9/15/2007

現代版 食物養生法



現代版 食物養生法 鶴見隆史



 



「血の汚れが病気の元凶であり、そのおおもとは腸の中での腐敗であり、腐敗した時はその毒素がろくな血球をつくらず、また、血漿を汚し、血管壁までもベタベタにし、その結果、肝や腎その他の臓器に負担をかけ、アレルギーを起こしたり、さらに筋肉や骨にまで悪影響を及ぼし、同時にホルモン代謝や自律神経に悪影響を与え、様々な病気につながっていく。そして血の汚れのもとは悪しき食物である」





○食事の質は健康を大いに左右する

○食事の摂取法も健康に大きく影響する(食べる量、噛み方、回数、夜食など)

○食物には血液をきれいにするものと血液を汚すものとがある

○概していわゆるおいしいものほど血液を汚す傾向にある。おいしいものは酸性食品が多い

○血液の質の良さ悪さは、組織の質に影響する

○食事を正すと血液はきれいになる

○血液がきれいになると、病気は治っていく





「土壌が腐れば木は枯れる」ということは、人間なら腸の中が腐れば病気になる、ということを物語ります。実際、東大の光岡知足先生などは、腸に腐敗菌が多くなると病気になることを指摘しています。



 



桜沢(「マクロビオティック」の原点 桜沢如一のこと)の唱えた食事の基本的な考え方は次のようなものです。

①玄米、栗、ひえ、きび、そば、葛を主食とする。

②おかずは、ごぼう、人参、レンコン、ねぎ、玉ネギ、ごま塩など主食の四分の一以下

③味付けは塩と油が一番いい。油は、ごま油、菜種油。塩は自然塩。味噌、醤油は天然醸造のものを使う。

④なるべく加工食品を食べない(つくだ煮、福神漬、缶詰、かまぼこ等)

⑤小用一日四回以下に水分を控える。

⑥一口(一〇グラム)を少なくとも三〇回噛むこと(病気のある人は、五〇回以上一〇〇回でも二〇〇回でもいい)一日二食。少食。体を動かす。



桜沢はこれを「基本食」といいました。そして、この基本食を一ヶ月続けたら、必ず次のような生理的変化が起こると強調したのです。



○頭がすっきりしてくる。記憶力がウンと冴えてくる。

○疲れがなくなり、かぜをひかなくなる。根気がよくなる。

○夢を見なくなる。朝早く目がさめ、いねむりをしなくなる。睡眠時間は六時間で十分になる。

○判断が早くなる。実行力が大きくなる。、作業能率がグッと上がる。





なぜうまいもの、おいしいものがいけないのでしょうか。なぜ食べすぎてはいけないのでしょうか。何度も述べましたように、それは「血が汚れる」からです。





うまいものが身体に悪い。食べすぎが身体に悪い。それはある面では事実です。後者はやはり、どんなことがあってもダメです。食べすぎて良いことは絶対にありません。



 



『玄米を手軽に美味しく食べる本』(高畑康子著、ペガサス)





われわれが生きていくのに必要最低限量以上の食物を身体の中に入れた場合、これが老廃物、余剰物となり、病原菌がはびこるための餌になる。





牛乳は人間にとっては不向きであったということです。カルシウムが多い、栄養素が多い、ビタミンが多い、だから牛乳を摂ると健康になる、それを摂ると背が高くなるなどといわれ、世の中に広まったのは戦後になってからでした。ところが、その最大のうたい文句であったカルシウムの量の多さということが、決して良い骨をつくらないということがわかってきたのは最近です。





カルシウムの供給源として欧米人は牛乳を摂り続けてきました。一日に一リットルも二リットルもです。ところが飲めば飲むほど骨がボロボロ(骨粗鬆症)という現象が出てきたのです。北欧ほど牛乳を飲んでいるところではないそうですが、この北欧の人たちくらい、骨粗鬆症に悩まされているところもないそうです





牛乳の欠点を列記すると次のようになります。



①カゼインタンパクであり、消化不良を起こす

②牛乳のタンパク質は分子が小さく直接血中に吸収されるものもあり、アレルギーのもととなる

③人間の脳の発達に必要なビタミンBとリンが非常に少ない

④タンパク質が多くかつ消化しにくいため腸内腐敗を起こしやすい

⑤マグネシウムが少なくカルシウムばかりが多いため、牛乳を摂ると動脈硬化→高血圧→不整脈→心臓病を起こすもととなる。その他のカルシウム過剰による弊害も、いくつも起こる

