)」であることでは共通していた。彼らはその実力ゆえに、また若者たちの支持と共感を集めたがゆえに、次第に主流(メインストリーム)に進出し、世に知られる存在になっていったが、その分だけ「対抗(カウンター)」の色は消えていった。
フォークの草分け的存在のひとりだった高田渡は、その流れに乗らなかった。その力がなかったからではなく、その意思がなかった。

おれたちいつも少数派だったな。だけど、『真実』の少数派だよ」安東仁兵衛

それにも増して大切なのは、従来型・多数派の思考に身を委ねるのではなく、自分で考え、行動する個人がどこまで育ち、力を持ち、多様性のある社会を作れるかだと思う。
単一の価値(ものさし)で、それを測る社会は息苦しい。大多数はそこでは敗者になってしまうから、不幸な人だらけになり、不機嫌な、とげとげしい社会を作ってしまう。それぞれに、さまざまに多様のものさしがあることが、お金以上にその社会を豊かにする。
強いて人生の勝ち負けをつけたいというなら、「ああおもしろかった」と臨終の際にどこまで言えるかが、限りある生の勝ち負けを決めるものさしだと私自身は思っている。もちろん、別の尺度があってよい。

1、自発性こそが全ての出発点であり、命である。上意下達、機関決定、労組型の「動員」「日当」などのルールはない。
2、ゆるやかな結び付きを組織原理とする。参加者が出来る範囲で、割ける時間をつかってやれることをやる。
3、「小さいことはよいことだ」―少数派であることを肩身が狭いとか、恥だとか思わず、むしろ誇りにする。
4、他の「同好」のグループとの結び付きは、「水平型」「ネットワーク型」を目指し、上部組織-下部組織の「垂直型」にならない。
5、「正統性」に固執しない。「富士山の頂上に辿り着くには、いろんな登山口がある」と思ったほうが良い。
6、寛容とゆとりを持とう。
7、「快」「楽」を最優先させよう。いくら正しいことをやっていても、それが苦しげに見えたら、多くの人の共感を集めることはできない。

運のいい人の仕事の習慣








運のいい人の仕事の習慣・李家幽竹

色は今欠けているものを補充してくれる

白 属性:金 効果:気の浄化
黒 属性:水 効果:気の沈静化
青 属性:木 効果:ビジネス運
黄 属性:土・金 効果:金運、楽しみ事
緑 属性:木 効果:癒し

身体に「厄」が溜まっていませんか?
3つ以上当てはまると感じる人は要注意。
・最近、いいことがないと感じる
・身近に気の合わない人がいる
・仕事のミスが多い
・冷たいものが食べたい
・怪我をしやすい
・朝、気分が乗らない
・人を信じられない
・仕事を放棄したい
・体の不調を感じる
・身なりに気を使わなくなった

人を誉めるたびに運が集まる
明るく前向きな言葉が運を呼び込む
古い物には運がつきません
今現在必要ないものは捨てましょう
名刺入れの寿命は1年
財布の寿命は3年
ズボンのポケットに財布を入れてはいけない
水辺にでかけると運気が上がる
運を上げたいと思ったら、玄関の掃除をする
花や植物は、運気を引き込む

11/20/2007

中島みゆき最新歌集・1987-2003





中島みゆき最新歌集・1987-2003



私の気に入った詩



クレンジング・クリーム

十二月

たとえ世界が空から落ちても

夜を往け

ふたりは

トーキョー迷子

殺してしまおう

誕生

あどけない話

かもめの歌

空と君のあいだに

バラ色の未来

風にならないか

思い出させてあげる

永遠の嘘をついてくれ

阿檀の木の下で

誰だってナイフになれる

わたしの子供になりなさい

4.2.3.

帰省

粉雪は忘れ薬

街路樹

銀の龍の背に乗って

寄り添う風



田家秀樹

中島みゆきという人は、きっと発表していない作品を沢山持っているのだと思う。それをその時代やその時の心境や気分に合わせて発表してゆく。もちろん新作とともにだ。この歌集が、発表年順になっているのは、そういうことでもあるのだと思う。重要なのはいつ作られたかではなくいつ発表されたかということだ。

11/19/2007

ヘザー・ラバット・立て直し屋








ヘザー・ラバット・立て直し屋(イギリスの女性)

「わたしは transformational leader と呼ばれているのです」と話すラバットさんは、改革とか立て直しの仕事をするとき、ふたつのことを心しているのだと言っていました。ひとつは「role model ロールモデル」をもつこと。ロールモデルというは自分がなってみたい人物像である。そしてふたつめは「morale compass モラルコンパス(道徳的羅針盤)」をもっていること。それらは両親が教えてくれたことだけど(彼女の父親はイギリス人,母親はジャマイカンだという)、自身のビジネス行動の規範にしているのだと言うのです。

「ロールモデルを持つということはね」とラバットさんは言います、「みんなの意見を聞くということではないのですよ。」

「大衆というか大勢の言うことを聞くかわりに、わたしは自分の尊敬する人だったらこう考えるだろうな、こういう行動をとるだろうなと考えるのです。わたしの両親だったらこういう街に住みたいと思うだろうな、彼らならこういう番組を見たいと思うだろうな、と考えながら、わたしはランバンを再開発し、BBCのプログラムを作ってみたのです。」

 わたくしはどちらかというとコンセンサス・ビルダーで、なにをするにも事前の根回しに走るタイプでありますが(わたしがランチに出ると、女房は、あ、今日もまた談合ね、などと言いやがるのです)、ラバットさんはコンセンサスなんぞ見向きもしない、決断をもってマネージメントに臨む、いわばわたくしの対極に立つタイプのマネージャーであります。そういうトップダウン型の管理職はふつう自分自身に大きな自信を持っているものですが、「わたしにとってはメンターがガイドラインなのです」と言うマネージャーに会ったのははじめてでした。

「つまりね、メンターに恵まれなかったひとはマネージャーになってはいけないのですよ」とまで言って彼女は笑うが、それは冗談というより、半分以上本気で言っているみたいでありました。

「仁義礼智信」










「仁義礼智信」
とは、儒教の基本的な五つの徳目、「五常」と言います。


 


五常は孔子(紀元前551~紀元前479)が確立したものではありません。


孔子は「仁」と「礼」を説き、孟子(紀元前372~紀元前289)が「仁義礼智」の四つを説きました。


さらに漢の董仲舒(紀元前176~紀元前104)がこれに信を加え、「五常」を確立したのです。



五常の意味を簡単にまとめると、以下のような意味だそうです。


 


仁・・愛、慈しみ、思いやりの心、慈悲の心


義・・人の生きる正しい行い、判断力、恩義、義理(孟子は、「義とは人の正しい道、もし生と義が両方満たされない場合は、生を捨て義を取るもの」と教えました。)


礼・・礼節を重んじる、辞譲の心、謙虚に、社会秩序に従い、人を敬うこと


智・・考え学ぶ力、是非の心、知識や経験を通じた正邪の区別ができる知恵


信・・信頼、信仰、自分を信じ、人を信じる心。うそをつかない、約束を守ること


船井は、社会人になり、世の中を知ると、できるだけこの五常に沿った生き方をしよう、と実行しました。しかし、「五常」を実行した後に、どうも自分にとってはこの生き方は「窮屈」である、と判断したそうです。そこで、三つのことだけを実行することにしたと言います。


 


・約束を守る
・他人の足はひっぱらない
・恩義は忘れない

種村季弘







種村季弘(すえひろ)のネタ




根津・上海楼




神楽坂・和服店甚右衛門




「ちょいと社長さん、お話があるのよ、チョット!」なんて月並みなものではなく、「ネエチョット、伯爵!てんやわんや!ネエ、三十八度線ってば!」




団子坂の先生・物集高量(もずめたかかず)




「風春酔」(春ノ風ニ酔ウ)

11/18/2007

景山民夫/篠田正浩






景山民夫「人生には雨の日もある」

希望と失望の両方を経験した人には独特のすがすがしさがある。
ウィーク・タイド(弱い絆)
田舎者とは、自分のいままでの日常の中でしか生きられず、よそへ行っても、それを押し通そうとする奴のことだ。





「早寝早起き、健康のもと、財産を殖やし、知識を増す」といっているのは、アメリカ建国の父、ベンジャミン・フランクリン(B.Franklin)です。彼は18世紀アメリカの政治家。避雷針を発明したことで知られていますが、アメリカ独立宣言の起草委員の一人でもあります。
 節制、沈黙、規律、決断、節約、勤勉、誠実、正義、中庸、清潔、平静、純潔という13の徳目を創り上げ、それを実行し、「富に至る道」を説いています。
 「夜遅くまで起きているよりも、早寝早起きして、夜のことを朝する方がいい。早朝は空気はきれい、気分は爽やか、散歩をすれば健康になり、読書をすれば賢くなり、仕事をすれば捗(はかど)る」ということですが、まったくその通り。





篠田正浩・日経夕刊

連れ立って出かけることで、人間関係も円滑になり、外を歩いて健康にもなり、心身ともに癒される。

若い人たちは見聞を広めて外から日本をよく観察し、日本のシルエットが今どうなっているのかを勉強してもらいたい。そして、自分の中に何か古典を持つこと。骨のある古典に対峙する、その経験はきっと人生の糧になるだろう。

絵画・ピアノ→豊かな情緒や感性をはぐくむ
日本人の特性→正確性、思いやり、正直

音楽家にとって、そういう場所(アビーロード)で仕事をすることは、ひとつの憧れなんです。音楽の女神がすんでいるのです。

11/17/2007

キャンティ物語










キャンティ物語

ヘアーについて(黛敏郎)のコメント
夢を欠く自己陶酔
舞台は、ただ耳を聾するボリュームによってしかダイナミズムを表現できない音響と、絶叫することが迫真性だと錯覚するセリフの洪水・・・・。劇の芸術的感動というものは、決して体当たり精神だけで与えられるものではなく、まず的確な表現力が前提となることは、どんな前衛劇にも当てはまる真理である。ついでに前衛性についていえば、客席と交流したり、ギリシャ劇のコロスのような役割を群衆が果たしたりする程度の「ヘアー」の前衛性は、いわば使い古された前衛性である。
とにかく、それでも客席では、いささか白けた顔の大人たちをしり目に、若者たちはムード的に熱狂し興奮する。それはそれで良いことかもしれない。しかし、「大人なんかに分かるもんか」式自己陶酔には、学生紛争のヒロイズムと同質のものが感じられて極めて日本的だ。

アーティストになるにはコツコツやるしかない。それでなければ、ひとつの技術を身につけることはできない。他のことを捨ててもコツコツやる人でないとアーティストにはなれない。

象郎、日本には体得するという学び方がある。たとえば、日本舞踊の世界を考えろ。四つや五つの小さな女の子に、恋の仕草や艶っぽい踊りを何度も何度も稽古させる。何年も稽古してるうちに、その子も年頃になって人を恋する気持ちが分かってくる。その時、舞台の上で気持ちと踊りがひとつになる。ある時期が来ればやってることの意味は分かる。人が体で覚えたことは、その時期が来れば、その人に才能があれば必ず分かる。それまでは黙って型を覚えていればいいんだ。

自分でプロデュースの仕事をするようになってから、親父が言ってたことが、体の中にしみ込んでいることが良く分かった。

加賀まりこ・芸能人がすべて気安いテレビタレントになってしまったいま、彼女はプロフェショナルの気配を感じさせる数少ない女優のひとちと言える。

11/16/2007

スローライフでいこう~ゆったり暮らす8つの方法







Take your time/Eknath Easwaran

「スローライフでいこう~ゆったり暮らす8つの方法」エクナット・イーシュワラン

速く働く心は病んでいる。
ゆっくり働く心は健全である。
不動の心は神聖である。

私たちは、絶えずお金を稼いでいたり、物を作っていたりする代わりに、人生が投げかける深い問いについて思索する時間をもつことが必要です。ただ静かに考える時間がときどき必要なのです。私たちを癒し、感受性を豊かにし、生命全体をとらえる機会を与えてくれるのは、心のなかの静けさなのですから。

とらわれのない心で人生を楽しむ-自覚をもって生きる-ためには、感覚器官を、自分の命令に従うよう訓練していかなければなりません。なぜなら、心はどうしても感覚に引きずられてしまうからです。でも、そのためにいい食べ物や楽しい娯楽などをあきらめることはありません。ただ、有益なことを楽しみ、あとで後悔しそうなことを無視するだけでいいのです。

1、スローダウン
・一日をばたばたと過ごさないためには、まず早起きをすることが肝心です。
・朝の30分間を、冥想および内省に当てる。この時間は一日の中で最も貴重な時間ですので、どんなことにも邪魔をされないように。
・栄養のある食事をとる。
・どのようなことも、時間ギリギリではなく、少し早めにやるようにする。
・出来ること、やりたいことを全てやろうとしない。今日やるべき一番大切なことに専念する。
・忍耐を養う。
・生活のあらゆる場面で、人間関係を養うようにする。

2、一点集中
・一時に複数のことをやらないようにする。可能でもしないこと。
・活動は全て、心を完全に集中させて行うに値するのであるべきだ。

3、感覚器官の制御
・食べているもの、本、映画等には、自分の好き嫌いが強く反映される。長年のうちに身につけてきた習慣から自由になり、まわりの人や自分にとってためになるよう、気楽に楽しみながら、好き嫌いを減らすようにする。
・意見や考え方についても自分の好き嫌いに執着しない。
・苦手な人とも楽しくやれるようになる。
・食事も本も映画も注意して選ぶこと。自分の体に良いものを選ぶ。
・心の中で思うことが、自分自身を作っていくことを忘れないこと。

4、人を優先させる
・自分のことより人のためになることを優先させる。
・誰とも競争をすべきではない。
・人と意見が食い違っても、別に対立する必要はない。
・子供たちの幸せを優先させる。

5、精神的な仲間をつくる
・精神的に高めてくれる人と過ごすようにする。
・精神的に同じ価値観をもつ人と、定期的に会うことは大きな助けになる。

6、啓発的な本を読む
・啓発的な本を毎日30分で良いから読む習慣をつける。
・そのような読書は、夜の冥想の後か床につく前が良い。
・歩むべき道を注意深く選ぶ。

7、マントラ

8、冥想

11/14/2007

いのちの力








いのちの力 気とヨーガの教え 望月勇


トルコからインドへの旅の途中も、腹の立つことが多くて、いつも心の中で人々を批判ばかりしていました。
その結果、人々からあまり印象のよい待遇を受けませんでした。むしろひどい仕打ちを受けました。人々からだけではありません。
犬や牛や、はたまたバスや汽車やホテルまでもが、私に反感を抱いているように感じられたのです。


だいたい、最初に感じたことを無視して行動した後に、「あの時、最初に思った通りにやっておけばよかったのに」と後悔することが、
案外多いのではないでしょうか。


執着する物を手放す


病から抜け出す方法とは、潜在意識からネガティヴな思い込みを開放することであることを学びました。


自分の体を非難すると、非難した部分から仕返しを受ける


恐いと思う気持ちが、恐い状況を作ってしまう


今現在は、将来の原因、将来は、現在の結果であることに気付いた人は、よりよい将来を望むなら、今をよりよく生きる生き方を選ぶことでしょう。


スポーツでも、楽器の演奏でも、くり返し反復練習を積み重ねることによって、上達してゆくのです。
それと同様に、願望を現実化するには、くり返しイメージすることが最も重要なのです。くり返すことで、そこに宇宙の無限の力が働いてくるからです。


いったん、心に願望を思い描いたら、よほどの理由がない限り、途中でその想念の計画を変更しないことです。
あなたの心に思い描いた願望は、あなたが眠っている間も想念の波動となって、宇宙へ働きかけられています。
そうして働きかけられた宇宙の無限のエネルギーは、徐々に、あなたの願望を現実のものとするように、宇宙を動かしてくれます。


私は、自分の死のことについて、いつもこんな風にイメージすることにしています。元気で長生きして、ボケなくて、自分のことは自分でできて、なおかつ、
周りの人のことも少しはしてあげられる。そして、亡くなる二日前に、ちょっと老化現象が出て、「ああ、もうすぐあちらの世界へ行くのだな」ということが
わかって、身の回りを整理し、ふとんを敷いて寝る。この世の死は、あの世へ生まれること、あの世の死は、この世へ生まれること、と思う。
すると、落ち着いてくる。そして、リラックスすると、脳にベータ・エンドルフィン(脳内麻薬)が、いっぱいに分泌される。すると、恐怖心が完全に消え、
素晴らしく心地よくなって、恍惚とした気分であちらの世界へ旅立つ。誰かが、よく眠っているな、と思って枕もとへ来て見ると、すでに大往生を遂げていた。
とまぁこんな風に、勝手にイメージしています。


人体の右半身がプラス(陽)で、左半身がマイナス(陰)です。また、上半身がプラス(陽)で、下半身がマイナス(陰)になります。
腕でいうと、右手はエネルギーが出て行く方で、左手はエネルギーが入ってくる方です。
目では、右目からエネルギーが出て行きますが、左目からは、エネルギーが入ってきます。


