12/31/2007

最高の報酬










最高の報酬


音楽もビジネスも、クリエイトする際に、自分自身か友人達のために創るべきで、お金儲けを目的としてビジネスしても、そうは問屋がおろさない。ハートから出たものじゃないと、なかなかうまくいかないと思う。一瞬の成功なんて長続きしないものだよ。
◎リチャード・ブランソン(ヴァージン・グループ会長)


映画監督になりたいという人がいるが、その考えは間違っている。何かになりたいというのは、有名になりたい、人から認められたいという気持ちの表れにすぎない。大事なのは、映画を作りたいと心から思うことだ。何かをやりたいという気持ちがあれば、物を作る喜びを感じることができる。
◎ジャン・ピエール・ジュネ(映画監督)


利益を得る事だけを考えるのではなく、世の中を変えることに重点を置かなければいけない。
◎ジェリー・ヤン(Yahoo!共同創業者)


私は、事業のために映画を作ってるのではなく、映画を作るために事業をしている。
◎ウォルト・ディズニー(ディズニー創業者)


仕事が楽しみならば、人生は楽園だ。仕事が義務ならば、人生は地獄だ。
◎ゴーリキー(作家)


成功の秘訣は、職業をレジャーと見なすことだ
◎マーク・トゥエイン(作家)


己の周りに己より賢い人物を集めた男 ここに眠る
◎アンドリュー・カーネギー(鉄鋼王)


想像力は知識よりもっと大切である
◎アルバート・アインシュタイン


人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心に望み起こらば、困窮したるときを思い出すべし。堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思え。勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身に至る。己を責めても人を責めるな。及ばざるは過ぎたるより勝れり。
◎徳川家康


良き書物を読むことは、過去の最も優れた人達と会話をかわすようなものである
◎デカルト


今こそ大きなチャンスの時である。だがそれを知っている人は実に少ない
◎ヘンリー・フォード(フォード創業者)


社会のために役立ちたいという志を持っている経営者が成功する
◎牛尾治朗(ウシオ電機会長)


誰よりも、三倍、四倍、五倍勉強する者、それが天才だ
◎野口英世(医学者)


多数に追随すれば必ず自分を見失う。孤独を恐れず、したいことを続けるしかない。
◎安藤忠雄(建築家)


前途は遠い。そして暗い。しかし恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。行け。勇んで。小さき者よ
◎有島武郎(作家)


一.身を浅く思い、世を深く思う
一.一生の間欲心思わず
一.我、事において後悔せず
一.善悪に他をねたむ心なし
一.身一つ美食を好まず
一.道においては、死をいとわず思う
一.神仏は貴し、神仏をたのまず
一.常に兵法の道を離れず
◎宮本武蔵(剣豪)

*********************

失敗訓


「芸術家は体育会系」が持論。健康な体に健全な精神が宿る。病んだ心が人を感動させることはない。

12/30/2007

老子と暮らす・加島祥造











老子と暮らす・加島祥造

自分の生き方の基本とする価値には、自分の内側から判断する価値と、世間一般から判断する価値とがある、ということです。

ユーモアは、自由のコーナーストーン、要石だ。

町っ子には、権力への屈従ではなくて、それをせせら笑うようなセンスがあるんです。歌舞伎、川柳、俳句などは、みなそうした庶民の自由な心がどこかに動いている
ものでした。

知足、「足りることによって自分のなかに富を見つけはじめる」という意味だと思うんです。
物質の富から自分の心の富への転換なんです。自分のなかの潜在能力の発見なんです。たんなる物質的な豊かさをさすのではなく、精神の豊かさと深さ、そして何よりも自由を表す言葉です。

若者の体は柔らかいが、心は固い。老人の体は固いが、心は柔らかい。

自足ということ
君はどっちだねー
地位が上がるためには、そして収入や財産を増やすためには、自分の体をこわしたってかまわないかね。
それとも、自分の命を大切にしたいかね。

命を大切にする人は、
地位が低くたって、収入が多くなくたって、あまり気にしないのさ。
自分の生きる楽しさを犠牲にして、名誉や地位を追う者は、じつはいちばん、「何か」をとりそこねている人だ。
ひたすら金銭や物を貯めこむ者は、じうてゃ大損をしているのさ。
いま、自分の持つものだけで満足すれば、平気な顔でいられる。
何かほかを求めず、ひとに期待しなければ、デカい顔でいられる。
「まあ、こんなところで充分だ」と思っている人は、ゆったりとこの世をながめて、
いま持つもので、けっこうエンジョイできる。
そして、社会に自分のものだという気になるのさ。
だってその人は、社会よりデカいものとつながっているからだよ。

野口体操










野口体操

野口語録
1 今まで出来なかった難しいと思われるうごきに向かいあったとき、緊張努力を増すことで、解決しようとする姿勢が多く見られるが、それは大きな間違いである。
2 そのうごきが最もよく出来たとき、最も楽で気持ちがいいというあり方を見つけたい。
3 楽であるということは、決して消極的な概念ではなく、ゆとりある積極的なあり方である。

野口語録
1 一番をきそうのではなく、よりよいもの(こと)を求める。
2 目的とか効果とか価値は、もともと本質的に感覚と同じく主観的なものであり、最後の審判は自分自身による判決である。
3 からだを前に屈げたり後ろに反ったりするには、筋肉の緊張によるという考えを捨てること。基本的には筋肉を緩めて(解緊)することによって、ぶら下がり、そのことによって結果として前に曲がったり、後ろに反ったりという形になる(弛ませ曲線)。
4 目的効果をあえて言わない理由は、目的や効果や予測は、意識化・言語化をしなくても関係のなかから結果として生まれてくるからである。
5 意識は脳のはたらきの一部であることを常に念頭におかなければならない。意識のはたらきを含む脳全体のはたらきで、筋肉に情報を伝えるのかもしれないが、脳以外の神経組織(細胞)すべてがかかわってはたらくのが事実であろうと、私は考えている。

12/29/2007

おそうじ風水術 林秀静










幸せが舞い込む おそうじ風水術 林秀静


(1)安心・安全であること
(2)快適であること
(3)家や町が栄えているかどうか


“ゴミには悪人がつく”という傾向があります。玄関にゴミを溜めたり、散らかし放題にしたりしていると、よからぬ客ばかりが訪れるようになります。あるいは、幸運を運ぶお客様が訪れなくなってしまいます。


嫌いなこと、絶対にしたくないことを、紙に書き出して、それらを捨てましょう。嫌いなことを自分の中からスパッと切り捨てると、かえって大好きで真っ直ぐに取り組めることが見つかりやすくなります。


「娯楽・遊興」の運で経済のバブル期でした。それが一転して、「土地、農業、信用」などを意味する新たな20年間に変わったのです。


最近、めっきり運が悪くなったと感じるあなた、運が悪くなるというのは、今までの自分の考え方ややり方が、時代に合わなくなってきたという証拠でもあります。もっといえば、あなたの頭の中がコチコチに凝り固まっているために、にっちもさっちもいかなくなっていて、「この辺でそろそろ頭の中も、身の回りもいっぺんキレイにする必要があるんだよ」というシグナルが発信されているのです。

12/28/2007

究極の人生論・ひろさちや












究極の人生論・ひろさちや



勇気のない人間は「奴隷」という。



「お母ちゃんはあんなお客さんに頭を下げているのと違うねんで、お金に頭を下げているねんで」



どちらでもいいことは、どちらでもいいんだよ。

ところがそういう時人間は、論理で決めようとする。どちらでもいいことは、論理では決めたれないのにな。

相談するのもダメ。うまく行かなくなったときに、その人を恨んでしまうからだ。



経済的には日本はもう滅んでいる。政治的にはとっくに滅んでいる。そして社会的にも滅んでいる。教育現場は混乱し、犯罪も自殺者も増えている。

言葉を換えれば、これは資本主義の崩壊だ。突出した資本主義国家は、日本とシンガポールぐらいしかない。米国にしても、フランスやイギリスにしても立派な農業国だからだ。

このところ、中国の食料自給率が落ちている。米国から食料を買っているから、中国は米国と戦争できない。食料自給率が低い資本主義国家は、日本とシンガポールくらいなのだ。それで国がもつわけがない。もう日本は、もっと家族を大事にする農業国家に生まれ変わるしか道はない。



宗教のない人間は、私は家畜だと思っている。私が思う宗教とは、「人間としての生き方を教えるもの」、ときには「人間としての生き方を強制的に押し付けるもの」だ。

今の日本人は、ときに「無宗教です」とか、「無心論者です」とか言う。それは、「私は人間としての生き方をしてません」ということを表明していることになる。では、そういう人は何かといえば、エコノミック・アニマルなんだ。持っている物差しはお金、それで畜生的な生き方をしている人たちだ。



葬式というものには三つの役割がある。

一つは死体の処理、もう一つは死んだ人間の魂の処理、最後が遺族の心の処理。

死体の処理は、宗教とは全く関係がない。



キリスト教徒とイスラム教徒は、ちっとも対立などしていない。対立をしているのは、似非キリスト教徒と似非イスラム教徒だ。戦争をしたがるのは、いつだって利権に目がくらんだ金持ちと政治家だ。



多くの日本人には自分のことを語る能力に欠けている。私たちは、どうもそれを磨いてこなかった。私自身も反省を込めて言うことだけど、「自分の気持ちは誰にも分かってもらえない」「女房にわかるはずがない」などと、人はよく言うね。でも違う。自分の気持ちが一番分からないのは、自分自身だ。



友達とはどういう存在か。たとえて言えば、その人間の借金を全部肩代わりしてやれる人間だ。その人間が困っているときは、自分の全財産を投げ打っても救ってあげる人間だ。しかも、相手も同じ気持ちでなければ友達とは言えない。極端に言えば、命だって投げ出すことができる関係が親友関係だ。

そんな友達はそうはいない。だから人間は皆、孤独なんだ。メル友は、友達ではないんだ。日本人はそのところを凄く誤解している。



ジェントルマンシップにおいては、ギャンブルも嗜みなんだそうだ。ただ彼らは負けることを承知で、「オレはこんな負けには動じないぞ」という胆力を養うためにギャンブルをやるという。

誰が言っていたが、「ゆっくり負けるのを楽しみながらギャンブルをやる」んだ。そういう人生は素晴らしい。



『負けを承知で共に戦うのが、あるべき家族の姿』



人の生き方を変えたければ、まず自分が変われ。



いじめは競争社会につきものだということがわかる。だとすれば、競争社会を止めさせない限り、いじめはなくならない。

少なくとも、義務教育の段階では競争をやらせるなと言いたい。だから、何につけ一切点数をつけない。評価しない。

ただし、高校以上は好んで進学するのだから、徹底的に点数をつけて、点数が足りなければ落第させる。温情主義はご法度である。

いずれにせよ、競争社会はいじめを伴うのだから、いじめはあるのだと思って欲しい。



我々の本質は、老いであり、死なのだ。老いつつあるのが人間なのだ。そうだとすれば、より老いた年寄りの義務は、若い者に老いの惨めさをできるだけ示してやることだ。

嘘をついて、本質を見誤らせてはいけない。嘘の情報に翻弄されてしまえば、そのときなって慌てる。

世の中の人や、政府は、年寄りは皆、はつらつ老人でいてほしいと期待を寄せている。そのほうが国は手間がかからないし、お金もかからない。マスコミも、こぞって「はつらつ老人」を特集する。

