9/29/2007

金出武雄先生


金出武雄先生、


「ものを書くときには、頭の中でセンテンスの最初から最後のマルのところまでつくれ。つくり終わってから、それを一気に書け。それから次のセンテンスにかかれ。それを続けて行け。そうすれば早いし、いい文章ができる」


情報や人を独占していたからだが、インターネット技術によって誰もが最新の情報を入手でき、国際的にも連携できるようになった。


「大企業神話」が崩れ、地方の小さな企業が外国の企業と結んでビジネスを推し進めるようになっている。


「金出君、アメリカで日本人であることを売り物にしないで勝負して来い」

9/28/2007

稲増龍夫さん


稲増龍夫さん、

かつての「若者」は、よくも悪くも、「大人」と対立・葛藤する一つの世代として存在しましたが、今は個人主義が進み、みんな、ばらばらで、一つの世代というくくりでは語れず、「若者」は「大人」に無関心で、自分とは無関係と考えています。

これは縦型社会の崩壊に大きな原因があります。

昔は、豊かさを求めるという点では、みんなに共通の目標がありましたが、今は、それも実現し、そんなに頑張らなくても何とか生きていく道はあり、フリーターでもいいやなどと、生き方が多様化しています。

生き方が多様化し、個性を重視するから、「若者」は他者との比較や競争を嫌います。
それが若者から覇気を奪っている一つの要因です。また、かつては、傷心している他者にはかかわり、いたわることが優しさでしたが、それが干渉しないことが優しさだと変化し、自分も他者からの干渉を嫌うようになります。

全部が自分基準ですから、縦型社会の権威も、「若者」には関係がありません。そのため、今の「若者」は、もはや活字離れどころではなく、縦型社会の権威の一つだったマスメディアからも離れ、テレビすらあまり見ず、携帯電話やメールなど、パーソナルメディアを中心にした横のつながりで情報は伝わります。

また、昔は、若さには、未熟だとか、世間知らずだとか、青二才というマイナスイメージがあり、多くの若者は、早く一人前の「大人」になりたがったものでした。今は逆に、若さは柔軟だとか、何にでも挑戦できるというプラスイメージとなり、「若者」は、若いがゆえに持つその特権を、社会に出た瞬間、失うのではないかと怖がって、「大人」になりたがらないのです。

豊かさを実現した今、「若者」に、かわりに何を目標として与えられるか。
今はリストラや何かと「大人」社会の暗い面ばかりを伝えていませんか。
職業を通して自己実現ができるんだということを、「大人」がもっと言わないといけません。

9/27/2007

脳を鍛えれば今までの10倍うまくいく


『脳を鍛えれば今までの10倍うまくいく/ビル・ルーカス』



脳を正しく扱うための10のアドバイス



1.十分に水分を補給しておくこと。

あなたの脳は、「電気回路」を効果的に機能させるために多量の水を必要としている。



2.定期的に休憩して、身体を伸ばすこと。

脳が十分に機能するためには、酸素を含んだ大量の血液が必要である。立ち上がるだけで、血液の流れが20%も増大する。



3.いつも最初に全体像を示すこと。

あなたの脳は絶えずつながりを作ろうとしている。したがって、最初に全体像を示しておくことにより、細部に注意を向けることを好む人にも、物事の意味を理解したり、特定のテーマに関して自分が知っていることをすべて集めたりするための時間が与えられる。



4.人々に向かって長時間一方的に話し続けないようにすること。

あなたの脳は、一度に一定量の新しい情報しか取り入れることができない。話し手の力量が大変優れているのでない限り、聞き手の脳は20分ほどで停止してしまう。



5.情報を伝える方法に変化を持たせること。

私たちの頭は一人ひとり異なっている。視覚的な情報を好む人もいれば、聴覚的な情報を好む人もいる。また、立ち上がって何かをすることによって情報を取り入れることを好む運動型の人もいる。



