3/01/2008

雇われない生き方









雇われない生き方

1.雇われている間にあなたが売っているのは時間
(Income for dummies.)

 ●あなたの本当の売り物は何か?
 ●何が収入の源泉になっているのか?
 ●雇われていると、それが分かりづらくなる
 ●もし、時間を切り売りしているとしたら、
 ●それは、あなたでなくてもできる
 ●大切なのは、あなたの価値とあなたの時間は別物であるということ
 ●あなたが生み出すものに価値がある限り、
 ●あなたがそれにどれだけの時間をかけたかは、
 ●それに価値を見いだす人にとっては無関係
 ●時間を切り売りする限りは、その価値は時間でしか値踏みできなくなる


2.得られるのは特定の目的にしか役に立たない経験
(Limited experience.)

 ●経験は何をしていても得られる
 ●そして、何もしていなくても得られる
 ●雇われている間に得られる経験は特定の目的にしか役に立たない
 ●特定の仕事に必要な専門知識と、
 ●お金の問題に悩まされることなく生きていくための知識と、
 ●どちらを選ぶか


3. 生涯続く放し飼い
(Lifelong domestication.)

 (割愛)


4. “分け前”をシェアする相手が多すぎる
(Too many mouths to feed.)

 ●雇われている間は、“分け前”をシェアする相手が多すぎる
 ●あなたは自分の働きの一部しかもらえていない
 ●そして、一握りの人たちが残りの大半を手にしている
 ●投資家、あるいはオーナー経営者


5. 実態はプロのギャンブラー
(Way too risky.)

 ●会社ではその中のルールに従うのが当然
 ●フリーランスはルールフリー
 ●会社員の収入源は1本
 ●フリーランスの収入源は複数
 ●会社員は安定、フリーランスは不安定、と言われる
 ●いつでも解雇される可能性がある状況を安定と呼べるのか?
 ●収入の手段を自分の手の届かないものに任せている
 ●あなたの本当の職業は、プロのギャンブラーと言うべきだ


6. そもそも「ボス」という言葉は…
(Having an evil bovine master.)

 ●ボスというのは最終的に倒す相手だ
 (注:日本語では「上司」ですが…)。


7. 稼いでいるというより施しを受けている
(Begging for money.)

 ●お金を稼ぐことが、人の許可に左右されるのと、
 ●自分の裁量で決められるのと、どちらがよいか


8. クローズドな社会生活
(An inbred social life.)

 ●置かれる環境を選べない
 ●勤務地、職場、人間関係


9. 余計なことを考えなくて済むという不自由
(Loss of freedom.)

 (前半割愛)
 ●自分が好きなことをして、もっと楽しもう


10. 幻想の前に骨抜きにされる
(Becoming a coward.)

 ●今の職場が働きやすく居心地も良い、ということは
 ●《何か》がそのように感じるように仕向けているに過ぎない

2/27/2008

骨法の完成 堀辺正史













骨法の完成 堀辺正史

勝っているときはイイ恰好もできるわけですよ。逆に負けに追い込まれたときにどういう精神状態が闘いの中で見られるのか。
ヒクソンっていうのは選手としても尊敬できますけど、人間性を見せないという部分では非常に演出がうまいなって気がします。
だから強いことは認めるけれども、彼が最近、自分のことを「侍だ」とか言うことに関しては、ハッキリ言わせてもらえば不愉快ですね。
自分を犠牲にすても公のために尽くす精神ってのが侍精神というのだからね。

非日常状態で耐えられる人間力がためされる
苦しいこととか、つらいことに耐えている力が、やっぱりね、男がこの世の中を生きていくときに一番頼りになるもんなんです。何事にも動じない精神と何回やられたってもう一回立ち上がるっていう精神さえあれば、この世は貧乏だって生きていけるんですよ。だから簡単にいってそういう肝の力っていうか度胸を作るっていうことですね。

上品と下品は背中合わせ。下品も極めれば上品になるということですかね。だから、前田日明にはそれを貫いて欲しいですよ。変に文化人みたいになってほしくない。

用美道とは、
「用」とは、実用を離れざる心
「美」とは、練磨を尽くして無駄を省く心
「道」とは、技を殺して人を殺さざる心

武道とは、すなわち「野蛮を知性に逆転する論理であり、日本が世界に誇れる文化である」と。
武道では「状況不平等」の作りをもって、大きい人、重い人、力の強い人などの「前提不平等」を逆転することが可能なのである。つまり、武道の競争原理は、毒(状況不平等)をもって毒(状況不平等)を制する、ところにその本質がある。

