1/05/2008

「権力(パワー)に翻弄されないための48の法則」












「権力(パワー)に翻弄されないための48の法則」

法則1 主人より目立ってはならない
法則2 友を信じすぎず、敵をうまく使え
法則3 本当の目的は隠しておけ
法則4 必要以上に多くを語るな
法則5 名声は大いに頼りになる - 生命をかけて名声を守れ
法則6 ぜひとも人の注目を集めよ
法則7 他人を自分のために働かせよ、ただし手柄は決して渡すな
法則8 他人に足を運ばせよ - 必要ならば餌を使え
法則9 言葉ではなく行動によって勝て
法則10 感染を避けよ - 不幸な人間や不運な人間とはつきあうな
法則11 他人を自分に依存させておくすべを覚えよ
法則12 意図的な正直さや寛大さで敵の武装を解け
法則13 他人に助力を求めるときは相手の利益に訴えよ。情けや感謝の念に頼ってはならない
法則14 友を装ってスパイを働け
法則15 敵は完全に叩き潰せ
法則16 姿を見せないようにして周囲の敬意と賞賛を高めよ
法則17 予測不能の雰囲気をかもしだして、相手をつねにおびえさせておけ
法則18 保身のために砦を築くな - 孤立は危険である
法則19 相手の性格を見きわめよ
法則20 誰にも深く肩入れするな
法則21 だまされやすい人間を装って人をだませ - カモよりも自分を愚かに見せよ
法則22 降伏戦術を使って、弱さを力に変えよ
法則23 自分の力を結集せよ
法則24 完璧な廷臣を演じよ
法則25 新しい自分を創造せよ
法則26 自分の手を汚すな
法則27 何かを信じたがる人間の性向を利用して、盲目的な崇拝者をつくれ
法則28 大胆に行動せよ
法則29 終わりにいたるまで計画を立てよ
法則30 努力は人に見せるな
法則31 選択肢を支配せよ - 自分に都合のいいカードを引かせる
法則32 幻想に訴えよ
法則33 人の摘みネジを見つけろ
法則34 自分のやり方で王になれ - 王のように振舞えば、王のように扱ってもらえる
法則35 タイミングをはかる技術を習得せよ
法則36 手に入らないものは相手にするな。無視する事が最大の復習である
法則37 壮大なものを見せて人の目を釘付けにしろ
法則38 考えは自由でも、行動は他人にならえ
法則39 魚をつかまえるために水をかきまわせ
法則40 ただ飯を軽蔑せよ
法則41 偉大な人間の靴に足を入れるな
法則42 羊飼いを攻撃せよ、そうすれば羊は散り散りになる
法則43 相手の頭や心に働きかけよ
法則44 ミラー効果で敵を武装解除させ、あるいは激しく怒らせろ
法則45 変革の必要性を説け、ただし一度に多くを変えるな
法則46 あまり完璧に見せてはならない
法則47 狙ったところを超えて進むな、勝ったら引きどきを心得よ
法則48 かたちあるものなどない

1/04/2008

日本人を幸せにする経済学






『日本人を幸せにする経済学』2004/10

女性はブランド物を買っているのは格式を買っているのです。
完成された評判を買っているわけだから、男から見たら面白くないのです。

森栗茂一さん『夜這いと近代買春』(明石書店刊)

父親はもらうことばかり考えていました。
三高・東大(三高は京都にあった旧制高校)の秀才だから、そういう根性が身についているのです。
逆に母親の実家は田舎の金持ちだから、人の顔をみたら何かあげないといけないと思っている人間です。

霞が関あたりにいる人は父親と一緒だな。一生、もらうこと、褒められることばかり考えている乞食である。

「これだけは世界に負けない」などは田舎者の言うことで、「世界を引っ張る」と言わないといけません。

これからは技術あっての産業ではなく、マーケットあっての産業なのです。

『恋愛と贅沢と資本主義』(講談社学術文庫)