6.集中力の持続する時 間についても考慮すること。

流れに乗っているときは仕事を続けると効果的であるが、20~30分ごとに定期的な小休止を入れると頭は仕事を継続しやすくなる。



7.大きな課題はいくつかの小さな部分に分けて、取り組みやすくすること。

いくつかの小さな要素に分解することによって、頭は大きな問題に取り組みやすくなる。



8.ユーモアを用いること。

笑うと、緊張をほぐす働きを持つエンドルフィンと呼ばれる化学物質が分泌されることがわかっている。



9.よりよい成果を出させたければ、恐怖心を与えないこと。

わたしたちの脳は、ストレス下では、生き残ることしか考えることができず、より高度な思考作用が効果的に行なわれることはなくなる。



10.必ず十分な睡眠をとるようにすること。

必要な睡眠時間は人によって異なるが、多くの人にとって、夜の睡眠は7時間以上なければ十分とはいえない。脳が疲労しているとき、脳はうまく働かない。



今から24時間前までを振り返ってみましょう。あなたは、脳の世話をどの程度心がけてきましたか?

あなたは10の簡単なヒントの中で、十分に生かしているものはいくつありますか?

あなたの生活には、どこかアニーの日常と共通している部分がありますか?









意識していないしできない



意識しているができない



意識していてできる



意識しないでもできる









他者を模倣することによって確実に恩恵を受けるための10の方法



1.組織の中であなたが最も尊敬する人々と共に時間を過ごすこと。

わたしたちは、非常に短時間のうちに、身近にいる人々の持つ行動様式や物事への取り組み方から影響を受ける。したがって、分別のある時間の過ごし方をすることはとても大事である。