そんなことに騙されるな。

もっともっと、老いの惨めさを、赤裸々に示さなければいけない。それが年寄りの慈悲というものだ。

老人には、しょぼくれて生きる権利がある。しょぼくれて、ケチョンケチョンになって生きる権利がある。

オシム監督







オシム監督
この監督は選手を自分の色に染めようなどと努めてきたのだろうか。
彼の願いはただひたすら、選手をどこに出しても恥ずかしくないプロのサッカー選手にすることだったのではないか。
監督が誰になろうと、どんなことを要求されようと涼しい顔で生き抜いていける、たくましいサッカー選手に。
(日経:12/21/07)

12/27/2007

ギャンブラーのバイブル









『ギャンブラーのバイブル』を書いたM・C・フィクスによると

① 手持ちより多くの額を賭けるな
② どのギャンブルでも、見境なく手を出すな
③ 賭ける前に、そのゲームを徹底的に勉強しておけ
④ どんな状況でも必ず勝てる道がある。それを冷静に判断せよ
⑤ よい配当が得られそうなときは賭けるな
⑥ ひとつのゲームに集中せよ。特に、もっとも得意なものに
⑦ 見知らぬ者を相手には、決して賭けてはならない
⑧ 全部の賭け金を一度に張るな
⑨ もし損がつづいたら、ただちに休むか、やめること
⑩ 疲れているとき、気分の悪いとき、腹を立てているときは、賭けるな

12/26/2007

知的な大人へのヒント・林望









知的な大人へのヒント・林望

もてなしの心は金では買えない。やたら高い金をかけて特別の食器なんかを買い込んで、それを意気揚々と出す、そういう心がけはもてなしの美しい心から遠いものです。

大きな声を出さないということは、たとえばイギリスなんかでは、紳士の必須の教養の一つです。大声で話すだけで、もうその人間は無教養だと見なされる。だからともかく小声で話すように意識したい。
できるだけ、相手に嫌な感じを与えない。温かい感じを与える。そして、言っていることがはっきりとわかるように話す、ということはインテリジェンスを感じさせる良い話し方の最大の要件です。

人間四十になったら自分の顔に責任を持たないといけないといいますが、本当にそのとおりだと思います。たとえば、必死に勉強している受験生を見ると、いかにも勉強で磨いた顔をしている、という感じが見えることがあります。
顔というのは内面の窓、その人の人間性の看板のようなもので、内なるものが如実に顔に出ます。

叡智はただでは得られません。身銭を切ってこそ内奥にしみ込ませることができる。その対価を払わなければ、本当の情報を身につけることはできないと、このことだけはよくよく肝に銘じてください。

インテリらしい話し方ってのは、「自慢話」はだめなんです。その反対に行きたい。自分を戯画化しておのれを低くして話す、それが、まずもってインテリらしい話し方の基本です。

人間の心の修養というものは「どうやって自己宣伝をしないように自分を抑制するか」ということじゃないか、とこの頃つくづく思うことがあります。
インテリらしく、ということからすると、まさにここが人間関係の最代の留意点で、自己を抑制できるのがインテリジェンスです。そう思って、誰もがその点に注意して人と接したら、ずいぶん生きやすい社会ができるような気がします。
自己宣伝というのうは、実は「自信」ということと裏腹の関係にあります。「空き樽良く鳴る」と福沢諭吉の諭していますが、自己宣伝というのは、ある意味で未熟な自己を悟られまいとする防衛反応のようなもんであります。

12/25/2007

俳優は?





俳優は心を扱う仕事、観客の気持ちを動かすには自分の心が元気でないとだめなんだ。

12/24/2007

人生はサッカー?










人生はサッカー?

この世の九九パーセントの人にとっては、人生はサッカーみたいなものですよ。
ほとんど毎日が忍耐でしかない。忍耐で耐えて耐えて、日常を営々と繰り返す中に、一生に一度、シュートのチャンスがあるかないかぐらい。ほとんどいつも抑制されて、ずっと忍耐を強いられて。でもたまにはそういうチャンスがある。
そういう中でも、ドリブルを楽しめたり、一人、二人パスを抜いてみたりという喜びがあって、そういう演出を自分なりにして、あるいは人に仕掛けたりして、そういう能動的な動き方、それがたぶん人生の生活を楽しむいちばんの基本形だと思うんです。人生を楽しめる人というのはそういう人でしょうね。


人は、自分で感じたり、老いたり、習慣をやめるようになってしまうと、他人がどう言おうと、自分が好きなら好き、と主張できなくなってしまいます。しだいに大勢の中の一人として
しか振る舞えなくなってしまうのです。
そうすると大人数を相手にした数値のようなものに縛られはじめます。「この曲が好き」ではなくて、「この曲は売り上げベストテンに入っているから好き」になってしまうのです。
ある種の数値化されるようなものに縛られていると、人はだんだん生き方まで支配されることになってしまいます。物事の順番、上下関係、経済効率だとか、そういうものに自分の生き方や価値観を絞り込んでしまったような人は、数値にしばられ、自分の生きる時間を浪費するようになる。そして、だんだん楽しみに気づけなくなってしまうんです。


「人と同じ」ことではなく、「人と違う」ことに価値観を見出すということが、初めて「健全なる個人主義」なんです。
でも、人と違うことに価値がある、という伝統が残念ながら日本には少なすぎる。
今の時代の若者は「個人主義」のように見えるけれど、じつはそうじゃないんです。個性的なファッションろいいながら、みんな個性的なつもりで同じファッションを身につけている。
僕らの頃はみんなと同じことをするというのは何か恥ずかしいという、気概、ちっちゃなプライドみたいなものはみんな持っていたけれど、今は、特に若者は「みんなと同じことをやらないと駄目」みたいでしょ。
これはむしろ全体主義の始まりです。
みんながやっていることも、もしかしたらみんな、楽しくないかもしれない。
でも、みんながやっているから、やっているだけでね。
みんながやっているだけで楽しいぞ、というノリになっているだけなら、こんなつまらないことない。



そうじゃなくて、勉強も教えるけれども「勉強ができなくたって、人生はこんなに楽しく送れるよ」ということを学校でも教えてもいいんじゃないかと思うんです。昔は家や地域がちゃんと教えていたのですが、今、親にそれを教える能力がないのなら、そういうことを学校で教えること、少なくともゆとり教育の中で教える、ということがすごく大事なのではないでしょうか。大きな言い方をすると、これが現在のアメリカが持っている最大の強みなんです。娯楽でも、世界的な特許でも、何でもいろんな分野で世界一流クラスの人材をそろえられる。


日本は中途ハンパなんです。というよりも、世界一を目指さない。せいぜい目指すのは日本一。どの分野でもいいから世界一を目指せ、と言われたら、みんなもっとギラギラしてきます。韓国や中国のように。韓国や中国はもう日本を追い越せなんてセコイことは思わないです。追いついたと思っているから。だから彼らは世界を目指します。香港に行ったって、上海に行ったって、ソウルに行ったって、みんなギラギラしてる。をのギラギラが大事なのですよ。

こころ・と・からだ/五木寛之














こころ・と・からだ/五木寛之
本に書かれている事や、人の言う事、社会の常識となっていることを鵜呑みに信じて、自分が今感じている本音を歪めてはならない。僕は、自分の直感に従ってそう思います。

その時に両親が全身全霊で自分たちの愛情を息子さんに伝えた。つまり、精神的な<熱伝導>をしたわけです。息子さんは論理に屈したわけではなく、すべてを投げ打って彼を理解しようとした、その両親の熱に考えを変えたのではないでしょうか。

人間はできるだけたくさん笑い、できるだけたくさん涙を流し、ときには目いっぱい怒る必要がある。そういう喜怒哀楽の感情を深く味わって、自分のなかの<熱を高めることが、結局はその人がいきいきと健康に生きていく上で、大事なことではないかという気がするのです。

以前、作家で探検家のCWニコル氏と話した事があります。そのときに、彼が言ってたのは、極地探検のようなときに最後まで頑張れるのは、”礼儀正しい人"だということでした。
ニコル氏によれば、体育会系の一見バンカラで、物凄く強そうな人が、脱落していったりする。逆に、そんな極地のサバイバル生活のなかでも、きちんとヒゲを剃ったり、身だしなみを忘れない人のほうが、最後まで粘ったというのです。

「あきらめる」というのは、実は「あきらかに究める」ことだと言われてます。物事を明らかにし、その本質を究めること。勇気を持って真実を見つめ、それを認めることが、本当の「あきらめる」ということであるらしい。

強くあるだけが生きていく術ではないと、僕は思います。静かな強さ、優しい心を持つことは、それ以上に大切なことです。永遠の勝利を信じるなかからではなく、いつかは死によって敗れる者としての「あきらめ」のなかから、もう一度再生する人間。

自分を守るということは、いわば自立した人間の第一歩です。自分を守れない人間が他人を守ることなどできません。子供の頃から管理され、守られることに慣れた人間は、いつまでたっても一人前の大人になれないんじゃないかと思います。

ひとつは、薬によって簡単に頭痛がなおせるとするならば、結果的に人間にとってそれは悪い結果をもたらすであろう、ということです。もうひとつ、現在最もありふれた頭痛であるところの筋収縮性頭痛に悩まされている人たちは、実は欲望に踊らされ、欲望を掻き立てる社会の中で平安を失い、押しつぶされそうになっている人たちだ、ということです。

老人力:赤瀬川源平










クリスマスとか、あまり関係ありませんから、このような日の繁華街には近寄りません。
と言うことで、

老人力:赤瀬川源平

古いが故の快さ、人間で言うとボケ味、つまりダメだけど、ダメな味わいというのの出るところが老人力だ。そこのところ、アメリカ人には絶対にわからないだろう。
日本でも成金の人たちが意識的にそういう風で、ちょっとでも古くなるとすぐ嫌う。古くなって擦り減ったのは即貧乏と考える。成金には一山当てないとなかなか成れるものだが、でも成金に憧れる人は多く、日本人一般がそうである。古いのを貧乏と考える点でアメリカ文化だ。特に戦後の特徴。

12/23/2007

若いということ???