⑥自然な免疫力が母乳にはあるが牛乳にはない(IgAなど)

⑦ラクターゼという乳糖分解酵素が日本人は少なく、消化不良を起こしやすい

⑧粉乳には三〇品目の食物添加物が含まれており、さまざまな副作用の併発のもとなる

⑨牛乳のタンパク質と脂肪が血液粘度を増し、高脂血症のもととなる

⑩牛乳の脂肪は飽和脂肪酸が多量に含まれ動脈硬化のもととなり、脂肪の量の多さが乳ガン、大腸ガンなどのもととなる

⑪牛乳は視力低下を起こしやすい(宮崎大島田教授)

⑫粉乳となったものは大きく酸化している





朝はしっかり摂らないほうがいい。もし摂るなら非常に消化が良くてミネラル、ビタミンの多い果物とリブレスープを摂るのがベスト。



(1) 朝、目覚めてすぐは、内臓その他の臓器がしっかり活動していない身体がよく活動をし始めるのは起きて三~五時間経ってからです。それゆえ、目が覚めてすぐ栄養のあるものをしっかり摂ったらただただ内臓(胃腸のみならず肝、腎、心まで)は疲れ果ててしまいます。そして、ホルモン系も自律神経系も異常をきたしてしまうことになります。



(2) 日本人は長い間一日二食であったので、朝に食事を摂るのは体質的に合わない



(3) 中国では、時間と病気(経路)の関係が明記されてる。



(4) 一日二食であることにより、胃と腸と肝その他の臓器の休息につながる



(5) 西式健康法の西勝造の実験結果より





一、少食―断食、半断食をしばらくする(次項のファスティング・メニューを参照)。

二、タンパク質を少なく、穀物菜食(特に生野菜・煮野菜)、味噌汁、漬物、果物中心。

三、良いお茶、良い水をしっかり摂取する。

四、マイナス思考を持たない、積極思考を持つこと。

五、酵素のたっぷり入った食事をいつも摂る(つまりは生野菜摂取と果物摂取あるいは酵素サプリメント)。





 

9/14/2007

断眠


断眠 山田鷹夫



一食で三時間の睡眠が必要であると聞いた気がする。

それが心に残っているけれど、それを更新したいと思う。

一食で二時間の睡眠が必要となる。つまり三食では合計六時間の睡眠が身体に必要となる。

ステップアップして、二時間睡眠の道に突き進むには今の食事量をなくす以外にない。





眠っていながら起きているという、その状態が夢だ。

起きていながら眠っているという、それはどう言ったらいいか、ぼんやりとしているときがそれだ。

起きているのだが、意識がない状態だと言えばいいか。意識がどこかに飛んでいっている。

僕が単純作業が好きなのはおそらくそこに理由がある。単純な作業をくり返していると、たとえば掃き掃除だとかでひたすらホウキを振って広い床を掃いていると時間が飛ぶというか、時空が消える。

意識がなくなるということに気がつく。





もし身体の負担や疲れを消したいと願うのであれば、一つ勧めることがある。

眠る前には胃を空っぽにしておくという習慣を身につけるということである。

できるならば夜食はもとより、眠る三時間前には食事をとらないほうがいい。

なぜかと言えば、あなたの意識が休んでいると思うだけで、身体は少しも休めていないからだ。

胃に残った食物の消化のために、あなたが寝入っても身体はせっせと働きつづけなければならないからで、身体は休みになっていないのだ。

休んでいると思うのはあなたの意識でしかない。睡眠を一番左右するのは食物だからだ。



眠るということと、食うということは深いつながりがある。表と裏である。

食うということは眠るということで、眠るということは食うと同義であると言える。

一般的にはそんなふうには意識していないが、そうである。

眠るために食べるという言い方ができる。食べなければ眠らない。食べなくなれば眠る必要はなくなる。

眠らないためには、食べなければいい。単純な真理である。

だれも信じられないだろうが、僕にはそれがわかる。

不食というアホな実験をした者だからそれが見える。

断食体験者であるならばそのことを知っている。



不食の会:http://www.taka45.com/fushoku/




9/13/2007

不食のすすめ


「不食のすすめ」という本。変わった本だけど、興味深い内容。
以下、赤線引っ張った箇所を示します。どんどん哲学的、印度りんご的になる自分を制御出来ない、と。


水野南北は、遊郭に遊ぼうが何をしようが、何をしてもいい、ただ一つ食だけは節制するようにと、この一点にすべてがかかっていると言った。
今の日本にはその警告を発する者がいない。

