2/16/2008

ボケる、グレッグ先生







ボケる、グレッグ先生

以下のことで人はボケる。

① メディアとの接触(テレビ、ラジオ、ゲームなど、音楽をきいている時)
② マッサージ、エステを受けている時
③ パソコンの画面を見ている時
④ 人と会わないのがつづく時
⑤ 人と話さないのがつづく時


ロックフェラー財団の医学部長グレッグ博士が46年3月にニューヨーク市のコロンビア大学医学部医学科の卒業式で行った講演。

グレッグ博士は、優秀とされる医学校の卒業生が社会に出て活動する過程で「身中の虫」として常に心せねばならない要素として「うぬぼれ」「地方人気質」「忘恩」をあげ、これらを病に見立てて「むかしなじみ症候群」と命名。世の中に出てからも「むかしなじみ症候群」には用心しろと警鐘を鳴らしている。

具体的には「うぬぼれ」とは、その字義のとおり、優秀とされる学校を卒業した者が抱きがちな自己満足感。自信過剰になる一方で育ちのよさ特有の「けだるい無気力」にもつながると述べている。

「地方人気質」とは、狭くて自分の立場に凝り固まる傾向で、コロンビア大学などの場合では「医者としてのそれ、ニューヨーク子としてのそれ、及びアメリカ人としてのそれ、というふうに三重のものとなっている」と痛烈に批判している。

都会育ちであろうが、井の中の蛙は狭い地方人気質にとりつかれているのだ。

「忘恩」とは、深く物事を考えずに何でも鵜呑みにすることから生じるようだ。

2/15/2008

仕事が活きる 男の風水・金寄 靖水











仕事が活きる 男の風水・金寄 靖水

氣が天地人の「感応術」というのはこうしたことができるからである。自分の運氣が上がるかどうかは、その人の行動や考え方によるのである。氣という波動エネルギーは、あらゆるものを繋いでいるのである。これまでは印象など心理に関わるものは経験則でしか語られなかった。音楽にしても色にしても形にしても、である。しかし、それらが皆、氣で繋がり、人に影響を与えるとしたら、非常に分かりやすいだろう。

危険にしてもチャンスにしても先んじることは大切である。皆が気づいた時では遅いのである。天の氣に先んじ、地の氣を使い、備えを作る。後はあなたの行動力と思慮で運氣をコントロールすればいいのである。

孫子の言葉や彼の行動のベースにあるのは、先を見通すことと冷静な状況判断である。これを怠ればいつでも危機に陥ると考えたのである。

風水が天地人の感応術というのは、氣というものを知ることで情報を先んじ、行動のために備え、そして行動を起こしてからの進退に役立てることができるものだからである。

運氣の良い時にはチャンスやきっかけに恵まれるが、それを生かす努力や前向きな気持ちがなければ生かすことはできない。前向きな気持ちというのは良い氣の流れを持つ。それは前向きに物事を考える、努力するということもそうだが、人への想いもそうなのである。嫌いな人がいる時は、氣は乱れている。だから氣のやり取りなどできるはずがないのである。氣が乱れれば感情に表れる。イライラしたり、腹が立ったりする原因は乱れた氣なのだ。

良い氣の流れを作り、氣を充実させ、活性化し、そこいるものの心身を良好に保つことが目的である。それが守ることにも攻めることにも不可欠なものだからである。

「氣」の流れや変化に対応するものが風水なのである。世界の変化はそのまま日本の変化に繋がる時代である。そのような変化の時代に対応することができなければ、企業の繁栄はない。繁栄がないどころか存立も危ぶまれる。事実、これまで考えられなかったことが、経済界では起こっている。
いかに変化に対応するか、そのための戦略が必要な時代なのである。

