6/16/2007

日本脱藩のすすめ その2

日本脱藩のすすめ その2
アメリカ仕事順調。

最も有効性のあるものを座標軸

相手の目を通して自分を眺める

日本のチンピラ文化人がアメリカ側のスポークスマンとして一方的な情報を流す

自分の足で立ち、自分の責任で判断し行動

一人の自立した人格として、よその国の人々から信頼と敬意の気持で迎えられる日本生まれの人間

一匹狼をやるように

日本中が大きなものを目ざしていて、何かゲリラの時代に逆行している

産業社会の活力源としての食料とエネルギー源の重要性を無視したなら、すべてのものは砂上の楼閣

食料とエネルギーがいかに重要であるか

経済も軍事も政治の道具

何かをよく知る上での媒体は情報

正しい情報は更に価値のある情報への指向

この評価能力

世界を舞台に活躍する人材というのは、生まれた国や国籍に関係なく

文明の歴史を通じて最も有能な人間の生き方

すぐれた人材は世界を舞台に幾らでも仕事ができ

たった一度しかない人生ならば、自分の一番やりたい生き方をするのが人生における醍醐味

ビジネスにおけるいろんな体験を積み重ねて、もっと修業してものがよく見え、より正確な判断ができるような人間にと脱皮したい

この人から何か聞き出したいと思う相手より沢山の情報を自分が持つことから始めよ

いい情報を持てること自体が実力

情報というものは実力のある人の所へ自らやって来る

マンチェスター・ガーディアン

二週間たった時点でかならず新しいものから古いものにさかのぼる形で読みます。

すぐれた本というものはそれ相応に毒があり、毒が最後まで毒である愚劣な本なのか、それとも初心者には毒だけど、修業をしたあとの人間には毒が薬になる種類のものかを識別する必要があるので、僕にとって本を読む行為は真剣勝負の意味もあります。

赤線を引いたものはデータ
発想法が面白いとか、言いまわしが絶妙だと思うものは青で線を引きます。

ヨーロッパ 栄光と凋落
ツァラトゥストラ
断絶の時代

おだてに弱いということは、相手の心の底まで読み抜く識眼力がない

相手を不利な立場に陥れるために必ずほめる

己を知るということ

自分の生まれた文化を乗り越え、他の幾つかの文化にも埋没することなく、世界を舞台に生きることのできる人間

自分の祖国が持ち合わせていない長所が何であるかに気がつく能力

世界修業

いいものをだけを見たり聴いたり観察することによって、人間の目はこえてくるのです

一流の人間とだけつきあっていると、二流の人間に会ったとき一目でわかるもの

日本の国内にいるよりも国外の方が、本当に一流の人に出会うチャンスは、はるかに多いと思います

日本人として文化や政治に関してものすごい情報を持っている

すべては個人としての人間の問題

自ら求めて非常に孤独に徹しています

宇宙船地球号の一員として仲良くやっていきたい

知恵を持った老人とつとめて親しくつきあう

人間にとって一番大事なことは、何ができて何ができないかを知ること

誇れるものが若さしかないということは、しつけの悪い犬や未開の原生林が自慢するのと大差がない

三〇代と四〇代は判断力と実践力

壮年の人はいい情報と親しくつきあえるように、いい友人やグループとつとめてつきあうこと

問題意識のある人はつきあってもお互いに楽しいので、友人として仲良くやっていくのです。

発想法の面白さ

信頼にもとづいて政治が運営されるという点でして、
政治における信頼感の確立は精神面における安全保障の基盤
やり方を変えることによって、ほとんどのものが有望なビジネスに

人間の生活圏全体がどう変わっていくかを見きわめ

有望でないビジネスが何かを見たら一番いいのではないでしょうか
質に向かって進化の路線を変える必要

もうからないことにはいっさい手を出さない

他の同業者のやっていない独創的なものを作って、トップランナーになればいい

質のいいエンジニアや職工が、良心的で丹念な仕事をしていく

特技を持たずに他人と同じことをしていたら駄目で、一生懸命修業をして、あの人はひと味違うというものを持つ人間にならなければいけない

世の中で一番難しいことは、当たり前のことに気がついて、それを確実にやってのけることです。

これからは国家自体が国民国家の枠をのりこえて、多国籍化することによって、新しい連邦国家とか連合国家になれば、多国籍企業との対立も発展的に解消できるかもしれません。