個人でも国家でも食を節しないものは、滅ぶ。
合併だとかは些末なことだ。
根本である食を改めることのほうがはるかに優って重大であるのだ。
だがだれもそういう警告を出す者はいない。
異論を吐く者は巷にいない。
今の社会は食という欲望の怪物にからめ取られている。
何重にも封鎖されてしまっている。こ
の包囲網から、食欲構造から、人間は、日本人は脱出できるのか。
それだけが問題だ。


物質の歓びは頂点に達した、そこに幸福はなかった。
ではその体験を生かして、新しい山に向かおうというさらなる進化の道に踏み入ろうという代替の提案だ。
没落を歓迎したい。
達成の後には降下があって当たり前だ。
成功の連続では感激は薄れる。
失敗や没落は長い人生のスパイスになる。
繁栄だけの人生は底が浅い。
対極をも味わって究めてこそである。
半世紀で貧乏から、繁栄の頂点に達した。
再び没落するのもいい。
だがその没落の流れの中で新しい流れを形成する。
過去の歓びとは対極にある歓びに自らの意識と生活をシフトする。


9/12/2007

オシムの言葉






オシムの言葉





間瀬秀一は
「行く国、行く国、貧しい国。行く先、行く先、苦しい場所。ツテもなくて2部とか3部ばっかりで、スタジアムも小さくて環境も悪いわけですよ。住むところも食べるものも貧しいわけです。で、サッカー辞めようかなと何回も思った。でもそこのチームメイトと同じものを食べて、同じ生活をするうちに見えてくる。俺がこんなに苦しいってことは、そこの国の人、みんな、苦しいわけです。彼らに愛着が湧いて来たんです。どんな環境であろうが、そこに人が住んで生活を営んでいる。1部でも3部でもやることは結局同じサッカー。
人生なんて、みんな、価値観、それぞれ違うわけじゃないですか。サッカーなんてどうでもいい、サッカーなんて嫌いな人だって世の中にいるわけです。でも自分はサッカーを好きで、こととん追求することができた。代表になれたわけじゃない。サッカーで大金を稼いだわけでもない。それでもね、確かに自分は貫いたという自負があります。」





夢ばかり見て後で現実に打ちのめされるより、現実を見据え、現実を徐々に良くしていくことを考えるべきであろう。





攻めるべきかどうかということは、人生の哲学とも関わっている。プロの世界だから結果は大事。内容が良いかどうかよりも、やはり勝ち負けが注目されるし、それがプロでもある。そういう意味で、人生の哲学と関わってくるのではないか?
私が思考するのは、観客やサポーターはいったい何を望んでいるのか、そして何が目的なのかということだ。サッカーとは攻撃と守備から成り立っているもの。その要素の中でいろいろな方法論をとることができるが、私としては、いる選手がやれる最大限のことをして、魅力的なサッカーを展開したいと考えている。そういうサッカーを目指すには、リスクが付きものだ。しかし、現代サッカーがビジネス化し大きなお金が動くからといって、そのリスクのほうを狭め、大きなお金のためにサッカーを展開し、ほとんどの試合が0-0になったらどうか?もちろん、いいサッカーをしても0-0の結果になることはあるが、それはまた別の話。観客が満足するようなことに挑戦することこそが、大切なことだと私は思っている。
全ての監督が大きなプレッシャーを感じている。ほとんどの人たちが、試合の内容よりも結果に注目しているわけだからね。やはりチームが負けないようなサッカーを監督は選択していくだろう。ただそういうことを続けていたら、残念ながらいい内容の試合は展開されないだろうね。