若いということ

若いことに価値がある、というのは危うい考え方であり、貧しい考え方だ、という気がしてならない。

年を取ると、若いときの張りとか艶とか、そういうものは失われていく。
しかし、年輪を重ねていくことで、それを補ってあまりあるものが生まれてくる、あるいはそれよりもはるかに魅力的なものが生まれてくる可能性があるわけです。

そのあたりは、大人の責任でもあるでしょう。
ほかならぬ大人たちが、一方的に若さにこだわり、若さが失われていくのを不安に思っているわけですから。

12/22/2007

怒る技術・中島義道








怒る技術・中島義道


1、すぐに怒りを表出すること。
2、以前の怒りを根にもつことが少ないこと。
3、怒りははげしく、しかしただちに収まること。
4、怒りの表出が言葉中心であること。
5、個人的に怒ること。
6、演技的な怒りであること。

人性はよくしたもので、長く生きてきますと、いろいろ痛めつけられますので、だんだん肩の力を抜いていかざるをえない。ごまかしがきかなくなり、多くの人が「つっぱる」のをやめます。同時に、若いころの悩みがなつかしくなる。けなげで美しくさえ思えてくる。

怒らない人の中にも、鍛錬に鍛錬を重ねて怒らない人もいる。だがどう考えても、怒ると損だからという計算だけで怒らない人が圧倒的に多いのではないか。つまり、ただ怒る勇気がないゆえに怒らない人がおびただしくいるということです。総じて現代日本を風靡している柔和な人々は、しらずしらずのうちに、怒らないほうが得だと計算している。

こういう人種(コメンテーター)は、何年生きれば、人間という複雑怪奇な存在者の生態がわかるようになるのでしょうか。一筋縄ではいかないところが人間なのであり、世の中には、右向けと言われれば右を向き、左を向けと言われれば左を向く、家畜のような善人だけが住んでいるのではないのです。

あのコメンテーターたち(そして彼らを支える膨大な数の善良な市民たち)は正しいことを冷静に注意したら、みんなヘヘーっと従うとでも思っているのでしょうか、思っていいるのですねぇ。いままで何を見て生きてきたのだか。「人間をもっとよく見ろ!」と一喝したくなります。

私にとって最重要なことは、お互いに正確に相手の意思を確認しあうことです。この国の大部分の人が、相手に対する怒りを内に秘めて、表面的な平和を保とうとする、その傾向が猛烈に強いからこそ、もう少し風通しをよくしたのです。そのためには「そっとして」おかず、「わざわざ波風を立てる」必要があります。

世の中を見渡しますと、大部分の人間たち(特に立派な市民たち)の営みは他人から「よく思われたい」という壮絶な闘争です。だれもが、実際よりちょっとでも悪く思われたり、ちょっとでも実際より低く評価されると、実を震わせて嘆き苦しみ、相手をひたすら憎み通すのです。

すなわち、私は自分が他人にどう見えるかに関しても「よく思われたい」ゲームから降りてしまったのでですから、何を言われてもあまりショックではない。

年を取ってから女性にモテる条件











年を取ってから女性にモテる条件

「知性」にあふれている
「ウィット」「ユーモア」のセンスがある
おこずかいに余裕がある
誰にも負けないスポーツをひとつできる

「ノンキ節」






「ノンキ節」

お酒も飲みませんし、煙草も吸いません。

勝負ごとは全然致しません。

女にゃ近寄りませんし、食事も控えめで、それで百まで生きた馬鹿がいた。

12/21/2007

船井幸雄





船井幸雄

自主・自己責任で、常に悠々と堂々と生きる

1.たえずリラックス
2.自他同然、差別しない
3.ええカッコしない
4.こだわらない(気にしない、執着しない)
5.すべてを大事に(愛、至誠で)
6.ムダをせずに(質素に、節約して)
(儀式・形式・偶像・修行などムダなことをなるべくやらないで)

以下は絶対にしない方がよい

1.裁く
2.脅し、いじめ、責め、心配させる
3.強制する、制約を加える
4.いばる、自慢する
5.批判したり、悪口をいう、欠点をいう
6.マイナス発想したり、させる

コメ作り社会のヒト作り革命/漆山治











コメ作り社会のヒト作り革命/漆山治

対立すれば生産性が落ちる=日本型ビジネス

重大な欠陥ー形骸化しやすい、互いに既得権益を守り合う、前例重視で革新性に乏しい、スピード感がない、対立を恐れるあまり発展性まで阻害されてしまう。

「モーレツ集団」から「知的集団」への変換

人材評価の基準とは、企業のためにどれだけ利益をあげたかではありません。
どれだけ顧客の信用をかち得たか、どれだけ顧客を満足させることができたかが物差しです。

日本式経営は、アメリカの工学的な経営組織理論に対し、コメ作りに由来する自然発生的で、情緒的・家族主義的な組織論でもあります。
人間は機械ではありません。経営には、この感情というデリケートな動機を入れなければ成功しません。

チームワークで仕事してたところへ、能力主義・成果主義を導入し、無理に個人差をつけると、同僚との優劣を気にするようになって、チームワークは崩れてしまう。

管理職を改革すれば、弱体化している企業は八分通り生き返ります。
ゴマすり派よりもアグレッシブ(野心的)な人材を管理職に重用することに経営者が気付けば、日本は再び世界の先頭を走る事が可能です。

競争に勝てる組織作りとは、つまるところ責任の所在をはっきりさせ、意思決定が迅速にできるようにすることです。

12/20/2007

日本国民に告ぐ・小室直樹







日本国民に告ぐ・小室直樹

日本は義務教育において、最も重要なことを教えていない。
それは、日本とは何か、日本人とは何か。つまり、日本人として誇りを持たせるための教育である。
戦後日本の教育は、それらをすべて悪とされ、おざなりにされた。
学校教育で教えるべきは、自国への忠誠と敬愛である。

アノミー(anoumie)とは何か。
「無規範」と訳されることもあるが、それよりも広く”無連帯”である。
生活水準が上昇すれば、それまでの付き合ってた人たちとの連帯が断たれる。
他方、上流社会の仲間入りを果たすのも容易でない。成り上がり者と烙印を押され、なかなか付き合ってくれない。
かくして、どこにも所属せず、無連帯となる。
連帯を失ったことで、狂的となり、ついには自殺する。

戦後教育は何だ。人間を作るのではなく、条件反射するネズミを作ることを目的としているのではないか。
学校は、鋳型にはまった人間を次から次へと生み出す鋳物工場と化してるではないか。
”金太郎飴”の子供たち。本当に可哀相だ。

評論家西部ススム氏が、かつて左翼運動家として「安保条約に反対した時、実は安保条約など全然読んでいなかった。」と告白しているが、このことが何を意味しているか。
暴れること自体が目的で、反対する理由など、どうでもよかったということだ。
無差別大暴れ。
目的は大暴れだ。
「安保反対闘争」には、何の理由もなかった。
同様に、大学紛争も何の目的も掲げなかった。

雑感










雑感

憲法にしろ自治にしろ、皆で決めたことを拠りどころにして目の前の問題を考えいくという習慣を、日本人はあまりやってきていない。
古市公威名のセリフを借りて言いますと、「自分が怠けると日本が遅れる」

茂木健一郎「脳」整理法










茂木健一郎「脳」整理法

「生活知」と「世界知」の関係を考える上で、たいへん重要な問題になってくるのが、私たちが生きていく中で避けることの出来ない不確実性です。

創造性は他者とコミュニケーションする能力と大いに関係します。

脳は、外界からの情報の入力がなければ、うまく働くことができません。

確実に不幸になる方法はたくさんありますが、確実に幸運になることの出来る方法などありません。

「行動」「気づき」「受容」が、「偶然を必然にする」セレンディピティを高めるために必要なのです。

自分の脳をオープンにしておいて、いつでも生きるうえで必要な何かが入ってくるように、スペースを空けておく必要があります。

どんなに動かし難いように思われる概念でも、その主語を「私」に置き換えることで、生身の「この私」が抱えているのと同じだけのフレキシブルなダイナミクスをそこに投射することができる。

世界をお互いに動かし難い個物の集合に分裂させてしまうのではなく、お互いに操作によって変換可能なものの集合に置き換えていくこと、そして、そこに生き生きとしたダイナミクスを立ち上げることこそが、科学的な精神の最良な部分なのです。

感情というものが自律的なものであることに着目すると、「根拠のない自信」をもつことが、偶有的な世界と渡り合うために、案外大切であることがわかります。

成功するかどうか分からない、不確実な状況に直面した時に、不安な気持ちを乗り越えてチャレンジし、それが成功するといった体験が一度でもあると、「不確実な状況下でチャレンジする」という脳のルートが強化され、そのような行動が苦労しなくても無意識のうちにとれるようになります。

12/19/2007

プロデューサー像










芸術と採算の両方を理解する優秀なプロデューサー


お金の量が幸せの量ではない。


独自性にこだわり大衆性も忘れない。

12/18/2007

悪の名言









悪の名言


正気であることは、生きていく上でさしたる利点にならない。錯乱することは、生きている上で、たいした欠点ではない。

孤独は、なるほど当事者にとって厳しくつらい経験をもたらしはする。しかし、他者の集団や社会にとっては、何よりもまず危険なものと映る。孤独には、集団の秩序、社会の制度の根幹に敵対する性質が潜在していると思われるからだろう。

利害で結びついた人間たちは、感情によって引き離される。感情によって結びつけられた人間たちは、利害で別れる。

嘘をつくなら、少なくとも不作法にならぬようにしなければならない。相手に屈辱を感じさせないことこそを、嘘をいうか、本当のことをいうかの選択に優先させる必要がある。相手に屈辱を与えるような真実をいうくらいなら、それを避ける嘘をいう方が、はるかに賢明であるだろう、喧嘩を売る場合を除けば。

永生を望む者は、永遠に続く老いを経験するつもりらしい。永遠に若さを保ちたいと欲する者は、永久にバカであり続けることになるのに気づかないほど、あらかじめバカだ。

気ままに生きたいなら、多くのことを、いや、そうすること以外のすべてを諦めることだ。きっぱりとした生き方は、いずれにせよ、容易ではない。

12/17/2007

「こうすれば100歳まで生きられる!」











「こうすれば100歳まで生きられる!」

長寿学の世界的権威が教える「長生き10か条」

1、毒もうまく使えば15年寿命を延ばせる。
  「毒」はエックス線、アルコール、日光を指している。
2、精神状態を安定させる。
  幸福な結婚生活と家庭は長寿にとって極めて大切。
  結婚している男性は7年、女性は2年、していない男女より長生きする。
3、長生きする環境、とくに沖縄等温暖な地域。
  沖縄の100歳以上の人々は、人口の10万人に対し336人にものぼる。
4、長からず、短からずの睡眠、ワインやチョコレートも長生きの要因。
5、頭をたえず使う。
6、病気になる前に予防する。
7、「食物はクスリである」と言う考えをもつ。
8、楽しいこと、趣味に没頭する。
9、新しい方法、様式、技術を忌避しないで積極的に取り入れる。
10、常に「笑い」を忘れない。

12/16/2007

カルトになれ! 顧客を信者にする7つのルール






カルトになれ! 顧客を信者にする7つのルール


【顧客を信者にする7つのルール】
第一のルール 人は他人と違っていたい!
第二のルール 「大胆さ」と「強い意思」を持て!
第三のルール 「ライフスタイル」を売れ!
第四のルール 「伝道師」を生み出せ!
第五のルール クラブを生み出せ!
第六のルール 顧客を選ぶな!
第七のルール ノスタルジアを売れ!ライバルからパワーを引き出せ!