実力をつけるために修業
実力を身につければ、本当に自由自在に生きることもできます

人間は生物の次元より大きな単位になって平等になるのであり、個人では平等などありえません。なぜならば、役割が違うし、責任が違うだけでなく、能力だって異なっています。

こういった能率の問題は、報酬といったもので報いるべきであって、それを役割や立場といったものと結びつけたらいけないと思う

横浜国立大学の太田時男教授

本当にいいアイディアは特許も申請もしない

コンサルタント業などは、幾ら大学で勉強しても、教科書を読んでも、その秘訣というのは書いてないのです

知恵のある老人のところへ足繁く出入りすることによって、その人の持っているいいものを、移り香でも気迫でもいいから吸い取ろう、という生き方

学びとるということはマネビ取るであり、物真似から始まって真似た人をのりこえるのが、人生を楽しくするこれまたノウハウではないでしょうか。

手本をのりこえることが大切

どこに不易の部分があるかに気づき、そのツボを抑える術を心得

相手の文化を十分に理解し合い、それをお互いに総合する努力

閉じこもるのではなくて、外に出て行くのが日本のこれからの生き方にならなくてはいけない

主観にもとづいた価値判断を他人に押しつけたり、独りよがりの自国の論理にしがみつくことでない

実力がつき出して自信が沸いてくるようになるに従って、品性は自ずと備わってくるものだ

四〇を過ぎてからの自分の顔付きは親からのもらいものではなくて、自分が内面のポテンシアルを高めることによって気品を出すものらしい

知識以上に大切な見識を身につけると、判断力も自ずとついてきますし、見識が生き方の中にいろんな形でにじみ出すようになると、肚が座るというか肝っ玉がある、と昔から言われている境地にたどりつくのでしょうが、僕も早くそういったところに落ち着きたいですね。

人生にとって恩師というか、知恵のある老人と親しくして、その人が一生かかって身につけた知恵の一部を、薫陶によって身につけることは何にもまして大切です。

本当に実力のある人間は、亭主関白などといった殿様業みたいなものには関心を持たない。

以上。

6/15/2007

日本脱藩のすすめ 藤原肇 その1

すごい本だ。これを40年前に著している、藤原肇先生の凄さ。以降の生き方。こういう風に私もなりたい。
なぜか、アメリカから。

日本脱藩のすすめ 藤原肇

人間が仕事に取り組む時に待遇を中心に考えると修業にはなりません。

巨大企業のいいところは、人生の駆け出し時代にいろいろな現場を体験し、仕事の基礎的なトレーニングを施すことと、億という単位の金額にビクともしなくたる金銭感覚を培うくらいのことです。

能力とやる気を持つ人材に対して慢性的不足状態

人間何かを修業するには一流の道場へ出掛けていかねばなりません

情報は安売りしないだけでなく、他人の機密をベラペラ喋って信用を喪失したいためにも、いろいろ頭を使わなければいけないわけです。

コンサルタントとしてのコミュニティ

インプットしない限りアウトプットするものがないし、問題意識をとぎすましておかない限り質のいいアドバイスはできません。

情報はペラペラ喋るものではない。

これからは一匹狼としてのゲリラ時代です。

これまで言ってきたことは口先だけのことではないのだということを、実践を通じて証明していく時代

個人としての自己とその主体性

人間の魅力
誠実さと信頼感
判断力の的確さ
情報量や知識力で勝負
必要最小限度の人間だけで構成
複雑化することによって不必要なものを取り込み、拡大
経済合理主義に徹した組織体