9/11/2007

行列のできる店はどこが違うのか




行列のできる店はどこが違うのか/大久保一彦



#1行動の9割は無意識



あらゆるものが成熟した日本の市場において、この差は「商品の違い」でないことは、みんながうすうす感じていると思います。しかし、どうしても商品に固執してしまう。状況が悪くなればなるほどその傾向が強くなります。



味は嗜好性のある要素であり、人それぞれ好みが違います。例えば、塩加減などは生まれ育った環境で違います。生活水準が高く、文化的な生活を送る家庭で育てば、塩加減は穏やかになります。その反対に、夫婦共働きで、時間に追われて生活をすると塩加減が強くなります。なぜならば、サラリーマンやOLのランチタイムは非常に短く、短時間にお腹を満たさねばなりません。おのずと無意識のうちにインパクトのある味を求めるようになるのです。私は、堂々、「貧乏人はタレを飲み、塩を食べ、裕福になって時間を食べる」と言っています。



店というのは売上が上がった時点から本当の商売が始まります。



ラーメン屋で味のインパクトを出す場合、化学調味料を増やすのが常套手段です。人間は舌と体のふたつで塩分を感じます。舌と体です。


しかし、 化学調味料を塩とブレンドするとこのブレーキの利きを甘くするようで、舌で「しょっぱい」と感じるポイントをずらしてしまいます。



インアンドアウトバーガーでは創業以来裏メニューがあったそうですが、もしそうだとするとインアンドアウトバーガーは商売の天才です。


なぜか。まず、メニューをシンプルにすることで生産性を高め、仕入れ効率を高め、高品質のハンバーガーとどこのハンバーガーチェーンよりも高い賃金とを実現しています。おいしさとサービスで評判になる。



売込みを意識させるのとさせないのでは、逆説的なことに、意識させないほうのが良いのです。


「新宿さぼてん」はアルバイト、パートで店を運営しています。したがって、販売スキルは低いです。そこで私は、袋や箱を作ったり、スタンプカードにハンコを押したりと手空きのときの作業を考えました。これによって販売スキルの低いスタッフでもお客さんを店に引き込むことができます。従業員に動きを作ることで、ショーケースの前に立ちやすくなり、売れる環境になるのです。



開放度とはお店が道路に対してどれくらいオープンかを表します。入り口にキュウリやトマトなどの野菜をザルに載せているような八百屋さんは開放度が高いといえます。開放している度合いが高ければ境界線を意識しませんので、お客さんは入りやすいと感じます。


次が透視度です。飲食店などは、一般的に外気を遮断するために八百屋さんのようにはオープンにしません。その場合、入りやすさを出すために、入り口などをガラスにして中が見えるようにします。そうすると入りやすく感じるわけです。どれくらい中が見えるかを透視度といいます。


最後に深度です。お店が奥まっていると一般的に気取った印象を受けます。この奥まっている度合いを深度といいます。料亭などは、塀があって中が見えず、おまけに入り口が奥まってます。ですので、とても入りにくい印象を受けます。逆に、町の八百屋さんは入りやすい印象を受けます。これをうまく調節するとお客さんの無意識に感じる入りやすさをコントロールできるのです。ドラッグストアは入り口にティッシュやトイレットペーパーをおきますね。まるで万引きされそうです。でも、この万引きされそうな環境が大切で、万引きされそうというのはお客さんに境界線を感じさせないのです。



東京の港区の人気のあるレストランでは、「お客様、○と△と□をお選びですと、お二人様では量が多すぎると思います。□を次回のお楽しみとされたらいかがですか?」と、お客さんの注文のしすぎを防いでいます。なぜかというと、料理を残された場合、量が多いことを知らない一見さんの場合、まず、「不親切な店だな」と思われてしまうからです。そして、もうひとつが、無意識にすごしている限りは予算を超えないようにすることによって、お客さんの価格に対する満足度が高まるからです。



売上の構造を説明する時に、「売上=買い上げ単価×客数」という公式を使います。その考え方に従うと、売上を上げるには買い上げ金額を上げるか、客数を増やすしかないことになります。あまりお客さんが増えない成熟の時代、どうしても新規客が増えそうに思えませんから、来店されているお客さんから売上を搾り取ろうとしています。経営者は「なかなか手が伸びないこの商品、買ってくれたらなあ」こんな事を考え勝ち。しかし、これが、より一見さんしか来ない商売にしてしまうわけなのです。