結局のところ、他人と違うことは誰にでもできる。
しかし、「実現できそうにないこと」を試し続けるだけの度胸は、決断力と勇気を持ち合わせている人にしかできない。


●世間の評価を絶えず疑っているか?
あなたの会社のブランドに対する世間の評価を、絶えず疑ってかかろう。大胆になろう。
勇気を持とう。異端児になろう。社会通念は、大勢へ同調することを支えているのに過ぎない。
一方のカルト・ブランドは、大勢に同調しないことのシンボルとして、輝きを見せている。
社会が受け入れないものを受け入れてみよう。

●直感に自信を持っているか?
あなたの会社のブランドを、社会通念の束縛から解き放とう。背負うリスクが大きければ、その分だけ報われるものだ。最近のあなたは、現状に疑問を呈しているだろうか。それとも、一も二もなく、過激なアイデアを払いのけているのだろうか。自分の直感に自信を持とう。


私たちがカルト・ブランドのオーナーに驚きを覚えるのは、まさにそのようなときである。
彼らは失敗を恐れない。失敗を犯したときには、その失敗を受け入れる代わりに、体勢を立て直してから再び既成概念の枠を超えるのだ。彼らは実際に、「困難は人を鍛える」ということわざを肝に命じている。もちろん。彼らの行動は正しい。実際に途方もないほどの成功を収めるためには、どんな機会でも失敗した気になることかもしれない。カルト・ブランドがしているのは、まさにこれなのだ。
極端な行動に出て、良くも悪くもないような普通のブランドから脱却しよう。あなたの会社のブランドでも、失敗を恐れずに思い切った行動に出よう。あなたも失敗から生き残れるのだ。


●顧客に「楽しみ」を与えているか?
「幸福の希求」とは、人間誰しも追い掛けるものである。それは、あなたの顧客になりそうな人々にも当てはまる。世間が望んでいるのは、幸せな気分にしてくれるような商品やサービスである。ところで、あなたの会社のブランドは楽しいか。世間を笑いの渦に巻き込んでいるか。そして、あなたをも幸せにしているのか。いずれの答えも、あなたにしか分からない。


「ヴァンズ・ワープド・ツアー」


「アップルは完全に、自社を解放的なポップ・カルチャーと結び付けてしまいました。アップルのテーマは、権威や画一性に対する抵抗だったのです。そして現実には、自己実現と自己強化に焦点を当てていたのです」


自分の会社のブランドと顧客になりそうな人々を、今まで以上に頻繁に付き合えるようにするのに、あなたは何ができるのだろうか。あなたが売り込もうとしているライフスタイルを支えるような活動には、ほかにどんなものがあるのだろうか。


●伝道師を持っているか?
熱心な顧客を、決して無視してはならない。熱狂的なファンは、決して時間を無駄に過ごしてはいない。
あなたも「伝道師」も、お互い欠かせないことを思い出そう。伝道師はあなたを勇気付ける。あなたにリスクを取らせたり、ブランドをさらに良くしたりするのだ。「伝道師」と呼べるようなファンを持とう。


●過激な伝道師を探せ!
あなたの顧客を見つめてみよう。あなたの会社には、ファンクラブやニュースレターを作ることに興味を持ちそうなほど過激な「伝道師」のグループが既に実在するだろうか。たぶんそうだろう。この種のグループこそ、あなたの会社からの支援や指導がもう少し必要なのだろう。「伝道師」を見付け出して、話をしよう。


●顧客向けに情報を配信しろ!
もう一度お尋ねしたい。あなたの会社には、顧客向けの新聞・雑誌やメーリング・リストが既にあるだろうか。
なかったとしたら、どうしてなのか。早速始めよう。ファンとの関係を築く方法には、他にどんなものがあるだろうか。
ファンクラブを結成する機会を見逃してはいけない。

●キャンペーンを考えろ!
あなたの会社が、本気で顧客を大事にしようと、賞品や賞金付きの懸賞を最後に実施したのはいつだろうか。
「心の奥にある欲求を満たしたい」という夢は、誰にでもある。あなたの顧客の夢は何か。顧客の夢を実現できそうなキャンペーン企画を考え出そう。そして、「伝道師」のメーリング・リストを作る方法を見付けよう。


しかしどの企業でも、顧客を本当に大切にしていることを、彼らに示すことは可能である。
つまり、規模に関係なく、常連客を定期的に集めるだけの安上がりな方法が見つけられるのだ。


●愛情を示したことがあるか?
あなたの会社でも、顧客に対する愛情を示そう。そして、その愛情を広めよう。ファンのためのイベントを主催しよう。
あなたの会社でそうすることができないのはなぜか。何を待っているのだろうか。大したお金をかけなくても、ファンのためのイベントを実施することは可能である。どんな企業にも、年に一回は「お客様感謝デー」を設けることはできる。


●顧客を幅広く受け入れろ!
あなたの会社のブランド戦略で、顧客の選別や先見の明がないマーケティングを、極限まで追い求めてはいけない。
顧客を細かく分けたうえで、「完全なる顧客」のイメージを打ち出すことは、役に立つように見えるかも知れない。
しかし実際には、顧客ロイヤルティーの維持にはほとんど役に立たない。洗練されたカルト・ブランドは、顧客を幅広く受け入れるものである。

「どんなカルト・ブランドでも、信じられないほど開けっぴろげである。また、カルト・ブランドのメーカーは、どんなお客さんでも受け入れるものだ」


●開けっぴろげでいこう!
カルト・ブランドのメーカーは、信じられないほど開けっぴろげで、どんな顧客も受け入れている。
実際には、カルト・ブランドの辞書に、「排他性」や「ターゲッティング」といった言葉はない。カルト・ブランドの大半のメーカーで、顧客の年齢層が八歳から八十歳にわたることに、あなたは驚きを感じるだろうか。驚かないようにしよう。カルト・ブランドは、時間や年齢に関係のない感情を満たしているのだ。


人間は自由のために戦うのだ。自由のチャンスのためだけに命を落とそうとする人々も多い。
「国家か市場のいずれかを独裁する政権の下で生きたい」と思う人など誰もいない。本当に一人もいないのだ。


●ライバルはいるか?
人間としての私たちには、「競争やチャンスに乗じて一番になりたい」という欲求がある。私たちの大多数は、スポーツ、人生、ビジネスでライバルを持つことを楽しんでいる。ライバルがいれば、私たちは前に進める。今よりも熱心に働いたり、「一番になりたい」という欲求をさらに心の奥深くにまで行き渡らせたりすることにもなる。あなたのブランドのライバルは何か。

12/14/2007

皆本幹雄

皆本幹雄

人生三原則にまつわる霊示

日々陽気に暮らせ
諸般をば気にせず
気にならず
すべてあの世まかせの人生が
成果あがることを
今ぞ知れ




第一の条件:かけひき根性、ソロバン勘定を消し去る。
この言葉を突き詰めて解釈すると、金因縁の解消になるかと思います。

第二の条件:心を自然霊に通じる状態にしておく。
そのためには、常日頃、皆本先生の提唱する三原則を自分のものにするようにトレーニングをする。
そうすることによって、自分の心の波長と自然霊の波長が限りなく近づくことが出来き、神人合一の状態になることが出来るのではないでしょうか。

第三の条件:限りなく自然霊を好きになる。
常に自分の心の中に自然霊がいることに、喜びを感じ、感謝感謝の生活をする。

以上三つの条件が、より深く自分のものになれば、恐らく自然霊と仲良しクラブの毎日であり、その人はその人本来の生き方ができる、生き方をしている人であると思います。

小椋佳









小椋佳

人はいくつになっても迷いを抱えて生きている。

その本当の人生をしっかり受け止め、未熟を良しとして生きる。一種の開き直りです。

歌詞を音としてはめ込んでいるようなくだらない歌が出回っている現状に、うんざりしてね。

僕にとって歌は戯言ではなく、真剣は遊びなんです。

12/13/2007

司馬遼太郎2










司馬遼太郎2




祖父のような、損をしても操を売らないタイプは、むしろ庶民のなかによくいる。その点では、普遍的だとも言えます。どこの町にも村にもいる庶民の一タイプです。庶民は、そういうことで時代の動きに一足づつ遅れていくんですね。

土方の新撰組における思考法は、敵を倒すことよりも、味方の機能を精妙に、尖鋭なものにしていく、ということに考えが集中していく。これは同時代、あるいはそれ以前の人々が考えたことのない、おそるべき組織感覚です。

封建武士道というのは、人間はどのように生き、どう行動すれば美しいか、ということを究明するもので、美意識でしょう。

だいたいものをモラルで考える人は、人間理解が浅いところがあります。

美意識は、教養のかなりの蓄積がないと出てこないんです。教養の蓄積がなければでてこなかったと思います。

人間、どうふるまい、どう行動することがもっとも美しいか、という精神の美意識のありかが、人のもっとも肝要なものだということは、いつの時代のどの社会もかわらない。しかしその精神の美意識は、多くの場合、誇りをもたされた階級が数百年の年月をかけてはじめて完成させるもので、日本では徳川時代がそれに相当し、日本人はそこで自分自身の美的精神像をつくりあげた。

殉死ー乃木
自分を自分の精神の演者たらしめ、それ以外の行動はとらない陽明学ー山鹿素行
郎党ー山岡鉄舟

帝にとって、この忠良な老郎党のたたずまいは、一種の愛嬌とおかしみを帯びた。愛嬌とおかしみがあればこそ帝にとって郎党なのであろう。
山県有朋、伊藤博文、西園寺、桂太郎には、そういうところがなかった。彼らは帝にとって、能力の提供者であり、希典は、帝にとって誠実の提供者であり、誠実はときとして滑稽感をともなう。

もう若くないんだと思うことリスト








もう若くないんだと思うことリスト




1. 観葉植物を枯らさなくなった


2. 狭いベッドでのSEXはもう考えられない


3. 冷蔵庫にはビールより食べ物のほうがたくさん保存されている


4. 午前6時は寝る時間ではなく、起きる時間だ


5. お気に入りのBGMがナツメロだ


6. 天気予報を見るようになる


7. 友人達がつきあったり別れたりする代わりに、結婚したり離婚したりする


8. 休暇が130日から14日に減る


9. ジーンズとセーターはもうよそ行きではなくなった


10. うるさい騒音元は自分ではなく、近所の子どもである


11. 年配の親戚が、下ネタジョークを隠さなくなる


12. 深夜営業の店が何時に閉店するのかわからなくなる


13. 自動車保険の保険料が下がり、車のローンが高くなる


14. 飼い犬にファーストフードの残り物より、ダイエットフードの残りを与えだす


15. ソファで寝てしまうと背中が痛い


16. 昼寝をする


17. 食事と映画がデートの前菜ではなくフルコースになる


18. 夜中の3時に食べる手羽先で、腹を落ち着かすどころか壊す


19. 薬局にコンドームや妊娠検査薬ではなく、胃腸薬や鎮痛剤を買いに行くようになる


20. 4ドル(約500円)のワインはもうイケると思えない


21. 朝食を朝食の時間に食べるようになる


22. 「前はもっと飲めたんだけどね」が、「もう二度とあんなに飲むのをやめる」に変わる


23. PC前に座っている9割の時間は本当の仕事だ


24. 節約のため、飲み屋より家で飲むようになる


25. 友人が妊娠したと知ると、「うわっ、いったい何があったの?」の代わりに「おめでとう」を言う


26. このリストを全部見たとき、自分に適応しないものをたった一つでもと必死で探したにもかかわらず、自分を救えなかったとき


大人とは切なくはかないものなのです。

www.divinecaroline.com より

12/12/2007

フラット化する世界/トーマス・フリードマン











フラット化する世界/トーマス・フリードマン




個人がグローバルに力を合わせ、またグローバルに競争を繰り広げるという、新しく得た力。
知的職業に携わるアメリカ人は、人間同士の微妙な触れ合いに精通しなければならない。


世界をフラット化すると、ソフトウェア産業に激しい淘汰が起きる。
科学技術の技量だけではなく、かなりの精神的柔軟性と、努力する気持ち、変化に対する心構えがなければならない。
「自分の仕事がアウトソーシング、デジタル化、オートメーション化されることが無い人」
フラットな世界には「代替可能な仕事と代替不可能な仕事のふたつしかない。」
客に特別なことを与える。
単純作業に無形のパーソナルな側面を加味することで、より高い報酬を得る新ミドルにまで自分を高める。そういったパーソナルな側面は、熱意であったり、客を喜ばせる芸能であったり、誰も思いつかないようなクリエイティブな味付けだったりする。
将来的には、子供にどの程度まで高い教育をほどこすかではなく、どのように教育を施すかが重要になるはずである。
勉強以外のことに興味がある学生は、人との付き合いが出来て、助けてもらう必要がある学生をよく手伝ってあげるし、水平なものの考え方ができる。
楽器を演奏したり、バンドに入ったりする人間は、社会的なスキルが高い。自分の仕事だけに埋没しない。
何を守り、何を捨てるか、何に適応するか、何を採るか、どこに力を入れて焦点を絞るか、といったことを整理する必要がある。