不要なものはいっさいかかえこみませんし、無駄と考えられる経費は全く使いません。

ある課題を実現する目的で作られた乗り物にすぎない

目的の変更によって自由自在に動ける

構成要員の一人一人が独立した戦士として自律的に動けるゲリラ的なものでないと思う存分に活躍できないのではありませんかね。

会社をゼロの水準から作り上げて、大きな企業の餌として売るプロセス

体制の中に安住して権力と共に生きていくということ

自分が生涯を賭けて取り組む気になれる仕事というのは、それを見つけること自体が一種の人生における出会いみたいなもの

自分から進んで働きかけるという姿勢に徹することも、外国で何事かを成し遂げる上で決め手

ビジネスの原点は個人としての実力を持つ人が寄り集まって組織化したもの

個人の実力を中心にやっているケース

質のいい情報をシステム化
情報の選択眼を持つ
いい情報を選択し総合判断できる人

三日三月三年
大組織からの脱落者
会社の備品化した人間
法家の政治
日本の政界は官僚の養老院

国民国家というのは絶対的なものでも最終的なものでもなく
日本という国を自分の存在確認の最後のよりどころと思いこむ発想から、自らを解放する

小さな地方的自治体中心にする方向

下司はカネを残し、中庸はビジネスを残し、上手は人材を残す

事業にとって最悪の害をするのは、青年の過失ではなくて老人の出しゃばりだ

個人の創意と全体の秩序
個人主義化全体主義か
急進的個人主義の立場

民族主義というか国家主義が世界中で台頭
民族意識高揚のための政治的プロモーション
文化というのは民族主義者にとっては非常に有効な武器

一番有能なものが指導性を発揮して、自由度と秩序のバランスを調整して、組織としての有効性を各次元の枠組を超えたところで統一していく

素早い決断とソフトウェアへの評価
ソフトウェアを評価できる人材
自己変革をくり返し、頑強で健全な体質を作る努力
そつのない世渡りが上手な人々
常に先を読み、更に先を読み、自分が読み終わったまだ先を読む

非常に小回りがきき、しかも企業家精神と国際感覚を持つ指導者の存在というのが、八〇年代のビジネスの決め手

つづく。

6/14/2007

こういう男に私はなりたい!?

起きたら、成田へ。アメリカへ。
勢古 浩爾さんの著作より。ほとんど読んでいるのだが、以下の抜粋がどの本かは忘れた。すみません。たぶん、「こういう男になりたい」だと思う。以下の文章をたまに読むことである。どれかに自分は当てはまってないか、と絶えず自問自答せよ。それにつけても、わかるよねぇ。笑うよね。誰かの顔が浮かぶよね。うーん。

(1)胸の大きな女だけが好きな男女の胸が小さいことをバカにする男はアホである。
つまり、努力でどうにもならないことを非難する男。
ただし胸の小さい女は好きではない、というのはその男の好みだからしかたがない。
だったら巨乳女を好きになればいいだけの話である。
好きになった女が胸が小さいからといって文句をいう男は小児的アホである。

(2)自慢する男学歴を自慢し、他人の学歴をバカにする男は頭が悪い。
当然、地位や所属する組織や年収を自慢する男も同類。顔がいいこと、声がいいこと、背が高いこと、酒が呑めることを自慢する、こんな男はむしろ可愛いという見方もないわけではないが、大概はつまらぬ、吹けば飛ぶような男である。
自慢してないようで、暗に自慢をちらつかせ、気づいて欲しくてたまらぬ手のこんだ男がいるが、だれからも相手にされていないことに気づかないという鈍感ぶりは驚嘆に値する。

(3)群れる男ただ意味もなく群れたがる男たち。
同類で集いたがる男たち。
そのなかに引き入れたがる男たち。
その「仲間意識」が金輪際いやである。
お山の大将もお断りだ。
感情が浅く狭いから。
ただのトッチャン坊やである。

(4)露骨に「僕は卑しい男です」と顔に書いてある男つまり顔の悪い男。
「てゆーか」、いやーな顔の男。
いかにもこずるい顔をしている。
見た途端に、うわっ、いやな顔だっ、とおもった男がこれまでに三人実在する。
生きてきた自分の全経験が、この手の顔の男はだめ、というのだ。
つきあったらいいヤツだったというためしがない。

(5)「おれならもっとうまくやる」という男。
他人を貶すことに異常な熱意をもっている男。
そうすれば自分の株があがると思っているらしい。
そのくせ、自分ではなにひとつやらない。
やる前から、そんなことできるわけないと、すでに負けている敗北主義の男。
ただし、やるふりだけは見せるのだ。

(6)「イェーィ」とかいう男。 「イェーィ」とはなんですか、いったい。
大人数だとやたら騒々しいくせに、一対一になるとシュンとしてしまう男。
両手の親指を立て、それを同時に下に向けて上下させながら「ブー」とかいっている植民地根性丸出しの男も同様。
田舎臭い若い男に多い。

(7)別れぎわに「悪いことせずにまっすぐ帰れよ」とかいう男なにしろくどい。
あっさりできないのである。
仲間意識をいやがうえにも感じたがっている。
往生際悪くいつまでも店の前から動けない集団も逆の意味で同様。
離れたいのに離れられない。
さっさと大股でひとり帰ればいいのに、とおもう。