物理的に逃げられない状況を最初から作っておいて、そこで戦うというのは、本質的に武道の競争原理とは異なるんです。自分の意志で、たとえ逃げ道があっても逃げないというのが武士の戦いなんです。それに比べると、あれは奴隷の戦いですね。だから、私はアルティメットを、古代ローマの貴族の見世物だったパンクラシオンに譬えたことがあります。

武道の競争原理で言えば、相手の弱点を狙うのは当然のことであり、その一方、相手に弱点を見せない、あるいは弱点があっても狙われないようにしてこそ武道なんです。武道(現実)とスポーツ(理想、非現実)では物事の見方、見え方がこれだけ違ってくる。
そして、私はいまのような混迷の時代にこそ、自立した精神を持ち、無償の行為や、自己犠牲を厭わない行動ができる武道精神をもった人物が育つべきだと考えています。

正義を貫こうとすれば、闘いを避けて通ることは絶対にできないのだと。

勇気の精神的側面は落ち着きである。つまり、勇気は心のおだやかな平静さによってあらわされる。
平静さとは、静止の状態における勇気である。勇敢な行為が勇気の動的な表現であることに対して、これはその静的表現である。まことに勇気ある人は、常に落ち着いていて、決して驚かされたりせず、何事によっても心の平静さをかき乱されることはない。
彼らは、戦場の高揚のなかでも冷静である。破滅的な事態のさなかでも心の平静さを保っている。
地震にあわてることなく、嵐に立ち向かって笑う。私たちは危険や死を眼前にするとき、なお平静さを保つ人、たとえば、迫り来る危難を前にして詩歌を作ったり、死に直面して詞を吟ずる人こそ立派な人として尊敬する。文づかいや声音に何の乱れもみせないこのような心のひろさー私たちはそれを「余裕」と呼んでいるーはその人の大きさの何よりの証拠である。
それは押しつぶされず、混乱せず、いつもより多くのものを受け入れる余地を保っている。

武士にとって戦場で斬られて死ぬこと、負けることは恥ではなかったことがよくわかる。彼らにとって最大の恥は切腹ができないことであり、切腹に失敗することだったのである。
切腹が武士の道徳となってからは、二本差しに対する解釈も変わっていった。かつての戦国の時代では、小刀は大刀が使えなくなった時の、予備的役割がその主たる目的だったが、江戸時代になると、大刀は人を斬るもの、小刀は自分を斬るためのものとして、存在理由が明確化されるようになったのである。
では、切腹とはいったい何か?人間には様々な欲望がある。物欲、出世欲、性欲、そのすべての根源になる欲望は「生きたい」ということだ。切腹は、その「生きたい」という欲望を自分で確認しながら、否定していく行為なのだ。
そしてまた切腹は、いわゆる衝動的な自殺とは、まったく別種類のものだ。なぜなら、切腹は一瞬にして自分の命を断ちたいと思う者には、もっとも向かない、苦しみが長く続く、きわめて非能率的な自殺法であるからだ。言い換えれば、切腹というのは楽に死んでしまっては、切腹としての意味がなかったのである。
とても衝動でできるものではなく、よほど強い意志で自分をコントロールしなければ、なし得ない行為なのである。そのような苛烈極まりない手段を、侍の死に方として選んだところに、武士の武士としての意地があったのである。

たしかに切腹は外見上、野蛮な行為ではあるだろう。だが、いつでも腹を切る覚悟を持って生きるということは、武士たちを私欲を超えた高い道徳的エネルギーを持った人間へと、変質させたことも事実なのだ。小さな欲望(自我)を捨て、大きな自我を得ることによって、武士たちは、本能に邪魔されることなく、新しい価値観、つまり自分の望むままの人生観を持つことができたのである。

武士は子どもに武士の切腹を見せます。西郷隆盛が子供の時一番ショックだったのは、自分のおじさんが切腹すのに、立ち会ったときです。おじさんいわく、「俺は悪いことはしてないのに、切腹することになったが、いついかなるときでも、サムライというのは俺のように死ねなかったらいかんのだ。よく目を開いて見ておけ」と。これは人間の成長に影響を与えますよね。結局、人生の一番深刻な問題から目をそらすよう、そらすよう教育しているのが、今の日本なんです。
もちろん、教育的暴力でないものには絶対反対だから、これはいっておきますけど。