思いと言動が違うと、体がゆがむ


願望を話すと、言葉で成就したことになり実現しにくい


自分の願望は、志を同じくする数人の仲間になら話してもよいと思いますが、なるべく黙って胸に秘めておくべきです。その他大勢の人々に話してしまうと、
その話した願望が現実化する一歩手前で、言葉の世界で実現したことになり、現実にならないことがあるからです。


朝起きた時にはよい言葉を、夜寝る前には心をきれいに


「人間は、この宇宙では、わからないことの方が、圧倒的に多いのだから、よほど自分で確信がない限り、相手の言ったことを否定しないことです。
否定すると、自分の器量が狭くなります。器量は、相手をゆるし、認め、受け入れる心の広さと考えれば、あなたの上司は、いつも、あなたの言う
ことを否定しているために、段々器量が狭くなったのですね。たとえば、五人分の器量しかない上司には、五人しか部下がいないはずです。現に、
あなたも、その部長についていけなくなっているではないですか」


とにかく、どんな問題であろうが、自分の人生で起きてくる問題は、最後は、自分が決断するべきです。たとえ、その選択が間違っていたとしても、
それを自分が選択したことで、自分が自分を生きることになり、そのことで今、生きている実感が得られ、その実感が生きている証になっていくのでは
ないでしょうか。長い目でみると、本当は、間違った選択なんて、ないのかもしれません。


人間は、表面では、個々一人一人独立していますが、心の深い所では、一つにつながっているのです。
すると、自分を卑下し、自信を無くすと、相手の心は自分が卑しめられ、見下されたと感じてしまうので、そんな相手に対して反発してしまう気持ちが
出てくるのだと思います。
したがって、彼女の、自分を卑下し、自虐するという心の持ち方が、無意識のうちに、相手に不快で、生意気で、横柄な印象を与え、そのために反発を
まねく結果になっていたのです。
反対に、自分を大切にし、自信を持っている人は、相手に好感を与え、話し方や動作に謙虚さを感じさせます。自分を大切にする心が、そのまま相手の
心に通じているので、相手は自分が大切にされていると感じるのです。ですから、自身のある人は周囲から大切にされ、尊敬されるようになるのです。


自分で見よ、自分で考えよ、自分で生きよ、でした。
実際、日本人は、誰かが大義名分を唱えると、誰もがすぐそれに賛同してしまう傾向があります。自分で考えるよりも、皆の意見に同調した方が、
確かに楽ですが、それは自分の生き方を放棄していることと同じです。


武道家や気功家は、みんなそれぞれ自分の型を教えますが、覚えたら、最後にはその型を捨てなければなりません。
あなたが形や型にこだわっているうちは、本当の進歩はありません。そのこだわりを捨てた時、あなたは、初めて内的世界の広がりに気づき、
次元の異なる世界の入り口に立つことができるのです。


心の中で、日常的に、無意識に、子供の短所を批判していたことに気が付いた人は、どうか意識的に、心の中での批判をやめてみてください。
そして、その代わりに、長所を見つけて、褒めてあげてみてください。すると、私たちは、子供が、確実に変わってゆく姿を、目撃することになるでしょう。
さらに、私たちは、輪廻転生という考え方を、受け入れることができれば、こんなふうにも考えることができるのです。
つまり、私たちの子供は、理由があって、私たち両親を選んで生まれてきたというのです。私たちは、あらゆる体験をするために、生まれる前に、シナリオを
作って、生まれてきました。宇宙の何か偉大な力が、私たちを通して、あらゆる体験をするために、今、現在、ここに存在するのです。
もし、あなたが、あなたの言うことを聞かないから、という一方的な理由で、自分の子供に不満を持つようなことがあったら、あなたの心の中で、次のように
祈ってみてください。
「息子(娘)よ!私たちを選んで生まれて来てくれて、本当にありがとう。感謝します。あなたが、これから最善の人生を選択して歩むことを、信じています」
祈りには素晴らしい力があります。子供のことで悩む時間があったら、是非、このように祈ってみてください。



三木成夫(1925~87年)氏は、東京大学医学部を卒業し、東京大学解剖学教室、東京医科歯科大学解剖学教室を経て、東京芸術大学教授を
勤めていた学者(医学博士)ですが、彼は、人間の心(魂)は頭(脳)にあるのではなくて、内臓にあると主張しているのです。

11/13/2007

オンリーワンのつくり方







オンリーワンのつくり方 谷口正和


「アイデア発想法7箇条」

1.あたえられた課題はそれが決定項である場合、肯定的に見る。否定するとアイデアが出てこない。
2.持っている情報を肯定的に見る。使える素材として見る。長所、特徴としてみる。具体的に活用法を考える。
3.自分が顧客の立場になってみる。顧客の立場からどんな情報が必要か考えてみる。一般的に考えていてもアイデアは出てこない。
4.あれこれ人にヒアリングしてみる。丘目八目、他人のほうが優れたアイデアマンであるケースは多い。このとき大切なのは、「聞き方」、「質問の設定」。何が知りたいのかを伝える「核心を突いた質問力」。
5.成功事例を研究する。アイデアは転用、活用、組み合わせであり、自己のオリジナリティにあまりこだわり過ぎない。
6.問題を多角的に見る。狭い業界視点からだけ見ない。他ジャンル情報を適用してみる。異なる文脈の情報を衝突させ結合したとき、それが新鮮なアイデアとなる。
7.その課題を常に頭から離さない。頭の隅に置き続ける。どんなことがヒントになって問題が一挙に解決するかも知れないのだから。


文化が発生すると、そこに経済が引きずられるように発生する。


本気でないものは必ず見抜かれてしまう、そういう怖い時代なのである。


メッセージの力は偉大である。優れた宗教者は、みな偉大なメッセージ・メーカーだった。
なぜ宗教者から学ぶかといえば、オンリーワンを作ることはある種「布教活動」だからである。
時代の価値観は「良い・悪い」「好き・嫌い」を超えて、「信じる・信じない」の段階に入ってきた。
CSR(企業の社会的責任)などが問われ始めてきたのは、信じられる企業の選択が始まった証拠だろう。


イエスの話の四つのポイント
1.イエスの言葉は徹底的に圧縮されている。新しい弟子がほしいときは「私についてきなさい」とだけ言った。
2.イエスの言葉は実に単純である。形容詞がない。「種を蒔く人が種を蒔きに出ていった」
3.イエスの言葉には限りない誠実さがある。本心から出たものだからである。「あなたは私の友である」
4.イエスは繰り返すことの大切さを知っていた。つまり「圧縮」「単純化」「繰り返し」が強力なメッセージの本質である。


リーダーには「三つの気」が必要だという。勇気、人気、落ち着きだ。人望とは、この三つの気を備えているということだ。


「鬼十訓」
一、仕事は自ら創るべきで、与えられるべきではない。
二、仕事とは、先手先手と働きかけて行くことで、受身でやるものではない。
三、大きな仕事と取り組め。小さな仕事はおのれを小さくする。
四、難しい仕事を狙え。そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
五、取り組んだら放すな。殺されても放すな。目的完遂までは・・・・・・。
六、周囲を引きずりまわせ。引きずるのと引きずられるのとでは、長い間に転地の開きができる。
七、計画を持て。長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
八、自信を持て。自信がないから、君の仕事には迫力も粘りも、そして厚みすらない。
九、常に頭は全回転。八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ。サービスとはそのようなものだ。
十、摩擦を恐れるな。摩擦は進歩の母。積極の肥料だ。でないと君は卑屈未練になる。


勇気あるオンリーワンは、必ず支持される時代なのだ。


仮説と検証にはサイクルがある。それは情報収集→整理・分析→仮説作り→顧客に提案→検証→再情報収集→整理・分析→再仮説作り→顧客に再提案・・・・・・の流れである。



ここを押さえてオンリーワン!

●ファーストワンを目指す
最初にやれば必ず「最新」。最新以上の話題情報はない。ファーストワンはオンリーワンとイコール。直感を大切にする。

●自分をファーストカスタマーにする
誰を満足させれば、全員満足のスターと地点に立てるか。それは「自分」。最初の顧客満足は自分に与えよ。決して妥協してはダメ。

●情熱がエネルギーであることを知る
最大のエネルギーは資本でも企業規模でも仲間の数でもない。絶対にやり遂げる!という自己エネルギー。思いの力。

●仮説を持つ
ぼんやりでもゴールは見えているか。その道筋はおぼろげでも描いているか。こうやればこうなるはず、という仮説をまず描け。

●小さくスタートする
顧客接点と回数は小さく回す。顧客の顔が見えるサイズで、自分が先頭に立って。小回転イコール高回転イコール実回転。



現場観察の原則は三つある。
1.定場観察・・・一日中、ずっとそこにいる
2.定時観察・・・一定間隔を置いて、定期的にそこに行く
3.定点観察・・・同じ場所からずっと見つづける


「Company Positioning Statement」
Who is your target customer?
 〔誰があなたの主たる顧客なのか?〕
Who is your target compertitor?
 〔誰があなたの主たる競争相手なのか?〕
What business are you in?
 〔あなたの企業はどんなビジネス領域に存在しているのか?〕
Why do your customers choose you?
 〔あなたの顧客はなぜあなたの企業を選ぶのか?〕
How are you able to accomplish this?
 〔どのようにしてこれらを達成するのか?〕


Who is your target omployee?
 〔誰があなたの主たる従業員なのか?〕
What business are you in?
 〔あなたの企業はどんなビジネス領域に存在しているのか?〕
Why do your people choose you?
 〔あなたの従業員はなぜあなたの企業を選ぶのか?〕
How are you able to accomplish this?
 〔どのようにしてこれらを達成するのか?〕


新しいことをすること、これはオンリーワンの作り方の絶対条件である。一見軽薄に見えるくらいの新しさへの
ノリ、これがオンリーワンには必要なのだ。



ここを押さえてオンリーワン!
●現場を見る
顧客は現場のなかにしかない。だから見る、見る、見る、飽きるまで見る。表情を見、目を見、見えない心を見る。

●想定顧客に聞く
あなたが獲得したい理想の顧客に、あれこれ注文を聞く。うるさい顧客ほどいい顧客。あなたのベスト顧客を追いつづける。

●業界発想を捨てる
業界は狭い。生活は広い。貴方のビジネスは顧客の生活の小さな一部分。提供者からみてはダメ、顧客の生活の視点から見る。

●テストする、フィードバックする
まずは何でもテストの気持ちでスタート。テストと修正を繰り返す。その過程で、あなたのオンリーワンが磨かれていく。

●新しい価値を探しつづける
市場を切り開くのは常に「新」。新しいコトが常に価値のリーダー。物の新価値から物を包む文化の新価値へ。


つまり小さいほうが特徴を出しやすく、保ちやすいのである。オンリーワンを目指すなら、小さくスタートし、その小ささを保たねばならない。
小さいほうがコンセプトが凝縮され、顧客に特徴が伝わりやすい。


最も間違いのない、しかも強力なアイデア多層化戦略は、コラボレーションである。他者と手を組む共同開発戦略である。



「行列の法則」
1.リミテッド
  時の限定、場の限定、個数限定、対象者限定、生産過程の限定。本書の眼目である「限定」が行列の法則の第一条だ。

2.プレ・アクション
  先行性、前倒し、先取性、テスト、プレ実験などによる実験革新。先にやる、まだ誰もやっていないことをやる。早いほうが勝つ。

3.オンリー
  独自性、特徴、オリジナリティー、ブランド力、記銘性、パーソナリティー。唯一を目指す。

4.キーパーソン
  熱意ある心を持って汗をかく個人、リーダーシップの発揮、人気者の創出。人が行列の求心力である場合が増えている。

5.ライブ&ショー
  感動、実感、体験学習、今を生きる。実演販売の力に学ぶ。ライブコンサートの集客力に学ぶ。お祭りの熱狂力に学ぶ。

6.ハッピー&ヒーリング
  幸福感、癒し、充足感、安心感。気持ちを幸福で満たす。並んでいること自体が幸福の証明になるようにする。豊かな参加感。

7.コレクション
  回数性、リピート率、ストックカルチャー。人はコレクションに並ぶ。限定発売、シリーズ発売に並ぶ。

8.パーソナルユース
  個人を対象に据えた手軽なデザイン、大きさ、価格。並ぶのはいつも個人。個人のニーズを満たせ。

9.ニュース&ジャーナル
  話題性がある。ニュースが人を呼ぶ。



圧倒的なビジュアル・コミュニケーションの時代なのだ。コンピュータは、あらゆるものの視覚化を可能にした。



ここを押さえてオンリーワン!
●独自の特徴を持つ
他にない価値の創造と提供。独自こそオンリーワン創造の原点。真似しない、あるいわニューアレンジでひねる。

●アイデアを何層にも重ねる
ひとつのアイデアに他のアイデアを加える。簡単には真似されない複合独自性の開発。それが強力なオンリーワンを作り出す。

●徹底的に「限定」でいく
限定はオンリーワン戦略の要戦略。何重もの限定オブ限定で、オンリーワンの独自性をさらに高めていこう。

●決定的な支持層を作り出す
あなたのオンリーワンを触れ歩く熱狂的な支持者を作り出せ。一人で何十人分もの作用を果たすコア顧客を作り出せ。

●デザインを重視する
オンリーワンを視聴的に伝達するビジュアル戦略を構築する。デザインは強力なオンリーワンメッセージだ。



ネーミングは非常に大事で、話題発信力の鍵になるのが、コンセプトを言い当てていて、なおかつユニークなネーミングである。


無限のサービススプリットさえあれば、それはオンリーワンになれるということだ。


それに対してワンツーマン・マーケッターは、
・一人の顧客にできるだけ多くの商品を売ろうとする
・顧客の差別化に努める
・既存の顧客から絶えず新しいビジネスを獲得しようとする
・範囲の経済を重視する
・顔が見える個々の個客志向
・個別化された商品
・個別化された流通
・個別化されたメッセージ
・個別化されたインセンティブ
・双方向へのメッセージ
・個客意識におけるシェア
・利益を与えてくれる顧客に売ろうとする
・個客保持に傾注する



口コミの原則

1.短縮=伝えやすい
2.キーワード化=流布しやすい
3.自分の情報生活県内の出来事=仲間に速く伝えたい
4.中間的情報=「知っていた」と「知らなかった」の中間である
5.伝える(教える)=確認する(教わる)
6.情報リーダー力=瞬時でも情報優位に立つ
7.拡大と変形=虚実が混在しやすい



ひとつは通常のメディアに頼らないことである。今までメディアでないと思っていたものが、新しいメディアなのだ。
新しいメディアであればあるほど、注目率も鮮度も高い。その分魅力の浸透度も高い。


自分のメディアで、自分の情報を、自分の顧客に向けて受発信できれば、それが最高のカスタマーメディアなのだ。



ここを押さえてオンリーワン!
●独自のコミュニケーション作法を編み出す
コミュニケーションの中心は「すてきなお話」。そのお話が次々と伝播していき、オンリーワンの神話を作り出す。

●パーソナル・コミュニケーションを重視する
マス・コミュニケーションよ、さらば。一人から一人へとつながっていく“個人的波紋の輪”の波に乗れ。

●核なるキーワードを創り出す
最大のコミュニケーション・ワードは「キーワード」。鍵になる短い言葉。伝えやすく、面白く、耳に残りやすい言葉を作れ。

●サイン、シンボル、ロゴタイプ=アイデンティティを創造する
ビジュアル・アイデンティティ創造はオンリーワン戦略の核心。オリジナリティとアイデアに富んだ視覚的同一性を。

●セルフメディアを持つ
自前のメディアを持つ。そこで自前のメッセージを発信する。自前の顧客から丁寧に受信する。あなたのメディアの創造を。



宗教的なビジネスが伸びる。人生の問題はほとんど心の問題であり、心のソリューションが最大のライフソリューションだからだ。



ここを押さえてオンリーワン!
●限定=予約が最大の販売力であることを知る
徹底的に「予約」を活性化する戦略をとる。作ってから売るのではない、売ってから作る。この逆転構造を戦略化する。

●コレクション・カスタマーをつくる
集めてくれる顧客が最大のヘビーユーザー。だから集めてくれるようにコレクション・マーチャンダイジングを設計する。

●ライフウェイ産業になる
顧客の「人生設計」を応援する。日々の消費ではなく、人生へのライフウェイ投資を応援する。

●「顧客立場」で考える
目線を徹底的に「顧客目線」に置く。100%提供者論理から脱する。あなたの理想の顧客の「立場」で考え抜く。

●「感性価値」を重視する
数字と理屈で考えすぎない。感性と直感で飛躍してみる。想い、閃き、想像力に身を任せてみる。

11/12/2007

ハイポロジックス

ハイポロジックス
ハイポロジックスの発想法を身につけるためには、以下の四つの誤解や思い違いという束縛から解き放たれ、自由であることの必要性を説いている。

①常識という誤解
②権威主義という誤解
③唯物史観という誤解
④実証主義という誤解

これらハイポロジックスの発想を身につけた人をハイポロジストと呼ぶが、そのための十カ条は次の通りである。

①空想であれ願望であれ、考えとして存在するものは、すべて実現可能なことである。
 [ハイポロジックスの原理]
②新たなものをつくり出すことは、それ自体、社会正義である。これを否定する者は、正義の名のもとに排除されなければならない。
 [変革(Break Through)の原則]
③単一専門領域をいくら深く掘り下げても、新しいものは生まれない。広い視界が、深い理解と新しい発想には不可欠である。
 [超視界(Hyper Vision)の原則]
④社会の不条理な抵抗や否定にあうような発想の中から、真に価値ある発想を探し求めよ。みんなが良いということは、どうでもよいことである。
 [反撃(Counterattack)の原則]
⑤行きづまり状況下には、従来の論理のもっとも基本的なところを否定せよ。修正主義は状況をさらに悪化させる。
⑥発想は長い間寝かせよ。短期間で成果を得ようと思うな。本を読む前、データをとる前に思考せよ。
⑦パイオニアは、その良き理解者とペアで一人前である。
⑧高次元の問題を扱うときほど、人間は低次元の感情にかかずらう可能性が大きいと心得よ。
⑨実力以上に自分の可能性を信じ、能力以上の問題に挑戦せよ。大風呂敷を広げよ。
⑩技術者にとって技術的主張は、個人の思想、信条であり、基本的人権と不可分なものである。誰からも拘束される必要はない。

11/11/2007

気楽体からだ道場・宮城英男







気楽体からだ道場・宮城英男

・心の健康のために、からだの嫌がることはしない
 だまされたふりであれ、心身一如ともなれば、人生、相当シンプル(簡素)になろう。たとえば、からだの嫌がることイコール心が嫌、とシンプルそのものだ。

・不安定を必要以上に怖れると、首がネックになる
一般に、二足歩行に伴って様々に人間的弱点も生じたとされ、首もその一つとされている。首は司令塔であり、バランス調整の役割をも担うため、心身に不安定があれば、首に負荷がしわ寄せされて、その結果、過剰緊張、固定化し、一層のアンバランスを生じ・・・。

身体の言い分・内田 樹と池上六朗








身体の言い分・内田 樹と池上六朗

武術の質の高さと人間的な質の高さは本来は合致するはずのものだと僕は思っていたんです。術技の高い人は、それなりに努力家だから人間的に立派であるはずだといレベルの経験的なリンゲージじゃなくて。
武道の修行そのものが、ダイレクトに、修行する人間の総合的な能力を高めていく。身体も知性も感受性も判断力も統率力も胆力も生命力も・・・・およそ人間の総合的な能力の全体を高めてゆくのが武道修行の本来の目的であると僕は漠然と信じてきたんですけど、そういうことを明確に理論化して、それを修行プログラムとして体系化している武道家って、ほとんど存在しないんですよ。「心技体の一致」とか「心身一如」とか「文武両道」とか、言葉はありますけど、じゃあ、どうやって「心技体」を一致させるのか、「心身一如」とはどういうプログラムなのか、ということを精密に研究して、言語化している武道家というのはほんとにレアなわけで。多田先生はそのまことに希有な武道家の1人だったわけです。

人間の体というのは、非常に汎用性の高い装置だと思うのです。だから、一つ出来ると全部に応用が利く。「武芸十八般」とか「武芸百般」とか言いますけど、たぶん一つ出来ると全部に応用できるような基礎的なOSがあって、それを開発しているんじゃないかと思うのです。

予言する人というのは有利ですね。時間的に先に行っているから。人間って、時間的に先に行っている人には絶対に勝てないんです。「ぼくは未来がどうなるか知っているよ」と言う人には絶対に勝てない。気後れしちゃうんですよ。
断言に根拠がなければないほど、言われたほうは「どうして何の根拠もないのに、こんな自信たっぷりに断言できるんだろう・・・・何かオレの知らない根拠があるのかしら・・・」というふうに疑心暗鬼になって、気後れしちゃう。予言というのは、根拠がわからないものほど遂行性が高いですよね。

武道の立会いというのは、「先を取った」ほうが勝ちなんです。「先を取る」というのは、別に物理的・空間的なポジションに相手より早く着く、ということではないんです。空間的に「速い」んじゃなくて、時間的に「早い」んです。時間的に早く動き出したものに、遅れた人間は必ずついてゆく。ついてゆかない。これはもうどうしようもないんですよ。空間だったら四方に逃げ場があるけれど、時間の流れって一方向しかないから、一秒でも先にいかれたら、あとはずっーとついていかなければならない。

武道の稽古で結局何をしているかというと、体を強く、早く動かす、ということではないんですよ。そんなことをしてもしようがないんです。そうではなくて、細かく動かすということなんです。
伝導性が高まるんですよ。身体的なシグナルの通りが良くなるんです。だから、体と体の接点から、わずかなシグナルを送るだけで、相手の体が大きく変化するんです。

子供の時に、自分は世界と調和している、世界の必然的な一要素なんだということを理屈じゃなくて実感できるような環境というのは、ある程度周りが整えてあげないと子供の能力では構築できないですね。社会的に整備してあげないといけない。

合気道をやっているとわかるんですけど、自分のことをどこまでだませるか、なんですよ。自分が自分のことをだましだまし、自分の持っているポテンシャルが増していくようにもっていく。そういうことなんですよ。つまり頭の仕事なんですけどね、知性の活動を妨害するファクターってやっぱり自分自身の知性にあって、まあイデオロギーとか思い込みみたいなもんですね。体もそうなんですよ。自分自身の身体イメージとか、自分の体はこうだ、と思い込む。それで体のシステムってかなりの程度まで構築されてしまう。

子供の時、すごく親に愛された人というのは、孤立することが怖くないんですよ。百人中九十九人があっちに行っても、「あ、そうなの。でも、僕はこっち」って、平気でこっちに行けちゃう。
だけど、承認された経験の乏しい人は、他社の承認がないと立ちゆかないから、絶えず周りの人の顔色をうかがってしまう。こっちがいいのかな、あっちがいいのかな、どっちをやったら褒められるのかなって、いつでも何かを達成しなくてはならないという強迫観念にとらわれている。自分の高い目標を設定して、これだけのことを達成したら、このアチーブメントに対してきっとみんなが褒めてくれるに違いないという期待をエンジンにして仕事をしちゃうから、ずーっと苦しいわけですよ。

親たちが子供を条件づけで愛するというやり方を止めてくれないような気がするんですよ。「これこれのことを達成したら愛してあげる」という、排便のしつけができたらとか、字をおぼえたらとか、ピアノの練習をちゃんとやったからとか、とにかく子供に対して承認を取引材料に使うようなことをしてしまうと、子供はもう一生その呪縛から逃れられないわけでしょう。どうして無条件にかわいがるということができないのかなぁ。

例えば、子供を幼稚園から有名なところへ入れて、小学校も名門校に入れて、中学もそのままエスカレーター式に進ませて。そうやって育てるのが愛情だと思っている人が多いみたいですね。でも、それだとやっぱり、常に、そういう価値観のもとで評価されている生き方なわけで、何か基準がないと、自分自身がなんだかよくわからない、という人間が育つと思いますよね。人から評価されないと、安心感が得られない。安心ってそういうものじゃないと思うんですが、なんだかそんな世の中になってしまった。

子育てなんて合理的なはずがないんです。なにしろ、無から有が生まれてくるんだから。それ自体異常な出来事なんだから、そこに合理性を持ち込もうとすること自体に無理があるのに、近代のどこかで、これからはこの方法でいきましょう、と、日本全体で暗黙のうちに合意してしまったような気がするんですよ。

他の人はいったい自分に何を求めているのか、自分はこの社会でどんな仕事ができるのかということをいつも考えている人の前には自然にドアが開くし、梯子も下りてくる。どんなことをやったらみんなに喜んでもらえるのか、自分の個性や力量は、どんなかたちでみんなの役に立つのかということをある程度集中的に考えないと、そういうことは起きないのです。
でも、出世を望む人たちは、考え方が違う。そういう他者からの求めというものは目に入らないんです。自分がこんなことをやったら誰が喜ぶかな、とかそんなことは誰も考えてない。自分がどうやったら褒められるかということは考えているんだけれど、その時の基準は自分で勝手に作った思い込みか、誰かに教えられた世間知みたいなものを後生大事に守って。

絶対にこれはやりたくない、ということを選びなさい、と言うんです。絶対にやりたくないことを選んだら、あとは全部できるでしょう、ということです。それで、私はこういう者です、と世間に対して知らせたら、あ、じゃあこの仕事をやってください、って向こうから来るから。自分でやりたいことを選ぶなんて言ったって、外から見てよさそうに見えることにはもう先人がいてね、その人にはすでに加速度もついているわけだから。後からのこのこ参入したって追いつくわけはなんだから、そういう選び方はやめて。絶対にこれはやらない、ということを選べば、あとはどんな仕事だって出来るわけですから。

「怒るな、恐れるな、悲しむな、憎むな、妬むな、悪口を言うな(言われても言い返すな)、取り越し苦労をするな」中村天風の七戒

取り越し苦労って、無限の可能性の中から限定した不幸な選択肢だけをよりのけて、「これが私の未来だ」と思い込むということですよね。
取り越し苦労をしている人って、傲慢な人間だと思うんです。何が起こるか自分はわかっていると思っているという点でまず傲慢だし、お気楽に過ごしているほかの人間に比べて、自分のほうがずっと濃密で重厚名人生を送っていると思っている点でも。態度悪いですよ。

日常生活のところをルーティンで固めて、微妙な空気の変化のようなものを感知する感受性を研ぎ澄ましておくと、実際に危機的状況の時に、他の人たちより流れの変化と言うか、場の空気が変わる時の潮目を見切るのが早くなるんじゃないかと思うんです。

毎日判で押したように平凡な暮らしをして、できるだけ通勤時間を短くするのが一番良いんですよ。アフターファイブに用もないのにどこかへ行ったりしない、とかね。まっすぐ家に帰るのが一番です。そういうことを誰もアナウンスしなんですね。逆のことばかり言う。

新しいものを追いかけるということは一切しなくても、自分にとって必要なものは全部、向こうからやって来るものですから。

そういう姿勢を貫いていたら、出会うべき人に出会うわけで。ちゃんとそこにいれば、それを信じていれば、素敵なことは向こうからやって来るんです。

おとなしく家でじっとして、きちきちと判で押したような生活をしていれば、必ず「あちら」からいいことが来るよって言っても、ぜんぜん信じてくれない。

学生で、心身が安定しているのは田舎育ちで家族が親密な子が多くて、情緒不安定で、ちょっと危ない子というのは、都市生活者で、両親とも高学歴で、母親が過干渉という家の子ですね。過干渉する親というのは放任する親より、ある意味でもっとも子供との距離が遠いんですね。

努力して、我慢して、不愉快な思いに耐えて、その結果、周りの人に嫌われる人間て凄く多い。そんなことしても誰も幸福にならないんだから、自分の中に生物学的に備わっている快不快の感受性を、もっと信じていいと思うんです。気持ちのよいことをしっかり追求していると、人間としてそんなに大きく間違うことってないですよ。

恰好よくなくちゃいけない。人に、これをやれば儲かるよとか、しんどい仕事はやめてこっちをやったら、と言われたら、それは確かにそうかもしれないけれど、恰好よく、というのは不合理でいいんです。

人間って、自分が死んだ時のことを考えている人と、全然考えていない人とでは生きている構えが全然違うと思うんです。今目の前で起きている事柄に対する気配りとか注意力とか、あるいは物事の儚さとかかけがえのなさとか美しさとかに対する感受性が、死ぬことを考えている人と考えていない人とでは、まるで違うでしょ。

「今生きていてつまらない」と言う人というのは、要するに、自分が死んだ時に人生を回顧してどんなふうに思うだろうという種類の想像を働かせる習慣がない人、ということですね。想像力の射程が短い人は、人生つまらないと思いますね。
人生を本当に楽しめる人というのは、いつだって自分が死んだ時のことを考えいるはずなんです。

話が通じない人と暮らし始めるとね、人間の器が大きくなるんです。器を大きくしないと生きていけないから。話が通じなくてもノープログレム、という方向への頭の切り替えが大事なんです。通じなくて困ったな、やだな、不愉快だな、と思っていたら結婚なんてやってられませんね。でも、それこそが結婚生活の「そこから出発すべき現実」なわけです。
結婚は契約なんですね。

みんな、日本人が一斉に同じ方向に行く、ということの恐ろしさをわかってないんですね。

11/09/2007

健全な肉体に狂気は宿る






健全な肉体に狂気は宿る


基本的に人間というのは、困難な場所においては、自分の世界を狭めるものなんですよ。
健康なときだったら、全世界を相手にして生きることができる。でも、困難な状況では、とても世界全部を相手にすることなんてできません。だから、とりあえず一番小さなところまでキューっと絞るんです。


コントロール願望の強い人というのは、相手と自分の区別がつかないわけで。区別がつかないから、自分が思う幸せを相手に強要する。親はよかれと思ってやってることが、子どもにとってはいい迷惑だということは間々あることなんです。
でも、自他の基準が違うということがわからない。そうやって育てられた子どももまた自分が母親になると、同じことを自分の子ども相手に繰り返す。世代を超えても少しも「変化」しない。


子どもに対する親の仕事というのは、どうすれば子どもが気持ちよくなるのかということを考えることに尽くされると思うんです。


子どもの身体感覚にさえ目配りしていれば、あまり余計なことは言わなくても済む。快適というのがどういうことか、人から気づかわれるというのがどういうことかを気づかわれる側として子どもが経験していれば、そのうち自然に他人の快適さを気づかうことができる人になれると思うんです。そういうものって実地経験で覚えるしかないから。


「自分はこれがしたい」ということは一生懸命言うんだけれど、「自分は他人のために何ができるのか?」という問い方は思いつかない。
でも、「誰が自分の支援を必要としているか?」という問いを自分に向ける習慣のない人間は社会的には本当は何の役にも立たないんです。


ファンタスティックな「ライフスタイル・マガジン」が売れるというのは、言い換えると、自分のライフスタイルを自分で決めることができない人がすごく多いということでしょうね。子どものころからマニュアルで育ってきた世代が、三十代、四十代になっても、相変わらずマニュアルがないと暮らせないということなんじゃないですか。


「強く念じれば望みは実現する。ただし、自分の望んだ時期には実現しない」って書いてありました(笑)。
歳をとってみると、なるほどなあと思うんですよね。


自分自身が時間とともにどんどん変わっていくのに、遠い昔に立てた「人生設計」にいつまでも固執することに何の意味があるのか、一度ゆっくり考えて欲しいです。


ロングスパンとショートスパンと、どちらもないといけないんですけどね。例えば、ビジネスというのはショートスパンなんです。
四半期決算で収益が出たかどうかで測るわけだし、現にやったことに対してすぐにリアクションが返ってくる。ビジネスってある意味ほとんど無時間モデルなんです。
でも、例えば、家族なんてものすごいロングスパンじゃないですか。結婚生活とか親子関係みたいなものというのは、自分のやったことが正しかったかどうかなんて、四十年、五十年経たなければわからない。だからビジネス的に四半期の収益で成否を測ることのできる家庭生活なんてありえないですよね。だから、ロングとショートの両方がいるんです。


いま家庭がうまくゆかなくなっている原因の一つは、全部がショートスパンになってきて、本来ロングスパンで成否を見るはずの結婚や親子のあり方を「早く決断しろ、早く結果を出せ」というビジネス的な時間感覚が歪めているせいじゃないかな。


人間がまわりから受ける影響ってすごいですよ。無意識のうちに、信じられないくらい簡単に影響される。精神レベルだけじゃなく、身体レベルでも。誰にも経験があると思うんですが、ある種のフィジカルな波動みたいなものがあって、その人のそばにいるだけで、こちらの生命エネルギーがどんどんすり減っていってしまうような人間が現にいるんです。


もう少し広い視野を持つとか、もう少し高い視点から自分自身を含む風景を鳥瞰的に見取るということができないと、マジョリティとともにあるべきか否かの判断はできない。生態系の全体のバランスが崩れないなら、ある集団が全滅することだってあり得るんですから。
そのとき、そのマジョリティにとどまるかはずれるかの判断ができる人間とできない人間がいるわけです。マジョリティを見切ってそこから逃げる能力というのは、ふつうの家庭教育や学校教育では教えてくれない。当たり前ですけどね。特に母親は絶対教えない。だって、母親にとって子どもは「弱い生物」としてインプットされているんですから。母親は本能的に子どもに対して「つねにマジョリティと行動をともにしなさい」という圧力をかけてきますね。


「変人」戦略というものを採用する人がいるわけですね。春日先生とかぼくとか。「変人」というのは最初からマジョリティの端っこの方にいるわけですよね。群れの中にはいるんだけれど、いつでも逃げられるように端にいる。真ん中にいると逃げられないから。マジョリティの中にいれば絶対に安心だと思っている人は、どのへんに立ち位置をとるかなんてことはあまり気にしないんですよ。


人間というのは、他人から聞いた話というのはあまり軽々には信用しないくせに、自分がいったん口にしたことばというのは、どれほど不合理でも信用するんですよ。だって、自分で口にしたことばの現実変成力を自分の人生を賭けてでも証明しようとするから。
自分の口で言ったことは、言わないことよりも実現可能性が高いですから、他人のことばはどれほど合理的でも信用しないが、自分のことばはどれほど不合理でも信用するというのは、ある意味「正解」なんです。