(8)自分にしか関心のない男ひとの話を聞かない。
全部いわなくても、全部わかっているよと態度で示したがるアンポンタン男。
そのくせひとの話には横から割り込んできて自分の見解をひけらかしたがる。
耳だけはコウモリのようにアンテナを張っているのである。
どうしてこのような男が発生するのかが理解できない。

(9)上にへつらい下に威張る男前述のコウモリ男に多い。
亜インテリといおうか。
一見、謙虚にして腰が低いが、自分が不利になると一転して威丈高になる。
そのくせ上司の前にでると、なんだ全然態度ちがうじゃないかというくらいへりくだって、思わずこっちの腰が抜けそうになる。

(10)ウソくさい男電話でお辞儀をする男は好きだが、猫撫で声をだす男のウソくささ。
一見善人ヅラ。
根は悪い男じゃないと思わせながら、根が腐っている。
そつがなく、しれっとしてもっともらしいのだが、いたるところで言動の一貫性が破綻している。存在そのものがウソくさいのである。

6/13/2007

シャングリラの予言


音楽、映画、文学からグルメまで、カウンターカルチャーの生き字引、ミック(立川)とマッケンジー(森永)のスーパートーク。

扱われている時代は1989年から1994年でいわゆる「バブル時代」だ。20世紀の流行文化を語る中であの狂乱のバブル期を避けては通れないだろう。
この本はバブル期の東京を中心にした流行文化をリアルに再現してくれる。当時の遊び場、映画、音楽、アート、酒、女・・・あらゆる遊びとしての流行文化が二人の口から語られている。


森永博志さんとは、特に親しくさせてもらっている。以下は、多分、平成の奇書「シャングリラの予言」の気に入ったフレーズを書き留めたもの。


******************************************
町にでよう。旅に出よう。映画館に行こう。

文もうまく書こう、写真もうまく撮ろうと思っているうちはダメなんじゃないの。

結局、録音技術が発達してったらミュージシャンが疎外されていったわけでしょ。
うまくなきゃできなかったのに、うまくない人がミュージシャンになりはじめて、転落したね。

素の輝きがないのね。

結局、人間の脳だって実際はたらいているのは20パーセントぐらいで、残りの80パーセントは眠ってる。
その80パーセントの方に世界を解く力が秘められてるのにね。

その若さっていうか、アングラ魂って、何も恐れないってことだものね。
だって、アングラっていうと、オーバーグラウンドじゃないから、何したっていいわけだから。
だから名声手にしちゃったとき、守りに入るかどうかって、その差ってすごくあると思うんだよ。

昔は良かったっていうんじゃなくて、いまのものと昔のものを並列して聴いていると、昔のものの方が単純にいいの。

アンダーグラウンドってさ、実はアカデミズムとかエスタブリッシュの世界で確立されていた人が崩れていった時に、スピリッツが噴出したりするもんなんだよ。

アンダーグラウンドって、あんまりコンプレックスないんだ。

アンダーグラウンドのすごいヤツは、ちょっと越境してオーバーグラウンドでヒット飛ばせるんだよ。

人工的に商業的に作られちゃったものに対して、みんなすごく「何か違うんじゃないか」と思ってる。
そうすると、あんまりそういう仕掛けとか、計算で作られたものじゃないものに真実があるわけだし。

つまりメジャーの論理の側の世界って、いまや出来損ないのハリウッド映画って感じがするの。

アングラの人って地下だから、氷山というのはよく言うけれど、上に3出て下に7隠れてたんだよ。
能ある鷹はツメを隠してたのよ。でも、オーバーグラウンドの人というのは全速力で行っちゃうから、息絶えちゃう。
アングラの人たちがタフなのは、死んだふりしててもいくらでも出来るからね。

ピンク・クラウドって本当に音楽が好きだからやってる、ロックが好きだからやってる、かつうまい、表現力がある。
やっぱり、表現力ですよ。それはイマジネーション。

基本的にモノを創る人はイマジネーションが絶対必要。
スピリットも必要で、あとやっぱりこの10年ぐらい軽視されちゃってるけど、テクニックですよ。
やっぱりテクニックのないものは残っても、ものすごい薄っぺらい感じがする。