では、単価をアップさせる方法はないのでしょうか?もちろんあります。それは、自分、すなわち店とお客さんの両方を進化させるのです。進化とは、文化の度合い、分かりやすい言葉で言えば価値観の水準の向上です。



人間は幼少から育った環境で、生活習慣や文化を身につけます。



人間は安定を得ると新しい文化を理解するようになることがあります。ですから、私は、無意識のうちに新しい世界に接する機会を積極的につかもうと行動してきました。



文化を創るには自分自身にその文化が必要です。それは文化の階段を上がるには、道案内するガイドが必要だからです。自分自身に文化がないと、誰かに依存しないといけません。自分の体験以上にお客さんを感動させることはできません。


ですので、単価アップは自分のためにも大切なことです。そのためには、自ら進化し、文化発信できる立場になり志が重要なのです。



売上=新規客の売上(客単価×客数)+その後のお客さんの利用の度合い+その後のお客さんと自分の成長




#2常識は時代の産物



良い商品開発には、経験曲線のメリットを享受できることが必要です。分かりやすく言うと、売上に比例して増える経費、すなわち変動費を増やさず、かつ、そもそもかかる経費、固定費も増やさないで、経費と増えた売上のギャップを作る商品を開発するのです。



「おいしさがあれば繁盛する」これは食を扱う誰しもが持っている常識です。しかし、あらゆる食べ物が身近なところで手に入る今の時代では、この「おいしさ」という言葉の前に「卓越して感動に値する」という前置きがあってはじめて成立する話なのです。



#3強みではなく弱みで勝負



鮮度が重要な文化というのは、必ず上から下に流さないといけないのです。


ですので、店というのはまず、今までにないものは、新しいものに敏感な文化のある変わり者に流さねばなりません。そして、その人たちに文化発信する楽しさを十分堪能してもらい、優越感に浸ってもらいます。このプロセスで口コミが浸透し、文化として根付いていきます。


繁盛店作りの最初のポイントで、消費者全体の中では変わり者のお客さんの口コミを通して、世の中でおいしいものという常識になっていけな繁盛店は容易にできるのです。



二流店はよさそうなもの同士を組み合わせ、一流の店は意外なものを組み合わせるのです。



一般的に弱小企業や新参者はいいスペースをもらえません、悪い条件下で、数ある埋もれた商品の中から、お客さんの目に止まり、選んでいただくことまでをデザインの中に落とし込まなければならないのです。これは重要な販売術で、ヒット商品には欠かせないポイントです。



自分の知識の基準を相手に押しつけるのは難しい。ここではまず、待つことが大切です。お客さんが新しい文化を取り込むには、加えてタイミングが重要です。早すぎても遅すぎてもよくありません。



今の消費者は、より選択肢が多い場所を選ぶ傾向があります。それは、「その街に出ればなんとかなるだろう」と思って外に出る今時の若者の深層心理を如実に表しています。このタイプの「とりあえず客」は目的意識がありませんので、すぐ忘れてくれるという良さがあります。



#4脚本+演出+役者



『神話の法則』(クリストファー・ボグラー著)という脚本家のマニュアルのような本があります。この本には脚本作りのセオリーが書かれており、ハリウッド映画、特にディズニーなどはストーリー展開においてこのセオリーを踏襲しています。例えば、この著者は、ストーリーの展開は次の12ステージになっていると述べています。


1、日常の世界(映画の始まり方、子供同士が遊んでいるシーンから入る)


2、冒険への誘い(たんすの中に別世界への入り口を発見)


3、冒険の拒絶(誰かにその入り口へ入ることへの恐怖が湧く)


4、メンターが現れる(見知らぬ世界への準備をさせる)


5、第一関門突破(冒険に踏み出し何らかの成功を収める)


6、試練、敵対者(なんらかの成功を収めるとやっかみなどの試練が発生する)


7、もっとも危険な場所への接近


8、最大の試練


9、報酬(第二関門の突破)


10、帰路(この時点でヒーローは完全に危険な状態から脱しておらず、どんでん返しが待っている)


