8/19/2007

男は単純でいい



男は単純でいい。


愛する家族を守ること、その一点さえ貫ければいいのだ、理屈はいらない。――現代人が失いがちな、この単純さに徹することは、今の時代、特に難しくなっている。理屈が多すぎるのだ。言うことが自己弁護であったり言い訳であったりして、その分生き方に芯を失ってしまうのだ。


私たちが付くべき相手は証券ディーラーか外国人投資家、そしてほんの一部ですが投資技術の上手な個人投資家ということになります。


ターゲットという言葉をよく使う。標的である。つまり、レコードを発売する時に、どの年代層、どのファン層に狙いを定めるかということである。中・高校生をターゲットにとか、女子大生を標的にとか言う。また、盛り場狙いとか、トラッカー決め撃ちなどという使い方をするのである。要するに、確実に共感を得られそうな層を設定し、ややそれにおもねった形で企画を立てることである。どの商売でもそうであろうが、ある程度のターゲットの設定ができないと、不安で仕方ないのであろう。 ところが、ヒットの面白さは、作品や歌手の力がターゲットを無視するところから始まるのである。狙いどおりに予定した層の支持を得たものは、それはそれで成功であるが、決して歴史的大ヒットにはつながらないのである。ターゲットは保障の役目を果たすとともに、それ以上になることを阻む枷にもなるからである。最近のヒット曲が、予想もつかない雪崩現象に至らないのは、このターゲットを重要視しすぎるため、保証と枷の裏表の関係が、硬直させているからだと思うのである。それはともかく、大ヒットというのはターゲットを無視する。むしろ、標的としていなかった層の意外な反応というのが、社会現象的なヒットにつながっていくのである。 本物を潰すには、偽物を氾濫させるのが一番の上策だ。


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「お茶代は私に払わせて下さい。年寄りに恥じかかしちゃいけない」

浮世は義理と人情でもっている処です

老人のいない家庭は家庭ではない

石井英夫の欠点はえらそうにしないことで、えらそうにしないと世間は安く見るといっても、これまた生まれつきですからいかんともしがたい。

ただそのえらそうでないところで私はこの人と友になったのですから、一得一失はやむを得ないと言わなければなりません。

彼らは五年さき十年さきの考えはないのである。

あるのは「今」である。

今がしのげれば一両年はしのげるだろう。

それからさきのことはさきのことだ。 要するに哲学がないのだ。

産業革命以来人は哲学を放棄したのだ。

私はロシアのような中国のような半ば未開な国があって、日本のような食い物を棄てる国があって、アフリカのような飢えている国があって、世界はバランスがとれているのだと思っている。

世界中がアメリカのような、また日本のような国になるのは望ましくないと思っている。






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