最近のメモ帳2/15









最近のメモ帳2/15

やや過激に言うなら、50歳からの人生はすでに自分のものではない、と思い切ってもいいくらいだと私は思っている。
自分のものではない、他者のものだ、と思い切ったときに、はじめて再び自分のものに戻るのである。
「私は毎日、何百回となく自分の精神や肉体が、すでに亡くなった人や生きている人々の労働によって支えられていることを思い返している。だから、私も同じように人々のために献身しなければならないのだ」
これは、20世紀最大の知の巨人、アルバート・アインシュタインの言葉だ。

物理的な遺書から精神的な遺書へ、それは教育であったり、文章であったり、絵であったり、言葉であったり、さまざまな形をとるだろうが、多分それらはいずれも文化的なものに違いない。


長く一つの会社、職業についていると、考え方が固定化し、融通がきかなくなります。そのために新しい組織になかなか適応できない。

「大馬鹿者と言われるような非常識性」ということになるかと思います。要するにどでかい非常識と思われる発想をする。そして実現のために綿密な計画をつくり、知恵を出して最後には実現してしまう。」

「よいことを思えば、よいことが来る。悪いことを思えば悪いことが来る」

定年になれば、相手が頼んで来てくれていくらの世界です。

うぬぼれは早く捨てるべきなのです。あなたの代わりはいくらでもいて、皆があなたの職を狙っていると考えるべきなのです。

勉強するということは自分の脳の効率をよくし、記憶を高め、情緒も豊かにすることになるのです。ですから年をとっても勉強し、能力を高めようとすることは自分の人生をより豊かにすることであり、それは自分のためになることです。



知識や学歴は、金銭的に評価されるための手段としての側面を強めてきました。逆言すれば、金にならなければ、知識には意味がない。

官僚や政治家が賄賂を受け取るのは、欲に目が眩んでの行為だと思われていますが、実はそれだけではないように、私は感じています。彼らは自分のしている仕事が重要であり、大切であることの証明として、多額の金が自分のところに渡らされるのを望んでいる、という気持ちがあるのではないでしょうか。

ちなみに、子供からはなれて自分が社会参加(復帰)したいという母親の対極にあるのが、子供と密着して、その子を「いい子・優等生」に育て上げることにすべての情熱を傾ける母親です。
しかし両者は実は同じものですね。というのは、前者は自分が積極的に社会から評価されたいと思っているのに対して、後者は子供を「いい子・優等生」に育てることで自分が母親として優秀であると社会的に評価されたいと望んでいるにすぎないからです。このどちらにも「子供自身のため」という視点が欠落しています。そしてそれだけではなくて、親自身の視点さえもなくて、ただ世間からどう見えるのかというおびえだけがある、という状況に陥っています。

彼らは家に閉じこもっているのがいやだったり、家事から逃げたいのでしょうか。本人はそう思っているかもしれませんが、実はもっと深い理由があるような気がしてなりません。
実はみんな、自分自身とほんとうに向き合うのが嫌だから、それから逃げるために働きに出たがっているのではないでしょうか。子供と向き合うということは、ごまかしようもなく自分自身を見つめ直すということです。

だから逆言すると、自分らしく生きている人間は、たとえその生き様が不器用でも、正直で真剣に生きているのであれば、子供はそのことを見て取るのです。太宰のケースのように。

だから子供には、誠心誠意、率直に接したいと思います。それは子供と友達のように接することではないし、子供に自分の期待をぶつけることでもありません。親が真剣に自分本位の行き方を模索することが、親自身、幸福になるための第一歩であり、そんな親の姿を見せてやれたなら、子供のために何よりの贈り物となるでしょう。

