8/01/2007

何用あって月世界へ



何用あって月世界へ  山本夏彦名言集





八百長は必ずしも悪事ではない。この世はもっと本式の悪事に満ちたところである。それを知って悪に染まないのと、知らないで染まないのとでは相違する。
いうまでもなく、知っててそれをしないのがモラルである。
私はすべて巨大なものえらそうなものなら疑う。
疑わしいところがなければ巨大になれる道理がないからである。大デパート、大会社、大新聞社は図体が大きい。よいことばかりして、あんなに大きくなれるはずがない。
総評や日教組は組織が大きい。
もっとも大きいのは世論で、これを疑うのは現代のタブーである。
だから私は疑う。
世論に従うのを当然とする俗論を読むと、私はしばしば逆上する。

善良というものは、たまらぬものだ。危険なものだ。殺せといえば、殺すものだ。

全き善人と芸術家とは、ふつう両立しない。
私は各人に個性があることを前提とした教育は、間違いではないかと疑っている。
人は個性ある存在ではない。人は大ぜいに従うもので、従ってはじめて安心するものである。
従えと言って、断じて従わぬ個性はまれである。万一あれば大ぜいは、世間は、社会はそれを爪はじきする。
すなわち、爪はじきされて、はじめて個性は頭角をあらわす。ちやほやされて育つ個性なんて、今も昔もないに決まってる。
(才能というものは)のぼり坂が三年、のぼりつめて三年、くだり坂が三年、〆て十年続けば良いほうである。
「愛する」という言葉を平気で口に出して言えるのは鈍感だからだ。
愛するが日本語になるには、まだ百年や二百年はかかる。
大きな声では言えないが、私の袖の下またワイロに近いものは必要だと思っている。世間の潤滑油だと思っている。
人は潔白であることを余儀なくされると意地悪になる。また正義感になる。
汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼす。

同類は何百人集まっても一人である。

金は魔物というが労せずし舞いこむ金はことに魔物で、人の子を毒すだけである。まずこれを減らすまいとして臆病になる。
利息だけで暮らそうとしてケチになる、人が来ると借りに着たのではないかと疑うようになる。
「年寄りのバカほどバカなものはない」ということわざ、大好きです。






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