12/13/2007

司馬遼太郎2










司馬遼太郎2




祖父のような、損をしても操を売らないタイプは、むしろ庶民のなかによくいる。その点では、普遍的だとも言えます。どこの町にも村にもいる庶民の一タイプです。庶民は、そういうことで時代の動きに一足づつ遅れていくんですね。

土方の新撰組における思考法は、敵を倒すことよりも、味方の機能を精妙に、尖鋭なものにしていく、ということに考えが集中していく。これは同時代、あるいはそれ以前の人々が考えたことのない、おそるべき組織感覚です。

封建武士道というのは、人間はどのように生き、どう行動すれば美しいか、ということを究明するもので、美意識でしょう。

だいたいものをモラルで考える人は、人間理解が浅いところがあります。

美意識は、教養のかなりの蓄積がないと出てこないんです。教養の蓄積がなければでてこなかったと思います。

人間、どうふるまい、どう行動することがもっとも美しいか、という精神の美意識のありかが、人のもっとも肝要なものだということは、いつの時代のどの社会もかわらない。しかしその精神の美意識は、多くの場合、誇りをもたされた階級が数百年の年月をかけてはじめて完成させるもので、日本では徳川時代がそれに相当し、日本人はそこで自分自身の美的精神像をつくりあげた。

殉死ー乃木
自分を自分の精神の演者たらしめ、それ以外の行動はとらない陽明学ー山鹿素行
郎党ー山岡鉄舟

帝にとって、この忠良な老郎党のたたずまいは、一種の愛嬌とおかしみを帯びた。愛嬌とおかしみがあればこそ帝にとって郎党なのであろう。
山県有朋、伊藤博文、西園寺、桂太郎には、そういうところがなかった。彼らは帝にとって、能力の提供者であり、希典は、帝にとって誠実の提供者であり、誠実はときとして滑稽感をともなう。

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