自分に出来ることを精一杯やる。虚しく思われても、滑稽に見えても、他人が評価してくれなくても、子供のために種を蒔き、子供の心に種を蒔くのが、親というものです。

2/14/2008

山田太一・日経夕刊02/13/07











山田太一・日経夕刊02/13/07
「親バカになれるのは親だけ」との言葉もあるくらいだから、子どもには愛情を注ぐできだろう。ただ、「最善は善の敵」ともいうように、やり過ぎてしまう点が問題なのだ。社会と距離を置いた「閉じた家族」で育てられた子どもは抵抗力に弱く、摩擦の多い社会では生きづらい。・・・・
子どもにとっては親がすべて。結局は親が子どもにまねされても良いような生き方をするしかないのだろう。一緒に暮らしているだけで十分に教育であって、それ以上を求めたら子どもは歪んでしまう恐れがある。自分にできないことはもちろん、自分にできることであっても、親は子どもに求めてはいけない場合もある。「ここに帰ってくれば大丈夫」という安心感を与えるだけでいいのだ。
コミュニケーションの希薄さが、いっしょにやっていこうという連帯感の弱さを招いているのかもしれない。
今求められているのは理性ではなく情愛。最近は困っている人に手を差し伸べようとすると、偽善者扱いされる傾向があるのはとても残念だ。いろいろ考え過ぎて手をこまねいていていては、何もできなくなってしまう。「個」が重視される時代だからこそ、共感を持って他者とかかわっていくことを、我々はもっと考えた方がいいと思う。

最近のメモ帳2/14







最近のメモ帳

「人生は、なかなか思い通りにはならないものだ。思いもよらないところで、思いもよらない方向へどんどん転がってしまう。修正できるのは、その人生を歩んでいる本人だけだが、どのように修正するかもまた本人次第だ。良い方向へ歩みを変えることも出来るし、さらに悪い方向へ転がってしまう場合もある。要するに、思い通りに進めない人生をどれだけ修正しながら良い方向へ持っていくかは、本人の気持ち次第ということだ」


「刺激がほしい人生であれば、自分で事を起こすことが一番大事だと思う。自分の人生を決めるのは自分自身しかいないからだ。他人に決めさせて、後になってその人を恨むというのが一番よくないと思う。そして、一度行動に出たら最後までやり遂げることだ。その結果必ず生まれるものがあるし、正直に動いた結果として何人もの気持ちを動かすことにつながるはずだ。流れていく時間を戻すことはできない。動き出すタイミングを逃すと、できることもできなくなってしまう」


古神道の佐藤卿彦先生は「人間は平凡に生きてゆくことこそ難しい」といっておられましたが、私も四〇代後半になってつくづくそう思うようになりました。幸せに生きる、自分の意思で生きる、本当の自分自身を知る等々、身近なところの目標でも簡単に到達できるものではないのです。
バジアン先生の説く、ヘルシー、ハッピー、ホリーも、言い換えれば、ボディ、マインド、スピリットの理想像です。いつの世も、健康で無事に淡々とした人生を全うすることこそ一番難しいことなのかもしれません。

2/13/2008

私のメモ帳2/13








私のメモ帳

「嫌なことでも我慢する」って人間にとって大切なことです。今、日本人はその美徳を忘れつつあるのが残念です。

本当に人々のお役に立っている会社、すなわちこの会社がなくては困ると人々から思われている会社、この会社のこの製品、サービスがないと困るという強みをもっている会社は、やはり人々がその運営を支えてくれます。

とにかく、世の中のお役に立てるよう何が出来るか最後まで考え、模索しつづけるしかない。

予算でも法律でも人々を救えない、すなわち官僚では日本を救えないときがまさに今やってきている。

2/12/2008

独立して成功する人、失敗する人










独立して成功する人、失敗する人  成川豊彦

常に自己より他人を優先させる博愛主義やボランティアの考え方には、明白な嘘が含まれている。自分のことをリッチにしないで、他人や社会のことだけを考えるというのは明らかにおかしい。自分が幸せになってこそ他人を幸せにできるのである。

親孝行は、創業者の絶対必要条件である。
親孝行もせずに自分だけ出世しようとするような人は、絶対に成功しない。
親孝行とは、自分を存在せしめてくれた親に感謝する気持ちから始まる。親が亡くなっている場合は、つねに供養する気持ちを忘れないことだ。