ゾンバルトは、「新しいマーケットを作るのは金持ちである。余裕のできたお金持ちが美しい女性(娼婦)に贈り物をしたいがために何か新しい物を作らせる。そこに新技術や新商品が生まれ、その後を貧乏人がついていく」

「東洋精神で、瞬間に洞察する方法を教えてくれ」と言うし、「日本人には着地点(落としどころ)がすぐ見えるのはなぜか?」と聞いてくる。


お金というのは、持てば持つほど他人を信用できなくなるようで、某消費者金融の社長もそうだったみたいです。
成功してどんどんお金がたまっていくと、誰かがそれを奪い取りにくるのではないかと思ってしまうのでしょう。
お金持ちほどケチですからね。

お金持ちになるとケチになって、結局、みんなに嫌われるのです。
嫌われた人は大邸宅の中に閉じこもっています。

1/03/2008

土井 利忠さん










土井 利忠さん


「米国の大学の礼賛論には全く賛成できません。米国の大学は、教授がベンチャー企業の経営者のようになって研究資金を集めなければならない。カネを集められる教授が研究者をたくさん抱えてどんどんのし上がっていく仕組みです。本来の研究とは関係のない競争が展開されているわけです」


「とにかくすさまじい勢いで競争をさせるので、他の研究者の成果を盗んでしまうという話もよく聞きます。油断もすきもない世界です」


――米国で盛んな産学連携を日本の大学はお手本にしようとしています。
「そうしたモデルを日本に持ち込むことには反対です。大学の本来の使命は、すぐには商売にはならないが、本当に先端的な研究をきちんとやることです。企業から研究資金を得られるのは、企業が考えている少しだけ先のことをやっているにすぎなないからです。大学が企業の出先のようになってしまうのでは世も末だという気がします」


――日本の大学は今のままでいいということですか。
「改善すべき点はあります。研究者としての能力がない人物でも、教授としてやっていける仕組みになっているのは由々しきことです。前時代的な親分子分の関係が残っており、研究に何も貢献していない教授が論文に名前だけ連ねたりする。能力を欠く教授には退場願う。だからといって米国式の競争モデルを無批判に取り入れるのは能がない」


「すでにベンチャーなどの企業活動では米国モデルの問題点が露呈していると考えます。
若くして巨万の富を築く起業家がもてはやされました。私は商売柄そうした人々をたくさんみてきましたが、後で消息を聞くと、うつ病になって苦しんだりしている人が多いのです。」


「自我の発達で、常に戦っていないと安定しないレベルを後期自我といいます。このレベルの人は戦う対象がなくなると燃え尽き症候群のようになるのが特徴です。米国に多いパターンです。日本の社会は、まだ依存心の残っている中期自我の人も多いのですが、逆にもう戦わなくても精神が安定している成熟した自我の比率も高く、全体としては米国の社会より進んでいると考えています。したがって、その遅れている米国のやり方を理想郷のように考えて追随するのはやめにした方がいいと思います」

1/02/2008

動き革命/小森君美











動き革命/小森君美



より大きな力を加えようとすれば、顔は正面に向けていなければなりません。

また身体も顔を向けた反対方向にズレていき、そのためにそれまで行っていた動きとは別の動きになるということも重要なポイントです。

「思い悩むと目線は下がる。空想・夢想のたぐいだと目線は中空をさまよう。現実を客観的にとらえる目はまっすぐに前に向いている。」

一般論として私が良く口にする言葉ですが、これは目線と心の関係です。しかも両目の間、少し下にある花は目が向いた方向を向きやすいもので、これはヒトだけに限らず他の動物にも言えることですが、鼻が向いた方向へ身体が動いていくことは大変多いです。



「蹴らない前進」が速い

地面を蹴る歩きに比べ、身体を直接前方に送り出す「体重移動」の歩きでは、本人が大きな力を使った感覚を持たないのに、はるかに大きなスピードを得ることができます。

おもしろいのは、体重移動の歩きでは、後ろ足が地面から離れる瞬間が早くなるという現象が起きていることです。これは優れた陸上短距離選手が走るとき、後ろ足が地面から早く離れるのと同じです。