群像 2005 4 高橋源一郎+山田詠美+島田雅彦









群像 2005 4 高橋源一郎+山田詠美+島田雅彦


島田 それが本当に古いのかという問題ね。確かに、日本人はよそへ行っても、結局自分を見ているわけですよ。
    だから、外国に行っても私小説を書くんです。何か導入しようというか、外部的なものを輸入しつつ日本に
    抵抗しようとするために。今は完全にその風潮自体がなくなってきたかもしれない。自我を見つめる儀式として
    の旅はもう必要なくなった。旅の終わりは近代文学の終わりと対応しているんです。
高橋 新しい古いでいえば、古いものなんだと思う。明治以来ずっとだから。何か足りないんで、海外へ行って見つけて、
    輸入して、一応埋めてみるけど、やっぱ足りないんでまた行く。その繰り返し。
島田 そういう意味でいえば、江戸に帰ったんでしょう。
高橋 自足していた時代にへね。
島田 運賃は安いし行こうと思えば幾らでも行けるんだけど、あえて江戸の鎖国の時代に戻った。裏を返せば、
    今現在の日本風俗とかサブカルのたぐいをそのままやっておけば、向こうの方が関心を持ってくれる、
    そういうたかのくくり方はあると思う。だけど、文学はそれにうまく乗っているかというと、乗ってはいない。
    相変わらずやっぱりグローバル文学みたいな形で、村上春樹やよしもとばななが出ているだけ。
    グローバル文学の条件というのが、実はこの座談会のテ-マである顰蹙をなるべく買わないことなんです。
    要するに、どのジェネレーションでもどの地域でも受け入れられるようにするためには、徹底的に無毒化ていかなきゃいけない。
    ここでお二人が顰蹙ということを語られる場合は、ある意味、グローバル商品化に抵抗しながら、普遍を目指すということでしょう。


島田 顰蹙作家の条件は、やはり失敗作を書かなければいけない。
山田 そうなんだよね。私、江藤淳さんにいわれたんだ。パーティで会って、何々を読んだよというので、どうでしたと聴いたら、、「失敗作」。中上(建次)さんなんかも同じことを私によく    いっていたけど、「ああ、やっぱり失敗ですか」といったら、「十個失敗して一個成功すればいいんだから、どんどん書きなさい」といわれたことがあった。

2/26/2008

スランプ脱出法









スランプ脱出法



1. 何が問題なのか
あなたは、はっきりと何が問題の根源なのかを識別しなければなりません。これは必ず最初にやることであり、最もハードルの高いものでもあります。そして、問題の根源を理解したと思っていても、「実は違うところに問題があった。」ということもよくある話です。もし問題点を発見しても、それが本質的な問題点なのか、もう一度理論的に考えてみる必要があります。ここで、理論的な答えを導き出すための7つの自問自答をご紹介します。
理論的に考える際の7つの自問自答

1. 本質的な問題はなんなんだろう?
2. 最近十分な休息を取っているかな?
3. 仕事がプライベートに影響していないかな?しているとしたら具体的にどの部分だろう。そして逆にプライベートが仕事に影響していないかな?
4. 病気、心の状態、あるいは他の原因で自分のエネルギーを消費してしまうような何かがないだろうか?
5. 酒、タバコ、カフェイン、あるいは砂糖のような、自分のエネルギーを奪い去っていくものを摂りすぎていないだろうか?
6. どういった考えが自分をこの状況に留めさせているんだろう?
7. どういった行動が自分をこの状況に留めさせているんだろう?

本質的な問題点ってなかなか導き出せないものですよね。アバウトに、「これなんじゃないか?」「それともこれじゃないか?」なんて考えていても本質は見出すことができません。しかしこうやって物事を順序だてて考えていくと、自然と本当の問題の根源が見えてくるかもしれませんね。
2. 負のエネルギーを解き放つ

たぶんあなたは悲しみ、怒り、フラストレーション、絶望、不安などといった強い感情を感じることがあるでしょう。あなたはこれらのエネルギーを建設的に放出する方法を見つける必要があります。

あなたがスランプを脱し、成功への道をたどる上でこれらを無視することはできません。暗い気持ちのときにこれらを開放することはとても効果的です。それと共に、こういった感情はあなたに何かを訴えかけているものでもあります。そこで2つの方法を試してください。

* 対応が肯定的な人と、次の2つの重要なことをしてください。
1. 反論なしであなたの言うことを聞いてもらってください。
2. あなたが盲点の覆いを取ることを手伝ってもらって、肯定的な解決によってあなたの焦点を再び元に戻してください。
* (1)のことを日記などによって、自分自身で行ってください。あなたの全ての感覚を書いてください。
それを大声で読んでください。ソファでそれをたたき出してください。もしくは30分ほど散歩をしてください。たとえそうしたほうが良いと感じないとしても、それをしてください!

