12/22/2007

怒る技術・中島義道








怒る技術・中島義道


1、すぐに怒りを表出すること。
2、以前の怒りを根にもつことが少ないこと。
3、怒りははげしく、しかしただちに収まること。
4、怒りの表出が言葉中心であること。
5、個人的に怒ること。
6、演技的な怒りであること。

人性はよくしたもので、長く生きてきますと、いろいろ痛めつけられますので、だんだん肩の力を抜いていかざるをえない。ごまかしがきかなくなり、多くの人が「つっぱる」のをやめます。同時に、若いころの悩みがなつかしくなる。けなげで美しくさえ思えてくる。

怒らない人の中にも、鍛錬に鍛錬を重ねて怒らない人もいる。だがどう考えても、怒ると損だからという計算だけで怒らない人が圧倒的に多いのではないか。つまり、ただ怒る勇気がないゆえに怒らない人がおびただしくいるということです。総じて現代日本を風靡している柔和な人々は、しらずしらずのうちに、怒らないほうが得だと計算している。

こういう人種(コメンテーター)は、何年生きれば、人間という複雑怪奇な存在者の生態がわかるようになるのでしょうか。一筋縄ではいかないところが人間なのであり、世の中には、右向けと言われれば右を向き、左を向けと言われれば左を向く、家畜のような善人だけが住んでいるのではないのです。

あのコメンテーターたち(そして彼らを支える膨大な数の善良な市民たち)は正しいことを冷静に注意したら、みんなヘヘーっと従うとでも思っているのでしょうか、思っていいるのですねぇ。いままで何を見て生きてきたのだか。「人間をもっとよく見ろ!」と一喝したくなります。

私にとって最重要なことは、お互いに正確に相手の意思を確認しあうことです。この国の大部分の人が、相手に対する怒りを内に秘めて、表面的な平和を保とうとする、その傾向が猛烈に強いからこそ、もう少し風通しをよくしたのです。そのためには「そっとして」おかず、「わざわざ波風を立てる」必要があります。

世の中を見渡しますと、大部分の人間たち(特に立派な市民たち)の営みは他人から「よく思われたい」という壮絶な闘争です。だれもが、実際よりちょっとでも悪く思われたり、ちょっとでも実際より低く評価されると、実を震わせて嘆き苦しみ、相手をひたすら憎み通すのです。

すなわち、私は自分が他人にどう見えるかに関しても「よく思われたい」ゲームから降りてしまったのでですから、何を言われてもあまりショックではない。

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