創業者にとって必要な資質とは、①アイデア②営業力③リーダーシップ④バランス感覚、の四つである。なかでも最も大事なのは、アイデア、すなわち発想、新しい何かを発見することである。
経営者は、まず自らがアイデアマンでなければならない。また、自分以外にも、社内に多くの発想豊かな社員を育てられる人間でなくてなならない。
アイデアに無縁な創業者が熾烈な競争社会で生き残れる確立は極めて低い。
よく観察してみると、世に金持ちといわれる人は、頭をよく使っている。よく考えるから、アイデアも湧いてくる。富の源泉はアイデアなのである。
もちろん、会社が発展していく力の源も”斬新な発想”である。そして、会社が苦境に陥ったとき、それを救うのも、ただただアイデアのみである。

会社が軌道に乗り始めたとたん、パートナーとの間にはすきま風が吹き始める。それまで目をつぶっていた相手の欠点に我慢できなくなる。方針決定を巡って口ゲンカ起きるようになる。苦しいときは助け合うが、楽になると、お互いのわがままが出てくるからである。

どんなに崇高な精神も、日々の行動に移さないと血肉とならない。同様に、心のなかにどんな目標(目的を達成するための手段)を掲げていようとも、「見る」「言う」「聞く」「書く」の四感を総動員して、毎日その目標を鮮明にする作業をしなければ、成功のプロセスに乗ることはできないのである。

数が少ないもの、すなわち、希少性のあるものを人は求める。だから儲かる。ここに着目するのが、成功の経済学である。

経営が軌道に乗り始めたら、すかさず経理を他人に任すこと。これが、なかなかできないことだが、企業成長の極意である。もちろん、なにかと人手の足りない創業初期は、配偶者や親兄弟など、身内の者が金銭の出入りを管理するのは仕方ない。しかし、創業3年もたったらのに、まだ身内が経理を担当しているという状態ならば、その企業の成長性は低いと判断できる。

ビジネスにおいて、ハードとソフトの重要度は同等である。ハードを活かすためには、ソフトが不可欠であり、この二つは決して切り離すことができない。つまり、ハードとソフトが合体して製品を構成しているのである。そうしてできあがった製品を会社が販売することで、ようやく社会に貢献できる。この考え方を「製品二元論」と呼ぶ。

お金にも人格がある。なめてはいけない。お金を大切にしない、とくに十円玉を大事に取り扱わない人間は大成しない。一億円といえども十円玉からなっているのだ。十円玉は恋人以上の大切な存在である。恋人のように心変わりしない。
そのお金に愛されるには、まず、できるだけきれいな服を着せ、きれいな家に住まわせることだ。つまり、出来のよい見栄えのする財布に入れてあげるのである。財布がぼろだと、お金は逃げていく。成功した創業者に、みすぼらしい財布をもっている人は少ない。引き出しや定期入れ、胸ポケットなどにお金を住まわせるなど論外である。


第一は、いつもビジネスの目的(目標)に立ち返る。
第二は、仕事の優先順位を考える。
第三は、相手から考えるということである。
第四は、”終点”から考えることである。たとえば、やがて来る倒産の日から発想して、今なすべきことを考える。
第五は、”TPO”を踏まえて考えていくことである。
第六は、”過去・現在・未来”の流れの中で考える。
目先の現状に一喜一憂するのではなく、つねに過去の何が原因で現在がどのようになっているのか、現在のどこを変えれば将来にどんな展望が開けるのかを考える。その分析する姿勢が成功を生むのである。

企業経営は、さぼる社員とさぼらせまいとする社長との、日々のせめぎ合いである。社長が勝てば事業は成功するし、社員が勝てば会社は潰れる。だが、社長がしっかりしていれば、最後には必ずその戦いに勝てる。

苦しいときは寝るのが一番。自分のすきなものを、しっかり食べて、ぐっすり眠ることだよ。そうして苦しみの壁を乗り越えると、その先には事業のもたらす深い喜びが待っている。

