11/05/2007

楽しく上手にお金とつきあう・小林正観


楽しく上手にお金とつきあう・小林正観



たそがれたラーメン屋でお金を使う。

美味しい店、有名な店に入るために行列に並び、20分も、30分も待って食べるというのは、エゴかもしれません。その有名な店の2,3軒隣には、必ずお客さんの入ってない店があります。まずくて有名で、店主の愛想は悪いかもしれません。でも、あえてこのような店に入ってみてください。

役に立つようにお金を使うというのは、「いかに人に、お金に喜んでもらえるか」ということでもあるのです。



お金ができた、と食べ物を変えると運が衰える。

「欲しい、欲しい」と念ずれば念ずるほど、願えば願うほど、「我欲」「執着」「こだわり」のゴミを貯め込んでいることになります。先ずは、その三つの思いを捨てること。



どうお金を使うか、いつも考える。

いざという時に、富をみんなのために放出できる人のところには、お金が集まってくる。「この人のところに貯めておけば、いざというとき助かる」と思われる人は潤うのです。「この人に潤っていて欲しい」と周りの人たちが思っているから、自然とそうなるのです。



喜ばれる存在になると、売り上げはついてくる。

村おこし、町おこしの共通点

1、その町や村で育った人が一度都会に出て生活し、戻ってきて何かを始めた。

2、都会に住んでいた人が仕事を辞め、その町や村に移り住んで何かを始めた。

3、その町や村の外に多くの友人、知人を持っている人が何かを始めた。

外の世界と交流を持ち、外の世界を知っている人が、新しい楽しいアイディアを持ち込み、活性化のきっかけをつくっているようです。ずっとその町や村から出たことがない人が、その地域のよさを認識できないので、そのよさをアピールすることができない。



働くとは「はたをラクにする」こと。

喜ばれる存在になること、それだけですよね。



生きるとは、「頼まれごと」をこなすこと。

自分のやる気や衝動によってつくったものが芸術だと思い込んでいる人が多いのですが、それだけでは、長く世に残るスゴイ仕事はできないようです。

衝動でやったものは、自分のできる範囲でしかやらないことが多い。ところが、「この大きさのもの、こういうものをいついつまでに仕上げてくれ」と言われると、人間は自分を超える力をどこかから借りてこなくてはならない。自分の能力の限界を超えるものを頼まれて引き受けてしまう、ここが重要です。

自分の力を自分で評価・評論できると思っている、それが「傲慢」です。頼まれたら「わかりました」と言ってやってみる、それが「謙虚」。

一般に言う、「傲慢」と「謙虚」とは全然違います。



「イヤなこと眼鏡」を外すと、人生は楽しい。

「お金を貸してくれ」「お金を出してくれ」と言われても、それはお金に用事があるのであって、「私」に用事があるのではありませんから、断っても構いません。

その人はお金に用事があるのですから、「私」ではなくてもどこかお金がでてくればそれでよいわけです。



「夢や希望に満ちあふれた人生」は、「死ぬまで満たされない人生」かも。

努力の反対語は感謝です。もちろん、努力は悪いことではありません。けれども「努力をしなければならない」と思うのは、自分の力しか信じていないこと。つまり、自分の人生をつくっているのは自分だ、という奢り・高ぶり・うぬぼれ・傲慢かもしれません。そういう人は、自分の体の外側のものを全部敵に回しても努力を続ける。それが美徳だと思い込んでいる。

「夢や希望をもちつづけなければならない」と私たちは言われ続けてきましたが、夢や希望に満ちあふれいる人生というのは、つねに今の自分を好きになれず、「まだまだ、もっともっと」と死ぬまで言い続ける、満たされない人生ということなのではないでしょうか。

ちっとも努力してないけど、いつもニコニコと楽しそうで、心に余裕があり、いろいろなことや人に感謝して、周りの人を気持ちよく、明るくさせてくれる人。

「努力、努力」と押しつけがましく、とても偉そうで、一人で頑張っているような顔をして、いつもピリピリと怒っている人。

どちらが楽しそうで、明るく楽しい人が寄り集まってくる人生なのでしょうか。



求めて手に入れるのが人生の前半、折り返しを過ぎたら、捨てて手放す。

「頑張る」「努力する」ことが唯一のよい価値なのだと信じて、そのまま後半生を生きていこうとすると、今度はうまくいきません。後半生では、「頑張る」「努力」が「向かい風」になってしまうようです。人生の折り返し地点を過ぎたな、と思ったら、何かを求めて動くより、今いる場所で「どうしたら喜ばれる存在になるか」、今まで得たもので「どうやってみんなの役に立つか」と考えると、面白い風が吹いてきます。追い風です。



「発想転換」して「執着を捨てる」。

強いものが力を示して上に立つ時代はもう終わり。柔らかなもの、温かいものが協調して力を持つ、そういう時代。「力を持つ」という表現自体が違うかもしれません。強調的なものが中心になっていくのです。



「ありがとう」は神の応援を得る言葉。

本当に幸せを感じる人というのは、足りないものをリストアップするのではなくて、足りているもの、いただいているものをリストアップする人。自分がいかに恵まれているかに気がついた人です。








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