2/01/2008

愚直に実行せよ! 中谷巌










愚直に実行せよ! 人と組織を動かすリーダー論 中谷巌


リーダーの資質1:「志」がある
 リーダーに求められる第一の資質は、「志」があるということである。大きな「志」がなく、私利私欲だけで動く人間はすぐ見透かされてしまい、そうなったらもう人はついてこなくなる。

リーダーの資質2:ビジョンと説明能力がある
 優れたリーダーになるための第二の条件は、「志」を具体的な行動に移すためのビジョンであり、そのビジョンの意味を人々に明確に示す能力である。

リーダーの資質3:愚直な実行力がある
 リーダーは必ずカリスマ的でなければならないか。決してそんなことはない。カリスマ性はないが、現場に良く足を運び、自分の成し遂げようとしていることが現場レベルでしっかりと実行に移されているかどうか、とことんこだわる人。派手さはないが目標にこだわり、あくまで愚直にそれを実行に移す人。こういうリーダーこそ、実はリーダーとして尊敬され、人々の信望を集めているというケースは決して少なくない。

リーダーの資質4:「身をもって示す」姿勢がある
 リーダーになるための第四の条件は、コミットメント(決意)である。


利口な日本人は、あまり目立つような場所に長い間自分を位置づけることを回避する。日本では、
リーダーになるより、リーダーを支える参謀役のほうが安全なのである。そして、リーダーになった場合には、なるべく周囲の意見を良く聞き、御輿の上に乗っかって、良きに計らえと言っている方が長続きするのである。


「惜しまれて去る」。―――どれだけ意図的であったかどうかはともかく、まさに日本的美学にぴったりの行動パターンであった。


日本の強み――それは「現場の当事者意識」である。現場に当事者意識を持たせ、
現場の力をうまく結集できれば、信じられないくらいの力が出るのが日本人だ。これは、階級社会が確立している欧米や東南アジア諸国とは決定的に異なる点である。このことを明確に理解でき、それにふさわしい行動をとれるということが、成功する「日本型リーダー」の条件であると思う。


エリートとは「いかに社会のために自分が役に立てるかを常に考え、行動している人」と定義できる。


岡崎久彦氏によれば、明治のリーダー、たとえば、幕末から維新にかけて日本の近代化に大きな貢献をした勝海舟、西郷隆盛、福沢諭吉、陸奥宗光などの「知の巨人」は、エリートとしての自覚、責任感が強烈だったが故に、節目節目に筆舌に尽くしがたいほどの猛烈な知的「修行」を行なったという。
彼らには一生のうち何度か、二、三年あるいはもっと長い期間にわたって死にものぐるいの勉強をしている。この死にものぐるいの勉強(それは「勉強」という言葉をはるかに超えた「修行」であった)を通じて、リーダーとしての見識や志を身につけていったのである。
岩倉具視使節団がメンバーの立ち居振る舞いが素晴らしいと各地で絶賛されたのも、このようなあくなき修練の賜物であったと言えるだろう。


「悪いことをしても露見しないならやっても良い」とか、「隙あらば人を欺いてもうまい汁を吸おう」という考え方は、もとより伝統的日本人の美意識からすれば許容できないところである。


留学や海外駐在など、海外での生活をした人なら誰でも経験していることであるが、自国の文化や歴史をろくに知らない人間、自分の国を愛することのない人間はおよそ相手にされない。もちろん、自国の歴史や文化を深く知る能力と同時に、外国のことも勉強することが望ましい。


「真の心理」とは、誰のチェックも受けることなく、自己の利己的、打算的な欲望を抑えて「正しいこと」(その正確な定義は存在しないが)を実践する力である。「社会」も「神」も自分の行動を規定する倫理規範を与えてくれないとき、あなたの「倫理」はどうなるのか。傍若無人に悪の限りを尽くしてしまうのか。それとも、何らかの倫理観があなたの悪事を止めてくれるのか。


