6/27/2007

失敗を恐れない人生術/古郡廷治


「失敗を恐れない人生術/古郡廷治・著」はネタの宝庫だ。一読を。
以下、私が同感!と膝を打ったセンテンスを。

見境のない恋をしたことがない人は恋を知らない人である。純度の高い恋は時間を忘れ、年齢を忘れ、計算を忘れたところで息づくものである。

友だちに必要なのは、実際の助けより、必要なときには助けてもらえるという信頼である。

いまの技術社会が必要としているのは、知識を蓄え込んだ人間ではなく、自ら問題を考えだし、知識を柔軟に駆使して解を導ける個性と独創性に富んだ人間である。

教養とは学んだことをすべて忘れ、その後に残ったものである。

運動選手は極限までの訓練により肉体を鍛えあげる。肉体を鍛えるのには長い時間と、その間の苦痛が伴う。ここには嘘がない。実は頭の訓練だって同じことなのだ。それなのに、頭の方だけは、楽しみながら、短時間で効果をあげられると考えるのは、教育が訓練であるという根本を忘れた所業で、これは学ぶ側の子供にとっても、教える側の大人にとっても、その後ろにある社会にとっても悲劇の誕生である。

ダメな男は二種類ある―一つはいわれたことができない奴です。もう一つはいわれたことしかできない奴です。

怖がっている者は、ものごとが悪い方にいくと考える。だから変化は脅威である。希望をもっている者は、ものごとがいい方にいくと考える。だから変化は歓迎すべきものである。

成功と失敗は、人生でもっとも扱うのがむずかしい問題の一つである。すべてがうまくいっているときがもっとも危険なときだ。上がったものは落ちる。成功は失敗と背中合わせである。もちろん、これは逆にいえば、うまくいっていないときには、常に成功のチャンスがあるということでもある。

私が本当にやりたいことのほとんどは不道徳なことか、違法なことか、太ってしまうことである。

人生の矛盾―若いときには大人になりたいと思い、大人になれば若くなりたいと願う。

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