ものにとらわれることなく動くことができれば、幼児と同じように「天真爛漫」な動きが出来ることでしょう。天真爛漫な気持ちで動けば、その動きは必ずのびのびとしたものになっていきます。のびのびと動くことは、普段と同じようにしか動いていないのに、想像もしないような威力が伴ってきます。威力など別に追求しているわけではないのに、動いた結果として威力が出てしまうのです。



速く動こうというときに、自分が思っているよりも速く動かされると、身体は自動的にブレーキをかけようとします。それは身体の生理的な限界を超えているからです。自分が希望する以上の動きをやってしまうと、身体が壊れてしまうこともあります。



のびのび動く・・・・「舒展(じょてん)」

手をしっかり握ると、前腕が緊張します。さらに精神的緊張が加わったり、あせりが伴ったりすると肩が上がります。肩が上がるということは、肩関節の可動域が小さくなることを意味します。また肩が上がることによって、僧帽筋という首と肩と背中をつなぐ筋肉に緊張が起こり、上半身各部の動きが制限されることになります。

上半身が緊張すると、上半身と下半身の間での連携がとれなくなります。この状態では、下半身の動きは日常の習慣に基づいてなされているだけで「魂のこもっていない動き」にならざるを得ません。また全身の動きが連携してないわけですから、力んでいるわりには出力の小さな動きになってしまいます。

筋肉の緊張は、「力ずく」で動く人でも同じように起こりますから、力んで動く人にも、上半身と下半身の連携がとれた動きはできないことになります。

逆にのびのびした動きを行えるようになると、小さな力しか出していないように本人は感じていても、全身が協力して動いた結果としての「出力」は大きくなります。結果としていい仕事をしているのに、ひどく疲れたり、筋肉を傷つけたりしないですむようになります。



『整体動作』

整体動作とは、全身が一つの目的のために同時に協力して動く動作のことですが、そのためには全身が同時に動くような身体を持たなければなりません。これはただの柔軟体操やストレッチ体操でできるようなものではなく、高度に発達した「感覚のネットワーク」なしには考えられないものです。

全身が同時に協力して動けば、本人はそれほど意識して力を入れないにもかかわらず、大きな威力を出すことができます。これは大きな仕事を行う仕事を行うことができる「能力」であり、結果を出す上では非常に重要なことです。



「刺激に対する反応」は過不足ないのが一番いいという結果に到達したのですが、なんでもかんでも、大きな筋肉にモノを言わせて力ずくで動いていると、必ず反作用が自分の身体に返ってきて自分の身体を痛めることになります。

「刺激に対する反応」という面では、決して「大は小をかねません」。大きな刺激に対しては大きいなりの、小さな刺激に対しては小さいなりの反応が最も目的にかなうものといえます。



大切なことは目的の達成であって、いかに大きな筋力を使ったかではありません。動きの合理性から言えば「出来るだけ小さな力で目的が達成」できれば、それにこしたことはありません。ただ「小さな力」でということばかりに気を使うと、非常に長い時間がかかって間に合わないことがあるかもしれませんが。

動いた結果目的が達成できていればいいと考えれば、当然動きのほうが力よりも先にくるべきなのです。

だから筋肉の仕事は、必要な動きをするための最低限度の力を発揮することであり、それ以上の仕事をすることは、他のものがやらなければならないはずの仕事を妨害しているだけです。

大切なことは、身体の各部がそれぞれに応じてきちんとやらなければならない仕事をきっちりこなすことであって、こういう動き方のことを「整体動作」と呼ぶのです。



腰を落として、両脚足に不必要な緊張が発生せず、適度な緊張と弛緩が同時に存在するとき、体幹部をどちらに向けるという行為に両脚足が協力してくれます。このときの動きは一見何気ないですが、非常に強い力が発生してます。



