2/27/2008

群像 2005 4 高橋源一郎+山田詠美+島田雅彦









群像 2005 4 高橋源一郎+山田詠美+島田雅彦


島田 それが本当に古いのかという問題ね。確かに、日本人はよそへ行っても、結局自分を見ているわけですよ。
    だから、外国に行っても私小説を書くんです。何か導入しようというか、外部的なものを輸入しつつ日本に
    抵抗しようとするために。今は完全にその風潮自体がなくなってきたかもしれない。自我を見つめる儀式として
    の旅はもう必要なくなった。旅の終わりは近代文学の終わりと対応しているんです。
高橋 新しい古いでいえば、古いものなんだと思う。明治以来ずっとだから。何か足りないんで、海外へ行って見つけて、
    輸入して、一応埋めてみるけど、やっぱ足りないんでまた行く。その繰り返し。
島田 そういう意味でいえば、江戸に帰ったんでしょう。
高橋 自足していた時代にへね。
島田 運賃は安いし行こうと思えば幾らでも行けるんだけど、あえて江戸の鎖国の時代に戻った。裏を返せば、
    今現在の日本風俗とかサブカルのたぐいをそのままやっておけば、向こうの方が関心を持ってくれる、
    そういうたかのくくり方はあると思う。だけど、文学はそれにうまく乗っているかというと、乗ってはいない。
    相変わらずやっぱりグローバル文学みたいな形で、村上春樹やよしもとばななが出ているだけ。
    グローバル文学の条件というのが、実はこの座談会のテ-マである顰蹙をなるべく買わないことなんです。
    要するに、どのジェネレーションでもどの地域でも受け入れられるようにするためには、徹底的に無毒化ていかなきゃいけない。
    ここでお二人が顰蹙ということを語られる場合は、ある意味、グローバル商品化に抵抗しながら、普遍を目指すということでしょう。


島田 顰蹙作家の条件は、やはり失敗作を書かなければいけない。
山田 そうなんだよね。私、江藤淳さんにいわれたんだ。パーティで会って、何々を読んだよというので、どうでしたと聴いたら、、「失敗作」。中上(建次)さんなんかも同じことを私によく    いっていたけど、「ああ、やっぱり失敗ですか」といったら、「十個失敗して一個成功すればいいんだから、どんどん書きなさい」といわれたことがあった。

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