2.あなたが選んだ仕事の現場の中で、最も尊敬できる人を見つけて、彼らが実際に仕事をする様子を観察できる方法を考えること。

もし、自分の関わっている分野における最高の人々を見習うことができれば、あなたの成功の確率は高くなる。



3.自分の仕事ぶりを改善したいと思う領域を選んで、組織の中でそれを一番よくこなす人物を見つけること。

この種の具体的な模倣は、スキルを改善するための非常に積極的な方法となり得る。

例:会議の司会。フィードバックの方法。



4.模倣するための良い手本と提供するテレビ番組や映画を探す。

あなたの脳には、真似をする特性が備わっているので、脳に吸収させる情報には注意を払わばければならない。



5.尊敬する人々の伝記を読む。

伝記には、わたしたちの見習うべき、成功を招く行動についての洞察が含まれている場合が多い。



6.意識的に、職場であなたが見習いたいと思う人々と昼食を共にする。

わたしたちは昼食の時間を無駄に過ごしてしまう場合が多い。あなたが尊敬する人々と交友関係を持つことができれば、彼らの成功の方程式を発見するチャンスは高まる。



7.様々な分野において、あなたが手本にしたいと思うような行動をとっている人々を見つけて、彼らと交友関係を結ぶこと。

自分とは異なる仮説を持っている人々と一緒にいるときに、有用な洞察が得られることが多い。



8.職場にいる否定的な傾向を持つ人々と、不要な時間を共に過ごすことのないように留意すること。

あなたは何らかの形で、彼らの持つ否定的な傾向の影響を受けてしまうことになる。



9.困難な状況が見事に処理されるのを見たら、そのやり方を書き留めておくこと。

物事がうまく行ったと感じる自分の感受性を大事にすること。



10.あなたが手本にできる人々のネットワークを広げるための、交友と学習の機会を探すこと。

これはあなたが、「あらゆる種類の鳥たちの群れに加わる(フロッキング)」ことができるようにする方法である。



学習が困難になったときに取るべき10の行動



1.今やっていることをやめて、完全な休憩を取る。

2.以前同じように行き詰まったときのことを振り返って、自分が何をしたかを考える。

3.自分にとっての選択肢の概要を示すマップやリストを作る。

4.友人にそのことを話して、彼らだったらどうするかを尋ねる。

5.本を使って、突破口を見つけるのに役立てる。

6.インターネットを使って、答えを発見するために役立てる。

7.何か運動をして、答えが浮かばないか試してみる。

8.行き詰まりを放置して眠る。寝る前に「自分は問題の突破口を見つける」と自分に言い聞かせる。

9.自分が今やっていることを、まったく別の場所でやってみる。

10.もし答えが見つかれば、あなたの仕事の達成に役立つかもしれないと思える質問をできるだけ多く考え出す。







事態が混迷を極めるときに取るべき10の行動



1.心を乱さない。

2.自分に正直になって、自分の最初の目的を思い出す。

3.その状況に取り組む別々の方法を3つ考えて、その中に使えるものがないか調べる。

4.その状況で、実務家や理論家(自分と異なったタイプの人)であればどうするかを想像してみる。

5.別な人が同じ問題に対してどのような取り組みを行うかを、近くに行って観察し、彼らから学ぶ

(他者が見習うことは、不正行為ではなく、知性の発露であるということを思い出そう)。

6.電話をかけたり、Eメールを送ったり、本を参照したりして、その分野の専門家は、この場合に何をするか調べる。

7.あなたがしていることの詳細は知らなくても、常識にもとづいたアドバイスをくれそうな人や、あなたの考え方を変えてくれそうな人に尋ねる。

8.インターネットでヒントを探す。

9.その日のうちに、時間を変えてもう一度その問題に戻ってみる。

10.自分の学習を続けることが正しいことかどうかを、よく考える。場合によっては、それまでに自分が学んだことを振り返った上で、別なことをする方が賢いことがある。









発明とはアイデア同士の創造的な組み合わせ





本当に新しいアイデアというものは非常に少ない。ほとんどの場合、それはすでに存在しているアイデア同士の創造的組み合わせである。



●車というアイデア+鋼鉄の発明+蒸気機関の発明=鉄道

●手紙+ワープロ+モデム=Eメール

●ラジオ+カセットプレーヤー+ヘッドフォン=ソニーのウォークマン

●巨大な書店というアイデア+インターネット=アマゾン・ドット・コム

●何でも最後の最後にならないとやらないという、わたしたちの持つ傾向+ワン・ストップ・ショッピングというアイデア+インターネット=lastminute.com

●大学というアイデア+新しいテクノロジ-=バーチャル・ユニバーシティや企業大学

●「洗濯仕上げ用圧搾ローラー」と「洗濯板」を使った、昔の洗濯の仕方+逆方向に回る2つの桶を備えた最新テクノロジー=ダイソンの最新型洗濯機



MIT(マサチューセッツ工科大学)のニコラス・ネグロポンテは次のように言う。



新しいアイデアは相違から生まれる。それらは、見解の相違や、比較対照される理論の相違から生まれる。



アメリカの詩人ロバート・フロストは、さらに簡潔に、「アイデアは、連想の妙である」と言った。









幸運なことに、より深刻な症状が起きる前に発見することができる、多くの兆候がある。

次に挙げるのは、その一部分に過ぎない。



●怒りっぽくなる

●攻撃性

●過剰防衛

●優柔不断

●集中力の低下

●自信喪失

●持続的な疲労感

●筋肉の緊張。特に首・肩・背中

●頭痛

●消化不良

●不眠症

●便秘

●大量の発汗














9/26/2007

東洋通信/日本に帰るつもりの日本人高校生は?



東洋通信





日本の帰国大学受験では、TOEFL、SATのテストの得点が最重要です。



ほとんどの難関大学では、これで合否が決まるか、合格者の絞込みが行われるかのどちらかになっています。



勿論、この統一テストの成績を提出せずに受験できる大学も、たくさんありますが、それらの大学は、一般的にいうと、あまりレベルの高い大学ではないと言えます。



 



 ですから、もし、ある程度のレベル以上の大学を目指すなら、統一テストを受けないという選択肢はありません。



逆にいうと、できるだけ、早く必要な得点を出すように努力することが、必要です。



もちろん、学科試験の教科を学習することも大切ですが、最も早く対応を迫られているのは、この統一テストの対応です。それは、統一テストの得点は、出願よりはるか前に必要な得点を挙げなければならないという、時間的な制限があるからです。