「悲しみや怒りといった感情は、自分に対して何かを訴えかけているものである。」と言う考え方は、様々な書籍で書かれています。そのシグナルを察知して、解消することがポジティブ思考への近道だということですね。
3. 解決、解決、徹底的に解決

状況を変えるためには解決することに注目する必要があります。一度有毒なことを取り除くことができた今、あなたは立ち上がり、自分の思考をコントロールできる準備ができています。あなたのやりたいこと、遅れている仕事に取り掛かってください。

事例:友人ジョーの場合

私がとても好きだった1人の協力者であるジョーがいつも私のところに来て、「スージーQが昇進したのを見た? ムカつかない?」
そこで私が「ジョー、あなたが欲しいのは何? スージーQのことなんて気にすんなよ。」 と言いました。

しかしジョーは決して私に「自分が何を望んでいるか」を教えることができませんでした。抜きんでて、彼が気になったことすべてに対していらいらしていました。彼は賢くて、才覚があって、感じがよかったんですが。。。しかし彼は人生の計画を持っていなくて、常に「なんだか良くない。」と感じていました。

たとえジョーが「自分が何を望んでいるか」について結論に達していたとしても「私は長い間現在の役割に滞在したいです。私は大きな仕事をして、毎年昇給を得ることを望んでいます。」といった程度で言えたはずです。そして彼は置かれている状況について「良い」と感じることができたはずなのです。

「自分が欲しいもの」という観点で考えてください、そうすれば常にはしごを登っているようなことをしなくても良いのです。
「欲しいもの」、「欲しくないもの」という条件定義をし、物事を考えるようにしましょう。

このストーリーは、以前の私の例にもピッタリきます。以前の私は会社の幹部であることに執着し、何故か今考えればどうでも良い様なことに対してイライラを募らせたり体を壊したりしていました。そんなときに同僚から「何が欲しいの?地位?名誉?お金?」と言われ、ハッとしましたwwジョーさんの立場が分かるだけに共感できます。
3. はじけよう

いくつかのポイントであなたは、今までとはドラスティックに異なる方向で動き始めなければなりません。あなたの解決リストにある最初の項目をピックアップし、とにかくそれを行ってください。そしてあなたのリストにある次の項目をピックアップしてとにかくやってみましょう。
やる気を感じるまで待たないでください。それは待ち続けても起こらないはずです。
あなたがいくつかの行動を起こした後に、「やる気」はついて来るはずです。

もし行動を起こして「やる気」を入手できなければ、例えば大好きな音楽をかけてください。血をどくどく流れ出させて、いくらかの新しい新しい酸素をあなたの肺に運んでいい気分にさせていくことが重要です。そしてデスクへ戻ったとき、最初の策をもうひとつの、そして他のもう一つの違ったもので講じてください。
5. 応急処置

もしあなたがまたスランプに陥りそうなとき、また(1)に戻って同じことを繰り返してください。あなたはスランプから抜け出すために肉体的、そして精神的にこのパターンをさえぎる必要があります。

悪いパターンをさえぎるには物理的な中断をすることが心の中断を容易にすることができます。その場で他の何かをしてください。そうすればよりはっきりと解決について考えることができます。

これは他の観点からの考え方である「マルチタスク」にもつながります。手詰まり感を感じているものをそのまま続けていても、何もいいものは出てこず、結局やっつけに終わってしまうのが関の山。であれば、何か他のタスクをこなしたほうが気分転換にもなるし、より良いものが構築できるという考え方ですね。

2/25/2008

一撃必倒への道・柳川昌弘











一撃必倒への道・柳川昌弘

順突きの練習で得るべき要点は「ムチのようなフィーリング」であるから手腕は無論、特に肩のリラックスに十分注意して「手腕が身体より遅れて出るその時間差を大きく」し、かつそのフィーリングを得るようにすることが肝要。

