2/19/2008

日本の行く道・橋本 治









日本の行く道・橋本 治

家でなく学校の方が、「自分の所属する場所」になっているから、「自分がそこから排除されている」という事実が受け入れにくくなって、「虐待する友達がいる」ということも、「虐待されている自分がいる」ということも認めにくくなるのです。そう考えないと「いじめにあっても黙っている」ということが説明出来ません。事態は、「報復が怖いから黙っている」というような、単純なものではないと思います。

かっての世の中には「いじめっ子」のような、明白な「他者」がいました。でも、今の世の中には「距離のある人」が存在しにくくなりました。

今の子ども達が「成長の早い子ども」あると同時に「成長の遅い子ども」でもあるという事実です。今の大人たちの中にも、この体質が入り込んでいるのです。

「大人が大人の基準に達していないー大人でありながら、大人が子どもであることをひきずりすぎている」

「子どもと大人の境を曖昧にしてしまうような形で世の中が進んできて、そこに問題があるとも思われなかった’今まで’」

「なぜ、’便利’は、そんなところへまで人を追い込んだか?」

自立に関する錯覚をそのまま引き受けて社会人になってしまった人間

明治新政府の中心(薩長)には「先進国との戦争に負けた傷」があります。「負けた!ヤバイ」で方針転換をし、その後に統一政府を作った勢力は、「脅威となる西洋に負けないような国作り」という方向へ進みます。
なにしろ、西洋先進国と戦争をして負け、「相手の強さ」を肌身で理解したのは、長州と薩摩だけです。

日本人にとっての「戦争」は「武力と兵器による戦争」で、20世紀後半の「経済戦争」が、「産業革命を契機として勃興して来た、西洋中心の帝国主義戦争の時代にピリオドを打つもの」とは考えなかったのだと思います。

「遠い昔の戦争で受けた傷を残し、それを継承している政府」と「そのことにあまりピンと来ない国民」-近代化を達成した日本は、このような分裂を抱えているのです。

国民が成熟する以外、民主主義の生きる途はないのです。その点で、まだまだ日本は民主主義は不十分なのです。不十分というか、未熟なのです。だからこそ、「ご主人さま」の資格のない人間が、平気で「ご主人さま」気取りになっていたーそれをそのままにして、「民主主義の未熟」は隠蔽されていたのです。

「昔そうだったから」という理由だけで、いつまでも過去のあり方に縛られている必要はありません。

日本が世界の経済戦争に勝ったのは、機械化のせいではなくて、その以前に存在していた、「物を作り、さらによい物を作ろうとする職人・職工のレベルの高さ」だとしか考えられないのです。それで私は「江戸時代に確立した工場制手工業という基盤」を重要視するのです。

「需要がなかったら、そこに需要を作り出してでも商品を売る」という、20世紀後半のマーケティング理論

「終身雇用の崩壊」は「自由を求める社員のせい」で、「子どものわがままを許して、家族は崩壊の結果へと至る」というようなものです。

日本の企業の大半が零細であってもかまわないじゃないか。そっちの方が、あり方として正しいんじゃないか。

農村というところから人力エネルギーが消えた結果です。
日本の農業を成立させる「農家」から、その「家」であることを成立させる「人によるシステム」が消えたからです。
「家とは、そこにいる人間たちが作り上げ維持する、一つのシステムだ。」

家族に「家を出て行く自由」を与えた時、「家」は崩壊する

人は「豊かさ」によって自由になり、自由になって「豊かさ」を求め、その結果、「豊かさ」によって翻弄され、「豊かさ」を失う。

「歴史が短い」と身軽です。若い人は「失敗することがある」などと考えず、どんどん自由に考えられるのです。失敗したのは「自分たち」ではなくて、「役立たずの過去」を生きて来た、その点で「古い」になってしまった人達だからです。だから、世界中は「行け行け、どんどん」です。

日本は、未来を考える選択肢の検討を、とんでもなく長いスパンで可能に出来る国なんだ、と思うと、私はただ「日本に生まれた日本人でよかった」なのです。

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