 統一テストをいつから受けだすのかは、一概にはいえませんが、早いほどよいと思います。



日本の帰国受験では、統一テストを何回受けても、大丈夫です。



よく、3回以上受けるとダメだとか、いう人がいますが、それは間違いです。

実際「東洋」の受験生は、毎年ほとんどが、難関大学に合格しますが、全員が最低でも5~6回以上SAT、TOEFLを受験しています。



特にTOEFLはスコアを大学に送付する際には、特定の受験日の結果のみしか送付されないので、その人が過去に何回受験したのかは、受け取り手には一切わかりません。



SATの結果は、大学に送付されるスコアレポートには、最初に受験した時から、そのスコアレポートを要請した時点までのすべての結果が、一覧になって掲載されます。



ですから、多い人だと10回を超えますが、それでも、帰国受験ではその中の最高点を採用してもらえるので、心配はありません。



ですから、早く受け始めるほうが、よいのですが、何の準備もせずに受け続けても、得点はあがりませんから、単にお金と時間の無駄になってしまいます。





TOEFL、SATとともに、11年生になれば、受け始める必要があります。



10年生の人で早卒しない人は、自分の現在の実力がどれくらいなのかを正確に知るために一度受験してみるのもよいでしょう。



9~10年生の人はまずTOEFLを受けてみてください。



とにかく一度受けてみて、現在の自分の得点力を見てみましょう。



模擬試験などを受けることを宣伝するところもあるかも知れませんが、それは時間の無駄です。



必ず、本当のTOEFLを申し込んで受験してください。



SATは、11年生になったら、10月~12月の間に一度は、必ず受験してみてください。



もし、9月で滞在が6ヶ月に満たない11年生の人で、英語力がまだ充分でない人は、3~6月まで待ってもかまいません。



ただし、それまでに、継続して実力を上げるように学習をしてください。その場合もTOEFLはSATよりも早く受け始めるようにしてください。

 

9/25/2007

守りぬけ個人資産・副島隆彦



守りぬけ個人資産・副島隆彦



 



現金振込みを代行するコンビニ店が増えているが、コンビニのレジで振込用紙を使って10万円以上を振り込んでも、このときは免許証も健康保険証も何もいらない。 なぜかと言えば、「本人確認法施行令」の対象は「金融機関」であって、コンビニは除かれているからである。



 



役所はこうして国民を管理する



①財務省=国税賞庁=税務署による個人と企業(法人)の「納税者番号制度(納番)」



②現在の総務省が握っている、住民基本台帳の11桁の国民一人一人につけた番号(住民票コード)



③経済産業省が持っている、企業活動の全般に対する統制権



④法務省=裁判所=警察庁が持つ権力



このように4つの主要官庁が、国民の管理と統制を行ってきた。ところだこの4つの主要な国家組織による、これまでそれぞれバラバラだった国民管理が、最近、急激に統御され、統一されつつあるようなのである。そのことが真に警戒されなければなないことである。



金融統制官僚たちは、「正義のふりをした法律の山」を使って私たちに襲いかかっている。



 



どうせ自分は戦争に行かないですむ、自分は死ぬことはない、と思っている人間たちのいやらしさは、今のアメリカ国内にも充満している。イラク戦争の戦場にまで行って死ぬ危険と向かい合うのは、どうせ軍人と持て囃される、その実、戦争土方でしかない者たちだ。



この冷酷な現実は十分に知ったうえで、私から教えておきます。戦争経済が本当に恐いのは、戦場には行かなくてもいい後方の人間たちにも、「国家総動員令」とともに、金融統制や身体検査が待ち受けているということなのだ。



 



金:これがこの先5年(~2012年)くらいのスパンで見た場合、1トロイオンスあたり2000ドルがあっても不思議ではない。日本円にすると1グラムで約6000円である。金はこれかれらも高騰してゆくだろう。



 



4大銀行の不良債権処理は完了したとされるが、地方銀行の処理がまだ続いていると言われている。地方銀行にとっての最大のお荷物(不良債権物件)は、全国各地の温泉地であり、そこに建っている10階建てなどの豪華な温泉ホテルである。



 



これまでに税務署にひどい目に遭ったことのある資産家や投資家や経営者たちは、勇気をふりしぼって、難儀であることを覚悟して、どんどん国税庁と税務署を裁判に訴えるべきである。「税務署を相手に裁判をやっても(争っても)どうせ勝てない」 などと、根性なしの泣き寝入りの態度でいるから、国税庁の役人(税金官僚)たちがつけあがるのである。これこそまさしく究極の個人資産防衛である。私は、そんな国税庁からの嫌がらせにはひるまない。



 