自らの気配を消すことが、相手の気配を読めるようになる極意。
組手においては、技を出す間合いとタイミングが技術の生命。

蹴り技だけではないが、技の理は絶えず詰める(時間的・空間的な無駄な)ことによって常に上達する。
攻防一体に関する姿形のうえで基本的にいえるのは、身体的表現(身構え)は攻撃的であること、そして、心的内容(気構え)は防御的であること。

激しく動くことは感性による相手の意図を読む能力には適しません。
人間の感性は「理性を使うこと・・・・頭で何かを考えつつ、身体に余計な力を入れること、呼吸が乱れること」とは両立しないのです。
「観の目強く、見の目弱し」
「無謀な攻撃と臆病な防御」は大成しない。
微妙な「タイミングの間合いと見切り」は観の目なしには出来るものではない。

相手の正中線を攻撃する技の動きが、相手からの正中線攻撃を不能にする
転位、転体(体捌き)、転技(手捌き)、転体が大事。体軸のあり方を・・・。
居つかぬ足捌き。
要は腰の動き(転体)によって自由自在な転位と転位が従うことが成功の秘訣。

自然な呼吸、正中線の微妙なあり方。組手の勝敗は、間合いを詰めて生じる一瞬のタイミングをとらえることが可能かどうかがすべて。

相手からの正中線攻撃を捌きつつ、相手の正中線を攻撃すること。

第一段階の練習は、鋭く正確な一本の攻撃技を磨くこと。

次は、同じ技で交差法を使いカウンター。前手突きのカウンターを先の先のタイミングで極める。
読みの能力は「身体のリラックス」「呼吸のあり方」「目のつけ方」。つまり、自然体。

第三段階は、先の先にタイミングによってその他のすべての技によるカウンター攻撃にも目を向ける。
先の先のタイミングでタックル(グレイシー柔術)。

最も難しいはずの修羅場での心身のリラックスによって、ほどなく自然な反射的対応(技・術など)の好ましい結果を不完全とはいえたい拳してゆくことによって自然体の持つ優れた能力に対する認識が深まるでしょう。

2/24/2008

続 空手の理・柳川昌弘











続 空手の理・柳川昌弘

空手の技を出すときは強く、それ以外のときでも下腹に力を込めているのが武道空手の極意である。
技を出すときは呼気と下腹の速筋を使ってその受動筋力だけでなくその後のため能動筋力をも少々増大させる。そのときまでは下腹以外の部分に力を絶対に込めないことが空手の技を完成させる大事な要点である。

空手の名手は最後の極めの一瞬しか全身の力を入れていない。
技の伸びや威力や正確さを得るには手足の力を抜くことだ。この足さばきがより上達するには手足その他の力が自然に抜けるようにならざるを得ない。
こうした動きができるようになるためには、「姿勢」の保持がその絶対条件である。反り身の姿勢なくしてこの足さばきはできない。姿勢と足さばきを同時に完全に体得して欲しい。

下り坂の突き稽古。軸足のタメがいかに大切か。
上り坂の突き稽古。足の抜き、身体の沈みの体得。

その場突きに始まり、その場突きで終わる。

短打法に要する技術上の要点は、
1、姿勢
2、下腹の締め
3、足の抜き
4、速筋と受動筋の使用
5、気合

完全な武道空手(組手)が出来る者にのみ正しい形ができる。
一つの技の理が姿を変えて千変万化する。

心技体のどれひとつを欠いても、こうした攻防一体の調和には至らない。

相手を上と横から見ろ

読みにおいて、「少なくとも、息を少しづつ吐き続けることが最低条件。」
姿勢が正しく調整できるようになると、身体の疲れ、息の乱れ、心臓の動悸は逆に穏やかになる。

蹴り技を体得すれば、空手は基本的に足で攻撃し、手で防御するのが理想的、つまり自然であることがわかる。

正中線への認識は「絶対の理」
組手技術においては、自らは常に相手からの正中線上から身体を外し、自らは常にその正中線上に相手を置くのが何より大切な心構え。
 
交差法の重要性

真の求道心とは「自然を求める」というより「自然と一体化する」ことである。心を自然体に保つならば、他あるいは同種武道の長所欠点がすぐわかるようになる。

気構えは常に攻撃におき、結果としては手の一方あるいは両手が防御的動作となることはあり得るだろう。