身体は正直ですからね。そして、身体の方が賢いんです。身体は本能的になんとか生き延びようとしているわけですから、長生きできない方向に人間が行こうとすると、「やめなさい」と言ってくれるはずなんです。


「身体が感じる違和感に、忠実になれ」ということですよね。


ぼくもときどき人に対してひどいことを言うことがあるんですが、そのときの基準は一つだけ。悪口を言ったあとで気分が良くなるかどうか(笑)。
やっぱり身体に訊いてみるしかないわけです。だから、学生にもよく言うんですよ。「とにかくデートしなさい」と。そして、一緒にご飯を食べてみて、美味しかったら相性がいい、一緒に食べてご飯がまずかったら相性が悪い、と。


甲野善紀先生や竹内敏晴先生や光岡英稔先生も、みんな身体の内側の変化をみつめるといういうことをされているでしょう。
その方たちに共通するのは、何が「正しい」かじゃなくて、何が「気持ちがいいか」ということを探求しているということですよね。
身体のどこにも無理がなく、詰まりもなく、凝りもない、気持ちがいい状態を探り当てられれば、どのような条件に置かれても、その「いちばん気持ちのいい状態」にまっすぐ戻ることができるでしょう?そのときの「安定状態に一気に戻る」動きが爆発的なエネルギーを生み出すわけだから。身体的な気持ちよさというのは、そのまま武道的な意味での強さにつながっているんです。


ひとりひとりの人間にはその人にとっての「最適サイズ」というものがあって、それよりも大きくしても小さくしても、身体には障害が出てきます。
ぼくたちが探さなければいけないのは、今の自分にとっての最適サイズなんです。生存に一番有利で、身体的ポテンシャルが発揮できて、かつどこにも過負荷のかからないぴったりの体型というものがひとりに一体ずつ必ずあるはずなんです。それより太っても痩せても、どちらにしてもパフォーマンスは下がる。


人間が精神的に健康である条件について、四つばかり挙げておきたい。
●自分を客観的に眺められる能力。
●物事を保留(ペンティング)しておける能力。
●秘密を持てる能力。
●物事には別解があり得ると考える柔軟性。


客観的に自分を眺める能力が必要なことは当たり前であろう。反省とか良識とか羞恥心とかバランス感覚といったことに通じるわけで、これがないと育ちの悪いガキと変わらない。

ペンディングする能力、あるいは(精神的な意味で)中腰の姿勢に耐えられるだけの余裕といったものもきわめて大切である。
それは忍耐力とか不安に耐える力と言い換えられるかもしれない。あるいは一種の能天気さとか楽天性、「ま、何とかなるさ」とやり過ごせるだけのいい加減さに近いものかもしれない。気取って言えば、希望を持ち続けられる能力と称してもよかろう。

おしなべて我々は待つことが苦手である。待っているとイライラする。不安になる。猜疑心を抱いたり、悪い想像をしてそれに振り回されたり、被害者的になったり、ときには妄想レベルにまで思考が暴走する。基本的に、待つことは精神衛生上きわめて悪い。

だが世間の諸事は、すぐに結果や結論が出ることは少ない。大概はじっと待ちつづけたり保留しておいたりしなければならない。つまり生活にメリハリがつかな。生殺し状態にされる。保留がいくつも生じることで将来への準備や心構えは困難となり、未来は不透明で曖昧となる。不条理感が立ち上がってくる。

だが我々はそうした生煮え状態に耐えなければならない。焦ったり捨て鉢になっては、元も子もなくなる。待つ能力、保留しておける能力は、本人のみならず周囲の人々にも安定した気分を与えてくれる。

秘密を持てる能力に関しては、本文で語られているから特に付け加えることはない。わたしとしては、胸にそっと秘密を持つことにもっと楽しさを感じるべきだと思う。心の闇といったものではなく、むしろ光学写真機の暗箱のような豊かな闇を持つことが我々には必要なのである。


では、物事には別解があり得ると考える柔軟性についてはどうか。しばしば世間では心を病んだ人々の思考は支離滅裂とかデタラメに近いものと捉えている。だがそれは間違いである。彼らは往々にしてきわめて論理的である。いや、あまりにも論理的で整合性があり過ぎることが問題となる。

11/08/2007

内田樹


内田樹(うちだ たつる)


私たちの社会からはすでに献酬の習慣がなくなった。今また喫煙の習慣も消えようとしている。共同体の存続よりも個人の健康を優先する人々が支配的になる社会において、人が今より幸福になるように、私は思えない。

デートでご飯に誘うのは、一緒にご飯を食べて、もし同じものがいつもより美味しく感じられたら、それは「この人とはうまくゆく」という指標だし、ご飯の味がしないなら、他の条件が揃っていても、うまくゆかない。こういう判断においては消火器の方が脳よりも賢いのである。

しゃべれば、しゃべるほど、言葉がうつろになっていく。

何でも今を基準にして考えちゃいけません。どちらかというと、昔から流れて来ているから今があるんですからね。歴史を逆に見ちゃいけないということですよ。

音楽の伝播というのは、人々が思っているほど一方向的なものではないし、時代とともに「進化する」というものでもありません。それは時間と空間を行きつ戻りつし、さまざまな非音楽的なファクターをも吸い寄せて、絶えざる変容と増殖を続ける不定形的でワイルドな運動なのです。

ご臨終メディア


ご臨終メディア 森達也・森巣博





森:森巣さんが指摘するように、高収入によって醸成される保守性が今のメディアのスポイルの大きな要因だとしたら、
  その既得権益を自発的に捨てさせることができるかどうかは疑問です。やはり外圧がないと・・・。
森巣:しかしそれなら庶民の味方みたいな面するなと。年に3000万円近くも取っておいて、自分の使命を果たさず、
  夜は会社の金で酒飲んで、「領収書切ってね。あっ、日付は入れないで」なんて言うのですよ(笑)。だからやっぱり給料を、
  15分の1にせいと。
森:森巣さん、減額の割合がどんどん増えてますよ(笑)。



森巣:森さんがおっしゃったとこで、一つの重要な論点が浮かび上がりました。相手を知らないゆえに憎悪しているという点。
  だからこそ知りたくないわけですよね。
森:そうですね。知ってしまったら憎悪できなくなってしまう。それをどこかで感知してしまうから、目をそむけてしまうのかもしれない。
  まぁ、オウムの場合はこれに加えて、彼らに対しての嫌悪が突出して強いですから。それも含めて考えねばならないとは思うけれど。


実際には巨悪を黙認し、かつそれに加担しつつ、正義を背負っているように振舞うジャーナリストたちには反吐が出ます。しかも倒れるのを
待っている。不正を告発するのがジャーナリズムのはずでしょうが。ところが、倒れたものを叩くのがジャーナリズムとなってしまった。


そもそも、ジャーナリズムという仕事―メディアの仕事と言い換えてもいいですが―には、他人の不幸を食い物にして成立する領域が
とても大きい。だから、生来的に後ろめたさがあって当たり前の仕事なんです。賎業くらいに思ったほうがちょうどいいと僕は思っています。
ところが今は、後ろめたさがどんどん希薄になっています。この負い目や後ろめたさが消えたとき、メディアは、暴走するんです。


権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する。
その権力の腐敗を、国民の代わりに監視するのが、ジャーナリズムの役割なのです。


レン・マスターマンが指摘した、メディアは現実を反映しているのではなく、再構成してから提示するという考えそのものですね。


メディアにおけるリアリティは、本物ではなく、本物らしいということです。これは決して皮肉ではなく、受け取る側の感応力が重要なんです。
だからこそ、メディアが発達することで、リアリティは増大せずに逆に消失するんです。ベトナム戦争とイラク戦争のリアリティを比べてみたらいい。
あるいは三〇年前のビアフラと今のスーダンの飢饉。規模や被害は同じようなものです。むしろ今のほうが悲惨かもしれない。でもメディアが
リアルタイムに、わかりやすく、情報量が増大する過程と並行して、受容する側の想像力が消えていくんです。


今、メディアに携わる人間も、確信犯的に状況を悪くしようと思って仕事をしているわけではなく、どこかで日本を長くしよう、自分たちの
理念を全うしようと考えているとは思います。それが硬直し、麻痺し始めている。さらに、僕が危惧している一番の点は、自分たちが
手を汚しているという自覚があれば、まだ改善の余地が存在するんですが、それすら消えてしまったときに、まさに自動律が始まるんです。


みんな一緒の社会のほうが、ずっと怖いのです。異質なものを混ぜて一緒にやる。これが本来の意味での多元主義の立場です。
異物はわからないからといって、排除してしまったら終わり。そこで思考は止まります。わからないものはわからないまま。置いておいて、
一緒に考えればいい。
自分も考える、向こうも考える。自分が何かしようとしたら、嫌なヤツも入れる。好きなものだけで集まっても、仲良しグループができるだけで、
つまらないものしかできない。だから、メディアには、多元性があっていいはずなのに、一元化されて、みんなでいい子グループをやっている。
「救う会」にしろ、「新しい教科書を作る会」にしろ、下部で働いてる人たちは、自分はいいことをしていると、きっとみんなそう信じているので
しょう。福音を伝道しているのだと思っている。


ところが、わからない、理解できない相手は、はじいてしまう。北朝鮮の手先だ、アルカイダの兵士だ、テロリストだ、非国民だと排除してしまう。
なぜかは理解できないけれど、テロリストたちがあれだけのことをするには、それなりの理由があるんだと考えることができない。わからないのなら、
なおのこと相手を知ろうとするために、その考えを聞き、知ろうとするべきにもかかわらず、わからないからといって徹底的に差別する、排除する。


暴走します。悪意は暴走しない。ただし、開き直ります。
森巣:悪意には、ある程度までの、底というべきか天井があるのかもしれない。ところが、善意というのはどこまでも突き進んでしまう。


その無自覚性の積み重ねの先にある社会こそが「怖い」のです(笑)。いつの間にか、私みたいな人間がサヨクと思われるような世の中になってしまった。
私の立場は明瞭です。左翼は難解、右翼は厄介(笑)。アメリカでは、愛国者法(反テロ法)が成立しました。日本もその方向に進んでいる。
愛国者法を成立させたUSAは、私がセックス・ドラッグス・ロックンロールをやっていた頃のUSAではありません。敵を作り、敵を攻撃することが正義と
なりました。おまけに、それに反対すれば非国民です。


今のメディア自身も、善意を体現しようとして、そこに正義という言葉を入れ替えて、その御旗の下、麻痺し始めている状況ですから、社会全体の
善意による暴走という構造は、拍車がかかるばかりの状態になりつつある。
森巣:それでも、表現することを恐れてはいけない。意義申し立ては必要なのです。周囲に気を取られて、保身しているようでは、奈落しか待ち受け
ません。森さんが書かれていたことですが、表現することによって傷つく人がいるかもしれない。それは絶対どこかにいるのです。それを気にしてばかりいたら、
何も書けなくなってしまう。表現とは誰かを傷つける可能性を含むものなのだという自覚は必要です。その加害者性を受容して、表現が開始される。


傷つくであろう人がいるということは、気にはしてほしいし、忘れてほしくない。だからといって、気にしすぎてしまったら、それで機能しなくなってしまう。
後ろめたさを思いっきり持って、ああ、こんなに毎日毎日多くの人を傷つけているって、めそめそ泣きながら仕事をするくらいの気持ちを持続してほしい。
その自覚もないのに、ジャーナリズムや表現に携わってはほしくないですね。


人を刺すのは、自分も刺されることを受け入れて、はじめての成立可能な行為です。自分が刺されることを受け入れないから、現状のように、どんどん
抗議のこないほうに向かってしまった。
森:・・・・・・でもね、刺される窮地にまで自分を追い込む必要はないんです。メディアの特権は、人のことを刺すけれど、自分は刺されない位置にいること
です。とんでもない特権です。だからこそ、それに見合うだけの自覚と働きは、当然要求されるべきなんです。


自分がくだらない、虫けらみたいな人間なんだというところから出発したほうがいい。正義であったり、公共の福祉であったり、知る権利とか、
表現の自由がどうだとか、そういったことを持ち出すから、どんどんどんどん錯覚していってしまう。
一回原点に立ち返ればいい。メディアという仕事は、ほとんどが人の不幸をあげつらうことで成り立っている。不幸でなくとも、聞かれたくないような
ことまで取材しなければならない場合もあるし、取材方法だって家族には見られたくないようなことばかりしています。そしてその結果、常に誰かを
傷つけることで成立しているんです。そのことに対する後ろめたさを持ったほうがいい。それだけは、絶対なくすべきではないと思っている。
卑しい仕事なんです。その視点から、もう一度、メディアというこの重要なジャンルと、向き合うべきと思っています。


長い博奕体験から、私には言えることが一つある。それは、希望が絶望に変わるのは諦めたときなんです。諦めちゃいけない。
絶望に陥ってはいけないのです。

11/07/2007

奥田民生、日経


奥田民生、日経
音程って揺れるでしょ。ビブラートをかけるとごまかせる。

カラオケ的歌い方と言うか。本当にうまい人はビブラートをコントロールしてやってますから、さらにうまくなる。

ごまかしてる人は、うまく聞こえるけどちっともうまくない。

ソングブック/ニック・ホーンビィ


ソングブック/ニック・ホーンビィ

ピンクフロイドの音は、風通しが悪くて人工的だった。おまけにプログレッシグ・ロックのやつらは、まるでクラッシクの音楽家になりたがっているみたいで、なぜだかポップを見下している感じだった。彼らについて行っても、その先は袋小路。未来はどこにも通じちゃいなかった。

イングランドのポップ・ミュージックを聴いてもイングランドは聞き取れない。・・・・セックス・ピストルズはストゥージスの歯並びを悪くして、やり手のマネージャーを付け加えたようなもの。

出来の悪いものでも許せる気持ちになったのは、最良の歌とはただただ美しく、そして美しいものとは、とくにポップ・ミュージックにおいて、稀少品であるからだ。そう考えてみれば、美しいものを抱きしめずにいるなんて、自傷行為にひとしい。もうぼくは、ポップ・スノッブでいる余裕などない。

ジャクソン・ブラウンの音楽には、若いころなら反応できなかっただろうと思わせるものがたくさん存在している。当時だったら、その繊細さやはかなさを、ただつまらないと勘違いしたはずだ。

ぼくは新しいものを発見しつづけたい。証券取引所に名前があるような店では、発見なんて出来やない。だからあなたには、ウッドや、あなたの家の近所にある似たような店で買物をして欲しい。でなければ、いつかきっとこうかいするはずだから。

音楽を愛してはいるけれど才能のない人間でも素晴らしい音を創造できる。必要なのは耳と、ソフトウェアと、センスのよさだけ。ファンという人種だけが持つ大いなる魅力が、これでようやく世に認めらるようになったわけだ。

音楽を創造するとは―どんな芸術でもおなじだが―空気の薄いところから何かを引きづりだし、もともと何もなかったところに何かを生みだすことであるはずだ。

11/06/2007

最高の自分を生きる 丸山敏秋






最高の自分を生きる 丸山敏秋



◎感謝や感動の心が大きいこと
◎自分の身に起きることはすべてプラス、ととらえること
◎先のことはあまり考えず、目の前のことに精一杯取り組むこと
◎志を高く持つこと
◎ギブ・アンド・ギブの精神で生きること


稽古とは、自分の身体を型にはめ込んでいく訓練である。稽古がはっきりとした目的に
向けて行われるとき、それは修行となるのだ。


修行とは、世俗的な日常経験の場における生活規範より以上のきびしい拘束を自己の心身に対して
課することである。そしてそれによって、社会の平均的人間が送っている生き方より以上の「生」の
Leben mehr alsに至ろうとすることである。「人格の向上」とか「人間形成」とよばれるものは、具体的には、
このような実践的訓練の過程を意味する。
そうした修行には、主として外界の事物に向かう外向的実践(たとえば修道院生活の労働のように)と、
瞑想修行のような自己の心の内部に向かう内向的実践に大別できる。世阿弥が稽古を禅の修行になぞらえたように、
技芸の稽古が修行に進んでいくとき、日本の場合では無我の境地をめざす仏教思想が大きな役割を果たすこととなった。



技芸あるいは求道の世界でその「道」を究めるためには、よき師に就き、その師を心から尊敬信頼して、技能を修得しなければならない。
道元いわく、「正師を得ざれば学ばざるに如かず」。
技芸の師は普通、あまり教えない。師自身もかつて就いた師から教えられることはなかったし、技芸の蘊奥は教えられるものでもないことを、
経験的によく知っているからだ。型ならば教えられるが、それもあえて無理には教えない。そもそも、「教える」という言葉は稽古の世界にふさわしくない。
なぜなら、日本の技芸では身体などの動きがない、いわば空白余白のところに無限の妙趣を見出そうとするからだ。「せぬところがおもしろき也」
(世阿弥『花鏡』)、「目に見えぬ所をさとって知る事」(宮本武蔵の『五輪書』第七戒)と言うがごときである。動きのないところ、目に見えないことを、
どうやって教えられようか。
したがって弟子は、真似をするしかない。技芸でも学問でも、学びの道は「まねび」、すなわち師の技芸や知識をひたすら謙虚に模倣することからしか
始まらない。模倣するとは、一定の型に身を入れる修練を積むことである。



①善いしつけ
②自分の選んだ芸術に対する情熱的な愛
③師に対する批判抜きの尊敬


まず弟子は最初、師がやって見せることを、良心的に模倣すること以外には、何一つ要望されることがない。
師は長ったらしい説教や理由付けを嫌って、簡潔な教示をするにとどめ、弟子が質問することなどは勘定に入れていない。
彼は弟子の模索的な数々の骨折りを落ちつきはらって静かに眺めており、別に弟子の独立心や創意工夫を期待しないが、
弟子が成長し成熟するのをじっと待っている忍耐心を持っている。両者共に時間をたっぷり持っており、師はせきたてず、弟子は
あわてて手をさし出さないのである。
時期尚早に弟子を芸術家に目覚めさせようなどとは毛頭考えず、師は彼を、手業が無上によくできる有能者に仕立てることを、
自分の最初の使命と考えている。弟子はたゆまぬ勤勉によって師のこの意図に添おうと努める。彼はまるでそれ以上の高い要求は
全然持っていないかのように、いわば自分に愚鈍な心服状態を背負わせる。こうして彼は、何年か経って初めて、完全に自己のものと
した形式が、もはや自分を圧迫せず、かえって自己を解放するという経験を持つようになるのである。彼は一日一日と次第に容易に、
どんな芸術的霊感にも、技術的には造作なく従うことができるようになる、が同時にまた心をこめた観察の中から、霊感をぞくぞくわかせる
こともできるようになる。例えば、筆を持つ手は、彼が心の中で創作活動を始めるのと同じ瞬間に、いち早く狙い誤たず頭に浮かんで
いるものを仕上げてしまうのである。そしてついに弟子は、精神か手か両者のどれが、その作品の責を負うかをもはや知らなくなるのである。
しかしそこまで行くためには、すなわちその技量が“精神的に”なるためには、弓道の場合と同様に、心身の全力の集中が必要なのであって、
これは、どんな事情の下においても放棄され得ないものである。(傍点・引用者)


稽古が目指すのは「自由」の境地なのである。「型にはまる」だけではその「道」を窮めたとはいえない。型をしっかり踏まえながらその型を
超えていくと、いちいちの動作から心が離れ、自由自在に技が繰り出せるようになり、「我もしらず」という境地に至る。そう、「ゾーンに入る」のだ。
そうした稽古の階梯は「守・破・離」あるいは「序・破・急」と呼ばれた。


◎人は、幸福に暮らしているから朗らかなのではなく、朗らかにしているから、幸福な事情がつぎつぎにあらわれてくるのである。
◎世の人は、身体が悪いから働けない、というように考えているが、それは反対である。・・・・・・病気になってからでも、出来る仕事を心配なく
働きつづけていたら、それ以上悪くならないばかりでなく、次第によくなってくるものである。


習慣は成長の敵なのだが、習慣を突き破るところに成長がある、というべきかもしれない。習慣を突き破る上での導き、それが直感だった。
直感は低次の「爬虫類の脳」ではなく、上位の「人間の脳」と「哺乳類の脳」との間の力動から生まれる。すなわち、「下から上」ではなく
「上から下」に作用する心の機能であった。ちなみに、習慣に依存する怠惰怠慢、あるいは自己保存の心意は、「下から上」によるものである。
技芸の世界における達人の開眼に、直感が大きな働きをするとともに、日々の稽古における向上のプロセスにも直感は欠かせなかった。
このようなことから、「気づいたらすぐする」という実践の意義が明らかになる。気付きという直感は、その時その場の状況に応じて、実に多様に
発現する。それをキャッチして行動する場面場面は、いつも異なっていて、常に新しい。すなわち受動的な習慣を突き破り、われわれは
「新に生きる」ことができる。
実践とは非日常的な行為だったが、あることを実践してそれが出来るようになると、習慣化してしまう場合が多い。日常化してしまえば、もう、
実践ではなくなってしまう。直感による「即行」にそうした習慣化は起こらない。「即行」が非日常に止まりっぱなしということも決してない。
「日常→非日常→日常」の好ましいサイクルが「即行」の実践においてもたらされる。


「純情」の対極がわがまま(エゴイズム)であり、わがままは習慣に安住する。わがままな生き方を変え、機械のように自動操縦されて生きるだけの
人生を乗り越えたいのであれば、「即行」ほど的確な実践はない。


オイゲン・ヘリゲル『日本の弓術』(柴田治三郎訳、岩波文庫、1982年)
同『弓と禅』(稲富栄二郎・上田武訳、福村出版、1981年)
黒田亮『勘の研究』(講談社学術文庫、1980年)

「正しい意思決定の五条件」&「12の徳目」


「正しい意思決定の五条件」&「12の徳目」



これは、私が信じている世の中の仕組みから見つけだしたものです。

①やりたいこと・楽しいことをやる

②自信のあることは、やってもいい

③自分のためだけのことではなく、世のためになること

④責任がとれること

⑤恨まれることはしない





一、 【孝行】親孝行をしましょう。

二、 【友愛】兄弟姉妹は仲よくしましょう。

三、 【夫婦の和】夫婦はいつも伸睦まじくしましょう。

四、 【朋友の信】友だちはお互いに信じ合ってつきあいましょう。

五、 【謙遜】自分の行動・言動を慎みましょう。

六、 【博愛】全ての人を愛し、助けの手を差し伸べましょう。

七、 【修学習業】勉学に励み、職業を身につけましょう。

八、 【知能啓発】知識・教養を身につけ、才能を伸ばしましょう。

九、 【徳器成就】人徳を高め、人格を高めましょう。

十、 【公益世努】社会や公共のために貢献しましょう。

十一、【遵法】法律や規則を守りましょう。

十二、【義勇】正しい勇気をもって、国のために尽くしましょう。


11/05/2007

楽しく上手にお金とつきあう・小林正観


楽しく上手にお金とつきあう・小林正観



たそがれたラーメン屋でお金を使う。

美味しい店、有名な店に入るために行列に並び、20分も、30分も待って食べるというのは、エゴかもしれません。その有名な店の2,3軒隣には、必ずお客さんの入ってない店があります。まずくて有名で、店主の愛想は悪いかもしれません。でも、あえてこのような店に入ってみてください。

役に立つようにお金を使うというのは、「いかに人に、お金に喜んでもらえるか」ということでもあるのです。



お金ができた、と食べ物を変えると運が衰える。

「欲しい、欲しい」と念ずれば念ずるほど、願えば願うほど、「我欲」「執着」「こだわり」のゴミを貯め込んでいることになります。先ずは、その三つの思いを捨てること。



どうお金を使うか、いつも考える。

いざという時に、富をみんなのために放出できる人のところには、お金が集まってくる。「この人のところに貯めておけば、いざというとき助かる」と思われる人は潤うのです。「この人に潤っていて欲しい」と周りの人たちが思っているから、自然とそうなるのです。



喜ばれる存在になると、売り上げはついてくる。

村おこし、町おこしの共通点

1、その町や村で育った人が一度都会に出て生活し、戻ってきて何かを始めた。

2、都会に住んでいた人が仕事を辞め、その町や村に移り住んで何かを始めた。

3、その町や村の外に多くの友人、知人を持っている人が何かを始めた。

外の世界と交流を持ち、外の世界を知っている人が、新しい楽しいアイディアを持ち込み、活性化のきっかけをつくっているようです。ずっとその町や村から出たことがない人が、その地域のよさを認識できないので、そのよさをアピールすることができない。



働くとは「はたをラクにする」こと。

喜ばれる存在になること、それだけですよね。



生きるとは、「頼まれごと」をこなすこと。

自分のやる気や衝動によってつくったものが芸術だと思い込んでいる人が多いのですが、それだけでは、長く世に残るスゴイ仕事はできないようです。

衝動でやったものは、自分のできる範囲でしかやらないことが多い。ところが、「この大きさのもの、こういうものをいついつまでに仕上げてくれ」と言われると、人間は自分を超える力をどこかから借りてこなくてはならない。自分の能力の限界を超えるものを頼まれて引き受けてしまう、ここが重要です。

自分の力を自分で評価・評論できると思っている、それが「傲慢」です。頼まれたら「わかりました」と言ってやってみる、それが「謙虚」。

一般に言う、「傲慢」と「謙虚」とは全然違います。



「イヤなこと眼鏡」を外すと、人生は楽しい。

「お金を貸してくれ」「お金を出してくれ」と言われても、それはお金に用事があるのであって、「私」に用事があるのではありませんから、断っても構いません。

その人はお金に用事があるのですから、「私」ではなくてもどこかお金がでてくればそれでよいわけです。



「夢や希望に満ちあふれた人生」は、「死ぬまで満たされない人生」かも。

努力の反対語は感謝です。もちろん、努力は悪いことではありません。けれども「努力をしなければならない」と思うのは、自分の力しか信じていないこと。つまり、自分の人生をつくっているのは自分だ、という奢り・高ぶり・うぬぼれ・傲慢かもしれません。そういう人は、自分の体の外側のものを全部敵に回しても努力を続ける。それが美徳だと思い込んでいる。

「夢や希望をもちつづけなければならない」と私たちは言われ続けてきましたが、夢や希望に満ちあふれいる人生というのは、つねに今の自分を好きになれず、「まだまだ、もっともっと」と死ぬまで言い続ける、満たされない人生ということなのではないでしょうか。

ちっとも努力してないけど、いつもニコニコと楽しそうで、心に余裕があり、いろいろなことや人に感謝して、周りの人を気持ちよく、明るくさせてくれる人。

「努力、努力」と押しつけがましく、とても偉そうで、一人で頑張っているような顔をして、いつもピリピリと怒っている人。

どちらが楽しそうで、明るく楽しい人が寄り集まってくる人生なのでしょうか。



求めて手に入れるのが人生の前半、折り返しを過ぎたら、捨てて手放す。

「頑張る」「努力する」ことが唯一のよい価値なのだと信じて、そのまま後半生を生きていこうとすると、今度はうまくいきません。後半生では、「頑張る」「努力」が「向かい風」になってしまうようです。人生の折り返し地点を過ぎたな、と思ったら、何かを求めて動くより、今いる場所で「どうしたら喜ばれる存在になるか」、今まで得たもので「どうやってみんなの役に立つか」と考えると、面白い風が吹いてきます。追い風です。



「発想転換」して「執着を捨てる」。

強いものが力を示して上に立つ時代はもう終わり。柔らかなもの、温かいものが協調して力を持つ、そういう時代。「力を持つ」という表現自体が違うかもしれません。強調的なものが中心になっていくのです。



「ありがとう」は神の応援を得る言葉。

本当に幸せを感じる人というのは、足りないものをリストアップするのではなくて、足りているもの、いただいているものをリストアップする人。自分がいかに恵まれているかに気がついた人です。








11/04/2007

暮らしの哲学・やったら楽しい101題






暮らしの哲学・やったら楽しい101題・ロジェ=ポル・ドロワ



身の上をいくつもでっち上げる・人生観が変わる

違う人間を演じてみる・憂鬱の虫を抑える

いい人になったり悪い人になったりする・自分を相対化する

何もしないでただ待つ・気が鎮まる

しあわせになる禅






しあわせになる禅・ひろさちや



家の中で使われる物差しが、世間の物差しのままではいけないと思う。世間の物差しは、人間を「役に立つ、役に立たない」といった観点で評価するから。



要するに、親が世間の奴隷になって、わが子に世間の物差しを押し付けていたのでは、問題は解決できないのです。



宗教を持たない人間が、宗教の代用品として持っているもの(持たされているもの)が、

―美学―

です。「日本人の美学」「男の美学」なんて言いますが、立派な死に方をせねばならない、立派な生き方をせねばならないという強迫観念が美学です。

こんなもの、宗教の代用品にはなりませんよ。



1、莫妄想(まくもうぞう)→余計なことを考えるな!

2、一得一矢→なんだっていい。

3、自灯明→他人のことはほっとけ!

4、放下著(とうげぢゃく)→常識を捨てろ!

5、竿頭進歩(かんとうしんぽ)→がんばるな!

11/03/2007

日本の遺伝子を変える 濤川栄太


日本の遺伝子を変える 濤川栄太



田中角栄氏がしみじみと語った言葉が忘れられない。「とにかく敵をなるたけつくらないこと。一人の敵は千人の敵になる」は、けだし名言だ。

 

何が弱いのかといえば、まず情報そのものに対する執着力が弱い。ある意味でインターネットとは「個」だ。一人が世界をひっくり返せる可能性をもつ。その点、集団主義をメインとし、基本的には群れて生きてきた日本人は、どうしても「個の確立」を苦手にする部分もある。

 

とくに目立つのは「国家意識の欠落」。日本人ほど国家を愛さない国民が多いのは、世界に類例がない。

これは何回でも強調する。個人を大切にし、自由と民主主義でいく。しかし、そういうアメリカ、イギリス、フランス・・・、いずこの国民もみな自国を愛している。



「人間は自分の為に生きなければ生きられないが、他人の為に生きる意志のない者は幸福になれない」、という方程式。私にはどうしてもそうとしか考えられない。

だから仏教でいう「菩薩性」の強い人が、人間として強い。豊かであり、輝く。そして「知足」―、足るを知っている。エンジンをふかす時と、ブレーキをかける時の判断力も高い。孫子は「敵を知り、己を知るは百戦危うからず」というが、やはりすべては「知ること」から始まる。「知は力」だ。

 

 MIT教授ジョン・ダワー氏はかつてピュリッツアー賞を受賞したが、日本経済の復興を研究する彼はいう。「経済システムについてもアメリカのまねをして、日本がもっていた良さをなくそうとしているように思います」。「アメリカのまねをして、日本の優れたシステムを棄ててはならぬ」。繰り返すが、アメリカの良き所を吸収し、悪しき所は同化しない術を身につけないとこの国は本当にダメになってしまう。

 

 

国家戦略研究会議事務局

 

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11/02/2007

親より稼ぐネオニート・今一生



親より稼ぐネオニート・今一生





受験勉強や集団生活は、ガマン比べに強い奴が勝ち上がっていく。

だが、「どうせガマンするなら自分のしたいことを実現させるためにガマンしたい」と望むほうが精神的に健康な考えであり、実際に発揮できるはずだ。「みんなと同じ」人生を踏み外す不安に負けて、周囲の望む通りに生きて後悔しても、親も友人も恋人も誰もあなたの人生に責任なんてとってくれない。だから、やりたいことがハッキリとあるときは、みんなの輪から離れても自分が納得できるまでやってみるしかないのだ。



「親が子供に教育すべきことは自分一人で食べる技術を身につけさせることだ」と痛感した。

親は子供に学歴を与えることに躍起になるよりも、自力で稼いでいる姿を見せたほうが、子供にとっては自分が生きている社会がどんなものかがわかる。家庭や学校における教育ではまだまだ学歴信仰が根強い。だが、そこから一歩でも早く目覚めて自力で稼げる技術を磨かせることが、楽しく稼ぐ子=働くのが好きな子に育てる第一歩なのだ。

会社に雇われるより自営したほうが儲けられるなら、雇われる必要などない。資本主義社会では自営で暮らす自信のない若者は学歴にすがって待遇の良い企業への入社を目指す。だが、職業能力や実績に自信のある人は早々と独立する。つまり正規雇用は本来、自営業を安定させることに自信のない弱者の選択にすぎないのだ。



「(下流層は)コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低いのである。その結果として所得が上がらず、未婚のままである確率の高い。そして彼らの中には、だらだら歩き、だらだら生きている者も少なくない。その方が楽だからだ。」



衣食住がいつもあるのを当然と感じ、趣味や遊びにも満足なお金をかけて育てられた世代の子供たちにとっては、わざわざ苦役である労働に自分の時間や体を投げ出さなければいけない理由がピンと来ない。自分の趣味に時間とお金を使うことで、その趣味と向き合っているときの自分が自分らしいと感じてしまった世代にとっては、自分らしさから離れることは自尊心を奪われるのと同じであり、「酸欠」状態だからだ。



ファッション雑誌やテレビ番組でよく報じられるように、流行の服を着ることや毎年水着を買い換えることがおしゃれの基本だろうと、そんな「みんなと同じ」ことにお金を支払うよりも自分らしい趣味にお金を出すほうが楽だから、暮らしぶりは放っておくと自堕落になりがちだ。

その「自分らしい人生」がテレビゲーム三昧の日々だろうと、低収入のために家の外で友人と交際する機会を減らすしかない人生だろうと、「世間様には及ばないが、マイペースの人生で良いじゃないか」と思うことで自尊心を保つしかない。



現実での職場の人間関係は、学校で嫌いな人を無視してやり過ごすようなポーカーフェイスでは立ち行かないし、自分の仕事ぶりは常に同期の人たちと比べられる。



人と競争しながら自分の能力を磨くことに既に疲れきっていたり、人と争いながらも妥協点を探って絆を深めていけるようなコミュニケーション・スキル(交際能力)を鍛えるにも及び腰で、毎日同じ会社に通勤する規則正しい生活を維持する体力も根性も欠如しているという一群が、「エヴァ世代」の若者には珍しくないからだ。



プロは自分の高度な技術を取引先の企業に高く売るために、ギャラの額面を吊り上げていくことに腐心する。その結果、「IT弱者」には払えない額面になってしまうからだ。

そこにこそ、職にあぶれたニートたちが「自分にとって難なくできるレベルのもの」を発見する余地が生まれる。自分ひとりが食っていける程度の労働市場は自力で作れるのだ。誰もやらないことほど独占市場を作れるチャンスなのだから。



ネオニートは、世間体より自分の基準を優先してきた。世間体なんか気にして「普通並み」の暮らしを求めても、自分には無理そうだからあきらめ、不労所得→自営の道を歩いてきたのだ。その経緯を忘れずに、収入能力が同世代のサラリーマンの平均年収以上になった時点で世間に合わせた消費スタイルに変えていく必要がある。

自分が好きな古着を着て路上で歌っていたインディーズ・ミュージシャンも、メジャー・デビューしたらプロのスタイリストにお金を払って、自分の個性をもっと魅力的に見せる眼をあつらえてデビュー・アルバムのジャケット写真を撮影する。それが、「メジャー」に上るだけの商品価値があることを世間に証明する通過儀礼だからだ。

このように、自分が世間からプロとして認められるには、自分のできないことのできるプロにお金を払って自分を磨きながら、いろんなプロたちの輪に入って自分の存在を訴えていくことが求められる。収入能力や資産の増大に伴うべき変化は、消費スタイルだけではない。儲けの大きさに応じて会社法人化したり、せめて確定申告するなどの税申告の明瞭化を図ったり、IT関連だけでなく、IT以前のマスメディアとの連動を図って世間から認められるように振舞っていかないと、時代の変化で市場が頭打ちになったり、ライバルの追従を許してしまう。



人前に出る機会が増えればそれなりの服を買う必要が出てくるし、「安い定食屋の味しか知らない」というわけにはいかなくなる。だが、それこそが世間に合わせるということなのだ。そのように世間に受け入れられるように振舞えば、自分自身が社会的に存在価値が高いことを自他共に認められ、自分の仕事ぶりにもっと確かな自信を持つことができるようになり、新たに労働意欲が補填されるというわけだ。



稼ぐ速度はその人の自分の人生に対する責任感(自尊心)によってまちまちだ。



個人資産が莫大になれば、なるだけ広く社会(それも多数の弱者)に還元していく。このあり方は、不断の拡大再生産を余儀なくされる資本主義の最終形態(解脱)だ。だから、個人では使い切れないほどの資産ができれば、労働者から引退してもボランティアで社会に役立つために動くことだ。それが本物の成功者たちの人生といえる。



下流層は、物欲も性欲も食欲も弱い。人と競争せず自分らしく暮らせれば満足。





11/01/2007

オープンソースの開発とは?




オープンソースの開発とは?



オープンソース開発の特徴としては、スケジュールよりも、クオリティが重視されます。いつまでに作るのではなく、それを作り上げることが大事なのです。また、開発者がやりたいものを自発的に制作するので、完成させるためには勉強や実験といった努力も惜しまないのです。そして、無駄を気にしないというのも特徴のひとつです。普通の企業の業務なら、分散して効率よく作業するのが普通でしょうが、オープンソース開発では皆が同じ作業をしていることもよくあります。やりたいことをやって、出来のよいほうを採用するというスタンスなのです。



しかし、オープンソースにもメリットとデメリットはあります。メリットとしては、ソフトウェアの出来が最優先されるということ、開発者が自分で作業の方向性を決められるということ、作りたいものを勝手に開発できること、などが挙げられます。その半面、開発者が必要性を感じないものは出来が悪かったりします。また、きちんとしたロードマップやスケジュールの作成が難しいため、人材を無駄なく動かせることができないのも問題ですね。



オープンソース開発は参加強制力がなく、金銭的な利害も発生しません。それでもあえて開発に携わるということは、やる気があるということ。このように、自発的な心構えの優秀なメンバーが集まりますから、一般的なソフトライターとは異なる集合知に近い感じ、つまり今でいうWeb2.0に近い動きで仕事を進めることができます。ですから、出来上がるソフトウェアも必然的に質の高いものが多くなるのでしょう。



ただ労働集約型の開発など、オープンソースが向かないものもあります。また、オープンソースをよく知らない人との溝が深く、そのよさを理解してもらうことの大変さがありますが、最近ではオープンソース開発をビジネスで取り入れる企業も出てきたので、啓蒙活動次第で解消することは可能だと思います。



「いかに開発すること自体を楽しめるか」が、クリエーティブな開発現場には欠かせないと思います。開発者がやりたいことをやらせてもらえる、命令を受けた業務から自分なりに面白さを見いだして取り組むなど、楽しみ方は人それぞれでしょう。オープンソースはどこまでも追求して開発していくことができます。ビジネス的な制約があまりなく、深追いできるような現場が理想的ですね。

10/31/2007

留学で人生を棒に振る日本人/栄 陽子


留学で人生を棒に振る日本人/栄 陽子



中国やインドの人たちがアメリカの大学に留学するのは、より高いレベルの学歴を身につけて母国でステップ・アップするためであり、アメリカで人脈を作ることによって高い地位を獲得すること、そして母国の発展に寄与することを目的にしています。



決断力と行動力と勘が良ければ、集中力と記憶力と自己管理力がちょっと劣っていても人生の致命傷にはならない。



アメリカの教育

・大学の数が世界一多く、しかも日本の大学のように理系、文系、芸術系、体育系に分かれていない。

・専攻をふたつ取ることも可能で、音楽と物理など全く違う分野を同時に専攻することができる。また、パフォーマンスを大事にする国柄から、音楽や演劇、美術などの芸術分野はどの大学にもあり、まったくピアノを弾いたことがない人でも音楽を専攻することができる。

・医学、法学、獣医学、歯学、カウンセリングなど大学院からしか始まらない学部がある。

・国家ができる前からハーバード大学などの私立大学があり、州立の歴史は私立と比べて短い。

・私立大学は社会のリーダーを養成するための「全人教育」を大きな理念としている。全人教育とは、人格的な高みを目指す教育で、理系や文系に分けることなく様々な教育を受けて、芸術を愛し、科学に興味を持ち、スポーツができ、法律や経済について語れるような、芸術を含めてあらゆる分野の人間を育てることを目的としている。

・州立大学は新しい州の開拓民の教育水準を上げ、開拓の援助ができるように農業や工業などの実学を中心とした。

・州立は日本の公立高校のシステムに似た方式が採られていて、ひとつの州に、レベルの高いところから誰でも入れるようなレベルのところまでがある。自分が住んでいる州なら必ず入学できる州立大学があり。

・それぞれの大学に独自の入学基準があり、原則として入学テストはなく、書類選考が基本。全国的な学力テストはアメリカにもあるが、それで足切りをしたり、学力テストの結果のみで合否を決定するのではなく、あくまでも入学基準の一要素としている。

・私立大学は成績やテストの点数だけでなく全人的な要素を見るため、エッセイ、推薦状、面接などを重視するところが多い。成績やテストの結果を見る時も、上位グループから20%、その下のグループから10%、さらに下のグループから5%というように、バラエティに富んだ生徒構成にしないとディスカションが活性化しないと考える大学が多い。

・州立大学にも、自分の州の学生を必ず入れるほか、州内にあるすべての高校からトップクラスの生徒を中心に入れるというところ、黒人や中南米からの移民を10%程度入学させると決めているところ、親が大学を出ていない学生を10%程度入学させると決めているところなど、様々な入学基準がある。

・何より「バラエティとバランス」を好むため、大学生の出身校が偏ることがなく、同じ大学から大学院に優先的に入れることもない。エスカレーター式は、アメリカではあり得ない。

・昔から交通手段がない場所に大学があるため、もともと自宅から通えなかった。また、先生と学友と一緒に住んで勉強することで人間関係を学び、親離れをすることが大切とされていたので、今でもアメリカの大学のほとんどは寮制になっている。

・学期はセメスター制といって9~12月、翌年1から5月各16週間のふたつの学期で一年とするのが一般的で(三学期制の大学もある)、それぞれの学期に入学と卒業があるなど、完全に独立している。つまり、9月入学もあれば1月入学もあり、日本の大学のように前期と後期の通年で同じ授業を受けるという発想がない。

・日本のような入学式もなければ、親切なオリエンテーションもない。入学すると、すぐに授業がはじまってしまう。

・大学は単位制で、各学期で12~18単位とることができる。早く単位を取れば、三年や三年半で卒業することもできるが、ゆっくり単位を取って五年で卒業もよい。

・ひとつの学期が16週間で、8週間ごとに中間、期末テストがあるため、とてもめまぐるしい。

・大学で成績が二学期続けて四段階評価のC評価平均、大学院でB評価平均を下回ると、退学になる。大学院への進学や、一流企業の就職を目指すには、大学でもB平均をしていることが不可欠。

・大学や大学院を卒業するためには必要な単位数は、大学で120、修士課程で30~60、博士課程で90.多くの大学は卒業に必要な120単位のうち、60単位はどこから持ってきてもよいとされ、留学生は母国の大学で取った単位を認めてもらえる。



留学は、やる気、学力、心身ともにタフであること。



習得能力のよさだけでなく、物事を深く考え、自分なりの考えをまとめることができる能力を持ち、そして努力することを苦としない子どもは、どんな会社に入っても、どんな国へ行っても、そしてどんな時代になっても困らないものです。



私が留学を若い人たちに勧めるのは、何より自分の目で他国での生活を通して、日本を見つめ直して欲しいからです。そして、日本でしか通用しないような価値観をひっくり返し、自分の足で生きていく力を身につけて欲しい、そんなことも思ってます。

留学ほど、スリルと興奮とサスペンスに満ちたものはありません。価値観も習慣も違う人達とうまくやっていきながら、自分の意思を通す強さも必要なら、学校が要求する単位をしっかり取るために厳しい勉強を続ける努力も必要です。遊びたいという気持ちとも闘わなくてならないし、自分の甘さや至らなさを突きつけられても、それを受け入れつつ、そこでめげずに頑張る意地も欠かせないでしょう。

親元を離れて遠い外国で勉強し、卒業を迎えるためには、多くの精神的苦痛が伴います。しかし、それを乗り越えて得られるものこそが生きる力であり、自分に対する自信ではないでしょうか。

また、外国にいると自分の国や家族、そして自分自身について客観的に、そして深く考えることが多くなります。「愛国心」と言いますか、自分の国のよさは、外国に出て初めて知ることも多々あるものです。これは、とても大切なことだと思います。




10/30/2007

感動をつくれますか?/久石譲





久石譲 感動をつくれますか?





創造力で大きな仕事をしている人たちは予定調和を嫌う。

「作曲家として最もプライオリティを置いていることは何ですか?」と問われたら、僕は迷わず「とにかく曲を書き続けること」と答える。



仕事は”点”でなく”線”だ。集中して物事を考え、創作する作業を、次へ次へとコンスタントに続けられるかどうか。それができるから、作曲家です、小説家です、映画監督ですと名乗って生きていける。



優れたプロとは、継続して自分の表現をしていける人のことである。

一流とは、ハイレベルの力を毎回発揮できることだ。

確実にたくさんの曲を作り続けていくことは、気分の波に流されない、という意識が僕には強くある。



結局、いかに多くのものを観て、聴いて、読んでいるかだ大切だということだ。創造力の源にある感性、その土台になっているのは自分の中の知識や経験の蓄積だ。そのストックを、その絶対量を増やしていくことが、自分のキャパシティ(受容力)を広げることにつながる。



ドラマのストーリーも音楽のメロディも、通俗的すぎるくらいのほうがインパクトが強いことがある。つくり手がへんに気取っているようなものは、人間味が感じられず結構つまらないものになりやすい。あざとくても、下世話でも、そういうものが求められているのならば、堂々とやりきってしまうほうがよい。



楽な人生などない。みんな何かしら人知れず苦労しているものだ。だから自分から進んで苦労する必要はない。苦労自慢をする人には、自分を冷静に見つめる第三の脳、客観視能力がない。ひいては、知性が感じられない。

普通の苦労は人間の幅を広げることにはならない。幅を広げたかったら、知性を磨くことと本当の修羅場をくぐりぬけることである。



才能豊かな人は劇薬みたいなものだ。プラスの影響力も強いが、毒もある。間違えて服用したら死ぬ。そういう人たちと互角に与していくにはそれ相当の覚悟が要る。専門的な能力が試されるだけではない。強靭な精神力が問われる。

ものをつくる人間に必要なのは、自分の作品に対してのこだわり、独善に陥らないバランス感覚、そしてタフな精神力、この三つだと思っている。どれが欠けてもうまくいかない。



音を出すことで何を伝えたいのか。音楽をやることで表現しなければならないのは、そこだ。ところが、技術的なところで自分の立派を追い求め、そこに価値を置いているだけだと、どんなにうまくても、音楽にはならない。ピッチやリズムではない。



「トップの地位に登りつめたことのある人間は、根本的に何かが変わる」



僕は、一等賞を取ることが人間としての目的だとは考えないし、勝ち負けの結果や人の序列といったものにも意義を感じてはいない。むしろ、そんなものは人間の本質とは関係ないと思っている。だが、結果としてトップを取るだけの力を持った人は、精神的に誰よりも強さを身につけているということは歴然たる事実だと思う。他者との戦いに勝てる力のある人は、自分の身にふりかかる難題やさまざまな誘惑も克服していけるだろう。今日のように行く先を見据えにくい時代には、そういう強さを持つことが有益なのではないだろうか。





10/29/2007

意地悪な人





意地悪な人





意地悪な人は、たいてい仕事はしない。自分の与えられた最低限の仕事はするとしても、他の人まで助けるようなことは絶対しない。

仕事をしないから意地悪が際立つ。

職場と言うのは利益共同体だから仕事さえできれば迷惑な人ではないから、意地悪が意地悪とならない。



意地悪な人は、「自分は正当に評価されていない」とか「不本意な仕事をさせられている」と思っているから、悪循環として仕事以外の方面に気持ちが肥大してしまっている、というわけだ。

そういうことにこだわるということは、意地悪な人はじつは人一倍権威主義者であり、上司の目をとても気にしている。

当然、気も小さい(豪快で意地悪な人というのは聞いたことがない)。

これらを総合すると、意地悪はその人自身の自由意思の次元を超えた現象ということになる。

大きな不安を抱えている人が明るく振舞おうとしても振舞えないのと同じで、その人の中にある職場への不平不満が、その人の行動を、意地悪へ意地悪へと歪めてしまっているのだ。



10/28/2007

「独行道」宮本武蔵




「独行道」宮本武蔵

「独行道」は、武蔵が自ら墨書して壁に張り、
座右の銘として常に自戒していたものとして知られています。

一、世々の道にそむく事なし
一、身にたのしみをたくまず
一、よろずに依怙の心なし
一、身をあさく思世をふかく思ふ
一、一生の間よくしん思わず
一、我事において後悔をせず
一、善悪に他をねたむ心なし
一、いずれの道にもわかれをかなしまず
一、自他共にうらみかこつ心なし
一、れんぼの道思ひよる心なし
一、物事にすきこのむ事なし
一、私宅においてのぞむ心なし
一、身ひとつに美食をこのまず
一、末々代物たる古き道具所持せず
一、わが身にいたり物いみする事なし
一、兵具は格別、よ(余)の道具たしなまず
一、道においては死をいとわず思ふ
一、老身に財宝所領もちゆる心なし
一、仏神は貴し仏神をたのまず
一、身を捨てても名利はすてず
一、常に兵法の道をはなれず

10/27/2007

太気拳で挑む 高木康嗣




太気拳で挑む 高木康嗣


 文明と科学技術が進んだ現代は理論を最優先する。人間が元々持っていたはずの感覚はどんどん鈍っている。頭で理論的に考えるのはいいことだが、これは左脳だけが活動していることで、非常にバランスが悪い。アンバランスな人間が多くなっているのだ。このまま進むとオウムのような団体がこれからもたくさん出てくるだろうと危惧しているのだが。
 私は現代人にもっと感覚を磨いてほしい。身体で感じられる人間になってほしい。人間としてのバランスを磨いてほしいのだ。そうなれば何が善で何が悪か、環境問題も含めて当たり前のようにわかってくるはずである。
 太気拳はそういった感覚を磨いていく武道である。私はこういう点からも、これからの時代、ますます太気拳が必要とされていくものであると信じて疑わない。


『男には世間が認めるものが3つある、と。一つは金。あとは頭脳。もしくは力、腕力だ。この3つのうちひとつもないと惨めなもんだよ』


『金というものはワシも腐るほど持ったことがあるが、だまし取られたり、落としたり、なくしたりして、身に付かないもんだよ。ところが岩間君、どんなに落としたくても落とせないもんは何かね? 人間の持つ人格。寝ていて人格を落とせるか?それと技だ』

生きること、闘うこと 太気拳の教え





生きること、闘うこと 太気拳の教え 岩間統正


「お前が悪い、と人差し指で人を指差したとき、残りの三本の指は自分を指差している」という箴言がありますが、人を批判するときは、三倍自分が批判されなければならないという戒めです。
「人の振り見てわが振り直せ」。あらためて、他山の石としたいものです。