「人材派遣業」という名の職業紹介・斡旋業は、他人の労働賃金をピンハネして汚らわしい利益を出す手配師の業であって、人身売買や奴隷労働につながるものである。労働法という法律を少しでも勉強したことのある人なら分かることである。「職業紹介・斡旋業」は原則的に禁止されなければならない。



 

9/24/2007

一回性の人生/梁石日



『一回性の人生/梁石日』。壮絶な人生を送っている人の言葉は説得力あるね。





管理社会はまだ、真実を大いに隠すシステムである。一種の思考停止状態であり、自分がいま行っている行為が何を意味しているかを自己判断する能力を奪われ、ひたすら没個性的な人間になることを要求させられる。何かに帰属したい。寄らば大樹の陰。

 

人間は本来、他者との関わりなしでは生きていけない。

 

親に米国型の個人主義の習慣がないのに子供にそのような個人主義が育つはずがない。身体の空洞化

 

人生には無駄な時間は不可欠であり、若ければそれだけ無駄な時間が多く過ごせる。無駄のない人生ほど無味乾燥な人生はない。

人生を豊かに過ごすという事は、社会の出来事にもっと関心を持って積極的に関与していく事だ。

ここでいう豊かさはただ単に物質的なそれを言っているのではない。

今の若者が失敗を恐れるのは、そんな豊かさの中で親から失敗への対処法を学ぶ事もなく、親も教える必要がないと思ったせいかもしれない。

 

傲慢と卑屈は裏と表の関係にある。

権力を持てばどんな人間も傲慢になる。権力もないのに傲慢な人間は、自分を錯覚して勝手に肥大化させているだけだ。本当の自分は十しかないのに、百くらいに肥大化させる。他人に対して傲慢な態度を取りながら、実はちっぽけな存在である事が分っているので、その裏に卑屈な心が生まれるのである。

 

文化を育てない経済は衰退していく。文化を育てる事が、とりもなおさず経済の活性化につながるのだ。蒔かぬ種は生えないのである。目先の利益だけを考えて長いスタンスでものを考えない経済人が多すぎる。

 

自分を信じる事は必要だが、自分を錯覚する事は危険である。

 

人間はどうしても楽をしたいと考え、楽なほうを選ぼうとする。だが、今楽な道を選ぶと、その分だけツケとして人生の後半にのしかかってくるのだ。人生のツケを先取りするのは至難の業だからだ。

 

物事は全て相対的なものであり、強い姿勢をとればとるほどその内部では益々大きな不安が膨れあがってくる。

きわめて不確かな未来を前にして、もっと一人一人がじぶんのこととして日本の進むべき道筋にたいしてはっきり声を上げて意見を言うべきだ。

 

金でなんでも買えるようになると、金は人間の欲望と切っても切り離せないものになっていき、権力とも密接につながっていった。

 

金は人間の感情や理性を全てさらけ出し、その人の人格がみごとに反映してしまう。そして、人生を左右するほどの力を持っているのが金だ。

金を儲けた人間は世の中にいっぱいいるが、金を持っていても使い方がわからない人がいる。金に対して強い執着心を持っている人である。「金持ち」といわれる人にこのようなタイプは多く、金儲けそのものが目的化しているのだ。

 

だいたい金儲けをしている人間は俗物なのである。きれいな手のままで金儲けした人間などいないと私は思うし、必ずどこかで手を汚している。一度汚してしまった手をきれいに洗う事などなかなかでくるものではない。

 

「おまえはこれまで友人に何かをやってあげたことあがあるのか」

やはり友情とはお互いに熱い思いがあり、相手のためなら一肌ぬいでもいいと思わせる関係でなければないだろう。互いの資質を認めて評価しあい、受け入れることができなければ友情は成立しない。

親友の付き合いはお互いの生い立ち、性格などを把握してないと成り立たない。利害関係があるかないかはともかく、親友と呼べる友人が一人もいないというは寂しいものだ。

 

土壇場まで目の前の厳しい状況と戦い続けるのはなかなか大変であり、それで事態が好転しないともう逃げる術がなくなってしまう。そうならないためにはたたかいながらもどこかで楽観的な心を持ち、いくつかの退路を残しておくのも必要な事だ。それも複数の退路を残しておく。要するに柔軟性ということである。

 

僕は荷物になるものを一つずつ捨ててきた。肉親、虚栄心、金、書物、最後の砦だったなけなしの自尊心までどぶに捨てた。お陰で身軽だ。いまや何の未練もない。

 

人間はいつかは労働と真剣に向き合わなければならない。働くということは人生そのものであり、人間はさまざまな職業で生きる糧を得ながら生涯を送る。

労働の喜びは創る喜び、達成する喜び、自分の能力を確かめる喜び、社会に貢献する喜びである。

 

若い人たちの中には、企業に勤めながら、音楽が好きであれば仲間を募ってバンドを組み、仕事がオフのときに演奏活動を展開するなどの動きも見え始めた。若者世代が生き方に対して幅広く考えるようになってきたことはいいことだと思う。企業の中での労働に埋没して思考停止状態に陥るのを避けるためにもこのような考えは必要なことだろう。

 

倫理観、道徳観などは権力側が自分達に都合のいいようにつくってきたものだ。

人間性というものは人生の中で絶えず崩壊したり再生したりするものである。一貫して人間性を貫き通せる人は極めて少ないし、とかく過ちを犯すことが良くあるのが人間なのである。

 

人生の時間は絶えず再生の可能性があるのだから、本当にやりたいことがあればいったんは捨ててもまた再開できるはずだ。そこに新たな可能性が生まれる。

自らの運命に楔を打つことは、時代の流れにあえて逆らうことである。いいかえれば、流されていく自分を流されていないようにすることである。

 

自分の過去や記憶を自信に都合よく拡大解釈してしまうと、他者に対してきちんと向き合う事ができかくなる。そうならないためには自分や自分を取り巻く社会などあらゆる物事に対して、常に等距離でみることのできる批評精神を養うことである。

 

人間の意識の変革は簡単にはいかないものだ。自分では変わったつもりでも、本質的に変革をとげるのは至難の業である。

 

 

 

 

 

9/23/2007

上田紀行「生きる意味」



上田紀行「生きる意味」岩波新書より。



 



私達が求める「強さ」とは、もっと包容力のある強さである。



大人の成熟した強さ、それは自分の強さも弱さも知った、もっとしなやかな余裕のある強さであろう。





そして、不安と恐れから行動を発する生き方ではなく、自分自身と社会への信頼に満ちたおおらかな生き方であろう。

人間の「生きる」意味は学歴やテストの点で決まるわけではない。



周りからは成功者と思われていても、本人的にはあまり面白い人生を生きてないと思っていることはよくある。

それは人生に「創造性」がないからだ。





小さい時からずっと「いい子」をやる続ける。「どうやったら儲かるか。」をやり続ける。



その事に成功し、周囲からは何一つ不自由していないと見られても、自分の人生に「内的成長」や「創造性」を欠いてしまっていれば、私たちはどこか空しさを感じ、「これでいいのか?」と自問してしまうのだ。



私たちの社会はもはや物質的には十分豊かだ。いま真に求められているのは、生きることの創造性、「内的成長」の豊かさなのである。





[ワクワクすること」「生きてる!という感覚」は、私たちの「生きる意味」の中核である。

それはまさに「生命の輝き」を実感する一瞬であり、私たちが自分自身の「生きる意味」の創造者となる一瞬である。

そしてそれは私たちと世界がどのような「愛」でつながっているのかを実感する瞬間でもある。



私たちが苦悩している時、困り果てている時、その苦しみの声を聞いてもらった体験は、確実に自分自身と世界への信頼を深めるものだ。

世界は私の声を聴いてくれるという実感を持つ人は、その世界を破壊しようとは思わない。

自分の苦しみ、弱さを深く受けとめてもらった経験を持っている人は、人を傷つけたりしたいと思わない。

「いい子」の若者が突然キレて人を傷つけるのは、「いい子」を演じ演じさせられる関係の中で、自分の苦しみの声が聞き逃されてきたからであり、それは決して突然の出来事ではない。

表面の体裁を整えることばかりで、私たちの深い苦しみが受けとめられない社会は、むしろ暴力が噴出する社会となる。

表面上が妙に明るいだけの社会は、裏に大きな闇を抱え込む。

一見ネガティブな声を表現してもいい社会、そしてそれが聞き届けられる社会こそが、信頼を醸成する社会なのだ。