ゆっくり動くと言うことは、日ごろなんとなくやっている動きの中に潜んでいる問題点を洗い直す上で大きな効果があります。

一般的に「速い動き」では我々の「感覚」がその速さについていくことができませんから、正確な位置関係や方向、角度などについて詳しい認識を得ることができませんが、ゆっくりした動きの中では、「感覚」が正確に自分自身を把握することができます。従って「速い動き」ではできる誤魔化しも、ゆっくりした動きではできません。

「動きの精度」を上げていく上では、ゆっくり動くということは、重要な練習の一つと言えるでしょう。

この「ゆっくりした動き」が極限までいったものは、外見上、静止して見えます。この状態で自分が普段何気なく行っている動きが持続していれば、「静止しているように見える動き」になります。ここで「動きの感覚」が継続できていれば、それは「活動的な静止状態」と言えます。

中国武術の「たんとうこう」は、まさにこの動きです。」



安定とは全身が完全に自由に動くことが出来る状態でなければならず、不安定というのはどこかの部位が、安定させるための身体の動きに参加できなかった場合に起こる状況だからです。

つまり不安定は身体の中に固定した部分があるから発生しているわけで、よく例にあげられる前に進むという動作にしても、「身体が倒れようとする力を利用して」動くと言いますが、これでは動きの主体が重力になってしまっていて、自分の意志ではありません。自分の動きは自分の「動作目的」を達成するために行うものであり、何かに作用された結果としての動きは、どうしても「あなたまかせ」の部分が出てきます。



ある動きができない人が、「できる人」がその動きを行っているときに肉体の一部を接触させたとしましょう。このときは「できなかった人」がきわめて短時間で「できる」ようになっていきます。

身体運用上の情報は目や耳だけからだけではなく、身体の接触によって伝えることができます。しかもこのときは非常に大量の情報が流れ込んでいるようです。我々の身体にはまだ解明されていない多くの「能力」が眠っていると考えられますが、私はこれを「身体のアクセス」とよんでいます。新しい動きを覚えていく上で極めて有効な方法です。

武術の世界では「技はくらって覚えろ」というのがありますが、まさにその通りです。ただこのとき肌と肌が直に接触していたほうが、より多くの情報が流れるように感じています。うすい布一枚はさんでしまうと、それだけで情報の伝わり方が弱くなっていくようで、スキンシップという情報伝達の方法の有効性を最近になって再認識しています。



人に質問することは、ときに害になる。



「一人練習」「一人稽古」は「自分と向き合う」ことによって「自分自身を理解する」上では、意義が大きい。



型練習は難しいです。優秀な師範の下で、一生懸命、根気強く稽古しなければ、型稽古本来の成果はあげられません。けれども、長年ホンモノの型を練り上げてきた人の動きは、優れたコンビネーション攻撃を一瞬にして無力化してしまう能力を持っています。

本来型を伝える武道・武術には、「コンビネーション」という発想はなく、「一撃必殺」「一発必倒」であったと考えられます。



武道・武術の稽古は、能力を開発していくということ。



マナーを考えると、自分の所属する「階層」の中で、自分の階層に相応しい所作ができなければ、自分の所属する階層にいられないということを意味しています。それは、社会的な「生死」がかかっているわけです。

「相手を思いやる」ということにしても、自分の利益につながることです。我々は一人で生きていくことができませんから、「相手を思いやる」ことによって「自分を思いやってもらう」ことになったのです。



身体重心がブレないということは、効果的な動きを行う上で非常に重要なことです。



つい力が入ってしまいようになるところで、呼吸を「吸気」にしているのですが、「呼気」では力が入りすぎて床を蹴ってしまう動きが、「吸気」に変えることで床を蹴らない動きに変えられます。