無我の境地に立って、乱れない心で闘うためには、完全な格闘哲学を自分のなかで確立していなければなりません。
自分の戦略、戦術、技が絶対に通じるという信念が必要なのです。
ほんのわずかでも不安があると、そこにはかならず乱れが生じます。そして、迷いが生まれて、集中力が崩れ、能力を発揮できないという結果になります。これが、格闘技でもっともだいじな部分なのです。
人と闘って、人を制するには、戦略と技術が必要です。戦略がきちんと相手に対して確立していないと、無駄が多すぎて、いい結果が得られません。そして、戦略を完遂するためには、綿密な技術の裏づけが必要です。これは訓練によって満たすしか方法がありません。
したがって、「武道の練習というものは、理想的な戦略を具現化するために必要な技術を、いかにして習得するか」というところが「急所」になります。


ベストなのは、相手が攻撃を仕掛けようとした瞬間に間を潰すことです。瞬間に間を潰して、相手の力がまだ二か三のところで迎え打つ。


瞬間に間を潰すためには、目に頼るのではなく、高度な技術と、充実した神経を持っていなければなりません。太気拳の「構え」が、つねに相手の行動に対応しているというのは、この原理を具現化するための、もっとも理想的な動きだからです。


太気拳では、「蹴りは手を補助するもの」として使います。たとえば、手と手がお互いに触れ合った「推手の型」になったときに、「三番目の手」として蹴りを使うなどが有効です。

10/26/2007

快楽なくして何が人生




快楽なくして何が人生・団 鬼六

私の身体はガタがきているのか確かなんですが、気持ちだけはどういうわけか年を取れないんです。
それは私が若い頃から楽天家で快楽中心主義の人間だった故かもしれません。
快楽主義で世を過ごしてきた人間は気持ちだけは老け込まないのです。

人口が密集し、猥雑なものが絡み合い、犯罪が多発する中で排気ガスを吸いながら快楽を求める老人というのは絵にもなるし、詩にもなるということです。

大体、老人は年をとればとる程、温和になってきて、のんびりした暮らしを望み、老人ボケになっていくのが普通だが、快楽教団では年をとればとるほで、狡猾になり、卑猥になり、やくざっぽく仕上げていく。

10/25/2007

外貨崩落/松田哲




外貨崩落ー生き残る人は知っているもう一つのシナリオ/松田哲



先々「ドル高円安」になることが予想される場合には、外貨預金をすれば、為替差益を得ることができます。

逆に、「ドル安円高」になることが予想される場合には、インパクト・ローンを組んでそれを円転し、円預金すれば、為替差益を得ることができます。

このように、為替差益リスクは、損得が表裏一体の”諸刃の剣”でもあるのです。



円キャリー・トレードのバブル崩壊のリスクとは、「円高リスク」に他なりません。



堅強な気持ちを持ちつつ、傲慢な気持ちを持たないとダメです。

そういった、あい矛盾する事柄をアウフヘーベン(止揚)していかないと、結局は、相場で生き残れないことに気が付きます。

アウフヘーベンとは、哲学用語で、あい矛盾する事柄をより高い次元で、どちらも生かすことを言います。矛盾する諸要素をよる高い段階で、発展的に統合することです。



外国為替取引は、金利差を狙うのではなく、キャピタル・ゲインを狙うこと、-つまり、トレンドを狙うこと-で利益に結び付けるべきだ、と考えてます。はっきり言えば、金利差は、”おまけ”に過ぎません。

しかし、外国為替取引は、金利差を狙うのではなく、キャピタル・ゲインを狙うことを目的にすれば、外貨の価値(価格)が下落する場合でも、利益を追求することができるようになります。



つまり、リスクをリターン(利益)に変える発想で、キャピタル・ゲインを目的として「外貨売り円買い」を行うことです。



・ 円キャリー・トレードが強いと、ドル/円取引を避けた方がよい状況になる。

・ 円キャリー・トレードが強いと、ドル/円取引での「円高」が打ち消される。



相場は、いつも勝てるはずもなく、必ず負けるときがあります。

「ポジションを調整すること」は、体勢を立て直すために必要な、そして、とても重要なテクニックです。

ポジションを調整することは、リスクをコントロールしている状態であり、マーケットの値動きに対応している状態です。



相場が大きく動いた後の調整局面では、持ち合い相場を形成しやすいので、一定の値幅の中で、上限と下限をつくり、その範囲内で、何回も上下動を繰り返す値動きになります。

持ち合い相場に望む場合は、「その上限では、売り」「その下限では、買い」を行うことが原則です。

これを「逆張りオペレーション」と呼びます。

しかし、その戦術は、持ち合い相場がブレイクするときに必ず損失になります。



売りのタイミング

サポート・ラインの外側のAまで下落したら、いったん『買い』は撤退

Aでの『売り』が損切りになるとしても、いとわない。

トレンド・ラインを割り込んだので、損切りを行って、ポジションをスクエアにする。



売り相場で利益を上げるテクニック

再び持ち合い相場を形成する可能性があるので、AからA’のゾーンでは、まだ買い場探し。

チャート・ポイントを完璧に割り込んだBで、『売り』に転じる。

さらに下値のC、Dでも『売り』を挙行。ストップ・ロス・オーダーを近づけてリスクを限定させる。

10/24/2007

投機学入門/山崎和邦







投機学入門【不滅の相場常勝哲学】/山崎和邦



 



 ギャンブルは、客観的に見ての確率が二分の一またはそれ以下のものに主観的判断で利があるとして投ずることを言う。したがって、本人は二分の一とは思っていない。勝率八~九割だと思っている。だからギャンブラーの物の見方は客観性が乏しい。それを承知でやっているのがプロのギャンブラーである。それに気付かずにやっている「ギャンブル常習者のキャラクター」・・・・。



 



日本では、立派な学者は投機などするものではなく、また、投機をする人は少し怪しげな連中であり、経済学者ではないと思われているふしがある。しかし、欧米では違う。マーケットで本当に儲けてみせる人こそ大経済学者なのだ。また、そういうことのできる人物こそ教養人なのだ。



 



投機で儲ける人は、一言で言うと本当の意味での教養人である。ここで言う教養とは日常生活や人生のあり方に対する真摯な態度であり、ある目的のために必要ならば禁欲もし、怠惰や放漫を抑え、自分を律して行動の目的整合性を堅持していく生活態度だ。



 



 アメリカのフォーブス誌が投機で儲けた人々の人物像を紹介したことがあるが、彼らは皆、儲けたお金を湯水の如く使えるはずなのにそうはせず、質実剛健に生きてマスコミを避け、「自由」を求めて自律的に生き、揃って読書家だったという。



 



 投機家とは、法令遵守や品行方正は当たり前のことで、紳士とは計算してリスクを取る人のことなのだ。



 



 お金は物を買うためのものではなく、精神の自由を確保するための糧である。「やりたいことをやれる自由、やりたくないことをやらないでいられる自由」である。



 



投機とは、「機というある一点において、不確かな情報のもとで的確な判断をなし、合目的に全知全能を集約させる意欲的、情熱的行為」なのである。ひらたく言えば、あるチャンスを勇気を持って判断して捉え、それに向かって本気で、全力を投ずることなのである。投機の精神と言うのは、マーケットの実践に関するだけでなく、広く日常生活の効率的行為の論理であり、能率的行動の実践の倫理であると言えるだろう。



 



 賢者はベーシックな仕事を持った上で投機する。



 酒量を控えて冴えた頭で灯火に読書三昧の時を過ごす。そして次の機会を待つ。これが投機家というものだ。



 



 株価はすべてを先見(三ヶ月~八ヶ月)している。



株式市場は、将来生じる大変化に半年か一年の時空を飛び越えて先行し、万人の眼前に、事前に示現して見せた。



 



 投機で成功している人が必ずしも自分自身を完全に知り尽くしているわけではない。しかし彼らは、自分の直感したことと異なっていれば、直ちに投機行為を撤収する行動力を身につけている。つまり、自分の砦の中に引き返すことができるのだ。これは行動力という部類に属するものだが、これまた貴重な自我なのだ。己を知ることなしに株式市場に走って証券マンの勧めるままに売買し、後で証券マンを恨むのは筋違いというものだ。恨むなら、「己を知らなかった己自身」をこそ恨むべし。



 



 嫉妬とは、自分が持っていない富、権力、能力を他人が持っていることに対する憎しみの感情である。この感情は他の感情と違ってまったく不毛のものだ。何も生まない。すべてを枯らす。



 



『君主論』も、善玉悪玉を問題にするのではなく、善玉でも悪玉でもパワー(人に対して自己の意思を実現させる作用力)のある者の用い方を工夫すべきだと説いているのだ。用いた結果の効果のあり方が大切である。だから、「悪玉のパワーをよい目的のために利用する」という意外な発想が出てくる。



 



ポール・ハーシーとケネス・ブランチャード共著「行動科学の展開」のなかで、パワーの定義として「他人に対して、自分の浴することを行わしめる力」と定義している。また、彼はそのなかで、リーダーシップの源泉はパワーにあると説き、そのパワーを7つに分類した。



1、人格、人柄に拠っているパワー



2、専門的技能、知識に拠っているパワー



3、情報力のパワー



4、恐怖と規制力のパワー。リーダーがこのパワーを発揮しないことをフォローワーは望む。



5、特定の人脈とのコネクションから生ずるパワー



6、褒章力のパワー。必ずしも金銭的報酬とは限らない。評価する、認めてやるなども含む褒章力。”士は己を知る者のために死す”などはこの極致。



7、制度上、正当と認められる地位により発揮されるパワー



 



とかく世間は、リーダーシップは「よいもの」で、権力は「悪いもの」としがちである。だが、リーダーシップとは、権力の源泉として一種の表現形態なのであり、力量などの表現であるパワーを淵源とするワザなのだと考えられる。



 



通常、権力とはいやな響きを持つ。だが、これは「むきだしの権力」に対する印象であって、現代の権力はこんな幼稚なものではない。「権力は存在しないと信じられているほど権力者にとって有利なことはない」ことを知っている権力である。



 



必然と偶然の区別、予知能力と運との区別、これらは、知識・情報・知性などの程度により、偶然は必然となり、運は予知能力内のことならないものか、という挑戦が生ずる。この挑戦意欲の少ない者は、全てを運や偶然のせいにして、自分の怠慢・努力不足ゆえの損を自ら慰める。



 



ケインズは株式投資によって60億円相当を儲ける前に何度も大損をした経験がある。このとき彼は、投機したことや損したことを悔いたのではなく、偶然の働きを事前に見抜けなかった自分の知性の低さや知的怠慢を悔いたのだ。彼が蔑んだのは投機で大損した人々ではなく、知性も努力もなしで投機をする人々であった。



 



KKD(経験・勘・度胸)と言って、これらを現代的O/R(オペレーション・リサーチ)の世界では軽蔑しているが・・・・、



本当は極めて重要で、投機する人はこれを養うべく日々精進する必要がある。また一方ではO/Rの考え方、数学的方法も同じくらいに大切なのである。どちらが重要かということでなく、相互に補完し合う関係である。



 



日本の経済力を悲観して、時代の趨勢的変化と長期衰亡とを混同するような人は投機家には向かない。



再び繰り返そう。日本国を悲観しないという基本的な人生観や史観に支えられて、常に買い手であれ。「投機家に厭世主義者はいない」「アメリカを売って成功した投資家はいない」「世界に、悲観の資本主義というものはない」「筆者は言う。「常に買い手であれ」と。



 



大損を回避するための10項目自己判断チェック



1、人の情報や説を鵜呑みにする人



「鵜呑みは長良川の鵜に任せよ」



2、信念に固執する人



「信念を説くのは新人研修の教室だけにしておけ」



3、ズボラな人



「小利口じゃできない、バカにはできない、ズボラな奴にはなおできない」



4、 意地を張る人



「張るべきものは相場であって、意地でもなければ障子でもない」



5、自信家の人



「あ、危ない。その自信が大損を招く」



6、夢を語って歩く人



「ここは受験予備校じゃない。夢は賭場の外で語るべし」



7、悋気・嫉妬する人



「般若の面が嫉妬の顔だ。よく見よ、これが成功するか」



8、相場と戦う人



「胴元は人にやらせておけ」



9、成功に酔う人、驕る人



「驕るなよ、丸い月夜もただ一夜」



10、それは自分である



「そういう俺もあと一歩でヤバイ。ヒヤヒヤ」



 



 本間宗久・三位の伝



「わが三位の伝を体得せんと欲せば、迷うて、迷うて、迷い抜くべし。その迷い抜きたるところ、それ即ち三位の伝なり。」



 



 「儲ける者は、語らず。語る者は儲けず」



「投機家にとって最大の敵は無知、欲、そして恐怖と希望の感情である」



「相場の醍醐味は自分の予想が正しいことを、自分の頭を使った作業の結果が間違っていないことを確かめることに尽きる」



「ゲームの目的はお金ではない。モノを買うためでなくゲームに勝つためのお金なのだ」



 「いつやめるかを知っている者は天才である」(ゲーテ)



 「人生は長い。よって遠くまで行け。そして世界を見よ」



 



投機家にとって必要不可欠な資質は、鋭く深い思索を重ねることができるかどうかである。



 



 投機活動中の不安や緊張に耐え、自分を律し、怠惰や放漫を避けて自分の言動の目的合理性を堅持していく。彼はこうした自律生活に興味があり、投機で得た巨富を贅沢な消費に使うというようなことはまったく興味がないようである。ソロスの生活態度は、日本剣道や欧州最強といわれるハンガリーに伝わるマジャール人伝来の騎士道精神か、またはソロスに流れるユダヤの血が持つDNAたる目的整合性の精神が強く前面に出ているように感じた。



 



 

10/23/2007

60分間・企業ダントツ化プロジェクト





60分間・企業ダントツ化プロジェクト 神田昌典


自分のビジネスが成熟してしまったとき、どうすればいいか?

方法1:専門化する
方法2:より速く商品(またはサービス)を提供する
方法3:パッケージ商品を販売する
方法4:成長している媒体に乗る(小判ざめ商法)
方法5:ナマケものの欲求を満たす
方法6:コストを大幅削減する
方法7:こだわり商品に特化する
方法8:社会的ミッションを持った会社をつくる(NPOモデル)


ネーミングについて解説することが本書の趣旨ではないので、この辺で終わりにしておくが、効果的なネーミングをつくるうえで、重要なステップを挙げておくと次のとおりである

 1 ネーミングを聴いたとき、お客にどんな印象を持ってもらいたいか、具体的に描写する。その際、視覚イメージ、音、そして感情を表す単語を入れておくこと。

 2 ネーミングの目的をはっきりさせること。例えば、電話番号で検索されたい、売っている商品を直感的にわかるようにしたい等。

 3 上記を考えながら、思いつく言葉をとにかく全部書き留めていく。これがキーワードになる。そして重要なキーワードを○で囲み、そのキーワード同士を組み合わせてみる。

 4 前ステップのキーワードの組み合わせのなかから、ネーミング候補をつくる。そして、次の観点からチェックする。
 ・直感的にわかるか?
 ・使いこなせそうか?
 ・目的に合致しているか?
 ・馴染みのある言葉か?
 ・口に出して言いやすいか?
 ・記憶に粘りやすいか(一度、聴いたら、忘れないか、そして人に言いたくなるか?)
 ・イメージを想起しやすいか?

