1/08/2008

私の嫌いな10の人びと・中島義道








私の嫌いな10の人びと・中島義道

笑顔の絶えない人
常に感謝の気持ちを忘れない人
みんなの喜ぶ顔が見たい人
いつも前向きに生きている人
自分の仕事に「誇り」を持っている人
「けじめ」を大切にする人
喧嘩が起こるとすぐ止めに入る人
物事をはっきり言わない人
「おれ、バカだから」と言う人
「わが人生に悔いない」と思っている人

市場経済にかなう商品を生産し、その利益に見合った対価を得るべきだということ。
作品の芸術的完成度と芸術に対する真摯は姿勢などで金を儲けようなんてノーテンキなことを夢見てはいけません。
世の中は、優れたものを漏れなく認め、それにただちに対価を払うほど甘くはないのです。

書きたければ、いくらでも小説を書いても、油絵を描いてもいいけれど、おびただしい「作品」のほとんどは-自分にとってどれほど大切であろうとも-社会的にはゴミ同様の扱いを受ける、と言いたいだけ。
よくよく考えてみれば、現代日本は無駄なことの集積からなっている。
作家予備軍や画家予備軍が数十万人いてもいいのです。ただ、そのうち社会的に成功するか否かは、それが商品として市場価値があるか否かだけで決まること、そして市場価値がつくきっかけはほぼ偶然だということ、こうしたことにつべこべ難癖をつけるべきではない。これが厭ならやめればいいだけです。

現代日本では、誰もが、「(ルールにのっとって)なるべく得をしなるべく損をしないようにふるまう」という大前提でことが進んでいる。こんな空気の中で、「損をしてもいい」という発想を伝えるのは至難の業です。

「対立を嫌う」ことを至上命令にしている御仁は、与えられた情況-それがいかに理不尽でも-を「変える」ことを嫌う人であって、だから、私のように、ずけずけと他人に向かって命令するような無礼な男を嫌う。としても、「対立」を嫌うのですから、けっして私に向かってこない。ただただ「厭な奴がいるものだ」という不愉快な気持ちが残るだけでしょう。こういう人が、この国でもっとも頻繁に見られる「対立を嫌う人」なのです。

私は、親をはじめ、他人に心配をかけまいと思ったことがない。私のことを心配する人は、勝手に死ぬまで心配しつづければいいのです。それはその人の趣味の問題。私にはまったくかかわりのないことです。
ほとんどの人は、親に心配かけたくないあまり、悪いことはいっさい親に話さず、いいことばかり話して、平然としている。まあ、こういう人の親も、なんか変だなぁとは感づくけれど、それも私に心配かけまいとうの思いからなんだろうと察して、詮索することはない。だから、うまくコミュニケーションは成立しているんですが。

ふたりとも同じ言葉使いながら、それに込められている意味がそれぞれ異なるから。

自己利益を求めないとかなりのことが出来る。

学者や技術者や作家や芸術家などの一芸に秀でた者、あるいは官僚や大企業の重役や大学教授や医者や弁護士など社会的ステイタスが高いとされる職業に就いている人のほとんどは、「私は偉い」と思っています。そう思わないように日々体からその臭みを消していく努力をしなければならないはずなのに、そういう訓練を自分に課している人はほんの一握りであって、みんなごく素朴に威張る。

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