床を蹴る動きは、身体重心をブレさせたり、力の無駄使いにつながり、気配を出すことになり、昔に人はずいぶん嫌がったようです。



全身を同時に協力させて動かそう



相手の自然を崩せないようなら、絶対に勝つことはできません。相手が「必然律」を支配してしまうからです。

自分が「必然律」を支配しようと思えば、自分の「必然性」を高めなければなりませんから、目先のことに追われていては無理です。自分にとっての自然を感じ、その自然を、いついかなる状況でも崩さないように動かなければなりません。それが無心で動くということです。



人間が最も人間らしいときに、人間としての「最高」の能力を発揮することができるのです。



無理をすることは不自然とつながります。無理をするということは「理」がないわけですから、成功につながることも少ないのです。無理をしないこと、不自然な動き方をしないことが、「必然」の世界に入っていくためには不可欠な要素といえます。



現代はマニュアルがないと動けない人が増えているそうです。これは長い間、自分の「感覚」を信用して物事に対処してこなかったから、外部からの刺激に対する反応が、その人の中で正確に起こっていないということを意味します。



我々にとって最も大切なことは、トレーニングによって自分の身体を変形させ、それらを獲得しようとすることではありません。まず「自分が持って生まれた能力を、最大限発揮できる心身になろう」ということなのです。



やっていることが正しいのなら、それは武道・武術であれ、スポーツであれ、仕事での動作であれ、日常生活での何気ない動きであれ、全て役立ちます。



「自分が何をするか」という目的意識を持つことは大切ですが、そのために他の事から目をそらしてしまうと、自由な活動ができなくなります。これは生きていく姿勢の「固定」です。目的意識だけに凝り固まると、まったく融通のきかないものになりますが、「精神的な余裕」を持って生きると、「自由な発想」が得やすくなります。余裕が自由な発想を生み、凝り固まった頭からは出てこないモノに発展します。こういう柔軟さを持つことが、生きる姿勢の「安定」です。

あまりに規則正しい生活同様に、自分で自分を縛っていて、それ以外のことができなくなってしまうのですが、何かに「縛られる」ことは、自分で考えなくても生活が送れることを意味していますから、それなりに楽なので、生真面目な人ほどはまりやすい状態と考えることもできます。自分の目的達成のために「安定」した生き方をしたいなら、注意しなければなりません。

旅に出るということは







旅に出るということは生を実感するのと同時に死の観念のような気がしないでもない。

自然は現代人にとっては自己を知る教科書だと思う。

出会いというのは、人間が計算して出会えるもんじゃないです。

出会う時期がきて出会うんですよ。

1/01/2008

さわやかでたのもしい経済社会への道









「さわやかでたのもしい経済社会への道」ナナオサカキ ゲーリー


1、ぎりぎり 必要なものだけを 求めよう
2、工業製品ではなく 手作りを
3、スーパーマーケットではなく 個人商店 または生協に つながろう
4、虚栄と浪費のシンボル―誇大広告を まずボイコットしよう
5、最大の浪費 ミリタリズムに かかわらない
6、生活のすべてに もっと 工夫と創造を
7、新しい 生産と流通のシステムを 試みよう
8、汗と思いを わかち合う よろこびから
9、真の豊かさとは 物と金に 依存しないこと
10、野生への第一歩―よく笑い よく歌い よく遊ぶ

「恐怖体制」
どうやらぼくたちのこの現代社会は恐怖の体制であるらしい。そこでは安心をお金で買い、競争で勝ちとらねばならない。それは椅子取りゲームのようなもの。より多く、より速く、といつも前のめりになって、永遠に得ることのできない安心を追いかけまわす。それがファストな社会に生きる僕辰の姿だ。そんな社会にあって、ぼくたちのスローダウンとは一体どんなことを意味するのだろう。それは恐怖の連鎖から外へ出ること。恐怖の体制から自らをアンプラグすること。恐怖という登りかけた山を下りて、引き返すこと。山の向こう側に安心などありはしないのだから。安心はどこにあるのだろう。よく見れば安心の種はこちら側にいくらだって見出されるのだ。