11、復活


12、宝を持っての帰還


この展開を頭に入れて映画を観ますと、いかに多くの作品がこのようなセオリーで進行しているかがわかります。



高級ワインを楽しむことは、歴史を受け継いだ過去と今と未来を結ぶ共有できる価値観を楽しむ文化なのです。文化度がなければ、価値観を感じないのです。ワインのつくり手や関る人は必ずしも、単に儲けを考えて事業としてやっているわけではなく、文化の伝道師というミッションで日々携わっている人も多いのです。



#5ビジネスと人生設計



店の命の源は活気です。明日や先のことなど、何も余計なことは考えず、ただ目の前のお客さんを喜ばすために必死にいろいろなことを考え、その瞬間を繁盛店のスタッフだと思って演じきってもらわないと店は繁盛に導かれないのです。



「あなたが一年以内に行くようになった店で、三度以上行った店はどれくらいありますか?」



「今までお客さんがまた来ないという視点でみたことがありませんでした」



「料理人よ故郷へ帰れ、そして故郷の市場に行き、故郷の人々のために料理を作れ」


商売人にとって大切なのは自らを育んでくれた故郷にあるのではないでしょうか?その縁のあった故郷を豊かにしてこそ、自分の生きていることに対しての恩返しができるのではないでしょうか。



9/10/2007

海外留学の理想と現実




海外留学の理想と現実・浅井宏純



日本人にとっての国際性というのは、国際人的な意味で使われるのだと思いますが、もっと広い意味で使われる国際性というのは、主に国益なども含めてた、他国との違いということです。つまり、国益や文化的な意味での対立を前提にした、異文化へのコミュニケーションだそうです。現実にはそういう意味の方が強いのでしょう。



留学することが国際性を直接に育てるとは思いませんが、日本にいるよりは、留学することで早くから自然に外国人と触れるので、意識は国際的に変わるでしょう。繰り返しますが、日本人が日本人であることがとても重要であり、日本人であることが、すなわち国際的に貢献できるのを忘れないでください。



アイデンティティが育っていないのは、家庭での日常生活や日本の学校教育のなかで、誇り高い日本の文化が教えられていないからです。留学することで、日本にいる家族と日本により興味を持って、自分の文化を育てていく学生がいる反面、留学して根無し草になる学生がいます。彼らは、現地で知り合って友だちになった外国人から影響を受けやすく、彼らの文化に染まるのです。



もっともよい対策は、親が待つことです。気になっても、少々子供が苦労していても、放っておくことです。考え方の違う異文化に、子供が留学しているのです。親があれこれ自分の(日本での)考え方や知識でアドバイスしないことです。


遠くにいる親より、知覚の他人。子供には、離れた日本にいる親ではなく、留学先でお世話になっている身近な人、先生やホストファミリーや友だちに相談するようにさせることです。本人から相手に悩みを伝えることで、必ずうまく解決します。



「好きなことをしなさい」「好きなことを見つけて、一生の仕事にすればいいのよ」といって育てらている子供は、思考に柔軟性がなくなります。「(よい大学、よい就職のために)勉強さえしていれば、あとは好きなことをしていいのよ」というのも、根は同じです。そのようにいわれ続けて育てば、自分の希望を大切にするがために、人のアドバイスを聞かなくなります。好きなことをするためにはリスクがあり、したくないこともしなくてはならないことを教えておかなくてはなりません。


大人になったら「人の役に立つ仕事ができるようになればいいね」といって育てられた子供は、人のためなら人が嫌がる仕事にもチャレンジできるのです。その方がどれだけ可能性が拡がることでしょう。



私が3人の娘をすべて中学留学させた理由は「子供を自立させる」ためです。私は、「自立」が教育の役割の一つ、留学が自立の芽を育てる最高の手段だと、経験上、確信しています。だから、娘たちを旅に出して、他人の釜の飯を食べさせること、外国へ一人で行かせて、言葉の壁を乗り越えて、厳しくも楽しい学園生活をさせました。外国から親のこと、姉妹のこと、友だちのこと、日本のこと考えるきっかけを与えてあげたい。また、一度、日本の教育システムから外すことで、日本に戻っても、子供たちが自分の将来は自分で決められるような、逞しい想像力を身につけさせたかったからです。



