6/20/2007

『創造する知・武道』坪井香譲

無事東京到着。

武道関係の著作物をよく読むので、気になったフレーズ・センテンスをアップします。


『創造する知・武道』坪井香譲

「知識というものは、世間の事物をよく知って、その理を判断することである。ここに身体が必要となる。直感は耳と目に頼り、思索は頭脳に頼る。身体が完全ならば知識も完全となる」(毛沢東『体育の研究』山村治郎訳)

目つきのぎらつく格闘技の選手は興奮と鎮静の神経の調和がとれていない。大切なのはバランスである。体の外面的な動きや形、姿勢、内臓、神経の調和、呼吸そして全身的な判断・・・というものが有機的にしっかりと活動すれば大体において先の格言も正しいといえる。

「感覚の門が清められたならば、人の眼には万物の真の姿が、無限なるものとして見えるだろう」(ウィリアム―ブレーク)

「自分が剣道を修業するのは、体を練磨することを通して精神とは何かをはっきり知り、究極的には、自分の本体は、自分を生かしている大自然と一つであるということを明確に見抜き、そのような安定した、しかも活々とした大きな心で生きそして死ぬことができるようになるためです」(山岡鉄舟『誓願文』著者意訳)

「形式のない美というものはなく形式というものには、人間らしさが、崇高な未来へ進まんとする人間のねがいが、こめられているものだ」(アンドレ・マルロー)

「人生は、なかなか思い通りにはならないものだ。思いもよらないところで、思いもよらない方向へどんどん転がってしまう。修正できるのは、その人生を歩んでいる本人だけだが、どのように修正するかもまた本人次第だ。良い方向へ歩みを変えることも出来るし、さらに悪い方向へ転がってしまう場合もある。要するに、思い通りに進めない人生をどれだけ修正しながら良い方向へ持っていくかは、本人の気持ち次第ということだ」

「刺激がほしい人生であれば、自分で事を起こすことが一番大事だと思う。自分の人生を決めるのは自分自身しかいないからだ。他人に決めさせて、後になってその人を恨むというのが一番よくないと思う。そして、一度行動に出たら最後までやり遂げることだ。その結果必ず生まれるものがあるし、正直に動いた結果として何人もの気持ちを動かすことにつながるはずだ。流れていく時間を戻すことはできない。動き出すタイミングを逃すと、できることもできなくなってしまう」

古神道の佐藤卿彦先生は「人間は平凡に生きてゆくことこそ難しい」といっておられましたが、私も四〇代後半になってつくづくそう思うようになりました。
幸せに生きる、自分の意思で生きる、本当の自分自身を知る等々、身近なところの目標でも簡単に到達できるものではないのです。
バジアン先生の説く、ヘルシー、ハッピー、ホリーも、言い換えれば、ボディ、マインド、スピリットの理想像です。
いつの世も、健康で無事に淡々とした人生を全うすることこそ一番難しいことなのかもしれません。

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