アジア新聞屋台村・高野秀行









アジア新聞屋台村・高野秀行


自分の人生は自分で決めて、自分の生きたいように生きる。

良くも悪くも他人を頼らず、自分の事しか考えないから、組織はつぶれても個人はつぶれない。

一言で言えば自立している。

ちょっと異常な人たちに興味ある。

変だったり、不合理に見えるものには全部、何かを気づかせてくれる可能性がある。

「観光」細野・中沢








「観光」細野・中沢

中沢 僕は紺野さんが、こないだのレコードで、「色欲にも負けず、金欲にも負けず」って書いていたのに助けられてね(笑)。これは負けた人でなきゃ言えないという(笑)。

細野 こんな時代の中では一回負けるべきだったなと。つまり世間に負ければ客観的な人間になれるし。そうすると今の時代が見えてくると。これは負けた人の意見として・・・・・・。

中沢 いま、音楽やってる人に、肉体にエロスがなくなっちゃったのね。だから、面白い音楽がない。やっぱり、音楽にはエロス性がないと。肉体にはエロスを、精神には倫理を。ほとんどマルキ・ド・サドですね(笑)。

細野 うん。ちょっと前までYMOは口癖のように、音楽ではもう語れないと言ってたんだけど、音楽っておしゃべりだからね。だから今僕がすごくやりたくてしょうがないことっていうのは、人に語りかけることなのね。

ビックネームや金持ちなどに振り回されない独自の評価基準を養う。そして自由に発想する。

12/11/2007

プロに学ぶ 説得の極意









日経新聞2007年10月20日付「プロに学ぶ 説得の極意」より、
説得のプロたちのノウハウをご紹介します。


☆プロに学ぶ説得の極意5か条
1、100%は説得しない。
①最初に商品やサービスの魅力を徹底的にアピール。
②相手の気持ちが7,8割傾いてきたら、結論を含め残りは相手の判断に委ねる。

2、問題点は隠さない。
①リスク情報等はあらかじめ説得しておく。ただし、切り出すタイミングは重要。
②相手を7,8割説得できた時期がころ合い。

3、勝とうとしないこと。
①ビジネスの最終目標は、自分が利益を得ること。
②相手を言い負かして利益を失うのは愚か。
③「負けるが勝ち」と心得ることが大切。

4、相手の自尊心を傷つけない。
①傷つけたら、説得は難航必死。
②反論する場合は、「しかし」等の否定的な言葉を使わない。
③「それは○○でございます」で1回区切り、短い文で返すのがコツ。
④相手がさらに説明を求めたら、また答えるという形にすれば感情をさほど害さずにすむ。

5、説得していることを相手に悟られない。
①相手に意見を押し付けず、相手の発案だと思わせるように仕向ける。
②先に感情を動かすと言う方法も効果的。

こんな親とは付き合わない






こんな親とは付き合わない。




  1. 名前が常識的に普通じゃない子供&親とは付き合わない。(当て字とか…)
  2. 子供と親の年齢が近い(あきらかに10代で産んでいる)人たちとは付き合わない。
  3. 子供を注意しない(しつけない)親とは付き合わない。

イヤなやつほど成功する!








イヤなやつほど成功する!
人間らしい直感に従うという楽な道を選ぶ者もある。彼らは人間味のある人間でいようとする。他人を、自分らしい生き方をする権利をもった自由な個人として扱う。権力欲や貪欲、欺瞞などを恥ずかしいと思う。要するに、おのれにふさわしい小さな巣をつくって、そこに這いこむ。毎朝、電車やバスや地下鉄に乗り、一流デザイナーの作品に似せたまがいものを着て、茶色の紙袋に入ったぱさぱさのマフィンを食べ、デジタル世界では億万長者が生まれた記事を読んでは当惑したりがっかりしたりしている人たちだ。言い換えれば、あなたやわたしである。少なくともあなたはそうだろう。私は、よく社のクルマをつかって出勤する。

世界はずる賢くたちまわることを要求しているのに、あなたは善人である。
世界は恥知らずになれと命じているのに、あなたはあいかわらず礼儀正しい。
世界は、たとえどうしていいかわからなくても決断せよともとめているのに、あなたは他人の意見を聞いてまわる。あまつさえ、コンサルタント料を払ったりする。この愚か者!

他人にどう思われようと恐れない。
他人の感情など気にかけない。
獲物以外は眼中にない。

真の君主はその気になればいくらでも派手に金を使い、大判振舞いをするが、傍目からはばかばかしく見えるほどの細やかなことにもいつも目を光らせている。

大ぼらは提供するものではない。差し出すのでもない。ぶつけるものである。

12/10/2007

白洲正子・青山二郎











白洲正子・青山二郎

ジィさんが「腹黒斎(ふっこくさい)」と名づけたが、もちろんこのハラグロはどちらかといえば褒め言葉のうちに入る。正直一点ばりの毒にも薬にもならない人間を彼らは軽蔑していたからだ。

「要するに風土ということだろうが、無用となってなお存在する、そういう危うい、あいまいなものを見つめる空気というものが流れていない」

「「世の中には、何でも見えていて、何でもわかっていて、書けない人はいるもんだよ。昔からそういう人たちは腹の中にいっぱい溜め込んで、死んで行った。辛いことだがお前さんひとりじゃない。どっちみち才能なんてたいしたものじゃないんだ。それでいいじゃないか。」

お金を持つとお金を持つこと自体が重荷になり、何かに追っかけられているみたいに蕩尽する。「生活を棒に振って、生活を買ってみるのが、私の信念だった。」そういうものが青山二郎の生活であり、生活力の源泉でもあったのだ。

「過去を乗り越えることによってしか、文化は発達しない。」

12/09/2007

海外、音楽、日本









海外、音楽、日本


1、 海外留学で腕を磨き、海外にも拠点を持ち、年に何度も日本との往復を繰り返しながら創作活動を行う人が増えた。
2、 そんな人たちは、きっかけはどうであれ、海外で通用する実力と音楽性を備えている。
3、 彼らにとって、音楽の舞台は初めから世界なのである。
4、 常に目は世界を向き、あらゆる国のアーティストの共演を視野に入れ、世界各国の聴衆に向けて音楽を発信している。
5、 もうひとつ、彼らには言葉の壁はない。言葉だけではない。民族を超え国境を越え、高いハードルを簡単飛び越えて活動の場を広げていく。
6、 そのパワーは今まで世界の人が抱いていた日本人のイメージ「おとなしい」「音楽が優等生的でおもしろくない」という“常識”を塗り替えた。


ポップス編
ヨーロッパのポップスの中心であるイギリスの音楽環境も日本にやや似ていて、仕掛けをしてヒットをつくることができる。言い換えれば、音やビジュアルのおもしろさがあれば、日本人でもシングル・ヒットを狙える可能性がある。ただし、アーティスト自身が受け入れられるわけではないので、望みは薄い。
いずれにしても、アジアやヨーロッパの音楽市場は、世界的規模で見れば、所詮ローカルであって、本当の意味での世界的ヒットは、アメリカからしか生まれない。アメリカには白人のネットワークががっちりとあり、そこに黒人のネットワークが15,6年かけて築かれ、いまではさらにヒスパニックのネットワークが融合している。
日本のポップスの世界的ヒットはあり得るか?今後、アジア人のネットワークを築くかが、課題だか、その前に最大の障害となるのが言葉だ。歌い手ではない。仕掛け人が売り込むための言葉である。プロデューサーなり営業部門の人間が、曲をアメリカのネットワークにのせられるだけの言葉の力を持ってないと、聴く人たちの耳に音を届けることができない。
チボマットや少年ナイフがアメリカに受け入れられたのは、彼女たちが、ちゃんとした英語、聞き取れる英語で仕事をしているからだ。ただし、受け入れられたといっても、カレッジチャートの域をでないが。英語と言う壁を問題にしない受け入れられ方を探るとすれば、雅楽の東儀秀樹か。欧米人が逆立ちしてもかなわないオリエンタル・ブランドの力がある。

でゲームは?
世界標準になっているのではないか。
浮世絵と漫画、アニメにヒントあり。
どちらも西洋的な2次元とは異なる独特な空間表現があるから。それが世界に評価されてる?
デジタルなからくり玩具

12/08/2007

里の在処















里の在処 内山節


現代人においては、知性と魂は不調和でありつづける。知性は前に向かって歩こうとし、魂はどこかに帰ろうとする。とすると<里>や<田舎>をもたなかった私は、はじめから、魂の帰りたがっている場所をもたないことにはならないか。里を喪失した人間。それは魂が帰ろうとする場所をもたない人間である。


広い世界とは深い世界だったのだろうかと、いま私は問い返す。私たちは、広い世界に目を奪われて、深い世界を失ったのではなかったのかと。
帰りたい世界をもちながら、広い世界で活動することもできたはずだ。人生をやりなおせる場所をもちながら、知性によって自己を主張しなくても、自然に自分の存在を諒解できるような場所をもちながら、広い世界で動くこともできたはずだ。
しかし私たちはそのようには教わらなかった。<里>と、都市やインターナショナルなものとは対立しているように教わった。
その結果、私たちは何を得たのか。帰属だけがある。だが所在不明。
知性は訳知りだから、帰属のなかに自分の存在をみつけだす。ところが魂は<訳>を超越している。
<訳>だけでは存在の場所をみつけだせない。


<金もうけをしたいなら都市のほうがいい。しかし悔いのない暮らしをしたいなら村のほうがいい。村には本当の豊かさがある>

失楽園の向こう側










失楽園の向こう側 橋本治

「社会から脱落しないように」のガイドラインがまずあって、人がそれに合わせるのは、私にとって、「なんかへんだ」でしかない。ところが、いつの間か、「金儲けする社会のあり方に合致しない考え方をするのはバカだ」というような考え方が一般的になってしまった。それは私にとって「バカじゃねーの」というようなものなのだが、「それを考えられないやつはバカ」という風潮があるのだから仕方ない。「社会のあり方」なんてことをああだこうだ考えもしたが、「もういいだろう」である。知ったこっちゃない。「自分は自分の道を行く」がノーマルに肯定されなかったら、社会もへったくれもない。

日本人が信じる「本来性」とは、「多くの日本人が共通して信じる建前」である。だから、こういう建前に従って立派に日本社会への適合をとげた人達の愚痴や説教は、くだくだしいばかりでよく分からない。「人と付き合う」とは、そのくだくだしさに我慢する時間のことだったりする。

それまでの日本社会は、「完成度の高い社会」だった。それが、「単一化された社会」に変わった。「完成度の高い社会」というのは、めんどうな社会である。なぜかと言えば、これが、「完成度の高さの維持」を求めるからである。一方「単一化された社会」は、そんなめんどうを要求しない。みんなと同じことをしていればいいのである。

単一化した社会への適合をうまく果たしたエリート達は、「決められたプロジェクトの実行」には有能であっても、「なにを新たになすべきか?」の知恵がない。

「”自分たちより上にあるもの”を想定して、しかし劣等感に取り憑かれない(とりつかれない)」というには、「セレブ」というとんでもないものに憧れる今となっては難しいことだが、節倹の美学が生きていた時代には、たいして難しいことではなかった。「それは自分たちには似合わない」という美学がりさえすれば、似合わないものの存在に心を動かされる必要がないからである。「美学を持つ」ということには、それだけの力がある。

閉鎖的なムラ社会で生きるためには「そこでの平均値」である。だから、閉鎖的なムラ社会の中で育った人間以外の社会に出て、それまでの自分の生活jパターンで暮らせなくなった時には、新しい「ここでの平均値」を探す。「よく分かんないけど、みんなこんな風にしているみたいだから、それに合わせておけば大丈夫だろう」という発想である。若いやつが、みんな同じような格好をして「よくいる若いやつ」になるのは、それをする彼や彼女が「自分もみんなと同じような若者の一人だ」と思うからである。