6/12/2007

旅で暮らしたい



旅に出るということは生を実感するのと同時に死の観念のような気がしないでもない。

自然は現代人にとっては自己を知る教科書だと思う。

出会いというのは、人間が計算して出会えるもんじゃないです。

出会う時期がきて出会うんですよ。

身体から革命を起こす/甲野善紀・田中聡

「身体から革命を起こす/甲野善紀・田中聡」から拾ってみた。

構造とは、認知のためのフィクションである。その構造上の因果関係で説明できる物語は、あらかじめ構造のなかに内包されている順序通りの展開にすぎないから、ウェルメイドな楽しさはありえても、感動にはならない。失敗の苦々しさはありえても、「やられた!」という爽快感などありえない。

いい学校を出て、いい会社に入って、大きな葬式を出しましたという人生がなぜ面白くないのかといえば、その展開が、社会の構造のなかに内包された典型的な筋道のままだからである。

どこをどう頑張れば成功できるかという要点をうまくおさえて要領よく生きることは、競技に必要な筋力を中心にしっかり鍛えようという科学的トレーニングに似ている。トレーニングは、競技でも生活でもない。将来に向けての努力である。鍛えられているのは、生きている今とは無縁な身体である。構造として鍛錬されるのは、時間が止まっている身体なのだ。

受験勉強で「正しい知識」を暗記するように、「正しい筋肉」を鍛える。どちらも生きることと切り離された、時間なき構築だ。

構造には、感覚は存在しない。メカニズムと情報があるだけ。緊張も、力も、運動も、メカニックな経過や
局面にすぎない。

だが感覚に目を向ければ、われわれの日常の体験は、そのようなメカニズムでは説明できないことばかりである。

だから構造をはみ出した現象は、神秘的と感じられると同時に、ごく当たり前なこととも感じられる。なぜなら、これまで機械性に奪われていた身体が、生きているものになるというだけのことなのだから。ただ、生きているもののことを、我々はあまりにも知らない。その未知の領野無限の広がりに神秘性を感じるのもまた当然なのである。

近代における身体観の転換は、生きているものとして人生を失わせたのである。
感覚が、情報を受信し処理することだなどとは思わなかった時代。
人が個人ごとに孤立しているなどとは思わなかった時代。
身体が筋肉をバネにして動くとは思わなかった時代。
そのような時代の人間観を、今日の人は蒙昧というだろう、だが、その時代の人たちは生きているものとして人生を送っていた。
それと引き換えにして我々が得たものは、せいぜい生活の便利さぐらいだろう。

しかも、その便利な環境にあって、ますます我々は生きている感覚を忘れつつある。
甲野の武術に影響を受けたさまざまな人たちの話を聞いてきたが、彼らは、みずからのうちに技的な身体の可能性を見いだし、生きているものとしての人生を歩む覚悟と喜びを選んだ、と言ってもいいのかもしれない。
生きている身体は、他の身体と響きあいながら、その響きや動きを留めようとする観念の檻を破壊してゆくだろう。
スローガンはいらない。
ただ、生きている身体があれば、そうなるはずだ。

これから、きっと日本は危機的な時代を迎えるのだろうが、だからこそ、理念を揚げて制度の延命をはかったりすることより、まず自分の歩き方を見なおしてみたりすることのほうが重要なのだと思う。

悠長で迂遠なようだが、身体観が変わらないかぎり、もはや変革すべき自体の核心には届かないのだ。

いや、そんなことより、なんといっても、生きることが面白く、楽しくなる。それは彊くなることでもある。

それこそ、今、もっとも求められていることではないだろうか。

身体から、すべては変わるのだ。

6/11/2007

毒言独語/山本夏彦

故山本夏彦氏の名エッセイから。
私の好きないくつかのフレーズを。
エンタメ系(私含め)の人は肝に銘じたほうが良い。

【毒言独語/山本夏彦】

私は芸術家に人格者を求めるのは間違いだと思っている。芸術家と人格者は両立しない。

「もらい乞食はよしとくれ」

文学にかぎらず、芸術ならうちに毒をふくむ。
場合によっては、世界を敵に回す。
毒をふくまぬようなら、芸術ではないと作者なら知る。

かくて妻子は作品とは無縁である。

常に突然、大枚の不労所得が舞い込めば、子孫は毒されるにきまっている。

直感への道 その3

本日の直感道場、男性の観点からの考察。
昔、エンターテインメントを生業とする人間は男の気持ちも女の気持ちも分かんないといけない、と言って某事務所の大人物に私の友人はホテルに誘われた。
いつもと違うことをする、考えることも大事、と。


【女性らしい心を使っているかどうかは、こうすればわかる】
?急いでいない
?意見を持っていない
?何も変える必要はない
?変わったとしてもかまわない
?様子を見るつもりがある
?自分に満足している

意識的にこうした精神状態になることがどれほどあるだろうか?



