9/12/2007

オシムの言葉






オシムの言葉





間瀬秀一は
「行く国、行く国、貧しい国。行く先、行く先、苦しい場所。ツテもなくて2部とか3部ばっかりで、スタジアムも小さくて環境も悪いわけですよ。住むところも食べるものも貧しいわけです。で、サッカー辞めようかなと何回も思った。でもそこのチームメイトと同じものを食べて、同じ生活をするうちに見えてくる。俺がこんなに苦しいってことは、そこの国の人、みんな、苦しいわけです。彼らに愛着が湧いて来たんです。どんな環境であろうが、そこに人が住んで生活を営んでいる。1部でも3部でもやることは結局同じサッカー。
人生なんて、みんな、価値観、それぞれ違うわけじゃないですか。サッカーなんてどうでもいい、サッカーなんて嫌いな人だって世の中にいるわけです。でも自分はサッカーを好きで、こととん追求することができた。代表になれたわけじゃない。サッカーで大金を稼いだわけでもない。それでもね、確かに自分は貫いたという自負があります。」





夢ばかり見て後で現実に打ちのめされるより、現実を見据え、現実を徐々に良くしていくことを考えるべきであろう。





攻めるべきかどうかということは、人生の哲学とも関わっている。プロの世界だから結果は大事。内容が良いかどうかよりも、やはり勝ち負けが注目されるし、それがプロでもある。そういう意味で、人生の哲学と関わってくるのではないか?
私が思考するのは、観客やサポーターはいったい何を望んでいるのか、そして何が目的なのかということだ。サッカーとは攻撃と守備から成り立っているもの。その要素の中でいろいろな方法論をとることができるが、私としては、いる選手がやれる最大限のことをして、魅力的なサッカーを展開したいと考えている。そういうサッカーを目指すには、リスクが付きものだ。しかし、現代サッカーがビジネス化し大きなお金が動くからといって、そのリスクのほうを狭め、大きなお金のためにサッカーを展開し、ほとんどの試合が0-0になったらどうか?もちろん、いいサッカーをしても0-0の結果になることはあるが、それはまた別の話。観客が満足するようなことに挑戦することこそが、大切なことだと私は思っている。
全ての監督が大きなプレッシャーを感じている。ほとんどの人たちが、試合の内容よりも結果に注目しているわけだからね。やはりチームが負けないようなサッカーを監督は選択していくだろう。ただそういうことを続けていたら、残念ながらいい内容の試合は展開されないだろうね。










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