9/19/2007

逆立ち日本論


逆立ち日本論・養老孟司&内田 樹



少数対多数のときに、やくざは絶対に「お前ら」というふうに包括的な名称では相手を扱わない。相手がいくら大勢でも、その中のただ一人を凝視して、「お前、オレに何か文句あるのか」と凄むのです。相手が十人いても百人いても、ただ一人だけに焦点を合わせる。ほかは眼中に入れないんです。具体的で個別的な敵には対処できるけれど、「敵というもの」という総称的存在には打つ手がないですから。(内田)



ユダヤ人は諸国民より多くの「責務」を課されている。「あまりに責任が重いので、人間として十分な成熟が必要な仕事は私たちユダヤ人がやりますからみなさんはもっと楽な仕事をしてください」というのがユダヤ人の選民意識なんです。

この「選び」も自分たちが何か他の民よりもできがいいから選ばれたわけではなく、神に一方的に指名されただけで、その理由は特に示されていない。(内田)



シャガールというのはユダヤ人でほとんど唯一の例外じゃないんでしょうか。「ユダヤ人画家」というのは本来、形容矛盾なんです。ユダヤ人には伝統的に音楽や舞踏のような時間性を含んだ芸術表現以外は許されていないはずですから。シャガールがそれでもユダヤ人世界で許容されたのは、それが聴覚的な、あるいは時間性をどこかにとどめた絵画だからではないでしょうか。たぶん、シャガールの絵からは音楽が聞こえるのです。(内田)



日本人はどちらかというと統一国家に慣れてしまっているので、政府の仕事が「均質化」だとはまさか思っておらず、「利害の調整」だと思っているところがあります。実のところ、「均質化」なり「原則の貫徹」がアメリカ政府の役割だと思います。(養老)



中心地がもっともインターナショナルだと思っているのは、日本が島国だからでしょう。大陸に行ったら、異世界に接する辺境こそがもっともインターナショナルなんです。(養老)



スローフード運動というのは、マクドナルドのローマ出店に反対するイタリア人が始めた運動ですけれども、始まったのは北部同盟の中心地であり、ムッソリーニの政治的拠点であったピエモンテなのです。スローフードと北部独立運動とファシズムがなじみがいいということはよく理解できます。イタリア人にしてみたら、それはアメリカの牛肉がヨーロッパ人の身体を侵すことを拒否する身ぶりでもあるわけです。(内田)



ぼくは「デスクトップに並べておく」という言い方をしてます。自分の意識の『デスクトップ」に開いたファイルをどれくらいたくさん載せられるか。どれだけデスクトップが散乱しているのに耐えられるか。この無秩序に対する耐性というのは結構大切じゃないかなと思うのです。(内田)



「こうなったらどうなる」「こうなったらどうする」とう未来の可能性は、数え上げたらキリがない。だからぼくは「まだこれからどうなるかわからないのだから、それは起こってから考えよう」と言う。そういうふうに開放的に未来に向かった方が気が楽だと思うんですけれども、「もしもこうなって、こうなって、こうなって、予測される最悪の事態に立ち至った場合、内田はどうその責任を取るのか」と訊かれても、そんな蓋然性の低い予測についての対策なんて、考えるだけ時間の無駄じゃないですか。(内田)



本来、「個性」とうのは他人の目にどう映るかということのはずでしょう。そうやって年寄りが人を見ることをサボるから、同時に年寄りの意味がなくなりました。長く付きあって見るからこそ、「お前はああいうことをやれよ」って言って・・・・。(養老)



オーラル中心でやっている限り、宗主国と植民地の知的な位階差は絶対に埋められないんです。だから、英語教育をオーラル中心にやるということは、日米間の知的、権力的な非対称性を維持することに同意するということです。アメリカのイーブンパートナーになるという意欲がはじめからないということです。だから、ぼくは「オーラルより文法をやれ」「英語は読み書きができれば十分じゃないか」と言ってるのですが、誰も聞いてくれない。(内田)



大瀧詠一さんと喋っていて、

歌手における声と作家における文体というのは機能的には同じものじゃないかと思うのです。文体というのはやはり楽器みたいなものでしょう。作家は一人ずつ固有の楽器を持っている。どのへんで厚みのある音がでるとか、どの音域の伸びがいいかわっているはずです。「僕の文体は中音域で説得力がある」とか、そういうこと絶対考えているはずなのに、批評家は誰もそれを指摘しない。「この作家はクライマックスでカ行の語を多用する」とか言っていいはずだけど、誰もそういうことは言わない。(内田)



「顔の悪い結婚詐欺師はいるけど、声の悪い結婚詐欺師はいない」って言いますね。声の悪い詐欺師はいっぱいいるけど、結婚詐欺師となると声が命です、と。声がいいというのは、「自分の言っていることを信じている」ということなんです。自分の言っていることに自分が同意していると、声帯以外の身体部位が共振するんです。(内田)



やくざというのは「相手がどのようなことを言おうと、どのような行動をとろうと、それが彼にとって常に『想定内の出来事』でしかないことを思い知らせ、同時に絶えず相手の想定を裏切る言動をとることで、相手に無力感を感じさせる」ことのプロある。(内田)

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