他人と同化するために、共有出来る”平均値”を探す。しかし「新しい平均値を探す」ということは、その人間がそれまで「閉鎖的なムラ社会で生きて来た」ということをあらわすものなのである。「流行」とか「社会の変化」と称するものに翻弄されて、平均値から平均値への移動を、まるでレミングの群れの一個体になったみたいに繰り返していたら、いやになってしまう。その愚を避けたいのだったら、それをしてしまう自分の頭の中をまず疑ってみることである。

自己主張が必要になるのは、先ず第一に、そこに危険がある時である。自分の権利が奪われそうになる、自分の存在が危うくなる―そういう時に”自分”を主張しなかったら、権利は奪われっ放しになるし、存在だって危ゆくなる。こう言えば「そんなの当たり前だ」と思うかもしれないが、しかし存外、こういう主張は少ないのである。

日本人は「自己主張の必要」を、根本のところで理解していない。「わざわざ”自己”なんてめんどうなもんを主張しないで済むのがいい社会だ」くらいに思っている。だから、肝心の自己主張が必要になった時、その”度合い”が分からない。

「自己主張の必要」を理解しない日本人は、「自己主張の必要がない世の中」に生きていることの幸福を楽しんでいる。「自己主張の必要がない世の中」とは、問題が起きてその問題を「ないことにしてしまおう」とする世の中である。”問題”をつきつけられても、「分からない」で逃げてしまう。なにか意見を求められても、「意見を言う」ということが大切な自己を主張することだとは思っていないから、それが言えない。「自分の意見」を言うかわりに、まず、「どういう意見を言えば、世間的に”いい意見”としてほめられるか?」という、模範解答を探す。自分が思ってなくても、「こう言えば”いい意見だ”とほめられそうだな」というウケ狙いをする。小学生みたいなもんだが。そのテの訓練が小学生の段階で止まっているから、それ以上のものが出てこない。
なんでそんな情けないことになるのかと言えば、日本人が、「自己主張をする人間は、周囲とは調和の取れない逸脱した人間だから、あまり意見なんかは言わない方がいい」と錯覚しているからである。だから、大勢順応のおとなしいノッペラボー人間ばかりになってしまう。それを、「まともな社会人のあり方」と信じているからである。

劣等感の強い男は、その劣等感を打ち消すため、自分を強引に「いい男」だと錯覚させる。「いい男」でもないのに、「いい男の真似」をする。その結果、「似合わない」という採点表が、「周囲からの視線」という形で送られて来る。それを見るも見ないも勝手で、「似合わない」とい採点結果を送られて来るそばから捨ててしまえば、「なんかへんだな・・・・」とう不調和が起こるだけである。

「一夜の愛」は「一夜の錯覚」で、錯覚の多い人ほど「一夜の愛」の数も多い。「一夜の愛」にだけ勤しむ人が、自分の仕事をなおざりにしてしまうのは、愛が人生とは別のところにあって、仕事が人生の真ん中にあるからである。「愛し合った翌朝」においても、まだ「愛の一夜」がそのまんま続いているのは、「まだ愛したりない」という欲求不満があるからであり、それは「永続すかもしれない愛」の初期段階に限ったことである。

愛を持続させるためには、そこに人生を混入させることが必須となる。愛の中に人生が入り込むとは、つまり、愛のさなかに空腹が襲うことである。「愛だけでいい」と思っている時、人は空腹を感じない。空腹を感じても、平気で我慢をしてしまう。
愛とは、「生きる本能」だえある食欲さえも超越してしまう、とてもへんなものなのである。

私は別に、えらくなりたかったわけじゃない。教科書に載りたかったわけじゃない。ただ、「えらくなることを恐れちゃいけない、教科書に載ることを恐れちゃいけない」と思った。

コミック編集という仕事は大きく分けて三つから出来上がっている。雑誌を育てること、作品を育てること、新人作家を育てること、この三つである。

12/07/2007

渋沢龍彦









渋沢龍彦


カサノヴァ

ゲーテ

ジャン・コクトー

李白

ディオゲネス

ピストロ・アレティノ

ブリア=サヴァラン

深沢七郎




ユーモリストは、人生の失敗にくじけない、強い柔軟な精神をもった快楽主義者です。世の中のばかばかしさを
横目でながめ、すべてを冗談で笑い飛ばしてしまう精神は、男らしく、爽快なものではありますまいか。


アルフレッド・ジャリ


マルキ・ド・サド


このリベルタンという言葉は、少しばかり説明を要する言葉です。もともと、リベルタンという言葉には、宗教的な
意味があって、「信仰および宗教的義務に従うことを拒否する自由な精神」を意味しておりました。
日本では「自由思想家」と翻訳することもあります。そうした意味の言葉が、いつごろからか、徐々に転化して、
道徳上の放埒を意味するようになったのです。つまり、宗教的戒律に対する不服従から、性的束縛に対する
不服従へと意味が転化したわけです。
男女の愛欲の行為において、リベルダンは、種族維持の自然法則をできるだけのがれようとします。カトリックでは、
中世の聖者トマス・アクィナス以来、子どもを生むことを性交の第一の目的としており、性を遊びの対象とすることを
きびしく戒めておりますが、リベルダンはまず、そうした宗教上の束縛をすすんで打ち破ろうとします。あたりまえの話ですが、
娼婦と遊ぶのは、子どもを生むのが目的ではありません。
第二に、リベルダンの特徴は、情熱的な恋愛に我を忘れることを、みずから警戒します。つまり、男女の愛欲は、
あくまで誘惑したり誘惑されたりする性の遊びなのであって、快楽以外には何の目的もないのです。ロメオとジュリエットとか、
トリスタンとイゾルデとかいった純情可憐な男女の、身を滅ぼすような情熱的な恋愛は、リベルダンのもっとも
軽蔑するところです。
なぜかというと、情熱的な恋愛に身をまかせることは、リベルダンがいちばんだいじにしている自己の主体性、自己の自由を
失うことを意味するからです。リベルダンという言葉は、自由(リベルテ)と関係があるので、何よりもまず、伝統や因習を
打破する、精神の自由を意味していたのです。一言をもってすれば、遊びの精神、自由の精神、―これがリベルダンの
特徴といってよいでしょう。



おもしろいことに、岡本さんもまた、夫婦子どもなんかもたず、いつも自由な独身生活を楽しんでいる人です。親子とか
夫婦とかいった関係が、人間の自由な冒険的な生き方を拘束し、世の中をじめじめした、不潔なものにするということを、
芸術家の直観で、本能的に知っているのです。だから、そういうわずらわしい世の中のきめごとや、愚劣な約束ごとを、
避けてとおるのです。
小心翼々とした人間や、けちな占有欲のある人間、反抗精神や破壊精神に欠けた、優等生のエリートだけが、家庭だとか、
会社だとか、―あるいはもっと広くいって、国家だとか、社会だとかいった欺瞞の秩序に、必死になって、かじりついているわけです。
なんの意味もない、くだらないものでも、しっかり手に握っていないと、不安になるのかもしれません。


そもそも、しあわせな家庭などというものを築いたら、もう、若者のエネルギーは、行きどまりだということを知るべきです。
妻子ある家庭を思えば、冒険もなにもできやしません。大学をうまく卒業し、一流会社へ就職し、課長の媒酌できれいな
奥さんをもらい、一姫二太郎をこしらえ、モダンなアパートに住み、車を買い、ステレオを買ったら、まあ、あとはせいぜい、
女の子のいるバーで、奥さんの目をぬすんで、ちょっとした浮気をするぐらいが関の山でしょう。まことに、なさけない。こんなのは、
快楽主義者として、最低の部類に属します。
わたしは、現代の社会に生きる快楽主義者の代表として、二人の人物の名をあげましたが、むろん、これは、たまたま、わたしの
頭に思い浮かんだ偶然の選択による結果にすぎません。もっと広く世の中を見渡せば、あるいは、さらにおもしろい無名の人物が
見つかるかもしれない。


父母も江戸っ子だったので(ボクは父系で4代目、母方では14代目だそうだ)、大橋家の価値体系は、江戸風であるか無いか
だったようである。江戸風といっても解りにくいだろうが、「粋か無粋か」といったら解るだろうか。特に母はそうであった。
粋とはぜい沢なものを着ることではない、と言っていた。袷(あわせ―裏地のついた着物)の時季には袷を着、浴衣の時季には
浴衣を着ること。時と場合(今でいうTPO)に合ったものを着るべきだとも言った。
食べ物も同じで、そばや寿司をくちゃくちゃ噛んで食べるのは野暮の骨頂と教えられた。ああいうものは「のど越し」で
食べるものだからと言っていた。
「噛みたければ、うどんを食べればいいのさ」


灰皿と金持ちはたまるほど汚くなる


常に収入の四分の一と臨時収入の全部を蓄えることは富をなす基礎であるだけでなく、それがすでに克己心の強い発露である。


人は貧乏すれば、自分が苦しいだけでなく、義理を欠き、人にも迷惑を及ぼし、心ならずも嘘をつくようになり、ついには
世間の信用を失う。


人生の幸福に家庭平和が必要であることは繰り返すまでもないが、実際に家庭が平和でさえあれば、自然健康も勇気も
増して、必ず相当に成功できるものである。


今日の時世に、とくに必要なのは、できるだけ人の手を借りず、人の世話にならずに自分で自分を始末して生きていくということである。
たとえば自分の寝床の上げ下げはもちろん、自分の身のまわりのことはいっさい自分でやる習慣をつけ、旅行の際は手荷物なども
自分で持つことにすれば、時間も省け、紛失の心配もなく、金もかからずに済んで、どれだけ楽になるかわからない。


学者であっても、独立した生活ができるだけの財産をこしらえなければいけない。そうでないと金のために自由を奪われ、
精神の独立も生活の独立もおぼつかないようになる。財産をつくるための基本は勤倹貯蓄であり、貯金ができたらこれを
有利な事業に投資しなければならない。貯金を貯金のままにしておいたのではたかが知れている」。


「人生で最大の幸福は家庭生活の円満と職業の道楽化である」


①努力して職業を道楽化する、②努力と生活の単純化によってそのかすをためる、③そのかすを精神的享楽に使う、
の三つである。本多博士の職業の道楽化を、私はやや近代的に「自己実現」と理解している。私の言う「自己実現」は
「自分の好きなことを精一杯やって、十分に食えるだけでなく、それが他人によって高く評価されること」である。


①縁の下の力持ちになれ、②他人とは長所でもって交われ、③言動を慎み反感を買うな、④施した恩は忘れ受けた恩は
忘れるな、


「頼まれごとはよく考えた上で返答する」と「一度引き受けた用事は、どんなに些細なことでもできるだけ親切確実にする」


成功と人づきあいの秘訣は勤勉、正直と「思い上がりをしないこと」の三つということになる。


「何ごとがあろうと、けっして卑屈になったり、弱気になったりせずに、常に堂々と生き、堂々と失敗し、堂々と設け、
堂々と傷つき、堂々と老い、堂々と死ぬ」

12/06/2007

正慶孝ほか







正慶孝
西原克成
岡田充
寺川正雄
糸川英夫
首藤尚丈
倉田大嗣
木村 汎
小串正三
池口恵観

人間には二種類のタイプが昔から存在しており、時間を支配する自由人と支配される奴隷がいて、子供を育て上げるまでは仕事をするが、子供が独立したら義務を果たしたことになるので、余生は社会への恩返しだと考えました。
後は人材育成に役立ちたいと考えて、人類が残した知恵を世に伝えるために、自由人として行きようと思い立ちました。
若い時代に知識を仕込んで学習するのであり、人生経験を通じて豊かな人間性を育て上げ、内面から円熟すれば醗酵して知恵を生み出し、それが文明に文化の味付けをするのです。この味わい深い知恵を自らの中に体現し、若い世代に伝えるのが老いた世代の責務であり、それが社会への恩返しになるのです。