【いつもの反応を変える】

・過去または現在の問題のある状況を三つ書き出してみよう。
・そして最初の反応を描写してる。
・独り言についても描写してみる。

仲間が遠くにいたり、都合がつかない時に何が起こるだろう?
車のキーをなくすのはどんな時だろう?
誰かをがっかりさせるのはどういう時だろう?
誰かにプレッシャーをかけられるのはどんな時だろう?
そんな時は潜在意識の世界観に基づいて反応しがちだろうか?

直感を働かせて、三つの状況それぞれに神の視点から反応するところを想像してみる。
それぞれの状況はどう変わるだろう?

6/10/2007

直感への道 その2

音楽の後は、スピリチュアルで。
直感関係の本の抜粋。

【手放すべき時が来た合図】

何もかも自分でやらなければならないと感じる。
混乱している。
落ち込んでいる。
方向感覚がなくなる。
動機づけが尽きてしまう。
お気に入りのことに耽溺する。
自分が気に入らない。
何もかもうまくいかない。機械まで故障する。
いつも切迫感を感じる。
自分や他人より先走っている。
圧倒され過密になっている。
ぐずぐず先に延ばす。
人生は思わぬ障害とタイミングの悪さに満ちている。
過去に浸っている。
一生懸命やりすぎている。
事故に遭いそうだと感じる。
誰も自分を見たり聞いたりしてないように思える。
ガラスの自動ドアにぶつかったり、タイヤがパンクしたり、ガス欠になったり、くるぶしを捻挫したりする。
自暴自棄になる。
何もおもしろそうだと思えない。
疲れてない時でも眠りたい。
頭がぼんやりしている。
神経過敏になっている。
自信がない。
もう何も楽しくない。
せきたてたり、批判したりする。
結果を早く期待しすぎる。
いつも遅刻している。
不足や限界を感じる。
強迫観念にとらわれている。
人々が自分をだましているように思える。
幻想の世界に生きている。
頑固あるいは執念深い。
同時に二ヵ所にいるような気がする。
人々が自分を誤解する。
もっとたくさん、よりよく、あるいは違った方法で考えたりやったりすることに答えがあると確信している。

San Diego Serenade



大沢伸一くん(気安く言ったけど、世界的な音楽家なんですよ)から教えていただいた、素晴らしい音楽&映像。泣けるくらいTom Waitsです。
なぜか、嫁が住んでたAn Arbor,Michiganを思い出す。Univercity of Michigan。私の好きなアメリカ。

San Diego Serenade / Tom Waits

寝ずに夜を明かすまで、朝を見たことがなかった
君が明かりを消すまで、太陽の光を見たことがなかった
長過ぎるほど家を空けるまで、故郷を見たことがなかった
歌が必要になるまで、旋律を聴いたことがなかった

君を置き去りにするまで、路上の白線を見たことがなかった
こんなに苦しくなるまで、君を必要だと気づかなかった
君を無駄にののしるまで、「愛してる」と言ったことがなかった
気がおかしくなりかけて初めて、自分の心の琴線に触れた

西に引っ越すまで、東海岸を見たことがなかった
君の胸元を照らすまで、月明かりを見たことがなかった
誰かに盗まれそうになるまで、君の心を見たことがなかった
その頬を転がり落ちるまで、君の涙を見たことがなかった
*訳 yoko oyabu

San Diego Serenade / Tom Waits

I never saw the morning ‘til I stayed up all night
I never saw the sunshine ‘til you turned out the light
I never saw my hometown until I stayed away too long
I never heard the melody until I needed the song

I never saw the white line ‘til I was leaving you behind
I never knew I needed you ‘til I was caught up in a bind
I never spoke ‘ I love you’ until I cursed you in vain
I never felt my heartstrings until I nearly went insane

I never saw the east coast ‘til I moved to the west
I never saw the moonlight until it shone off your breast
I never saw your heart ‘til someone tried to steal,
Tried to steal it away
I never saw your tears until it rolled down your face