6/08/2007

「退歩的文化人」のススメ

人の受け売りというか、読んだ本の抜粋から。
いいのよ、嵐山さんの考え方、いろいろ著作物読んでるけど、ほとんど同感なんだな。

「退歩的文化人」のススメ/嵐山光三郎

野良猫は薄情である。家の番にはならないし、日ごろの恩にも応えない。自由気ままで、気ぐらいが高い。そのくせ、すり寄ってきて甘えるのである。ニャアにとっては、わが家の周辺が漠然とした縄張りであって、餌をくれる家を、その日の気分で渡り歩いていると思われる。
この野良猫的人生は、退歩的で、私とよく似ていることに気がついた。一ヵ所に定住せず、うろうろと世間をさまよい、決してなつかず、進歩せず、用心深く人にすり寄り、危なくなると逃げるのである。若いころは、野良犬のように生きていこうと思っていた。吠えて、かみつき、牙をむいて、世間に立ちむかった。それが、いつのまにか野良猫化していたことを、ニャアが教えてくれた気がする。

いま、町にあふれる人生指南書は、そのほとんどが上昇志向である。なんらかの形で上昇し、難しい坂を登りきろうという発想で下降志向のものがない。下り坂がこんなに楽しいのになぜなのだろうか、と考えた。人間は、年をとると、「まだまだこれからだ」とか「第二の人生」だとか、「若いモンには負けない」という気になりだし、こういった発想そのものが老化現象であるのに、それに気づかない。年をとったら、ヨロヨロと下り坂を楽しめばいい。落ちめの快感は、成り上りの快感に勝る。

実篤の語録に、 
桃栗三年柿八年 
だるまは九年 
俺は一生がある。
ここにある発想は持続する不屈の意志である。時流などはどうだってよい、退歩しつつ、自分の思った通り生きるという姿勢である。

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