本当の意味で「知的財産」というものは、社会が蓄積している知恵のことであり、「パテント」や「著作権」のようなものではない。
その基本は掃除に始まる「しつけ」があり、根気とやる気を育てて手抜きしないことを学び、整理整頓を通じて「けじめ」を身につけたいものです。

日本では長らく適材適所が行われず、減点法で生き残った無能な人が偉くなり、派閥の遊泳術に長けた策士が出世している。だから、マネージメントに適切な指令をしたり、真の意味で判断力や独創性を持った人材は、指導者の椅子に座れないようになっています。

それに加えて高い倫理観に基づく責任意識が、指導的な立場に達人に欠かせないのに、最近の日本ではモラル・ハザードが目立ちます。
宣戦布告のハンコを押した天皇が、戦争責任をとらなかったことに源流があって、日本人は一億層無責任の体制を作ってしまいました。

やはり何といっても人材が決め手になりますね。
「人は石垣、人は城」で、優れた人材の確保は、国家や社会の安全保障にとって決め手であり、ここに政治をする上での眼目がある。

一番になるのは努力することで可能だが、ビリを維持するのはそう簡単ではない。
「刑務所は人性の最高の大学であり、そこで鍛えられた者は鋼鉄の精神を持ち、革命的な指導者に育つ日が来る。」

長岡 貫







長岡 貫


「どの先輩も食うや食わずで新しい日本を作ろうという気概に満ちていました。明治維新の志士に通じるものがあった」


「恥ずかしいことをしてはいけない。潔くあらねばならない。明治の人びとは現代人が忘れかけている信念を抱いていました。たとえば列強の属国になるのは恥ずべきことだという考えです。背伸びをしてでもほかのアジアの国とは違うという証しをたてたい。この信念は指導者層に特有のものと思うでしょうが、実はほとんどの国民が同じ思いだった」


「初の外国人教師として東大などで教えた英国人チェンバレンは欠点も挙げています。付和雷同を常とする、外国のまねをするなどです。日露戦争後、国全体が過信状態に陥り、やがてあの無謀な戦争に突入して完膚なきまでにやられちゃう。悪いのは軍閥だが、なかには尻馬にのってやれやれと言った国民もいた。付和雷同の典型でしょう」


「昭和三十五年の国民所得倍増計画は立派な政策だし国民に受けた。衣食足りて礼節を知るといけばよかったのですが、物質的な豊かさを求めるあまり、心の問題が置き去りにされなかったか。戦後の占領政策によって小中学校で価値観のようなものを教える機会が減り、家庭教育は金銭面の豊かさを実現するための進学や就職に主眼が置かれた。月並みですが、この世に生まれた以上、やりがいのある仕事を求め努力を傾注すれば、結果として経済的に恵まれなくてもいいじゃないか」

12/05/2007

「杉浦日向子 一日江戸人」









「杉浦日向子 一日江戸人」

☆江戸ッ子度・十八のチェック
 ①衝動買いをすることがよくある。
 ②見栄っ張りだ。借金をしても、人におごったことがある。
 ③早口だ。よく聞き返される。
 ④何でも勝手に略語にしてしまう。
 ⑤気が短い。推理小説は、いつも初めに結末のページを見てしまう。
 ⑥定食より丼飯のほうが好き。
 ⑦意外と潔癖だ。濡れたお箸を気味悪がる。
 ⑧下着は白、必ず毎日取り替える。
 ⑨行きつけの床屋がある。
 ⑩おしゃれに無頓着のように見えるが、本人なりのこだわりがある。
 ⑪履き物にはお金をかけるほうだ。
 ⑫間食が好き。
 ⑬入浴時間は十五分以内、摂氏四十五度以上の熱湯に毎日入る。
 ⑭アガリ性だ。緊張すると、言動が怒っているように見える。
 ⑮異性交際がヘタ。いったんくっつくと、泥沼になりやすい。
 ⑯駄洒落が好き。人に嫌がられるほど駄洒落を連発する。
 ⑰ウソ話を本気で聞いて、後で笑われることがよくある。
 ⑱涙もろいほうだ。

十八項目パーフェクトなら、オメデトウ金箔付きの江戸ッ子。十五以上は、江戸ッ子の末裔の東京ッ子を名乗る資格あり。
十以上は並の東京人、ヒトケタ台は並の日本人です。

12/04/2007

不良中年は楽しい









嵐山・不良中年は楽しい



吊るしの背広は着るな、上等の服と靴を身につけろ、といっている。
中身がぼろなら、せめて外見ぐらいはちゃんとしよう、ということか。
さらには、威張るな、自慢するな、分析するな、怒るな、泣くな、だそうだ。
やせ我慢しろ、金離れは良くしろ、時計は安物で良い、髪の毛は短くしろ。
おお、不良中年になるのもたいへんだ。

色欲に従うとはいえ、中年になったら風俗はやめろと思っているようだ。
「去勢された若僧がいくところ」だそうだ。
まあ、永井荷風の域まで達すれば別なのだろうが。じじいが風俗に通うのは、端から見てもみすぼらしいよね。
まあ、若くても行かない方が良いとは思うが。

女性が行くホストクラブ(最近は落ち目?)とか、薄い水割りを出して何万円も取るバー・クラブも風俗の親戚のようなものだ。
銀座のクラブのママが男の出来・不出来を本に出したりしているが、噴飯ものだ。





女よりも犬のほうがいい30の理由
1. 帰りが遅くなればなるほど、顔を合わせたときに興奮してくれる
(逆の意味で興奮されることは…)
2. 犬は他の犬と遊んできても許してくれる
3. ある犬がとびきりルックスがよくても他の犬たちが嫉妬しまくったりしない
4. 犬の名前を間違って呼んでも犬は気にしないでくれる
(寝言でも許してもらえません)
5. 犬の性質は1ヶ月の間ずっと同じだ
(毎月のアノ時期が)
6. 床にものを落としても喜んでくれる
7. 犬の両親が訪ねてくるなんてことはない
8. 自分の体を嫌ったりしない
9. 声を荒げてもそれに賛同してくれる
10. 犬は財布や机ではなく、外を覗いてくれる
(携帯も覗かないしね)
11. 自分より長生きしない
12. しゃべらない
13. 公共の場でベタベタ触っても楽しんでくれる
14. 犬を待つ必要がまったく無い、24時間準備ができている
15. 酔っ払っていても面白いと思ってくれる
16. 狩りを楽しいと思ってくれる
17. 他の男に自分の犬がとられる事はめったにない
18. 他の犬を持って帰ってきても、両方と楽しく遊べる
(ハーレムハーレム)
19. 犬に真夜中に起こされ、「私が死んだら、他の犬を飼うの?」なんて聞かれることはない
(メンヘラメンヘラ)
20. 盲目のふりをすると、犬はホテル宿泊料が無料になる
21. 犬が妊娠しても広告を出して他人に引き取ってもらえる
22. ビョウのついた首輪をつけさせても変態扱いされない
(……)
23. 新しい車を買おうとしても犬なら邪魔しない
24. 他の犬のにおいが自分についても怒り狂ったりしない、興味しんしんになるだけ
25. 車で出かけるのに、暖房をつけることを強要しない
(真夏の冷房も嫌がられがち)
26. 犬は雑誌の記事に人生を左右されない
27. 歳をとった犬なら、安らかに眠らせられる
28. 荷車の後ろでも犬は喜んで乗る
29. デパートや靴や服のアパレル店では犬は入場禁止だ
30. 犬が家を出ていっても所有物を半分持っていくことはない
ジョークと言い切れないのはたぶん気のせいでしょう。

先物取引のお勉強










先物取引のお勉強


先物とは、
・予め決められた期日に、
・特定の商品を、
・予め定められた価格で売買する義務
・日経225先物は、毎年3,6,9,12月第2金曜の寄り付きに、
・日経225指数を、予め定められた価格で売買する義務

日経225先物の損益は、思惑通りに相場が動けば、大きな利益が出る。しかし、逆に、思惑が裏切られると、売りでも買いでも、大きな損が出る。
先物の損益は、売り買い共に線形である、無限大。正にハイリスク、ハイリターン。



**********
日経225ミニは日経平均株価の100倍の値段の取引。
日経225ミニは証拠金と取引金額の規模が10分の1というだけで、基本的には、日経225先物の特徴をそのまま引き継いでいる。
225ミニは、値段の刻みが5円。つまり、1単位動くと500円の損益が発生。225先物は10円。10,000円の損益が発生。

満期日のSQ日には、先物価格と現物価格は理論上も実務上もSQ精算値で一致する。
流動性とレバレッジが高い先物が現物株価をリードする傾向がある。
************

米国では、毎四半期の最終月(3,6,9,12月)の第3金曜日にナスダック100指数などの指数先物の満期が到来する。
これに対し、日本では同月の第2金曜日に日経先物の期日が到来する。SQ(Special Quatation)という。
日本では、米国より1週間早く、これらトリプル・ウィチングやダブル・ウイッティングが訪れるのだが、前者をメジャーSQ、後者をただ単にSQと称する。
SQ直前に日経平均株価が大きく変動しやすい。それも、日々の日経先物価格は、事実上前日のシカゴでほぼ決まっているのだから大変だ。

オプション戦略は、実は、先物よりも難しい側面がある。なぜなら、オプションの買いで勝利するためには、相場の方向性や変動率を予想することも必要だが、タイミングも的確に予想できなければ高いリターンは期待できない。特にSQ日前後のカレンダーと相談しながら、タイム・ディケィに留意しつつ、ベストのオプション戦略を描く必要がある。

日本の月例データで最も注目されるものは、毎月末に経済産業省よりリリースされる「鉱工業活動指数」。
1%の前年比率上昇率はその約3から4倍の企業利益の伸び率と整合的であることを理解しておく。
次が、財務省から出される、「貿易統計」
3番目が、内閣府からの「機械受注統計」
四半期毎の「日銀短観」と「GDP統計」も忘れずに。

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株価の方向がわからずとも、単に、変動率が市場予想よりも大きくなると予想できるのであれば、コールとプットを同時に買うことで利益を出すことが可能となる。たとえば、グローバルやマクロ経済指標の予想をもとに、「イベント・ドリブン」のストラドル、スロラングルの買いなどのオプション戦略を組むことは、極めて重要である。
また、ファンダメンタルズ要因とは独立して、単にSQ前にアットのガンマが高まることを利用して、ノイズ要因やいわゆる需給要因によって、イン・ザ・マネーになろうとするアットのオプションを安く買うことは、極めてパワフルなオプションだ。

オプション買いの成功のポイントは、株価変動率の高まりを、ピンポイントで捕まえることにある。SQ直前にイン・ザ・マネーとなろうとするアットに近いオプションを安く買うことが決め手になろう。

12/03/2007

投機家菊地の理想の一日







投機家菊地の理想の一日






オプショントレーダーのための毎朝大証寄り付き前7つのチェックポイント

・米国株価(NYダウ・S&P500・ナスダック指数)の終値。
・CME225先物の終値:前日の大証終値との比較が重要
・CMEのグロベックス(GLOBEX)市場におけるナスダック100先物指数の最新情報(+か-か)
 :NY引け後の決算情報等に関する市場の最新情報が反映。
・最新ドル・円:NZ・ウェリントン市場におけるドル・円相場等に注目。
・外資系証券会社経由の寄り付き注文状況:大幅売り越しか大幅買い越しか。
・8:30-8:50の寄り付前に発表されるマクロ指標:予想をどの程度上回るのか下回るのか。
・SGXの寄り付状況(日本時間8:45)