全く新しい環境に立ち向かうためには、やはり、リハビリが必要である。たとえば、創業を思い立ったら、一時期、今までの友人・知人とはまったく会わないようにすることだ。自分が引きずっている一切の過去、つまり名刺、キャリア、コネやプライドを投げ捨てるためである。それには、一人旅にでも出て、今までの自分を離れ、ゆっくりものを考える時間をもつようにするといい。

2/11/2008

「人を動かす交渉術」










カリスマ弁護士・荘司雅彦先生が教える「人を動かす交渉術」
1,交渉の相手は誰であれ、常識ある人間として接する。
  相手が変な人間だと言う前提に立ってしまっては、まともな交渉等できない。
2,相手に「効く姿勢」を示し、相手の「主張の価値」を認める。
  どんな相手でも挨拶等、きちんとした態度で接すること。
3,腹に溜まったものをすべてはき出させる。
  ガス抜き効果も期待できる。
4,聞きだしたことは、すべて交渉の情報になる。
  どんどん相手に話して貰うと、相手が自発的に自分側の情報を開示することになる。
5,相手との共通点を「とっかかり」にする。
  リラックスした雰囲気を作るのに役立つ。
6,個人的な関係があっても、公の場での利用は避ける。
  うっかりすると相手の立場を非常に苦しいものにする。
7,交渉の参加者には「事前の相談」「事前のひと言」を忘れない。
  人間は決定そのものに不満は無くても、決定プロセスに参加しないと不満を抱くものである。
8,小さな「貸し」から譲歩を引き出す。
  最初に大きな要求をして、譲歩と言う貸しを作ってから目的を果たす。
9,「YES」を重ねさせ、条件を引き出す。
  交渉の場では、ともかく何でもいいから「YES」を連発させろ!
10,「権威ある材料」が多くあると交渉のイニシアチブを取りやすい。
  悪意のある「ハッタリ」と言うこともあるので、回答を留保し、出所はしっかり調べること。

2/10/2008

非属の才能・山田玲司












非属の才能・山田玲司

「なんか違うなあ」といつも心のなかで思っているあなた。実は、あなたには才能がある。ただ、まわりの空気を読んで、いい人を演じて、その違和感を押さえつけて、ないことにしてきただけなのだ。ところが、本当の才能や独創性といったものは、そういった属することのできない違和感のなかにこそある。僕が自信を持ってそう言えるのは、実際に、「はみ出し者」「変人」「引きこもり」「いじめられっ子」「妄想家」「ひねくれ者」の人たちが、その非属っぷりゆえに大成功をおさめた例を死ぬほど見てきたからだ。

実はそんな非生産的な要素のなかにこそ、非属の才能は眠っているものなのだ。いまの「まっとうな」教育現場では、野茂のような投球フォームは矯正され、清志郎のような歌い方はただの音痴と言われかねない。誰のなかにもあるはずの非属の才能は、あっという間に潰されてしまうのである。

医者や弁護士や東大生や電通マンになる試験はあっても、ブルース・リーになる試験ない。

子供の未来は、「親が子供の失敗をどれだけ許せるかで決まる」と考えていいと思う。

実のところ、人生は思ったより長く、「失敗は即失格」ではない。たとえ手痛い失敗や挫折をしても、まったく違う世界でその経験が生きてくることが多々あるのだ。

大切なのは、すぐに生産性や順位などの結果を求めないことだ。もちろん、まわりの言うことなど99%聞かなくていい。「自分が楽しいか?」とか、「何かいままでに感じたことのないことを感じるか?」といった感覚を大切にして、お金にならなくても続けるべきだろう。群れの空気より自分自身を信じて、人の評価を無視して自分なりの努力を重ねていけば、いずれ自分の隠れていた才能がなんであるかがわかるときがくるはずだ。そして、そのときはじめて、非属の扉はこじ開けられるのだろう。