リーダーの「直感」を誰にもわかる形に変換する(「概念化」する)必要がある。「概念化」が適切に行われないと、リーダーの「直感」は部下に伝わらない。リーダーがいかに優れた「直感力」の持ち主であっても、「直感」の中身、その意図するところが十分明確に部下に伝わらなければ、リーダーの「直感力」が大きな組織力に転化されることはないであろう。


リーダーに求められる資質として、大きな「志」を持っていること、それを具現化するビジョンがあること、ビジョンを明確に説明する(直感力を概念化する)能力があること、リーダーが明確なコミットメントをしていること、人々に尊敬される「教養」を磨いていること、「大局観」をしっかりと持っていることなどを指摘してきた。


しかし、いくら「志」があり、「説明能力」があっても、組織を動かすのはあくまで現場である。つまり、組織の「実行力」であろう。自らの志を組織の末端にまで行き渡らせ、それを着々と実行する力、これこそ組織を成功に導く前提条件なのである。どんなに良いことを考えついたとしても、どんなに「志」があっても、「実行力」の伴わないリーダー成功しないのである。


どんなに高い「志」を持ち、ビジョンや戦略に長けていても、組織を動かし、人を動かす上でおそらく最も重要なのは、「愚直な実行力」である。リーダーが正しいと思うことを執念を燃やしてとことん実行するまで見届けるという姿勢である。これが現場の「当事者意識」に火をつけ、これまでの惰性を止め、変革を呼び起こすのである。


リーダーシップを発揮するのは、必ずしも高邁な「大きな志」を持ち、ビジョンや説明能力に長けた「人徳」豊かな教養人である必要はない。むしろ、大衆心理を巧みに操り、彼らのやり場のない不満や不安感を巧みに操縦することに長けた天才こそ、リーダーにのし上がる最重要な能力だったのであろう。


フロイトは、人間とはそもそも自分が心酔し、心の底から服従できるような存在を探し求めており、状況次第では、権力によって支配され、「虐待される」ことすら望んでいる、と述べている。


過去にこだわるだけでなく、将来、自分はどういう人生を歩みたいのかを考えよ(ニーチェ)


自分が最も大切にしている目標を達成するためには、過度の理想主義に陥ってはならない。状況を見極め、便宜主義や抜け目なさも駆使せよ(マキャベリ)


改革リーダーに「演技」の臭いがつきまとうようだと、それはすぐに見抜かれてしまう。かけ声は勇ましいが、現場に足を運ばないリーダーや必ず実行に移すというあくなき執念が欠落しているリーダーは、すぐに見透かされてしまう。そうなると、まず改革は成功しないし、逆に、リーダーが本気である場合には、協力者が増え、改革成功の確率が高まる。


リーダーは自分でリーダーになろうと思ってそうなるのではなく、身をもって示しているうちにいつの間にか他人によってリーダーにさせられてしまう、そういう存在である。そういう状況が生まれてくると、それがさらにリーダーにエネルギーを与え、身をもって示す行動に拍車がかかり、ますます支持者が増えていく。リーダーと支持者がだんだんと一体化し、互いにより大きな行動へと輪が広がっていく。
リーダーが変革を起こす者であるとすれば、こういうリーダーと支持者の一体化こそ、変革を成功させる最終的な条件になるのであろう。


もう一つ、重要だと思われるのは、日本文明というものにしっかりした理解を持つということだ。
日本がこれだけの成功を収めた本当の理由は何なのか。世界の人々がこのことに対する納得のいく説明を求めているのに、日本人はなかなかこれができない。自分の依って立つ国の歴史や文明に無関心な人が多すぎる。これでは、日本人は「根無し草」になってしまう。
自分を説明できない人、自分の国の歴史や文化を外国人にきっちりと話せない人はまず国際的なリーダーになれない。
これも、戦後日本の教育の盲点になっている。ここの部分も意識的に勉強する必要がある。

0 件のコメント: