6/28/2007

旅に出る、人生棚卸し


明日から4日間、沖縄に。子供たちも連れて行く。読谷の若者の旅の宿。
そんなこんなで旅に出る。

旅に出るということは生を実感するのと同時に死の観念のような気がしないでもない。

自然は現代人にとっては自己を知る教科書だと思う。

出会いというのは、人間が計算して出会えるもんじゃないです。

出会う時期がきて出会うんですよ。

そんでもって人生棚卸しということで、沖縄の海に向かって考えてみよう、以下のような箇条書きを。

人生棚卸
1、自分の仕事と自己イメージはどんな部分で一致し、どんな部分で一致しないか?

2、熱心に取組んでいることがあるか?また、それについて積極的に学んだり、よい意味での難問にぶつかって緊張感を味わったりしているか?

3、仕事や私生活での人間関係は現在、どのような状況にあるか?

4、どんな秘密を持っているか?

5、深く後悔していることはないか?

6、最も恐れていることは何か?

7、どんな問題行動に苦しんでいるか?その問題行動は、もっと深い問題とつながっているか?

8、人生の目標をどのように変更してきたか?

9、時間にどの程度追われているか?その最大の原因は何か?

10、自分の性格のどの部分を強化する必要があるか?自分のどんな才能を見過ごしているように感じるか?

11、自分は何に貢献しているか?

6/27/2007

失敗を恐れない人生術/古郡廷治


「失敗を恐れない人生術/古郡廷治・著」はネタの宝庫だ。一読を。
以下、私が同感!と膝を打ったセンテンスを。

見境のない恋をしたことがない人は恋を知らない人である。純度の高い恋は時間を忘れ、年齢を忘れ、計算を忘れたところで息づくものである。

友だちに必要なのは、実際の助けより、必要なときには助けてもらえるという信頼である。

いまの技術社会が必要としているのは、知識を蓄え込んだ人間ではなく、自ら問題を考えだし、知識を柔軟に駆使して解を導ける個性と独創性に富んだ人間である。

教養とは学んだことをすべて忘れ、その後に残ったものである。

運動選手は極限までの訓練により肉体を鍛えあげる。肉体を鍛えるのには長い時間と、その間の苦痛が伴う。ここには嘘がない。実は頭の訓練だって同じことなのだ。それなのに、頭の方だけは、楽しみながら、短時間で効果をあげられると考えるのは、教育が訓練であるという根本を忘れた所業で、これは学ぶ側の子供にとっても、教える側の大人にとっても、その後ろにある社会にとっても悲劇の誕生である。

ダメな男は二種類ある―一つはいわれたことができない奴です。もう一つはいわれたことしかできない奴です。

怖がっている者は、ものごとが悪い方にいくと考える。だから変化は脅威である。希望をもっている者は、ものごとがいい方にいくと考える。だから変化は歓迎すべきものである。

成功と失敗は、人生でもっとも扱うのがむずかしい問題の一つである。すべてがうまくいっているときがもっとも危険なときだ。上がったものは落ちる。成功は失敗と背中合わせである。もちろん、これは逆にいえば、うまくいっていないときには、常に成功のチャンスがあるということでもある。

私が本当にやりたいことのほとんどは不道徳なことか、違法なことか、太ってしまうことである。

人生の矛盾―若いときには大人になりたいと思い、大人になれば若くなりたいと願う。

青春という名の詩


青春という名の詩

幻の詩人であるサムエル・ウルマン。「青春という名の詩」をどう思う。

宇野収、作山宗久「青春という名の詩」(産業能率大学出版部)が情報源である。


 青春とは人生の或る期間を云うのでなく心の様相を云う。

 逞しき意志、優れた創造力、炎ゆる情熱、

 法襦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、

 こういう様相を青春と云う。

 年を重ねただけで人は老いない。

 理想を失うときに初めて老いがくる。

 歳月は皮膚の皺(しわ)を増すが、

 情熱を失う時に精神はしぼむ。

 苦悩や狐疑、不安、恐怖、失望、

 こう言うものこそ拾も長年月の如く人を老いさせ、

 精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

 年は七〇であろうと、十六であろうと、

 その胸中に抱きうるものは何か。

 曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、

 その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、

 事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探究心、

 人生への歓喜と興味。
 人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。

 人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。

 希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。
 大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、

 そし偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。

 これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、

 皮膚の厚氷がこれを固くとざすに至れば、

 この時にこそ人は全くに老いて、神の憐れみを乞う他はなくなる。
(松永安左エ門訳*ちなみにこの人、伝説の実業家だと思う。)




6/25/2007

無芸大食大睡眠/阿佐田哲也


無芸大食大睡眠 阿佐田哲也


なにしろ私自身五十の坂を越すと、遊び仲間が櫛の歯のように欠けていく。友人は、欠けたからといって、総入れ歯のように補塡するわけにはいかない。


テレビに向かない芸がある。ご家庭向きでない芸もある。凄い芸の持主だったり、ユニークな才があっても、ブラウン管にはまらない孤高の芸がある。演芸界ばかりに限らないが、こういう人たちはどうしてもマイナーな職場しかなくて、だんだんクサってしまう例が多い。


ヌード劇場ではハマるけれども、大劇場やテレビには生かしにくい。玄人の間ではよく知られ、一目おく存在だったが、一般的にはマイナーのヴォードビリアンという域に止まった。とにかく彼の創ったギャグを、彼が演ずるとマイナー芸になり、他のタレントが演じた方がずっと受ける、と皮肉なことになったのである。だから、ずいぶんいろいろなコメディアンが、彼のギャグを貰って演じている。泉和助としては、それらのギャグが受ければ受けるほど、心が晴れなかっただろう。


林家三平が、邪道から出て邪道を持ちこたえるのに、いかにも苦しげだった。彼はふんばりとおして壮烈な一生を終えたが、のん気そうに見えるのはうわべだけなのである。枝雀がそうなるかどうかわからない。


中学の生存競争に、敗戦意識や挫折感を持った者たちなのであろうが、そういうひとつの黒星が、人生を決するものと限らないことを彼等に教えてやりたい。人生にはたくさんの試合があって、勝星や負星が無限に続く。ギャンブルで、小さな勝ちや負けを経験しながら、一方で通産打率をよくしていく気力を持ち、一方ではまた負けの味をかみしめていくうちに、自分以外の者の勝ち負けについても配慮が沸いてくる。すくなくとも私はギャンブルからそういうものを教わった。



6/24/2007

金持ちの太平楽二〇章

昔読んだ本(すみません、最重要なタイトル忘れました)で面白かったのがあったので、載せます。
最高に楽しいよ。金持ちになりたい人、肝に銘じろ、と。

『金持ちの太平楽二〇章』
①金は天下のまわり持ち、いつかは自分にもまわってくるとの減らず口が貧乏人の悪いくせ。

②すべて世は金次第。金さえあれば何事も自由自在、この世は極楽じゃ。

③年中働きどおしに働いても精々儲けは一貫目とは、たかが知れている貧乏人。

④いくらひがんでも、知恵と才覚だけは金はできぬ。はじめの元手もなしに威張るな。

⑤体だけは達者でも、金がなければ世の中は面白く生きられまい。

⑥昔は人を使う身分であったのに、いまこんなに貧しいのは時勢が悪いのだとは言いわけがましい。この甲斐性なし。

⑦要するにお前さんは夜遊びや朝寝ばかりで、まともに働かぬから、いつまでも貧乏するのじゃ。

⑧借りた金を返しもしないで言いわけばかりか、果てはケンカとは情けないにもほどがある。

⑨人に迷惑をかけ、損ばかりさせながら、ぬらりくらりと払わぬばかりか、払わぬのを手柄にするとは、もってのほか。

⑩貧乏人の子だくさん。しっかりしなさいよ。

⑪年がら年中質屋通いとは、ほめられた姿ではあるまい。

⑫借りたら返すもの、借りっ放しで、踏み倒すやつは、顔は人間でも、心は畜生。

⑬一生ぜいたくせずに木綿のもので通したとて、とくにえらいとも思えない。

⑭食うや食わずで、ただ長生きしたとてしょうがあるまい。

⑮貧乏に暮らすのはまことに気楽だというのは、それは負け惜しみだよ。

⑯わずかばかりの小金につまってうろうろするのは恥じゃ。

⑰夜昼働いて、わずかの儲けにあくせくするとは、知恵の足りぬ証拠じゃ。

⑱手のひらほどの狭い裏長屋住まいではしょせん井のなかの蛙。

⑲貧すりゃ鈍す。二百や三百の小金で五十両も百両もとりたがるとは、算用はずれの愚か者。

⑳金が自由になる身分になっても常に「おかげで」と感謝を忘れず、あだに遣うなかれ。感謝感謝、要心要心。

今東光和尚


今東光って知ってるかい?と題して、この坊さんが昔「週刊プレイボーイ」でレギュラーの人生相談より。
左の「今東光伝」も興味深い。
日経土曜の瀬戸内寂聴のコラム、ここんところ今東光和尚。こちらも楽しみ。



今東光

「相手の家族に幸せを自分が与えてやるために嫁に行くならいい。それを、あそこへ行ったら幸せになれるんでしょうか、と言ったらきりないよ」

子供には生きていくだけのものを身につけてやるのが親であって、金とか土地とかいう物を与えて、それが愛情の表現だというのは低い愛情だよ。


というのは、年寄りは何にも人類に貢献することがないからだ。

高い金を出して大事にする必要なんか全くありゃあしねえんだ。

余生を楽しみたかったら、己みずから何処かの山の高原に行って、いい天気にでも甲羅干しをしてりゃあいいんでね。


オレは福祉なんていうのには根本的に反対だ。

尊敬できる老人なんてごく少数で、あとはみんな邪魔者だよ。


オレがブラジルに行った時、ブラジル人が笑うんだ。

「日本人は一生懸命働いて遊ぶ。でもブラジル人は違う。一生懸命遊んで、余裕があれば働く」と。

それで貧乏しようとしまいと、それは自分で選んだことなんだから文句は言わない。

せっかくこの世に生まれてきたんだ、遊ばにゃ損だというのがブラジル人の人生観だと。


本を読んで栄養になると思ったら大間違いだ。

オレが本を読め、本を読めとすすめるのは、それを栄養にするためじゃないんだ。

本を読めばいかに世の中にバカが多いかということがわかるからでね。