   ○―×
自信―失敗するはずがないという意識
スピード―拙速
機知―口の悪さ
アンテナを張り巡らす―よさそうなものだけに目を向ける
献身―仕事中毒
制御―柔軟性の欠如
勇気―向こう見ず
我慢強い―変化に逆らう
人を引きつける魅力―人を思いのままに操る力
倹約家―ケチ
一途に取り組む―妄信

オープンシステム―情報は部門間を必要に応じて流れる。隠し事は奨励されない。
報酬は事業単位へ―権限委譲やコラボレーションを推進するマネージャーが評価される。
自主管理―情報と経験は速やかに知識に変換される。知識の取得と共有が自主管理グループの土台となる。
マインドフルな思考スタイル―ローカルな視点とグローバルな視点の両方を常に取り込む。方針決定にあたっては多様性、倫理、美なども考慮する。学習する姿勢が高い評価を受ける。慢心の発生はチェックされ、抑制される。

「人生棚卸」
1、自分の仕事と自己イメージはどんな部分で一致し、どんな部分で一致しないか?
2、熱心に取組んでいることがあるか?また、それについて積極的に学んだり、よい意味での難問にぶつかって緊張感を味わったりしているか?
3、仕事や私生活での人間関係は現在、どのような状況にあるか?
4、どんな秘密を持っているか?
5、深く後悔していることはないか?
6、最も恐れていることは何か?
7、どんな問題行動に苦しんでいるか?その問題行動は、もっと深い問題とつながっているか?
8、人生の目標をどのように変更してきたか?
9、時間にどの程度追われているか?その最大の原因は何か?
10、自分の性格のどの部分を強化する必要があるか?自分のどんな才能を見過ごしているように感じるか?
11、自分は何に貢献しているか?

12/31/2007

最高の報酬










最高の報酬


音楽もビジネスも、クリエイトする際に、自分自身か友人達のために創るべきで、お金儲けを目的としてビジネスしても、そうは問屋がおろさない。ハートから出たものじゃないと、なかなかうまくいかないと思う。一瞬の成功なんて長続きしないものだよ。
◎リチャード・ブランソン(ヴァージン・グループ会長)


映画監督になりたいという人がいるが、その考えは間違っている。何かになりたいというのは、有名になりたい、人から認められたいという気持ちの表れにすぎない。大事なのは、映画を作りたいと心から思うことだ。何かをやりたいという気持ちがあれば、物を作る喜びを感じることができる。
◎ジャン・ピエール・ジュネ(映画監督)


利益を得る事だけを考えるのではなく、世の中を変えることに重点を置かなければいけない。
◎ジェリー・ヤン(Yahoo!共同創業者)


私は、事業のために映画を作ってるのではなく、映画を作るために事業をしている。
◎ウォルト・ディズニー(ディズニー創業者)


仕事が楽しみならば、人生は楽園だ。仕事が義務ならば、人生は地獄だ。
◎ゴーリキー(作家)


成功の秘訣は、職業をレジャーと見なすことだ
◎マーク・トゥエイン(作家)


己の周りに己より賢い人物を集めた男 ここに眠る
◎アンドリュー・カーネギー(鉄鋼王)


想像力は知識よりもっと大切である
◎アルバート・アインシュタイン


人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心に望み起こらば、困窮したるときを思い出すべし。堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思え。勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身に至る。己を責めても人を責めるな。及ばざるは過ぎたるより勝れり。
◎徳川家康


良き書物を読むことは、過去の最も優れた人達と会話をかわすようなものである
◎デカルト


今こそ大きなチャンスの時である。だがそれを知っている人は実に少ない
◎ヘンリー・フォード(フォード創業者)


社会のために役立ちたいという志を持っている経営者が成功する
◎牛尾治朗(ウシオ電機会長)