「留学とはお金を出して、苦労を買いにいくもの」です。親の庇護から離れて精神的に独立し、日本での価値とはまったく違うものを学び、他人の気持ちをわかってをわかってあげらるように成長していくところに、留学生活の本当の意義があるのです。苦労を買おうとしないようでは、とうてい夢など追い求めることはできないのです。



感謝できない子は、日本ではいつも親に守られていて、欲しいものをなんでも与えられていたように感じます。高校生なのにとるべき責任が取れない。高校留学はもはや親の責任にはなく、自己責任なのです。



18歳くらいには、人生を自ら選ぶ能力を身につけて欲しい。だから旅(修行)をさせるのです。かわいい子には旅をさせる。旅行とは違い、旅には危険がつきものです。問題に直面したら、それを自らで乗り越えさせるのです。正しく生きることが社会への貢献です。そのうえで、夢大きく、志高く、世界のために日本のために活躍できるリーダーにも育って欲しいと願ってしるのです。



留学は日本では知り得なかった人々との出逢いと感動があります。感動は人を動かし人生を変える原動力ではないでしょうか。子供も大人も、留学体験をして初めて身につくことがたくさんあるのです。


遠藤周作は昭和25年、留学先のフランスへ上陸する直前に「ぼくはすべての独断を今日から捨てよう。すべてのものを新鮮なままで受け入れていこう。そして、より善きもの、より美しきものをこの国の中に探っていこう。自分をたえず支えるものは、誠実であり、真実に対する勇気であることにしよう、ぼくはそう考えました。」(『ルーアンの丘』)と決意を述べています。アレもコレも欲しがらなければ成功を手にすることは簡単なのです。なくすものなど何ひとつありません。勇気を持って新しい一歩を踏み出してみませんか。何はなくとも「夢はでっかく、根は深く!」です。



外国で成功するために重要なことは?


・偏見のない開いた目と冒険


・自信を確立し、外交的な性格を得、他の人たちと関係を得る能力を持つことです


・新しいやり方を学ぼうとする意思です。学ぶ意思と願望、これを持っている生徒、そして指示に従おうという意思がある生徒は海外でうまくやっていけるでしょう


・海外で勉強することに誠実でなければいけなせん。柔軟で態度を適応させることができ、他の人に対し開放的で親しみやすくなければいけません。また、異文化は生活スタイルに対し準備が整っていなければいけません。そうでなければカルチャーショックは大きすぎます


・異文化に対して、考えを広く持つ必要があります。物事に対して柔軟で、もっとも重要なことは、経験に対して前向きな態度が必要です。このような生徒は最適に対応でき、経験から最大のものを得ます



9/09/2007

正しい意思決定の五条件




「正しい意思決定の五条件」とは、



つぎのとおりです。

①やりたいこと・楽しいことをやる

②自信のあることは、やってもいい

③自分のためだけのことではなく、世のためになること

④責任がとれること

⑤恨まれることはしない


たかのしれた社会



たかのしれた社会


(タオ・老子【原著】加島祥造【訳】著より)

ぼくらは人にほめられたりけなされたりして、
それを気にして、びくびく生きている。

自分が人にどう見られるか、
いつも気になっている。

しかしね、
そういう自分というのは、本当の自分じゃなくて、
社会とかかわっている自分なんだ。

一方、道(タオ)につながる本当の自分があるんだ。

そういう自分にもどれば、
人にあざけられたって、笑われたって、
ふふんという顔ができるようになるんだ。

社会から蹴落とされるのは怖いかもしれないが、
社会のほうだって、いずれ変わってゆくんだ。

大きな道(タオ)をちょっとでも感じていれば、
くよくよしなくなるんだ。

たかの知れた自分だけど、同時に、
たかのしれた社会なんだ。

もっともっと大きな「ライフ」というもの
それにつながる「自分」こそ、大切なんだ。

そこにつながる「自分」を愛するようになれば、
世間からちょっとばかりパンチをくらったって平気さ。

愛するものが、他にいっぱい見つかるさ。

世間では値打ちなんかなくっても、
別の値打ちのあるものが、いくらでも見えてくるんだ。

金なんかんで買わないで済むもんがね。