10/03/2007

リバタリアン宣言・蔵研也



リバタリアン宣言・蔵研也



 



リバタリアンこそが自己の価値観に従って行動しながらも、その相対性を認めているのです。他人の独立した価値観にも敬意を払いつつ、同時に説得をみるという、真に市民的で健全な精神の持ち主たちだと言えるのです。



 



アイン・ランドの客観主義の主張する「利己主義」とは、日本語で言う自分勝手という意味の利己主義とはだいぶ違います。もちろん金銭的な利己性の問題ではありません。それはつまり「人間は一人一人が自分自身の価値観と、それを達成するという目的を持ち、その実現のためにのみ生きるべきだ」という意味での利己主義だといってもいいでしょう。



 



他人から独立した確固なる価値観の構築というのは、日本人にとってはまさに鬼門だと思います。科学からスポーツまで、私たち日本人は他人の価値観を気にしすぎなのです。そこからは横並びの文化は生まれ、それはそれで評価するべきことかもしれません。しかし、他人の批判にもかかわらず追求する自主独立の精神こそが、新たなる地平を作り出し、基準を設定してゆくのです。



人が素晴らしい価値だと思うものがあるなら、それがなんであれ、自分のもっている私有財産を投じてそれを支援すべきです。「自分の価値を社会に押し付けるために、誰か他人のポケットからお金を取り出そうなどとゆめゆめ思うことなかれ」というのが健全は道徳というもではないでしょうか。



「権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対的に腐敗する。」



MITのコンピューター・サインティストのリチャード・ストールマンは「知の共産主義者」とでもいうべきカリスマです。彼は、あらゆる人類の知的資産は非排他的なものであり、前人の知的遺産の上に構築されている以上、すべてが共有されるべきだというのです。これは科学的な知識をみれば、想像できるかもしれません。科学上の知識は、まさに人類の共有財産であり、その成果は発見者の名誉と共にすべての人類に開かれているというのです。





 

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