誰よりも、三倍、四倍、五倍勉強する者、それが天才だ
◎野口英世(医学者)


多数に追随すれば必ず自分を見失う。孤独を恐れず、したいことを続けるしかない。
◎安藤忠雄(建築家)


前途は遠い。そして暗い。しかし恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。行け。勇んで。小さき者よ
◎有島武郎(作家)


一.身を浅く思い、世を深く思う
一.一生の間欲心思わず
一.我、事において後悔せず
一.善悪に他をねたむ心なし
一.身一つ美食を好まず
一.道においては、死をいとわず思う
一.神仏は貴し、神仏をたのまず
一.常に兵法の道を離れず
◎宮本武蔵(剣豪)

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失敗訓


「芸術家は体育会系」が持論。健康な体に健全な精神が宿る。病んだ心が人を感動させることはない。

12/30/2007

老子と暮らす・加島祥造











老子と暮らす・加島祥造

自分の生き方の基本とする価値には、自分の内側から判断する価値と、世間一般から判断する価値とがある、ということです。

ユーモアは、自由のコーナーストーン、要石だ。

町っ子には、権力への屈従ではなくて、それをせせら笑うようなセンスがあるんです。歌舞伎、川柳、俳句などは、みなそうした庶民の自由な心がどこかに動いている
ものでした。

知足、「足りることによって自分のなかに富を見つけはじめる」という意味だと思うんです。
物質の富から自分の心の富への転換なんです。自分のなかの潜在能力の発見なんです。たんなる物質的な豊かさをさすのではなく、精神の豊かさと深さ、そして何よりも自由を表す言葉です。

若者の体は柔らかいが、心は固い。老人の体は固いが、心は柔らかい。

自足ということ
君はどっちだねー
地位が上がるためには、そして収入や財産を増やすためには、自分の体をこわしたってかまわないかね。
それとも、自分の命を大切にしたいかね。

命を大切にする人は、
地位が低くたって、収入が多くなくたって、あまり気にしないのさ。
自分の生きる楽しさを犠牲にして、名誉や地位を追う者は、じつはいちばん、「何か」をとりそこねている人だ。
ひたすら金銭や物を貯めこむ者は、じうてゃ大損をしているのさ。
いま、自分の持つものだけで満足すれば、平気な顔でいられる。
何かほかを求めず、ひとに期待しなければ、デカい顔でいられる。
「まあ、こんなところで充分だ」と思っている人は、ゆったりとこの世をながめて、
いま持つもので、けっこうエンジョイできる。
そして、社会に自分のものだという気になるのさ。
だってその人は、社会よりデカいものとつながっているからだよ。

野口体操










野口体操

野口語録
1 今まで出来なかった難しいと思われるうごきに向かいあったとき、緊張努力を増すことで、解決しようとする姿勢が多く見られるが、それは大きな間違いである。
2 そのうごきが最もよく出来たとき、最も楽で気持ちがいいというあり方を見つけたい。
3 楽であるということは、決して消極的な概念ではなく、ゆとりある積極的なあり方である。

野口語録
1 一番をきそうのではなく、よりよいもの(こと)を求める。
2 目的とか効果とか価値は、もともと本質的に感覚と同じく主観的なものであり、最後の審判は自分自身による判決である。
3 からだを前に屈げたり後ろに反ったりするには、筋肉の緊張によるという考えを捨てること。基本的には筋肉を緩めて(解緊)することによって、ぶら下がり、そのことによって結果として前に曲がったり、後ろに反ったりという形になる(弛ませ曲線)。
4 目的効果をあえて言わない理由は、目的や効果や予測は、意識化・言語化をしなくても関係のなかから結果として生まれてくるからである。
5 意識は脳のはたらきの一部であることを常に念頭におかなければならない。意識のはたらきを含む脳全体のはたらきで、筋肉に情報を伝えるのかもしれないが、脳以外の神経組織(細胞)すべてがかかわってはたらくのが事実であろうと、私は考えている。