 5 候補を絞り込み、そして一晩置いてみる(その間、ネーミングが熟成する)。

 6 腹にしっくりと落ち着くかどうか、身体感覚で判断する。いい方法は、電話の受話器をとって、次の○○○○にネーミングを入れて言ってみる。



顧客を連れてくる影響力のある顧客は誰かを考えると、上りのエスカレーターに乗り込める。

企業にとって差別化は善であり、均質化は悪である。丸い会社を目指すのではなく、尖った会社をつくることである。
尖った会社を嫌う客は当然出てくる。誰からも嫌われないということは、すでに危険信号が点滅している。



ステップ1 商品
      今後、ブームになっていく商品であり、しかも説明不要なので、一人歩きして顧客を連れてくる。さらに、ひとつが売れると関連商品に広がっていく上りのエスカレーター的な商品を選択。

ステップ2 顧客
      説得しなくても、向こうから「売ってくれ」と頼んでくる。さらに、次から次へ、知り合いを引き連れてくる影響力を持つ顧客を選択。

ステップ3 競合
      戦わずしてトップになれる、のほほんとしたニッチ市場を選択。

ステップ4 収益シュミレーション
      商品粗利のなかから、ビジネスの成長を確保できる無借金経営モデルを選択。

ステップ5 タイミング
      顧客のバーゲンセールがいつ開催されるかを見極め、そのバーゲンセールで、金の卵を産む鶏を安く、大量に仕入れる。

大儲けの極意/岡部寛之





大儲けの極意/岡部寛之



サラリーマンたるもの、定年まで現在の金にして一億の資産はつくっておかなければ、悲惨な老後を送らなければならない。だから億万長者になるまでは、ゆめゆめ心をゆるめてはいけない。土地を買おう、家を持とうなどと若いうちから他人の真似をするようではだめだ。

なに、長いことではない。一時の辛抱だから会社勤めのほかアルバイトもやり、女房も働かせ、住まいは寝るだけのつもりで家賃の安いところでいい。そしてボーナスは全部注ぎ込んで資金をつくる。できるだけ若いうちに資産づくりを開始することだ。

株で儲けたからつかう、という考え方も賛成できない。もちろん、人生を楽しむための金儲けなのだから、資産が増えるにつれて、だんだん生活水準をあげていくことはかまわない。だか、忘れてはいけない。必ず儲けた分より遅らせて水準を上げていくことだ。一度上げてしまった生活水準を、引き締めるのは極めて困難なことなのだ。



金もないのに見栄をはって飲むのは馬鹿げている。いいカッコして金を使うのは、バカがやることだ。女は、客の顔が一万円札に見えるからチヤホヤするだけなのだ。



わたしがこればで独身で過ごしてきたのは、他人と深い関係になることを嫌ったからだ。人生の悩みの99%は、血のつながりが原因だ。結婚して子供をつくるということは、みずから悩みのルツボに身を投じることになる。



「話し相手もいない外国で老後過ごすのは寂しい」という人も多いが、話し相手といってもほとんどの人は過去の出来事を話題にするだけだ。過去を語るのは愚痴というもので、そこから未来は引き出せない。


10/22/2007

富裕層ビジネス/中谷彰宏









富裕層ビジネス/中谷彰宏


お金を使ってもらうのではなく、使い道を教えてあげよう。

「昔からの富裕層」と「最近の富裕層」を区別しよう。

「お金持ちに見えないお金持ち」に気づこう。

美的センスで勝負しよう。

「買い物や観光以外の旅行の楽しみ」を提案しよう。

「時間のある富裕層」と「時間の無い富裕層」を区別しよう。

「高いけど速い」サービスを作ろう。

「自己顕示欲がある富裕層」と「自己顕示欲の無い富裕層」を区別しよう。

「儲かる以外のメリット」を提案しよう。

損得より、豊かさと潤いを提供しよう。

その人のコンセルジュになろう。

商品より自分を買ってもらおう。

「富裕層」と「準富裕層」を区別しよう。

儲けをあせらない。

支払いが、手切れ金にならないように気をつけよう。

プライバシーを重んじよう。

投網でなく一本釣りをしよう。



銀座には「長く通っている人」と「今、旬な人」がいる。

お金があっても時間がない。

モノを希少性や見栄で買う人は、モノ自体に興味ない。

「お金を持つ前から意識している人」と「お金を持ってから意識する人」がいる。



ハッピーを売るのがビジネス



庶民は、王様にもにも大悪党にも出会わないので、見ている幅が狭い。金持ちは、人間を見る目が肥えている。



お金があるときは強くても、貧乏になると急に弱くなるのは準富裕層です。

真の富裕層は、お金があろうがなかろうが、いつでも一から出直して生きていく力があります。

教育という形の目に見えない財産を、たくさん持っているのです。

さらに、無一文になっても助けてくれる友達が、世界中にいます。

無一文になった途端、まわりみんなが敵になるのは準富裕層です。

富裕層は日々の消費活動を通して、たとえ無一文になっても食べさせてくれるような友達を、たくさんつくっています。

つまるところ、みんなから「あの人はお金があってもなくても面白いね」「一緒にいると楽しい」「元気出るよね」と思われる人間力があるのです。




10/21/2007

外国為替取引の勉強



「FXで稼ぐ人はなぜ1勝9敗でも勝つのか?/松田哲」




外国為替取引の場合、売買を繰り返しながら、利益を積み上げていくことです。



1、利回り10%から20%をめざす売買方法

あまり売買頻度を上げずに、1,2円程度の勝ちを狙います。極端に言えば、それを一回出来れば、目標達成です。

あるいは、一回目で負けても、2勝1敗ならば、目標達成です。利回りを年間で考えれば、1年で2,3回取引をするだけで、目標達成です。



2、利回り30%から60%をめざす売買方法

もう少し売買頻度を増やしますが、増やせば負ける可能性も高くなります。1ヶ月に、2,3回の取引が目安になります。

外国為替市場には、トレンドがあります。トレンドに従って売買することを基本スタンスにするのがよいでしょう。

「売り」でも「買い」でも戦おうとするのではなく、勝つ可能性の高いところを探して、「どの水準で取引を開始するか?」を考えるように。



3、利回り100%をめざす売買方法

リスク&リターンの「1対2」を考えながら、売買頻度を適度にコントロールし、利益を着実に積み上げることが重要です。

必ず、負けるときがありますから、その場合は躊躇せず「損切り」を励行することが大切です。



10万円で3円の利益で+30万円

それを10回出来れば、300万円-→年間目標にする



1月頑張る

2月もっと、頑張る

3月もっともっと、頑張る

4月後半のGWに備える→GWはポジションを取らない。イースーターも休憩。

5月GW明けから頑張る

6月しっかり、頑張る

7月夏休み→7/4スタート

8月夏休み

9月頑張る

10月もっと、頑張る

11月もっともっと、頑張る

12月クリスマス=何もしない

10/20/2007

英語を学べばバカになる


「英語を学べばバカになる グローバル思考という妄想」薬師院仁志著(光文社新書)


下からの民主主義を揚げる社会において、上から押しつけられた秩序は好まれない。人々は、そのような規制や枠組みを最小限にしようとする。逆に言えば、すべての個人や集団が自由に振る舞うことができればできるほど、その社会は民主的だということである。まずは、自由ありきなのだ。とは言え、誰もが自由に振る舞うとなると、当然のことながら、争いや衝突も多くなる。それぞれの者たちの自由な意思や行動が、相互に対立してしまうのである。だが、下からの
民主主義を旨とする社会では、たとえ対立が起きても、上から仕切る力は弱い。そこで、裁判が多発することになる。かくして、アメリカは、世界に類を見ない訴訟社会になったのである。


ヨーロッパ型の民主主義思想では、何が正しいのかは全員に共通のルール(一般意志の表現)の中で定められるべき事柄であって、個別の争いの中で決めることではないのである。全員が同じ約束事に従うことが民主主義の原則なのであって、裁判に負けた方が勝った方の個別意志に従うのでは、民主主義にならないのだ。ただし、ルソーの考える民主主義を実現するためには、立法者という特権的存在を必要とする。アメリカ流の民主主義は、この特権的存在を認めないか、せめてその力を最小限にしようとするのである。何が正しいのか。アメリカにおいて、それは上から押しつけられることではない。それを決めるのは、異なる意見を持つ者同士が互いに自説をぶつけ合う直接対決である。言わば、ヨコの争いなのだ。進化論を主張するにも、裁判で勝たなければならない。こうなると、もはや何が正しいかではない。勝つか負けるかの二分法なのだ。まさに、勝てば官軍の世界なのである。ソ連が正しくなかったかということが、すなわちアメリカが正しかったのだという奇妙な論法もまた、ここから生まれてくる。アメリカでは、何事も、単純な二分法に還元されてしまいがちなのである。


だから、アメリカの社会で自分の自由を守るためには、自らが闘わなければならない。上からの秩序枠組みを当てにできない以上、人々は自らの力で自分の立場や利益をつねに主張し、発信しなければならないのだ。その結果、アメリカ人たちは、つねに強い自己主張を前面に押し出さねばならないだけで
はなく、コミュニティーを作り、教会を作り、NGOやNPOを作り、数を集めて徒党を組み、自分たちの意見や立場を発信し続けることを余儀なくされる。そして、そこでの議論は、「ディベート」という名の言い負かし合いの形を取ることになるのである。


だが、アメリカ的発想は、平等を犠牲にしてでも自由を重視し、上からの指導に対する服従を嫌う。共産主義は、たとえ平等を保障しようとも、アメリカ人から見れば、自由に対する国家的抑圧でしかないというわけである。ドイツ人やフランス人が、イラクの民主化を、上から、啓蒙的な統治によって始めるべきだと考えたのに対して、アメリカの多数派が、独裁者の追放と自由選挙によってそれを一挙に実現しようとした理由もまた、同様である。アメリカは、上からの民主化を拒否したがゆえに、戦争を選んだのだ。アメリカ型の民主主義は、よくも悪くもそれしか考えられないのである。


いずれにせよ、ヨーロッパ人の目には、アメリカ型の民主主義が、かなり原始的なものに映るだろう。


何でもかんでも下からの投票で決めることだけが、民主主義ではないのである。

国家などの上部機関が個人的権利の保証者ではない以上、アメリカでは、自分たちの権利は自分たちで守らなければならないからである。コミュニティーを作ることは、上からの支配に抵抗するためであると同時に、いやそれ以上に、ヨコの勢力争いの中で身を守るためでもある。

端的に言えば、アメリカにおいて、コミュニティーとは、集団の縄張りに他ならない。上を当てにできない以上、自分の場所は自分で確保しなければならない。それは、一人の人間や一つの家族でできることではない。だから、仲間が集まって縄張りを囲み、自分たちの意見や立場を声高に発信し続けなければならないのである。


コミュニティーの経済的同質性は、人種的同質性よりもさらに顕著である。一つのコミュニティーの内部では、たいてい同じような家ばかりが建っている。統一された美しい街並みというやつである。だが、その統一性は、行政当局の計画性に由来するものではない。それは、経済的地位の同質性の反映に他ならない。一つのコミュニティーの内部では、すべての世帯がほぼ同じような収入で生活している。だから、同じような家に住み、同じような自動車を持ち、同じような身なりをしているのである。


白人と黒人が同居するコミュニティーはありえても、金持ちと庶民が一つのコミュニティーに同居することは、まずありえない。


アメリカ型の「小さな政府」は夜警国家に近く、国民生活の保証者ではない。だからこそ、医療や福祉や教育といった公益でさえ、市民自らが主張し、自分たちの力で守ってゆかなければならないのである。だが、これは、諸刃の剣だ。その発想を逆から見れば、国家は、個人の貧困に対する責任者ではないことになるからである。アメリカでは、貧困もまた、基本的に個人の責任とされる。それは、国家が責任を取ることではなく、善意ある者たちの慈悲によって救済されるべきものなのである。そこでは、市民同士のヨコの関係が、助ける側と助けられる側に二分される。たしかに多くのNPO団体は公的な資金補助を受けている。それでも、アメリカにおける福祉サービスは、公的に保障された権利としてではなく、善意ある立派な皆様からの施しとして恵んでもらえるものなのである。


アメリカでは社会保障に加入できない人間が大量に存在する一方で、ほとんどすべての大企業および多くの中堅企業では、会社が従業員の社会保障を引き受けている。デトロイトのゼネラル・モーターズ社などは、自動車生産のための企業体であるというより、「自動車を生産することで費用がまかなわれる一種の社会保障システム」だとさえ言われている。ともあれ、ここでも公的なサービスが私的に担われているのである。



アメリカでは、宗教も商売なら、教育も商売だ。そこでは、学生や生徒は顧客であり、大学や学校はお客様のご要望にお応えしたサービスを提供する教育業者だと考えられている。教育は、サービス業だというわけである。


実際、ヨーロッパの伝統的な教育観に照らせば、教育はサービスではない。ヨーロッパにおいて、教育は、基本的に国家の制度である。


軍隊は、兵士が嫌がっても厳しい訓練を課し、敵軍を殺すよう指導する。裁判所は、無罪だとシラを切る被告にでも有罪判決を言い渡す。そして、学校は、生徒が嫌がろうが不満を持とうが、しなければならない教育を義務として強制するのである。学校では、何よりも、万人に共通の普遍的知識が教えられなければならない。教師の仕事もまた、正しいこと、知るべきことを教えることであって、生徒を満足させることではないのである。このような教育観は、ヨーロッパ特有の民主主義思想に基づいている。学校は、知識や文化に触れる機会のない者たちに対しても、上からそれを平等に分け与える任務を担わなければならない。放っておけば社会の上層部に独占されてしまう知識や文化を、国家が責任をもって、すべての国民に開放するというわけである。

考えてもみよう。現実問題として、書物に触れる機会、外国や外国語に触れる機会、美術や音楽に触れる機会は、生まれ育った境遇によって非常に異なっている。所属する家庭によって文化的レベルに差があるのは、否定しようのない事実であろう。自分たちの身の回りを見ても、書物に囲まれた家庭もあれば、文字といえば漫画と競馬新聞だけしかない家庭だってある。図書館や美術館に通う親の子もいれば、ゲームとブランドだけにしか興味のない親の子だっている。それは、否定しようのない現実なのである。そのような状況の中で、生徒や保護者の要望に合わせた教育を行えばどうなるか。間違いなく、不平等を固定化することにしかならない。学問や文化と縁もゆかりもない家庭環境に育った子どもたちは、誰か外部の者が強制的にでも教えてやらない限り、上流階級の仲間入りをするために必要な知識や教養を自ら望むことなどありえないのである。


アメリカにおいて、教育は、私事であり、商売である。たとえば、アメリカで教育マルチメディア王国(Jones Knowledge Group and Knowledge TV)を創設したグレン・ジョーンズ氏は、「教育は、地球上で最大の市場であり、最も成長している市場であると同時に、現在の当事者が需要に応えていない市場でもある」と述べている。要するに、教育は商売なので、新しいメディアを駆使した教育ビジネスによって世界中で儲けようということである。


中村敬氏が紹介する一九九八年のデータによると、アメリカでは、たとえ大学生になっても外国語の履修者がわずか六%にすぎないらしい。大学生でも、その九四%は外国語を学ばないのだ。アメリカの語学教育は、世界最低水準であるとさえ言えよう。


結局、英語を本当に必要としない者が、世間の風情にあおられたり強制されたりして、英会話学校に通い、英語教材を買い集めても、挫折を繰り返す可能性が高いのだ。この挫折は、豊かさの反映でもある。英会話に何度挫折しても、それでも英会話学習費を払い続けられるということは、豊かさの証拠であると同時に、その人にとって英語が不要だという事実の裏返しでもあるのだ。英語ができなければ本当に生きてゆけないというのなら、今日の日本のような状況が生まれることもない。


アメリカでは、人間もまた「品質管理」される「コンテンツ」だというのも凄い感覚だが、そうなることを望むような感覚は、もっと驚きだ。それはさておき、アメリカでは、各種の学位や資格が、就職や昇進の際にかなり物を言うことは事実である。企業の重要な地位には、それに見合った資格や学位を持った人材を登用することが、非常に合理的だとされているのであれる。叩き上げでこの道一筋四〇年などという伝統的な日本型発想は、そこでは通用しないようなのである。


私には、今日ほど、世界中の至るところで、宗教的、民族的、文化的、地域的な対立が先鋭化している時代はないのではないのかとさえ思える。人間の距離は縮まらなかった。世界は一つにならなかった。地球市民など幻想である。これは、私一人だけの考え方ではない。英語以外で表現される情報に少しでも目をやれば、グローバル化など幻想に過ぎないということについて、容易に気づかされる。裏返して考えれば、われわれ日本人は英語ばかりに目を奪われるあまり、逆説的にも、英語世界という非常に限られた世界に閉じこもっているということなのである。


いずれにせよ、経済や情報のグローバル化が世界を一つにするなどというのは、とんでもない幻想だ。世界は、むしろ分裂しつつある。そんな中で、アメリカに追従していれば安泰だという考えもまた、時代錯誤の幻想に過ぎない。そして、英語が世界語になるということもまた、同じような幻想なのである。


ホメイニ師は、「われわれはイスラムを望む、イスラムだけを望む」と言った。この言葉は重い。ホメイニ師を支持したイランの民衆は、自由主義も資本主義も望まなかった。近代人であることも地球市民であることも望まなかった。ただ一つ、イスラムだけを望んだのだ。人々が怒り、告発したのは、単なる経済的格差ではない。人々は、自分たちの価値観、文化、伝統に対する尊厳を傷つけられたことに怒ったのである。


いずれにせよ、今後、インターネットがさらに普及し、ハリウッド映画やアメリカの衛星放送が世界中に広がれば広がるほど、世界各地の人々の間に、知らなければ持つこともなかった文化的敵意を誘発してしまう危険性がますます高まることになるだろう。


日本の社会に、英語やアメリカ型の文化を過度に持ち込むことは、周囲の人間に違和感や嫌悪感を与える危険性ばかりか、せっかく英語を学んだ当人を社会的不適応に陥らせてしまう恐れさえある。英語教育の拡大が、かえってローカルなアイデンティティを刺激するという逆効果には、十分に注意しておく必要があるのだ。古くから根づいた文化による反撃の危険性を過小評価してはならないのである。


贋エリートは、国民から認められた指導者などではなく、“自ら主体的に”自分たちの利益や価値観を追求する特権階級にすぎないというわけである。たしかに、地球市民は、非営利的なボランティア活動に熱心である。だが、利益というものは、金銭的な売上高だけで計れるものではない。非営利活動をすること自体が個人やその所属団体の社会的評価を上げ、発言力を増すこともまた、充分な利益なのである。端的に言えば、地球市民としてグローバルに活躍することが、一種のブランド価値を生み出しているのだ。


流行りものに乗り遅れて人生を棒に振る者はいないが、流行を追いかけるだけで人生を終える人は多い。あえて言えば、英語もそのようなものなのである。