などを、メモを取りながら、頭に入れていきます。
そして、いくらくらいで寄り付くのかを考えるのです。

***********
GLOBEXのナスダック100指数(キューブ)は、重要である。シカゴ時間15:30から8:15まで、つまり、東京の朝11時15分までだ。
と言うことは、このキューブが大証で取引される先物を先導する傾向がある。
つまり、翌朝の日本株は、今晩の米国市場に大きく影響を受ける。今晩の米国の寄り付きは、今日のキューブに影響される。したがって、今日の日経平均先物は、今日のキューブに右倣えだ。
***********

通常であれば、CME225先物(シカゴ市場で取引されている日経先物)のSETT値付近で、寄り付くことになります。

基本的には、CME225先物のSETT値付近で寄り付くことが多いのですが、
国内の重要指標が8:50に発表されるような場合、事前の予想数値と大きく乖離する数字が発表されれば、寄り付きの価格は、その数字を織り込むことになり、CME225先物のSETT値から大きくかけ離れた価格で寄り付くことになります

9:30くらいになると一定の価格に収斂し、当日の需給や材料を織り込んだ動きになってきます。
したがって9:00-9:30前後の間に、仕掛けのポジションを取ることになります。


先ほどの「上下200円で納まる確立が60%以上」という数字なのです。
日経225先物の原指数は、前回も述べたように、「日経平均株価」です。
ですので、指数に影響を持つ個別銘柄(鉄鋼、非鉄、ハイテク、自動車、銀行など)も同時に監視します。
また、最近では日本時間の10:30から始まる、中国・上海指数の影響も受けやすくなっているようですので、一応、注意してください。


**************************************************
PM3:10 相場の終了 ここから次の相場がスタート

◆ ~5:00 本日の相場のまとめと計数の整理
  
  ①本日の相場の感想をトレード日誌にまとめる
  ②5分・10分チャートの出力・保管
  ③本日のデータ入力
      ・移動平均(5・10・25・75・100日)
      ・ボリンジャーバンド(5・9・13・20・25日)
      ・騰落レシオ(6・10・15・25日)
      ・一目均衡表(基準・転換線、雲)
      ・出来高平均
      ・NT倍率
      ・PER、EPS
      ・東証売買単価と時価総額単価比
      ・裁定買残
      ・オプション建玉変化
      ・先物・オプション証券会社手口変化
     *オリジナル日足チャート CME価格入       
        トレンドラインの作成・修正
   以上は時系列で整理、加工・比較・予測が出来るようにしてあります。
   MACD、ストキャスティクス、RSI、DMIは証券会社ソフトにて数値・トレンド確認

  ④オリジナルマーケットプロファイルシート作成
          サポート&レジスタンス価格の設定

◇PM5:00~6:00 ウォーキング&ストレッチ 
  
◇PM6:30~     夕食&フリータイム・家族との団欒

◇PM11:30     就寝

◆AM5:30      起床  海外市場確認(ダウ・ナスダック・CME)
◇6:00~6:30   散歩・体操

◆AM6:30      トレーディング準備  
     ①日経新聞
     ②TVブルームバーグ、モーニングサテライト(録画)
     ③netブルームバーグ、ロイター
     ④翌日確定データの入力

  本日のトレーディング戦略とシュミレーション
        
        < 朝食 >

◆AM8:20 トレーディング画面 セッティング
  ・8:30から寄り板 変化チェック
  ・外国証券会社経由注文動向
  ・為替,CME
  ・8:50発表の経済指標
  ・8:55からの寄り板変化(重要)寄付き価格で80%のトレードの方向性確定     

  AM9:00 トレーディング 開始

12/02/2007

利休7則










利休7則

茶は服のよきように ……「事を行うには、相手の気持ち・状況を考えて。」
炭は湯の沸くように……「準備・段取りは、要となるツボを押さえて。」
夏は涼しく、冬は暖かに……「ものの表現は、本質を知り、より簡潔に。」 
花は野にあるように……「もてなしは、相手を想う心で。」
刻限は早めに……「ゆとりは、自らの心掛けによって。」
降らずとも雨の用意……「備えは、万人の憂いを想定して。」
相客に心せよ……「何事に接するにも、無垢な心で。」

12/01/2007

長野先生




 長野先生

どんな武術も、元々、体格や体力が圧倒的に差のある敵を打ち倒すために考案されてきたものです。その原点に立ち返れば、勝てない道理はない!ということを・・・。

 能書きを垂れるより、具体的な戦略の提案を記します。是非、参考にしてください。

 第一に、徹底して歩法(運足)を磨くことです。
 外国勢はフットワークを駆使して動きながら突き蹴りを出しているのに、体格が劣る日本人が足を止めていたら狙い撃ちにされてダメージが蓄積されるだけです。これでは、一日に何度も闘わねばならない勝ち抜きトーナメントで不利です。絶対に足を止めて間合を固定して打ち合ってはいけません。前後・横・斜めに自在に動きながら受け払い、突き蹴りを繰り出す運足を磨けば、体格の小ささが逆にプラスに作用して外国人選手の死角に位置取りしながら闘うことができるでしょう。“身体で受けて返す”という戦闘スタイルから脱却することです。練習法としては、太気拳の這いとスリ足をミックスして練習することです。スリ足で運足する利点は、通常のフットワークが重心が上下に振れるのに対して、スリ足だと重心が振れませんから、熟練すれば動きながら足を固定して出すのと同等かそれ以上(重心移動のエネルギーを利用した場合)の打撃力が出せることです。全盛期の数見選手がこの運足を使っていました。あの動きの滑らかさにプラスしてスピードの緩急を使い分け、死角に位置取りすることを工夫すれば、体格差は封じることが可能でしょう。

 第二に、インファイトで肘打ちを活用することです。
 これは上手く極まれば一撃で倒せる威力を持っています。入身交叉突きで入ると同時に体当たり気味に肘打ちを中段に打ち込む八極拳(頂心肘)の用法ならば、体格差をプラスに転換できます。極真のルールでは肘打ちは禁止ではないそうですが、誰も使いません。しかし、今回の優勝したブラジルの選手のように膝蹴りを多用する選手はたまにいます。膝蹴りが使えて肘打ちが使えない道理はありません。そして、肘打ちは文字通りの一撃必倒の武器になり得るのです。ただ、単体で狙ってもほとんど当たらないから誰も使わないのでしょう。肘打ちを当てるには体当たりの間合まで入るのが肝心です。通常の打ち合いの間合から半歩踏み込めば当たります。その入り方としては、内脚へのローキックを放って相手の動きを一瞬止めつつ、そのローキックの足を戻さず、そのまま相手の脚(股)の間に深く踏み込んで、一気に体当たり気味に飛び込みながら肘打ちを中段に入れるのが基本的なパターンです。これは一刀流剣術の“切り落とし”のように全身を日本刀に見立てて相手の正中線にぶちかましていく戦法です。的確に当たれば一発で必ず倒せる威力がありますから、是非、体得していただきたいものです。

 第三に、相手の突き腕に乗って交叉突きを出すことです。
 これは、一種のクロスカウンターですが、思うほど難しくはありません。受け技で突き腕を払い落とす要領で、そのまま受けた腕をひねり込むように突き出すだけです。これは訓練すれば的確にできるようになるでしょう。コツとしては、内腕部分を相手の前腕部にペタリと覆いかぶせていくようにしつつ、そのまま腕をひねり込んで相手の脇腹にドリルをねじ込むようなイメージで擦りつけながら突くことです。ただし、受け押さえた腕を離してしまうと意味がありませんから、腕を離さずに擦りつけるようにねじ込んで打つのがコツです。こうすることで相手は突きを出そうとした力が殺されてしまうので、瞬間的にバランスを崩して “死に体(防御不能の体勢)”にする効果も得られます。防御と攻撃を完全に一体化させた交叉突きは、相手の攻撃を殺しつつ自分の攻撃は当てられるので、効率よく相手を追い詰めていくことができます。ちなみに、この突きは、必然的に相手の乳下の筋肉の薄い脇腹に近い箇所に当たることになりますから、相手は嫌がって容易に突きを出せなくなる心理効果も狙えます。これは形意拳の基本技の一つ、崩拳の術理を応用したものですが、馬庭念流剣術の“続飯付(ソクイヅ)け”の原理も参考にしています。

 第四に、軸脚カッティングキック。
 これは、相手が蹴ってくる瞬間に蹴りは無視して軸脚を刈るようにローキックを食らわす“肉を斬らせて骨を断つ”ものです。回し蹴りの威力は、軸脚の支えとスピンで生じますから、蹴りを出してきた瞬間に軸脚を刈れば威力は出ない上に、大きくバランスを崩し、倒れなくとも重心が浮き上がってしまいます。そこを一気に畳み掛けて連打を食らわせれば防御力が減っている瞬間なので少ない手数で効率よくダメージを与えられます。これは中国武術の足払い技“掃腿”とローキックをミックスしたものです。とにかく、蹴り技を攻略するには軸脚を狙うのが有効です。外から蹴るより内から軸脚を刈り倒すように蹴りつつ肘打ちを当てる複合技も使えるでしょう。よく、剣道家が女性の薙刀にやられてしまったりしますが、ローキックの有効性を高めるには、威力よりも狙うポイントとシチュエイションを工夫することです。

 第五に、寸勁打法の連打。
 これができれば体格差は関係なくなります。拳を引いて打つ必要もなくなるので、受けに専念し、そのまま交叉突きが楽に出せます。極真関係者も多数学んでいる宇城憲治師範の突きをDVDで見ていると、原理的に寸勁なんですね。それができるから、自信をもって相手の懐にスルリと入っていくことができる。かなり小柄な宇城師範が自分より二廻り以上の体格の相手を簡単に突き転がしてしまうのも、寸勁ができるから「これが当たっても倒れなかったらどうしよう」という不安を感じないからでしょう。当たってから威力を出せるので力のロスが無く、一撃で充分に倒せる訳です。ちなみに寸勁の威力の原動力は“重心移動力”です。小柄な宇城師範の驚くべき重い打撃力は、いくら筋肉を鍛えても獲得できないでしょう。これは脱力体ができなければ上手くできません。筋力に頼らず、リラックスした中から突き蹴りに体重を乗せて、“背中側へ突き抜くようなつもり”で出せるように練習してください。この“狙う箇所を当たる箇所より後ろに想定すること”で、打撃に貫通性(威力が作用する持続時間が伸びて力積が大きく“重い打撃”になる)が出てくる訳です。これは蟷螂拳の連珠砲その他の門派の寸勁連続打法の応用ですが、熟練すれば、拳から肘へと片手で連続打法を使うこともできます。

11/30/2007

芸人







芸人


芸人に良しあしはなく、最後は好きか嫌いかで判断するしかない。

そして、それを声だかに叫ぶにはどれだけの義務と責任、知識と感性を必要とするか。

ダバスバイブル






ダバスバイブル


目を見開いてまわりを見ろ。
多様性なんかこれっぽっちもない。
モノはあふれかえってが、どれも同じ。
われわれの表面もつるっとして包装されて皆同じ。
立ち上って叫ぼう、もうたくさんだと。CEOの奴らがブランディングと叫びぶものは洗脳に過ぎない。
今こそ、こんなトレンドを逆流させるべきだ。